戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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公式で『最強のシンフォギア装者』の設定を持つ彼女、登場です


第十四話:アヴェンジャーズは正義か悪か

 ガングニール。

 その名の意味は『揺れ動き、揺り動かすもの』。

 槍や武器を打ち鳴らす音を擬音化したものであるという説もある。

 また持ち主が投擲しても、手元に戻ってくるという逸話を持つ必中の槍でもある。

 

 先史の時代から、この槍が担い手として選ぶ人間は戦場において常に先陣を切る。

 この槍は勇敢な人間を好む。正義を間違えない人間を好む。

 恐怖を感じない人間ではなく、恐怖を勇気で乗り越える人間。

 憎悪を知り、なお正しさをどこかで見出し正道に戻れる人間。

 ガングニールの担い手は勇気を奮い、どこかの誰かの正義の味方となる。

 

 誰よりも先に、最速で、最短に、真っ直ぐに、一直線に飛んで行く。

 それは特攻でもなく、自爆でもない。

 必ず元居た場所に戻るという覚悟の現れ。

 ガングニールが手元に戻る槍であるのと同じように、担い手も同じ覚悟を併せ持つ。

 余程のことがなければ、その槍を手にした者は、生きて帰ることを諦めない。

 

 そして、完成された精神を持つ者がこの槍を手にすることはそう多くない。

 この槍を手にし力を引き出せる者は、何かしらの形で葛藤を持つ。

 常に思い悩んでいるような不安定な人間ではなく、確固たる芯を持ち、その上で考え続ける者。

 例えば「何が正しいのか」という答えの出ない、状況によって答えがいくらでも変わり続けるような、そんな問いを常に自分に対し発し続けられるような者。

 悩み考えながらも、足を止めずに前に進み続けられる者。

 その結果、周囲からは何も悩みなんてなく真っ直ぐに生きているように見える者。

 そんな槍のような生き様を持つ者がこの槍を手にした時、槍は常に無双の力を振るわせた。

 

 槍と槍が打ち鳴らされる音が、時に音楽のごとく聞こえるように。

 この時代におけるガングニールは、歌の添え物でしかない。

 けれど変わらず、全てを貫く無双の一振りとしてここに在る。

 

 先史の時代、ガングニールを手にロディと共に戦った男は槍師ヴォータン。

 八人の勇者の中で最年長の経験を活かし、仲間達をよく導いた。

 そして、巨乳党であった。

 槍にその性癖が伝わらないかどうか、仲間が心配していたくらいに、強烈な巨乳党だった。

 最後の戦いで魔神に殺害されるも、皆に慕われたエロオヤジだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十四話:アヴェンジャーズは正義か悪か

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天羽奏は、ごく普通の家に生まれた子供だった。

 優しい父に奔放な母、三つ年下の妹。

 四人家族で、暖かい家庭の中で育った。

 

 

「おーい愛歌ー、学校遅れんぞー」

 

「あたしは姉さんみたいにガサツな身なりで人前には出られないんですぅー」

 

「なにおう!?」

 

「なによ」

 

「じゃれるのはいいけど、遅刻しないようにね、二人とも」

 

「「はーい、父さん」」

 

 

 天羽奏は中学生。その妹の愛歌は小学生。

 両親はその道では有名な発掘チームのリーダー格。

 何度かテレビに映ったこともある両親を、奏は学校で自慢するくらいに誇りに思っていた。

 両親が映っているテレビ番組を録画したVHSテープは、今でも彼女の部屋にある。

 

 

「愛歌、給食着は持った?」

 

「持ったよお母さん。姉さんはジャージ忘れてるけどね」

 

「奏!」

 

「大声で言われなくても分かってるって!」

 

 

 ちょっと生意気になってきた妹も可愛いく思っている。

 彼女は彼女なりに姉として面倒を見ようと思っているのだが、ややガサツな姉を見て育った妹はしっかり者に育ってしまい、逆に面倒を見られることも多かった。

 模試の結果なんてもう追いすがれないほど差が開いていたりする。

 まあそれでも、奏は自分が妹の面倒を見ているのだと胸を張るのだが。

 妹が幼い頃から、しっかり者になる前からずっと面倒を見て来た姉としては、思う所があるのだろう。

 

 

「行ってきます!」

「いってきまーす!」

 

「信号には気を付けなさいよー!」

 

 

 母親に見送られ、奏と妹は家を出た。

 小学校と中学校は地区によって分けられているので、姉妹は途中までは同じ道を行けるのだ。

 奏は中学校の制服、妹は私服。

 並んで歩く二人はよく似ていて、赤の他人でも姉妹なのだと一見して分かる。

 年齢差こそあれど、共に活発的な印象を受ける美少女だ。

 

 

「姉さん、そういえば準備出来てる?」

 

「結婚記念日のあれだろ? お年玉の残り引っ張り出してきたけど足りっかなー」

 

「足りなきゃ困るでしょ。あたしと姉さんの小遣い全部合わせて何か買おう、って案なんだから」

 

「なんであたしより愛歌の出した額の方が多いのか、永遠の謎だな」

 

「姉さん無駄遣いするからでしょ。ジュースとか、お菓子とか」

 

「あっはっは、成長期なんだよ成長期!」

 

「それで余分な所に肉付かないとか全世界の女子を敵に回してるって分かって……!」

 

 

 妹が嫉妬の目を向けるほどに、奏は恵まれた体躯を持っていた。

 高い身長、健康的な肉付き、同年代より一歩上を行く女性的な肢体。

 告白された回数は数知れず、「興味ない」と断った回数も数知れず。

 けれどよくある同性からの妬みといったものもなく。

 同性異性問わず友人も多く、周囲からふざけ混じりに「将来はモデルやアイドルになるのか」と言われるだけの容姿の良さも相まって、世間一般で言うところのクラスの中心というやつだった。

 ただ、少し親しい奏の内面を知っているような友人になると、「軍人になるか会社を立ち上げるかするんじゃないかな」と、彼女の破天荒さを評価する。

 そして片手で数えられるような奏の親友達ともなれば、「奏が敬愛してる両親と同じ考古学者の道か、好きな歌で歌手にでもなるんだろう」と正解を言い当てる。

 

 けれど総じて、周囲の人間は天羽奏を「いつか大物になる」と断言する。

 そこだけは、友人も教師も口を揃える共通項だった。

 

 

「んじゃ、ここまでだな。コケんなよ、愛歌」

 

「あのね、いつまでも姉さんに手を引かれる私じゃないんだから!」

 

 

 いー、と歯を見せながら登校班の集合場所に駆けて行く妹。

 そんな彼女を見送って、ニカっと笑う奏は自分も学校へと向かう。

 登校途中に朝練に励む友人に声をかけつつ、教室への階段を登っていく。

 

 

「おっはようっ諸君、今日もいい天気だな!」

 

「あ、おっはーカナちゃん」

「天羽てめえ! 昨日掃除当番フケてどこ行ってやがった!」

「おはよう、天羽さん」

「やっほー。奏は今日も元気だねぇ」

 

 

 帰ってきた挨拶に笑顔を返し、都合の悪い声は聞こえないふり、バッグを机の上に放り投げる。

 奏が椅子に座ると、その周りに色んな人間が集まってくる。

 彼女を頼る学級委員長。

 小動物的な彼女の友人。

 フランクな男子の友人。

 荒っぽいクラスメイト。

 ゴシップ好きなTV好き。

 朝のホームルームが始まるまで、そんな教室の人だかりがなくなることはなかった。

 

 一限、二限と授業はとどこおりなく行われていく。

 けれど奏はノートに板書をするのみで、授業の大半は聞き流している。

 一夜漬け派の奏にとって、無駄ではなくとも退屈な時間が過ぎていく。

 考え事をしながらぼやっとしている奏は、授業で読み上げている教科書のページと自分が見ているページがズレていることにすら気付いていない。

 そうして右から左へ教師の読み上げを聞き流していると、彼女の机の上に紙が転がった。

 丸まったその紙に気付いた奏が広げてみると、そこには丸っこい文字の書かれた羅列。

 

 

『お父様とお母様のプレゼントはお決まりになりましたでしょーか、隊長』

 

 

 奏が右をチラッと見れば、そこにはいたずらっぽく笑う女の子が手を広げて見せている。

 右隣の席の奏の友人が、こっそりノートの切れっ端に文字を書いて丸めて投げたのだろう。

 奏は紙の余白に文字を書き、再度丸めてコイントスのように親指で弾き、横に飛ばす。

 少し経ったらまた戻って来たので、広げて読み、また書いて飛ばす。

 そんな風に、彼女らは授業中に無言で談笑していた。

 

 

『決まったけど計算したらギリギリだったぜ、隊員』

 

『なんだ、お金足りてなかったらトイチで貸してあげようかと思ってたのに』

 

『他の誰に借りるとしてもお前からだけは絶対借りねー!』

 

 

 気付かれて怒られるまでがお約束。

 かくして授業は終わり、学生達が心待ちにする昼休みへ。

 仲良しグループが机をくっつけて昼食を取る典型的なパターンの例に漏れず、奏も6、7人の友人達と机をくっつけ合い、母の手製の弁当に舌鼓を打っていた。

 

 

「なんつーかさ、カナちゃんはお父さんとお母さんがホント好きだよね」

 

「ん? そりゃそうだろ? 親が嫌いな奴なんてそうそう居ねえと思うけどな」

 

「えー、そう?」

「わたしは親とかちょっとうぜーって思ってるけど」

「だよねだよね、なんか偉そうでさ」

 

「あたしが変なん? うーん」

 

「いやー、でも天羽なら仕方ないかもよ?

 父親は聖遺物も見付けてる、考古学の権威で有名人。

 母親はその最高の助手にしてパートナーで、有名な発掘チームの副リーダー。

 両親がすっごい人なんだから、そりゃ誇りにできるし大好きにもなるって」

 

「いやいや、両親が何してたってあたしが向ける感情が変わるわけないじゃん。

 あたしは何一つとして偉くない妹だって父さんと母さんと同じくらい好きだし。

 明日両親がプータローになっても何も変わらないって!

 誇れる親かどうかは、別に職業で決まるわけでもないと思うしさ」

 

「……うーん、流石天羽」

「カナちゃんはなんというか、いいやつだよねえ」

「バカ入ってんのよバカが」

 

「んだとぅ!?」

 

 

 昼に女友達とじゃれ、グラウンドに飛び出した奏が男子のドッチボールに混ざり三國無双の如き大暴れで全員ふっ飛ばした頃になると、昼休みも終わる。

 暖かな陽気と満腹が合わさってこっくりこっくりと船を漕ぎ始める奏。

 眼鏡を中指でクイッと上げて奏を教科書朗読に指名するハゲの先生。

 ハッと起きて慌てる奏。後ろからこっそりページを教える男子。

 なんとか乗り切り、奏が最高の笑顔とサムズアップで無言の礼をすれば、後ろの席の男子は顔を赤くした。罪深い女である。

 

 そうこうして、誰にとってもありふれた、けれど回数制限のある学生生活の一日が終わる。

 

 

「よっしゃ終了!」

 

「待てや天羽! お前今週一週間ここの掃除当番だろうが! 今日は逃がさんぞ!」

 

「げっ」

 

「……はぁ。しゃーないか、あたしが代わるよ」

 

「え?」

 

「そこの男子も、代わりが居れば文句ないっしょ?」

 

「……いや正直言えば本人に落とし前付けさせたいが……まあいいか。天羽だし」

 

「だってさ。ホラ、行ってきなよ奏」

 

「え、だけどさ、流石に悪い気がしてくるというか」

 

「いーのいーの、あたしが好きでやってんのよ。

 結婚記念日の贈り物、今日買うんでしょ?

 一日中そわそわしてないでさっさと行って来なさいな」

 

「……サンキュ! 今度カラオケ行った時なんか奢るわ!」

 

「奏は歌うの好きだよねぇ。あ、走んなら前見て走りなさーい……って、転んだ……

 と思ったら廊下で片手ハンドスプリング!? そのまま立ち上がって走ってった!?」

 

 

 そんなこんなで、彼女の一日は終わる。

 喧嘩もある。イベントもある。試験もある。失敗もある。恋もある。

 けれど何より友達が居て、家族が居て、最後には皆で笑える日々。

 それが天羽奏が生きていた、平和で幸せな世界だった。

 時は流れる。この日から数日後の夜、天羽邸の晩餐の時刻にて。

 

 

「「父さん、母さん、おめでとっー!」」

 

 

 天羽姉妹は二人の小遣いやお年玉の残りを全部合わせて買った、古代遺跡をモチーフにしたらしいマグカップを両親に笑顔で差し出した。

 今日は天羽夫妻の結婚記念日。

 普段より少しだけ豪華な食事の向こう側で、夫妻は柔らかく微笑んでいる。

 その表情からは、例えようもない幸せが見て取れた。

 

 

「ありがとう、奏、愛歌」

 

「もう、私の娘は本当にいい子で困っちゃうわ。本当に嬉しい」

 

 

 可愛い娘達にこうまで思われて、嬉しくない親など居るまい。

 優しげな微笑みを娘達に向ける父親に、母親が肘をグリグリと押し付け始める。

 その日の夕飯は、天羽姉妹の祝いの言葉と笑顔から始まった。

 

 

「しかし、いつまでも子供扱いしていられないな……

 こんなにもう、自分で考えて行動できる子に育ってくれているとは」

 

「んだよ父さん、女子だって三日会わざればって言うじゃん?」

 

「姉さん食べながら話すのはちょっとはしたないよ」

 

「っとと」

 

 

 しみじみと語る父親の顔からは、何かを決めたような心持ちが伺える。

 その内心を妻が正確に読み取れたのは、付き合いの長さゆえか、それとも愛ゆえか。

 

 

「あなた、まさか……」

 

「ああ、僕はもういい機会だと思うよ」

 

「ん? 何が? あとおかわり」

 

「姉さんもう三杯目ってそれどうなの、どんな胃袋なの」

 

 

 米粒一つ残っていない茶碗を差し出す姉に、妹がジト目を向ける。

 茶碗を受け取り米をよそる母を尻目に、父は娘達に視線を合わせて口を開いた。

 

 

「二人共、週末の発掘に付いて来る気はあるかい?」

 

「……! いいのか!? あたしが何度頼んでもダメだって言ってたのに!」

 

「うん、発掘には危険が伴うからね。二人が幼い内は駄目だと思ったんだ。

 でももう、二人も分別がついてきた頃だろうから……」

 

「やたっ! 行く行く!」

 

「っしゃ! 行くに決まってるって!」

 

 

 なんと、父は娘達に自分達の仕事を見せてもいいという。

 流石に考古学者という名の遺跡破壊者で有名なインディ・ジョーンズが踏破してきたものほどではないが、遺跡の発掘には一定の危険が伴っている。

 しかし、今回に限っては事情が違った。

 遺跡の内部構造、仕組みは既に全て解析済み。

 後は最深部の扉を開き、そこに収められている聖遺物『神獣鏡』を持ち出すだけ。それほどまでに遺跡の調査と発掘が終了した段階まで、彼らの作業は進んでいたのだった。

 

 本来、発掘作業とは退屈な行程の繰り返しだ。

 その果てに見られる最後の最後、目当てのものを見付けられた感動を一部であっても肌で感じてもらい、力を合わせてきた仲間達と喜びを分かち合う、その光景を覚えてもらいたい。

 父親にはそんな願いと目論見があった。

 奏が考古学に興味を持っていると知っていたから、尚更に。

 

 

「よし、そうと決まれば今日はもう早く寝るか!」

 

「明日行くわけじゃないよ姉さん!?」

 

 

 待ちきれないとばかりに席を立とうとする奏を見て、両親が笑う。

 つられて姉の袖を引っ張って止めていた妹も、奏も笑った。

 笑顔が溢れる、家族の団欒だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして二日後。

 天羽一家に天羽夫妻の発掘チームを加えた集団は、遺跡の奥へと歩みを進めていた。

 上機嫌な奏とどこか浮足立って見える妹が両親に手を引かれ、談笑しつつ進む他の大人に囲まれながら、照明に照らされた薄暗い一本道を歩いて行く。

 その内奏は無自覚に、お気に入りの楽曲を口ずさんでいた。

 口ずさむメロディーが周囲の大人の一人に届き、その表情を和らげる。

 

 

「~♪」

 

「……へぇ、奏ちゃんは歌が上手いんだね」

 

「おっとと、迷惑だった?」

 

「いや、むしろもっと聞いていたいくらいだ」

 

「へへっ、嬉しい事言ってくれるじゃん」

 

「奏、年上には敬語を使いなさいといつも言っているでしょうが!」

 

「げっ」

 

 

 初対面の大人に褒められたことで奏は気を良くするものの、一回り年上相手にもタメ語で話す奏は母にたしなめられる。妹が人知れずプッと吹き出していた。

 実はこれで言葉遣いを注意されたのは何度目か分からないくらいなのだが、天羽奏に改善の余地は微塵も見られない。

 とことん自由な少女であった。

 

 

「天羽リーダー、奏ちゃんを責めないであげて下さい。自分は全然構いませんから」

 

「ダメよ、最後に困るのはこの子なのよ?

 もうこの子も中学三年生。言葉遣いを軽くは見れない歳よ。

 進路だって考えなしじゃいけない歳になってるんだから」

 

「ああ、成程。これは自分が考えなしだったようです。申し訳ない。

 奏ちゃんはもう進路やなりたい職業は決まっている感じなのかな?」

 

「進路、かぁ」

 

 

 世間話のようなノリで振られた話、事実その大人にとっては話の種でしかないような気軽な話題に、奏は少し考え込んだ。

 なってみたい、と思える進路はいくつかある。

 歌は好きだし、両親のしている仕事にも興味があるし、体を動かすのも嫌いじゃない。

 けれどどこまで行っても「なってみたい」でしかなく。

 「これになりたい」という意志を伴う目標は、どこを探したって見つからない。

 

 

「んー、まだちょっと、ピンときてないかな……」

 

「ああ、学生の時はそういうのあるよねえ。とりあえず偏差値で進学先選んだり」

 

「そうそう、それそれ!」

 

「奏ェ! 言葉遣い!」

 

「げぇっ!」

 

 

 受験期あるあるに嬉しそうに食いついた奏、学ばず母親に叱られるの巻。

 けれど父は母のように怒ることなく、ぶーたれて小さくなった奏の隣に並んで頭を撫で、優しげに微笑んでいた。

 

 

「ゆっくり決めればいいよ、奏。

 僕達は君の代わりに悩んでやることも、君の代わりに決めてやることもできない。

 けれど君が選んだ選択を、僕達は全力で応援するから」

 

「……ん、ありがと、父さん」

 

 

 優しいのか甘いのか。

 母親からの折檻に逃げ道を示しつつ、親として言うべきことを言う父親に、母親はすっかり毒気を抜かれてしまったようだ。

 そも、奏のこの性格は奔放な母親から遺伝したものである。

 奔放で言葉遣いも丁寧ではない母を幼少期から見続けて、奏はそれを真似し、妹はそれを一部反面教師とした。それを今になって危機感を持ち始めた母が再教育、という流れだ。

 が、治るわけがない。

 治したがっている母親当人のその性格こそ、奏が目指しているものなのだから。

 

 父の優しさ。母の奔放さ。

 そして二人が持つ、目には見えない別方向の心の強さ。

 天羽奏は、それらを二人からしっかりと学び受け継いでいる。

 

 

「そういえば父さん、ここに収められてた聖遺物ってなんて言うんだ?」

 

『神獣鏡』(シェンショウジン)

 理想郷(フロンティア)の姿が刻まれているとされる、魔を払う破邪の鏡さ」

 

「シェンショウジン……」

 

「ここに刻まれた文によれば、時の女王の弟スサノオが内密に収めていた可能性が高いんだ。

 『今は亡き友に捧げる』と書かれていた部分も見つかっているから」

 

「ダチのための墓……いや、モニュメントかぁ」

 

「先行して内部の最終調査をしている人も居るから、そろそろ合流……」

 

 

 そんな父娘の触れ合いの時間を、叫び声がかき消した。

 

 

「た、大変だ! 全員引き返せ! 急げ!」

 

 

 一本道の向こう側から駆けて来る男の姿。

 その表情に余裕はなく、絶望の一色に染まりきっている。

 喉が枯れてしまいそうなほどに叫び、その男は仲間に危機を知らせんとする。

 

 

「逃げろおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 

 そして極彩色の怪物に胸を貫かれ、絶命。

 その死体は『炭素に変えられ』、跡形もなく砕け散った。

 

 

「まさか、こんな閉所に、局所的に!?」

 

「どんな天文学的確率だ!!」

 

 

 天羽姉妹は何がなんだか理解できないという顔をしているが、天羽夫妻のような頭の回転の早さと人生経験を併せ持つ人間達は一瞬で状況を理解する。

 来た道を逆戻りして駆け出すも、彼らが逃げ切る前に脅威は追い付いてきた。

 人が嵐を家の中でやり過ごさねばならないように。

 地震を机の下でやり過ごさねばならないように。

 噴火から逃げ惑わねばならないように。

 抗うことなど不可能で、逃げることしか出来ない人類の絶対的な天敵。

 

 

「ノイ、ズ……!?」

 

 

 誰が言ったか。

 そのバケモノの名を呼んだ、その第一声を皮切りに、阿鼻叫喚の地獄が始まった。

 

 ある者が、作業機械の裏に隠れた。

 ノイズはその作業機械をすり抜け、あっという間にその人間に触れる。

 悲鳴を上げながら、その人間は炭の塊に還った。

 

 ある者はどこまでも逃げた。

 けれどノイズのほとんどは常人よりも速く移動する。

 ノイズの中でも動きの遅い人型が相手であっても、その人間は逃げ切れなかった。

 鉄パイプを振り回し、来るな来るなと叫んでみても、災害に聞く耳あるわけがなく。

 振るった鉄パイプは全てノイズを素通りし、逆にノイズはピタリと触れる。

 無残な死への恐怖に涙を流したその男は、涙すらも炭素に変えられ粉砕された。

 

 ある者はそれまで赤子をそうするように丁寧に扱っていた計測機材を、盾のように掲げる。

 鳥型のノイズが空中で姿を変え、プロ野球選手の豪速球以上の速度で突撃する。

 ドリルのような細長い形状もあり、凡人にその速さを目に留めることは不可能。

 計測機材はパンケーキのように貫通され、その奥の人間も綺麗に穴を開けられた。

 

 死屍累々……であれば、どれだけ救いがあったことか。

 

 ノイズに殺された人間は、死体すらも残らない。

 まるで『ノイズが人間がそこに存在したという痕跡すらも許さない』かのように。

 存在そのものを許さないという行動と、それがもたらした残酷極まりない結果と、憎悪や敵意の欠片も見えない無機質な機械じみたノイズの様子が、異様なギャップを生んでいる。

 まるで、人を殺すためだけに生まれてしまった災害のようだ。

 怖気がするほど、恐ろしい。

 

 一瞬で殺された大人達の面々の中には、奏の歌を褒めて、奏の進路を聞いていた大人も居た。

 何の前兆もなく、何の前触れもなく、何の前置きもなく。

 落とし穴に落ちるかのように、急に現れ人を呆気なく死なせていくノイズ。

 この無慈悲さが、理不尽さが、ノイズの脅威たる所以。

 『自分も呆気なく無価値なゴミにされてしまう』という恐怖が、走る全員の心臓を鷲掴みにし、出口へ向かって必死に走らせた。

 

 

「走れッ!」

 

 

 そんな中、真っ先に声を上げ、全員を鼓舞したのが奏の父だった。

 彼が声を上げたからこそはっと我に返った者も多く、皆足を止めずに走れたのだ。

 それでも一人、また一人とノイズに捕まり、無価値な炭へと変えられていく。

 最後にはもう天羽一家の四人しか残らなかった。

 

 ノイズが迫る。

 あと一分と経たずに一家はノイズに追いつかれ、あえなく全滅するだろう。

 誰一人として残らない。

 何一つとして残らない。

 人が皆殺しにされた後には、黒ずんだ塵屑が散らばるだけの光景が広がるだろう。

 

 息が切れ、走る速度が随分遅くなった姉妹を見て、父は表情を歪める。

 顔を一瞬伏せ、けれど何かを決めたような悲壮な表情を浮かべ、拳を握りしめる。

 妻が振り返り、そんな夫と視線を交わした。

 彼女の顔に浮かぶ驚愕、抗議、そして諦観。

 一言を交わす必要すらない。

 彼は言葉では揺らがぬ覚悟を決めて、彼女はそれを悟って、二人の間で通じ合う。

 

 愛しているから、彼は家族のために犠牲になることを決めた。

 愛しているから、彼女は言葉で止まらないことを悟ってしまった。

 愛しているから、言葉無くとも互いに理解できた。

 全ては、愛があったから。

 

 

「みんな、振り向かないで走り続けて。そして、忘れないで欲しい」

 

「はぁ、はぁ、え、なに、とうさ――」

 

 

 息を切らして聞き返す奏の言葉を、大声を重ねて父親は遮る。

 

 

「いいか皆、どんなことがあっても、何があっても、辛くても、この先絶対に!」

 

 

 そして、家族三人に背を向けて道を逆走。

 抱き締めた発破用の爆弾の電子信管の電源を入れ、ノイズに突っ込む。

 そして起爆スイッチ掴み、力強く親指で押した。

 

 

「生きることを、諦めるなッ!」

 

 

 瞬間、轟音。

 出口に向かって走っていた姉妹は父親が逆走していたことにすら気付かずに、爆風に押し出されて転がって行く。母は転がらなかったものの、一度振り返り、泣きそうな顔で唇を噛み締めた。

 父は爆弾を用いて、ノイズを道連れにせんと特攻したのだ。

 一人の男に群がろうとしたノイズ達は爆風に巻き込まれ、ダメージを受ける。

 更に細い通路を爆破で埋めてしまうことで、ノイズの通り道を塞いだ。

 愛する妻を、愛する娘達を護るため、一人の夫として成した誇りの形だった。

 

 

「え、あ……まさか……まさか、父さん……?」

「嘘、うそ、うそうそうそ、嘘よっ! こんな、こんな……!」

 

「考えるのはやめなさい! 考えるのをやめてただ走りなさい!

 ここはゴールでもなければ、まだ何一つとして終わってなんかいないのよ!」

 

 

 母は娘達に考える余裕を持たせてはいけないと判断。実際、その判断は極めて正しかった。

 この判断が、最終的に生死を分ける。

 母に促されるまま、混乱している思考を纏めようとせずにそのまま二人は走る。

 ようやく出口が見えてきた。

 追ってくるノイズもいない。

 助かる、ようやく助かるんだと三人の思考を楽観が覆い――

 

 

「―――」

 

 

 ――娘二人を突き飛ばした母が、頭上から降って来たナメクジのようなノイズに押し潰されて、三人は絶望に満ちた現実を改めて突き付けられる。

 

 

「生きて、生きて、生き延びて……! 貴女達二人が幸せなら、私は―――」

 

 

 さらり、と炭素化された『母だったゴミ』が風に乗って吹き散らされる。

 奏は風に乗って頬に張り付いたそれを、指で取って呆然と見つめる。

 まるで砂場の砂。

 黒ずんだそれが、あんなにも大好きだった、あんなにも尊敬していた、あんなにも憧れた母の成れの果てだと脳が理解するまで、数秒かかった。

 無価値な炭の屑に変えられた母を見て、心の何処かが軋む音がした。

 

 

「嫌あああああああああああああああああああ!!」

 

 

 そんな奏を正気に戻したのは、残酷な現実に耐えられなかった妹の叫び。

 ハッとなって周囲を見渡せば、まだノイズの生き残りが何体もいる。

 そして奏とその妹を狙っているのがよく分かった。

 両親のもとに送ってやろうと、無機質なままに二人ににじり寄って来る。

 

 その時、彼女の頭の中で『カチリ』と音がした。

 

 守るべき妹。たった一つだけ残った大切な物。

 今、それを守れるのが自分だけしかいないという状況。

 周囲には敵。憎むべき敵。

 頭の中でカチカチカチと、歯車が噛み合っていく音がする。

 奏は意を決し、妹の手を掴んで引っ張りあげた。

 

 

「立て! あたし達を生かしてくれた父さんと母さんの死を無駄にする気か!」

 

 

 そして走る。無理矢理にでも妹の手を引っ張り、喉が張り裂けんばかりに声を上げる。

 

 

「生きることを諦めるなッ!」

 

 

 遺跡があった山を駆け下りながら、後を追ってくるノイズから逃げ続ける。

 一度だけ振り返り、奏は最大限の怒りと怨嗟と憎悪を込めて、呪いの言葉を吐き捨てた。

 

 

「覚えてろ……今は逃げるが、あたしが! いつの日か!

 お前らを一匹残らず皆殺しにして、その存在の全てを否定してやるッ!!」

 

 

 その憎しみは、摂理すらも焼き歪める黒い炎。

 

 この日明確に、彼女の人生は狂ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後になって、天羽奏は思い出す。

 自分を守ろうとして死んでいった人間が、両親だけではなかったことを。

 

 最後に天羽一家だけが都合よく残ることなんてあるのか?

 子供の足で成人男性より先に逃げられるなんてことがあるのか?

 細い一本道で何人もの人間が一斉に逃げようとして、奏が一度も押されたり足を踏まれることがなかったなんて、そんな偶然がありえるのか?

 ノイズが一直線に追いかけて、運動が得意でもない奏の妹が何故追いつかれなかったのか?

 

 奏は見ていた。

 けれど後になって落ち着くまで、思い出すこともできていなかった。

 恐怖から始まり憎悪に至る、荒れ狂う感情の波の下に隠されていた、死に際の彼らの顔を。

 

 大人達は皆生きたくて、けれど天羽一家とその子供達を見て、その表情に諦めを浮かべる。

 子供達を押しのけて先に行くことも出来た。

 上司である天羽夫妻を突き飛ばして我先にと逃げることも出来た。

 けれど、しなかった。

 彼らは尊敬する上司にそんなことはできなかった。

 未来のある子供にそんなことをできるわけがなかった。

 天羽一家の家族の団欒を見て、それを自分の手で壊すことなんて、できやしなかったのだ。

 

 だから彼らは生きたかったのに、その表情に諦めを浮かべて足を緩める。

 その表情を奏は目にして、強く強く記憶に刻んでいた。

 もしも誰かが生き残るなら、それは子供であるべきだと、そう人柱になった大人達を。

 その大人達が感じていた死の恐怖と、それを凌駕した大きな勇気を。

 

 そしてそれらを無慈悲に理不尽に蹂躙した、ノイズという名の畜生達を。

 

 許さない。許せない。許してはならない。

 憎悪の炎が、悲しみや喪失感を感じさせないほどに、彼女の胸中を埋め尽くす。

 大切なものが抜けてポッカリと空いた胸の虚に、憎悪が敷き詰められていた。

 

 あの日、結局ノイズからどう逃げ切ったのか、奏は正確には覚えていない。

 パニック状態だった妹も覚えていないという。

 誰かに助けられたような気もしたし、二人だけで逃げ切ったような気もする。

 覚えているのは、病院で目を覚ました後のことだけだ。

 

 それから、しばらくの時間が経った。

 

 

「……」

 

「……あっ」

「!」

「奏……」

 

 

 頬に絆創膏を貼った奏が登校すると、そこはかつて彼女が居た居場所はなかった。

 奏の両親の死は全国的に放送され、大きな悲劇としてマスメディアが大声で吹聴していた。

 結果的に、彼女に起こった悲劇をこのクラスで知らぬ者は居ない。

 誰もが同情の視線を向ける。

 誰もがどう声をかけていいのか分からないという顔をしている。

 誰もが腫れ物に触るような態度を取っている。

 人知れず、奏は歯を強く食い縛っていた。

 

 家族を失ったばかりの彼女は、極めて凶暴になっていた。

 まるで、手負いの獣のように。

 元々短気ではあったが、それでも彼女は常に余裕は持っていたし、持ち前の陽気があった。

 けれど今はそのどちらもなく、余裕のない精神状態が続いている。

 その精神状態が、クラスメイトの態度で最悪の形で刺激された。

 

 「かわいそうに」程度の気持ちで向けられる同情。同情するだけで何もしないスタンス。

 その大半が「同情する自分に酔っている」というありふれた状況。

 そして見え隠れする、「何があったのか教えて欲しい」という好奇心。

 異性から見える「落ち込んでいる所に励まして好意を持たせよう」という下心。

 どれもこれもが、彼女の癪に障った。

 

 もしも今日ここで、クラスメイト全員が前日に打ち合わせをしていて、「これまで通りの日常で天羽奏を迎えよう」となっていれば。あるいは、全員が聖人君子のような心持ちで彼女を迎えていれば、何かが変わっていたかもしれない。

 けれどそんなのは無理な話で、実現しやしない『もしも』だ。

 奏は中学生で、その周囲も中学生。

 だから必然的に、この日常は崩壊する。

 

 奏が日常に帰還してから友人相手に暴力沙汰を起こすまで、一週間もかからなかった。

 

 

「……」

 

 

 生徒指導室の中で椅子に座らされ、奏は気付く。

 胸の奥で黒々とした炎が燃え盛っている。

 それが常に憎しみと怒りを脳の中に流し込み、奏の感情を染め上げていく。

 ノイズとは関係のない、ごく普通の人達に対しても噛み付いてしまいそうになるほどに。

 

 復讐の衝動が、消えない憎しみが、内から胸を焼いているのが彼女には分かる。

 もう、かつての天羽奏はどこにも居ない。

 もう、かつてのように屈託なく笑えない。

 もう、かつて過ごしていた日常には帰れない。

 あの時、ノイズに『天羽奏』と『自分の居場所』すら奪われていたことに、彼女はようやく気付いたのだった。

 もう帰る場所はどこにもない。

 ひどい色合いの復讐心に塗り潰された心の色は、もうかつてのようには戻れない。

 けれど、それでもいいと、奏は思う。

 

 将来の夢ももう見れやしない。

 だって、『そんなものは心底どうでも良くなってしまったから』。

 ぼんやりと親に憧れる気持ちから生まれた、儚く薄いぼんやりとした夢は、考古学者か歌手になりたいなあと中学生の胸に秘められた夢は、復讐の炎に焼かれてしまった。

 愛していた両親も、自分の居場所も、うっすらと抱きかけていた自分の夢も、『天羽奏』ですらも、あの日ノイズに襲われたあの場所で、きっと灰にされてしまったのだ。

 

 『天羽奏』も、きっとあの日に殺されてしまったのだろう。

 だって今の奏は、今の自分がこれまでの自分と根本的に違うのだと、本人がそう自覚できるくらいに、変わり果ててしまっているのだから。

 すぐそばで両親の死に様を見せつけられたことが、彼女を歪めた。

 大切なものが抜けた穴を憎悪で埋め、ノイズを皆殺しにするという歪んだ夢を持ち、平穏な日常の中で生きられない人間に彼女を変えた。

 

 

「え?」

 

 

 だから、それは必然だった。

 

 

「姉さん、それ、どういうこと……?」

 

「何度も言わせんな」

 

 

 かつて彼女の中にあった、彼女が間違えることのなかった『大切なことの優先順位』は、あの日の悲劇で完全にぶっ壊れてしまっていた。

 

 

「あたし達は親戚の家に引き取られる、って話になってるが。

 あたしは行かない。お前一人で行くんだ。ここでお別れってことになる」

 

 

 両親が死に、姉妹は親戚の家に引き取られることになっていた。

 住み慣れた我が家の前で、奏は愛する妹に決別の言葉を吐く。

 それは、妹を見捨てる言葉だ。妹を守ることを姉が放棄することを意味する言葉だ。

 二人ぼっちになってしまった家族なのに、なのに離れていくという別れの言葉だ。

 なのに、これは気まぐれでも何でもない必然。

 何故ならば今の奏には、妹よりも復讐の方が大事なことだったから。

 

 

「あたしを、一人にするの……?」

 

「そうだ」

 

「もうたった二人だけの、血の繋がった家族なんだよ……?」

 

「そうだな」

 

「あたし、姉さんだけはずっとそばに居てくれるって、信じてて……」

 

「そうか」

 

「……ッ!」

 

 

 奏には見えていない。

 今の彼女には復讐の炎と、復讐すべき怨敵しか見えていない。

 愛すべき妹の目尻に浮かんでいる、小さな水の滴にすら気付いていない。

 

 

「大丈夫だ、お前はあたしなんかよりずっとしっかりしてるんだから、一人でやっていけるさ。

 あたしなんかよりずっと頭が良くて、ずっと真面目なんだから。

 模試で毎回全国10位以内に入ってるの、実は学校で自慢してたんだぜ?

 お前はあたしなんて居なくても十分やっていけるよ。危ないことに付き合わせる気はない」

 

「違う! 違うよ! あたしが聞きたいのはそういう言葉じゃないの!

 なんで分からないの!? 一人で、家族も居ないのに、やっていけるわけないじゃない!」

 

 

 致命的に大切なことの優先順位を間違えたまま、天羽奏は復讐に走る。

 妹に背を向け歩き去る奏。大切なものに背を向けて、彼女はどこかへと去っていく。

 

 

「なんで、なんで分かってくれないのよ! なんで分からないのよ! 姉さんのバカぁッ!」

 

 

 天羽奏は復讐者であった。

 そのためなら家族を切り捨て、安らげる暖かな居場所(ひだまり)すら求めず走り続けられ、自分の命すらも投げ打てるだけの覚悟を持った復讐者であった。

 彼女は自分が間違っていることなどとっくのとうに分かっている。

 自分が狂いかけている自覚すらある。

 それでもノイズを皆殺しにできるなら、自分の命も尊厳も正気も犬に食わせかねないほどの気概をも持ち合わせていた。

 

 奏はあらゆる場所を旅して回った。

 その嗅覚は人並み外れ、洞察力は異次元の域にあり、出来が悪いわけではなかった頭はかつてないほどに活用され、ゼファーとは別ジャンルの直感が異様に冴え渡る。

 糸くずのような情報を拾い集め、それを一本の糸により合わせ、その糸を辿って求めるものを探り当てる。

 

 紆余曲折。

 不良を殴り、ヤクザを殴り、報復を返り討ちにして潰し。

 彼女はとある廃ビルで、50を超える荒くれ者達に囲まれていた。

 

 

「へへっ、大人しくしろよ~」

 

 

 とある金持ちの子息のみが通う学校がある。

 金持ちの子息は財力と、教養で得た悪知恵を用いて、近隣の不良グループやヤクザを自分の傘下に加えていた。この荒くれ者達は、そのボンボン共の手下というわけだ。

 ボンボンはシステムを組み上げ、自分達の財布を痛めず弱者より金を吸い上げる形で、不良やヤクザに甘い汁を吸わせ続ける。

 そこに現れた奏が全てをぶち壊しかねないほどの大暴れを、特に意味もなく為してしまった。

 だからこそ、これだけの数を用意されてしまったのだろう。

 

 

「大人しくしてれば、いいキモチにさせてやっからよー」

「いー薬もいー男もこんなにたくさん居るんだからなぁ」

「むしろ期待してるんじゃねえの? いいカラダしてるもんなあ姉ちゃん」

 

 

 奏は同年代と比べるのが可哀想になるくらい、発育がいい。

 それこそ雑誌のグラビアが見劣りするくらいだ。

 本人が薄着や露出の多い格好を好むのもあって、平時でも男の劣情を誘う。

 彼女を囲む男達が下卑た笑いを浮かべているのは、そういう『期待』もあるのだろう。

 

 これだけの数を普通の人間がひっくり返すのは無理だ。一級の格闘家でも不可能だろう。

 数がいるというのはそれだけで強い。

 数にあかせて体で当たり、転がしてしまえば後は手足の上に数人乗るだけで終わってしまう。

 更に、どんな素人でも手足や服を掴むことはできる。

 人間に掴まれればその重みで、機動力や技のほとんどは封じられてしまう。

 二人か三人に掴まれれば、その時点で何もできずに転がされてしまうに違いない。

 敵が三人が四人もいれば、常識的な人間では勝ち目はないのだ。

 

 奏は男達に呆気なく押さえ込まれ、女として陵辱の限りを尽くされるだろう。

 

 

「一つ言っとく」

 

「え?」

「へへ、なんだ命乞いか?」

「殺しはしねえようぅ、許してくださいって言ってもひぃひぃ言わせてやるけどなぁ」

 

 

 ただ、それも普通の人間であれば、の話で。

 

 

「死なないように気を付けな。あたしはまだ殺人容疑で指名手配される気はないんだ」

 

 

 30分も経たない内に50人を気絶させるほどの超人は、普通の人間とは言わない。

 

 

「ひ、ひぃ……!」

 

「おーおーやっぱお前がお山の大将か。勘だったけど、最後に残しといてよかったぜ」

 

「お、お助けください! 土下座でもなんでもします! お金ならいくらでも払います!

 ですから、ですから、どうぞなにとぞ命だけは! お、お願いしますぅ!」

 

「は? てめえ命を粗末に扱ってんじゃねえぞ!」

 

「は、はぃぃぃぃすみませんッ!」

 

「命なんざいらない。あたしが欲しいのは、お前が持ってる情報なんだよ」

 

「じょ、情報?」

 

「そうだ」

 

 

 家族を殺された痛みで復讐に走る、手負いの獣はニタリと笑う。

 それは百獣の王が、獲物を前にして見せる攻撃的な表情と同じで。

 怒りの表情よりもむしろ数倍、目の前の弱者を心胆寒からしめる。

 

 

「お前の親父が一枚噛んでるっていう『絶対たる力』の話……詳しく聞かせろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『絶対たる力』。

 それは第二次世界大戦時に使われていた、聖遺物の軍事転用を指す単語である。

 転じて、それが元になったシンフォギアプロジェクトを指す言葉でもある。

 対ノイズに絶対的な力を持ち、完成すれば既存兵器に対してもほぼ無敵の力を発揮するシンフォギアにこそ、まさに『絶対たる力』の名はふさわしい。

 奏が求めていたものは、力だった。

 無力な自分を補い、ノイズをぶっ殺す力をくれる何かだった。

 

 奏に脅された不良の元締めのボンボンの父親は、矢薙内閣情報官の部下だった。

 彼女にケツを蹴られて脅され、素でそこそこ優秀な彼は父親のPCのフォルダロックを解除、中身を全てコピーして奴隷のように彼女に全て差し出した。

 二課はその成り立ちの経緯から、超法規的措置を行いやすい。

 ゆえに監査も厳しく行われている。そのデータの全てを、奏は手に入れた。

 

 そうして彼女は、二課の入り口近くまで辿り着いていた。

 

 

「地下、だな。さあ、どこだ……?」

 

 

 内調の一人のPCから得た程度の情報では、二課への正確な侵入経路は分からない。

 セキュリィの穴なんてものはもっての外だ。

 例えば二課で最もこの手のことに向いている緒川に、これと同レベルに情報が足りていない前提で敵地に忍び込ませたとしても、成功率は五分五分といったところだろう。

 なのに奏は、いともたやすく二課への侵入に成功していた。

 

 数kmの長さのあるエレベーターシャフトを壁の出っ張りと凹みに手をかけつつ、時に休憩もしつつ、降り切る。

 赤外線を勘でかわす。

 ドアが閉じられている所はエアダクトをくぐり抜けて突破する。

 セキュリティが甘すぎる? 否、そうではない。

 「人間では突破できない」前提のセキュリティを、軽々と突破するこの少女がおかしいのだ。

 

 

「ノイズをぶっ殺すための、あたしの絶対たる力はどこにある……!?」

 

 

 彼女はやがて、人の気配のない廊下に辿り着く。

 何もない。なのに、彼女の警戒心が少しざわついた。

 何かが居る、と彼女は思う。

 何もいない、と確認をする。

 気のせいか、と一息をつく。

 

 

(……求めたものが目の前で、しかもいつ見つかるかも分からないからって、警戒し過ぎか?)

 

 

 そんな意識の一瞬の隙。

 彼女の横のドアが突然開き、それと同時に発砲音。

 完全に意識の隙間を狙われ、それを回避するのに彼女は転がるように体制を崩さざるを得なかった。

 

 

「!?」

 

 

 転がり、跳ね上げるように体を起こした彼女の鳩尾に迫る棒状の何か。

 物干し竿。家庭でよく見る、物干し竿だ。

 それがあまりにも常識を外れた速さで、奏の鳩尾に迫る。

 

 

「なんだってんだよっ!」

 

 

 それをかわそうとするも、立ち上がるのと同時だったこと、その物干し竿が突き出される速さが異様に早かったことが重なり、奏はかわしきれずに左肩に当てられる。

 回避した直後で踏ん張れなかったこととその威力が合わさって、奏は後方にゴロゴロと転がりながら吹っ飛ばされた。

 

 

「い、だだだ、ぁっ……!」

 

 

 歯を食いしばって痛みを抑え、左肩から走る激痛に表情を歪める。

 骨が折れた様子はない。どうやら、当たった瞬間に加減されたようだ。

 それを確認し、体を起こそうとして、奏は起き上がるのをピタリと止める。

 

 今しがた自分をぶっ飛ばした敵が、自分の額と胸に銃口を突きつけていたからだ。

 

 

「今額に突き付けてるのは実銃。撃てば死ぬのは分かるな?

 今胸に突き付けてるのは麻酔銃。こっちが最初に撃ったやつな。

 今この瞬間からお前が余計なことをすれば、俺は『念の為に』引き金を引く」

 

 

 本気だ、と奏はその言葉が真実であると確信した。

 目が本気だ。言葉が本気だ。雰囲気が本気だ。

 額と胸に銃を触れさせず、相手が暴れても銃口を弾かれないようにしているあたりが、こうして人に銃口を突きつけることに手慣れた人種なのだと奏に知らしめる。

 

 そこで初めて、奏は自分が相対していた人間の容姿を確認する余裕ができた。

 青い目に、少し焼けた色合いの肌、黒い髪、日本人とは違う顔つき。

 外国人の、もしかしたら自分と同年代かもしれない少年。

 銃がひどく馴染んでいるその容姿は、褒めるべきなのか褒めるべきでないのか。

 

 

「お前が大人しくしてるなら撃たない。暴れるなら撃つ」

 

 

 その目に、言葉に、雰囲気に。

 奏は何故か、途方も無い共感と、わけの分からない敵意を感じる。

 例えるのなら。

 例えるのなら、自分の人生を題材にした物語の二次創作で、自分の人生とは全く別の何かしらの結末を見て、そこに言いようのない拒絶感を感じたような、そんな感覚。

 似ているのに違う。近いから違いがよく分かる。

 共感はできるかもしれないが理解からは最も遠い。

 この少年は死を知っている。復讐心を知っている。憎悪を知っている。

 

 なのに、違う。

 

 その感覚の正体を知ったのは、この日から数日経った後だった。

 

 

「イエスかノーで答えろ。大人しくしててくれるな?」

 

 

 これがゼファー・ウィンチェスターと、天羽奏のファーストコンタクト。

 

 

「……イエス」

 

 

 二人の出会いは、戦いから始まった。

 




原作シンフォギアでは妹ちゃんも神獣鏡発掘時に殺されてます
当作で生きている原因はとあるバタフライ・エフェクト
原作の奏さんは本気で何も残らなかったようですね

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