戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
「あー、ノイズの弱点ってエレベーターだ!」
二課の設備の中で、使われている技術の高度さ・規模・実用性を総合的に見た場合、ぶっちぎりでトップに立つであろうものが、特殊反応測定管制システムである。
これはノイズ警報装置が全国各地に設置された際、同時に設置されたものを端末としている。
端末は田舎や山地などの一部例外を除き、日本各地の隅々にまで行き渡っている。
これがノイズの出現を探知し、リアルタイムで位置を測定できるのだ。
更に、励起状態の聖遺物の位置探知までできる。
二課の目であり、耳であり、鼻であると言えるだろう。
特異災害対策機動部としての二課の職務は、ほぼこれに依存している。
一課、及び二課の実働部隊にノイズの位置情報を常に送り、ノイズの誘導及び不意打ちなどに付随するリスクを最小限に抑え、最大効率で避難誘導を行うのだ。
例えばヘリでビルの屋上に取り残された人を救助しに行く場合、空を飛べるノイズを引き付ける役割を地上部隊が担い、救助完了まで囮の任を果たさなければならない。
密集する避難民に向かうノイズの足止めも必須だ。
情報量と統制の取れた動き、仲間同士の連携。
これこそが人間がノイズに対し、唯一持つ優位性である。
画面に映し出されるマップに、ノイズを表示する点、部隊を表示する点が表示されている。
そして、もう一つ。
ノイズを表す色とも、人を表す色とも違う、第三の色で表される点が表示されていた。
「要は、ゼファー君のあれはアクティブレーダーなのよ。
アウフヴァッヘン波形を肉体から周囲に放射し、反射して返って来た波形を知覚。
聖遺物の性質と、人体の性質を重ね合わせることであの効果を実現させているの」
画面を指差し、了子は弦十郎にゼファーの新たな直感の性質を説明する。
十分かかったかかかってないか。それが了子が分析に要した時間だ。
異常なくらいに早い分析と褒め称えられてしかるべきものであるが、一分一秒を争う現時点ではかなり時間を使ってしまった方だと、了子は内心で自嘲している。
「アウフヴァッヘン波形は物質の流れではなく、波。
それも時間軸の向きや世界の境界線に干渉されたり、遮られたりしない性質を持つの。
分岐する未来に投射し、周囲の人間の意志に投射し、返って来た波を感知する。
複数世界に跨がり、異なる世界からこちら側にやってくる前のノイズだって感知できるわ」
無限に分岐する未来をより正確に感じ取る。
周囲の意識のある人間の存在を感知する。
以前よりもより明確に、周囲の意識の流れを認識する。
ノイズの存在を、この世界に現れる前から探知する。
どこかの誰かの祈りを聞き届ける。
遠く離れた断末魔の叫びを聞き逃さない。
これはつまり、戦いの中で生き残る形に特化した直感ではない。
「これは、『誰も死なせない』という方向性に向かう能力よ」
ノイズが出現する前に、それを知る方法はない。
あるとすれば、どこかにノイズを操れる聖遺物があった仮定して、それを介して近場の異空間に来ているノイズの存在を感じ取る……なんて、仮定に仮定を重ねる話になるだろう。
しかし、今彼が持っている能力は、それを可能としている。
生物と聖遺物の特性が噛み合った結果生まれた特異能力。
それは科学の研究の過程では絶対に生まれない、偶然の産物であった。
「受動感覚器ではない、能動感覚器。五感とは根本的に違う第六の感覚」
それは本質的に、自分のために英雄となろうとする者が備える力ではない。
他人のために英雄にならなければならなかった者が備える力だ。
戦場で英雄と呼ばれる者に必要なものは、平和が乱れ戦いが起こる場所と、その渦中に居ようとする意思と、戦いの中で勝ち残るための力だ。
人が死ぬかもしれない事件を事前に回避するのなら、その人間は英雄には成り得ない。
戦いが起こることそのものを否定するのなら、それはそのまま英雄の否定となる。
ゼファーが望んだ力は、戦いの中で生き残る力ではなく、戦いが始まる前に何かをする為の力。
戦いの中で輝く英雄の存在意義を消す力。
一部の英雄が、争いの原因となるものを排除し、自らの存在意義を消して行ったように。
戦いが始まってしまえば犠牲が出るのは避けられない。
ノイズがひと度出現してしまえば、死人が出るのは避けられない。
それはノイズキラーたるシンフォギアが完成したとしても、避けようのない事実だ。
だからこそ、特異災害が出現する前にそれを感知するための力に至った。
「誰も死なせたくない」という想いがあるのなら、それは必然の帰結だった。
……しかし。
唯一無二の特殊能力を持っていたとしても、今のゼファーは無力に過ぎる。
現にノイズの出現を予知していたというのに、被害をゼロにすることは叶わなかった。
今のゼファーでは、これはただ被害を減らすだけの力にしかならない。
「聖遺物特有のアウフヴァッヘン波形を用いた、アクティブレーダー。
シンフォギアが歌を奏でるものであるのなら、これは音を奏でる力。
波形の旋律を奏で、ソナーのように反響音で、時間軸を含めたあらゆる意味での周囲を知る力」
なら、足掻くしかない。もがくしかない。
被害をゼロに出来ないのだとしても、ゼロに近づけていくしかない。
戦うしかないのだ。
「Active Radar Music」
まだ遠くとも、彼が目指す場所へと向かう一歩。
その一歩となる、彼が新たに得た力。
その名を略して――
「『ARM』。彼のこの能力を、これからこう呼称しましょう」
――ARMと、そう呼んだ。
第十二話:ゼファーのARM 3
この道をいけばどうなるものか
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし
踏み出せばその一歩が道となり その一足が道となる
迷わず行けよ、行けばわかるさ
「だぁらッ!」
狭い路地に駆け込み、壁に跳躍、そこにあった窓枠に足をかけて更に跳躍。
ゼファーは狭い路地で直線的に突っ込んでくるように誘導した人型ノイズの頭上を越える。
そして建物の道路側にくっつけられていた、一階と二階の間ぐらいの高さにある街中でよく見る形式の看板にそのまま跳びつき、そこによじ登る。
(飛行型7、カエル型8、ナメクジ型2……一呼吸半待って、ここだ!)
0.1秒単位でタイミングを調整し、看板の上から跳躍。
少年が飛び立つと同時に、看板を変形したノイズ達とナメクジ型の触手が貫通する。
元よりかなり鍛えられた下地があり、風鳴の流儀で洗練された跳躍力は、実戦の中でノイズ相手にこれほどまで立ち回れるだけのポテンシャルを見せていた。
ゼファーは信号機と道路脇の鉄柱を繋げる金属棒の上に着地。
今のゼファーは、目を瞑っていても周囲の状況を把握できている。
ゆえに、背後から迫るノイズの存在もバレバレだ。
「銃がないと、数が減らせないな……」
信号機の金属棒は、形状的には学校の鉄棒に近い。
ゼファーは現状、鉄棒の上に立っているようなものだ。
そんな状況で彼はジャンプ、くるりと後方宙返り。
ゼファーが立っていた空間が空き、そこを弾丸型ノイズが凄まじい速度で通り抜けていった。
地上から5.5mの高さの世界で、飛べぬ身でありながら、ゼファーはノイズの攻撃を捌き続ける。
(……ノイズ100体俺一人で引きつけても、まだ数十体フリーになるってのがキツい……!)
後方宙返りの途中で回転の勢いを殺し、ゼファーは逆立ちの姿勢で信号機の鉄棒に着地。
逆立ちの姿勢のまま、ほんの一瞬静止する。
チャンスと見たノイズ達が変形し、飛んで来るのとほぼ同時に腰を追って加速。
学校の鉄棒の上に逆立ちして、そのまま大車輪を始めようとする人間の動きに近いだろうか?
ただし、この場合ゼファーは回転をせず、自分の身体が信号機より下に来た時点で手を離す。
ゼファーの体重で加速した勢いは、彼を信号機から見て斜め下にすっ飛ばした。
少年が居た場所をノイズ達が次々と通過する。
一部ゼファーの移動先を先読みして飛んで来たノイズも居たが、ゼファーは空中でかつて見せた踵落としを披露し、その慣性で斜め下に飛んでいた自分の体の軌道を修正。
フォークボールのように地面に落ち、勢いを殺しつつ地面を横にスライドする。
「まったく、見たことないがモンスターパニックの映画も皆こうなのかねッ!」
昔は体に無茶をさせて、足首を捻って機動力が落ちたこともあった。
しかし今のゼファーなら、一秒以下の時間でその程度の傷は自然治癒される。
多少無茶な動きをして擦り傷や靭帯損傷などのダメージが発生しても、もしも骨にヒビが入ったり出血したりしても、それがリスクには成り得ないというでたらめなスキルが備わっている。
加え、ゼファーは物心ついた時からノイズとの戦闘に関わってきた。
数え切れないほどの人間を対ノイズ部隊として注ぎ込み、現在に至るまで片手で数えられるほどの人数しか生き残ることができなかった、そんな蟲毒のような戦場で。
更に、合衆国が総力を上げて集めたノイズの情報を反映させた、ノイズロボとも戦って来た。
その期間は半年だけであったが、その間に詰め込まれた情報量は計り知れない。
つまり、ゼファーはこの地上で最も多くのノイズ戦を生き残ってきた人間なのだ。
小型中型に限るなら、ノイズの行動パターンを最も熟知している人間なのだ。
直感をその知識と経験に組み合わせれば、人類の天敵ともここまで渡り合うことが可能。
シンフォギアが未完成のこの時代、最もノイズに殺されにくい人間、と言ってもいい。
だが、言い換えるならば。
ここまで異常な能力と技能と経験をもってしても、ノイズは一体も倒せないということだ。
「ちッ」
車と同等の速度でぬるぬると移動し、ゼファーでもかわしきれない触手を放つナメクジ型。
少年の視界の中だけでも三体。
巡航速度でそのナメクジ型より速く、変形してドリル状になれば時速100kmを超える飛行型。
少年の視界の中だけでも九体。
変形し、コンクリートの壁をぶち抜くカエル型が周囲に十数体。
それらの小型ノイズとは一線を画す中型ノイズ、タコ型まで居る。
圧倒的な数の、圧倒的な性能の、究極の矛盾を兼ね備えたモンスター軍団による四面楚歌。
どれか一体に微かに触れただけでも、ゼファーは死に至るのだ。
(現状の数を引きつけてるだけでもキツいのに……
現状のままでもフリーになってるノイズの数が多すぎる……!)
突撃してくるノイズ達が四方八方、水平方向と頭上から飽和攻撃を仕掛けてくる。
街路樹が地面ごとめくりあげられ、周囲のビル壁が穴だらけになり、舗装された道路が叩かれたパンケーキのように片っ端から砕かれ吹き飛ばされて、飛び散る破片が少年の肌を裂く。
重機作業、火薬による発破と見まごう威力だ。
炭素転換抜きでも、人を殺す力は十分にあるだろう。
そんな爆撃機の空襲の方がマシな窮地を、ゼファーは新たに得た直感で切り抜ける。
周囲全てのノイズの位置を把握。
それぞれの行動パターンを知識と経験から推測、それを全てのノイズに対し並行処理。
常に先手を取れるという直感の利点を最大限に活かし、かわし続ける。
『動きが読めていてもかわせない』という状況に絶対に陥らないように動き、必殺の攻撃の嵐の隙間を縫い続け、詰将棋を仕掛けられているかのような状況で、詰みを回避し続ける。
「Jesus Christ!」
転がるように突撃してきたノイズの下をくぐり、ノータイムで立ち上がり走り出す。
そんなゼファーの目と鼻の先に、灰にまみれた燃え残りの希望が現れた。
「―――!」
目をやったと同時に、考えるまでもなくそれに駆け寄り、回避を続けながら拾う。
拾ったのはジャケットと、その内ポケットに入っていた拳銃。
ゼファーはその制服に、見覚えがあった。
「……最後まで、頑張ったんですね。ここに一人残って……」
それは、特異災害対策機動部一課の実働部隊が、戦闘服として着ていたジャケットだった。
彼らはノイズの足止め、誘導、避難民の保護を職務とする。
守る事こそが、彼らの仕事。
灰に見えるそれは炭。炭にまみれたジャケットと、影も形も見えない下半身の部分の服が、このジャケットと銃の持ち主がどんな最後を迎えたのかを知らしめる。
何のためにここに残ったのかを、ゼファーに伝え思わせる。
「服に付いていただろう血すら、お前らは炭素の塵に変えちまうんだな……」
ノイズが殺したものは、本当に何も残らない。
血も残らず、死体も残らず、残された者は葬儀の時にこそそれを実感する。
このジャケットと銃が残されたこと自体が奇跡。
そして死者が残したものを、ゼファーは絶対に無価値にしようとしない。
(銃の残弾は10、全弾当てても小型一体も仕留められるか怪しい、なら――)
ジャケットを放り、銃を抜くゼファー。
視界の中の情報を目で収集。
直感のソナーもどきを使って更に収集。
それらを経験のフィルターにかけ、強化された感性と思考と知識で形に仕上げる。
まずはタン、と横に跳ぶ。
立ち位置を調整していたゼファーの狙い通り、細長いドリル状に身体を変化させて突貫してきた鳥もどきの飛行型ノイズは、そのまま蓋を外されたマンホールの穴の中に落ちていった。
跳ぶと同時にゼファーは発砲。
しかしそれはノイズに対してではなく、近くの建物の屋上にあった、大きな貯水槽に向けて撃たれていた。度重なるノイズの攻撃により、貯水槽の固定器具はガタガタであったのだ。
銃弾が一つのボルトを弾き飛ばす。貯水槽はすぐには落ちずに、けれど見ていれば誰にでも分かるほどに急速に傾き、残された僅かな固定器具を自重で破壊していく。
発砲した後、ゼファーは走り出す。
その先にはかつてF.I.S.の研究所で、かわしきれなかったナメクジロボの触手乱舞よりも、一段上の精度と制御力で放たれたナメクジ型ノイズの触手乱舞。
それをゼファーは、走り高跳びの選手のように背面跳び。触手の隙間を軽々と抜けた。
そしてもののついでとばかりに、ナメクジ型の頭上を超えて着地する。
ゼファーを仕留めるため、ナメクジ型は接近を選び、位相差障壁も緩めていた。
それがゼファーの誘導と位置調整であることにも気付かぬままに。
結果、ナメクジ型は落下してきた貯水槽に押し潰された。
総重量数百トン、戦車の数倍から十倍と推測される重量。
それが高い建物の屋上、20m近い高さから落ちてくるという超威力。
……にも、関わらず。
位相差障壁でダメージが軽減され、タンクの下から元気に這い出てきたナメクジ型を見て、舌打ちしたゼファーを責められる者は誰も居ないはずだ。
「あー、クソッ、早く完成してくれよシンフォギアッ!」
走って壁に向かって跳び、華麗に後方宙返り。
直後、今しがたゼファーが蹴った壁が彼の真下を通過したノイズによって粉砕される。
彼はまたしてもスレスレでノイズの攻撃を頭上を飛び越える形でかわしたが、これにだって限界はある。体力の限界が来て、一度でもミスをすれば終わってしまうのだ。
触れられれば死ぬ。
そして現実に、コンティニューもリトライも存在しない。
死んで覚えるなんて都合のいい方法はないのだ。
(お店の人マジでごめんなさい……!)
ゼファーは既に人が誰も居ないビルに、文字通り転がり込んだ。
彼が駆け出すと同時に、数十体のノイズがビルの一階部分に次々と真っ直ぐに飛んで来る。
これまた文字通りだ。
ノイズ達は、鉄筋コンクリートの壁をぶち抜きながら飛んで来ているのだから。
災害達が来て、壁を貫通してゼファーの近くの床を砕きながら刺さり、それが数十回分絨毯爆撃のごとく叩き込まれ、ビルの一階部分大広間を蹂躙していく。
そして突撃が落ち着いた頃には、一階はノイズで埋め尽くされていた。
当然、この展開が分かり切っていたゼファーは、ビルに入ってすぐに階段を登っていく。
「後で特異災害補償の書類俺が持って来ますのでご勘弁をッ!」
ノイズがわらわらとゼファーの後を追い、一部は変形して砲弾のごとく飛んで来る。
しかし、先程までの開けた場所ではない。階段なのだ。
人間の先回りをして逃げ道を塞ぐ、複数体で手分けして人間の逃げ道を塞ぐ、といった知性的な動きや連携ができないノイズは、直線的に人を追うことしか出来ない。
階段なんて狭い場所で、しかも地上と違い引き離されると視認も出来ず階段がそのまま遮る壁となってしまう場所で、仲間とぎゅうぎゅう詰めになってしまう狭い場所で、人を追うのは難しい。
ノイズは壁は通り抜けるが、床や地面は滅多に通り抜けない。
何故なら、一度地面を通り過ぎてしまえば地球の核まで一直線だからだ。
飛行能力を持たないノイズは、一度地面に埋まれば二度と出てこれない。
ゆえに、階段やエレベーターはノイズの追撃を防ぐ常套手段なのである。
ゼファーくらいしか知らないし、実践もしていない常套手段でしかないのだが。
まあ何にせよ、彼はそういう理由で、高低差のフェイントを対ノイズ戦法として好んでいる。
階段は狭い。数十体のノイズが横に並ぶことはまずありえない。
この状況ならば、何十体居ようがゼファーに攻撃を仕掛けられるのは最前列の数体のみ。
残りの数十体は仲間の後ろでウロウロしているだけの遊兵となる。
そして数体なら、ゼファーは余裕を持って対処可能だ。
「よっ」
階段をあと一段で登り切る、というタイミングでゼファーは跳躍。
跳んだゼファーが直前まで居た場所をドリルに変形した飛行型が通り抜け、向こう側の壁に激突する。倒せてはいないのだろうが、壁が壊れ、飛行型は見えなくなった。
跳躍したゼファーは半回転し、天井に足をついて再度跳躍。
神業的なタイミングの跳躍で、今度もゼファーを狙ったノイズが天井に突っ込んだ。
「っと」
ジャンプして、天井を足場にもう一度ジャンプして、あっという間に床に戻る、そんな動き。
ここが階段と階段の継ぎ目の階で、天井が低いことが幸いした。
でなければゼファーは今のタイミングでピンチになりかねなかったし、階段の下の天井を蹴ることになっていれば階段が崩されていただろう。
この十数分、ノイズが突撃してこない時間が三秒以上存在しないというラッシュの中で、ゼファーは階段を登りながら縦横無尽に跳び回っていた。それも階段を崩させないように。
当然、相当に消耗している。
息は切れているし、もう最初の頃のような動きはできなくなっている。
毎日肉体の特性にあかせた長距離走を繰り返し、無茶苦茶な体力作りをしていなければ、とっくに参ってしまっていただろう。
「はぁ……はぁ……、習った、呼吸……」
銃弾も階段を登る最中に、二発使ってしまっている。残り七発だ。
階段という有利な地形に誘い込めたことでずいぶん楽になってはいるが、それでもゼファーが「キツい」と漏らすくらいに厳しい現状には変わりない。
更に泣きっ面に蜂が来る。
登っていた階段が終わり、最上階まで来てしまった。有利な地形が終わってしまう。
「クソッ」
ゼファーは階段を登り切り、右の廊下に入って走る。
しかしそこで、目の前の襲撃を乗り切ることに必死になりすぎるあまり、自身の散漫になっていた周囲への注意に気付き、周囲への感知精度を引き上げようとして。
一手遅れる。
その瞬間、ゼファーの背後の壁が崩れ、ビルの外から飛行型が突撃してきた。
ノイズの全部がビルの内部に入れたわけではない。
一部は壁をよじ登りながら、一部は飛びながら、ビルの外部からゼファーを追っていたのだ。
今やこのビルは、完全に包囲されていると言っても過言ではない。
飛行型はドリルに変形して壁を突き破りゼファーのすぐ後ろに着弾した後、すぐさま元の姿に戻りゼファーに組み付こうとする。
触れれば死。
ゼファー・ウィンチェスター、どうしようもなく絶体絶命の危機であった。
回避、迎撃、どちらも間に合うタイミングではない。
(振り向……間に合わない!
銃を……この姿勢だと俺の胴体が邪魔だ!
前に跳……敵の方が速い、振り切れない!)
思考は一瞬。
ありとあらゆる手段が打てず、常人であれば詰む以外にないこの局面。
ゼファーは、常識の外の答えを出した。
常人であれば詰む。しかし今の彼は、常人ではない。
ゼファーは自分の腹に銃口を当て、親指で引き金を引いた。
「……ぐぅッ……!?」
その弾丸は彼の腹を貫通し、背中側から飛び出した。
あと1cmで彼に触れる所まで来ていた飛行型の翼腕を弾き、僅かながらにダメージを与える。
生存の道を繋いだ代償は、内臓に空いた穴、大量の出血、極度の痛みであった。
あまりの痛みに視界がひっくり返り、白黒がチカチカと点滅する。
触覚や平衡感覚まで一時的に狂ってしまったようだ。
そんな中で、ゼファーは歯を食いしばって前に踏み込む。
足元の手の平サイズの石を拾い、エレベーターのボタンに投擲。
この階にあったエレベーターの扉が開く。
そして投擲の勢いを殺さず、ゼファーは横回転180°。
後ろを向いて、引き金を二回連続で引いた。
位相差障壁で倒せるだけのダメージにならなくとも、命中すれば足止めにはなる。
そうして作った時間を使い、腹に穴が空いたまま、エレベーターの中へ転がり込んだ。
エレベーターのドアが閉まり、飛行型が飛んで来る。
しかし、エレベーターの方が一瞬早かった。
飛行型ノイズが閉まった壁の向こうに見たのは、自分が渇望していた人間という獲物ではなく、エレベーターが下に降りていくだけの、無機物なエレベーターシャフトだけ。
確かにここに獲物が逃げこんだはずだ、そう思って壁を通り抜けたはずなのに、と。
思考能力のないノイズは、動きを止めて無駄に思考回路を回転させ始めた。
「……づ、っつ。久々にがっつり痛い目見たな、本当に……」
ゼファーは服の裾を捲り上げる。
体に染み付いた癖で止血をしようと手が動くが、傷口を見た本人の意思に従い止まった。
腹の傷口は既に塞がり、血も流れていない。おそらくは背中側もこうだろう。
恐るべき回復能力だ。これで再生能力の一面も持っているというのだから更に恐ろしい。
「……完治まで15秒必要、ってとこか。俺もたいがい人間やめてるなぁ」
内蔵にでかい穴が空いていたというのに、十秒と少しで問題なく跳び回れるくらいにまで回復している。どちらが化け物か分かったもんじゃない、なんて言う人も居るかもしれない。
それほどまでに、その回復は人間離れしていた。
おそらく、今のゼファーは心臓か脳を潰さなければ殺せないだろう。
マシンガンで蜂の巣にされても、急所さえ守れば死にはしまい。
アウフヴァッヘン波形を用いたアクティブレーダー。
風鳴の技を組み入れた、人類最高峰の技術の片鱗。
人間離れした規格外の再生能力。
ゼファーは普通の人間から見れば、バケモノと言っていいくらいにデタラメな人間だ。
それでも、ノイズには敵わない。
「おうおう、一杯居るな……」
エレベーターが一階に着くと同時に駆け出し、ノイズの居ない一階を駆け抜ける。
階段は崩れていて、もう登れそうにない。
そんな思考から、ビルの外の道路へと踏み出したゼファー。
そこには相も変わらず、少年と違い疲れた様子を全く見せないノイズ達、数十体。
ゼファーを殺すなら、人間は心臓か脳を潰さねばならない。
しかしノイズは違う。
ノイズは、触れるだけでいい。
それだけで再生する間もなく、ゼファーの肉体は一瞬で炭の塊に還る。
どんなに規格外の要素を詰め込もうと、ゼファーは人間なのだ。
そして、ノイズは人間の天敵である。
根本的に、存在的に、絶対的にそうなのだ。
ゼファー・ウィンチェスターが抗おうと、諦めなかろうと、戦い続けようと。
その事実だけは、絶対に揺らがない。
数十の絶望が少年の視界の中で、街を、大地を、空を埋め尽くしている。
増える。
まだ増える。
一人のゼファーを囲む数は、彼の感覚で知覚できる範囲では、今ちょうど百を超えた。
「……へっ」
だが、ゼファーは笑う。
強がりで、やせ我慢で、ハッタリで、虚勢を張って笑ってみせる。
だって、この状況に至っても、ゼファーはまだ何一つとして諦めてはいないのだから。
ゼファーは穴が空いて血まみれの上着を脱ぎ捨て、先ほど投げ捨てた一課の人間が残したジャケットを拾い、肌着の上から羽織る。
――――
「ここではないどこか、いまではないいつか、会ったこともない誰か。
明日に素敵な誰かと出会えるかも知れない……私だったら、そうなるのかな。
生きていたい理由なんて今日まで考えたこともなかったけど」
――――
セレナの死がきっかけとなった憎悪が彼を立たせ、ノイズに立ち向かわせる。
この災厄を許すなと。絶対にその存在を認めてはならないと。
セレナの思い出が憎悪を塗り潰し、彼の心を静かに整える。
それが思い出の全てじゃないと、そう思い出させる。
「そうだな、セレナ。俺も、きっとそれが生きていたい理由の一つなんだ」
――――
「
歯ぁ食いしばって生き延びてりゃいつか、あたし達も大人になる日が来るんだ」
――――
銃を握るなら、いつだって彼女の背中が彼の頭の中にある。
ゼファーでは絶対に届かない高みにある銃の才覚。
それでいて人を傷付けるということの重みを誰よりも分かっていた彼女。
クリスの強さを、ゼファーは心の中でずっと追いかけている。
「そうだなクリス。今は、歯を食いしばる時だ」
――――
「僕はね、誰だって諦めなければ英雄になれると信じているんです。
諦めたら全てはそこで終わってしまう。
けれど、逆説的に言えば諦めない限りは何も終わりはしない。
だから、諦めなければ人は何だってできる。何にだってなれると、そう信じているんです」
――――
誰もが彼を嫌うけど。誰もが彼から離れていくけど。
けれど、彼の内面を知る者が、誰もが口を揃えて断言することがある。
ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスは、絶対に諦めない男だ。
周囲の人間にどれだけ迷惑をかけようが、彼は絶対に諦めない。
「俺は、もっと皆あなたを見習うべきだと、そう思ってたんだよドクター……!」
周囲のノイズのボス格の、中型ノイズがゼファーに迫る。
タコ型のそれは他のノイズと違い、音を探知する聴覚反応型だ。
ゼファーの声、足音、切れる息に反応し、一番槍とばかりに突っ込んでくる。
「笑ってやる」
ゼファーは諦めない。
勝ち目が無いと分かっていても、生きる道がないと分かっていても、諦めない。
もしかしたらここで隕石が落ちてきて、全てのノイズだけが潰されるかもしれない。
ネフィリムのような何かが出てきて、戦場がめちゃくちゃになるかもしれない。
眠っていた自身のスーパーパワーが目覚めて、なんやかんやで勝てるかもしれない。
なんて、彼は考えている。
無論ゼファーはそれが数千兆分の一%に満たない奇跡でしかないことは分かっている。
それでも、0%ではないのだ。
ゼファーは諦めない限り、生き残りと勝利の可能性が0にはならないことを知っている。
諦めないことで、何かが繋がることもあるのだと知っている。
彼は最後まで諦めない。
きっと、死ぬまで諦めることはしないだろう。
生かすことを、生きることを。
「
だからこそ、繋がる希望があった。
ゼファーの目の前数cmにまで迫ったタコの触手が、停止している。
あと少し、あと少し伸ばせばゼファーはそれだけで死ぬというのに、何をしているのだろうか。
まさか、ノイズが躊躇っているわけでもないだろうに。
その答えはノイズからではなく、別の場所からの声という形で、ゼファーにもたらされる。
「忍法、影縫いの術」
聞き慣れた声に耳を傾け、次いでその方向に顔を傾けるゼファー。
そこには三階建ての建物の上で、飛び降り防止の柵の上に立つ人影があった。
両の手の指の間にはクナイ。
不安定な足場の上でも、その体は微塵も揺らいではいなかった。
彼の名は、緒川慎次。
現代に蘇った御庭番衆、国家の番犬たる忍者。
「シンジさん!」
「ノイズ相手に影縫いは長くは持ちません、早く!」
忍者の秘奥、影を武器で突き刺すことで体の動きまで縫い付ける『影縫い』。
しかしながら、人間相手には強力無比なこの術も、この世界に存在する比率を引き下げその影響を加速度的に引き下げることができるノイズにはあまりにも相性が悪い。
ゼファーが緒川の声に応え跳んだと同時に、少年が居た場所を触手が貫いた。
「こっちだ!」
いまだ百近いノイズに囲まれるゼファーに、今度は横方向からかかる声。
バイクに乗り、フルフェイスヘルメットを被った男がノイズの合間を抜けて来る。
ノイズの攻撃もするするとかわし、ゼファーのもとへと向かい減速もなしにスラロームでノイズの隙間を抜けるその腕は、誰がどう見ようと神技の一言。
顔が見えずとも、その声だけでゼファーは誰か判別できる。
「カイーナさん!」
「飛び乗れ! できんだろ!」
童顔低身長で口が悪いと三倍満だが、言いたいことだけはちゃんと伝わる。
その声はゼファーを慮ってのもの。
しかし、心配ご無用。減速したバイクの後部座席に飛び乗ることくらい、戦闘で各感覚が鋭敏になっているゼファーにはとても容易いことだ。
ゼファーを乗せたバイクがノイズの合間を抜けて行き、緒川もビルの上を飛び移りつつ、クナイを投げて影を縫い、ノイズの足止めと位置調整を買って出てくれている。
先ほどまでのゼファーの近接戦闘ほどギリギリではないが、それでも一般人目線で見れば信じられないくらいギリギリのラインを、バイクはノイズに触れないように抜けていく。
「カイーナさんも、シンジさんも、どうして……」
「仕事だよ、仕事。いつもやってることだし、僕らはこれで給料貰ってるのさ」
「仕事?」
「そう、仕事だ」
ノイズの集団を抜けた所で甲斐名はアクセルをふかし更に加速する。
「ノイズから人を守る。それが
そのバイクに追いすがるノイズの姿。
地上はナメクジ型、空は鳥型。共に車に匹敵する速度を常時叩き出す化け物達だ。
ナメクジ型が左右からバイクを挟み、鳥の飛行型が頭上を塞ぐ。
左右から鉄板をも貫く槍の触手が複数本、頭上からドリルと化した飛行型が迫る。
「カイーナさん!」
「うへえ、こういうのマジ勘弁」
またしても絶体絶命……と、思われた、次の瞬間。
「撃てェッ!」
「斉射!」
ゼファー達の前方から、銃弾の雨がノイズに向かって降り注いだ。
横方向に吹き付ける鋼の雨は、もはや鋼の暴風雨。
あるノイズは直撃でやや上方に弾き飛ばされ、あるノイズは銃弾を位相差障壁で無効化し、あるノイズは無効化しながら減速してバイクから離れた。
雨霰と銃弾を撃ち込んだにも関わらず、ノイズを仕留めた数はゼロ。
しかしながら、バイクからノイズを引き剥がすことには成功していた。
その銃弾を放ったのは、二つの部隊。
ノイズを倒す力、ノイズに勝つ力を持たないままに、ノイズに抗うことを選んだ男達の部隊。
特異災害対策機動部、一課と二課の実働部隊だ。
片や、二課の部隊を率いる天戸という男。
風鳴弦十郎の父に「男とはどうあるべきか」を学んだ男。
そして風鳴弦十郎に「大人はどうあるべきか」を学ばせた男。
片や、一課の部隊を率いる林田という男。
無口で無愛想、しかし風鳴機関の研究に希望を見出し、二課の設立に賛同した男。
シンフォギアに希望を見出し、けれどそれに全てを任せるをよしとしなかった男。
ノイズに視線を向けて立ち止まっている二つの部隊の間を、バイクが抜けていく。
天戸と林田、二人の男とゼファーの視線が一瞬交錯する。
「―――」
少女にしか扱えない、少女の歌によってしか動かないシンフォギア。
シンフォギアがなければ、戦車も戦闘機もミサイルも無力でしかないノイズという脅威。
それを見て、大の大人達は何を思ったのだろうか?
ある者は嘆いた。
子供を、それも小さな女の子を戦わせるしか無いなんて、と。
ある者は不甲斐なく思った。
もっと自分に力があれば、と。
ある者は不満を漏らした。
戦う職を選び、戦うために訓練してきた自分達にこそあの力があるべきなんだ、と。
ある者は苛立った。
なぜ俺にはあの憎い仇、ノイズを殺せる力がないのか、と。
だが、『彼ら』に共通する点が一つだけある。
『彼ら』は不平不満を漏らして腐るだけの自分には、絶対にならなかった。
口だけで倫理を吠え、常識を語り、無力を嘆くだけに終わらなかった。
そうする者も居た。だが、『彼ら』はそうしなかった。
『彼ら』は抜きん出た強者、という意味でのヒーローではない。
だが、誰かを救うため、守るために死力を尽くすという意味では……間違いなく。
どこかの誰かの、ヒーローである。
ノイズには勝てなくとも、彼らが救った命は確かにどこかにあるのだから。
「倒せなくていい! 生かすために撃て、野郎共ォッ!!」
「「「了解ッ!!」」」
一課、二課の部隊が乗った車両が動き出す。
車でノイズを引き付ける部隊。それを追うノイズ。
車両の窓とルーフが開き、そこから身体を乗り出した男達の銃器が火を吹いた。
それらの大半はノイズの身体をすり抜け、弾かれ、時にダメージを与える。
彼らは足掻く者達。戦う者達。諦めない者達。
強い心を生まれ持ったわけでもなく、宿命や運命に選ばれたわけでもない者達。
その人生を選んだから、この職業を選んだから、ここに居る者達。
厳しい訓練を乗り越え、幾多の戦いをくぐり抜けてきたから、臆さぬ者達。
自分達の後ろに平穏な日常があると分かっているから、一歩も引かず立ち向かう者達。
力の有無は関係ない。
凄惨な過去も要らない。
決意に至る歴史を語る必要もない。
今抱かれているその意思こそを、人は覚悟と言う。
彼らはゼファーを助けに来た。
何故? 同じ敵、同じ守るものを持つ仲間だからだ。
この戦場でたった一人で奮闘していた、守るべき命だったからだ。
ノイズに立ち向かい、命を重んじ、人を守るために戦うのなら。
今のゼファーは、きっとひとりじゃない。
さあ、勝てなくてもいい。負けたっていい。守るために食い下がろう。
鮮やかな勝利ではなく、最大多数の生存を求める泥臭いしんがりの戦いです
林田=リンダ
例によって名前だけ(ry