戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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 この作品はダメダメで情けなくて時々精神を病んだりする主人公がシンフォギア装者やOTONAと出会ってちょっとづつマシになっていく話です
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 第一話の後書き
 さて、十七話と十八話で三章は終了。話が動きます


第十七話:涙に浮かぶ未来

 

 

―――終わりの引き金は、いつとて絆。

 小日向未来と立花響は、ゼファー・ウィンチェスターにとって―――

 

 

 

 

 

第十七話:涙に浮かぶ未来

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、朝起きた時。

 ゼファーは自分が、渡っていた綱の上から落ちたような錯覚を覚える。

 切らさないよう、切らさないよう、やせ我慢していた気力がぷっつりと切れていた。

 

「……あ」

 

 そうならないように気を張っていたはずだったのに、平穏に気が緩んでいたのだろうか。

 それとも先日の戦いの中で覚えた『力への渇望』の影響で、力を求めた理由の決意、力を求めた原因の悲劇の記憶を再度思い出したからだろうか。

 いや、違う。

 それが久方ぶりに、死んでいった仲間の夢を彼に見させたからだろう。

 

「あ……う」

 

 這い出てきた仲間や友人に引きずり込まれ、闇色の泥に呑まれる夢。

 耳元で囁かれる呪詛。恨み事。彼の思い込みが産む、死者の怨念の言葉の数々。

 「どうしてお前だけ生き残ったんだ」という声が、ゼファーの心を削っていた。

 彼の視点では、日本に来るまでに大切に思っていた人間は、一人残らず死んでいる。

 それゆえに神の視点から見れば彼の葛藤は酷く滑稽で、哀れで、間違っていた。たとえ、ゼファー・ウィンチェスター本人がどれほど苦しんでいるとしても。

 大切な者の死が刻んだ傷は、彼が他人を守ろうとするモチベーションの源泉であり、自分が生きていることの価値への疑問を産む根源であり、トラウマと呼ばれるものである。

 

「じ、じ……銃……」

 

 ゼファーは枕元に置いていた銃を掴み、撃鉄を額に押し当てる。

 

「い、い、い、ひっ」

 

 弾倉こそ入っていないが、二課の備品たる本物の銃だ。

 引きつった声を上げ、ゼファーは銃を強く握る。

 長年彼の命を守ってきた、彼のそばに居てくれた、戦う時はいつも一緒だった、それがないと眠れない時期もあった、そんな『銃』という存在が彼の心を落ち着ける。

 

「っ っ っ っ っ」

 

 ゼファーは額から銃を離し、引き金を引く。何度も、何度も。

 カチカチカチと音が鳴り、弾のない銃が作動する。

 銃を握る、引き金を引くという動作が、元少年兵の心の歪んだ部分に作用し、精神安定剤のような役目を果たす。それは一種、プリショット・ルーティーンと呼ばれるものに近い行動だった。

 『戦いの中ではどこまでも冷静になれる』という己の心の一面を利用した、彼なりの自己暗示に近い行動である。

 

「……ぁ、ぅ」

 

 少し落ち着いた、と考えられる程度には回復した途端、ゼファーは洗面所に向かって走り出した。ほとんど液体でしかない吐瀉物を吐き、洗面台に置いてある向精神薬を口に放り込んで、コップの水で一気に流し込む。

 壁に背を預けて銃を握り、しばらく俯いていたゼファーだが、時間が経つにつれて徐々に回復してきたようだ。

 

「あー……ちょっと落ち着いてきた。

 久々だな、こういうのも。最近薬もほとんど必要なかったのに」

 

 今、頭の中だけで思考をグルグル回すと危険な自覚があるため、ゼファーは思考をわざわざ口にして脳の中身の整理を図る。

 立ち上がる体はストレスのせいか妙に調子が悪いが、先程までの不調ほどは悪くなさそうだ。

 

「久々だからか、格別ダメージがデカく感じるな……

 こういうの無くさないと、いつまでも、普通の人と同じラインにも立てやしないってのに」

 

 ゼファーの言う通り、昔は彼を頻繁に苛んでいた悪夢の数々も、平和な国+周囲の人にとても恵まれた環境+薬+癒してくれる時間のコンボにより、次第に彼の頭の中から追放されていった。

 ありきたりなドキュメンタリー風に言うならば、心が傷付いていた元少年兵が、平和な国の平和な日々と平和な人々とちょっとした――ちょっとしてない――イベントの数々により、社会復帰を成し遂げつつある、といったところか。

 

 悪夢の頻度は減った。

 だが、完治したというわけではなかったようだ。

 今でも彼は過去を引きずっている。

 これを完治するには、彼の認識を根本からひっくり返すような何かが必要なのだろう。

 

「……走るか」

 

 悩んだ時、気分が落ち込んだ時、体を動かせと彼に教え込んだ大人、子供は誰なのだろうか。

 そんな脳筋な戦犯達の影響により、ゼファーは早朝マラソンの準備を始める。

 時計を見なくても、今が四時から五時くらいと理解できる程度には、彼は日本の太陽の位置というものに慣れてきていた。

 

「よし」

 

 ゼファーは半ズボンを履くことはあるが、外で半袖を着ることはない。

 昔は外でも半袖で平気で歩いていたが、常識が身に付くにつれてその機会は減っていった。

 ゼファーは鏡の前でその原因を、"醜く焼け爛れた両腕"を、洗面台の鏡の前で持ち上げる。

 

「……」

 

 あの日。

 腕に抱いたセレナが消えていく感覚と、何故かそれと同時に発生した腕が火に焼かれる感覚を、ゼファーは今でも鮮明に覚えている。

 喪失と、痛み。その二つが彼の中で同一のものと扱われている要因の一つだ。

 その腕は汗をかいたり皮膚が生え変わることもなく、了子が融合症例と呼ぶ特殊な肉体によりなんとか異常を起こしていない状態で、所々変色しておりそのほとんどがケロイド化していた。

 

 長袖のアンダーシャツ。半ズボンのジャージ。

 そこに未来と響からもらった手袋を付けた。

 こまめに手入れされている手袋は痛みも少なく、臭いも薄い。

 最近土場に貰ったスポーツシューズを履いて、ゼファーは部屋の外に出る。

 土場はゼファーの中で、会う度に何かしらくれる気のいいおじさんポジを確立しつつあった。

 

「行ってきます」

 

 誰も居ない部屋に向かい、ゼファーは行ってきますと口にする。

 その視線は部屋の中に置いてある、友人から貰った犬のぬいぐるみに向いていた。

 

 今のゼファーは、とあるアパートの二階の部屋に一人暮らし。

 部屋を出て、カン、カン、カンと音を鳴らす金属の階段を降りていく。

 二課のセーフハウスでもあるこのアパートの管理人に朝の挨拶を述べ、ゼファーは駆け出した。

 

「お、ゼファー君。今日も精が出るね」

 

「おはようございます!」

 

 しばらく走っていると、朝の走り込みの度に会う老人とすれ違う。

 朝の挨拶を交わし、微笑む老人を背にゼファーは走る。

 

「走りに迷いがあるな。それではいかんぞ、少年……」

 

「パパー、変なものでも食べたの?」

 

 歩道橋の上からゼファーに聞こえない程度の声で話している父娘。

 ゼファーを追い越して行く大学生のマウンテンバイク。

 早朝から朝の仕込みを初めている食品店の中年女性。

 すれ違う人達に時折頭を下げながら、ゼファーは走り続ける。

 ここは彼の住む街。街に住まう人々との繋がりも、どこか暖かい。

 

(……全力疾走の維持時間も、体力も、そこそこ伸びてきたな……)

 

 息を整えつつ、町から町へと渡るように走るゼファー。

 普通の人間なら足が壊れるペースと頻度での走り込みを毎日続けた結果、融合症例の超回復もありゼファーの脚力は相当に向上していた。

 もう後数ヶ月もすれば、この走り込みもほぼ毎日続けて二年間。

 最初と比べれば、所要タイムも半分以下である。

 

「あ」

「あ」

 

 そんな中、ゼファーは友人とばったり出会うのだった。

 

「ミク?」

「ゼっくん?」

 

 ジャージ、アンダーシャツ、手袋装備のゼファーに対し、未来は小学校の体操服。

 二人共動きやすい格好で、どうやら走り込みをやっていた様子。

 視線を交え、二人は目だけで少々の意思疎通をし、ゼファーがペースを落とすことで並んで走り始めた。

 

「どうしたんだ? ミクがこの時間に走ってるの、初めて見たけど」

 

「すぐってわけじゃないけど、マラソン大会があるの。ちょっと頑張ってみようかなって」

 

「へぇ……」

 

 人間は皆、一人では生きていない。

 周囲の人間に影響され、周囲の人間に影響を与えていく。

 何かに向かって日々頑張るゼファーが、周りに少しづつ与えている影響が、ここにまた一つ。

 何か頑張ってみよう、とふと思った、小さくとも確かな彼女の気持ちがそこにある。

 

「私のペースに合わせなくてもいいんだよ?」

 

「いや、今日は友達と走りたい気分なんだ」

 

「ふふっ、それどんな気分なの?」

 

 ゼファーの朝は、そうして友達との走り込みから始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーの現在の主な職場は二課、及び『私立リディアン音楽院高等科』である。

 小中高一貫教育であり、編入もできる私立の音楽学校だ。

 とはいえまだまだ実績も少なく、生徒数も少ない。

 こういった学校での入学志望者数というものは、だいたい偏差値・制服の可愛さ・卒業生の進学実績や就職実績によって決まる。

 まだ創立6年のリディアンに実績を求めるのは、酷というものだろう。

 

 そんなリディアンの校門と昇降口の間を、ゼファーは箒でひたすら掃いていた。

 服装は朝の走り込みの時とは打って変わって、紺の作業着に帽子である。

 

「あ、あの用務員さんだ、おはよー」

「おはー」

 

「あ、おはようございます」

 

「あはは、かたくるしー」

 

 道行くリディアンの女子高生達がゼファーに朝の挨拶をし、ゼファーが帽子を取って挨拶し、彼女らがくすくすと笑いながら通り過ぎて行く。朝からそんな光景が何度も繰り返されていた。

 この学校の生徒らは自分とそう歳の変わらない、それも外国人の少年が用務員として働くようになったことに物珍しさを感じたようで、ゼファーは早くも何人かに名前を覚えられていた。

 編入生が定期を買う時に必要になる通学証明書など、普通の書類の手続きなどのやり方もそこそこ教わっていたため、備品管理などと合わせて便利屋として親しまれ始めている、という側面もあったが。

 

「おはよっ」

「おはよーさん、ウィンチェスターさん」

「おはよーございまーす」

 

「おはようございます」

 

 徐々に朝のHRの時間が近付き、道を通る生徒の数も増えていく。

 ゼファーが箒で掃いたゴミや砂、落ち葉をちりとりで取っていると、校門の方から歩いてきた少女が彼に話しかけてきた。

 

「おーおー、モテモテだねぇ」

 

「カナデさん」

 

「お前もここ通えばよかったのに」

 

「俺男でここ女子校なんだけど……それはそれとして、弁当忘れたよな? はい、これ」

 

「お、サンキュー」

 

 地下にある二課、地上にあるリディアンは上下に重なるように位置している。

 そして今の奏は二課の個室に住んでいる。寮と校舎に近い位置関係だ。

 ゆえに、忘れ物をしたならばすぐに届けられたはずなのだが……今日は運悪く、奏が朝からノートを買いに外に出てしまっていた。

 で、あるからして、ゼファーはここで掃除をしながら彼女を待っていたのである。

 

「絵倉さんのメシうめーよなー……お前と違って」

 

「あはは、俺の料理が雑なのは中々改善されなくてなあ」

 

 制服を着て、弁当を片手に吊って、天羽奏はニヤニヤと笑う。

 ゼファーは思う。

 彼女も随分とここの平和な生活に慣れ、雰囲気が柔らかくなったな、と。

 そして、もしもここに日本に来る前のゼファーを知る者が居たならば、ゼファーが奏に抱いた気持ちと同じものを、ゼファーに対して抱いていただろう。

 人は変わる。変わらない思いもある。

 けれど、変わらずには居られない。

 人は一つの気持ちだけで生きてはいけないのだから。

 

「さっさと行かないと授業遅れるぞー」

 

「おっととやべやべ。そんじゃ、行ってくる」

 

「行ってらっしゃい」

 

 変わったのか、変えられたのか。

 そんな二人は、学校のチャイムを耳にしながら、背中合わせに歩き出していった。

 

 

 

 

 

 その日からまた後日のこと。

 

「ほらお前らもっと離れろ! 危ないって言ってんだろ!」

 

「えー」

 

「心配し過ぎじゃない?」

 

「草刈機と農薬を甘く見るな! お前ら女の子なんだからそういうの気を付けろよ!」

 

 草刈機と農薬を隅に置きつつ、叱るゼファー。

 いまいち実感の湧かない小学生の未来と響。

 そんな三人。今日はいつも訓練に使っている空き地に手を入れようとしているようだ。

 

「お前らこの芝刈り機は指が触れたらポーンって指飛ぶぞ、ポーンって」

 

「ひえええ、そうなの?」

 

「そうなんだ、ヒビキ」

 

 普段世話になっている空き地だ。

 ならば自分が手を入れるのがスジだと、ゼファーはそう思う。

 まあ彼が思い立ったきっかけは毛虫被害の本を読み、この空き地に毛虫などがたくさん湧いてこの子らが刺されたら、という危惧であったのだが。

 

「農薬なんて猛毒だぞ猛毒。飲んだら死ぬからな、お前ら」

 

「だからそんなに薄めてるの?」

 

「そういうこと。100倍に薄めても草は死ぬんだ」

 

「うわぁ、触りたくないなあ」

 

「原液は絶対触るなよ、ミク」

 

 上長袖ジャージ。下長ズボンジャージ。軍手装備。

 泥臭い仕事をする時はオッサンスタイルになるゼファー。

 その手によりみるみる内に雑草が刈られていき、除草剤と発芽抑制剤が撒かれていく。

 

「あ、そういえば。お母さんがゼっくんにお礼言ってたよ。庭の雑草のことで」

 

「あー、あんぐらいなら別に大した苦労でもないって」

 

「今度うちに来て欲しいって。美味しいもの食べさせてくれるかもよ?」

 

 健康的なのか非健康的なのか。

 ゼファーが二課の大人から善意で貰ったものの、ほとんどプレイされていないGBAと僕らの太陽を「おお」と言って手に取りつつ、響が母の感謝を伝える。

 この日の午前中を、ゼファーは立花家と小日向家の庭と周囲の雑草処理に費やしていた。

 彼なりの友人達への善意、といったところか。

 あるいは本に影響されて毛虫などの脅威を多く見積もりすぎているのか、どちらかだろう。

 

「うちのお母さんもお礼言ってたよ。あと、これ持って行けって」

 

「なにそれ?」

 

「レモンの砂糖漬けだって」

 

 未来がバッグから取り出したタッパーの中身に、三人がそれぞれ手を伸ばす。

 

「すっぱっ」

 

 すっぱさに敏感な響が、すっぱそうに表情を変える。

 

「うん、いい塩梅に甘いね」

 

 甘酸っぱさをいいものとして味わえる未来は、出来の良さに首を縦に振る。

 

「美味いな」

 

 そしてゼファーは、不味かろうと美味かろうと美味いという男であった。

 

「ゼっくんはいつもそれだよねえ」

 

「あははっ」

 

「本当にそう思ってるんだからしょうがないだろ?」

 

 笑う二人からの視線を誤魔化すように、ゼファーはまた一つ、レモンの砂糖漬けに手を伸ばす。

 お母さんから、と彼女は言ったが。

 体の疲れに効くそれを作ったのが未来であったことに、タッパーに手を伸ばす響とゼファーは、ついぞ気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーが仕事、自主勉強、鍛錬、人との触れ合いで一日を消費するように。

 学生は学校で一日の大半を消費しつつ、思い思いに残りの時間を費やしている。

 例えば翼なら、放課後は二課の手伝いか武術の鍛錬。

 彼女は友達が少ない。

 皆無ではないが、誰かと一緒に帰りに遊ぶ、といったイベントはほとんどなかった。

 ちなみに奏はそういうイベントが日々増えている模様。

 必然的に、友人との模擬戦を行うと、その相手はゼファーが多くなる。

 

「っ!」

 

 ひゅっ、と翼の手刀が空気を切り裂き。ぶぉん、とゼファーの拳が大気を巻き込む。

 互いが受け、かわし、流し、弾き、打つ。

 こうやって年単位で打ち合っていれば互いの呼吸なんて手に取るように分かるものだ。

 二人の戦いは、近年洗練された美しさすら持つようになっていた。

 

「俺達、強くなったよな!」

 

「ええ、出会った頃と比べたらね!」

 

 翼がジャブを打ち、ゼファーがそれを受ける。

 しかし翼の技巧が光る。足の踏み込みを調整、腰を強くひねり、翼は打っている途中にジャブをストレートに化けさせた。

 が、直感持ちのゼファーには通じない。

 ゼファーは受ける手を返して翼の拳に手の甲を添え、外側に押し流す。

 

「だけど……私は、私達はまだ、強くならないといけない」

 

「……ああ、そうだな。強く……ならないとな。死なないために」

 

 崩す、いなす、流すなどの柔の技。かちあげる、押し開く、押し崩すなどの剛の技。

 そこに武器の使用の概念も加わる、剛柔自在が風鳴翼の持ち味だ。

 総合格闘技があらゆる格闘を混ぜ合わせたものなら、彼女のそれはさしずめ総合戦闘技。

 最初から銃相手の戦闘すら考慮に入れている。

 

 対しゼファーはとことんしぶとく、ごちゃまぜだ。

 バル・ベルデの大人に習った戦闘術を基礎に、クリスの銃技を取り入れ、F.I.S.での戦闘経験で形にし、風鳴弦十郎・緒川慎次・天戸・甲斐名・翼といった面々からの指導に、それらの人物達との模擬戦。及び、ノイスとの十年近い戦闘経験。

 進化した直感に加え、引き出しが多すぎて何が出てくるか分からない。

 そのせいで、彼は恐ろしくしぶとかった。

 

 だからこの二人が戦うと、戦いが長引くことが度々ある。

 

「ぜぇ、ぜぇ……きゅ、休憩に、しま、しょうか……」

 

「……だ、な」

 

 息切れる二人。今日も模擬戦は、翼の勝利に終わる。

 ゼファー視点では翼との戦績はいまだに全戦全敗であった。

 翼はいまだに、最初のあれは自分の負けだったと主張しているのだが。

 

「勝てねーなぁ、俺」

 

「相性が良いのかもね、私」

 

 得意気に笑いつつ、翼は心中に一つの疑問を抱えていた。

 何気ない疑問であり、他人に話しても共感は得られないと彼女が思い込んでいる疑問であり、先日シンフォギアでの初の実戦を終えたからこそ、抱いた疑問だった。

 彼女はシンフォギアでの実戦の感覚が身体から抜けない内に、シンフォギアで戦うための技術へと、自分の武術を適応させようとしていた。

 

(そう、あの感覚と、あの身体能力、武器のサイズに最適化するために……)

 

 そう考えながらゼファーと戦い、そこで彼女は疑問を抱く。

 疑問が産む思考に従い、翼は今の自分に足りない動き、シンフォギアで動くことを前提とした動きに足りないものを真似して補う。ゼファーの動きを自分の動きに取り込んだのだ。

 すると、動きが翼の理想にかなり近付いたのだ。

 ゼファーの動きを自分の動きに取り入れた、ただそれだけで。

 

(やっぱり、これは……)

 

 翼はゼファーをよく理解している。

 付き合いも長いし、共に乗り越えてきた危地も多い。

 そこに"その人の見方"が変わるきっかけが加わって、彼女の中にその疑問を生んだのだ。

 

 『ゼファーの戦い方は、人間という前提が間違っているのではないか』と。

 

 了子が融合症例と呼ぶ特異体質のおかげで異常な鍛錬を重ねられるだけで、ゼファーの武の才能は平均以下と言っていい。

 誰だって実際に鍛えてみればそこそこに向き不向き、言い方を変えれば才能が見えてくる。

 そこで長所を伸ばし、短所を補い、山谷ある各能力のバランスを限りなく凸凹した球に近づけていく。これを修練と呼ぶのだ。

 

 人によっては各能力に伸び悩む壁があり、伸び代の有無があり、最終的に至るこれ以上伸ばすことが難しいという頭打ちの天井がある。

 変な部分に無駄な時間を使うより、致命的な部分を補った方がベターなのだ。

 格闘に向いてるなら格闘前提、剣に向いてるならば剣の使用を前提として、致命的な弱点を埋めつつ長所を伸ばしていくのが"強くなるということ"である。

 しかし、ゼファーにはそういった向いているものがほとんどなかった。

 

 何やっても地味にしか伸びず、重ねた時間の割に伸び代があまりない。

 かと思えば窮地には積み重ねた時間で得たものを組み合わせ、爆発的に伸びる。

 身体能力の限界値も低いことは目に見えていて、なのに弦十郎の拳を自分なりにコピーして使用したり、曲芸のようなカカト落としを実用レベルで編み出してくる。

 改めて見ると、何もかもがちぐはぐだった。

 

(いや、ちぐはぐというより、これはむしろ……)

 

 翼はゼファーの才能の割り振り方というか、配分に違和感を感じる。

 才能がない、ということはない。

 戦いの中で時折見られる片鱗から、ゼファーは何らかの分野に向いた才能があるはずなのだ。

 例えばそれにそうそう気付けないような、その才能に才能の大半が偏っているような、そんな才能があるはずなのだと、あくまで推測ではあるが翼はそう思う。

 

 人間として当たり前の基礎として振られている分の才能リソースまでもが削られ、まだどんなものなのかも分からないその才能に割り振られているような、そんな印象を改めて彼女は受ける。

 シンフォギアという『普通の人間とは違う戦い方』を前提とした武具を用いた彼女だから、ゼファーとずっと戦い続けてきた彼女だから、そこに疑問を持つことができた。

 まるで普通の人間の戦い方とは全く違う概念の戦い方に特化させた存在が、想定されていなかった『普通の人間の戦い方』に無理やり馴染まされて使われているような、そんな……そんな、ゼファーの戦い方の中にある歪んだ一点に。

 

 あくまで推測でしかない、抽象的過ぎる思考だが、そもそもの話翼が感じたことから生まれた疑問を、無理矢理に言葉にしているので仕方ない。

 

「どうした、ツバサ」

 

「……ううん、なんでもない」

 

 風鳴翼は思うのだ。

 シンフォギアの性能、聖遺物の能力を前提とした戦闘術。

 それを無自覚に、シンフォギアも纏えないのに、ただ生きて強くなろうとする過程で自然と身に付けていくゼファー。その才の片鱗を見せるゼファー。

 ……それはとても、怖いことなのではないかと。

 

 ゼファーの意志とは無関係にどこかを向いている、彼の中の何か。

 そこに翼はなんとなく、恐ろしさを感じてしまう。

 これが彼女のふわふわとした感覚から生まれた妄想のような推測でなければ、翼はゼファーにそれを伝え、周囲に相談し、何かしらのアクションを起こしていただろう。

 けれど、そうはならず。

 

 翼はかぶりを振って、彼との模擬戦を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 櫻井了子がほっとしていること、その一。

 そろそろゼファーを学校に行かせて同年代ともっと会話させてやりたい、という自分の計略が回りまわって成功したこと。

 そうして戦わなくても生きていける道、それを彼の中に想像させてやること。

 風鳴弦十郎がほっとしていること、その一。

 ゼファーが明確に働いている枠になり、給料を真っ当に受け取ってくれるようになったこと。

 その二以降は省略する。

 

 ゼファーは働き者の割にあまり無駄遣いもせず、危険手当や機密費からの特別報酬もある。

 国家予算から見れば瑣末な、しかしこの年頃の子供からすればびっくりするくらいの額がゼファーには支払われている。彼は意外に高給取りだ。

 弦十郎が彼のために作った口座の額を見れば、響はともかく未来は目をむいてしまうだろう。

 

 そんなゼファー、響、未来の三人。

 彼らは今日、贅沢&無駄遣いのためにとあるお店に足を運んでいた。

 

「お菓子を食べたいかー!」

 

「おー!」

 

「何このノリ……響も、ゼっくんも……」

 

 そう、駄菓子屋である。

 小学生並みの感覚。まあ、というか、現に彼女らは小学生なわけだが。

 

「ねね、ホントに何でも買ってくれるの!?」

 

「ぶっちゃけ単価安いからどんだけ買っても大丈夫だ! 俺に駄菓子ってものを教えてくれ!」

 

「押忍! ありがとう、ゴッド! ゴッドゼファー!」

 

「ご、ゴッド!?」

 

「お菓子食べ過ぎで晩御飯食べられないことが時々ある響。

 何故かお金持ってて気前いいゼっくん。この組み合わせは……私が手綱握らないと……!」

 

 かくして山盛りのお菓子が購入され、ゼファーの自宅に運び込まれるのだった。

 三人は物が異様に少ないゼファーの部屋で、大きめのビニール袋5つ分という脅威の数の駄菓子をテーブルの上に積み上げ、取り囲む。

 

「買っちゃったね」

「ああ、買った」

「食べきれない分山分けにして持ち帰るにしても晩御飯大変そう……」

 

 なお、今回はゼファーの要望によってチョコ関連は回避された。

 以前のチョコ論争の件が彼の中で尾を引いていたのである。

 翼がポッキー派で、天戸がキットカット派で、土場がきのこの山派で、甲斐名がブラックサンダー派で、響が全部好き派寄りの小枝派で、未来がアルフォート派で、ゼファーは全部好き派寄りのコアラのマーチ派ということで決着が付いた派閥論争。

 彼はその再演を恐れたのだ。

 ちなみに奏はチョコボール派であったとかなんとか。

 

「あ、ゼっくん、ハッピーターンはこういう開け方した方がいいよ」

 

「おお、背中から開いた。ミクは詳しいな」

 

「ポテチもこうやって開くと、沢山の人で一緒に食べれるんだよ」

 

 ハッピーターンに手を伸ばしつつ、ゼファーはふと目に付いた、袋の底の方に溜まっている粉を一摘みし、口にする。

 なんか美味かった。

 

「じゃがりこ、マーブルの10円ガムによるタワー! どうよゼっくん!」

 

「ヒビキ、食べ物で遊ぶのはどうなんだ?」

「響、ここはマナーを見せないと」

 

「あ、はい、ごめんなさい」

 

 ゼファーの手にした連結ふ菓子、未来の手にした連結フエラムネが左右から響の頬をペチペチ叩く。

 

「ひもQ、これ俺の部屋の端から端まで届きそうで届かないな」

 

「いや全然届かないよ、ゼっくん」

 

「試してみる? 私がもう片方持つよ」

 

「絶対途中で切れるよ、響」

 

 なんやかんやで、ねるねるねるねVSわたパチ、決選投票開始。

 なお。ねるねるねるね一票、わたパチ一票、棄権一票で引き分けた模様。

 

「このすっぱいぶどうは三つの中に一つだけすっぱいのが入ってるんだよー、ふっふっふ」

 

「あ、ゼっくんは最後に残った一つを取ってね。勘が良すぎるから」

 

「この直感も平和な毎日の中じゃ良し悪しだな……」

 

 これもゼファーが酸っぱいハズレを引いたが、ゼファーの舌は「美味い!」としか言いませんでした、なんていうオチで終わったりする。

 

「あー、食べた食べたー! もー食べられない……」

 

「うーん、これは響がまた晩御飯食べられない感じかな」

 

「俺が小食だった負担も響の方行ってたな……

 残りはとりあえず袋に分けて入れておくよ。適当に持って帰ってくれ」

 

「うん、ありがとう」

「ありがとー、ゼっくん」

 

 にへへ、と笑う響。にっこり笑う未来。

 響がビニール袋に入れられたお菓子を胸に抱いて、部屋の外の階段を降りていくカン、カン、カンという音がゼファーの耳に届く。

 だが、未来は部屋のドアを開けたまま、ドアに手をかけたまま、背中を向けたまま、ゼファーに話しかける。

 

「ね、ゼっくん。私今日まで、ゼっくんが一人暮らしって知らなかったよ」

 

「そういえば言ってなかったな」

 

「お金を持ってるのは、もしかしてもう働いてるから?」

 

「ああ」

 

「前に、私達とそんなに歳変わらないって言ってなかった?」

 

「言ったな。勘だけど、多分歳は三つくらいしか変わらないと思う」

 

 夕日がゼファーに背中だけを見せる未来の影を伸ばし、ゼファーの足に纏わり付き、影に混ざっていく。

 

「それでも、その歳で働いてるのはちょっと変だよ? 外国人だし。

 ……そういえば、って思ったんだ。私達、ゼっくんの身の上をほとんど知らないなって。

 聞いてもはぐらかされてて、今日まではそれでいいなって、妥協してたんだって」

 

「知りたいのか?」

 

「ううん、そういうことじゃなくて、私が聞きたいのは」

 

 もしも今ここで、彼女が振り向いたなら。

 彼女はどんな顔を見せるのだろうか。

 ゼファーは、今未来が浮かべている顔が、全く想像できなかった。

 

「ゼっくん、危ないことしてないよね?」

 

 勘のいい彼女なら、他人をよく見ている彼女なら、友達のことを真摯に想える彼女なら、他人の気持ちを分かろうとする優しい彼女なら、頭も悪くない彼女なら。

 いつかこうして、気付かれてしまう日も来るだろうと、彼も分かっていたはずなのに。

 今の彼女がどんな顔をしているか、彼にはまるで分からなかった。

 

「……」

 

「答えてくれないの?」

 

「ごめんな。答えられない」

 

 いまだ彼女の顔は見えないまま。

 ゼファーに見えたのは、ドアノブを強く握り締めた彼女の手のみ。

 

「真剣に向き合ってくれてる未来に嘘はつきたくない。

 でも、話せない理由がある。話すことで裏切ってしまう人が居る。

 だから、俺は未来には何も話せない」

 

 部外者に機密を漏らさせないための、二課の守秘義務がゼファーの口を固く閉ざす。

 されど、彼が彼なりに未来と本気で向き合おうとした結果、彼の口をついて出たのは笑えるくらいに不器用な言葉の羅列だった。

 嘘をつきたくない。でも他の誰かを裏切るから話せない。

 だから「ごめんな」と彼は謝った。隠し事をしていると言った上で、隠し事をしていることを未来に謝ったのだ。

 

 未来が『友達に隠し事をされる』と傷付く子であると、彼女の友達であるゼファーは、知っていたから。

 なおさらに、彼の中の罪悪感は大きい。

 

「……はぁ」

 

 未来が背中を向けたまま、呆れたように溜め息をつく。

 ゼファーには今の未来の表情は見えないのに、未来には、今のゼファーの表情が手に取るように分かった。

 ゼファー・ウィンチェスターはきっと申し訳無さそうに、曖昧に笑っている。

 小日向未来には、その表情と罪悪感が見ずとも分かるから、こんな我儘を言って彼を困らせている自分への嫌悪感も、彼に全てを明かして欲しいと思う"大切な友達"に対する特別な感情も、彼女の胸の中をかき乱すのだ。

 

「また、明日ね。ゼっくん」

 

「……ああ、また明日」

 

 遠くから、立花響が彼女を呼ぶ声が聞こえる。未来はその声の方向へと駆け出した。

 ゼファーは誰も居なくなった一人ぼっちの部屋で、未来と響に貰った手袋をぎゅっと握る。

 そして目を閉じて、深呼吸して、悩みながらベッドに倒れ伏すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また後日。

 時間はトントン拍子に進んでいく。

 二課の一室で新聞紙をまとめつつ、ゼファーは溜め息を吐いていた。

 

「はぁ……」

 

「恋の悩みと見た」

 

「のわぁ!?」

 

 そこににょきっと生えてきた誰かが、ゼファーをひどく驚かせる。

 生えてきた、というのは彼にそう見えただけで、その当人である土場は横から顔を出しただけなのだが。

 最近付き合いが深くなってきたことで貴族的過ぎる振る舞いや話し方の中に、多大に演技や嘘が混じっていることをゼファーに見抜かれつつある土場は、少年の悩みを聞こうとしている様子。

 

「別に悩みってほどじゃないですよ」

 

「ほーん」

「ふーん」

 

「って、天戸さんにカイーナさん? いつもの三人でいらしてたんですか」

 

「君の中では『いつもの三人』扱いなのか。まあ、私はいいけれどね」

 

 そこに天戸、甲斐名が加わり、土場も混ざっていつもの三人。

 ゼファーは自分が悩んでいる、という部分を否定する。

 

「でも、最近お前が考え事してるの多いって思ってるのは僕だけじゃないみたいだけど」

 

「ああ、それですか。

 いやなんというか、二課関係ない友人に二課のこと明かせないじゃないですか。

 なのにちょっと感付かれて、上手く誤魔化せ……いや、納得してもらえなかったというか」

 

「ああ、そういうのあるよね。だから二課は職場恋愛推奨なんだ。

 僕も二課関係ない彼女居たけど、浮気疑われて面倒くさくなって別れたし」

 

「「「 えっ 」」」

 

 ゼファー、天戸、土場の声が重なる。

 

「おいおいおい、俺ぁ聞いてねえぞそんな話」

 

「僕話してないし」

 

「ほうほう、それでそれで、それは私の知っている人かね?」

 

「知らないんじゃない? たぶん」

 

「あの、カイーナさん、俺なんて言ったらいいのか……」

 

「ああ、いいよ気にしなくて……ああもう! 僕としたことが!

 そこの面倒くさいオッサン二人が居る時にする話じゃなかった!」

 

 紛れもなくおっさんと言われる天戸、おっさんという歳ではないが躍起になって否定もしない土場の二人が、いい玩具を見付けた子供のように目を輝かせている。

 甲斐名は頭を掻いて、ゼファーの方に向き直った。

 

「おい、ゼファー! お前こいつらみたいになるんじゃないぞ!

 女日照りのおっさんになるとか悲惨だからな!」

 

「おっ、こいつめ言うじゃねえか」

 

「気に入った女の子が居たら大事にしろよ! それでなんとなく上手く行くもんだからな!」

 

「引っ張って行きましょう、天戸さん」

「おうよ土場。別室で話を聞かないとな」

 

「ちくしょぉぉぉぉ……」

 

 天戸と土場にずるずると引っ張られて連れて行かれる甲斐名を見送り、ゼファーはぽつんとその場に立ちすくむ。

 

「……仕事しよう、間に合わなくなる前に」

 

 窓掃除のために新聞紙を取りに来ていたゼファーは、必要量の新聞紙を手に取り、走る。

 リディアン二年生の移動教室が始まる前に窓掃除を終えなければならない。

 やろうとする意志がある限り仕事がいくらでも見つかる用務員という仕事を、ゼファーは彼なりに懸命に果たそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 またまた後日。

 未来との問題も先送りに先送り。

 表面上は問題になっていないように見えて、その実未来の内心の問題が解消されていないということがゼファー視点ではよく見えていて、最近は鈍感な響にまで感付かれ始めているという状態まで悪化していた。

 

「……はぁ」

 

「ほら、今日は考え事は全部忘れちゃいなさい」

 

「アオイさん」

 

「ゼファーくんは初めてでしょう? 結婚式」

 

 ゼファーはこの日、教会にて友里あおいの姉の結婚式に同行していた。

 かなり身内に絞った結婚式らしく、普通の結婚式と比べて人影が少ない。

 その分参加資格はゆるゆるのようで、あおいの姉と面識がないゼファーでも、あおいが招いたというだけで暖かく迎え入れてもらえていた。

 

 神父が何か言って、新郎が何か言って、新婦が何か言って、キスをして。

 ゼファーはただなんとなく、その二人に『立派だ』という思いを抱いた。

 カッコイイだとか、綺麗だとか、そういうものではなく。

 人生という旅路において、結婚式という地点にまで辿り着いた大人二人に、ゼファーは自分でもよく分からない感情を抱いていた。

 その気持ちは、どこか『尊敬』に似た何か。

 

「あの二人ね、本当に色々あったのよ」

 

 神父の前から外へと続く道を歩ききった二人の背中を見て、あおいが口を開く。

 

「借金とか、保証人とか、すれ違いとか、別れたりまたくっついたりとかね。

 結婚式って本来もっと人が来るものなんだけど、ここに居るのはその事情を知ってる人ばかり。

 親子の縁切られてるから、父さんと母さんも来ていないし」

 

「え?」

 

 ゼファーは新郎と新婦を見る。

 二人が浮かべている笑顔は絶対に偽りのものではない、心からの笑顔だ。

 あの二人は疑いようもなく幸せに見える。

 なのにその裏には、ゼファーの目では見通せないものがあるという。

 

「俺、参列してるのにその事情知りませんよ」

 

「私が知ってるからいいのよ」

 

 あっけらかんと言い切るあおいのおかげか、ゼファーの表情から険が取れる。

 

「ごめんね。事情知らない人でも祝ってくれることなんだって、姉さんに教えたかったの。

 利用しちゃうような形になっちゃって……」

 

「いえ、大丈夫です。むしろこの門出に手を貸せたなら、光栄です。

 『人が幸せになるところを見ておいた方がいい』

 って言って誘ってくれたあおいさんの言葉に、嘘はないと思いますから」

 

 ゼファーが新郎新婦の方から教会へと顔を向け、教会を見上げる。

 つられ、あおいもそちらを向いた。

 

「でも、あの二人、幸せそうでした。

 言われなければ不幸な境遇には見えなかったです」

 

「不幸な目にあったことのない、幸せなだけの人間ってそんな居ないんじゃないかしら。

 誰だって傷はあるし、不幸になったことはあるものよ?

 その貴賎なんて、誰にも決められないわ。

 大きい不幸だから乗り越えられないなんてこともない。

 小さい不幸だから大したこと無いなんてこともないわ」

 

 あおいは隣に立つゼファーの頭を撫でようとして、背が伸びたゼファーの頭に手をやることが難しくなったことに気付いて、微笑んで彼の肩に手を置いた。

 大きくなった少年を見て、少しだけ嬉しそうに。

 

「人は誰でも、生きていればいつか幸せになれるのよ。ゼファー君」

 

 きっと、ただそれを言いたかったから、そのためだけに彼女はここに彼を連れて来たのだと、そう思わせるような声で。

 

「幸せになりたいって本音さえ、忘れなければね」

 

 二課でゼファーを陰ながら見守る、そんな大人の一人は、綺麗に笑って彼にそう言う。

 戸惑うゼファー。

 それでも彼女は、また口を開く。

 

 友里あおいは一回り年上の人間として、彼に『幸せ』を納得させようと言葉を尽くすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーは空き地の土管の上で、結婚式の写真を眺める。

 土管に寝そべり、青空と重ねるように写真を見た。あれから数日経った今でも、彼の中であの幸せの光景は色褪せていない。

 

「幸せ、か」

 

 ポツリと呟く。

 

「幸せになりたいか、なりたくないか。

 幸せになっていいのか、なってはいけないのか。

 幸せになるべきなのか、なるべきではないのか。

 幸せになる権利があるのか、義務があるのか。

 全部、別物だよなあ……」

 

 太陽に写真を重ね、空を見上げても眩しくないようにしていたゼファー。

 その手から写真が抜き取られ、太陽光で一瞬ゼファーの目がくらむ。

 誰だ、と思ったゼファーの耳に、下手人の声が響いた。

 

「じゃあ、ゼっくんはどれなの?」

 

 その声は、顔はまだ見えずとも小日向未来のそれであるとすぐに分かった。

 ゼファーは体を起こし、土管の上から未来と向き直る。

 ……未来の機嫌は、まだ治ってはいなかった。

 

「……そうだな、人並みには幸せにはなりたいと思ってるよ。

 幸せになる権利も、人並みにはあるんじゃないか?」

 

 その時。彼女をなだめるために、当り障りのないことを言ったその瞬間。

 "地雷を踏んだ"と、ゼファーは自分の失態を悟る。

 

「へえ、そうなんだ」

 

 ゼファー・ウィンチェスターが思う以上に、小日向未来は彼の理解者であり。

 彼が思う以上に彼女は彼のことを想っていて、怒っていて。

 それゆえに、『それ』は彼女の地雷だった。

 

「幸せになりたいけど、幸せになってはいけないと思っていて。

 幸せになるべきではないと思っていて、権利があっても絶対に使わない……

 そう見えるよ。私には、あなたは、そう見える」

 

 写真を彼の胸に叩くように押し付け、未来はゼファーの目を見据える。

 

「ねえ」

 

 未来は誰かと共に戦うことはできない。

 誰かの窮地をその手で救うことはできない。

 ゼファーと最も長く共に居ることもできない。

 

 けれど、彼女は問いかける。

 彼女は無条件に受け入れる者ではない。

 小日向未来は『偽り』を嫌う。

 それは人の心を蝕み、幸せを剥奪するものだと思っているから。

 だから彼女は他人が自分に使う偽りも、彼が彼を騙すために使う偽りも、認めない。

 

 他の誰でもない、彼女だから気付けたこと。

 ゼファーがうっすらとセレナと重ねていた、未来だから気付けたこと。

 

「ゼっくんって、最後に泣いたの、いつ?」

 

「―――」

 

 ゼファーの人生で言うのなら、リルカが死んだその時から。

 この物語で言うのなら、この物語が始まったたその時からずっと。

 ゼファー・ウィンチェスターは、どんな悲劇に逢おうとも、一度たりとも泣いてはいない。

 

「私、今のゼっくんが泣く姿は想像できない。

 ……私や響が、ゼっくんの前でひどい目にあっても、ゼっくんは泣けないでしょ?」

 

「――え、あ……そんな……」

 

「悲しく思っても、泣けないでしょう?」

 

「ぁ、ぅっ」

 

 ゼファー・ウィンチェスターという少年の芯を、彼女は見抜いていた。

 彼の生涯を何も知ることもなく。彼の葛藤を聞くこともなく。

 ただ『人を見る目がある』というだけで、友人として彼と一年半過ごしてきただけで、ゼファーという少年の深奥を彼女は見抜いていた。

 まるで、向き合うことでゼファーや響に自分を省みさせる『鏡』のように。

 もしかしたら、彼女にはそういう才が秘められていたのかもしれない。

 

「ゼっくん、教えて。今何をしているの?

 それを『しなくちゃいけないこと』と思ってるだけで、本当はしたくないんじゃないの?

 それはもしかして危ないこと? ねえ、どうなの?」

 

 生きたいという気持ちが誰よりも強いゼファーにとって、戦いとは忌避すべきものである。

 命の危険とは近付きたいとすら思わないものである。

 彼は本質的に「戦わなければ」の人間であり、「戦わないと落ち着けない」の人間であり、「戦いなんて心底嫌いだ」の人間である。

 

 そんな彼にとって、小日向未来は劇薬だった。

 今日まで運良く投薬されていなかっただけの、劇薬だった。

 

「嫌なら、辞めちゃっていんじゃないの?

 その、辞められない理由があるなら……私も頑張って、何とかしようとしてみるから」

 

 小日向未来は彼と面向かって泣かないことを指摘した初めての人間で。

 小日向未来はゼファーが知って欲しいと思わずとも、彼を理解した初めての人間で。

 小日向未来は彼に「もう戦わなくていい」と言った初めての人間で。

 どこか、セレナ・カデンツァヴナ・イヴに似た人間だった。

 

「―――!」

 

 だから、ゼファーは逃げた。

 

「! あ、待って!」

 

 未来が追いつけない速度で走る。ただ走る。

 

「……はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 彼女に背を向けて、生まれて初めて『友から逃げた』。

 

「何、やってんだ、俺は……!」

 

 未来から遠く離れ、どこぞの家屋の塀に両腕を付き、ゼファーは俯いて声を絞り出す。

 

「陽だまりの暖かさに惹かれて、自分を甘やかして……やめろ、そういうの……!!」

 

 もっと強く、揺らがず、固く。

 戦い続けることを自分の意志で決めろと、ゼファーは自分自身に言い聞かせる。

 ゼファーは揺らいでいた。

 日常の中で緩んだ心の隙間。"平和が一番だ"という認識。

 そこに不意打ちのように彼女にぶつけられた言葉に、揺らがされていた。

 

 他の誰に言われてもいい。

 けれど、未来に言われたのがマズかった。

 死したセレナの代わりではないが、それでも無自覚に彼がセレナという少女に親しいと感じている彼女が、平和な日常の象徴としてこれ以上なく向いている彼女の言葉。

 それが、ゼファーの胸に刺さる。

 

「今更だ、俺が、今更……こんな場所で、平穏と幸せを望むなんて……!

 死んでいった皆が許しても、俺が、俺が、俺が、許せるかよ……

 いや、違う、そうじゃない、そうじゃなくて、違って、俺は……!」

 

 口から漏れ出る言葉の数々。

 自責、後悔、望むことと望まないこと。

 口から出る言葉が自分の本心なのかも分からないまま、彼は混濁する思考を片っ端から全て吐き出していく。

 

「……何言ってんだ、俺……」

 

 彼が何度も何度も越えてきた、変わるために越えなければならない壁。

 誰かに支えられ越えてきた、彼が真っ当な人間になるために越えなければならない壁。

 それがまた一つ、彼の前にそびえ立っている。

 

「やめてくれよ、未来……暖かくするのも、甘やかすのも……

 なんか、自覚しそうで、見失いそうで、逆にキツいって……」

 

 クリス、調、切歌、セレナ、翼。

 その壁を壊させてきた者達の中でも、強いきっかけになった少女達。

 そこにまた、新たな顔ぶれが一人、追加されようとしている。

 

 それは前述の少女達と同じ枠であるようで同じ枠ではない、戦う力を持たない、シンフォギアを纏う力を持たない少女。

 

「俺、シンフォギア装者じゃないんだから……

 シンフォギアが完成したら、ノイズと戦う必要もなくなるんだから……

 戦う役目は、代わりなんていくらでもいる奴になっちまうんだから……

 二人に強くなろうとか言っときながら、俺だけ強くなれないんだから……!

 そういうこと言われたら、俺、俺、甘えたくなっちまうだろ……!

 欠点埋めたシンフォギアが完成したら、俺、本当に戦わなくても良くなるんだから!

 あの銀騎士も、ノイズも、戦うなら、俺はもう足手まといにしかならないんだ……!」

 

 そして力なき現実に嘆く今の彼に向かい合うべき、力なき少女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年少女が焦り、苛立ち、嘆き、突きつけられた現実の中で足掻く中。

 風鳴弦十郎は、緒川につまらない話をしていた。

 

「俺の勘の話だが、聞いてくれるか」

 

「どうぞ。ですが、指令の勘はゼファー君並みの確度がありますからね。

 片手間には聞きたくないところです」

 

「おいおい、からかうなよ」

 

 弦十郎の手にはショットグラス。

 二人はバーで酒を飲みながら、アルコールで滑りの良くなった舌を走らせる。

 

「……何か、『お膳立て』をされているような気がしてな」

 

「お膳立て……ですか?」

 

「ゼファーの周囲に気を付けろ。何か、嫌な予感がする」

 

 緒川は弦十郎の真面目な声から、事態の深刻さを察する。

 たとえ勘でも、それが風鳴弦十郎のそれであるならば、それは生半可な確定情報よりもよっぽど信頼に値するものである。

 

「詰め将棋だ。あれをやっている時と、同じ感じが最近してきた」

 

「最善手を打っているつもりが誘導されている、と?」

 

「分からん。曖昧過ぎる。それに駒を置いている奴が、一人の気がしない」

 

 弦十郎は再度酒をあおる。

 酒に強い彼はこの程度では酔いはしない。

 ゆえに、その言葉に適当な考えは混じっていない。

 

「手遅れになる前に止めたい。できるか、慎次」

 

「……僕が常時張り付くのは難しいです。

 先日のシンフォギアの実戦実験のせいか、どこもかしこもきな臭い」

 

「お前がそっちを離れるわけにはいかない、か」

 

 緒川も酒に手を伸ばし、飲む。

 

「そのために彼女も呼んだんでしょう?」

 

「ああ、曖昧な話になるがな。頭脳ならば、彼女を頼るしかない」

 

 噂をすれば影が立つ、と言わんばかりに扉が開き、その向こうから現れる人影。

 弦十郎が心底、とまでは行かずとも大きな信頼を置く女性。

 櫻井了子が、扉の向こうから現れた。

 

「あら、私が来る前から飲み始めてるの? もぅ、せっかちさんねえ」

 

 風鳴弦十郎の勘が気づいた、この世界を盤面とするのならば、盤面の上の駒を自分の都合で並べているであろう、『どこかの誰か』についての話を相談するために、弦十郎が呼んだ女性。

 話の最中、弦十郎はずっと笑っていた。了子はずっと笑っていた。

 ずっと笑っていた。

 

 

 




予約投稿時間間違えてることに気付いて慌てて再投稿です




シンフォギアGXも次々と情報出てますねー
敵は魔法少女と自動人形とのこと。魔法少女事変とかいう事件の名前
歌が通じない敵とのことですが弦十郎の旦那ぶつけちゃいかんのでしょうか……
しかし魔法少女……魔法少女とは……クレストソーサーですかね?

あ、前に言いましたがG時点で完結プロットなのでGX要素が混じる可能性はほぼないと思います。念のため

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