戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
友達が増えると、その人の見える側面が増えます
ワイルドアームズ要素が増えると、人が死んだり世界が荒れる度合いが増えます
涙を流すこと。
それはゼファーという少年の禁忌。
彼が最後に泣いた時、それはリルカ・エヴァンスが死ぬ前だ。
なんてことはない。彼は忘れていたかったのだ。
リルカという少女の死に、泣かなかった自分を。
それからどんな人間の死にも泣かない事で、自分を誤魔化したのだ。
ハンペンが死んでしまった時。
ビリーが死んだあの時、ジェイナスが死んだあの時。
クリスとバーソロミューが、あの研究所の
ベアトリーチェの死に傷付き、マリエルをその手で殺した時。
セレナが目の前で光に還っていった時。
どんなに辛いことがあっても、ゼファーは泣かなかった。いや、泣けなかった。
泣いてしまうと、壊れてしまう思いがあった。
涙を流すことで、否定してしまいそうな想いがあった。
ゼファーの深層意識は、こう思っている。
「大切な人が死んだ時、自分は泣かなかった」
「ならこれから先、自分が人生の中で誰かの死に涙を流してしまったら」
「……まるで……」
「その人と比べれば、かつて死んでいった人達が大切でなかったみたいじゃないか───?」
死んでいった人達が増える度、人の死に泣いてはいけないという想いは強くなる。
ビリーが死んだ時に泣けば、それはリルカの死に感じた悲しみを否定するようで。
ジェイナスが死んだ時に泣けば、リルカとビリーの死に感じた悲しみを……という悪循環。
最初の歪みは、死を重ねる度に大きくなっていった。
ゼファーは泣かない。
クリスの死にも、セレナの死にも、友達の死にも家族の死にも仲間の死にも、泣かなかった過去の自分を覚えているから。
悲しくても辛くても泣いてしまえば、泣かなかった『あの時の悲しみ』を、相対的に貶めてしまうような気がしてしまうから。
無力であること。
それはゼファーという少年の現実。
強くなろうと決意しても、足掻いても、諦めずに鍛え続けても、届かない場所がある。
現実に妥協できないがゆえの高望み。だからこそ望みに相応の力が要求されて、要求された力にはどう頑張っても届かないという、当然の帰結。
ある日に、何気ない雑談があった。
了子が言う。完全聖遺物なら、月や冥王星くらいなら砕けるかもね、と。
弦十郎が言う。それはさすがに俺でも無理だな、と。
「シンフォギアはまだ大岩も砕けないけどね」と了子が言い、「最終的にはどのくらいまで行けるんだ」と弦十郎が問い、「ちっさい小惑星くらい? 理論値だけど」と了子が答える。
弦十郎くんなら小惑星くらい行けそうじゃない? と茶化すように了子が言い、やったことはないが流石に無理だろうよ、と弦十郎が笑う。
茶を入れながら、ゼファーはその会話を聞いていた。
シンフォギアも、風鳴弦十郎も。
ゼファーがいくら手を伸ばそうと届かない、そんな高みに居た。
翼には血脈という能力限界の高さを押し上げるものがあり、奏には圧倒的才能という能力限界の高さを押し上げるものがあり、けれどゼファーにそんなものはない。
時間が経過する度に、ゼファーと二人の差は広がっていく。
だから、ゼファーは翼との模擬戦にて今でも全戦全敗を続けていた。
そして少しづつ、少しづつ強くなっていく度に、ゼファーは弦十郎との差を実感する。
強くなればなるほどに遠くなっていく感覚。
風鳴弦十郎もまた、条理の外側に居る強者だった。
ゼファーには見えてくる。
己の天井、行き着く未来が。
自分が戦いに加わることに『足手まとい』以外の意味がなくなってしまう、そんな日が彼には見え始めていた。
ゼファー・ウィンチェスターは無力である。
それでも努力すれば、頑張れば、鍛えれば、積み重ねれば、なんとかなると思っていた。
……いや、違う。なんとかなってくれるんじゃないかと、淡い希望を抱いていたのだ。
何もしないよりはマシだ、と誤魔化し。自分にできることをしよう、と奮い立たせ。
強くなりたい、という渇望に従い。諦めない、と歯を食いしばり。
その果てに、彼は無力という結末の中に居た。
人として歩んできた道の最中にあり、彼の足を止めたもの。
それは今まで乗り越えてきた壁ではなく、ゴールなのかもしれないと、彼は思う。
『シンフォギアが完成した』という現実が彼に突きつけた、戦いのゴール。
それは足を止め、戦うことをやめる選択肢を彼に提示するには十分で。
小日向未来というひだまりに手を伸ばされ、その手を取ろうと迷ってしまうくらいには、ゼファーの心は戦う意義を見失っていた。
「……情けない。ああ、くそ、何でもかんでもいちいち悩むなよ、俺」
悩む度、自分の面倒臭さと心の弱さと情けなさをゼファーは自覚する。
だからもっと強く、もっと立派な大人にと、そう願いながら変わろうとしている。
一人では変わることもできないくせに。
「頑張ろう。……きっと、頑張りが足りてないんだ」
周囲の人間が"言葉にしがたい不穏な雰囲気"をひしひしと感じている、そんな最近のゼファー。
周囲の人間の反応に相応に、今の彼にはこれまでにないような危うさが見え隠れしていた。
第十七話:涙に浮かぶ未来 2
未来は夢を見ていた。
彼女がこの夢を見るのは何度目だろうか?
どこか抽象的で、非現実的で、象徴的な夢だった。
たくさんの人が囲んで見つめる円形のステージ。
そのステージに立つゼファーが、縄で首を吊ろうとしている。
少年は躊躇っているのだが、仮面の男がそんな少年に首を吊らせようとしていた。
ゼファーは次第に泣きそうな顔で、震えながら縄に首をかける。
観客が煽る。それぞれが罵倒し、応援し、背中を押し、悲鳴を上げ、嘆いている。
仮面の男が観客の頭上を指差した。
そこには槍がたくさん生えた天井。
ゼファーが首を吊らなければそれが落ちてくると、そう言っているのだろうか。
観客の中にはそれに気付いている者も、気付いていない者も居る。
見れば観客の中には彼を止めようとしているもの、何も気付いていない者、この現状を嘆く者、首を吊ろうとしているゼファーに感謝する者、無責任にさっさと吊れと煽る者。
多種多様な人間が居た。
ステージの上のゼファーは、周囲の人間を見て、天井にあるその人達の運命を見て、意を決し、首に縄をかける。
未来は夢の中、自分の身体があるのかも定かでないその場所で、手を伸ばす。
すると彼女の方に振り返った仮面の男の仮面が外れ、地に落ちた。
仮面の奥に隠されていた顔。
驚くべきことに、そこにあった顔もまた、ゼファーのものだった。
泣きそうな顔で首を吊ろうとしているゼファー。
ステージの上のゼファーに自殺を促す、仮面のゼファー。
被害者であり、無自覚の加害者でもある人々が観客席から声を上げる。
そんな形で、今未来の目の前で、ゼファーは"殺され"ようとしていた。
首に縄をかけ、ステージから飛び降りるゼファーに向かって、未来は手を伸ばし――
「ダメぇっ!」
――夢の中で高い所から落ちた時のように、強烈な心的ショックで飛び起きた。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁ……」
未来は荒れる息を整えながら、先程までの光景がただの夢だったと気付いて安心し、汗まみれになった可愛らしい寝間着の袖を使って、顎下の汗を拭う。
夢の中では自由、高揚、出世などの要因が羽根として出現するように。
旅立ち、挑戦、引率などの要素が船として出現するように。
彼女が見た夢は象徴的なものであり、分かりやすい形に変換された彼女の認識に過ぎない。
死にたくない少年。死なせようとするもう一人の少年。
『存在するだけで少年が死ぬ以外の選択肢を選べなくさせる』人々。
それが小日向未来という、友達をよく見ている少女の中の認識における、ゼファー・ウィンチェスターという少年の状況だった。
それは理屈ではない。
根拠もなく、理論もなく、説明することで他者から共感を得られることはないだろう。
つまりは、印象である。
他人との触れ合いの中でゼファーが見せた一面から、彼の内面をすっと見通した未来が「なんとなく」で読み取った彼の本質の一側面。
それが夢という形で本当に分かりやすく再構築され、未来に再認識されていた。
ゼファー・ウィンチェスター。
彼がやらかしたことは多々あり、彼が成し遂げたことも多々あり、功罪多し。
しかしながら、『これ』が多くの人間に知られてしまえば、彼がやらかしたことの最たるものはこれではないかと、そう思う者も少なくないかもしれない。
小日向未来は友達思いである。それも、"人一倍"が頭につくレベルで。
彼女は友のためならば、時に周囲の人間がドン引きするような選択を迷わず選ぶ。
少女は思考する。
自分はゼファーの事情を何も知らない。彼もまた、話そうとはしない。
徹底的に問い詰めたところで曖昧に笑い、あるいは申し訳無さそうな顔で頭を下げ、自分に隠し事をしていることをひたすら謝るだけだろう。
教えて貰うことは不可能。だが、何も知らなければ何もできはしない。
そこで、未来は考えた。
(じゃあ、こっそり後をつければいいんじゃないかな)
ゼファーに何も責任がない形で、あるいは他の誰にも知られることのない形で、ゼファーが隠している秘密を知ればいいのではないか、と。
小学生女子の頭脳には、それがとてつもない名案であるように感じられた。
かくして彼女は、その日ゼファーの尾行を実行に移すのだった。
彼女に尾行の技術のノウハウ、知識はない。
なのに、なのにだ。何故だろうか?
彼女はゼファーの
(どこに行くんだろう?)
変装し、人混みに紛れ、曲がり角で手鏡を使って向こう側を覗き込み、曲がりくねった道では二つの曲がり角を間に挟むようにして、常に一定の距離を保つのではなく地形によって距離を変え、時に道路を挟んだ反対側の歩道から、時には彼が横断歩道を渡るのを見下ろしながら、歩道橋を渡って尾行していく。
電車に乗れば、ドア二つ分くらいの距離を話して四人席の隅を取り、ゼファーの髪だけが見えるような位置取りを心がけ、電車を乗り換える時に「人が少ない」と判断したならば、同じ車両には乗らず隣の車両からの見張りに切り替える。
そしてゼファーが電車を降りるのを見て、わざと降りるタイミングをずらして降り、追う。
常に人に紛れ、人に混ざることを意識しながら。
(電車を乗り継いで、こんなところまで……何をしようとしてるんだろう)
尾行に慣れていない人間は、おおまかに分けて三種のミスをするという。
一つは、距離感を測り間違えてバレたり見失ったりしてしまうこと。
一つは、不自然にならないよう意識しすぎて逆に風景に溶け込めなくなること。
そして、尾行対象の細かな動作に「バレてるかも」と勘違いしてしまい、平常心を失い、前述の二つのミスや平時にはしないようなミスをしてしまうことだ。
驚くべきことに、未来は誰かに教わることもなく臨んだ最初の尾行で、このミスを一つも犯さなかった。
さらにはゼファーの行動予測、心理状態の予測などもある程度の範囲でこなし、「尾行対象が想定外の動きをして見失う」という事態も回避。
能動的に使わないと効果が鈍り、特定の相手に効きが悪くなることがあるとはいえ、ゼファーのアウフヴァッヘン波による感知に、未来は一度も引っかかりはしなかった。
(……ゼっくん、ビルに入っていった? でもここ、見たところ廃ビルだよね?)
どんな人間にも、隠れた要素というものは存在する。
一見完璧超人に見える人間が、部屋を片付けるのが苦手だったりするように。
非の打ち所のない女性が、実は豆腐メンタルでタッパに料理を入れて持ち帰ろうとする家庭的な人間だったりするように。
スーツを着た普通の温和な男だと思ったら、実は忍者であったりするように。
それは明らかになることもあれば、明らかにならないこともあり、一度明かされても以後ずっとオープンになったままとも限らない。
普通の世界に生きていれば、いや普通の世界に生きていなくても、彼女のこの才能は開花しなかっただろう。
合縁奇縁。ゼファーという人物に出会わなければ、一生明らかにならなかったかもしれない。
目覚めた才能……小日向未来には、
願わくば、この才能が今日以降一度も発揮されないことを望むばかりである。
ゼファー・ウィンチェスター。
彼がやらかしたことは多々あり、彼が成し遂げたことも多々あり、功罪多し。
しかしながら、『これ』が多くの人間に知られてしまえば、彼がやらかしたことの最たるものはこれではないかと、そう思う者も少なくないかもしれない。
人は生きているだけで周囲に良い影響を与えることも、悪い影響を与えることもある。
(後を追って入る……のは、よしておこうかな)
未来は廃ビルには近寄らず、ビルの入口を眺められる場所に陣取る。
彼女は気付かなかったが、これが廃ビルに備え付けられた監視カメラ、及び入った人間が出て来ないという不自然さを生まないため、入ってきた入り口から出て来るという機密保持のための決まりごとにマッチした。
つまり、ここは"そういう場所"だったのである。
「場所だけメモして、後で考えよう」
未来の中で、時折どこか物騒だったり危うかったりする一面を見せ、秘密が多く、どこか遠くを見ながら必死に鍛えているゼファーは心配ばかりかけてくる友人である。
響が足元がおぼつかないのに走る少女なら、ゼファーは火事の中にも平気で突っ込んでいくイメージが彼女の中にはあった。
先日問いかけこそしたが、彼女の中で"彼がなにか危ういことをやっている"という推測は、もはや確信に近い位置にある。
ゼファーはこの歳から働くこと、一人暮らしをすることに違和感はなかった。
が、日本人の常識的な感覚で見れば、日本社会でそういうことはほぼありえない。
響ならゼファーの弁に納得もしよう。けれど、未来がするわけがない。
ゼファーが時々ポロッと露わにしてしまう『そういう違和感』が、積もり積もって未来に確信に近い疑惑を抱かせてしまっていたのである。要するに、因果応報というわけだ。
(あ、出てきた)
ゼファーがその建物から出て来るまでに十数分から数十分、といったところか。
出て来たゼファーをまたしても尾行、追跡する未来。
しかしその足は駅の方ではなく、また別の方向へと向かっていた。
(どこに向かってるんだろう? ここが目的地ってわけじゃなかったのかな)
未来は追い、ゼファーは裏路地に入っていく。
自分の姿を見られないよう、未来が路地の奥を手鏡でそっと覗くと。
彼女が息を呑み、口元を抑え、目を見開くような光景がそこにあった。
「Freeze. Hold up」
そこには、彼女が信じていた友が、人を殺すための銃という武器を人に突き付けている。
そんな、光景があった。
フィーネ・ルン・ヴァレリアの活動拠点は日本にもいくつか存在する。
あるものは機密を重視して山の中に作っていたり、あるものは二課の拠点の近くに作り通信回線に物理的な盗聴ラインを接続し、情報を抜き取るためのものもあった。
今、彼女が居るのは後者。
二課の拠点の近くに存在し、かつホワイトハウスと直接通信を可能とする設備を備えた、そんな地下施設である。
『装者か、二課の要人か。どちらかでいい、ノイズに仕留めさせるんだ、ミス・フィーネ』
「ずいぶんと暴力的な要求だこと。ねえ、プレジデント」
画面の向こう、通信機の向こうから、"大統領"と呼ばれる男の声がする。
フィーネは局部を長い髪だけが隠している全裸スタイルで、恥ずかしげもなくふてぶてしく、世界一の大国の国家元首と相対している。
『我々の警告なのだと、僅かに匂わせる程度でいい。さしあたっては、あの少年だ。
F.I.S.の件は現在はまだ我々の急所になってはいないが……念には念を入れていい』
「口封じ、と。そちらの国の手の者を使っては?」
『普通の暗殺では直感で感付かれる可能性が高いと、F.I.S.の報告書から読み取れるが?』
「あら、それでノイズを召喚する程度ならできる私にお鉢を回した、と」
『そうだ。逃げ道を残さなければ、ノイズで殺せない人間など居まい』
大統領は個人的に、F.I.S.という存在を知るゼファーの口を封じたくてたまらないようだ。
おそらくは、大統領選挙が近いために不安要素を取り除いておきたいのだろう。
それに加えて自分の政権の基本方針である、強気の外交政策の一環を裏で執り行なおうとしているのだ。
『日本とアメリカのバランスを崩してはならない。日本はアメリカの属国でなければならんのだ』
フィーネは罵倒と皮肉を言おうとする自分をグッと抑え、神秘的なほほ笑みを浮かべる。
「そんなに日本とアメリカのバランスが大切かしら?」
『大事だ。それは日米両国の平穏を間接的に脅かすことになる。
日本が武力で台頭すれば、隣の小国大国の国民感情を刺激してしまうだろう。
昔に何をされたか、という話ではない。
自覚無自覚問わず、自分より下に見ていたものが、自分達を脅かす牙を手に入れるからだ』
大統領は傲慢で尊大だ、とフィーネは思う。
正直な話好きな人種ではない、とも思っている。
しかし『世界』という大きなものの舵取りができる人間は、善良な人間ではなくこういう汚いこともできる人間なのだと、そう知っているから。彼女は歯噛みするしかないのだ。
『警告し、交渉し、こちらに取り込む。日本にシンフォギアを持たせる気はない。
無論一筋縄では行かないだろう。だが、こちらには内通者も居る。
最悪、力ずくでも全てのデータを奪取すればいい。取りたくはない最終手段だがな』
心の奥では侮蔑している、他人の足を引っ張るだけの汚い大人。
それが一番効率がいいのだと思う現実的な思考も、それが気に食わない彼女の潔癖な性情も、確かにフィーネの中にあるものだ。
『日本の本土防衛戦力に、既存の兵器を無力化できるシンフォギアが加わればどうなる?
シンフォギアは補給すら必要ないのだぞ? 歌があれば、あれはそれで戦える。
日本からホワイトハウスまで一直線に飛び、砲火をかわして、潰して、帰ることすら可能だ』
「それもほぼ一瞬で、ね」
『それが日本という一つの国に独占されているように見えたらどうなる? 大混乱だ。
ミス・フィーネ。君が取っていた日本とアメリカのバランスは、ゆえに重要なのだ。
あれ聖遺物兵器は新時代の核だ。核を持つ国は厳選し、限定されなければならない』
大統領が口にする言葉は、世界という単位で見れば確かに正しい部分もある。
武力バランスとは、とても危うい均衡の上に立っているのだ。
皆が武力を持ち、それを互いの首筋に突き付け合っている今の平和を見ればそれがよく分かる。
二課の人間を皆殺しにし、シンフォギアに関する技術を全て取り上げ、長期的に世界の平和を維持しようという考えも、世界的な混乱の可能性を考えれば、少ない犠牲なのかもしれない。
だが、それは強者の理屈だ。
プラスマイナスの差引だけで考え、犠牲になる人間のことを考えない、そんな強者の正義でしかない。それは弱者の理屈ではない。
フィーネは知っている。
弱者は100人を助けるために踏みつけにされる、自分のことを覚えている。
ゆえに100人を助けるためにどこかの1人を犠牲にしようとはしない。
弱者は自分が虐げられていたことを理由に、時に世界すら滅ぼし、時に世界すら救う。
フィーネは何を考えているのか分からない笑みを浮かべ、再度口を開いた。
フィーネはあの少年の存在に執着している、と一国の大統領に選ばれたほどの男は推測した。
判断材料が少なくとも、優秀な頭があれば十分に推測は組み立てられる。
そこで大統領が講じたのが、フィーネへの要求にもう一つ策を重ねての二重の策。
要求が通ればよし、彼女がかの少年の助命のために食い下がってきてもよし、そんな策だった。
人生経験だけ豊富になった凡人を騙す策。すなわち、大統領が通信を入れてフィーネ自身に拠点の入り口のロックを解除させ、手の者にその過程を記録させる。
記録させたスパイはそのまま、大統領がフィーネとの通信を行っている間、つまり彼女の注意がそらされている間に施設内を物色、離脱。
フィーネが気付いたとしても、いつ施設内部を荒らされたかは気付けない。
彼女はこの拠点に定住していないため、『今日以前に壊された』ということしか分からない。
そして気付ける要素も、そのスパイに徹底して潰させる。
いつ荒らされたかは分からない。
けれど荒らされたこと、誰が荒らしたかは分かる。
そうして戦々恐々とした彼女に、告げればいい。
「こちらに逆らう気を見せればいつでも君の寝首をかけるんだぞ」、と。
そう言って、レセプターチルドレンもちらつかせれば、フィーネの勝手な行動の殆どは抑制できる……という考えなのだ。
法に則って生きている人間には、ルールの上での力勝負を。
裏の世界での交渉ならば、ルール無用の力勝負を。
それが一番効率がよく、それをすることが許されている。
そういう国家間の関係、国と人との関係というものは、確かに存在するのだ。
(さて、どこから漁ったものか)
大統領の手の者が、フィーネの研究室を漁る。
フィーネと大統領の会話はせいぜい10分か20分、といったところだろう。
その間に目当ての物を探し、奪い、脱出する。
当然、全てのセキュリティをくぐり抜けつつ、自分の痕跡も残さずに、だ。
(うん? ……。 これだな)
そうして男は、目当ての物を発見した。
フィーネの協力に対する見返りとして、かつて研究目的で譲渡された完全聖遺物。
その名も『ソロモンの杖』。
遺跡に記された文が本当のことであるならば、その杖には"ノイズを支配する力"が備わっているという。
まだ起動状態にはないが、その価値は未知数だ。
それに合わせ、周囲に置かれていた一つの薬品――見たところ、唯一の完成品――とその研究データを奪取し、施設を離脱。
難なく逃げおおせて、その男は街の外れの路地裏に居た。
(あとは任務の成功を連絡。夜を待ち、船で移動。
夜の内に米軍基地に到着し、母国へと帰参するだけだな)
だが、それが運の尽きだった。
その男は奇襲に近い形であったとはいえ、フィーネの知性の裏をかいた優秀な男だ。
けれども、知性とは関係ないところに恐ろしさがある人間には、勝てるとは限らない。
「Freeze. Hold up」
例えば、勘で怪しい奴を感知する少年だとか。
眼に見えない所で怪しい動きをしている奴の方が、むしろ目につく少年だとか。
今、その男に銃を突きつけている少年だとか。
「動けば撃つ。撃ってから捕まえても、撃たないで捕まえても、どっちでもいいぞ? 俺はな」
男は、米軍の特殊部隊上がりの人間である。
銃を扱い慣れている人間、人を撃ち慣れている人間は、見れば分かる。
銃を突きつけられた時、映画のように抵抗を選んだ場合確実に殺される、そういう人間を見抜くくらいはわけがなかった。
逆らえば撃たれ、最悪殺される。男はそう確信する。
「動き方に見覚えがある。お前、米国の軍人だな。
ここで……この周辺で、人目につかないよう動いてたな。何が目的だ?」
「……」
「尋問は滞りなく行われる。早めに話した方が人権は尊重されるぞ」
「……!」
男は大統領の密命を受けて来た。
過酷な訓練をくぐり抜け、高い職業意識を持ち、命すら捨てる覚悟でここに居る。
彼にとっての最悪とは、ここで捕まり尋問で全てを吐かされることだ。
芋づる式に知られてはマズい情報まで暴かれかねない。
国外にもSAKIMORIとNINJAの名で恐れられる日本の諜報機関の拷問を受け、何も明かさないでいられる自信など、誰が持てようか。
(……これが、私の死か)
覚悟を決めた人間は、強い。そして何をするか分からない。
男の行動は早かった。しかし、男の行動を直感で先読みしていたゼファーも早かった。
ゆえに、その行動の成否を決めたのは覚悟を決めた男の精神力である。
「っ!」
男が動く。先読みしていたゼファーが反応し、警告一つなく即座に腕と足を撃つ。
行動と逃げを封じる最善手。されど、男に逃げる気はない。
男は痛みに動きを止めることなく、フィーネの拠点から奪ってきた薬品を手にし、自分の腕に撃ち込んだ。
「!?」
それが平穏に終わりを告げ、この日常を
【ZWカートリッジ】
フィーネが独自に研究するために入手した、とある人物の血液を加工したもの。
人間の生命力と聖遺物の核に強い親和性を示す性質を持つ。
ソロモンの杖のLiNKERが混合されているため、ソロモンの杖にのみ有効。
投与すると、薬剤がその人間の生命力を全て吸い上げ溶かし込む溶剤に変化し、吸い上げた生命力を強力なアウフヴァッヘン波形として放出。
完全聖遺物を、短時間のみ暴走させることができる。
なお、暴走させるだけで操作することはできない。
完成したものの、実用化するにはあまりにもデメリットが目立ちすぎたため、後日廃棄予定。
ソロモンの杖の暴走効果は『ノイズの無差別召喚』であると推測される。
完成品は一つのみ。
ゼファーは本日、二課の支部や拠点などを一人で回っていた。
形式的なチェック、見回り、視察のようなものか。
露骨に言ってしまえば「勘で怪しいところがないかチェックしてきてくれ」という頼みであり、他の誰にもできない仕事であったと言える。
配線に違和感を感じたゼファーだが、それを一応メモするだけに留まり、また別の場所へと向かおうとしていた。
だが、結局この日は一つしか回ることができなかった。
廃ビルに偽装された一つ目の地下施設をチェックしたところで、嫌な予感を感じ取る。
チェックが終わり次第地上に出て、レーダーを展開して勘の赴くままに移動。
そこで、二課支部近くにてゼファーは怪しい男を発見し、捕えようとした。
「Freeze. Hold up」
銃を構え、その動きを止める。
先手を取って両手を上げさせたなら、たとえゼファーの方が銃戦闘において格下であったとしても、確実に勝利できるだろう。
そう、確実に、だ。
相手の動きを封じるホールドアップの技術は、確実性の高さからゼファーが重要だと思っている技術の一つでもある。
「動けば撃つ。撃ってから捕まえても、撃たないで捕まえても、どっちでもいいぞ? 俺はな」
わざわざ、強い言葉を使うゼファー。
実際は怪我をさせないにこしたことはないのだが……ゼファーには、撃ってから捕まえた方がリスクが低いと、そう思うだけの理由があった。
「動き方に見覚えがある。お前、米国の軍人だな。
ここで……この周辺で、人目につかないよう動いてたな。何が目的だ?」
F.I.S.には米国の退役軍人も居た。だから、ゼファーは細かな癖をよく覚えている。
そしてゼファーの記憶の中には、バル・ベルデの軍人や日本の自衛隊など、軍ごとの個性を比べられる比較対象もあった。
軍人だ、ではなく米軍だ、と判断出来るだけの材料は揃っていた。
ましてやゼファーは、材料が揃ってなくても勘で当ててくる少年である。
「……」
「尋問は滞りなく行われる。早めに話した方が人権は尊重されるぞ」
「……!」
ゼファーは警戒していた。
感覚を研ぎ澄まし、直感により周囲全ての要素を見極めんと鋭く目敏く知覚していた。
だが、それが裏目に出る。
最大限まで発揮された直感が、後方の少女の存在を知覚してしまい、彼を動揺させてしまったのだ。彼の後方に、他の誰でもない、小日向未来がそこに居たから。
その動揺が、一秒にも満たない隙となる。
「っ!」
男が動く。ゼファーは男の踏み出した足、動いた腕を撃ち抜こうとする。
しかし男はもう片方の腕で懐に突っ込んだ腕を庇い、片腕片足を犠牲にして行動を続行。
そして、謎の薬品を自分の腕に注入した。
「!?」
なんだ、とゼファーが思う間もなく。
その男が背に背負っていたバッグの中から謎の光が迸り、男の体のいたる所から血が吹き出す。
「おい、お前―――」
ゼファーが止めようと手を伸ばすも、既に手遅れ。
七孔噴血などでは収まらない度合いで、全身の汗腺全てから血を吹いているのではないかという有り様で、その男は全身から血を吹き出した。
吹き出した血がゼファーの視界を赤く染め、その男のバッグの中にあった何かが放つ光が、世界を染める。
「……あっ」
『死ぬ』。
ゼファーの直感が、そんな短くも強烈な確信を生んだ。
かつて封印の間で、封印されていた"あれ"と相対した時と同じくらいに。
かつてF.I.S.での最後の戦いで、"あれ"と相対した時と同じくらいに。
ゼファー・ウィンチェスターは、死を確信した。
(――や――ば――い――!)
ゼファーは振り向き、全力で走る。
そこに潜んでいた未来の前に踊り出て、その手を掴んで引っ張り走る。
あまりにも強烈過ぎる、多過ぎる情報を直感から叩き込まれた脳が、悲鳴を上げる。
まばたきにも、呼吸にも、心臓の鼓動にさえも『そんなことをしてる余裕はない』と苛立ちをぶつけたくなるくらい、ゼファーは焦燥にかられていた。
「あ、や、違うの、これは――」
「――逃げろッ!!」
「えっ?」
尾行の弁解をしようとした未来の言葉を遮り、ゼファーは叫ぶ。
その瞬間。
言葉を遮ったまさにその瞬間。
未来とゼファーの見える世界が、膨大なノイズに塗り潰された。
ゼファーが戦ってきたのは、せいぜいが百単位。
以前に翼の未完成シンフォギアの補助、一課と二課の合同部隊による援護ありで、ズタボロになりながらなんとか200弱のノイズを倒したこともある。
けれど、その時。
ゼファーと未来の前に現れたノイズは、ゆうに『数万』を超える規模だった。
「……うそ」
出現と同時に、ノイズがその場に居た二人の人間を凝視し、攻撃を開始する。
ゼファーが未来の手を引いてから、攻撃開始まで二秒とかからなかった。
それゆえに。
彼が取れる選択肢は、一つしかない。
「……本当に」
全ての攻撃を見切り、直感をフル稼働し、未来を攻撃が当たらない場所に向かって突き飛ばし、全力で跳んで、けれど未来を突き飛ばした一瞬の遅れのせいで回避しきれず、攻撃を食らう。
再生能力があろうとも、触れれば必ず死ぬ、ノイズの絶殺の攻撃が、ゼファーを貫く。
「何考えて、何やってんだか、俺は……最後の、最後まで……」
まるであの日、ゼファーを庇ってノイズの攻撃を受けた、ビリー・エヴァンスのように。
無力な子供のためにその命を捨てた、一人の大人の英雄のように。
「い」
ピシリ、と自分の体の一部が硬くなり、ヒビ割れていく音がする。
ゼファーの耳に、『自分が崩れていく音』が聞こえ――
「いやああああああああああッ!!」
――続いて、未来の悲鳴が届いた。
終わりが、死が迫る。
少年の瞳に、灰色に炭化した己の身体が見えてくる。
炭素化の影響は全身に波及し、一瞬彼の意識を持っていく。
――――
「君のせいじゃない。なるべくして、こうなったんだ。大人には責務というものがあるんだよ」
「子供は、守らないとね」
――――
記憶の底に潜行していく心の耳に、炭素の塵になったビリーの最後の言葉が蘇り。
――――
「死んだ奴は蘇らねえよ」
「死んで、忘れられて、それで終わりだ」
「ゼファー、お前」
「俺が死んでも……どうせ、泣いてくれたりしないんだろう?」
――――
何故か、死体すら踏み躙られたジェイナスの言葉が蘇り。
――――
「なかせて、ごめんね」
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最後に、光に還ったセレナの遺した言葉が蘇った。
魔術師、還らず