戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
第十四話:アヴェンジャーズは正義か悪か・奏&愛歌のノイズからの逃避部分
天羽奏がゼファー達と共に戦う時代の、十年ほど前の時代。
「またきたの? あんちゃん」
「二回も道に迷ってた君を交番まで連れてってたの俺なんだけどな。
というか来たのは君で、今回は俺の方が来たわけじゃ……」
「こまかいこといいっこなしー」
青々とした、と表現される緑一色の並木通りに風が吹く。
そこで安っぽいヒーローの仮面の男、赤い髪の少女が楽しげに話している。
仮面の男はただ立っていただけで、少女の方が駆け寄って行って話しかけたのにこの言い草なのだが、互いに気にした様子はない。
「なにしてんのさ」
「俺か? 俺は……女の人と待ち合わせだな」
「こいびと?」
「あの人が俺を好きになることはまずないと思うな。勘だけど」
男は仮面の下で苦笑しながら、やれやれといったポースを取る。
そこで少女は、冗談めかした笑みと口調で仮面の男をからかいに行く。
「ま、どくしんきぞくがいつまでもつづくようならあたしがもらってやってもいいぜ。
あんたやさしそうで、さちうすそうで、こいびととかできないふいんきしてるし」
「俺はそれに"ありがとう"と"余計なお世話だ"のどっちを返せばいいんだ」
明らかに冗談なその発言に妙なリアリティと嫌な予感を感じてしまい、仮面の男は冷や汗をかきつつ同様に冗談めかして返す。
そして、少女の申し出をやんわりと断った。
「でも、もしそうなっても遠慮しとくよ。もっといい人を探しておきな」
「あはは、あたしふられた?」
「ごめんな。女の人を好きになるって、どういう気持ちなんだろうかなあ」
フラれた、と言いつつ少女はからからと笑う。
仮面の男も仮面の下で悩んだ表情を浮かべているのだろうが、ヒーローの仮面を被っているために、首を傾げる仕草でしか本心が読めてこない。
「あたしならおしえてやれるけどなー」
「十年早い。もうちょっと大きくなってからな」
仮面の男にデコピンされると、赤い髪の少女……天羽奏はいたずらっぽく笑い、本来の目的地に向けて走り出して行く。
「じゃーなあんちゃん! げんきでやりなよ!」
「ああ、君もな」
去り行く者も、送り出す者も手を振り、その内互いに互いの姿が見えなくなった。
「……カナデさんにも、あんな頃があったんだな」
仮面の男は仮面を外す。
その下から現れた顔は、ご存知ゼファー・ウィンチェスターのそれ。
幼少期の天羽奏との触れ合いを通して、彼は一つの確信を得ていた。
第二十話:遠い日の、遠いあの場所で 3
ゼファーは待ち合わせと言ったが、結果から言えばそこからほとんど待つことはなかった。
ロリ奏が去った途端ノットロリ奏が現れ、すごいスピードで接近したかと思うと、ゼファーの襟元を掴んで前後にゆすり始めたからだ。
どうやらこっそり話を立ち聞きしていたらしく、幼少期の迂闊な発言に顔を真っ赤にし、彼の記憶を飛ばしてやると言わんばかりに全力でシェイクしている。
「てめ、てめ、てめっ! アレお前だったのかよ!」
「アレが何だかは知らないけど、俺だったみたいだ」
誰にだって幼少期に、存在は薄ぼんやりと覚えているが、どんな名前だったか・どんな声だったか思い出せない大人の一人や二人は居るだろう。
それは親戚のおじさんだったり、近所のおばあさんだったり、小学校の先生だったりする。
ゼファーはそれに思い至り、物は試しと挑んでみたのだ。
要するに、時間と世界に矛盾が生じない限りは行動が許されるのがこの世界だ。
彼は仮面を被り、『仮面の男』と『ゼファー・ウィンチェスター』が同一人物であるという認識を過去の奏に与えないようにして、彼女に会ってみようとしたのである。
……計画的に行動しようとしていたのに、結局先日迷子の奏を見て、彼女を助けるという形で接触してしまったのは完全に彼の計算外ではあったのだが。
何はともあれ、ゼファーはこれでロリ奏に会うのも三度目。
櫻井了子の物真似で立てた彼の仮説は、これで証明されたことになる。
過去を変えず、未来を変えず、時系列に矛盾をさせない範囲でならば、この時代の人間と会って言葉を交わすことはできるのだ。
「ああもう、翼がどうなってるのかとか、父さん母さんのこととか、昔のあたしとか……
考えることに悩ましいことにめんどくさいことで頭ん中ぐっちゃぐちゃになってきた!」
奏は頭を抱えて唸り始める。
そも、頭がいいくせに何も考えないで真っ直ぐに突っ込むのが好きで、それが一番いい結果を出せるというのが天羽奏という少女なのだ。
いい意味でも悪い意味でも頭が悪く、考えるのをやめられないゼファーとは『考える』という過程に対し、感じるストレスが桁違いなのだろう。
ゼファーはそんな奏に対し、問題を解決する方法を提示する。
「実は脱出の方法に検討はついてるんだ」
「! 本当か!?」
「だけどその場合、ガングニールが絶対に必要になる。意味、分かるよな?」
「……」
奏はポケットの上から、その中に入っているケースを指でなぞる。
ケースの中には、一本の注射器が入っていた。
本当にもしもの場合のみに使うことを許されている、緊急事態用のLiNKERである。
奏は適合係数制御薬LiNKERがなければシンフォギアを身に纏うことが出来ない。
加え、LiNKERは劇薬だ。使用後は体内洗浄を行わなければならない。
前回のLiNKERの分の体内洗浄を終えていない上に、緊急用の少量のLiNKERしか渡されていない奏では、これを使ったところでそう長くはシンフォギアを纏えない。
おそらくはせいぜい十数分。それを過ぎれば確実に死ぬだろう。
そしてこのLiNKERを使い切ってしまえば、次はない。
「一回勝負か」
「そういうこと」
奏が次にシンフォギアを纏ったその時が、この世界を出る時だ。
「だからさ、その前にご両親と会って来たらどうかと思うんだけど」
「! ……おい、それマジで言ってんのか?」
「ああ、大マジだ」
睨みつけてくる奏に対し、ゼファーは真っ直ぐな視線で返す。
ゼファーの最も付き合いが長い仲間・直感が彼に囁き続けていた。
自分達が飛ばされたのが奏の過去であったことは偶然ではなく、そこに意味はあるのだと。
彼らの目に映る日付は『8月32日』のままで、彼らがまだかの大きなのっぽの古時計の力の干渉下にあることは明白なのだ。
それに、なにより。
どんなに辛い気持ちでも、気が引けたとしても、死した大切な人に会う機会を逃してしまえば、奏は絶対に後悔するはずだと、ゼファーは思っていた。
先を行く彼と後を行く彼女の二人は、少しだけズレた重なる道を歩む同類だ。
互いが完全に同じではなく、違う所もあり、それでも境遇が似通う鏡の向こうの自分自身。
そのため、無意識下で二人は互いに対しこう思っている。
"この人なら自分の気持ちを分かってくれる"、と。
一種の共感。ゼファーにはそれが『最初から好感を抱く』という形で作用し、奏にはそれが『同じだけど違うから心乱される』という形で作用した。
その果てに絆で結ばれた二人なのだ。だからこそ、こういう時に互いの深い部分を理解し合い、互いが本当に間違えそうな時を察知できる。
「俺はずっと考えてた。考えても意味が無いって分かってても……
それでも、考えずには居られなかった。カナデさんもきっとそうじゃないか?」
奏は今この時を逃せば、二度と両親を言葉を交わすことは出来やしない。
「『死んだ人達は何を思っていたんだろうか』、って」
「―――っ」
彼女の両親は、彼女を守って死んでしまっているのだから。
他の誰でもなく、ゼファーだからこそ理解できる奏の中の気持ちというものがある。
自分のために死んだ人。自分を守るために立ち向かった人。
死人に口はない。死んだ人とは話せない。死を迎えた人に許して貰うことなんてできやしない。
それが原則であり、絶対のルールだ。
だが、今彼らはそれを覆すことが可能な"限定的な奇跡"をその身で体現している。
「ご両親と話すべきだと俺は思う。だって、これが話せる最後のチャンスじゃないか」
「ゼファー……」
「俺は……大切な人と死に別れた時、『さよなら』さえ言えなかった」
「……!」
「カナデさんはそれをちゃんと言うべきだと思う。
ちゃんと話して、『さよなら』を言って、そうして先に進むべきだ」
今日この日に至っても、ゼファーは雪音クリスの生き方を尊敬している。
死に対する彼女の向き合い方を、忘れず心に刻み込んでいる。
人と関わる度に学び、覚え、成長するゼファーの言葉の中には、常に彼の過去がある。
「さよならってのはきっと、終わりを告げるためだけのものじゃないと思うから」
「……」
奏はゼファーに言い返そうと口を開き、されど何も言わずに口ごもり、眼と口を閉じて考えこんでから、たっぷり五分は経った後に、その重い腰を上げた。
他の誰に言われたとしても、彼女がここで立ち上がっていたかは怪しかっただろう。
他の誰でもない、ゼファー・ウィンチェスターの言葉だからこそ彼女は動いたのだ。
大切な人を殺され、憎悪と復讐心を抱き、それを忘れるのではなく、もっと大きな感情と新たな大切なものを得たことで変わった、そんな彼の言葉だからこそ、彼女を此方に踏み留まらせる。
「夜までには帰って来る」
「行ってらっしゃい、カナデさん」
そして、彼女は部屋の外に出ていった。
ゼファーは固有の時間軸を持つ自分の内的宇宙の体内時計から、この世界の外側……ディアブロと翼が戦っている元の世界で流れた時間を計算する。
おそらくは二分弱程度。
遺跡最深部に辿り着くまでかかった時間を考えれば、翼は三分近く戦っていることになる。
「悪い。もう少しだけ持ち堪えてくれ、ツバサ」
ゼファーの推測・計算・直感を合わせた思考によれば、おそらく風鳴翼が持ち堪えられる時間はあと一分ほどある。逆に言えば、あと一分しかない。
「あの人が、次の目的地を目指せるようになるまでの時間を……頼む」
脱出の方法やら世界の検証やら奏の説得やらで、考え過ぎによる精神的疲労が積み重なっていたゼファーは、木に背を預けて木陰で一休みするのだった。
奏はまず髪の大半を編み上げ、纏め上げて帽子で隠した。
隠せない部分にはエクステを付け、髪の質と色そのものを偽装する。
髪の大半が帽子とエクステで偽装されたことで、これだけでも奏との付き合いが浅い人間には、この少女が天羽奏であると判別するのは難しくなっただろう。
次は服だ。
奏とその母は活動的な女性であり、服装もそれ相応にラフなものが多い。
見方によっては悪ガキのような服を肉感的な女性が着ているようなもので、オープンでアグレッシブな彼女らの性格を表しているとも言える。
なら、その服装を清楚な女性らしいものにすればいい。
普段と正反対な服装を身に纏い、知的に見えるデザインのメガネまでかければ、先程の髪の偽装も相まってそうそう他人にバレることはないだろう。
こういった変装や服装のセンスにおいては、子供ら三人の中では奏が一番優れていた。
これで後は、奏が両親に娘であることを明かさず、余計なことを言わなければいい。
そうしようとすれば即座に『偶然』が重なって引き離されるだろうが、そうしない限りは時系列に矛盾は生じず、彼女は親と話すことができるはずだ。
「……」
鏡の前で、奏は自分の姿を見つめる。
毎日鏡を見ていたはずなのに、ここ数日鏡を見る度に辛いを思いを抱いてしまうのは、奏が成長した自分と今の時代の母親を見比べて、『そっくり』という感想を抱いてしまったからだろう。
今の母親は30手前。対する奏は16歳。
年齢が近くなった分、鏡を見る度に親を思い出すようになってしまったのだ。
「……」
奏とて想像もしていなかっただろう。
健在な両親を見て、愛していた父と母の姿をまた見ることが出来て、二人がいずれ避けられない死の運命にあることを認識し、天羽家が仲睦まじく暮らしている光景を見る。
それが懐かしくて、嬉しくて、涙が出そうで、そしてそれ以上に悲しくて。
ただ見ているだけで辛くなってしまうなんて、思ってもみなかったのだ。
今日まで奏は、両親のことを思い出す度に『憎しみ』しか浮かび上がってこなかった。
いや、違う。
憎悪と復讐心で他の感情を塗り潰し、自分が感じている感情すら誤魔化していたのだ。
この世界で幸せに生きている両親の姿を見たことで初めて、奏の中の『悲しみ』が『憎しみ』を上回り、彼女は両親を見て涙を流した。
「……」
奏は躊躇う。
胸中の中の悲しみが、両親と会うだけで泣いてしまいそうなこの胸の痛みと悲しみが、彼女の足を止めてしまう。
いっそ幸せな姿を見れただけで満足して、会うのをやめようか、なんて弱気すら出て来る。
だけど。
「……ここで足踏みしてたら、ゼファーに失望されるかもな。
この痛みはきっと、たぶんあいつも越えた場所だろうし」
この想いに決着を付けなければ、天羽奏はどんな目的地にも進んで行けやしない。
「翼も待ってる。……行こう」
希望に背中を押され、愛から生まれた悲しみを踏み越える勇気を振り絞り、奏は歩き出した。
「……はじめまして」
「おや? 君は……誰かな?」
そうして、彼女は公園のベンチで一人読書を嗜む己の父と顔を合わせた。
復讐者に対しよく言われるフレーズがある。
「死んだ人はそんなことを望んでいない」というものだ。
近年は、それに対しよく返されるフレーズもある。
「死んだ人が望んでいなくても、俺が望んでやっているんだ」というものだ。
どちらにしても自分勝手で、決めつけが強く、独りよがり。
けれど、それも仕方がない。
死人に口がない以上、死人に対するスタンスが独りよがりにならないわけがないのだ。
それが、聖遺物『大きなのっぽの古時計』が生み出された理由の一つ。
"正しい過去の歴史を知りたい"と思う者も居た。
けれど、この道具が先史の時代に人々に評価されたのは、限定的とはいえ"死人と会うことができる"という点に尽きる。
今、そんな先人達と同じように、天羽奏もまた死者と対面していた。
奏はまた父と話せた嬉しさで泣きそうな気持ちになり、父との別れとその死を思い悲しみでもっと泣きそうな気持ちになり、けれどこらえて当り障りのない会話を重ねていく。
「―――」
「―――」
親子だからだろう。二人は呼吸が合うようで、ただ会話を重ねているだけでも楽しげだった。
あるいは天羽父も、変装してまるっきり別人になった娘に対し、血の繋がりから来る直感で何かを感じ取っていたのかもしれない。
「―――!」
「―――?」
会話の流れで、奏は天羽父が会話に出した『娘』のことに反応する。
「へえ、あんた娘がいるのか」
「ああ。奏、というんだ。目に入れても痛くない、可愛らしい愛娘だよ」
「……そっか」
その言葉に感じ入り、けれど顔には出さないようにして、奏は胸の熱さを抑え込む。
「その、奏って子に、あなたはどう育って欲しいんだ?」
「僕が奏にどう育って欲しいのか、ということかい?」
「ああ。あなたが思う……理想の親子の形の話が聞きたい」
思えば生前、奏はこんな問いを両親にしたことはなかった。
人はいつだって、手遅れになってから気付くのだ。
大切な人が死んで初めて、その人に聞きたかったこと、言いたかったこと、その人と話したかったことが泡沫のように次々と浮かんで来てしまう。
だから奏はそれを問うた。父は、自分にどんな人間になって欲しかったのかと。
「親も子も、人それぞれで正解はない。
けれど僕は思う。子は、親を超えていくものなのだと」
「親を……?」
「僕がそうだったから、以上の理由はないけれど……僕はそうあって欲しいと願っているんだ」
自分より立派な考古学者になって欲しい、ということではない。
娘にはいつの日か、自分よりもっと立派な人間になって欲しい。
自分よりもっと立派な親になって欲しい。混じりけのない、そんな親の純粋な願い。
「子供達は親の背中を追う。
大人達は子に背中を見せる。
子供は大人にいつか追いつき、そして追い越す。
その日まで大人は子供をその背に庇い、守り続ける。
遠い遠いどこか、ここではないどこか、今ではないいつかに子供達を送り出すために」
「……!」
「同じ道、遠く離れていない隣の道を歩いてくれているならば。
子はいつか親を追い越してくれると、僕は信じている。勝手な押し付けかもしれないけどね」
親ならば、誰もが思うだろう。
子に、道を外れて欲しくないと。外道にはなって欲しくないと。
人の幸せを喜び、人の不幸を悲しむ、叶うならば誰かを憎むのではなく守るために生きる、そんな人の道を生きて欲しいと。
復讐者は外道である。
その感情が人として当然のものであり、大切な人を殺されて復讐心を抱かない者は歪んでいるという前提があったとしても、それでも復讐は人を正道から踏み外させるのだ。
親が子の幸せを第一と考える限り、復讐を子供に求めるということは、絶対にありえない。
「だけど、だけど……! ……っ、……例えばの話だ。
自分の親が殺されて、殺した奴はこの世界のどこかで平然と暴れていて……
裁かれもせずに、のうのうとのさばってる。それは、絶対に許しちゃいけないはずだ。
仇を取らないといけないはずだ! そんなやつが存在することを認めちゃいけないはずだ!」
立ち上がり、自分に言い聞かせるように激昂する奏。
そんな奏を見つめ、天羽父は静かに彼女に語りかける。
「そうか。だから君は、ここに来た時からずっと、辛そうな顔をしていたんだね」
「……っ!」
「そんなに辛そうにしているなら、やめてしまったらどうだい。
君にも親御さんが居るんだろう?
私だったら……自分の娘がそんな風に悩んでいたら、止めるだろうと思う」
「―――」
事実上、父から「自分達のために復讐なんてしなくていい」と許されたに等しい宣告。
奏はそれを聞き、"肩の荷が下りた"と安堵するよりも先に、"父さんがそんなこと言わないでくれよ"と思ってしまう。
両親のために、両親へ向けていた愛を理由に、彼女は復讐心を維持していたのだ。
それを父本人に否定されてしまえば、何をすればいいのかすら分からなくなってしまう。
「だったら……どうすればいいんだよ」
己を支える最も大きな柱、親という名の戦う理由。
それを失った奏が、親に『次』の戦う理由を求めるのは必然だ。
……そこに途方もない矛盾が内包されていることに、彼女は気付けない。
「君が『どうすればいいのか』の答えを持っていなかったなら、僕も何か助言をしたよ。
けれど、そうではないだろう? 君は既に『どうするか』の答えを持っているはずだ」
「……え」
復讐が否定されたなら、親のためという大義名分が失われたならば、戦う理由はなくなるはずなのだ。戦う意味が無くなるはずなのだ。
"ならば何故、奏は今も戦おうとして、戦う理由を求めているのか?"
そんなことは分かりきっている。
とっくのとうに彼女は、『復讐以外の戦う理由』を見つけていたのだ。
戦って、守りたいと思えるものを見つけていたのだ。
両親の復讐だからノイズを殺したい、ではなく。
失われてはならないと思うものがあるから、それを守る。
いつの間にか、彼女はそう思えるだけの変化を受け入れていた。
「……あ」
一瞬、奏の脳裏に人の姿が浮かび上がる。
ゼファーと翼が奏に向かって手を伸ばしている光景。
弦十郎、了子、朔也、あおいが奏に向かって手を伸ばしている光景。
その向こうには二課の大人達、リディアンの奏の友人達が居て、奏に手を伸ばしている。
誰も彼もが奏に手を伸ばし、ひとりぼっちじゃないと、そう伝えているようで。
それが、最後のひと押しになった。
奏は自分の心の中に積み重なっていた昏く淀んだ気持ちが、すっと消えていくのを感じ取る。
ノイズへの嫌悪が消え去ったのではない。
ただ、『それはそれ、これはこれ』とちゃんと割り切れるようになったのだ。
それは"人を守ること"を"ノイズを殺すこと"より絶対に優先できるようになったという、彼女の心が成した、途方もなく大きな成長であった。
「『どうするか』は、見つかったかい」
「……ああ、ありがとな。あたしは、『そうする』ことにしたよ」
「それがいい。僕の妻はポエマーで、よく言う口癖があるんだけどね?
人には翼がある、何にだってなれるし、どこへでも行ける。
悲しいことがあっても、その悲しみにいつまでもとどまらずに――」
「高く舞い上がれ、だろ?」
「おや、まさか妻の知り合いだったのかな」
「そんなとこさ。あたしは……そう、あなたの奥さんのちょっとした知り合いなんだ」
もう奏の目に迷いはない。
悲しみの沼からも抜け出し、その名に恥じない少女へと成長を遂げたのだ。
父が娘に助言を与え、娘がその言葉を受け止めて心を成長させる。
それはどこの世界にだってよくある光景ではあったが、天羽親子に限っては、完全聖遺物の力があって初めて形となった、そんな奇跡だった。
「なんでだろうね」
この短時間で何か吹っ切れたような様子の奏を見て、そんな奏にあけすけに色んなことを話してしまっている自分を自覚し、天羽父は不思議そうに口を開く。
そして思わず奏の頭を撫でている自分に気付き、慌てて手をどけた。
「っと、すまない。思わず……」
「構わないよ。あたしは気にしない」
「君は私の妻に似ていて、不思議と私の娘を思い返させる。
だからなんとなく、放っておけなかったのかもしれない。今もつい、手を伸ばしてしまった」
「娘さん、ね。奏……だったか?」
奏はすっとぼけて言うが、父は気付いた様子もなく言葉を続ける。
「僕と妻で相談して娘に付けた名が、奏っていうんだ。
何があっても歪まず、道を外れず、その子らしく生きて欲しいと。
命尽きるその時まで、君という音を奏でていける子になって欲しいと、そう願った。
出来れば奏には……君みたいに健康で、元気で、胸を張って生きている子に育って欲しいな」
「―――」
その言葉に、天羽奏が何を感じ取ったのか。
父から顔を背け、立ち上がり、自分の顔を彼に見せないようにするその彼女の仕草から、それは察することが出来る。
「……おっと、もうこんな時間か!
悪いな天羽さん。あたしはここらで失礼するよ」
「そうか。帰り道、気を付けて」
「あなたもな。……今日はいい話が出来た。ありがとう」
「さようなら、お嬢さん」
「……さよう、ならっ!」
それだけ言って、奏はその場を全力で走り去る。
空は雲一つ無い快晴なのに、彼女の服の胸元に、ぽたりぽたりと雫が落ちていた。
晴れた空に落ちるその雨は、しばらく止むことはなさそうだった。
奏は幼い頃、三度ヘンテコな人に出会ったことがある。
お祭りで売っているような、安っぽいヒーローのお面を被った大人の男性だ。
実際顔は見えないが、大人だろうと奏は思っていた。
そして、三度会った内の二回は助けられてもいる。
だから奏は、その仮面の男に悪感情を抱いていなかった。
「あっ」
「やあ、奏ちゃん」
「五年ぶりじゃん! 仮面の人!」
そんな仮面の男と五年ぶりに再会した時、奏は11歳だった。
「今日はどしたん?」
「奏ちゃんに聞きたいことが一つと、伝言が一つあるんだ」
「伝言? あたしの知ってる奴からのか?」
「……ああ、そうなるのかな? 奏ちゃんのよく知ってる人からの伝言だよ」
仮面の男は、『彼女』に頼まれた二つの言葉を、小さな奏に丁寧な口調で告げる。
「奏ちゃん。君は今、幸せかい?」
「おうよ!」
大好きな両親が居る。大好きな妹も居る。奏がその質問に即答できたのは、当然のことだ。
仮面の男は、その即答に仮面の下の表情を変えながら、最後に伝言を告げる。
「じゃあ、伝言だ。『家族を大切にな』……だってさ」
「ん? そんなのあたりまえじゃん」
「そうだな。俺も、そう思う」
その一言にどれだけの思いが込められているか、この小さな奏には分かるまい。
だがそれでいい。きっとそれでいい。
いつか来る別れの日まで……家族を大切にしてくれたなら、それでいい。
「それじゃな、お嬢さん。俺は遠くに行くから、これでお別れだ」
「もう会えないのか?」
「いや、会えるさ。必ず」
奏の言葉を奏に伝え、過去の奏と未来に再会の約束をする。
仮面の男はなんというか、不思議な気分だった。
「じゃ、あんちゃんも次会う時までにはそのヒーローの仮面外しときなよ。
他人に色々世話焼く前に、辛気臭い感じ無くして、頑張ってお兄さんが元気になりなって!」
「……!」
呆気に取られた仮面の男は、ニカッと笑って去って行く少女をぼうっとしながら見送る。
彼女の後ろ姿が見えなくなってから仮面を外せば、最後の最後にしてやられた、といった感じのゼファーの顔がそこから現れた。
「"ヒーローの仮面を外せ"、か……」
流石言うことが違う、と思いながらゼファーは苦笑する。
「サンキューゼファー、あたしが色々言う訳には行かなかったからな」
「カナデさんの変装ならバレないと思うけどなあ」
「ねーよ、あたしは騙せない。なんたってあたしだからな」
「なんという説得力……」
そこで物陰から現れる、非ロリの奏。
ゼファーが語った二つのことは、当然ながらこの奏からの伝言だ。
その表情は晴れ晴れとしていて、長年の苦しみが消えたかのような感情の色が見える。
何度見ても、ゼファーはこの表情をした彼女を平然と見ることができそうになかった。
「満足か?」
「ああ。ありがとな、気ぃ揉んでくれて」
「いや、家族とちゃんと別れを終えて欲しいっていうのは……俺の願いでもあったから」
「そっか。でも、おかげで思い出せたよ」
奏は変わった。表情も、雰囲気も、佇まいも。
吹っ切れたとも言えるし、割り切ったとも言えるし、目覚めたとも言える。
そんな彼女の表情の一つ一つが、やけに不自然にゼファーの心臓に悪かった。
その一つ一つが、何故かゼファーの胸の奥の鼓動を早くする。
赤くなりそうな顔を、切れそうな息を、ゼファーは本気の嘘で必死に隠し続けていた。
「あの頃のあたしは幸せで、父さんと母さんに、ちゃんと愛されてたんだってことを。
幸せが失われたことが悲しかったことを。
あたしは、家族を……本当の本当に、心の底から愛してたんだってことを」
奏はぎゅっと拳を握り、額に当て、強く宣誓する。
「『守りたかった』ことを」
これからは、守るために戦うことを。
そんな彼女の横顔からにじみ出る『強さ』が、ゼファーの視線を捉えて離さない。
(……なんだろう……なんだ……?)
ゼファーは自分が自分でないような感覚に呑まれつつ、されど呑まれないように抵抗しながら、平静を装って言葉を続ける。
「……なんか、変わったな。カナデさん」
「そうか?」
ゼファーは自分の体内時計を確認。
この世界における自分達の時間がズレて来ていることを、改めて確認した。
「まあそれはともかくとして。あたしとしては、一気に五年時間が飛んだ方が気になるな。
父さんと話し終わったら、日付が変わる前に景色が変わってこれってどういうことだ」
「たぶんだけど、仮称『大きなのっぽの古時計』が壊れかけてるんだ。
元々あと十年も保つか分からなかった完全聖遺物だったから……自壊が始まったんだろう」
「んじゃ、長居する理由はないな。行きますかっ」
奏の声に応じ、ゼファーは構える。
二人は背中合わせに立ち、背中をくっつけ、同時に口を開く。
両の手を掌底と拳に構え、光を纏った両の手を打ち付ける彼。
薬を腕に打ち込み、目を閉じ、聖遺物を揺り起こす歌を紡ぐ彼女。
そして、同時に変身した。
「ああ、行こう! アクセスッ!」
「
輝槍の戦士と焔の黒騎士から放出された膨大なエネルギーが、ただ変身しただけで世界を揺らがす。大きなのっぽの古時計が固定した時間軸の時系列が揺らぎ、ほどける。
やがて変身を終えた彼らの視線の先で空間が歪み、大きな穴となって現れた。
「この穴の向こうは、更に時間の前後が揺らいでいる場所だ。
そこで俺達が更にこの世界を揺らがせば……」
「あたしらは元の世界に帰れると。分かりやすくていいな」
奏は一度振り返り、この過去の世界の町並みを、家族が生きている世界を見つめる。
そして未来でも過去でも変わらない、憎たらしいくらいの青空を見た。
過去の世界の、曇りなき青い空。これを見上げるのもこれで最後だ。
(……嘆くのも、もうおしまいだ。あの未来に帰ろう)
穴の向こうから吹き付ける風に逆らって、奏とゼファーは帰還のための穴に飛び込んだ。
穴の向こうは、薄暗い坂道の半ばほどの位置だった。
奏はその道を覚えている。
その光景を覚えている。
(ああ、そういうことか)
坂の下を見れば、少女が二人坂を必死に駆け下りていた。
坂の上を見れば、少女を追いかけるノイズが一直線の隊列を組み駆け下りて来ていた。
これは間違いなく、『あの日の夜』だ。
「カナデさん、これは……」
「お前の想像であってるよ、たぶん。……ああ、そういうことか。
子供の足で、あたしらだけが逃げ切れたの、変だとは思ってたんだ……」
坂を走り必死に逃げているのは、天羽奏とその妹・天羽愛歌。
この世界も過去の世界であることは間違いない。
それも、奏が両親をノイズに殺されたあの夜の、あの場所だった。
(違う違うと言ってたゼファーとは、結局似た者同士で。
父さんの仇を取るための復讐を止めるのは父さんで。
あたしを助けたのは、あたしを救えたのは、あたしだったのか)
彼女の日頃の行いが良かったからなのだろうか。
神様の居ないこの世界で、神の奇跡が起こったとでもいうのだろうか。
日本で年月を重ねた完全聖遺物が付喪神じみた自我を持ち、天羽奏のために自壊を恐れず、彼女のために稼働したとでもいうのだろうか。
かの古時計を遺跡に隠した人が、『最初に触れた人の心を救え』とプログラミングしていただとか、そんな時を越えた優しさがあったとでもいうのだろうか。
それともただの偶然か。
真実は誰にも分からない。
なんにせよ、奏は笑ってしまう。笑うしかないだろう。こんな奇跡は。
この世界に他に存在するはずもない、『天羽奏の両親を殺したノイズ』が、目の前に居る。
まるで、"復讐はこいつらを倒して終わりにしろ"とでも言うかのように。
奏の善行が巡り巡って、彼女が幸せになれる可能性として、彼女の下に返って来たかのようだ。
情けは人のためならず、とはよく言ったもの。
「シンフォニックゲインの放出で世界の境界は揺らいだ。
あとは俺達の手で、物理的な衝撃をこの世界に与えれば……俺達は元の世界に戻れる!」
「ああ!」
余計な言葉は要らない。
ゼファーは奏を叱咤し、気合いを入れさせる。
奏はHEXシステムの稼働率を上げ、目に映る七つの正六角形を操作した。
「ラインオン・ナイトブレイザー、ガングニール!」
「コンビネーション・アーツ!」
コンビネーションアーツは互いのエネルギーを掛け算で増幅させる。
そうして高めたエネルギーを、ゼファーは両の手の間に圧縮し、魔神の焔を混ぜ込まない純粋な圧縮エネルギーとして構築した。
対し奏は槍の先端部分を展開、そこに砲口を形成。
圧縮したエネルギーを全て注ぎ込み、ゼファーの手の間に圧縮されたエネルギーに向ける。
奏の右斜め前にゼファーが居て、奏の槍先・ゼファーの手の間・ノイズの集団が一直線に並ぶ、そんなフォーメーション。
「「 グングニルエフェクトッ! 」」
そして、二人は最大級のエネルギーを災厄の群れへと解き放った。
ガングニールの槍先砲口から放たれたビームが、ナイトブレイザーの手と手の間で球形に圧縮されたエネルギーを貫通し、纏い、次元違いの威力を伴うビームへと変化する。
たった一本のビーム。つまり、全エネルギーを一点に集中したビーム。
単純な破壊力ではシンフォニックレインでも足元にも及ばないその一撃は、全てのノイズを飲み込んで、この世界と元の世界の境界を粉々に粉砕し、世界そのものに穴を開けた。
「ゲートが開いた! 今だ!」
ゼファーが走る。奏が続く。
救われたいと自分が思わない限り、その人は救われない。
変わりたいと思うその意志が、きっと一番劇的にその人を変えてくれる。
自分を救うのも、自分を変えるのも、結局のところ自分の意志と言葉が一番強く働くものだ。
今のままじゃダメだと思っている者だけが、根本的に自分を変えることが出来る。
もう一人の奏とも言うべき境遇だったゼファーの言葉。
死に別れた人の大切な人が奏の胸中に湧き上がらせた熱い感情。
それこそが、人生の分岐点において彼女を正しい方向へと向かわせた。
友が彼女に一歩を踏み出させ、亡き父が彼女を正道へと押し戻したのである。
(じゃあな、あたしの
ゼファーが世界の穴へと飛び込む。奏がその後に続く。
あれは幻か、夢か。父の優しい手に包まれたあの感覚も、もう定かではない。
戦いの日々の中で白昼夢のように現れ、去って行った眠りにつくような優しい日々の世界。
夢のような世界は儚く消えて、やがて死人と言葉を交わすという魔法は解かれる。
そうして、奏は思い出す。
あんな平和で優しい日々さえ、"運が悪かった"の一言で災厄によって無情に奪われてしまう。
平和で、平穏で、誰も死なない日常は、ただそれだけで奇跡であるのだと。
だからこそ、守らなければならないのだと。
最後に至った結論までもが、奏とゼファーは同一のものであった。
この二人は、コインの裏表。
それゆえに。この二人が力を合わせて、貫けぬものなどどこにもない。
「さあ、翼を助けに行くぞ、ゼファーッ!」
「ああ、一緒に行こうッ!」
天羽奏はこの日、仇を討ち、復讐のための戦いを終わらせた。
【グングニルエフェクト】
出展:WA5
組み合わせ:グレッグ&キャロル
特性:非物理エネルギービーム攻撃。威力はシンフォニックレインの1.3倍