戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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趣味のなんちゃってSF風解説回です。半分読み飛ばして良いレベルの

感想を一つもらえるだけで喜ぶ自分ですが、ここ数話の感想数が尋常じゃなくてビビってます
え、こんなに読んでくださってる人居るの、みたいな
つまりありがとうございますってことです


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 今回の件で、一番損したのは誰か。

 ほとんどの人間はそれに気付いていなかった。

 気付いていたのは、『脅迫材料』を手に入れた彼女と、突きつけられた彼のみ。

 

「まさか私が炭素転換された物質をある程度であっても復元できないとでも?

 舐められたものだ……ねえ、大統領? 別に私は全ての技術を公開しているわけでもない。

 我々はただ利害関係にあっただけ。

 そして私の手には、米国の関与を示す証拠と、今回の件の原因を証明できる理がある」

 

 フィーネがモニターを通して、大統領に新聞を見せつける。

 そこには『過去最大規模のノイズ被害』『死傷者多数』等々の文字列が並ぶ、新聞の一面と大見出しがあった。

 大統領は無言で、苦々しげにそれを見つめる。

 彼女が手にした証拠が公表されれば、日米関係は急速に悪化するだろう。かつ、国民からの支持率低下、マスコミのバッシング、彼の政治家生命の断絶に繋がりかねない。

 

「証拠と原因となったソロモンの杖をセットで、かつ匿名で二課に提供しても……

 まあ、私は困らない。二課で平然とそれを受け取れば、研究は続けられる。おわかり?」

 

 そしてフィーネにとってこの状況は、米国からかなりの譲歩を引き出せる幸運に転じていた。

 

「私とて、そちらの破滅を望んでいるわけではない。

 ……けど、分かるかしら? 今後ともお互いに『仲良く』していきたいでしょう?」

 

 要求しすぎれば、この大統領の反撃を招く。

 かといって要求が少なければ、舐められる。

 なにより相手にやらかした弱みがあるのなら、そこから搾り取れるだけ搾り取るべきだ。

 その辺りの感覚は、他の何より年の功が磨き上げてくれるもの。

 

「まずは先月そちらで発見されたという氷の女王『リリティア』。こちらに送りなさい」

 

 互いに切れるカードは残してある。

 されど交渉で全てのカードを切るということはまずありえない。

 戦争で核を含む全戦力を投入、なんてことをするバカがどこにも居ないのと同じように。

 かくして、大統領は彼女に逆らわない。

 互いが互いに利益を与え続ける、そんな関係である限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十七話:涙に浮かぶ未来 5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二課の中核メンバーは、会議室に集まっていた。

 今回は中核メンバーだけでなく、優秀なオペレーターや研究班から選抜された人間など、二課のブレインとも言える者達も参加を許されている。

 盗聴対策などを徹底して施された会議室を選び、入り口に天戸と甲斐名を待機させるという徹底したセキュリティは、今回の会議が生半可な内容ではないということを意味していた。

 

「では今回、ゼファーくんが『変身』したこの焔の黒騎士に関する会議を始めます。

 司会進行及び解説は、わたくしこと櫻井了子! 解りづらかったら手を上げてちょうだいね?」

 

 年甲斐もなくウィンクをする了子の姿に、肩肘張っていた面々の緊張がほぐれ、人によっては笑みすら見えてくる。

 数万体のノイズ発生。

 それ自体は最悪の事態に転がりかねない大事件であったが、不幸中の幸いもあった。

 ゼファーが変身した、謎の騎士の大無双。

 そしてなんとノイズの発生地点が、二課本部と了子の自宅を結ぶ直線上にあったというのだ。

 了子が手製の観測機器で今回の事件の一部始終を記録していた、と言い提出してくれた多くのデータは、二課の多くの人間に「流石」と賞賛させたという。

 

「まず最初に。この鎧を見て頂戴」

 

 了子がパチン、と指を鳴らすと、会議室の大型モニターに映像が映る。

 やや荒いが、ノイズを殴り倒す黒い鎧の騎士が、その手の焔と共にそこに映っていた。

 

「ゼファー君が変身したこの鎧。

 私が分析したところ、完全聖遺物級の二つの聖遺物が融合しているようね」

 

「完全聖遺物が……二つ!?」

 

 会議室に動揺が走る。

 完全聖遺物とは、大抵が欠片のみで発見される通常の聖遺物とは違う、完全な状態で発見される聖遺物のことだ。

 ゆえに極めて希少であり、そのポテンシャルも群を抜いている。

 例えば翼のシンフォギアに使われている聖遺物・天羽々斬は、刃の先端のみの聖遺物だ。

 つまり、仮に天羽々斬の完全聖遺物がここにあったと仮定するならば、そこからシンフォギアが十個以上作れるということである。

 動揺が走ったのも、当然と言えよう。

 

「この鎧とこの焔。これは別々の聖遺物よ」

 

「え? この炎も聖遺物だったんですか?」

 

 モニターの中に四角が二つ現れ、それぞれが鎧とノイズに着火した焔にフォーカスを当てる。

 

「そ。聖遺物が発した炎ではなく、この炎が聖遺物なのよん。

 使い手が敵と定めたものに滅びを、守りたいと思ったものに守りを。

 選択したもののみを焼き尽くす、生きた焔であり意志ある焔」

 

 映像の中では、世にも不思議な光景が繰り広げられていた。

 ビルには少しの焦げ目しか付いていないのに、それに触れればノイズが一瞬で蒸発していく火。

 小日向未来には傷一つなく、されど彼女に近寄る敵は燃え尽きる。

 石が燃え、水が燃え、ノイズが燃える。

 水をかけても消えないであろうその焔は、会議室の何人かに固唾を飲み込ませた。

 

「この炎は使い手の技量次第で何だって燃やせるわ。

 水だって、鉄だって、それこそ空間や時間でさえもね」

 

「なんというか……ファンタジーですね」

 

「原理的には炭素転換やバリアコーティングと変わらないわよ?

 概念的な干渉を行ったり、防いだりするものだから。これも科学!

 "燃やすもの"を対象として"燃やす"。つまり対象があればなんだってオッケーてわけ。

 ま、つまりこの炎はシンフォギアのバリアコーティングが極めて有効なのよ!

 音楽は炭素にできないのと同じ、音楽は火じゃ燃やせない! ってことね」

 

「おお……」

「流石櫻井女史のシンフォギアだ」

「確かに、火力が上がれば分からないが、このデータから見るに十分可能だ。

 シンフォギアのバリアコーティング……つくづく恐ろしい機能だね」

 

「おーっほっほ、30過ぎても私は褒められて伸びるタイプだから、もっと褒めていいのよ?」

 

 まるでこの炎のことを知っていた人間が徹底して対策していたかのように、バリアコーティングの機能がナイトブレイザーの焔に刺さる。

 二課の面々は対ノイズとして作られていながら、ここまでの汎用性を持つバリアコーティング、及びそれを作り上げた櫻井了子への敬意を新たにした。

 

「そんじゃま、話を戻しましょうか。

 今画面の右に映ってるグラフが戦闘中のゼファー君の脳波グラフ。

 で、画面の左に映ってるグラフが鎧と焔のエネルギー量の計測グラフ。

 みんなにさっき配った資料にも載せてるから見にくかったらそっちを見て頂戴。

 この画面右のグラフと、画面左のグラフを重ねると……じゃじゃじゃじゃーん」

 

 二つのグラフは完全にではないが、ほぼ一致。

 ゼファーの思考と、鎧と焔のエネルギーの相関関係を証明していた。

 

「一致しましたー!

 ま、詳しいところは手元の資料に書いてあるから後で確認してもらうとして。

 この鎧の方はゼファー君の『正の感情』をエネルギーに変える。

 この焔の方はゼファー君の『負の感情』をエネルギーに変える。

 そういう仕組みで動いてるみたいなのよね、どうやら」

 

「正の感情と、負の感情……?」

 

 ゼファー・ウィンチェスターの心の中にはいくつもの矛盾、感情の均衡がある。

 絶望だけではなく、不幸だけではなく、後悔だけではなく。

 希望だけでもなく、幸福だけでもなく、信頼だけでもなく。

 昏い感情ときらびやかな感情は常に互いを喰らい合い、今では希望がいくらか絶望を上回っている状態と言っていい。

 

「あいつが憎い、失うのが怖い、生きてるのが辛い、後悔の記憶、絶望する。

 彼の心の中のそういうものに比例して、この焔は熱量と火勢を増すわ。

 守りたい、優しくしよう、未来を想う、人との繋がり、幸せな思い出、希望を信じる。

 彼の心の中のそういうものに比例して、この鎧は硬度と出力を増すわ。

 この二つの聖遺物は彼の心の中の希望と絶望の拮抗を、そのまま外部に表出させている」

 

 鎧は希望の象徴。焔は絶望の象徴。

 それゆえ焔は鎧からの指揮を受け付け、鎧の表面は炎により黒一色に焦がされる。

 

「そして、そのバランスが崩れると……

 ああ、違うわね。それは正しくない。絶望の感情が彼の中で希望より大きくなると……」

 

 了子が手元のノートパソコンをいじり、モニターの映像を変える。

 するとそこには、苦しげに蹲る戦いの終わりに暴走しかけたナイトブレイザーの姿が映った。

 

「焔の侵食を鎧が抑え切れなくなり、命の危険が生じ始めるわ。

 彼の中の希望、及び鎧の力が絶望と焔を跳ね除けられなくなった、その時。彼は死ぬ」

 

 会議室の面々が、姿勢を正す。

 この『ナイトブレイザー』という力のリスクを、この場の全員が理解した。

 それを手にしているのが無茶しがちな"あの少年"であるということも、お人好しな彼らがこの会議にかける意気込みを強める。

 

「他にも危険な要素はあるの。

 現時点でも最大で8000万℃近い熱量を吐き出していた焔……

 概念的な特性を持つ焔でなければ、地球もシンフォギアもお陀仏確定ね。

 二万トンはあろうかっていう大型ノイズを投げ飛ばす筋力もどう?

 パワー型のガングニールのシンフォギア以上よ、これ。

 純粋な防御力だって、この鎧を破損させるためにどれだけのエネルギーが要ることか」

 

 櫻井了子は一つ一つ、この力の凄まじさを上げていく。

 

「そして、最大のネックが一つ。

 常時ゼファー君の腕を焼いているこの力は、時間制限付きなのよ。

 長い時間安定した力を出せるシンフォギアとは逆に、短時間に超高出力なの」

 

「時間? それはどのくらいでしょうか」

 

「10分はまず無理よ。万全を期すなら、8分」

 

「……短いですね。それだと、広範囲に合体もしないノイズがばらっと広がれば……」

 

「ええ。仕留め切れないまま、ノイズの集団の中で変身解除か、焔に焼かれて死ぬでしょうね」

 

 了子に問いかけた緒川が、難しい顔をする。

 扱いづらいというレベルではない。

 凄まじく高い戦闘能力に、極めて短い戦闘可能時間。

 加えて太陽の中心温度をも超えることもあるという炎に腕を焼かれ、いつまでも「ゼファーの腕に後遺症が残ることはない」などと、確信できるような脳内お花畑はここには居ない。

 絶大な戦闘力というメリットも大きいが、それ以上にデメリットが目立ちすぎる。

 

「ゼファー君のバイタル等を調査した結果、変身解除後もリスクは有るみたい。

 変身解除後は一時間は変身不可よ。

 もし、変身解除から一時間と経たずに無理矢理に変身したら……」

 

「したら?」

 

「死体は絶対に残らないと思うわ」

 

「……成程、ありがとうございます」

 

 断言する天才の言葉に、忍者は考え込みながら口を噤む。

 

「厄介なのは焔の方、なのよね。

 私はこれを遺跡の伝承にある破滅の魔神の焔と同じものだと推察しているわ。

 仮称『ネガティブフレア』。

 以後、二課ではゼファー君の腕を焼くかの焔をそう呼称するので、よろしくね?」

 

「ネガティブフレア……後ろ向きな感情を食らって燃え盛る紅蓮の炎、か」

 

「そゆことよん、弦十郎君」

 

 了子はモニターの横のホワイトボードに"ネガティブフレア"と書いていく。

 

「そして鎧の方の聖遺物にも見当がついてるの。

 これはおそらく、『アガートラーム』という聖遺物よ」

 

「アガートラーム?

 確か、最近は聖剣クラウソラスと同一のものであったという説が有力な……

 "銀の腕のアガートラーム"でしたか、確か。

 世界各地の聖剣伝説の多くはそれが由来である、と聞いています」

 

「あら、流石土場くん。博識ね」

 

 研究者でもない土場の補足に、了子は手間が省けたとばかりに眼鏡をクイッと押し上げる。

 

「銀の腕とはすなわち、鎧に転じる篭手(ヴァンブレイス)よ。

 剣であり鎧。この黒騎士の姿においては、焔を閉じ込める燭台でもあるわ。

 ネガティブフレアとアガートラーム。この二つが、ゼファー君が新たに得た力。

 ……んん、でも新たな力ってのは変かしら。前から体の一部ではあったわけだし?」

 

「融合症例、ですか」

 

 ここに来た当初に発覚し、されど今日までその正体が判明していなかったゼファーの肉体を構築する聖遺物の正体が、ようやく白日の下に晒された。

 日本に来てからのゼファーの急成長、及び戦闘時での生存を助け続けてきた超直感と超再生。

 それは櫻井了子曰く、聖遺物と人の融合体である『融合症例』の特性ゆえにだという。

 二課の面々も了子から最初に融合症例の話を聞いた時は戸惑ったものだが、ゼファーという良くも悪くもその特性を周囲に見せつける者が居たことで、今ではすんなりと受け入れられていた。

 

「第一号聖遺物『天羽々斬』。

 第二号聖遺物『イチイバル』。

 第三号聖遺物『ガングニール』。

 第四号聖遺物『ネフシュタンの鎧』。

 第五号聖遺物『アースガルズ』。

 第六号聖遺物『天叢雲剣』。

 第七号聖遺物『デュランダル』。

 全部が全部私達の手元にあるわけじゃないけれど、これでまた二つ聖遺物が増えたわ。

 それも、正式に二課が所有できる聖遺物。これは素直に喜んでいいんじゃないかしら?

 第八号聖遺物『ネガティブフレア』。

 第九号聖遺物『アガートラーム』。

 カモがネギとガスコンロと鍋と出汁と豆腐をしょってきたような感じね」

 

「二課の聖遺物ナンバーも増えたもんだ」

「しかも完全聖遺物(サクリスト)ナンバリングが手元に三つ。すごいですよ」

「櫻井さん鍋食べたいんですか?」

 

「ま、アガートラームは完全聖遺物に限りなく近い聖遺物、って感じだけどね」

 

「? どういうことだ、了子君」

 

「なんというか……欠けてるのよ。

 数%分くらい欠けてて、だからギリギリ完全聖遺物じゃない、って言えばいいかしら?」

 

 完全聖遺物の定義は、"経年劣化や破損が少なく、ほぼ完全な形を保っている聖遺物"。

 アガートラームが完全な形を保ってもいないが、そのままでもなんとか稼働するレベルの欠損度合いであると推測されていた。

 強いて言うなれば、『不完全聖遺物』とでも言うべきか。

 

「あの腕のヒビ割れの原因の一つは、それでしょうか?」

 

「緒川くん正解。少なくとも、私はそう推測しているわ」

 

「『アガートラームの聖遺物』もまた、この世界のどこかにあると」

 

「あおいちゃんも正解! それ見つけないと、完全聖遺物とは呼べないと私は思っちゃうのよ」

 

 もしも『アガートラームの聖遺物』が見つかったならば、戦闘可能時間の改善や戦闘能力の向上なども望めるかもしれない。

 二課は聖遺物を探しているのは変わらないが、今日からは優先的に探す聖遺物というものが一つできたようだ。

 

「櫻井女史、一つ質問してよろしいでしょうか」

 

「何かしら、あおいちゃん?」

 

 資料とモニターを見つつ、友里あおいが挙手をする。

 彼女は示された焔の凶悪な特性から、一つの疑問に至っていた。

 

「聖遺物と人体が融け合っている融合症例。これはいいです。

 あの黒騎士がネガティブフレアとアガートラームの融合体。これもいいです。

 ですが……あの炎が人体の中にあって、普段平気な理由が分かりません。

 完全に制御できていないのなら、普段の日常生活でも大変なことになっているのでは?」

 

 それは彼女が最初に気付いただけで、いずれこの場の大半が気付いていたであろう疑問。

 アガートラームだけならまだしも、この焔は人体と融合して無害なほど生易しいものではない。

 ゼファーが普通に生きていられる現状に、違和感を感じずにはいられない。

 

「そう言われると思ったわ。だからこの会議、予定の時間を長めに取っておいたのよ」

 

 あおいの疑問に、了子は微笑んで答える。

 そしてノートパソコンのキーボードを目にも留まらぬ速さで叩き、最後に無駄に音を立ててエンターキーを押して、モニターの画面を切り替える。

 

「ここから先はちょっと難しくて、かつちょっと観念的にも感じる話。

 なんで、寝たい人は寝ちゃっていいわよ。ね、弦十郎君」

 

「悪意が感じられる気遣いだな、了子君……」

 

 そこから了子は、ナイトブレイザーに関する解説の一環として、脳筋には理解するまで時間がかかりそうな話を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 了子のノートパソコンから送られたデータが、モニターの右半分にゼファーの全身像、モニターの左半分にナイトブレイザーの全身像を映し出す。

 

「まず、リバーシブルな服を想像してちょうだいな」

 

「裏返すと別の絵柄になる服のことですか?」

 

「そそ。イメージとしてはまずそれを想像すれば間違いはないわ。

 表側がゼファー君。そして裏側にアガートラーム、その表面にネガティブフレア。

 あの黒騎士の姿は、ゼファーくんが意図して"自分を裏返した"姿ってことね」

 

 ゼファーとアガートラームは融合している。

 されど、その両者は表裏である。

 日常生活の範囲の中でなら、ネガティブフレアが着火しているアガートラームの面、すなわち裏面しか焼かれない……ということだろうか。

 

「ま、見たところ表に出てくると表裏関係なくなってくるみたいだけどね。

 表側だとゼファー君の感情を吸ってパワーを格段に増せるからかしら?」

 

「表側と裏側……裏側というと、ウィンチェスター君の内側ということですか? 櫻井先生」

 

「ええ。でもでもでも、肉体の内側ってわけじゃないわよ?

 言うなれば、ゼファー君の精神の内側。『内的宇宙』ね」

 

「内的、宇宙……?」

 

 聞きなれない言葉に、二課職員の一人が疑問の声を口にする。

 

「私達の居る宇宙を外的宇宙、大宇宙(マクロコスモス)と仮定した場合の小宇宙(ミクロコスモス)

 全ての人間の精神の内側にある宇宙……とされている、架空の宇宙のことね。

 先史文明紀に存在が証明されていたけど、現代では証明法が確立されていないものの一つよ」

 

「ほほう」

 

 人の外側に宇宙があるなら、人の内側にも宇宙があるのではないのか。

 そんな仮定から始まり、先史の時代に存在を証明された、人の内なる宇宙があった。

 

「次元で例えてみましょうか。

 たとえば人を『点』とするわ。点に表と裏はあるかしら?」

 

「あるんじゃないですか? ボールみたいに」

「バカ、ボールは球でしょ。点とは違うわよ」

「櫻井女史が言いたいのはそういうことじゃないと思う」

 

「ま、ここでは仮に『ある』とするわ。

 点の表側に広がる空間が、外的宇宙。

 点の裏側に『ある』と仮定した、点の外側に広がる空間と同量の、点の内側に広がる空間。

 これを内的宇宙と考えてみればいいわね」

 

 了子は噛み砕いて話しつつ、話の内容をホワイトボードにささっと書きながら、その上に"一次元"と書き記した。

 

「次は人をA点と仮定しましょうか。

 A点からどこか、どこでもいいけどどっかの方向にあるB点まで線を引きます。

 B点は宇宙の端っこね? つまり、A点からB点までの間が私達の居る外的宇宙よ」

 

「点の次は線、ですか」

 

「いえーす。そしてこのA点を挟んで反対方向に、A点B点間と同じ長さの線を引く。

 これもまた内的宇宙ね。内的宇宙と外的宇宙の体積は同じ、ってこと」

 

 了子は"一次元"と書かれた部分の下に、更に理解するためのモデルを書き連ねていく。

 

「次は"二次元"、厚みがない前提でお話しましょうか。

 ここに黒い下敷きがあります。これを外的宇宙としましょう。

 ここに色とりどりの下敷きがあります。これを内的宇宙としましょう」

 

「なんでそこに下敷きがいっぱい置いてあるのかと思ったら……」

 

 了子は左手で色とりどりの下敷きを数枚、右手で黒い下敷きを持つ。

 

「これらの下敷きを『厚みがない』という前提で全部重ねるの。

 そうしたらだいたい人類全ての内的宇宙と外的宇宙の関係になるわ」

 

「む?」

 

「多色の下敷きを何十億と重ねていけば、次第にその色は黒くなる。

 かつ、厚みがない下敷きなら、1枚重ねても70億枚重ねても大きさは変わらないわ。

 つまり1人の内的宇宙、70億人の内的宇宙、1つの外的宇宙の大きさは同じ。

 だって人の心は虚数に近くて、物理的には体積なんてあるようでない不思議宇宙なんだもの」

 

「……う、ん?」

 

「1にして70億。1の内的宇宙と70億の内的宇宙の体積は同一である。

 かつ、1の外的宇宙と70億の外的宇宙の体積は同一ではない。

 そして1の外的宇宙、1の内的宇宙、70億の内的宇宙の体積は同一である。

 つまりはそういうことなのよぅー」

 

「すまん、皆。司令官として情けないが……俺はここまでのようだ」

 

「し、司令官ッ!」

 

 ここに来て脱落者が発生。

 二課の中核メンバーの中でも最も頭脳労働が苦手な、かつ最も偉い男が脱落してしまった。

 弦十郎という男のことを考えれば、当然といえば当然の流れだったのかもしれない。

 

「あー、ううん、こりゃ私が悪いわね。

 教えて分からないってのは、教える方に理解させられる技量がないのが悪いもの。

 ええと、そうね。

 弦十郎君? 閉じられた空間の中で飛び交う、ラジオの電波を想像してみて」

 

「あ、ああ」

 

「その空間の中を、外的宇宙って名前の電波が満たすわ。

 次に内的宇宙A、内的宇宙B、内的宇宙Cという名前の電波が満たすの。

 周波数は全部違う。するとどうなるか?

 外的宇宙という電波と、内的宇宙ABCそれぞれの電波が満ちている空間の大きさは同じ。

 全部広がる大きさが同じ、かつ重なっていても、全部別のもの。こんな感じよ」

 

「なるほどな……先程よりは分かりやすいが、やはり難しい」

 

「ちょっとでも踏み込むと記号だらけの計算式を延々拝むことになるわよ?

 ま、これは分かりやすいモデルの形に直しただけだからね。

 ぼんやりしたイメージを掴んでくれればそれでいいわ。

 予定してた三次元、四次元の図形モデルの話はやめておきましょう」

 

 人類最高の頭脳と人に呼ばれる櫻井了子でも、人類最強の戦闘能力に特化した風鳴弦十郎に専門分野の知識を理解させようとすれば、日が暮れてしまう。

 彼女はすかさず、次の話に切り替えた。

 

「さて。これまで、外的宇宙と内的宇宙の区切りは"一個人"として書いてきたわ。

 この場合はゼファー君ね。

 内側と外側を区切る点。線を区切るA点。

 そして下敷きの表面、精確には黒い下敷きに接する面。

 これをゼファー君という個人でないとすると、何になるかしら?」

 

「外的宇宙と内的宇宙の境界線、でしょうか」

 

「土場くん正解。

 その境界線を、『人間の内的宇宙の存在を前提とした精神領域の事象地平面』と呼ぶの」

 

「事象の地平? 確か、この宇宙における物理的に到達できない限界地点でしたか」

 

「そ-よー。そっちは物理の世界の越えられない壁。

 つまりこの場合は、精神の世界の越えられない壁ってことになるわね」

 

 精神の世界と現実の世界。

 内的宇宙と外的宇宙。

 小さな範囲で見れば、その境界は一人の人間という個人である。

 されど、全ての人間の心が深い場所で繋がっていて、全ての人間の精神が重なっていて、全ての人間がこの宇宙と対になる内的宇宙を持っている、と仮定するならば。

 それら全てを俯瞰すれば、内的宇宙と外的宇宙の境界線はもっと明確な定義を持つ。

 それが、『事象の地平』。

 これを用いて封じられたならば、物理的に越えられない壁である現実の事象の地平とは違い、論理(ロジック)的に越えられない壁であるこれを、力押しで脱出するのは不可能だ。

 

 余談だが、この理論はバル・ベルデの遺跡にて既にジェイナス・ヴァスケスに理解されている。

 その時ゼファーにも軽く話していたのだが、当時のゼファーにはちんぷんかんぷん。

 なので、彼のカメラに残された写真にのみ残された情報であり、それはF.I.S.に秘密裏に渡ったカメラからF.I.S.に渡った情報でもあった。

 つまりこの理論、ロードブレイザーの封印に使われていた理論でもあるのだ。

 

 そしてF.I.S.から、裏で一部研究者に流れていった理論でもある。

 F.I.S.はその創設の目的から、この理論を掘り下げていく余裕がなく、他の研究者に情報を提供し研究してもらおうと企んだ……なんて、裏事情があったりする。

 

「じゃ、話を戻してまとめましょうか!

 ゼファー君はこの事象の地平面をひっくり返すことで、表と裏を入れ替える。

 表が人間のゼファー君、裏側があの黒騎士。

 ひっくり返していられる時間は、最大10分。できれば8分ね」

 

 櫻井了子が、この会議の総まとめに入る。

 

「普段鎧と焔は、彼の内的宇宙の中にある。

 変身時は裏返すだけだから、一瞬で終わる上に実質無敵ね。

 鎧と焔は彼の中の正と負の感情で動く天秤のようなもの。

 ゼファー君が完全に絶望しきったその時、この焔は彼を殺すわ」

 

 丸めた資料で手を叩く彼女の表情は、珍しくも真剣そのもの。

 

「よって、これから私達に追加される大きな方針が二つ。

 まずは、これまで以上にメンタルケアには気を付けること。

 基本はこれまで通りでいいとは思うけど、無神経に接しないように。

 もう一つは、かの黒騎士の正体がゼファー君であるということを隠し通すこと。

 二課や装者の情報もこれまで通り、勿論機密ではあるけれど……

 ゼファー君の場合は死に直結する分、今まで以上に気を配る必要があると思って頂戴」

 

 他の二課メンバーが他連絡事項、他に気を付けるべきこと、気になったことや別の追加方針などを提案し、会議は終わりへと向かう。

 いや、違う。これで会議が終わりなら、誰もが席を立とうとしていないのは変だ。

 見れば、誰もが会議がこれで終わりではないと知っている様子で居る。

 ひと通りの話、連絡事項を終わらせ、彼らは後顧の憂いなく『本題』に入る。

 

「皆お疲れ様。それじゃ、次の議題に移りましょうか。

 というか、これも本題なんだけどね……次に起こるであろう、『最悪』の情報について」

 

 それがかつてない規模の戦いになるであろうと予測し、誰もが覚悟し、心を引き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファー・ウィンチェスターは、鏡を見て、自分の頬に手を当てる。

 そこにはもう騎士の仮面はない。燃え盛る焔の腕もない。

 ぼんやりとした混血の顔と、醜く焼けただれた腕だけがそこにある。

 

 ゼファーが戦いの最中に一度だけ見て、未来を守るという思いから振り切った雑念。

 その雑念の源となった騎士の姿は、もうそこにはない。

 『あの姿』をゼファーが見間違えるはずがなかった。

 何度も何度も夢に見て、悪夢の中で彼を苦しめてきた、記憶の中でセレナを殺してきた、全てを奪っていった『銀の騎士』。

 

 ゼファーが変じた姿と、かの銀の騎士の姿は色以外は完全に同一だった。

 彼がそれに、何も思うところがないはずがない。

 戦いが終わり、その現実と向き合う余裕ができたならば、彼には思い悩む時間が必要だった。

 もう小一時間ほど、ゼファーは鏡と向き合っている。

 鏡の向こうの自分と向き合っている。

 口が開けば、そこから溢れるのは小さな声の自問自答。

 

「もし、俺が」

 

 ゼファーはあの騎士の姿になっていた時、炎を通して"誰かの"憎しみを煽る意志を感じた。

 その誰かは、ゼファーの負の感情を引き出し続けていた。

 けれど同時に、鎧を通して"誰かの"なだめる優しい意志も感じていた。

 その誰かは、ゼファーの正の感情を引き出し続けていた。

 そして後者の方の『誰か』の意思はどこか懐かしくて、暖かくて、その『誰か』が誰であるかまるで見当がつかないことを、彼が悲しく思うくらいに優しい意思だった。

 

「あそこで、憎しみに呑まれて、暴走してたら……」

 

 今でもあの銀の騎士への憎しみを捨てきれない、ゼファーは思う。

 

「あの銀色の騎士と同じような『もの』に、なってたのか……?」

 

 "ああなってしまったら"と、そんな恐れを抱く。

 既に姿は同じになった。心は同じでないのだとしても、いずれそうならないという保証はない。

 ゼファーは、セレナを殺した異形の騎士と同じ存在になっていたかもしれない"もしも"を思う。

 

 例えば、の話になるが。

 仲間や身の回りの人間が全て吐き気をもよおす怪物の姿になり、自分の姿も同じような怪物になってしまい、怪物同士で殺し合う……なんて状況になってしまったとする。

 自分には人の心が残っている。相対する怪物には人の心が残っていない。

 そんな状況に陥った人間の心境が、今のゼファーにある程度親しいかもしれない。

 ゼファーはかの銀の騎士に人の心があったとは思えないし、今の自分には人の心が残っていても姿形は銀の騎士とほぼ同じ。

 そして、自分が銀の騎士/怪物(ああ)なってしまうかも、という恐れが胸の内にある。

 

「……本当に、繋がりって、大事だな」

 

 ゼファーには、ちゃんと分かっていた。

 自分がそうならなかったのは、誰のおかげかということを。

 

「間違った時に教えてくれる誰かが居なければ、俺も今頃……」

 

 友を思えば、恐れが薄れる。

 道を踏み外し、心まで化け物になってしまうかもしれない、という恐れが消えていく。

 感謝の思いを胸に抱き、ゼファーは二課のとある一室へと向かい歩み出した。

 

 

 

 

 

 小日向未来は二課の一室にて保護されていた。

 保護というのは名目で、機密保持のため――二課の規則――の一室をあてがわれていた。

 ゼファーは扉横の電子錠に携帯端末を読み込ませ、指紋認証、網膜認証を終え、パスワードを入力して扉を開ける。その向こうで、椅子に座っていた少女に会うために。

 

「よ」

 

「や」

 

 よう、やあ、なんて短さを極めた挨拶を、更に縮めるという子供らしさ。

 いや、それ以上に親しい友人同士の気安さか。

 ゼファーが軽く上げた手の平を見せれば、未来は微笑んでそれに答える。

 

「一時間後にはここ出られるってさ。悪いな、ミク。

 ミクはむしろ助けてくれたくらいなのに、ここに居てもらっちゃって」

 

「ううん、櫻井って人に事情は説明してもらったから、大丈夫だよ。

 それに助けられたのは私の方だもん。文句は言えないよ」

 

「そっか」

 

 ほっと胸を撫で下ろすゼファー。

 機密保持のためとはいえ、無理やりここに彼女を閉じ込めるということには、彼も気が引けていたのだろう。

 

「他の人に何かしてくれって言われたか?」

 

「誓約書っていうの書かされたよ。今日のことは誰にも話しちゃダメだ、って」

 

「国家特別機密事項に該当するからって誓約書か?

 あれ最悪外患罪に適用できるから死刑にもできるんだよな」

 

「え゛」

 

「大丈夫大丈夫、誰にも話さなければ問題になることは絶対にないから」

 

 まず、二課の担当官が未来に口外した場合のリスクを分かりやすく丁寧に説明しつつ、『今日見たことは絶対に口外しません』という誓約書を彼女に書かせる。

 次に、未来の親にも誓約書を書かせる。『未来に機密の内容を聞かず、未来に誰にも話させず、有事には責任を取る』という誓約書をだ。

 流石に未来が小学生である以上、親は無関係というわけにはいくまい。

 かなり軽くではあるだろうが、しばらくは未来が口外しないかどうかを確認するため、二課による監視も付くだろう。

 

「それに、ミクは『話さないでくれ』って言えば、絶対に口外しないと思うしな。信頼できる」

 

「……もう。そういう断言、やめてよ」

 

 照れくさそうに頬を掻く未来を見て、ゼファーは一度深呼吸。

 今の発言をも照れ一つ見せずに言った少年が言うのを少し躊躇うような、そんな台詞。

 それをゼファーは吐き出した。

 

「なあ、ミク」

 

「なあに? ……大事な話がしたい、って顔してるけど」

 

「敵わないなあ……いや、さ。俺が泣かないって、ミクは言ってただろ?」

 

「うん」

 

 ゼファーは泣かない。泣けない。泣いてはならないと思っている。そういう人間だ。

 

「あの時、このままミクを死なせてしまったら、って思ったら」

 

 されど、永遠に変わらない人間など居ない。

 

「俺、少しだけ、泣きそうになったんだ」

 

「―――」

 

「もしミクに何かあって、それで泣けなかったら、もう一生泣けないだろうって思えるくらいに」

 

 今日という日に、ゼファーは命を失う可能性もあった。

 未来を失い、永遠に涙する権利を失う可能性もあった。

 だが、そうはならなかった。

 悲劇の運命があったとするならば、今日という日にことごとく打ち倒された屍の中にある。

 

「変だよな。俺、心弱くなっちまったみたいだ。

 前だったら……誰が死んでも、何人死んでも、泣かなかっただろうにさ」

 

 ゼファーは変だ。

 だから時に、普通の人にある普通の要素がゼファーにあることが、逆に変で。

 幼少期にあった、大切な人が死んでも数秒で気持ちを切り替えられたゼファーの強さは、今では失われつつあった。

 それがいいことか、悪いことかは別として。

 

「……変じゃないよ。それ、普通だよ。ゼっくん」

 

「そっかな」

 

 未来がおかしそうに笑って、ゼファーもつられて笑う。

 全部でなくても、一部なら。もうここには居ない友達との思い出なら。

 話せそうだと、ゼファーは思う。そして、口を開いた。

 

「少し、聞いてくれるか。今日までのこと……俺が、戦おうと思う理由を」

 

 ゼファーは泣かない。泣けない。泣いてはならないと思っている。そういう人間だ。

 未来はそれがしたくないことをしている彼の日々にあるのではないかと、そう考えた。

 彼女はそれゆえに、ゼファーに嫌ならやめればいいと言った。

 されど、ゼファーにもそれを受け入れられない理由がある。

 ゼファーは戦いが好きな人間ではなく、戦いが嫌いな人間のままで、戦いたいと力を欲し願った人間だったから。

 

 

 

 

 

 語り終え、ゼファーは何も言わない未来に向かって口を開く。

 未来の表情は絶句しているようで、哀れんでいるようで、どこか納得しているようにも見える。

 そんな彼女に向けるゼファーの言葉は、一つの決意を孕んでいた。

 

「全部、終わらせてくるよ」

 

 ゼファーは今に生きている。

 一時は、過去を全て忘れようとしながら、未来を恐れていたほどだった。

 夢はある。

 けれどもそれは「こうしたい」「こうしてあげたい」というものであり、未来の展望ではない。

 ゼファーは進路調査の時に学生が望むような、"人生の行き着く先の少し前をどうするか"といったことを考えたことがほとんどなく、誰かに相談したり言ったりしたこともほとんどなかった。

 

「全部って、何?」

 

「俺にしかできないこと、全部。

 とりあえずは……倒すべき、敵がまだ居るから」

 

「それが終わったら?」

 

「終わってから考えるさ。戦い続けるか、やめるか。……その時は、相談に乗ってくれ」

 

「うんっ」

 

 ゼファーはこの国に来た時は、ほとんどの記憶を失っていた。

 それを一つ、また一つと集め、一つづつ丁寧に組み上げてきた。

 新たに得てきた思い出も混ぜて組み上げ、出来上がった彼の心の形はかつてのそれとは違い、されど同一の人間の心であることは疑いようもなく。

 

――――

 

「俺は戦うことしか知らないんです。

 戦って何かを守ってないと、戦わないと生きていられないんです。

 俺は戦いの場で償いながら苦しんで死なないと、誰かの代わりに戦わないと、

 戦わないと守れないものを守らないといけない。でなければ生きている意味がない」

 

――――

 

 かつてゼファーは、そう言って。

 

――――

 

「貴方に生きて帰る気がなくても、私が生きて帰らせるから」

 

「あなたは戦うことしか知らないんじゃない。戦うことを知っているのよ。

 それはただのスタートライン。あなたは、きっとそこから始められる。

 戦うことも、人の痛みも、他のことも、たくさんのことを知っているあなたに、きっとなれる」

 

――――

 

 セレナとマリアの姉妹に、彼はそう言われた。

 形は違えど、ゼファーの生き方に大きな影響を与えた二人。

 今は会えないけれど、その言葉は確かに彼の中に息づいている。

 

「戦って、身体が痛いのも苦しいのも嫌だ。だって死にたくないし。

 そこに嘘はない。俺は……俺は、生きたい。何が何でも生きていたい。

 だけど、戦わないことを選んで守れなくて……心が痛く苦しくなるのも嫌だ。

 戦いたくない。だけど戦って守りたい。矛盾してるかもしれないけど、俺はそうしたいんだ」

 

 矛盾しながら、絶望を忘れられず希望を抱きながら、昨日に足を引っ張られつつ明日を目指しながら、ゼファーは前に歩いて行く。

 そんな彼が大切なことを見失わないでいられるのは、きっと友が側に居てくれるから。

 

「それがあなたのしたいこと?」

 

「それが俺のしたいことだ」

 

 互いのことを理解していたとしても、相手が仮に自分の最大の理解者であったとしても、言葉を交わさねば相互理解など叶わない。

 話して、聞いて、人は初めて分かり合える。

 先日のゼファーと未来が分かり合えず別れてしまったように、今日のゼファーと未来が互いに対し理解を示しているように。

 

「皆が幸せに、生きていける居場所を守る。

 その幸せを侵し、未来を略奪する敵から守る。

 そう、"生きて"いきたい。もしその途中で、俺が辛くて泣いて挫けそうになったりしたら……

 その時は、叱ってくれ。まだ全部終わってないぞ、って。

 泣いてないで、戦うのをやめるのは、全部終わってからにしろって」

 

 言葉にしないと伝わらない。大切なものは目に見えない(Le plus important est invisible)のだから。

 

「ふふ、なにそれ」

 

「頼ってるんだよ。今回も、暴走しそうになったところを止めてくれたから」

 

「じゃあ、私を選んだのは人選ミスでしょ」

 

「?」

 

「私はゼっくんが泣いてたら、『もう頑張らなくていいんだよ』としか言わないよ?」

 

「……!」

 

 息を呑むゼファー。

 どうやら未来がゼファーのことを分かっている度合いに比べれば、ゼファーは未来のことを理解しきっては居ないようだ。

 それに不満そうにするでもなく、未来は微笑む。

 ちょっと困ったちゃんで、危うくて、それでも頑張っている友達を、彼女なりに応援する気持ちを見せながら。

 

「ね、ゼっくん、約束して。戦いのない場所に、ここに帰るって。

 どんなに遠くに行っても……必ず生きて、私と響の居る場所に帰って来るって。

 そうしたら、私も約束する。どんな時も、あなたを一人にしないって」

 

「―――」

 

 何度目だろうか。

 彼が生きて帰ると約束し、それが果たされなかったのは。

 ゼファーは約束を破って平気な顔をしていられるほど、約束を破った過去を忘れられるほど、厚顔無恥でも適当な男でもない。

 思い返せば、約束を破った痛みがそこにある。

 ゼファーはその痛みを覚悟に変えて、「今度こそ」と強く決意する。

 この約束を破ってしまう時があるのなら、それはきっと全てが終わるその時なのだと、直感でなんとなくそう思いながら。

 

「ああ、約束する」

 

「じゃ、小指出して」

 

「? こうか」

 

「ゆーびきーりげんまん、うっそつーいたーらはーりせんぼんのーます。ゆびきった!」

 

「何いきなり怖いこと言ってんだお前!?」

 

「嘘つかなければいい話でしょ? ふふっ」

 

 ぎょぎょっとするゼファーを見て、また未来はおかしそうに笑う。

 ゼファーもまた、そうやって何度も言葉をかわす内に、いつしか笑っていた。

 

(色んなことを教えてくれる大人が居る。支えてくれる友達が居る。

 『おかえりなさい』って、迎えてくれる居場所がある。それは、なんて―――)

 

 戦いの中で得られない幸せを、それを感じさせてくれる友達を、自分が戦ったことで守れたのだということを、心の底から実感しながら。

 

 それがゼファーの人生の転換期となる、この数日の合間に挟まった、束の間の幸せであるとも気付かぬままに。

 彼は知らない。彼女も知らない。

 終わりの始まりは既に過ぎ、始まりの終わりはすぐそこまで迫っている。

 

 

 

 ゼファー・ウィンチェスターがただの少年で居ることを許された束の間、残り約40時間。

 

 

 




LAST-IGNITION(ラストイグニッション)

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