戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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「戦場で繋いだ絆は何よりも強く、固い。俺は戦場でそう教わってきた」とブラッドさんは仰られました
これがゲームだったら一章の戦闘シーンに流れる音楽は『胸の撃鉄起こす時』とかそういうの


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 認定特異災害『ノイズ』の本来の出現頻度はそう高くはない。

 世界全体で統計を取れば、日本人が都心で通り魔に出会う確率とそう変わらないだろう。

 ノイズの出現頻度が異常に高いフィフス・ヴァンガードでも毎日は出現しない。

 フィフス・ヴァンガードでの死亡率が高いのは、ノイズと隣国の紛争の両方があるからだ。

 

 ゆえに本当に時々、隣国との紛争とノイズの出現の時と場所が重なる時がある。

 

 ノイズは人を狙って襲う。

 そのため、二国の兵士が集まる戦地は下手に小さな村よりもノイズのいい餌場だ。

 餌場と言っても喰われはせず、ただ殺されるだけなのが更に悲惨に見える。

 直前の戦いでの敵・味方、どちらが勝ちかけていたかなど関係ない。

 両国の主義主張も関係ない。戦う者達の個人個人の主義主張も関係ない。

 紛争という曲に混ざり、何もかもを台無しにする雑音(ノイズ)

 戦争に勝者と敗者が居たとしても、ノイズとの戦いには敗者しか居ない。

 

 

「全員下がれッ! この状況でS国が撃ってくるわけねえ、ノイズだけに集中しろッ!」

「散れ、散れ! 的を絞らせるなッ!」

「今日は厄日だ……!」

 

 

 戦場のまっただ中に、空間から染み出てくるように現れた無数のノイズ。

 バル・ベルデの兵は東へ、S国の兵は北西へ逃げるように動いて行く。

 当然ノイズ達は二手に分かれ双方喰らい尽くさんとするが、その鼻っ面に叩きつけられる弾幕。

 普段の対ノイズ戦術よりもはるかに弾幕濃度が高められた、対人陣形による集中砲火がノイズ達へと向かっていく。

 

 

「やったか!?」

「やれてるわけねーだろ走れッ!」

 

 

 しかし、銃弾が巻き上げた土煙の中から無傷のノイズ達は飛び出してきた。

 『位相差障壁』。

 この世界に存在する比率を自在に変化させる無敵の盾は、ノイズの素の耐久力と合わさって並大抵の銃撃では貫けない。

 時にすり抜け、時に表皮に弾かれる。

 この盾を抜くにはノイズの想定外の奇襲気味の攻撃、接近されてからの相打ち覚悟の応射、あるいは軽減されても問題ない超火力のいずれか。

 あるいは『既存の兵器の枠に収まらない兵器』が必要となる。

 

 

「クッソ……! 撃ってんだから、当たってんだから、せめて傷付くとかのけぞるとかしろや!」

 

 

 でなければ、遠距離からの弾幕は時間稼ぎにすらならない。

 一発一発が安物の防弾ジャケットやヘルメットを貫いて、人の肉体を容易に挽き肉に変える鋼の弾丸の群れが、まるで車に群がる羽虫のように蹴散らされていく。

 着弾の音すら微細にしか聞こえないという現実はまさしく悪夢。

 当人達は例えるならば、自分を殺さんとする亡霊に拳をひたすら振るうも、それら全てがすり抜けていくような絶望を感じているだろう。

 

 

「ああああああああああああああ来るな来るな来るなァッ!」

「ああ、ジャン・ルイがやられた!」

「いいから下がれ! 射線重なって邪魔なんだよテメエらッ!」

「意味ねえ射撃なんざ撃つだけ弾の無駄だ!!」

 

 

 一人、また一人と炭の塊へと変えられていく。

 ノイズの移動速度は何の邪魔もなければ人より遅い方が珍しい。

 種類によっては車よりも速く走り、弾丸よりも速く飛ぶ。

 そして攻撃の威力は素でコンクリートすら砕き、炭素転換能力も付随する無敵の矛。

 真正面から戦車を噛み砕き、服にかするだけで即炭化など、悪夢以外の何だと言うのか?

 それでも全滅を免れたまま後退を可能としているのは、一重に指揮官の優秀さがあるだろう。

 

 

「奇数番号小隊はB10、偶数番号小隊はI10に移動!

 牽制射撃は狙わず撃っておればええ、ただし誤射はせんようにの」

 

 

 仲間内から絶対的な信頼を寄せられる男、バーソロミュー・ブラウディア。

 対人から対ノイズに陣形・戦術を切り替え、ノイズがひたすらに目の前の人間に喰い付いていく特性を利用、統制を取った上での散開移動を指揮。

 人を散らして人に食いつくノイズを散らし、ノイズの数に包囲圧殺されるのを避けつつ、最終的に生存者を複数地点に誘導しつつ車で回収、ノイズの的を増やして目移りも期待する。

 これをあくまで基軸とし、最大多数の生存を目指し臨機応変に駒を動かして行く。

 人が多ければノイズの狙う的が増えて一人あたりの数が減るという理屈こそあるものの、生存を最優先と考えながらの采配でここまで粘れるのは脅威と言える。

 しかしあくまで目指しているのは『最大多数』の生存。

 その過程で、誰にも気付かれずに切り捨てられる少数は存在する。

 

 

(あの世でワシを恨んでくれていいぞ)

 

 

 単に切り捨てられた者ですら気付けないだけで、彼以外の人間が采配を取ればもっと死ぬ人間が増えるというだけで、彼は誰も見捨てていないわけではない。

 少数を小刻みに切り捨てていくその過程は、トカゲの尾を先端から切り刻んでいくかのようだ。

 どうしようもない結末が確定しそうになるその瞬間、少数をノイズを食いつかせる囮とする。

 そこで稼いだ時間で立て直す。

 あまりにも先を読んでの行動のため、あまりにも自然な流れでほんの僅かに切り捨てるため、彼以外は誰も気付かない。

 むしろ生存数は増えているために彼の評価は上がっていく。

 切り捨てたことで悼むのは、彼の中の良心だけだ。

 

 

「しかし、不幸中の幸いか」

 

 

 今回の出現ノイズ数は、最悪なことにかなり多い。

 対ノイズの作戦も練られておらず、陣形・武器・対策は無いに等しく、奇襲に近い形で接近されたため、追いつかれて混戦に持ち込まれれば確実に一人残らず殺し尽くされる。

 しかし幸運に幸運が重なり、バーソロミューが目を剥くほど多くの人間が生存できていた。

 ジェイナスの虚偽報告――ゼファーへの手助け――によって人が偏っていたことが、主力の大半をノイズ出現地点から遠ざける事に成功していたのだ。

 更にジェイナス越しに伝えられたゼファーの警告をバーソロミューも聞いていたため、紙一重で大多数の退避が間に合った。

 幸運、としか言いようがない。そこからの退避の過程でも小さな幸運は重なっている。

 ここまでの損耗率は大体三割。

 バーソロミュー視点、最初は七割は削られるだろうという計算であったのに。

 吹き荒ぶ西風は力強くはなくとも、確かに優しく幸運を運んで来てくれていた。

 

 

「……『ゼファー』と、その名に恥じぬ子じゃの」

 

 

 自らを嘲るように、バーソロミューは胸に……心臓に手を当てる。

 そして、後悔を握り潰すように、拳を握る。

 それは一つの懺悔(ざんげ)だった。誰にも話せぬ懴悔(ざんかい)だった。

 

 

「死ぬなよ、クリス、ゼファー」

 

 

 バーソロミューは一人……いや二人、仲間達と離れた場所で、西から東へと今走っているであろう少年と少女を思い、呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二話:Chris Yukine 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごく普通の世界に生きる人にとって、ノイズの脅威と遭遇率は無差別殺人犯のそれと等しい。

 滅多に出会わないが、出会えば殺される。

 自分が被食者であるという前提での、抗うことのできない絶対的な捕食者。

 それは、雪音クリスという少女においても同じ。

 屋上にてペタリと座り込む彼女に空を舞うノイズの一体が狙いを定めた時、それは目の前に無差別殺人犯が目の前に現れた時、子供がどういう反応をするかという話。

 ヘビに睨まれたカエルでも、こうまで身を竦ませはしないだろう。

 

 

「あ」

 

 

 空を舞う鳥型のノイズはその身をドリルのように変化させ、時速100kmにも届かんかという速度でクリスへと向かって急降下突撃。

 その軌道こそ直線だが、威力は絶大かつ炭素転換のオマケ付きだ。

 足に力の入らないクリスでは避けられない。

 隕石を思わせるそれが、クリスの胸へと吸い込まれるように落下し――

 

 

「悪いな」

 

 

 ――クリスを突き飛ばしたゼファーと、突き飛ばされたクリスの間を通過する。

 

 

「この子は俺が守る。絶対に、絶対にだ」

 

 

 そしてドリルとなったノイズの照準を合わせたまま、ゼファーは息を短く二回吸って吐く。

 そのほんの僅かにズラしたタイミングの合間に、ノイズは二人の少し後方の屋上を30cmほど深く抉り、宙に跳ね返ってそのまま飛行姿勢に移るため飛行形態に再度変型。

 その瞬間、その瞬間だけは、硬いドリルの形態と位相差障壁の再展開の合間を撃てる。

 ゼファーのアサルトライフルが火を吹いた。

 放たれた銃弾は十。命中した弾丸は四。

 突き飛ばし回避しながらの射撃のため、笑ってしまうような命中率だが、それでも運良く羽の付け根のあたりに命中。

 羽をもがれたノイズはそのまま、黒い炭素の屑へと還って行った。

 

 

「無事か? ユキネ」

 

「……ゼファーに思いっ切り突き飛ばされたせいでヒジすりむいた」

 

「よし、無事だな」

 

「助けてくれたのはありがと、でも釈然としない……!」

 

 

 ゼファーはこのままここにいては危険だと、クリスを抱え上げて階下へと降りる。

 クリスはまだ足腰立たない状態だ。

 俗に言う『腰が抜けた』状態であり、軽度の自律神経失調症と過呼吸が体の動きを阻害する。

 落ち着きを取り戻したことで少しづつマシにはなってきているものの、一分一秒を争うこの状況では致命的だ。

 ゼファーも細かい理屈は分かっていないが、直感で「何となくマズそう」とは感じているので、クリスの身体の不調だけは理解している。

 今や完全に、クリスはゼファーのお荷物となっている。

 

 

「あの、さ」

 

「なんだ、運ばれてる途中に喋ってると舌噛むぞ」

 

「あたし迷惑じゃないか? その、あたし置いてっても……」

 

「ノイズが来る前に治るかもって? 無理だな、希望的観測に頼るもんじゃない。

 俺の勘も置いてったらユキネはここで死ぬって言ってる」

 

「う」

 

「大丈夫だ。絶対に絶対、生きて帰らせるって約束する。

 誰かの代わりとかじゃなくて、俺はユキネっていうお前を守りたいと思ってる。だから」

 

 

 これは本当に、ゼファー・ウィンチェスターなのだろうか?

 そうクリスが思うほどに、その言葉に、表情に、常には無い熱があった。

 まっすぐにクリスの目を見て、ゼファーは宣誓の言葉を口にする。

 

 

「信じろ」

 

「―――」

 

 

 その言葉に、瞳に、熱に、クリスは一瞬魅せられた。

 とても深い瞳の色が、沁み入るような声色が、人の心を揺らがせる風、肌を撫ぜる暖かな風を思わせた。

 信じられないと、ゼファーと別れる前に口にした。

 けれどいつの間にか、信じて命を預けているクリスが居た。

 風に吹かれて運ばれる羽はこんな気持ちなのかもしれないと、ぼんやりと思う少女が居た。

 

 飛び跳ねる関係上腹に負担がかからないよう、クリスの抱え方は肩担ぎから片腕持ちに。

 しがみつくクリスの腰下に左腕を回し、右腕全体でアサルトライフルをしっかり固定する。

 ゼファーはクリスを片腕で抱えたまま、もう片方の腕で銃を持ち、屋上から二階へ。

 一階の出口から出るのに邪魔になるノイズを二階の窓から二体発見。一体は近くの建物の周囲をうろついており、もう一体はこの建物の出口前から動かない、どちらもカエル型だ。

 二階から一階へと降りる直前に二階の窓から二軒隣の建物へと手榴弾を投げ、それと同時に飛び降りるように一階へ。

 爆発した手榴弾は建物の上層を砕き瓦礫を降らせ、外をうろつく一体を足止めし、出口近くのノイズの視線を逸らす。

 一人であればその隙に一気に接近できたのだろうが、あいにく今のゼファーは荷物付き。

 接近し切る前に気付かれ、飛びかかられる。

 

 しかしそれこそが求められていた反応なのだと、ノイズ自身は気付けない。

 

 

(……不思議だ)

 

 

 カエル型の攻撃は自らの身体を触腕のように恐るべき速さで伸ばすか、体当たりかの二種。

 今の状態では触腕の方は避けられない。ゆえに、ゼファーは危険を犯して攻撃の種類を誘導。

 接近し、体当たりを誘導した。

 右か左か後ろかの回避三択、迷いなく左を直感で選択し跳躍回避。

 跳ねるような体当たりを紙一重で回避、ノイズの無防備に晒される側面を取ることに成功する。

 その脇腹にマガジンの残弾全てを叩き込み、ただの炭素へと還した。

 

 

(今の俺、過去最高って言っていいくらいに、勘が冴えてる)

 

 

 スリングを活用し出口へと駆けながら片手でリロードを終え、間を置かず外へと躍り出る。

 そこにはかなりの量の瓦礫が降り注いだにも関わらず、少し擦れた跡しか残っていないもう一体のノイズ。

 そのノイズが触腕を伸ばしてくるのに合わせ、地面に転がる十数個の小石を掴んで放り投げる。

 触腕にぶつかり、一個すり抜ける。また一個すり抜ける。また一個、また一個、また一個。

 そして、すり抜けない小石が見えた。

 その瞬間、ゼファーは抱えたクリスと共に地面に仰向けに伏せ、斜め上に撃つように射撃。

 コンクリートは砕くものの、そこまで速くはない触腕の先端に銃弾が集中する。

 

 

(ユキネが居るから? 守ろうとしてるから? それだけで?)

 

 

 位相差障壁の解除を確認してからの、斜め下から斜め上向きの射撃。

 触腕といえど、これはノイズが自分自身の頭や胴体を変化させた立派な体の一部だ。

 一発、また一発と当たる度ノイズにダメージは蓄積され、触腕は上方向に弾かれていく。

 そして弾丸の群れに少しづつ押し上げられた触腕は、ゼファーの頭から頭二つ分上のあたりを通過し、通り過ぎて行った。

 そこでマガジンに残ったラスト五発の弾丸をノイズ本体へと発射。

 触腕へのダメージの蓄積もあり、ノイズはあえなく炭の塊へ。

 雪音クリスという重荷を背負っているのに、ゼファー・ウィンチェスターはなお強い。

 いやむしろ、先日までのゼファーよりも、今の彼女を背負うゼファーの方が強いかもしれない。

 

 

(それだけで、こんなに)

 

 

 理屈ではないのだ。こういう人種の心胆から湧き出づる、『こういう強さ』は。

 

 

(こんなに、力が湧いてくる)

 

「ゼファー、大丈夫か? こんなギリギリじゃあたし置いてった方が……」

 

「いいんだよ。ユキネが居てくれた方が、俺は強そうだ」

 

「は? え?」

 

 

 人が死んで記憶を忘れたいという気持ちもあれば、忘れたくないという気持ちもある。

 

 

―――撃てない、撃てないよ、へっちゃらじゃないよ……

 

―――子供は、守らないとね

 

 

 人を撃てない少女が居た。ゼファーはその少女を守れなかった。

 子供は守らないといけないと言った人が居た。彼が居れば、クリスも守ろうとしたはずだ。

 いくら忘れようと逃避しようが、その生と死はなかったことにはできやない。

 今のゼファーの状況は、そっくりそのまま先日のビリーの状況だ。

 守る者が、守られる者を命を懸けて守り、突破口を最後まで探し続けたあの時と。

 

 リルカの代わりとして守るのでもなく。ビリーの代わりに守るのでもなく。

 ゼファーは己自身の意志でクリスという一人の少女を守りたいと思い、今この場に立っている。

 過去の全ての後悔の上に、自分の意志と決意を上塗り重ねようとしている。

 戦争において、他国の領土を己自身で塗り潰していくように。

 それは不器用で、愚鈍で、人の死から逃げてばかりだった少年が、自分の過去へと決着を付けようとする、弱々しい一歩。

 人の死から逃げないようになるにはまだ遠くとも、彼なりの牛歩の歩みだった。

 

 その成長は、言葉の端々からも伺える。

 

 

「絶対に絶対、生きて帰るぞ」

 

「……うんっ」

 

 

 クリスと出会う前のゼファーなら、死人の口癖など絶対に口にはしなかっただろうから。

 

 ゼファーはクリスを抱えたまま、西風に背中を押されるように東へと駆ける。

 

 

「ここから一気に走る。舌噛むなよ」

 

「ゼファーこそバテるなよ?」

 

「そういや流石に片手で持ってるとユキネは重いな」

 

「あ、おまッ、後で覚えてろよッ!?」

 

 

 少女が、クリスが変えたのだ。

 リルカとは似ていない、けれどゼファーが生きて欲しいと思う性情で、心強くなくとも意思は強く、そして何より、不器用であっても優しい少女だった。

 クリスは良くも悪くも、同年代として本気でゼファーにぶつかって行った。

 互いに口喧嘩もした。遠慮も無かった。意地も張った。

 その関係は対等なもので、ゼファーにとっては、昔一人の少女を守れなかった時からずっと縁のなかった、同年代の知り合い以上友達未満の関係。

 そんな少女が銃を向けられ殺されるかもしれなかった一瞬が、ゼファーに一歩を踏み出させた。

 

 

(車の回収地点まで後もう少し、あと少しだ。息が切れて、喉と肺が痛いが、保つ)

 

 

 踏み出した一歩は小さくとも、踏み出したなら足元は僅かに疎かになる。

 感情を極力廃したかのような、熱の無いゼファーの戦い方は隙が無い。

 逆に言えば感情の揺らぎが戦闘において邪魔になると判断したからこそ、感情を押し込んで蓋をする少年の在り方が完成したとも言える。

 その時ゼファーはクリスを守ることで強くなっていたが、同時に弱点が生まれてもいた。

 

 

「ゼファー、上!」

 

「!」

 

 

 上空にノイズ二体。

 否、一体は空輸型と呼ばれるノイズを運ぶことしかしない気球のような形のノイズだ。

 空輸型ノイズに捕まった手を離し、一体の人型ノイズが落下する。

 重力を感じさせない軽やかさでそのノイズはゼファーに気付かれると同時に着地し、その両手の刃を振るって跳び出した。

 

 

「ッ!!」

 

 

 その刃を本当に奇跡的にゼファーはかわす。

 突き出されたノイズの刃が回避したゼファーの右脇下、右腕と胴体の間の空間を切り裂く。

 一撃必殺のノイズとの戦いは本当に紙一重の連続だが、思考すら出来ずに直感に全てを任せて跳んだのは本当に久し振りだった。

 ゼファーの全身から冷や汗がどっと流れ出る。

 人型ノイズは勢い良く跳躍したせいか、ゼファー達の居た場所を15mは通り過ぎて行く。

 しかし今度こそは人間を殺さんと、反転してゼファーとクリスに向かって駆け出した。

 

 

「下がっててくれ」

 

「ぎゃふっ!?」

 

 

 ゼファーからすれば最大限に丁寧に、クリスからすれば打ち付けた尻が痛くなるくらいに荒っぽく、クリスをその辺に投げ捨てる。

 砂よけのローブを脱ぎ捨て、ゼファーはアサルトライフルを構えた。

 この刃の手を持つ人型ノイズは小型ノイズの中でも比較的頑丈だ。

 マガジン丸ごと一つ、それら全てを位相差障壁を抜いて打ち込んで倒せるかどうか、そのくらいには硬い表皮を持っている。

 クリスを抱えてここまで走ってきたことで、ゼファーの体力と足はもう限界だ。

 避けながらのヒットアンドアウェイに勝機はない、直感でそう判断する。

 勝機は銃撃によるクロスカウンター、それだけだ。

 

 

「ゼファー!」

 

 

 背後からのクリスの声も無視し、ひたすらに余分な思考を切り捨てて集中する。

 荒く切れる息と動く肩に射線をぶらされないように、懸命に息を整える。

 迫るノイズ。構える銃。

 そしてあと3mという所で、砂よけのローブをノイズに向かって投げつけた。

 

 

(倒れろ)

 

 

 このノイズは変形しない。なら問題は、位相差障壁解除のタイミングだけ。

 ローブをノイズの手先の刃が通過する。しかしまだローブは破れていない。まだ撃たない。

 ノイズ側から自分の姿が見えない内に、刃をかわすように身体を右下に沈める。

 ノイズの刃がローブに穴を開け始め、ローブが炭化し始めた。撃つ。

 ローブが透過されずに切られ炭化し始める、それこそが位相差障壁が緩められた証。

 引き金を引き、オートで一点集弾。ゼファーの全身全霊を込めた集中攻撃だ。

 一発、二発、三発、四発、五発。弾丸がローブを貫きノイズの腹へと向かう。

 まだ倒れない。

 

 

(倒れろ)

 

 

 肩と肘が一体化しているノイズの刃腕はローブを手首まで貫通し、その刃の先端はもう30cmも斜め下にずらせばゼファーに当たるだろう。

 しかし、ノイズの視界を塞ぐローブによってそれは為されない。

 彼が手にするアサルトライフルは一分間に数百発の鋼を吐き出す頼れる武器だ。

 六発、七発、八発、九発、十発、十一発、十二発、十三発、十四発、十五発。

 しかしマガジンの弾を半分吐き出しても、ノイズはまだ倒れる気配を見せない。

 

 

(倒れろ)

 

 

 ローブが炭素転換で砕け始める。

 視界を塞ぐローブがなくなれば、その時点でゼファーは傾けられた腕に呆気なく殺される。

 しかし、中々砕けない。まるで長年の間連れ添った主のために、ローブが意地を貫いているかのようだ。

 それはただの錯覚と断じられるかもしれない。偶然の範疇と言われるかもしれない。

 一秒以下の砕けるまでの時間の差異に何を言っているのかと、そう言われるかもしれない。

 それでも、ほんの一瞬、ローブは砕けるまでの僅かな時間を稼いでくれた。

 誇張なしに、値千金の一瞬だった。

 

 

(倒れろ)

 

 

 ゼファーの左肩の上、顔の左、触れるか触れないかというギリギリの場所を刃が通過する。

 十六発、十七発、十八発、十九発、二十発、二十一発、二十二発、二十三発、二十四発、二十五発。

 残弾残り五、それでもノイズは倒れない。

 リロードなんてする余裕があるわけない。

 最後の最後に勝敗を決めるのは、強い意志だ。

 

 

(倒れろ)

 

 

 とうとうローブが砕け散り、それと同時に叩き込まれる五発の弾丸。

 二十六発、二十七発、二十八発、二十九発、そしてラストの三十発。

 (ひら)けた視界で、ノイズとゼファーが向かい合う。

 ノイズの腹には、ゼファーが見えていなかっただけで無数の穴が穿たれていた。

 ゼファーの牙は、間違いなくノイズへと届いていたのだ。

 しかしノイズの牙たるその必殺の右腕も、ゼファーに添えられている。

 

 

「倒れろォッ!!」

 

 

 言葉すらも弾丸だと言わんばかりに、ゼファーは叫ぶ。

 あとほんの数センチ、ノイズがその腕をずらすだけでゼファーは死ぬ。

 腹に穴を開けてもノイズが死んでいなければ意味は無い。

 ゼファーの勝利条件は生存で、ノイズの勝利条件は人間との相打ちだ。

 だからこのままなら、ノイズの勝ちでゼファーの負けだ。

 逃れようもなくゼファーは死に、ノイズと仲良く炭の塊へと還る。

 

 ノイズがその右腕を、ゆっくりと傾け、ゼファーへ触れ――

 

 

「ゼファーがあたしを守ってくれるなら」

 

 

 ――ようとした右腕が、銃弾に弾かれた。

 

 

「あたしがゼファーを守ってやるよ。イーブンじゃない貸し借りを作るのは、好きじゃないんだ」

 

 

 ゼファーの肌すれすれを通し、刃の先端を撃ち刃腕ごと拳銃弾で弾くという絶技。

 肩関節が支点である以上刃の先を撃たれれば、いくら低威力の拳銃でも腕は弾かれる。

 振り上げられたノイズの左腕の先端も再び弾く。

 雪音クリスの銃弾が、先程はゼファーを守る為に引けなかった引き金が、撃鉄の音と共に、ゼファー・ウィンチェスターを守っていた。

 

 腹に大穴が空いていたノイズも、最後の抵抗を防がれあえなく力尽きる。

 砕けた炭の粉末が西風に吹き散らされ、ゼファーとクリスの目の前で消えて行った。

 この勝負の最後の勝敗を、運命すら決める強い意志が左右したと仮定するならば、この災害を産んだであろう『何か』の意志がゼファーの意志を上回ったということ。

 そしてその意志が、ゼファーとクリスの意志の前に敗れ去ったということだ。

 

 ゼファーが勝つでもなく、ノイズが勝つでもなく。

 『ゼファーとクリス』が勝ち、生き残った。それだけの話。

 

 

「……ふぅ、何度やってもこういうギリギリの戦いは慣れないな」

 

「あたしは心臓止まりそうだった……慣れたくねー……」

 

「その割には百発百中、流石はユキネだ」

 

「守られるだけのお姫様ってのは、どうにもあたしの性に合わないんでね」

 

 

 集中が切れたのか、その場に尻もちをついてしまったゼファー。

 そんなゼファーに、クリスは笑って手を差し伸べる。

 薄く笑って差し伸べられた手を掴み、互いの体温を確認し、生きているのだと実感する。

 戦闘の後だからか、互いの伝わる温度は先刻のそれよりも、なお熱かったような気がした。

 

 笑って胸を張るクリスと、そんなクリスの肩を軽く叩いて褒めるゼファー。

 今朝の険悪な空気が嘘のようだ。

 

 

「……なあ、ゼファー。あたし、ちゃんと言わないといけない事があるんだ」

 

「奇遇だな、俺もだ。せーので言うか?」

 

「せーので言うか」

 

 

 「ごめんなさい」、と。口にしたその一言で十分だった。

 何が悪かったとか、どこが不快にさせたとか、そういううだうだとした謝罪は要らなかった。

 二人の間には、それだけで十分だった。

 西風を背に、二人は並んで走りだす。

 

 

「……よし」

 

「今日一番の決意を込めた顔でどうしたゼファー?

 ……まさかまたノイズとか」

 

「あーいや、言いにくいというか照れくさい」

 

「いや言えよ、お前ずっとあたしの扱い雑だったし今更だろうが」

 

「んじゃ遠慮無く」

 

 

 戦場で繋いだ絆は何よりも強く固い、かつてそう言った男が居たという。

 何年も戦場に居る兵士は、家族や恋人よりも、時に共に過ごした仲間を大切に想うという。

 命を懸けて守り、背中を預け、命を助けられ。

 そんな修羅場での一瞬一瞬はとても濃密に、加速度的に、人と人との絆を紡ぐ。

 

 

「あのさ、俺と……俺と、友達になってくれないか?」

 

 

 ゼファーは割とあっさり他人を好きになるタチで、好意を取り繕わない不器用少年。

 

 

「おま……そんなこっ恥ずかしいこと真顔で言うなよ!」

 

 

 クリスは好意を伝えるのも伝えられるのもあまり得意でない不器用少女。

 

 

「だから照れくさかったんだって……あ、車来てる! もっと速く走れッ!」

 

「え、え!? あたしこれ以上無理だから!」

 

「手引っ張ってやるから手出せ! それで返答はッ!?」

 

「い、イエスッ!」

 

「グッドッ!」

 

 

 二人の不器用少年少女は、本当に面倒な紆余曲折を経て、この日友達になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、夢の中。

 

 ゼファーは夢の中で、かの純白にして絢爛な祭壇の上に立っていた。

 果てしない青空と、果てのない荒野と、果てより来たる西風が広がる世界。

 目の前に華やかさと神聖さを両立した、途方もなく荘厳で神秘的な『銀の剣』。

 

 その剣を抜けば『英雄』になれる。

 

 それは確約されていて、自分にはその権利があるのだと、ゼファーには分かっていた。

 起きれば全てを忘れてしまうものの、夢の中のゼファーは覚えている。

 何度も何度も荒野の端からこの祭壇に向かい、しかしこの剣を手にすることは出来なかった。

 剣を手にするかしないかというタイミングで夢から醒めてしまう。

 聖剣はゼファーを呼び続けていたが、ゼファーにはこの剣を手にする資格がなかったのだ。

 

 しかし、それも今日まで。

 

 守る者を得、それをしっかりと意識したゼファーは、この剣を手にする資格を得た。

 青紫のラインが映える白銀の聖剣は、主が自分を手にする瞬間を今か今かと待ちかねている。

 

 手にすれば、力が手に入る予感がした。

 手にすれば、運命が変わる予感がした。

 手にすれば、全てを守れる予感がした。

 

 ありとあらゆる力を超える力、予感を確信に変える力が目の前にある。

 ゼファーは目の前の剣の柄に手を伸ばし、そして――

 

 

「……いや、やめとく」

 

 

 ――剣を掴まず、背を向けて祭壇を降り始めた。

 

 

「英雄はきっと、最後に死ぬものなんだ。だから俺は英雄にはなれない」

 

 

 死ぬわけにはいかない、と。

 「死にたくない」ではなく。死ねない理由ができた、と。

 一人にしないと心の中で誓った友達ができた、と。

 彼女を守って死ぬようなのが英雄なのだろうけどそれは出来ない、と。

 一人の友のため、どんなにみじめな形でも生き残り、英雄になる権利を捨てることを選択した。

 

 

「きっと凡人の一端でしか無い俺には、ユキネと違ってただの勘のいいガキでしかない俺には、

 ここで(おまえ)を手にしなきゃ一生英雄になんかなれないんだろうけど」

 

 

 かつてビリーを通して憧れた、英雄という生贄の柱になることを否定した。

 

 

「英雄なんて要らないだろ? 俺達は俺達で力合わせて、なんとかやってくよ」

 

 

 そんな少年の言葉に、白銀の聖剣が、何故か嬉しそうに瞬いた。

 祭壇に背を向け降りていくゼファーは、それに気付けない。

 

 

「仲間と心を一つにして立ち上がれたなら、なんだって出来る気がするから」

 

 

 祭壇を背にし、ゼファーは改めてこの世界を見渡す。

 どこまでも広がっていく、どこから来てどこに行くのかも分からぬ雲を浮かべる青空。

 どこまでも広がっていく、地平線と一体化した何があるかも分からない無限の荒野。

 どこまでも広がっていく、草の香りを含んだ背中を押す西風。

 そう、世界は広いのだ。

 この世界も、現実の世界も、ゼファーが知らない世界が無限大に広がっている。

 

 踏み出す先は世界の果て。

 人はそれをまだ見ぬ未来だとか、生きる世界の外側だとか、そういう風に言う。

 今生きている世界の外側に踏み出すとはそういうことだ。それをひどく恐れる者も、時に居る。

 それでも。

 

 

「不安でも、怖くても、きっと、どんな時でも一人じゃない。

 俺の信じたビリー・エヴァンスが、そう言ってくれたんだ」

 

 

 踏み出す一歩に、躊躇いは無かった。

 英雄になれる剣を捨て、ゼファーはまだ見ぬ友を、いつか誰かと出会う未来を選ぶ。

 一人の少女と出会い友となれた今日の日が、彼にその選択を選ばせた。

 たった一人で世界を救い、その果てに死す英雄となる未来を捨てさせた。

 

 

『アガートラームは一人の力で抜くものにあらず』

 

 

 その選択を、他でもない白銀の聖剣が誰よりも高らかに、声なきままに祝福する。

 へったくそな人真似の口笛が、荒野の果てへと響いて行った。




生きようとする命の力を束ねて未来への扉を開く鍵

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