戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

53 / 188
澤「お前らシンフォギア装者のことよく貧乳とか言ってるけど、クリスとかマリアとか響とか普通に巨乳だし、未来だって小動物系で愛くるしいルックスしてる。ていうか、切歌も実際に見るまでもなく愛嬌があって可愛いよ。 調なんかロリなのに色気ムンムンだし、翼も歌が上手い」


4

 あてもなく、けれど何もしない時間に耐えられなくて。

 外出の許可が出てから、ゼファーは毎日朝と夕から夜にかけての二回、街を走っていた。

 時には高い所から街を見回し、時に図書館で文献を漁り、時に行ける所まで遠くに行った。

 体力を付けつつ冬の空の下、直感で僅かでも可能性のある場所を探し続ける。

 あの銀色の騎士がどこかに居るんじゃないかと、目と足を走らせて。

 

 憎悪と恐怖。

 仇を探す憎悪。この平和な街にあの殺人者が来ていたら、という恐怖。

 闇の中で見えないお化けを恐れて、見えもしないのに四方八方を警戒する子供の思考だ。

 彼は日中は二課に居て、その前後の朝と夕に出立する。

 主目的が果たされない現状では、ただのランニングと変わりなかったが。

 

 今日も朝に出て、登下校の時間あたりによく見る栗色の髪の少女といつも一緒な黒髪の少女とすれ違う際に軽く頭を下げ、ゼファーは走る。

 土曜日だからか、朝早くに見る人影の姿はいつもよりずっと少なかった。

 先程ゼファーとすれ違った黒髪の小学生らしき女の子も、おそらくは友達の家に遊びに行く途中なのだろう。もっとも、ゼファーにその辺り想像することはできないのだろうが。

 事前に決めていたルートを一時間ほどかけて一回りして、ゼファーは元居た場所に戻って来る。

 

 スタート地点であった家屋には、『風鳴』と表札がかけられていた。

 

 

「ただいま帰りました」

 

「おう、お帰り」

 

 

 「子供をずっと地下に閉じ込めておくのは流石に……」と最初に言ったのは誰だっただろうか。

 外出許可をきっかけに、ゼファーの生活が大人によって見直されることとなった。

 具体的には、まず一時的にとはいえ親代わりに面倒を見る人間の用意。

 そして陽の光をちゃんと浴びれる生活習慣の定着、日本の一般常識の指導。

 そんなこんなで良心的な候補が絞られた後のくじ引きで、ゼファーは弦十郎が引き取ることとなったのであった。ゼファーは今、この風鳴家で寝泊まりをさせてもらっている。

 

 とはいっても、ゼファーに限らず風鳴家の皆がここにいる時間は長くない。

 ゼファーは休日に何もなければ一日二課本部に居るし、平日もほぼ一日二課本部、その前後にあたる朝早くと夕から夜の時間は外を走り回っている。

 弦十郎の勤務時間は基本的にごく普通の公務員と変わらない……というか実際に公務員なのだがそれは置いておいて。ノイズが出現すれば、深夜だろうと休日だろうと出勤タイムだ。

 翼は小学校がある。それでいて平日や休日にも何度かマメに二課に顔を出していた。

 以上の三人が、この家で主に暮らしている。

 この三人『だけ』だ。

 

 

「いただきます」

「いただきます」

「いただきます」

 

 

 三人揃って、インスタント多めの朝ごはんに手を付ける。

 食事の前に一言言う習慣にゼファーも最初は戸惑ったが、今では食べるものに礼を尽くすというこの姿勢に、どこか神聖なものすら感じ始めている。

 そしてインスタントであっても、ゼファーがこれまで食ってきた食のほとんどよりも味が良かったりする。中南米紛争地域の配給食とコストカットされたF.I.S.の食堂食ならそりゃそうだ。

 ただ、食事の良し悪しよりもむしろ、その食卓は空席の方が目立っていた。

 

 六~八はつけるテーブルで、実際に椅子もそれ相応の数用意されている。

 なのに、もしここにゼファーが来なければ、そこに座っていたのはこの二人だけ。

 何故食卓に、そんなに沢山空席が出来るのだろうか?

 

 ゼファーはここ数日、風鳴家に寝泊まりしている。

 なのに、翼の両親の姿を一度も見ていなかった。

 門下生は一度見た。二課の人間も何度かは見た。

 だというのにこの家には、二人以外の風鳴家の『家族』が誰も見当たらない。

 あるのは生活用具が揃っているのにまるで生活感がない、誰も居ないいくつかの部屋のみ。

 

 そこにおかしさを覚えても、どこがどうおかしいのか即座にピンと来るだけの常識や情報が、ゼファーの頭の中には圧倒的に足りていない。

 

 

「よし、出発するぞ」

 

「ゼファー、シートベルト忘れてる」

「っとと」

 

 

 やがて朝食を終え、弦十郎が駆るレガシィの後部座席に子供二人が乗り込んでいく。

 超のつく真面目な翼、まだ色んなことに慣れていないゼファー。その光景をバックミラーで見ていた弦十郎が人知れず微笑んで、車を発進させる。

 メーターを見てガソリンの残量を確認し、ガソリンスタンドまで保つかどうか五分五分以下の賭けだな……なんて思いながら、男らしく分の悪い賭けに勇敢に挑んでいく。

 本日は快晴。

 弦十郎の操作で開いた窓から、爽やかな風が車内に流れ込んでいく。

 

 ゼファーがそこから外を見れば、そこにはとても穏やかな世界があった。

 青い空、人の息づく模様、死も傷も硝煙もどこにも見当たらない、優しい世界。

 少年からすれば信じられないくらい、穏やかで平和で幸せな国。

 失われることが当然ではない、血に染まっていない場所。

 そんな場景が、ゼファーにはとても価値のあるもののように思えた。

 

 失われてはならないものなんだと、『日本』というものをぼんやりと眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十話:シンフォギア 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーは何にでも真剣に、全力で打ち込む。

 掃除でもそうだし、勉強でもそうだし、手伝いでもそうだ。

 そのやる気やかけた時間に比例して人並みの成長を得られたことは多くないものの、それでも身に付けたことをコツコツと復習して自らの血肉にする真面目さもある。

 つまり、地頭がよくて努力家の調には勉強では絶対に勝てないが、そもそも勉強する気がない切歌には勉強で絶対に勝てるということだ。

 そして学んだことを自らの血肉にしているということは、同時にF.I.S.研究者の手伝いに奔走していたゼファーにとっては、一定の技術を吸収したということも意味している。

 

 クリーンベンチの扱いは手慣れたものだし、イオンクロマトその他も任せられる。

 知識はないが手伝いの経験は豊富という、研究者のパシリに必要な技術がほとんど揃っていた。

 加えて、簡易な技術であれば二課になかった聖遺物研究の技術も一部目で覚えており、現時点でゼファーに関わろうとする二課の人間は研究班の者が多かったりする。

 ゆえにか、今もゼファーは自分の健康診断を兼ねて、研究室の一角に居た。

 そして透明な壁の向こう側の実験室で、またしても翼が『それ』を纏う姿を彼は見る。

 

 

羽撃きは鋭く、風切る如く(Imyuteus amenohabakiri tron)

 

 

 ノイズ殺しの一つの究極。

 調律とバリアコーティングをもって、位相差障壁と炭素化を超える極みの矛盾。

 衣装として展開された青、白、黒の三色が、そのどれよりも青い翼の髪に映えている。

 

 

「改めて。これが、『シンフォギア』よ」

 

 

 ゼファーの右に立っていた了子が、ウィンクしながら彼に語りかける。

 左に立っている弦十郎はどこか楽しそうに、実験を見ながら無言で顎髭をいじっている。

 そして手元のマイク、部屋上部のスピーカーを使い、実験室の翼と会話を始める了子。

 

 

「どう? 翼ちゃん。体調は悪くない?」

 

『大丈夫です。ただ、なんとなくまた重くなった気がします』

 

「あらら。天羽々斬(あめのはばきり)も困った子ねえ」

 

 

 翼もシンフォギアの起動前はできるかどうか不安でしかたがないという顔をしていたが、今ではちょっと得意気にゼファーの方を一度ドヤッと見たりしている。

 同年代にカッコイイ所を見せられた、だとか思っているのかもしれない。

 そして拳を開いたり閉じたり、軽くステップを踏み始める。

 それはゼファーから見れば軽業師のような動きであったが、本人の表情を見る限り、相当に重く感じているようだ。

 そんな翼の報告を聞き、近場のディスプレイに表示されてる数字を見て、了子は手元の紙に様々なことを凄まじい勢いで書き込んでいく。

 

 翼のシンフォギアは、聖遺物『天羽々斬』から作り上げられたものだ。

 これは先史時代、国外で作られた聖遺物に日本人が名を付けたもの。

 神話においては、スサノオが振るいヤマタノオロチをたたっ斬り、その際にヤマタノオロチの体内にあった草薙の剣にぶつかったことで、刃の先が欠けたと伝えられる剣。

 その刃の先は現代において発掘され、今こうしてシンフォギアに加工されているのだった。

 ヤマタノオロチは災害の象徴。

 すなわち、災害と災厄の天敵となる剣である。

 

 実験開始のベルが鳴り、続いて周囲の壁からレーザーポインターのような赤い光が照射された。

 普通なら翼の体に赤い光の点をいくつか浮かび上がらせているであろうそれは、翼の体の表面に辿り着いた時点で、バリアコーティングにぶつかり霧散させられる。

 続いて、毒ガスを模しているのか、色の付いた煙が噴出する。

 しかし装者の生命維持機能が働き、むせ返るような煙の中でも翼は平然と呼吸を続けていた。

 シンフォギアの出力が上がれば、宇宙空間でも呼吸を可能とさせるという。

 そして、少女の前に出現する鉄板。

 何の躊躇もなく、というか一番手慣れた感じに、翼は鉄板をぶん殴った。

 ベギ、とゴン、という音が重なったような音が鳴り、厚い鉄板が半ばからへし折れる。

 

 事前にシンフォギアの性能というものを簡易に了子に説明されていたゼファーだが、こうして目にすると改めて驚愕してしまう。これで未完成だというのだからとんでもない。

 

 

「小型のノイズなら触れただけで粉砕できるわよん?

 二課が誇るアンチノイズ兵器、歌を力とする無双の鎧ね」

 

 

 ただ、彼の驚愕の理由はその性能に対してだけではなく。

 日々の中で戻り始めた記憶の内の一つ、翼と重なるある姿にあった。

 

 

「やっぱり、あの時のあれと同じ……」

 

「ん?」

 

「俺、向こう(アメリカ)の研究所で見たことがあります。シンフォギアを」

 

「……何?」

 

 

 ゼファーの言葉に真っ先に反応したのは、隣に居た弦十郎だった。

 少年の記憶を紙に纏めたのは彼である。

 しかしながら映像の記憶を言葉にして聞き出すのは難しい。

 感覚的なもの(クオリア)もそうだが、言葉で伝えられるものにも限界はあるのだ。

 翼のシンフォギアとセレナの最後の姿が同じ系統のものであることなど、伝わりようがない。

 

 

「詳しく聞かせてくれ」

 

 

 しかしながら、その事実はゼファーにとっては不思議に感じる程度のものであっても、二課の総責任者である弦十郎にとっては聞き流せないものであった。

 ゼファーには弦十郎が険しい表情をしている理由が分からない。

 何故彼が真剣に何かを考え始め、何処かへ連絡を始めたのかが分からない。

 いつの間にか状況を察したらしい翼がこちらに戻って来て、ゼファーに状況を聞き始めた。

 だが、ゼファー自身にもよく分からないわけで。

 知っていることを全部弦十郎に吐き出した後のゼファーは、この場において脳筋気味の翼と同レベルには役立たずだった。

 

 

「どう思う? 了子君」

 

「アンチノイズプロテクターの発想はそこまで独特なものじゃないとは言っておくわ。

 アレ要するに最強の矛と盾を備えた『わたしのかんがえたさいきょうのへいき』だし。

 あとはゼファー君の見たっていうものの実物を見てみないことには分からないわね」

 

 

 了子はその符合について曖昧に意見を述べる。

 かつ、雰囲気で調べてみたいという意志を自己主張する。

 研究者らしい反応だと思いながら、弦十郎は顎に手を当てる。

 そこで翼とゼファーがまだ傍らに居たことに気付き、隣の部屋を指差した。

 

 

「翼、ご苦労だった。ゼファー君も情報感謝する。

 隣の部屋にお菓子を用意しておいたから食べるといい」

 

「あの、まさかそれでわーいって飛びついて行く子供だと思われてませんよね、私達……?」

 

「悪いな、大人の話の時間だ。賄賂だと思って受け取ってくれ」

 

「これで山吹色のお菓子とかあったら大爆笑ね、ふふっ」

 

「それで笑うのは了子さんくらいだと思います、はい」

 

(日本人はお菓子の色で笑うのか……変な国だな……)

 

 

 やや困った感じに笑う弦十郎、きゃっきゃと陽気に笑う了子。

 それに対しお菓子なんてなくても言うこと聞くのに、なんて歳相応の反発心からちょっと不機嫌な顔になった翼に、勘違いから物凄く微妙な表情を浮かべるゼファー。

 子供二人が部屋から出て行くと、入れ違いに緒川が部屋に入ってくる。

 了子が所用で抜け、部屋に男二人が残されると、そこから本題は始まった。

 弦十郎が考えを述べ、それに対し緒川が意見を出し、緒川も考えを述べ、その繰り返し。

 

 

「……シンフォギアのシステムは最重要機密だ。国家機密と言っていい。

 もし、それが米国側の研究所に漏れているのだとしたら……」

 

「内通者、ですね。五年前の紛失もやはり……」

 

 

 偶然という可能性もある。偶然外見が似た可能性を了子は否定しなかった。

 見間違いということもある。子供の記憶は案外当てにならず、本当は二者の姿は全く似ていないのかもしれない。

 だが、それで最悪の可能性が否定されるわけではない。

 『シンフォギアの技術が流出している』という可能性を、見過ごすわけには行かなかった。

 

 

「そんでもって、それを知ってるあの少年をこっちに渡してきたってことは」

 

「喧嘩を売られているか、釘を刺されているかのどちらかでしょう。あるいは、両方」

 

 

 シンフォギアは政府も多額の資金を投入しているプロジェクトの骨子である。

 開発もそうだが、他国から聖遺物を入手するのにも金が要るのだ。

 それが自分の金でなく国民の血税で賄われている以上、政府も二課も軽んじることはできない。

 ただでさえ、市民を脅かすノイズ対策は危急の問題なのだ。

 

 加えて言えば、シンフォギアは憲法に抵触しかねない兵器である。

 現在の日本では改定九条推進派の台頭や支持率の上昇などの民意の変化、ノイズの発生率増加によるシステムの見直しなどが急務とされており、対ノイズ装備の完成が心待ちにされている。

 二課や政府もシンフォギアの存在が露見した場合、『国際的平和活用』をアピールしていくカバーストーリーも当然用意してもいる。

 それでも、憲法に抵触することには変わりない。

 日本と良好な仲とは言えない近隣諸国、国内の市民団体、おこぼれに与ろうとする各国、ノイズ被災国、聖遺物の新エネルギーに危機感を示すであろう石油産出国。

 それらが全て敵に回りかねないだろう。

 だからこそ、シンフォギアはまだ秘匿しなければならない秘密兵器なのだ。

 

 シンフォギアは日本の最新最強の兵器となりうるものだ。

 だが同時に、最弱最悪の弱点でもある。

 シンフォギアの技術と情報が外に漏れているということは、イコールでつまり。

 日本は最強の武器を奪われ、最悪の弱みを握られたということでもある。

 可能性であれ、見過せるわけがない。

 

 

「緒川」

 

「承知しています」

 

 

 弦十郎が名前を呼ぶ。

 ただそれだけで、緒川が弦十郎の意を汲むには十分だった。

 緒川の部下の忍者が何人か、これからアメリカに飛ぶことになるだろう。

 諜報こそが彼らの本領。防諜でなくとも、その腕前は一流のそれだ。

 風に吹かれた霞のように、緒川はふと気付けばそこから消えている。

 

 

「信じることは子供の権利、疑うことは大人の義務、だな……」

 

 

 仲間を信じたい。しかし内通者の可能性が濃厚。

 子供であれば無邪気に「皆を信じる」と口にして、その気持ちと心中してもいいだろう。

 しかし大人には、その将来に責任を持たねばならない物が多すぎる。

 彼らは自分以外の誰かのために、時に仲間を疑うこともしなければならない。

 弦十郎は頭を掻き、天井を見上げる。

 

 やりたくない仕事を進んでやるのも、大人の資格の一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴムボールが右に飛ぶ。ゴムボールが左に飛ぶ。

 翼が投げてゼファーがキャッチ、ゼファーが投げて翼がキャッチ。

 有り体に言えば、二人はたいそう暇を持て余していた。

 

 

「それでね、叔父様がご飯にザバーっと……」

 

「すごいなそれ」

 

 

 話しながら手慰みにゴムボールで遊んでいるようだが、何故か翼の動きがぎこちない。

 ゼファーが投げたボールが少し外れると、ひゅっと手を伸ばした翼の手がそれを難なく掴む。

 そして、握り潰した。

 

 

「……」

「……」

 

 

 無言の間が流れる。

 ゼファーはテーブルの端を見た。そこには中が空洞になっているゴムボール『だったもの』が、2~3個へにゃりと投げ捨てられている。

 ゼファーは翼の目を見た。翼は目を逸らした。

 

 

「何個目?」

 

「……ごめんなさい」

 

「いや、俺のじゃないし、俺に謝っても……マズかったら後で一緒に謝りに行こうか」

 

 

 脅威の握力だ。いや、中が空のゴムボールを握り潰すのはそう難しいことではないし、むしろ脅威なのはついで握り潰してしまう彼女の不器用さと言うべきか。

 

 

「球技はその、慣れてないのよ」

 

「あー、うん、慣れてない感じは分かる。

 しかしついついでこうなっちゃうとか、どんな力してるんだ」

 

「……女子力?」

 

「俺日本語詳しくないけどそれ絶対違う」

 

「うぐ」

 

 

 外見だけ見れば可愛らしい少女なのに、握力という一要素だけで怖く見えるのだから不思議なものだ。その細身の腕にどれだけの力が秘められているのだろうか。

 これ以上物を壊したら不味いということで、二人は翼の知る物を使わない遊びへとシフトする。

 翼とゼファーが両手の人差し指だけを立てる。

 翼が右手の指一本でゼファーの左手の指を叩く。ゼファーの左手が指二本を立てた。

 ゼファーが右手の指一本で翼の右手の指を叩く。翼の右手が指二本を立てた。

 翼が右手の指二本でゼファーの右手の指を叩く。ゼファーの右手が指三本を立てた。

 ゼファーが右手の指三本で翼の右手の指を叩く。翼の右手が指をすべてしまった。

 翼が左手の指一本でゼファーの左手の指を叩く。ゼファーの左手が指三本を立てた。

 ゼファーが両手の指をぶつける。右手だけが残り、指が一本だけ立てられている。

 翼が「あっ」と声を出した。

 

 翼が左手の指一本でゼファーの右手の指を叩く。ゼファーの右手が指二本を立てた。

 ゼファーが指の立っていない左手と右手をぶつける。両手が指一本づつ立てられた状態に。

 翼が左手の指一本でゼファーの右手の指を叩く。ゼファーの右手が指二本を立てた。

 ゼファーが両手をぶつける。左手の指がしまわれ、右手の指が三本立てられた。

 翼が左手の指一本でゼファーの右手の指を叩く。ゼファーの右手が指四本を立てた。

 ゼファーが右手の指四本で翼の左手の指一本を叩く。

 翼はうなだれた。

 

 

「わたしが、私が教えた遊びなのに……二、三回したらもう……」

 

(選択肢少ないゲームは選択肢突き詰めるだけだから楽だよ、とか言っちゃうべきなのか)

 

 

 将棋やチェスが弱くとも、9マスに○×を書くゲームでなら一瞬で負けなくなる人間は居る。

 ゼファーがそうだった。選択肢が少ないゲームは、要は全ての選択肢を網羅する根気と頭を回す気があるかないかの問題である。

 こうしたゲームの必勝法発見は、小学生が誰もが通る道と言えるだろう。

 子供相応の勝利への飢えから指相撲という絶勝の競技を提案しようとする翼であったが、その企みはあえなくドアを開いて入って来た者に邪魔されることとなった。

 

 

「おう、暇かお前ら」

 

「叔父様?」

 

「何かご用でしょうか」

 

二課(うち)の特攻野郎Aチームを紹介してやろうと思ってな」

 

 

 ネクタイを外して胸ポケットに入れ、上のボタンを二つ外したラフな格好で現れた弦十郎。

 彼に連れられた先で、ゼファーは広々とした不思議な部屋に出た。

 10mやそこらでは収まらない超巨大な、壁そのものが表示板となっているディスプレイ。

 そこに浮かぶ大小様々な空間投影表示の透明な画面の数々。

 水色の光や赤い光がチラチラと見える、床に固定された大型コンピュータ。

 それらのコンピュータを連結して形成しているであろう、この部屋そのものと言っていい超大型サーバー。そしてそれらを動かしている人達のても常人離れして速い。

 

 ここだけ、20年は先の時代を行っているような印象すら受ける。

 近未来の技術が惜しげも無く使われている、どこかSFじみた部屋。

 なのに何故か、ゼファーはどこか懐かしさすら覚えていた。

 その意匠に、デザインに、技術の種に、無自覚にF.I.S.を重ねていた。

 懐かしさを感じている自覚すらないくらいのかすかなものだが、彼は確かにそれを感じていた。

 

 

「ちょっと手が空いてる奴、こっちに来てくれないか!」

 

 

 弦十郎が声をかけると、その場に居た全員が一斉に反応する。

 その時その場には十五人前後の人間が居たが、集まってきたのは四人だけだった。

 それ以外の人間は、忙しそうに画面に向かいつつも、気持ち手が速く動くようになった様子。

 女性が一人、男性が三人。

 全員が言わずとも弦十郎の前に横並びに立ち、弦十郎がその一人一人を紹介し始めた。

 

 

「この人は友里君。オペレーターや、対外的な折衝の仕事をしてくれている」

 

「『友里あおい』よ、話は聞いてるわ。よろしくね、紐なしバンジーの男の子」

 

 

 青みがかって見える黒髪の、やり手のキャリアウーマンを形にしたような美人。

 美容院で切り普段からセットや手入れに気を使っているであろうショートヘア、美容に気を使い化粧にも金を使っていなければ実現できない容姿、どこにもだらしなさの見えないスーツ。

 外見の至る所に一部の隙も見えないくらいに、きちっと気が使われている。

 それでいて異性に媚びている雰囲気がない。自分を過剰評価している驕りも見えない。

 第一印象で目の前の人間を呑めるタイプだ。

 それでいて悪戯っぽく笑って少年をからかっているあたり、ユーモアもある人物なのだろう。

 

 彼女は二課付きのオペレーター、及び対外的な交渉などを担っている内の一人だ。

 二課を代表して関係各所に顔を出すこともあるし、風鳴弦十郎の名代として動くこともある。

 ノイズに対応する仕事も、人間に対応する仕事もする。

 器用な人間でなければ到底こなせない仕事であろう。

 

 

「こいつは土場(どば)。こいつも二課の頭脳となって働いてくれているオペレーターだ」

 

「よろしく、少年。困ったことがあればなんでも頼りたまえ」

 

 

 親しみとキザったらしさを合わせたような印象を湧き上がらせる、長すぎな髪の男。

 男なのにその髪長すぎないの邪魔じゃないの切らないの? と思わせるくらいの長髪で、それが似合うくらいには美形の男だった。

 雰囲気や身振り、容姿や髪型から、どこか中世貴族を思わせる男。

 だからこそ、きっちりとしたスーツというその服装に違和感を禁じ得ない。

 

 二課の作戦発令所付きのオペレーターは、深夜であろうが休日であろうがノイズ発生の報が届けば、最低でも十数名が二課本部にて即座に勤務に従事する。

 現代の日本においてはノイズ含む災害対策として、全国的に避難警報やノイズ反応検知器の設置が進められており、都市部ではシェルターの設置も行われている。

 ノイズの検知情報の管制と処理、そこから各地への避難警報の発令、関係機関各所などへの通達や現地での活動部隊への情報提供、事後処理での被害状況の取りまとめetc…

 オペレーターは二課で最も仕事量が多い、二課の脳と言っていい職務である。

 

 

「こいつは甲斐名(かいな)。聖遺物などを捜索する研究班の手足だな」

 

「よろしく」

 

 

 童顔、低身長、無愛想、そっけない返事。

 容姿と雰囲気だけならワルガキを絵に描いたような男だが、スーツを着てここに居るということは少なくとも成人はしているのだろう。

 片目を塞ぎそうになっているその長い前髪は、かっこいいと思ってやっているのだろうか。

 土場という男は髪が長かったが、この男は前髪が長い。

 なんとなく陰気というか陰湿な印象も受ける。

 

 二課は政府頼りの外交による聖遺物入手の他、自分達での聖遺物発掘も進めている。

 その際に研究班の手足となって実際に走り回るのが、彼らの仕事だ。

 日本各地で土壌サンプルを集め、聖遺物の痕跡を微量であっても発見、探索。

 神話の地をあたり、時には国外に渡り、聖遺物の在り処を探し求めて走る。

 時には発掘チームに同行し、直接的に聖遺物を掘り出すこともある。

 他の実働部隊の人手として駆り出されることもある、現場の何でも屋でもあったりする。

 

 

「この人は天戸(あめと)さん。ノイズ出現時にドンパチやったり、避難誘導をしてくれる」

 

「おう、無駄に歳だけは食ってねえんでな。

 分からねえことはちゃんと聞きに来い。気が向いたら教えてやるよ」

 

 

 おっさんが好む刈り上げた黒髪の短髪。弦十郎より身長は低いが、その分筋肉の量で明確に優っている筋肉ムキムキマッチョマンの中年男。

 あおいや土場は20代前半、甲斐名は十代後半にも見えたが、この男は誰がどう見ようと40を超えている。弦十郎より年上に見えるくらいだ。

 その上左目に縦一直線に走る傷と、どう見ても機能していない左目。

 古傷も所々に見受けられ、どこに出しても恥ずかしくない歴戦の傭兵……のような出で立ちだ。

 弦十郎がさん付けで呼んでいる辺りからも、彼の立ち位置は伺える。

 

 二課は聖遺物研究だけではなく、一課と合同でノイズからの避難誘導なども行っている。

 当然ながらその最中にノイズとの戦闘も起こりうる。

 ノイズの進路誘導やノイズの足止め、事件が収束してからの事件処理なども彼らの担当だ。

 体力勝負の部署であり、最も危険な部隊でもある。

 その分自衛隊上がりの者も多く見られる、二課きっての武闘派集団だ。

 

 

「今は全員紹介するのは無理だな……

 何かあったらこの人達を頼るといい。何、悪いことにはならんだろうさ」

 

 

 弦十郎がゼファーにそう言って頭に手を置き、ワシワシと撫でる。

 その目には確かな信頼があった。内通者がどうこうという話をした後でも、それはそれこれはこれと言わんばかりに、風鳴弦十郎は仲間を信じ頼りにしていた。

 四人はそれぞれ柔らかく微笑んで、貴族風に髪をキザったらしく掻き上げて、無言で首肯して、オヤジくさい笑い声を上げて、個人個人のやり方でその言葉に応える。

 きっと有事には、今向けられた信頼にも応えるのだろう。

 

 

「改めて言っておくか。ようこそ少年、特異災害対策機動部二課へ」

 

 

 そんな人間が、一つの部署に十数人づつ。

 オペレーターに、探索班に、武闘派集団に、その他多くの二課メンバー。

 その全員が風鳴弦十郎の指揮のもと、一つの集団として機能する仲間達。

 それが、特異災害対策機動部二課というチームであった。

 

 ゼファーがこの日改めて受け入れられた、ここに居ていいんだと少年を受け止めてくれる場所。

 今、彼を受け容れてくれる居場所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なのに何故、ゼファーはこの夜も、夜の街を走り回っているのだろうか。

 知れたこと。復讐の相手を探すために決まっている。

 

 どこかに行ってしまった大切な人を探すわけでもなく。

 自分が居ていい場所を探すでもなく。

 けれど、一見その二つを探しているのかと勘違いしてしまいそうな様子で走る。

 仇を見ればおそらく憎悪に顔を歪めることだろう。

 だが、今は憎悪というより、心と体の疲れに表情を歪めているように見える。

 

 疲れたら休めばいい。立ってられないなら座ればいい。一人でダメなら、周りを頼ればいい。

 風鳴弦十郎はそう言った。ゼファーのどこを見てそう言ったのか?

 ゼファーには分からない。

 鏡がなければ自分の顔が見えないように、自分の心は自分自身が一番見えていないということがままある。それでいて、他人にはちゃんと見えているとは限らないのも面倒な所だ。

 

 息を切らして走る。帰りが遅くなれば探しに行くと、弦十郎は事前に釘を刺していた。

 彼も本心では夜中に子供を歩き回らせたくはないのだが、抑え付けた所で勝手に抜け出して行くことが目に見えていたからこそ、時間制限を決めて妥協させたのだ。

 ゼファーは街頭に照らされた公園の時計を見て、もう今日は終わりであると知る。

 何も見つからない。何もできていない。

 焦るだけの時間の経過が、心の中に積み重なっていく。

 

 

「よう」

 

 

 休憩も兼ねてとぼとぼと歩いていると、ゼファーの前方から声がした。

 夜道で転ばないようにとつい下を向きがちな視線を上げると、そこには弦十郎が居た。

 シルエットだけ見ると、2m近い身長とゴツい体格のせいでまさしく怪物だ。

 凡人とは違う存在感も相まって、女性なら一目見ただけで悲鳴を上げるに違いない。

 

 

「遅くなったから迎えに来た……わけじゃ、ないですよね」

 

「お前の年頃じゃこの時間も十分遅い時間なんだがな……まあいい。

 確かにそうだ。お前に用があったからな、ちょっと迎えに来たってわけだ」

 

「用?」

 

「一杯付き合え。酒は飲ませないけどな」

 

 

 かくして、翼が二課本部に泊まり込みで了子と実験やらで色々とじゃれあっている裏側で。

 まるで母親が出張で居ない日に、こっそりと外食に行って「ママには秘密だぞ」と息子に美味いものを食わせてやる父親のごとく。

 ゼファーと弦十郎は、夜空の下を並んで歩き、とある屋台に辿り着いていた。

 屋台ののれんの向こうから、胃袋を刺激するいい匂いが漂ってくる。

 

 

「オヤジさん、席空いて……あ」

 

「よう、弦坊。先に一杯やらせてもらってるぜ」

 

「弦坊はやめてくださいよ、天戸さん。俺もう30超えてるんですよ?」

 

「かっかっか、俺にとっちゃお前はいつまでも弦坊だっての」

 

 

 弦十郎に連れられて暖簾をくぐると、そこには二課で出会った天戸という男の姿。

 そしてぶわっと湯気を吐くおでんがあり、それを掬っている屋台の店主がいる。

 どうやら今の会話を見るに、弦十郎と天戸とここの店主は馴染みの関係のようだ。

 自分だけ場違いのような気分を感じつつ、ゼファーは弦十郎に促されるままに空いた席に座る。

 

 

「お二人は仲が良いんですか?」

 

「ん? そうだな……弦坊と俺は、もうだいたい20年くらいの付き合いになるか」

 

「にじゅ……!? え!?」

 

「もうそんなになりますか。月日が経つのは本当に早い。

 オヤジさん、この子に卵とガンモとコンニャクとちくわを」

 

「あの鼻垂れ小僧がこんなに立派になっちまってよ、兄貴分の立つ瀬がねえぜ」

 

「はいよ、卵とガンモとコンニャクとちくわね」

 

 

 笑い合うオッサン二人。

 二十年来の付き合いだとか、鼻垂れ小僧だとか、兄貴分だとか、弦十郎の人間離れした鬼神のごとき強さを見た後日であっただけに、ゼファーに衝撃が走る。

 弦十郎が天戸に対し本当に弟分のように振舞っているから、その衝撃も倍率ドンだ。

 その光景は、ゼファーよりずっと人間らしい日々の後に繋がっているものだったから。

 人間離れした人間は人間離れした過去があるという無意識の決めつけがあったゼファーは、その光景に人知れず特大の衝撃を受けていた。

 心を落ち着けるため、目の前に差し出された皿に箸を伸ばす。

 我流でめちゃくちゃな握り方をされた箸が卵を突き刺し、少年の口へと運んだ。

 

 

「あ、美味しい……」

 

「だろう?」

 

 

 『おでんの卵パサパサ』という運命を覆し、その卵はおでんの汁の旨味がしっかりと染みこんでいながらも、それでいて内部までしっとりという偉業を成し遂げていた。

 事前にこの屋台の店主、オヤジさんと呼ばれている者がどんな仕込みをしたかは分からない。

 しかしながら、絶対の運命を覆すことが出来るほどの調理の腕が、その男にはあった。

 その背中は、まさしく己の戦場(やたい)において最強を誇る英雄のそれである。

 

 

「俺もここに最初に連れて貰って来た時は驚いたもんだぜ。

 その時は弦坊の父親の、風鳴訃堂さんに連れて来てもらったんだけどな」

 

「ゲンジュウロウさんの、お父さん?」

 

「親父は俺の前の二課の指令だ。

 天戸さんは二課が出来る前から居てくれて、親父や俺の下で俺達を支えてくれてる凄い人さ」

 

「へぇ……」

 

「よせやい、照れるね」

 

 

 ゼファー達が来る前からかなり飲んでいたのか、天戸も相当に酔っているようだ。

 弦十郎の話を信じるならば、20年よりもっと前……それこそ特異災害対策機動部二課が風鳴機関であった頃から、弦十郎が子供の頃から彼の父親の下で働いていたベテランであるようだ。

 左目の傷は伊達ではないということだろう。

 弦十郎が英雄であるのなら、天戸はその後に続く歴戦の戦士とでも言うべきか。

 

 

「……ん、ちょっと失礼」

 

 

 ゼファーがガンモに手を伸ばしたその時、弦十郎のポケットから鳴り響く電子音。

 携帯の着信のようだ。そのまま弦十郎は二人一言告げて、屋台の外へと出て行った。

 ゼファーと天戸、一度も会話のしたことのないほぼ初対面の二人が残される。

 

 

「あの」

 

「うん?」

 

「ゲンジュウロウさんのお父さんって、どんな人だったんですか?」

 

 

 天戸が沈黙よりも会話を是とする人間だったというのもある。

 酒が入っていたのもある。弦十郎の父、訃堂が天戸にとって大きな人間だったというのもある。

 だが何より、ゼファーから話しかけたというのが大きかった。

 ニッと笑って、天戸は自分が弦十郎の父と出会った頃の話を、少年に語って聞かせるのだった。

 

 

「俺も昔は、義務教育の学校すらロクに行ってなかったワルガキだった。

 俗に言う良い子が真似しちゃいけない不良ってやつさ。

 今思えばくだらないにも程がある理由だったが、あの頃の俺は真剣だった。

 そのくせ他人様には迷惑をかけてたってのによ」

 

 

 近所に迷惑をかけ続ける不良。

 その暴挙に耐えかねて、天戸の両親、学校、近所の大人達の要請を受け、一人の男が立ち上がった。こらしめて欲しい、更生させて欲しいと、そう頼まれて。

 不良が駆るバイクのヘッドライトに照らされながらも、その男は不良達の前に立つ。

 

 

「そんな俺を……いや、俺達を、ぶん殴ってやり直させてくれたのが訃堂さんさ」

 

 

 比喩ではなく文字通りに金属バットやバイクをちぎっては投げちぎっては投げ。

 チーマー気取りの不良集団は、そうして一夜にして壊滅。

 一人残らず風鳴訃堂の手によって捕まり、ある者は忍者の里にぶち込まれ、ある者は反省文を書かされてから家に帰され、ある者は寺に放り込まれ、ある者は風鳴の道場へと連れて行かれた。

 そうして「見込みがある」と連れて行かれた内の一人が、天戸である。

 

 風鳴の道場での修行は、まさしく地獄の一丁目であった。

 最初は「ぶっ殺す」と吠えていた天戸も、数日後には「許してください」となり、半年後には鏡の前で自分の筋肉を眺めるほどに成長……成長……?……成長! した。

 同じ釜の飯を食い、同じキツい修行を乗り越え、不良時代には得られなかった感覚を得る。

 普通の学校では満たされなかった彼が、連帯感、一体感、満足感、達成感、そして自分に対する自信を得て、社会の中で生きていけるだけの人間に成長していく。

 師を得て、仲間と共に修行を越えたからこそ、得られたものがそこにはあった。

 それは、学校では教えてくれないことだった。

 

 自分を叩き直してくれた恩師は、「どこへでも行け」と言った。

 その日そのまま足を止めずに、天戸は恩師が率いる風鳴機関の門を叩く。

 自分の力を誰のために使うべきかを、たった一つだけ心に定めて。

 

 

「翼の嬢ちゃんの父親より、弦坊の方が訃堂さん似だな。

 あっちは利口すぎるし、こっちは年々似てきやがるしよ」

 

 

 くっくっく、と天戸は笑う。

 成程、経歴を聞いている範囲では、弦十郎は父の生き写しのようであるらしい。

 その話を聞いていて、ふとゼファーの頭の中に湧き上がる疑問があった。

 

 

「あの、訃堂さんってまだ亡くなったわけじゃないんですよね?」

 

「当たり前だ。それがどうした?」

 

「風鳴の家でも二課でも、会ったことも名を聞いたこともなかったので……

 というか、その人が居るなら、まだあの人に代替わりするのは早いのでは……

 なんとなく、ゲンジュウロウさん比較的若い気がしますし」

 

「……」

 

「いえ、まあ、なんとなくというか、違和感あるなーって勘でしかないんですが」

 

 

 ゼファーの指摘はもっともだ。

 弦十郎は現在31歳。二課の司令ということは、公務員で課長クラスであるということになる。

 前身が特務機関であるため、他組織と比較すればもう少し高い地位にあたるのだろうが。

 

 それでもとあるアンケートでは、課長の平均年齢は47歳、最年少課長は34歳であったという。

 更に言うならば。

 風鳴弦十郎が二課の司令に就任したのは五年前、彼が26歳であった時である。

 これもう、異例中の異例と言っていいだろう。

 

 天戸は複雑な表情を浮かべ、熱燗をぐいっと胃袋に流し込む。

 まるで、何かの記憶や思い出、感情を酒で誤魔化そうとするかのように。

 

 

「……五年前の話だ」

 

 

 天戸の語調が変わり、雰囲気が変わる。

 ここから先は一言一句たりとも聞き逃してはならないと、ゼファーは理由もなくそう思った。

 

 

「二課で聖遺物が紛失した、って大騒ぎになった。

 ドイツから入手した『イチイバル』の欠片。

 それと、当時発掘したばかりだった神々の砦『アースガルズ』の二つだ。

 当時シンフォギアが何かも分かってなかったお偉いさんの一部は、これ幸いと二課を叩いた」

 

 

 イチイバルとアースガルズ。

 特にアースガルズの異名の方は、ゼファーも聞き覚えのある名前だ。

 天羽々斬、真銀の騎士と共に大昔にこの国持ち込まれたと伝えられていたものだ。

 ただでさえ貴重な聖遺物が二つも紛失したとなれば、二課への糾弾は相当なものだっただろう。

 

 

「訃堂さんは二課を生かすために責任を全部おっ被って辞任。

 翼嬢の両親は今でもその尻拭いでロクに家に帰ってない。

 弦坊は公安警察辞めてガラでもない管理職で償い……ってわけさ。ふざけた話だ」

 

 

 ゼファーは心底驚愕する。

 今日まで、弦十郎と翼にそんな悲惨な印象を感じたことはなかったからだ。

 隠していたのか、それとも既に完全に乗り越えているのか。

 後者だとするなら、二人の心はどれだけ強いというのだろうか。

 

 

「紛失? んなわけねえ、アースガルズは1mや2mってサイズじゃなかったんだぞ?」

 

「……まさか、盗難?」

 

「証拠はない。だが、確実にそうだ」

 

 

 懐古、怒り、後悔、そして無力感。

 酒が入っているからか、天戸の口からは感情のこもった言葉が次々と漏れ出してくる。

 過去を悔い、己が無力であった過去を噛み締めている顔だ。

 翼は両親を奪われた。天戸は恩師を奪われた。弦十郎も家族を奪われた。

 五年前の紛失事件は、今も何人もの心に痕を残している。

 

 

「誇りで飯が食えるか、なんて他人に何度言って来たか分からねえ。

 名誉が何になる、って偉い奴に唾吐いてやったこともある。

 だが、俺は自分の信義と信条を曲げてでも『これ』だけは蔑ろにできん」

 

 

 大きめの猪口に熱燗を注ぎ、一気に飲み干す天戸。

 強い酒が喉を焼き、食道を通って胃に染みていく。

 後悔は酒の席で吐き、その反省を日の下で生かす。

 それが、酒という名の終生の友に誓った生き方だったから。

 

 

「犯人をとっ捕まえて、俺がイチイバルと神々の砦を取り戻す。

 他の誰もでなく、風鳴訃堂の部下が風鳴訃堂のために風鳴訃堂の責任ってやつを帳消しにする」

 

 

 そうして、全部終わらせて。

 奪われた恩師の名誉を全て取り戻し。

 いつの日か、恩師に教えてもらったこの屋台で、また恩師と笑顔で酒を飲むために。

 

 

風鳴(あのひと)の名誉は、俺が必ず取り戻してみせる」

 

 

 最初は子供と大人。今はおっさんと老人。

 年月の流れで、やたらむさ苦しくなった恩師と教え子の関係は、今もここに息づいている。

 物を盗める者は居ても、この気持ちを盗める者は居まい。

 そうして全て語り終えた所で、ようやく天戸は自分がいつのまにか子供に対して熱く自分語りをしている、そんな恥ずかしい現状に気が付いた。

 

 

「……酒が入ると熱くなりやすくていけねえな」

 

「いえ、素敵な話だったと思います」

 

「嬉しい事言ってくれるじゃねえか。オヤジさん、こいつに何か新しいおでんの具をやってくれ」

 

「あいよ」

 

 

 照れ隠しか天戸は新しい注文をし、それによってゼファーの皿に大根とはんぺんが乗る。

 だが、ゼファーは食うためではなく、問うために口を動かした。

 

 

「そいつが憎い、復讐したい……とか、思わなかったんですか?」

 

「復讐、な。まあ、そういう気持ちがないかと言えば嘘になる」

 

「それなら……!」

 

 

 自分と同じ気持ちを抱いた人間、守ることを志す道の先を歩いている英雄だけでなく、憎い仇への復讐を望んだ復讐者としての先人を見付けた。

 そう思ったゼファーは、飛びつくように話を聞こうとする。

 それが道に迷い、行き先を示して貰いたいという、甘えでしかないことにも気付けずに。

 

 

「だがな、そいつを裁くべきは司法だと思っている」

 

「え……?」

 

 

 まして天戸は名誉のための奪還者であっても、恩師のための復讐者ではない。

 

 

「俺個人がそいつに『間違っている』と叩き込むんじゃない。

 法律が、『みんなが守っているルール』が、そいつを『間違っている』と否定するんだ。

 だから俺は、個人的な復讐はしない」

 

 

 個人的な制裁ではなく、誰がどう見ても間違っているんだという現実を突き付ける制裁。

 やられたことをやり返す復讐ではない。

 誰かの大切な物を盗んだという、罪に対する裁き。

 天戸が求めるものは因果応報だ。断じて、盗んだ者が苦痛に喘ぐことではない。

 彼はいいことをした人は報われて欲しいと、悪に報いよあれと動いているだけだ。

 ……天戸を叩き直した男の人格者っぷりが、そこから透けて見えるような気すらする。

 

 

「復讐したって、過去を無かったことになんかできやしないんだからよ」

 

「―――っ」

 

 

――――

 

「嫌いな人にだって、苦しんで欲しいとか、辛い目にあって欲しいだなんて、思えないもの」

 

――――

 

 だからその言葉はゼファーの追い風にはならなかった。

 むしろゼファーの中の甘えと投げやりになりかけていた気持ちを、粉々に打ち砕く。

 正しい道を示しはしなくても、間違っている道を教えてくれていた。

 

 

「お前はどうだ。復讐して、何か戻ってくるものはあるのか?」

 

「……俺は……俺は……」

 

「……悪いな、歳を取ると説教臭くなっていけねえ」

 

 

 葛藤するゼファーを見て、どうにも今日の自分は飲み過ぎてる、と天戸は自覚する。

 説教臭いし、自分語りはするし、いつもより真面目を気取りすぎている。

 気恥ずかしくなって、天戸はまた熱燗を猪口に注いだ、

 

 

「お前はお前なりのやり方で、自分の過去に決着を付けな」

 

 

 そう言い捨てて、舐めるように酒を楽しみ始める。

 ゼファーの注文とは別に牛すじを頼み、カッコつけてそれをつまみに飲み始めようとした所で、

 

 

「なーに知った風な口聞いとるんじゃ。ワシから見りゃお前ら全員ケツの青いガキじゃガキ」

 

 

 オヤジさん、と呼ばれていた店主に茶々を入れられた。

 

 

「おいおい、そりゃねえだろオヤジさん」

 

「アホぅ、今更ワシの前で気取ってどうすんじゃ。

 ワシも訃堂も引退したからと言ってボケるタマじゃないわい!

 んなこた同部隊だったワシが一番よう知っとる」

 

「ぬ」

 

「訃堂がそこの少年くらいの年頃だったお前を連れて来た時も。

 お前がそこの少年くらいだった弦坊連れて来た時も。

 ちゃ~んと覚えとるわ、鼻垂れ小僧めが」

 

「ええい、いつまで経っても無駄に記憶力保持しやがって……!」

 

「え、ええっと……?」

 

 

 ゼファーの手の届かない所で店主の爺さんとオッサンの言葉の殴り合いが始まった。

 もう少年にはついて行けない。

 止めることもできないまま、傍観するしかないのであった。

 

 

「お前らが常連になった時は、いずれ妻子も連れて来るもんじゃと思っとったら……

 弦坊もお前も、二人揃ってその歳まで独身とはどういうことじゃ!」

 

「うるせえ! それ言うオヤジさんだって独身だろーが!」

 

 

 なんという不毛な戦いだろうか。

 そこに子供が居ることを両者忘れているというのがどうしようもない。

 ゼファーは会話に混ざるのを諦め、大根に手を伸ばす。

 

 

「あ、すっげぇ美味い」

 

 

 汁が染みた大根は、料理に「美味しい」と「凄く美味しい」の二つの感想しか言わないようなゼファーをして、「めっちゃ美味しい」と評価されるほどのものであった。

 少なくともゼファーの中では、おでんの中で一番美味しい具材は大根であると、そうインプットされるくらいには。

 

 

「……ちょっと離れてる内に、また喧嘩ですか。天戸さん、オヤジさん」

 

「ぜっ、ぜっ、こやつ、40も過ぎとるっちゅうのに全く落ち着きが無いんじゃ……!」

 

「はぁ、はぁ、60間近のオヤジさんがそれ言うか……?

 つか、長かったな電話。そんだけ重要な用事だったのか」

 

「ええ、まあ」

 

 

 大根を1/4に切ってから口に運んでいるゼファーの左にまた弦十郎が座り、またしても男二人がゼファーを左右から挟んで座る形になる。

 

 

「五年前の件の犯人、尻尾を出したかもしれませんよ」

 

「―――、おいおい、今日はマジでいい日だな。

 ウィンチェスター、お前ラッキーボーイってよく言われねえか?」

 

「……むしろ、不幸を運んでる気もしますけどね」

 

「安心しろ、俺は今日幸せだ! オヤジさん、俺と弦坊にもう一本づつ!」

 

「あいよ」

 

「やれやれ、天戸さんは相変わらずだな」

 

 

 ゼファーは「乾杯」と口にして、二人の男が猪口を打ち合わせるのを、目の前で見た。

 その二人の語られた過去の中で、人が死んだわけではない。

 ……けれど、その過去の中で誰かが死んでいたとしても、何かが変わったわけではないのだろうと、ゼファーの心と直感が口を揃えて言っていた。

 この二人はきっと、何があっても私怨と復讐心に飲まれはしない。

 ゼファーが越えていない何かの境界線を、この二人はきっと越えているからだ。

 だからゼファーは子供で、弦十郎と天戸は大人なのだろう。

 

 目の前に居るはずの二人が、ゼファーには遠く見える。

 どこかの道を何十年も前から歩いていて、先を歩いている人に見える。

 手を伸ばしても届かないくらいに遠く見える。

 それが何故か、無性に悔しかった。

 

 そんなゼファーを、人知れずうっすらと笑って見ている店主。

 この店主はずっとこの男達を見てきた。

 弦十郎の父が天戸を連れて来た時も。天戸が弦十郎を連れて来た時も。

 そして今日、弦十郎がゼファーを連れて来た時も、ずっと彼は変わらず屋台を引いていた。

 男達に酒とおでんを振るまい、彼らの話を聞き続けた。

 いつの日か、ゼファーもここに誰かを連れて来る日が来るのだろうか。

 そんな日が来れば、また今日のように、ゼファーが連れて来た誰かに子供の頃のゼファーの話を暴露しようとするのだろう。

 

 この屋台の店主が生きている限り、その歴史は繰り返され、紡がれていく。

 訃堂から天戸へ、天戸から弦十郎へ、弦十郎からゼファーへ。

 そうして受け継がれていくものがある。

 

 それを受け継がせる心の繋がりを、人は絆と言う。

 

 その絆は、死をもってしても別たれはしない。

 彼の内に、彼の傍に、目には見えない大切な誰かの想いがきっとある。

 




カイーナ
→甲斐名

アーヴィング・フォル『ド・ヴァ』レリア
→土場

『ト』ロ『メア』
→天戸

名前はワイルドアームズから(ry

シンフォギア無印公式サイトのイチイバルのページから感じられるとばっちり感は異常です

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。