戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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 作者が諦めるな厨になったのはダイナやネクサス等のウルトラマン達のせい

 本編の時期頃にキャラとして完成するとして、原作キャラに成長の余地を残しておかないといけないのが最近の悩みどころです


3

 人間関係とは、人と人を結ぶ線の集合体だ。

 例えばゼファーは弦十郎を目指すべき目標、尊敬できる大人と考えている。

 翼を誇れる友達と、了子を面倒見のいい姉のように見ている。

 そして、その三人の中でも関係は構築される。

 

 翼は了子が世界で一番頭が良いとすら思っていて、了子はそんな翼を可愛い子だと思っている。

 弦十郎は特別な感情を含め彼女を信頼し、了子もそんな弦十郎を信頼しつつ特別視している。

 全体を見ると、複数人の繋がりはまるで網の目のように見えるだろう。

 そしてその繋がりも、上記のように人によって違う。

 

 クリスはゼファーと背中合わせに戦う相棒だった。

 セレナはゼファーの隣で歩調を合わせる仲間だった。

 翼はゼファーの前に立ち、向かい合い、競い合うライバルだった。

 ならば、立花響は?

 

 彼女はゼファーの斜め後ろを、彼の歩む道と平行に進んで行く者だ。

 行き先、目指すもの、方向性はほぼ同じでありながら、その道は決して交わらない。

 響の少しだけ先を、響の居る道から外れてしまった外側を、彼は進む。

 願う未来は同じでも、二人の歩む道はまるで違う。

 彼の背中を見ているから、歩いている内に無意識に響は彼の方に寄って行くけれど、決定的に道を外れそうになる度に未来が引き戻してくれる。

 そうして、二人は根本の部分で重ならない。

 

 二人が進む道の先が、それぞれどこに至るのか定かでないままに。

 

 

(ああ、そうだ)

 

 

 ゼファーは響を太陽に例えた。

 周囲を照らす、唯一無二で、人が生きる世界になくてはならない光そのもの。

 響と未来に、光と陽だまりに陰りがあってはならない、その想いが今の彼を突き動かしている。

 それと同様に、響もまた彼という友人に強い想いを抱いていた。

 

 響がゼファーを始めて見た瞬間は、冬の川で溺れたあの日の一瞬だ。

 川の水が氷よりも冷たく、鉄よりも重く、身体に纏わり付いて川底に体を引きずり込もうとしているかのようだった、あの日の絶望。

 沈んでいく己の体が、薄れていく命の熱が、彼女に死を実感させた。

 もがけばもがくほど沈み、あがけばあがくほど終わっていく、そんな冷たい虚無。

 その中で響は助けを求め、ただそれだけを願って手を伸ばした。

 

 そして、空に伸ばした手のその先。

 助かりたいなら手を伸ばせと、諦めるなと、そう叫びながら落ちてきた少年。

 その叫びと、伸ばされた手と、触れた部分から伝わる暖かさを、今でも彼女は覚えていた。

 きっとこの先もずっと忘れないだろう。

 彼女はそうして、救われる側の気持ちを痛いほどに理解した。

 

 泳げないのに助けてくれたのが嬉しかった。

 親友である未来の求めに応えてくれたのが嬉しかった。

 本当に辛かった時、助けてくれたのが嬉しかった。

 それが強烈なファーストコンタクトにくっついてきた、彼女の好意の理由。

 まあ、義務感でも恩返しでも色恋でもなく、響がゼファーと友達付き合いをやっている理由は、友達として好きだからという理由が一番大きいのだが。

 彼女の考え方に小難しい理屈は考えない方がいい。

 

 

(あの時と、同じ……)

 

 

 それでもゼファーは、響の中ではヒーローだ。

 彼女がなれないと思っている、なりたいとも思わない、それでも心底かっこいいと思う。

 そんな、漫画の中から出てきたヒーローのように思っている。

 本質的にどちらの方がヒーローに向いているのかはこの際置いておこう。

 彼女は信じている。そして信じ諦めなければ、何かが繋がることもあるのだと知っている。

 仄暗い水の底に呑まれそうになったあの日、「諦めるな」という言葉を信じ手を伸ばして、助けられた記憶が彼女の中に残っているから。

 

 だから、今だって信じている。

 ノイズの恐怖に膝を折られそうになったって。

 水面に感じた死の恐怖を思い出したって。

 逃げる最中に転んでしまったって。

 信じた何かを握り締めて、立ち上がる。

 

 誰かを信じるという一分野において、立花響を超える者はそう居ないだろう。

 

 

「大丈夫だ、ヒビキ。絶対に守るから、絶対にッ!」

 

「―――」

 

 

 どんなに怖くても、保証がなくとも、友を信じる。それが彼女の強さ。

 

 

「俺が守るから、だから、今は俺を信じて走ってくれ!」

 

「……うん!」

 

 

 その無条件の信頼が、説明も聞かず従ってくれる信頼が、声から伝わる信頼が。

 どれほどゼファーに力を与えているのか、彼女はきっと気付いていない。

 信じることは、強さに変わる。

 

 西風は、いつとて陽に照らされる場所に背を押され、どこかへと吹き抜けて行くものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十三話:灼光の剣帝×小さな花×心気絶招 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはちょっと予想外ね」

 

 

 とある高いビルの屋上から、女は街を見下ろしていた。

 厳密にはノイズに終われ逃げ惑う、二人の少年少女の逃亡劇を。

 彼女の名はフィーネ。フィーネ・ルン・ヴァレリア。

 今回の騒動の仕掛人、黒幕である。

 

 

「まさかルシファアと誤認されるなんてね……

 流石一万年近く前にプログラミングされた命令コード、摩耗しすぎよ」

 

 

 ゼファーの推測は、あながち間違ってはいなかった。

 彼らを追うノイズが明確な目標を与えられ、人の意志で操られているというのは事実。

 ノイズの出現が自然に出現したのとは違うというのも事実。

 しかし、重要な部分が偽装されていた。

 

 フィーネは、ノイズを召喚する能力を持つ。

 ノイズという特異災害はその正体のほとんどが謎に包まれている。

 彼女が召喚できることに疑問を持つ人も居るだろう。

 しかし、彼女はできる。

 そして彼女がノイズを召喚したのと同じようにノイズに干渉し、かつてノイズに命令を書き込んだ者達が居た。

 

 その者達はある者は我欲から、ある者は私怨から、ゴーレムの持ち主と敵対していた。

 そして一万年前近くの数千年前、ゴーレムを目標としてノイズにプログラミングをした。

 当時そんな小細工をされたノイズは、今も異世界のどこかに残っている。

 彼女はノイズを召喚はできても、操る能力は持っていない。

 

 フィーネはそれを選り分けて召喚し、ルシファアを捕らえるための初手としたのだ。

 もしもの時の、カモフラージュも兼ねて。

 

 

「少しわざとらしすぎたかしら……まあ、気付けないだろうが」

 

 

 ゼファーが見たのは、数千年前の悪人の思念。

 フィーネではない。ノイズに命令を書き込んだ人間の姿だ。

 だからこそそれは、フィーネの正体を二課に対し偽装する隠れ蓑になる。

 最近内調を始めとした『二課の裏切り者』を探している者達の目が鬱陶しくなり始め、自由に動けなくなってきた彼女が打った偽装の一手であった。

 

 だが、ルシファアを狙っていたノイズは、ルシファアがノイズの認識限界速度を超える光速でその場から一瞬で離脱してしまうと、その場に居た二人をルシファアであると誤認してしまう。

 一万年近くの歳月がもたらした摩耗が引き起こしたバグであった。

 そしてそのまま、ゼファー達を襲撃。

 プログラミングでターゲットだけを狙うノイズは、しつこく二人にくらいつく。

 こればっかりは、彼女にとっても誤算だった。

 

 

「さて、どうしようかしら」

 

 

 フィーネにも思うところがあるようだ。

 彼女がゼファーに向ける視線からは複雑な感情が読み取れる。

 そして、一つ無視できない仮説もあった。

 少年を助けるにしろ、ノイズを援護するにしろ、彼女には少し悩みどころがあったりする。

 

 振り向くフィーネ。

 そこには彼女に対し跪く、灼光の剣帝の姿があった。

 ルシファアは微動だにせず、フィーネからの指示を待つ。

 

 

「驚いたわ、私とロディのサブマスター権限がまだ残されてたなんてね……

 あなたの主のヴァージニアは、ちょっとガサツだけど気の利く子だって覚えてたのに。

 もしかしたら、ヴァージニアだけじゃなく他の子も残してくれてたりするのかしら」

 

 

 何かを懐かしむかのように、フィーネは目を閉じる。

 その声はそれまでの声質から想像もできないくらいに、優しい声だった。

 けれど再び目を開いた時には、その優しさや甘さはすっかり消えてしまっていて。

 人間味を脱色したような、超越者の雰囲気が戻って来る。

 

 

「でもおかしいわね……ロンバルディアの操作キーの『夢魔の鍵』。

 ルシファアに格納されていたはずなのに、どこにもない……

 ヴァージニアが取り出すわけがないし、ゴーレムがマスター以外に渡すわけもない……」

 

 

 少々考えに耽るフィーネ。

 それはルシファアの持ち物に対してでもあったし、このゴーレムの運用に関してでもあった。

 

 

「決行の日にはカ・ディンギルの護衛に付かせようかしら。

 ……まあ、今は使い道がないわね。アメリカにでも行って来なさい。

 再建したF.I.S.の研究所は、この座標よ」

 

 

 フィーネが指示を出すと、ルシファアは翼を広げて飛翔する。

 ルシファアは1/15秒もあれば日本からアメリカまで移動可能だ。

 フィーネがまばたきをした今の一瞬で、既に到着していることだろう。

 着々と戦力が集まっていることにほのかな満足感を覚えながら、彼女は再度地上を見下ろす。

 

 

「さて……どうしようかしら。

 あの女の子の方が殺されるくらい余裕がなくなったら、手を貸してもいいけど」

 

 

 ビルの屋上の手すりに肘をつき、頬杖をついて、ずっと室外で全裸にガウン一枚だけの痴女スタイルだったフィーネは、悪役のように微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファー達が人の意志を加えられたノイズに襲撃されている頃、二課もてんやわんやだった。

 

 実は昨日、二課は東北地方に出現したノイズを処理したばかりだった。

 現地で活動していた一課の支部と自衛隊の部隊をバックアップ。

 その後、事後処理に出立した部隊が丸一日現地で活動を終え、引き継ぎ作業まで終了。

 それで完全に終わったのが今日の朝、という忙しさであった。

 帰って来た実働部隊も、オペレーターの皆も、疲労が濃く見える。

 

 ゼファーも手伝ってはいたが、後方ではせいぜいお茶汲み。

 二課本部、つまり東京に居るゼファーは遠方のノイズの出現の前兆を感じ取り知らせることは出来ても、ノイズが自壊する前に東北に行くなんてことはできないわけで。

 歯がゆい顔をして、遠く離れた場所の断末魔を聞いていることしかできなかった。

 その無力感が、また彼を揺らがせる。

 痛々しい様子を隠せないその少年を見かねて風鳴家に早めに帰し、ちょっと張り切り過ぎなくらいに二課本部からバックアップをしていた大人達も、実によく働いてくれていた。

 疲労が濃く見えるのは、そこで気合を入れすぎたというのもあるのかもしれない。

 

 二課は常時、一定数の作戦発令所付きのオペレーターを必要とする。

 皆でローテーションを組み、睡眠時間と休憩時間を取りつつも、全国各地の端末を駆使しノイズの出現に数秒で対応できるシステムを構築しているのだ。

 24時間誰かが居て市民の安全を保証する、という意味では駐在所にも近いかもしれない。

 彼らの24時間365日、1秒の絶え間もない戦い。

 目には見えない貢献だが、こんな戦いもまた、どこかの誰かの命を救っているのだろう。

 

 徹夜明けのオペレーター、友里あおいを初めとするメンバーが抜け、土場を始めとする引き継ぎメンバーがやって来たのが今日の朝。

 弦十郎が三時間の仮眠から起きてくると、東北から天戸や甲斐名達がほぼ同時に帰還、シャワーを浴びて泥のように眠り始めた。

 研究班は平常運転で、天戸達が持ち帰ったサンプルの分析を始めている。

 そこで、二課全体に響くアラートが来たわけで。

 二課の全員が「またかよ!」と叫ぶのをぐっと堪え、総力を上げて職務を果たす。

 彼らはどこまでもプロであった。

 

 よりにもよって住宅街のど真ん中に現れたノイズ反応。

 それと同時に、ごく短時間だけだか出現した詳細不明のアウフヴァッヘン波形。

 加え、そのノイズに追われるもう一つの波形。

 波形パターン、該当者あり。

 

 

「うわああああああの子また巻き込まれてるッ!」

 

 

 二課の皆は知っているのだ。

 不幸な状況が彼を引き寄せているかのように、彼の幸運値が妙に低いことを。

 彼がノイズの位置を探知できることを。

 そして、ノイズとあらば黙って見ていることができない人種であることを。

 『袋の中の三つのガムの内一つだけ酸っぱいガムが入っている駄菓子』を三人で食べればほぼ確実にハズレを引き、他の誰かがハズレを引くと慌てて甘いものを持ってこようとするその少年の性格を、二課の大人達はよく分かっていた。

 今回はかなり特殊なケースではあったのだが。

 

 

「司令、どうすべきでしょうか!?」

 

「位置が遠いな……くそっ、了子君はこんな時にどこに居るんだ!」

 

「有給溜まってるから消化してこいって昨日司令が言ったばっかでしょう!」

 

「そうだったなすまんッ!」

 

 

 ゼファーの位置は微妙な所で、一課も二課もすぐに行ける場所ではなかった。

 問題になるのは純粋な距離ではなく、大通りや高速道路などの移動経路の有無だ。

 彼の直感による事前探知が来ていなかったこともあって、永田町のようにはいかない。

 加え日本全国の精密な地図をノイズ反応と重ねられる二課は、すぐに状況の不味さに気付く。

 行き止まりに至る道を追い込まれているという、そういう現状に。

 前線に出すための部隊の大半はグースカ寝ている。

 何人かは状況を聞きつけて仲間を叩き起こし始めているが、疲労の色が濃い。

 しまいには弦十郎が「俺が行く」と飛び出そうとし始める始末。

 周囲が必死に止めていた。残念ながら当然です。

 

 ひとえに混乱は、今の二課のシステムが「ノイズが出現する確率は、首都圏で通り魔が発生する確率に近い」という前提で組み立てられているせいだろう。

 短期間の内に何度もノイズが出現した場合に完全に対応しきれていない。

 何とか対応ができているあたり想定はしていたのだろうが、おそらく予算が降りなかったのだ。

 ほどなくシステムの見直しが検討されるだろう……が、それは今関係のないことだ。

 打開策を模索する大人達。そんな彼らの話に割り込むように、コール音が鳴り響く。

 二課の通信システムに直通で繋げて来たのは、ゼファーであった。

 

 

『ありえないくらい余裕が無いので現状と知り得た情報をまとめて伝えます!

 質問は全部説明した後にお願いします! まず―――』

 

 

 弦十郎が何事かと問う前に、畳み掛けるようにゼファーが要点を纏めて話す。

 今抱えている地理的な問題、ノイズの特異性の問題、事前に出現を予知できなかった訳。

 そしてノイズの裏に感じる人の影について。

 二課のオペレーター陣に動揺が走るが、彼らは余分な問いをぶつけない。

 ノイズを操っている人物について他に何か分かったことはないか、なんて今この場で聞くのは時間の無駄だ。後になってから聞けばいい。

 今のこの場で必要な問いは、少年の現状を打開するための問いのみ。

 それを全員が分かっているから、無駄な問いは発せられない。

 

 ヘリ、近辺の動かせる人間、奇抜な発想、マンホールからの移動など多数の意見が挙げられる。

 避難誘導などの通常業務をこなしつつも、二課は全員で知恵を絞って打開策を模索した。

 しかしそれらの全てが不可能であると、考えれば考えるだけ証明されてしまう。

 ゼファー一人なら逃げる道はいくらでもあった。

 しかし地形と状況、ノイズの異常、響という守る対象が最悪の形で噛み合ってしまう。

 凡人が一人も居ない二課のブレイン達をもってしても、答えは出ない。

 

 しかし、二課の職員は議論に没頭するあまり完全に失念していた。

 自分達は理屈と道理で物事を考えるが、風鳴弦十郎は『そういうの』とは本質的に無縁な人物であることを。無茶を通して道理を引っ込ませる人物であることを。

 彼の基本は精神論。

 そして、彼は誰にでもその理屈を押し付けるわけではないが、それで可能となるのなら、他の誰かに自分と同じ精神論を貫かせようとする。

 小さく縮こまりそうになっている人間に、その限界を突破させる。

 彼は現実や常識を語る者に、人間の可能性を示して見せる者だ。

 それは自分が見せる、という局地的な現象に留まらない。

 

 

「今から一番、曲がり角と移動距離が長くなる道を口頭で伝える。行けるか?」

 

『行けますが、その道だと最終的には……』

 

「ああ、ビルに三方を囲まれた行き止まりに辿り着くな」

 

『分かりました。では、そこに辿り着いたらどうすれば――』

 

「壁を殴り壊して向こう側に逃げろ」

 

『――え?』

 

「「「えっ?」」」

 

 

 電話の向こう側からのゼファーの声。

 次いで一瞬の思考停止から蘇った二課全員のハモった声。

 風鳴弦十郎の無茶ぶりに対する、至極当然の反応だった。

 

 

『無理ですよ! 俺にできるわけがない!』

 

「やってみなければ分からないだろう?」

 

『分かります! 俺の拳は、せいぜいが細い木を揺らせる程度でしかないんです!

 俺はあなたとは違う! あなたと……風鳴弦十郎と、一緒にしないでください!』

 

 

 ゼファーの声の質が変わる。

 効率を重視した淡々としてハキハキとした声質から、大きな感情が混じり始めた魂の底から絞り出すような、強く悲しく悔しげな声に。

 力不足を嘆く、劣等感にまみれた声に。

 

 

『俺はあなたと違って、強いやつでもなんでもないんですッ…!

 なりたくても、なろうと思っても、あなたのように強い人間にはなれない……!』

 

 

 それは当たり前の事実で、彼の中で腐っていた本音。

 全ての人に幸せで居て欲しいという夢と、それを叶えられない自分の弱さの対比による苦痛。

 断末魔と救いを求める祈りを聞き届けながらも、助けられない現実への苦悩。

 強さというものに対する、複雑怪奇な懊悩だ。

 強くなりたい、けれど強くなれないと思い悩むゼファーにとって、今の風鳴弦十郎はどのように映っているのか。

 それに気付かぬほど、弦十郎は愚かでも無神経でもない。

 

 

「そうだな、お前は俺にはなれない」

 

『……』

 

「だが、お前がなりたいのは本当に『俺』か?」

 

『……え?』

 

 

 弦十郎の問いの意味が分からず、戸惑うゼファーの表情が電話の向こうからも伝わってくる。

 

 

「ゼファー。お前は俺になりたいのか? 強くなって守れる人間になりたいのか?」

 

『……あ』

 

「お前が憧れた大人は、俺だけなのか?」

 

 

 違う。

 ゼファーは弦十郎に、緒川に、天戸に、土場に、甲斐名に、あおいに、林田に、絵倉に。

 多くの大人と関わり、時に助けられ、時に憧れた。

 「こんな大人になれたら」と、尊敬の目を向けた。

 それは風鳴弦十郎に対してだけではない。

 彼が腕っ節とは関係なく、『強く生きている』と感じた全ての人に対してだ。

 ゼファーは強くなりたかった。

 強くなって、全てを守るために。そして、強く生きていくために。

 

 

「お前は俺になれない。それと同じように、俺もお前にはなれない」

 

『―――』

 

「お前が成長した時、お前がなるのは『大人になったゼファー』だ。

 俺じゃない。俺じゃあ真似できないような大人に、きっとお前はなれる」

 

 

 ゼファー・ウィンチェスターは、どう頑張ろうと風鳴弦十郎になれはしない。

 風鳴弦十郎が、どう頑張ってもゼファー・ウィンチェスターになれないように。

 だから、弦十郎のようになる必要なんかないのだ。

 何にだってなれる。

 どこへだって行ける。

 他の誰もがなれないような自分になれる。

 それが子供の可能性。それこそが、大人が守ろうとするものだ。

 

 

「思い出せ。お前は成長して、強くなって、何がしたかったんだ?」

 

『……守りたかった』

 

「ならば、イメージしろ!

 俺の真似は今日限りで卒業だ。守るため、打ち破るイメージを創造しろ!」

 

 

 二課の大規模モニターに映るゼファーを示す点は、着々と行き止まりに近付いている。

 そこにはビルの壁しかない。

 それを殴り壊せねば、ゼファーに未来はないだろう。

 弦十郎は、その後押しをする彼なりの理屈を電話越しに少年に伝える。

 

 

「俺の動きではない、イメージの中の最強のお前がする動きを、お前自身の拳でなぞれ!

 肉体を衝き動かすその衝動を、感情を、想いを! その雷の如き意思を、拳に握り込め!

 意固地を込めた男の拳に、砕けぬもの無しッ!」

 

 

 一から十までイメージだけの精神論。

 しかし弦十郎は失敗するなどとは思っていなかった。

 守るべき誰かが居て、目の前に壁があるならば、男は乗り越えると信じているからだ。

 それができる男であると、ゼファーを信じているからだ。

 

 

「お前ならやれる! 俺は一人前と認めていない子供を、呼び捨てになんてしたことはないッ!」

 

 

 ゼファーから信頼され、今も周囲の二課の職員から信頼の目を向けられている弦十郎。

 その信頼の理由がここにある。

 彼はその肉体的な強さだけではなく、その心も最強に近い存在だった。

 その強さが、周囲の人間の心の強さを奮い立たせる人間であった。

 彼に心の強さを貰った人間は数知れず。

 

 

「100%のパワーでは足りん!

 ギュッと握ったその拳に、1000%のパワーを込めろ!

 お前の中でもっとも強く、硬い想いを込めろ!

 そうすれば、結果は後からついてくる!」

 

 

 そして人は、心の強さで時に奇跡すら引き起こす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーは思い悩んでいた。

 だからこそ翼に解決の道を問うていたし、未来に心配されていたし、響の前で特訓していた。

 その答えは今日に至っても誰からも得られていない。

 

 彼の中の強さというものに対する疑問、あやふやな悩み、揺らぎは何一つとして解決されてはいないし、明確な答えは何一つとして見付けられていない。

 自分の強さへの信仰、他者の強さへの信頼も揺らいだまま。

 そも、何故その強さへの信が揺らいだのかという事すら、彼の中に確固としたものはない。

 あやふやに揺らぎ、あやふやに迷う。

 自分の強さへの不信から始まり、それ以外の強さへの不信に広がったそれ。

 しからばそれを打ち破るには、己の強さを証明するしかない。

 他の誰でもない、己自身に。

 

 ゼファーは今一度、自分の強さを信じ直す必要がある。

 

 人は太古より「自分を信じる」という命題に挑んできた生物だ。

 他の生物にそんなジレンマは存在しない。

 自らへの不信を解消し、自信を獲得するという過程は、人間にこそあるものだ。

 そしてその時代から、人と共に在って来た原初の『武器』がある。

 人が最初に手に入れ、文明の進歩と共に軽んじてきた武器がある。

 その手に纏わせた人類最初の凶器は、いつの時代も、どんな場所も、どんな人間にもあった。

 

 それが『拳』。

 

 其は万民に与えられた原初の武器にして、どんな人間に振るうことが許される原始の武器。

 人は猿から遠ざかる度に、拳の重要性を忘れていった。

 最初に獲物を仕留めるのに使った武器は、犬を猟犬として躾けるために使った武器は、男同士で惚れた女を取り合った時に使った武器は、それだったというのに。

 

 神話においても、怪物や神を拳で殴り殺したという逸話は本当に多い。

 何故ならば、武器を用いず強敵を打ち倒すという逸話は、それだけで豪傑の証明なのだ。

 聖剣で魔王を倒した輝かしい英雄の話より、素手でヒグマを殴り殺した力強い英雄の逸話の方が、きっと大抵の人にはピンとくるだろう。

 神話においては剣に選ばれる英雄も多いが、武器に拳を選ぶ英雄も多い。

 聖拳なんてものはない。ないが、拳は人を選ぶ武器ではなく、人に選ばれる武器である。

 

 拳こそが、誰の手にも備わっている原初の武器なのだ。

 

 太古の昔、男達は自分の内なる神を信仰していた。

 『強さ』という、最もシンプルで真理に近き神である。

 彼らは己の強さという神を信じていた。

 文明というものが生まれる前、あらゆる野獣をその信仰で打ち破ってきた狂信者であった。

 彼らにとって、拳は祈り。

 手を合わせるのではなく、拳を握り振るうことこそが彼らの礼拝。

 

 男と男が拳を交差する時、それすなわち宗教戦争。

 自らの神が絶対のものであると、相手の神を否定せんと拳をぶつけ合う。

 時には理解と妥協が生まれることもあろう。

 河原で殴り合い、並んで倒れた男達の間に、相手の神を認め許容する心が生まれる。

 そんな相互理解もザラだった。

 

 拳は祈り。強さは神。

 彼らは己の強さという神を絶対的に信じ、その一生を神に捧げる殉教者達。

 敬虔な信徒が人生と財産の全てを寄付するように、己の全てを強さに捧げる。

 それは太古から、今の時代にまで続く男というバカな生き物が抱えるサガだ。

 

 格闘技で食っていこうとする者に、多くの者が言う。

 将来が安定しないぞと、金も入らないぞと、怪我をしたら終わりだぞと。

 故障を抱えて引退した後に就職口がないぞと、知った口で言う。

 何を言うのか。

 確かに安定性のある人生ではなくなるだろう。その者達も純粋に心配して言っているのだろう。 だが、根本的に間違っている。

 

 彼らは好き好んでその道を選んだのだ。

 己の信じる神が最強で、唯一絶対無二であると証明するために、その祈りを振るうのだ。

 彼らは人を傷付けるために格闘技を志したのではない。

 ただ純粋に、己の内にある神を信じているからだ。。

 ファンは、観客は、時にその『強さ』という神に魅せられて信徒となっていく。

 

 同じなのだ。

 弱い人間が追い詰められた時、力が欲しいと叫ぶのも、神に助けを求めるのも同じ。

 世界を支える神、守護獣が『世界を支える力』と呼称されるのと同じこと。

 力、神、信。これらの根底にあるものは同じ。

 ゆえにこそ、信じることは強さに変わる。

 

 ゼファーがそれを真似ようとしても、少し無理があるだろう。

 彼は一生を神に捧げる狂信者にはなれないし、戦いそのものを好きになれない。

 しかし、少しはその域に近付くべきだ。

 自らの内の強さという神への信仰は、ほんの少しであっても持っていなければならない。

 でなければ、祈りの拳が打ち砕けない壁がある。

 

 

「大丈夫か、ヒビキ?」

 

「ぜっ、ぜぇ、ぜぇっ、ぜぇっ、だ、だいじょうV……」

 

「もう少しだ、頑張ってくれ!」

 

 

 響とゼファーはただ走る。

 けれど小学生の響にとっては、100mですら全力で走るのはキツい。

 小学生に最も不人気な学校行事、校内マラソン大会で1km走っただけでも小学生はバテる。

 毎日10km以上の距離を走り込んでいるゼファーとは、根本的に体力に差があるのだ。

 それでも二人は、この逃避行を走り切る。

 

 

「着いたッ!」

 

 

 前、右、左をビルに囲まれた少し開けた行き止まり。

 響は逃げ場がなくなったことに顔を青くしたが、ゼファーがここを目指していたことを彼の言葉から察したようで、彼を信じる気持ちで心を持ち直す。

 ノイズはもうかなり近い所まで来ていた。

 時間もない。余裕もない。

 ひたすら前に進み続ける二人の視界の中で、どんどん壁が近づいてくる。

 

 

「ヒビキ、応援してくれ」

 

「え?」

 

「ヒビキに応援してもらったら、頑張れそうだからさ」

 

 

 そして壁に手が届くか、届かないかという距離で二人は立ち止まる。

 ゼファーにはもはや一呼吸の無駄すら許されない。

 全速力で駆けて来た体調も、一度息を吸って吐くだけで整えなければならない。

 拳を放つことが許されるのも一度のみ。

 余分な時間の消費と失敗を一度でも挟めば、ノイズに追いつかれてゲームオーバーだ。

 

 足を開いて構える。

 もう何十万回と繰り返して来た正拳突きを打つ前の姿勢。

 左手を前に、右手を後ろに。

 彼は自らの身体を、拳という弾丸を発射するための銃と化す。

 既に視界は目の前の、打ち砕くべき壁だけを映している。

 そんなゼファーの視界の外から、彼が目にできない背後から、かかる太陽の花の声。

 

 

「頑張ってっ!」

 

 

 ただそれだけで、百人力を得た気すらした。

 

 守、破、離。守と破の間にある壁の前に、ゼファーは立っている。

 教えられたことを守る段階から、その殻を破る段階へ。

 守る力だけでなく、敵を打ち破る力へ至る。

 守るために、目の前の大きな壁を打ち破る意志を拳に込める。

 

 ビルの壁。成長の壁。現実の壁。

 それら全てを壊さんと、ゼファーは全身の力を拳に集める。

 聖剣ではなく、彼は守るために真の正拳を撃ち放たねばならない。

 

 

「……すぅ」

 

 

 いつだって頭の中に置いていた、なぞるための弦十郎のイメージを投げ捨てる。

 そして正拳を撃つ度に浮き彫りになっていた、謎の違和感を持って来る。

 今の彼ならば分かる。

 あの違和感は、無理になぞろうとしていたゼファーの動きが、彼の肉体に合った形の動きに変わろうとしていた正拳突きの動きの齟齬そのものだったのだ。

 

 弦十郎とゼファーでは身長も違う。体格も違う。筋肉の質も違う。

 骨格も違えば肉の付き方も違うだろう。

 だからこそ、最終的に至るであろう理想的な動きにも違いが出てくるのだ。

 それをゼファーは今日まで無理になぞろうとして矯正していたが、それを今日限りで止める。

 生まれていた違和感こそを、動きの軸に据えて撃つ。

 

 足が地面を押す力がいつもより大きく感じる。

 関節を通る力がすっと通り、そこで更に力が乗るようになった。

 まるでこれまでが油を差していなかった機械であったかのように、今は油を差してスムーズに動くようになったかのように、彼の動きが滑らかにかつ力強く変わる。

 左手が強く引かれ、回転により強く拳を打ち出す胴体は腰により速く回転し、引かれた顎は力の無駄を産まず、正中線が綺麗な軸として成立する。

 右の拳はほんの僅かなねじりを加えられ、全身の力を全て巻き込んで突き進んでいく。

 

 中国拳法には、一つの概念がある。

 師より教わった技術を昇華した自分だけの奥義、つまり切り札を形容する概念であり言葉。

 それは教われる技でもなく、教えられる技でもない。

 その者だけが使える、その者だけの必殺技。中国拳法では、それを――

 

 

「だぁ――」

 

 

 ――『絶招』と、そう呼ぶのだ。

 

 

「――らぁッ!!」

 

 

 守れなかった人の姿、守れた人の姿、守りたい人の姿が、頭の中に次々と浮かぶ。

 自分の後ろの、何が何でも守らなければならない友の姿を思う。

 そこに感じた想いを、感情を、衝動を、余すことなくゼファーは拳に込める。

 そして、壁に叩きつけた。

 

 ゼファーに力を、強さを叩き付けられた全ての壁が崩れていく。

 目の前のビルの壁が、目に見えない成長の壁が、立ちはだかっていた現実の壁が。

 彼の前に進もうとする意志は、厚い石の壁すらも打ち砕く。

 彼は響の手を引いて、更に前に壁に空いた穴へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 壁の穴の向こうは、当然ながらビル内部。

 キラッキラとした目で感嘆の声を上げる響の手を引き、彼はひた走る。

 

 

「おおおおおおおっ!」

 

「まだ終わってないから気を抜くなよヒビキ!」

 

 

 そのまま一直線に、向こう側の壁もワンパンで粉砕。

 重機があっても端っこからちまちまと壊していかなければならない壁が、拳の一撃でいともたやすく人一人が通れる大きさの穴を開け、粉砕される。

 ゼファーは人の可能性を示した。

 風鳴翼、緒川慎次、風鳴弦十郎のような、扉の向こう側の人間の域に至ったのだ。

 これから先も、常識を掲げて小さく収まる人間になりはしないだろう。

 

 

「乗りなさい!」

 

「アオイさん!? って、昨日夜勤にまで駆り出されてたから今日は一日休みだって……」

 

「私の家が近かったから飛んで来たのよ!

 事情はメールで聞いてるわ、そこの女の子も乗りなさい!」

 

「は、はい!」

 

 

 息を切らす二人のもとに、丸一日の勤務+突発的に出現した昨日のノイズのせいで徹夜の勤務を終えたばかりの、友里あおいが車を駆ってそこにやって来る。

 彼女らしくもなく、普通の私服にノーメイク。目の下のクマも隠せていない。

 疲労から熟睡していた所を電話で叩き起こされ、それでも眠気を振りきって全速力でここまで来てくれたのだろう。子供を、助けるために。

 ゼファーと響は転がるように車に乗り込み、あおいはドアが閉められるのも待たずに発車。

 少年と少女を、二人が乗った車を追いかけるノイズが、車に向かって手を伸ばす。

 触れるか触れないかというギリギリのラインで、車はノイズの追跡を振りきった。

 

 

「ふぅぃー……ありがとうございます、アオイさん」

 

「いいのよ、たまたま私の家が近っただけなんだから」

 

「私も、ありがとうございます。えっと、ゼっくんのお知り合いで?」

 

「え? そうねえ……彼は私の上司の養子なのよ」

 

「へぇー」

 

 

 響はあおいの素性に興味津々のようだが、二課には守秘義務がある。

 さらっと嘘でもなく本当のことでもない偽装が口から出てくるのは、年の功だろうか。

 服を摘んでパタパタとはためかせ、二人は肌に張り付く服の内側に風を送り、汗だらけの体を冷やしていく。ようやく一息つけた感じだ。

 細い路地を抜け、それなりの広さの道に出ると、あおいの車が別の車とすれ違う。

 

 ひと目で分かる普通の車とは違うその威容は、まさしく一課の装甲車だ。

 ゼファーはそれに目をやると、窓ガラス越しに装甲車の中に人影が見えた。

 装甲車は窓を開けていて、その奥に人の姿が見える。

 見覚えのある男がそこに居た。

 先日、ゼファーと共闘した一課の林田が、そこでゼファーに敬礼をしている。

 

 後は任せて欲しいと、そう無言で伝えるように。

 

 

「あ、警察の人かな?」

 

「あれは特異災害対策機動部だよ、ヒビキ」

 

「そうなの? 警察の人だと思ってた」

 

「ああ、子供にはそういう認識なのか……」

 

 

 車と車がすれ違ったのは一瞬。

 けれどその一瞬で伝わる意志もあれば、貰えた安心もある。

 ゼファーは、今日はもう一課に全てを任せるという選択をした。

 

 

「あおいさん、高速入れますか?」

 

「了解、自壊までの間ドライブってことでいいのかしら?」

 

「はい。最後にここまで戻って来ていただければ」

 

 

 あおいもゼファーも、当然ながら今回のノイズの行動パターンは分かっている。

 一課にも二課を通して伝わっているはずだ。

 今回のノイズはゼファー達をどこまでも追ってくる。

 ならばとゼファーは、車を環状線等に乗せてグルグルと動くドライブルートを選択した。

 あおいも同意見であったようで、カーナビの目的地をセットする。

 この時間ならば渋滞もない。

 同じ場所を円状にグルグルと回っていれば、ノイズはほとんど移動しないはずだ。

 ゲームで言えば、プレイヤーキャラがボスの周りをグルグル回るようなものか。

 そこに一課の援護と避難誘導があれば、出現ノイズの数の少なさもあいまって、まず被害は出まい。

 

 

(一段落、か)

 

 

 ゼファーはポケットにしまっていた手袋を取り出し、付け直す。

 響と未来に貰った黒い手袋は醜い腕を隠し、その拳を覆う。

 人類の原初の武器は、そうして黒い鞘にしまわれた。

 

 

「も、もう大丈夫な感じ?」

 

「ん? そうだな、もう大丈夫だ」

 

 

 それを見て、響が不安げに声をかけてくる。

 現状を完璧に把握し理屈立てて考えられるゼファーと違って、響はただ彼を信じていただけだ。

 彼女は現在安全が確保されたとは分かってないし、彼に説明されてもきっと理解できない。

 だからまだ、終わったと聞いても不安が残っている。

 

 ゼファーはそれを見て、響の手を取り握手した。

 通常のそれではなく、友人同士が強く友情を確かめ合うような、指が下ではなく上を向く握手。

 手の平を通して、力強さが響の手に伝わっていく。

 

 

「大丈夫だ。大丈夫だから」

 

「うん」

 

 

 手袋に覆われた手は、傷や醜さが目につかない。

 ただ純粋に、力強さを相手に伝えていく。

 まるで手袋が、腕に被らせる仮面のようだ。

 傷だらけの腕ではなく、頼りになる力強い腕。

 少なくとも、その時響にとってはそうだった。

 大丈夫と言われる度に、不安が消え去っていく。

 

 いつの日か、いつかの未来に、どこかの場所で。

 もしも彼が大丈夫じゃなくなっていたら、いつか自分がしてあげようと、彼女はそう思った。

 手を握って『大丈夫』と、そう言ってあげようと、彼女は決めた。

 受け取った優しさを、彼女はきっと忘れない。

 

 その決意はいつの日にか果たされるだろう。

 いつかの西風が心折れた時、凛と立つ花が彼を太陽のように照らす日がきっと来る。

 けれどもそれは、今日ではない。

 

 

「ちゃんと家まで送るから。もう安心していいんだ、ヒビキ」

 

 

 まだ今日は、彼が責務を果たすべき時だ。

 男の子は女の子を守らなければならない。

 そのためには限界を超えねばならない。

 古臭い理屈で、ゼファーより強い女の子なんていくらでも居るが、それでも大切なことだ。

 

 人類というものがこの世界に生まれてすぐの頃。

 拳という武器が初めて振るわれたのは、男が女を守るためだったのだから。

 

 今日もまた、世界のどこかで、男は拳で女を守る。

 




 自分の命と引き換えになら小型ノイズを一撃で倒せるくらいの威力、絶招
 人類が最初に手に入れた必殺技とは拳。始まりの絶招です

 誤字でやらかしてなければ呼称変更のタイミングは全部狙ってやってます

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