戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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またなんかちょっと予約投稿ミスってたようで慌てて手動投稿

病気が重い時に看病してくれる人にちょっとうるっと来ることってあると思うんですよ
"セレナは腕の延長でエネルギーを操作する"という当作の設定、きっとみんな忘れてます


3

 とうとう体力の大半を喰われてしまったのか、部屋のベッドに横になっている弦十郎。

 他の病人より数倍は元気に見えるが、よく見ればギリギリ病人に見えなくもないレベルまでインフルエンザによって体を蝕まれている様子。

 目を凝らせばほんの僅かに、弱っているのが確認できなくもない。

 宇宙服か何かかと見紛う超本格的な防護服を着たゼファーは、弦十郎の部屋に軽食と飲み物を届けに行った時、こんなことを言われていた。

 

「ゼファー……後を頼むぞ。お前が、司令代理だ……!」

 

「え、あ、はい」

 

 戸惑いつつもゼファー、二課司令代理の称号をゲット。

 弦十郎の水まくらに氷を入れ直し、次は了子の部屋に向かう。

 

「ゼファー君……あなたと緒川くんが最後の希望よ……室長と総責任者の代理をお願い……」

 

「あー、えー、分かりました」

 

 櫻井了子より研究室長代理と研究班の総責任者代理とついでに主任の称号をゲット。

 称号は一人見舞うたびに増えていく。

 

「オペレーターチーフ代理を……」

「お前が、聖遺物探索捜索第一班の班長だ」

「前線実働部隊のリーダーやっておいてくれ、な?」

「……医務室の管理を」

「食堂は頼んだよ、味音痴。頑張りな」

「観測(ry」

「(ry」

 

「Oh……」

 

 人、これを天丼と言う。

 それ他の人がもうやってますよ、とは言えないゼファーであった。

 病気で多少心細くなっているのも、仕事の責任感から信頼できる子に任せようとする気持ちも分かるが、全員が一斉にカッコつけているのはもはやギャグの域である。

 

「……ヤバい……!」

 

 現在ゼファーの役職名は、嘱託エージェント兼二課総司令代理兼研究室長兼研究総責任者兼研究主任兼メインオペレーター兼オペレーターチーフ兼前線実働部隊総隊長兼保健管理者兼食堂長兼作戦発令所管理者etc。

 おふざけと口約束で付いた役職名であるために、仕事が増えるわけでもやらないといけないことが増えたわけでもないが、"現在ゼファーがどれだけ仕事をすべき立場に居るのか"ということを、この役職名が如実に表しているのであった。

 

 病床の大人達は皆個性が出てくる。

 弦十郎は他の人間より数段元気そうだ。了子はぐでーっとしている。

 あおいは病気の身でも、人に顔を見られる直前には軽い化粧をしていた。

 甲斐名は強がっていたし、天戸は慣れた様子で食事に肉を要求し、土場は緒川と協力して無理しないよう助言をし、絵倉は出された食事に採点した。

 そんな中、藤尭朔也はゼファーにUSBメモリを手渡していた。

 

「ゼファー君、ごっ、ごっ、ごほっ、これを」

 

「無理しないで下さい、サクヤさん……これは?」

 

「ベリアル……分析……」

 

「!」

 

 弦十郎エンザに侵されている二課の面々の中、体力がないせいで死にかけの状態になっているもやし組の一人であった朔也は、それでも死ぬ気で敵の分析を行っていたのだ。

 さしもの彼も頭が回らなかったのかすぐにはデータをまとめられなかったようだが、それを差し引いても褒められてしかるべきことである。

 王手やチェックメイトを四方八方からかけられているような現在のゼファーには、こんな小さな手助けだってありがたい。

 

「ありがとうございます! 必ず、役立てます!」

 

 防護服越しにぎゅっと手を握ってくるゼファーを見て、朔也は安心したような表情を浮かべ、どてっと起こしかけた体を戻した。

 そんな彼の頭を水枕が受け止める。

 ガバリと寒い海が、病気に侵された彼の頭を冷やすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十一話:銀の騎士VS黒の騎士 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼と奏は風鳴家で寝込んでいる。

 弦十郎経由ではなく、翼経由で感染したこの二人だけは弦十郎エンザでないのが救いだった。

 ごく普通のインフルエンザなら、普通に医者に行って普通に薬を貰って普通に休んでいるだけで問題ない。二人を朝一で病院に連れて行ったゼファーは、そう判断した。

 

「すまねえな」

 

「それは言わない約束でしょ、カナデさん」

 

「……お前最近はほんっとに外国人なの外見だけだよな」

 

「ノリがいいって褒めてくれ」

 

 病人を布団に寝かせたまま、ゼファーは軽口で奏をクスリと笑わせる。

 ゼファーはそんな彼女を横目に見ながら、彼女の額に乗せるためのタオルを冷水に浸し、ぎゅっと絞る。そして彼女の額に、丁寧に優しく乗せた。

 奏は礼を言いつつ、今度は果物をてきぱきとむき始めたゼファーに対し、作業に没頭するその生真面目と面倒見の良さを実感する。

 

 が、ゼファーが作業に没頭しているのは彼女への優しさだけが理由ではない。

 今の奏はインフルエンザで普段見れないような弱々しい面が見え、紅潮した肌やうっすら滲む汗などがむわっとなまめかしく、普段とのギャップがなんとも言えない魅力を産んでいる。

 つまりはまあ、そういうことだ。

 彼は奏を、自分でもよく分からない気恥ずかしい気持ちのせいで、直視できないでいた。

 

(……なんか、浮足立ってるな俺……どうしたんだ)

 

 果物を切り分け、その内一つにフォークを刺して、ゼファーは差し出す。

 

「さーんきゅ」

 

 このままここに居ればふざけ混じりにあーんを要求される、と直感で察知したゼファーは、逃げ去るように立ち去ろうとする。

 

「じゃ、何かあったら携帯に連絡入れてくれな。カナデさん」

 

「ああ……無茶すんなよ。できれば勝てよ」

 

「無茶するなと言いつつ無茶言うなあ」

 

 ゼファーは奏を寝かせた部屋を出て、扉を閉め、ふぅと一息。

 そして小走りに洗面所へと向かい、蛇口を捻って顔に何度も冷水をかけ始めた。

 何故か、なんだか、顔が少し熱い気がしたから。

 

「……冷えたか」

 

 よく分からないまま顔を洗ったゼファーは、その足で翼の部屋に向かう。

 奏とは違い、今度は玉子粥などの食事を台所から持って行っていた。

 ゼファーの見立てでは、翼の症状は奏より数段重い。

 

「……あ」

 

「ああ、いい。体起こさないでゆっくり寝てな、ツバサ」

 

 それこそ、翼の部屋に入ったゼファーが彼女に一切の無理をさせないよう、諌めるくらいだ。

 喋ればむせる。身体を起こせば倒れる。

 今の翼はそのくらいに体調が悪かった。

 おそらくだが、弦十郎と同時に感染したであろう翼は、弦十郎の体内の免疫を突破するほどの毒性を持った、突然変異型インフルエンザウイルスにかかってしまっているのだろう。

 翼を経由して多少はマシになったウイルスにかかった奏とは、そこが違う。

 ゼファーがこうして玉子粥を持って来たのも、前回食事を持って来た時に「食欲が無い」と翼がそれを突っ返してきたからなのだ。

 

「体温計挟むから腕上げてくれ」

 

「……一人で挟めるから」

 

 翼はゼファーから体温計をひったくり、布団の中で体温を計る。

 同年代の女子の脇の下に躊躇なく体温計を挟もうとするゼファーは何を考えているのだろうか。

 妹か何かにする感覚なのだろうか。

 それは一旦脇に置いておいて、15秒で体温が計れる体温計がピピっと計測終了を知らせてきた。

 翼からそれを受け取ったゼファーは、数字を見てホッとする。

 

「体温少し下がってるな。薬が効いてきたみたいだ」

 

「……ん」

 

「よし、あとは飯食って寝て、暇な時は俺が借りてきた映画見て休んでればOKだな。

 栄養付けろ付けろ。ほれあーん……」

 

「……一人で食べられるから」

 

「え?」

 

「一人で食べられるから」

 

「いや、ふーふーしてやるから。体調を慮ってツバサは大人しく」

 

「ゼファー、仏の顔も三度までって知ってる?」

 

「……お、おお」

 

 立ち上がる力も残ってないくせに、体を起こしてゼファーから玉子粥とスプーンをひったくる風鳴翼。そして女らしさの欠片もないスタイルでかっこんでいく。

 女の尊厳と意地をかけた強がりだ。

 子供の世話をするように、躊躇いなくふーふーし始めようとするゼファーへのささやかな反逆でもある。

 

「……でも、ありがと」

 

 熱でボーっとした表情のまま、やや不満な意も含め、翼は素直な感謝の気持ちを伝える。

 

「どういたしまして。それじゃ、なんかあったら携帯に連絡入れてくれ」

 

 ゼファーは翼の枕元の水筒が空っぽになっているのを確認し、新しい水筒と交換してから、彼女の部屋を出る。

 そして玄関前まで来たところで、壁に寄りかかるように倒れてしまった。

 

(少し疲れてるのか……)

 

 結局ゼファーは、昨晩ほとんど眠らなかった。

 少々どころではなく、やることが多すぎたためである。

 例えば二課は、観測した全聖遺物のアウフヴァッヘン波形を全てデータベースに保存している。

 これにより、既知の聖遺物が見つかれば即座に名前が分かるわけだ。

 要するに「ガングニールだとぉッ!?」とノータイムで聖遺物を特定できる、ということ。

 

 この手の業務のほとんどは緒川が担当していたのだが、当然彼一人で回るはずがない。

 必然的に、ほんの一部がゼファーにも回って来る。

 昨晩に二課本部を覗けば、夜中にベリアルのアウフヴァッヘン波形を四苦八苦して打ち込んでいるゼファーの姿が見れたことだろう。

 

 が、ゼファーが倒れ込んだのは、それだけが原因ではない。

 

(……まさか、俺もかかってるのか?)

 

 ゼファーは昨日、多くの役目を背負わされた日に。

 "了子からの伝言映像を翼と一緒に見ている"。

 その時にウイルスが感染しなかったなどという奇跡を引き寄せる幸運が、ゼファーにあるわけがないのだ。彼の幸運は常に底値なのだから。

 

「……待て……今俺まで倒れたら、本当に……」

 

 ゼファー・ウィンチェスターの肉体に疲労はめったに残らない。

 疲労を感じたとしても、時間を置けば消えるものか、精神的なものか、特殊なものだけだ。

 たとえどんなに傷付こうとも、他の仲間が皆負傷で退場しようとも、彼を戦場に送り続ける再生能力だが、精神的な疲労まで消してはくれない。

 病気の一部も無効化できるが、一時的になら感染してしまうものもある。

 病気で死ぬことはないだろう。だが、今このタイミングでウイルスが体内を暴れ回るという不運は、最悪の展開と言っていいものだった。

 

 それにだ。立ち上がったとしても、病身の身で戦ってあの敵に勝てるのだろうか?

 HEXシステムは使えない。

 戦えるのはせいぜい十分前後。

 余剰エネルギーの制御に手がかかり戦闘力はガタ落ち。

 コンビネーション・アーツも使用不可能だ。

 たった一人で、何ができるというのか。

 

「……負け、るかッ……! 負けるかッ……!」

 

 ゴーレムと戦えるであろう最後の人間が倒れ、気を失う。

 彼は吠えるも声はどこにも届かない。

 敗北が、終わりが、喪失が近付く。

 疲労、睡眠不足、病気、ベリアルに叩き込まれたダメージ。

 それらが折り重なって、ゼファーの意識を刈り取るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢に逢う。

 

 彼は夢を見ていた。

 背景はなく、風景はなく、景色もない世界。

 人が目を閉じた時に瞼の裏に見るような、暗いような光っているような、そんな不思議な空間の中。彼の前に、一人の少女が立っていた。

 

「セレナ」

 

 彼は呼びかける。

 少女は微笑んだ。

 

『頑張って』

 

 少女は語りかける。

 少年は力強く頷いた。

 

「ああ」

 

 少女の姿がほどけ、光の粒となる。

 少年の胸にその光が吸い込まれていく。

 

「頑張るよ」

 

 夢であることなど分かっている。

 けど、たとえそれが幻想でも、構わない。

 もうちょっとだけ、頑張れるようになった、そんな気がした。

 

「行ってくる」

 

 そうして、ゼファーは目を覚ます。

 体を動かしてみると、先ほどまでの疲労と病状が嘘のように体が動くようになっていた。

 時計を見れば、時間は倒れてから十分と経っていない。

 肉体を再生する能力が、主の危機に信じられない力を発揮したのかもしれない。

 ロクに休憩を取っていなかったゼファーの肉体と精神が、ほんの少しの休憩で取れた疲れのせいで"絶好調だ"と誤認しているのかもしれない。

 

 だがそれでも、ゼファーは「あの子のおかげだ」と、信じて立ち上がる。

 

 強くなろう。強く在ろう。もう少しだけ、頑張ろう。

 決意を新たに、心をぎゅっと絞り上げ、ゼファーは己の戦場へと踏み出して行った。

 まだ、ゼファー・ウィンチェスターは守るために戦える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーは愛機である、最終バージョンアップを終えたT2T-004『ジャベリンMrk-4』に跨る。

 シンフォギア専用機のテストバージョンとして開発されたこの機体も、ゼファーが愛用する内に何度も改修を重ねられ、ナイトブレイザーが二課の主戦力の一つとなってからは、本格的に彼専用のバイクとしての完成を迎えたのだった。

 バイクのくせに最高時速700kmというモンスタースペックに、変身後は腕が燃えるためにハンドルを迂闊に握れないゼファー用の自動操縦機能、自動駐車機能。

 翼や奏の専用機も開発されているがこれとほぼ同スペックというのが凄まじい。

 

 ゼファーはこのバイクを全速で飛ばし、まずは二課本部へと帰還した。

 

「ゼファーさん、あまり無理は……」

 

「無理は承知の上、お互い様です! 乗り切りましょう、二人で!」

 

「……! 分かりました。覚悟は決まっているようですね、やりましょう」

 

 少年を出迎えた緒川は、その体調を気遣ってゼファーの仕事までもを請け負おうとする。

 だが、ゼファーはその気遣いを跳ね除け、緒川との共闘を叫ぶ。

 男の決意だ。緒川慎次ともあろうものが、それを無下にするはずがない。

 ゼファーと緒川は対ウイルス用の防護服を来たまま、拳を合わせる。

 そして互いに別々の方向へと駆け出した。

 

「まずはッ!」

 

 ゼファーがまずやったのは定時の二課全域消毒と換気。

 施設のシステムでこなせるこれらを次々終わらせ、ウイルスを死滅させる。

 システムが施設内を綺麗にしている間、彼は食堂へと向かった。

 病気でダウンしている者達への食事提供、及び声や表情に見える疲労が倍ぐらいに増していた緒川の疲れを取るための食事作成である。

 

 ゼファーは味音痴のため、味が雑になることと引き換えに、味見や味の調整を全くしなくてもいい調理技術を絵倉より伝授されている。

 加え、作るものはだいたい簡単なものだ。

 寸胴鍋を五個以上平行して使っているのもあって、その調理スピードは二課全員の分を作っているとは思えないくらいに早い。

 消化にいいものだからと、味は皆が大目に見てくれることを期待しよう。

 

 そして緒川にはチキン南蛮やオニオンスープなど、疲労回復やスタミナを考慮したメニューを提供。オレンジ・グレープフルーツ・さくらんぼのフルーツポンチも付けた。

 更には容器も厳選。食事を食べ終わると「お仕事おつかれさま!」という文字列とかわいいイラストが見える、そんな皿や茶碗をチョイスした。

 そこにまでこだわってこそ、ゼファーの雑料理道と言えよう。

 雑ではあれど手は抜かない。

 ゼファーが他人のためにすることを、手抜きにするはずがないのだ。

 

 そして全員の部屋を見て回り、水枕の氷を交換、全員の体調を問診で確認。朝の食事の食器を回収しつつ、先ほど作った昼飯を置いていく。

 「腹減ったら食べてください」と言い、後は個人の食欲に任せるのだ。

 了子が作ったワクチンは既に二課の全員に投与されており、徐々に回復に向かっている。

 だが、回復の速度には個人差があった。食欲も然り。彼はそういう部分にも気を遣う。

 ゼファーはそうして全員の体調チェックも終了させる。山盛りの食器を抱え食堂に突入、「後で洗うからゴメンな」と食器に謝りつつ、食器を洗い場に全部突っ込んで、研究室へと向かった。

 

「次ィ!」

 

 研究室になだれ込み、ゼファーは昨晩放置していた防衛大臣と弦十郎の会談用の資料を右に見やすく並べ、真ん前にノートパソコン、左に作業台をセット。

 そして携帯電話に接続したインカムを耳に付け、着信履歴から大臣の秘書へと電話をかけた。

 

「あ、もしもし、ウィンチェスターです。今お時間よろしいですか?」

 

『はい、どうぞ。昨日の二課の方ですね』

 

「昨日はすみませんでした。打ち合わせの続きを今からお願いします」

 

 ゼファーは左手で研究サンプルの滅菌を始め、右手で資料を漁りつつ、目の前のパソコンには複数のウィンドウを開かせてそのサポートをさせた。

 大臣の秘書がゼファーに問えば、ゼファーは記憶の中に刻み込んだ情報を口に出しつつ、右手でノートパソコンの目録をいじり紙の資料を片っ端から漁っていく。

 

 語るまでもないが、研究員の手伝いをゼファーができる時、その作業は単純作業である。

 難しい機械の操作などもあるが、基本身体が覚えていればできることだ。

 彼らが優秀な研究者が考えながらでないと出来ないような作業を、ゼファーに押し付けるわけがない。ここ数年で慣れたゼファーも、ようやくそれらを片手間にこなせるようになっていた。

 

 人は二つ以上の思考必須なことをやり遂げるのは難しい。

 ゼファーはメインの意識を大臣秘書との会話の方に、ルーチンワークをこなせる程度の意識を研究サンプルの殺菌へと割いていた。

 万が一何か異常があれば、ノートパソコンのウィンドウの一つが教えてくれる。

 彼は機材のフットペダルも併用し、専用の作業台にて研究サンプルの調整を終えていく。

 

 両手両足、両目に脳と全身をフル稼働させるゼファー。

 足りない分は気合で補う。

 それはさしづめ数学の問題集を解きながら短距離走を何十本と繰り返すような過程であったが、気力で乗り切る。

 そうしてゼファーは、時間がかかる二つを同時に終わらせた。

 

『―――では、そういうことで。お忙しいところ、ありがとうございました』

 

「いえ、こちらこそ。急ぎの用事で丸一日も待ってくださって、ありがとうございます!」

 

 ゼファーは通話を切り、最後にノートパソコンで"翌年度より二課予防接種予定受理"という文字列、"予算申請通過"の文字列を確認、電源を切った。

 そして研究サンプルを全て保管室に入れ、ダッシュ。

 

「次地上ッ!」

 

 二課の入り口にて複数回の消毒殺菌を終え、防護服を脱いでエレベーターに搭乗。

 そのまま一気にリディアンに到着、用務員室へと移動した。

 廊下を進む最中、林田夫人とすれ違う。

 

「あ、林田先生! 昨日連絡した通り、俺途中で抜けますので業務は話した通りに」

 

「ええ、こちらは任せて。……気楽にね。

 ウィンチェスター君が失敗しても、私の家の問題だから、私がどうにかするわ」

 

「気楽に考えてますよ。相談されたことだから、それ相応に頑張ってるだけです!」

 

 そんな一言二言を交わして、ゼファーは林田教諭の視界から消えた。

 彼女は頬に手を当て、忙しないゼファーと二課の現状を思い、"うちの娘の問題くらい放っておいたっていいのに"と思い、子が他所に迷惑をかけている時の母親特有の表情を浮かべる。

 

「……どこが気楽? あれも若さなのかしら……若いっていいわね……」

 

 そして、思春期や若い時特有の万能感が自分にもあったことを思い出し。

 自分が高校生の子持ち、二課司令が33歳、研究室の主が32歳であることを思い出し。

 少しだけ、郷愁に近い気持ちを感じながら。

 若い少年の奮闘を支えるため、ささっと彼の普段の業務の肩代わりを始めた。

 

 

 

 

 

 ゼファーの手によりリディアンの無駄な緑と害虫が駆除されていく。

 植物も木も無駄な部分はバッサバッサと切り裂かれ、雑草は"葉を枯らす薬"と"発芽を抑制する薬"によってネガティブフレアを着火されたにも等しい死刑宣告を食らう。

 今のゼファーはノイズの死神・ナイトブレイザーではない。

 雑草の死神・ラウンドアップブレイザーだ。

 どちらにせよ、彼が通った後には雑草一本残るまい。

 昨日に少しだけ草刈りを終わらせておいたのが功を奏したようだ。

 

 リディアン生徒達の「虫が嫌」という願いを叶え、ゼファーは速攻で片付けと着替えとジャベリンのエンジンふかしを終わらせる。

 そして、バイクをかっ飛ばしてリディアンを出た。

 

「……ダメか。今日の直感の調子じゃ、人探しは無理だ」

 

 先日のこともあり、リディアンは今日は午前授業で終わりであった。

 危険だからさっさと帰れ、というあれ。

 男子高校生はこういう時「ラッキー遊びに行こうぜ」となるが、いいとこのお嬢やインドア系女子が多いリディアン高等科の場合、「大人しく帰りましょ」となる。

 ゼファーは林田悠里と話したかったのだが、もう既に帰ってしまっていたようだ。

 仕方ない。彼女が帰る前に話そうとするならば、必然的に教室の前で彼女の授業の終わりを待つ必要があり、時間を無駄に消費してしまうことになっていたのだから。

 

「……いや、まだだ。分かれ道なんて所詮二択か三択!

 四択だって一発で当たるんだ。俺の勘、当たってくれよ!」

 

 十字路、真っ直ぐ。T字路、右。Y字路、左。十字路、真っ直ぐ。Y字路、右。

 直感があっても、会えるかどうかは運次第な一人ぼっちのバイク珍道中。

 その果てに、ゼファーは運良く彼女と再会を果たすのだった。

 

「よかった、居た……!」

 

「え?」

 

 ゼファーの顔を見た途端、悠里の表情が複雑なものへと変わる。

 それもそうだろう。ゼファーは悠里の前で、控えめにとはいえナイトブレイザーへの賞賛をたしなめるようなことを言ってしまったのだ。

 自分のためにゼファーが動いてくれていると分かっている悠里には、さぞ複雑だろう。

 例えるならば、恩人が過激な阪神ファンだと知ってしまった巨人ファンのような心境だろうか。

 

「……? あ! ああ、昨日の明日までにって、約束を……!」

 

「あ、あれ? 林田さん忘れてた?」

 

「い、いえいえ。まだまだ私の怒りは尽きませんからね。

 忘れたりなんかしませんよ。お父さんに思い知らせるまでは!」

 

 ぽけーっとして、思い出したように怒り出す悠里。

 どうにも調子が狂うゼファー。響や翼よりもど天然な人間に調子を外されてしまっている様子。

 ええい、ままよ、と彼は変な流れにならない内に畳み掛けた。

 

「林田さんのお父さんに会って来た」

 

「ええ!?」

 

「お父さんは自分が悪かった、って謝りたそうにしてたよ。許してやったらどうだ」

 

「それは……いや、ううん、私、お父さんのこと嫌いですから」

 

 ぷいっ、と可愛らしく顔を背ける悠里。

 性欲に塗れた思春期男子ならば多少はドキッとする天然の仕草だろうが、あいにくゼファーは根本的な部分で彼女を異性として見ていない。無価値である。

 

「ほら、林田さんのお父さんだってうっかり忘れてたんだろうし……」

 

「忘れてたってことはどうでもいいってことじゃないでしょうか。

 娘の約束も忘れて、娘の誕生日の日にも仕事入れてて。

 ……私だって、お父さんなんてどうでもいいですけど?」

 

(あ、ヤバい、なんかこの子泣きそう)

 

 父親に悪態をつきつつ、悠里は涙をぐっと堪える。

 結局は、そういうことだ。

 彼女の怒りの源泉は父親への敵意ではない。

 父に軽んじられたと感じてしまったことへの、悲しみなのだ。

 

「林田さんのお父さんに会ったけど、家族を守る仕事を誇りに思ってたぞ?

 君のお父さんは、君を含む家族を守るためにも、仕事を適当にはできないんじゃないか」

 

「……それ、結局家族と仕事のどっちが大事なんでしょうか」

 

「さあな、俺には分からない」

 

 家族と仕事のどっちが大事か。

 悠里の不満は、結局のところこれに尽きる。

 ゼファーはそれに対し、"林田父はどちらを大切に思っているか"という真実で答えることはできる。ただ、説得できる自信はなかった。

 だから、嘘をつく。

 

「だから直接聞いてみるべきだと俺は思う。いっそ言葉や拳で喧嘩してみてもいいと思うかな」

 

「拳でって、乱暴な……」

 

「拳じゃなくてもいい。本音を言い合えってだけのことさ。後悔してからじゃ遅いぞ?」

 

 生きてさえいれば、喧嘩もできる。

 生きてさえいれば、仲直りもできる。

 生きてさえいれば。

 

「俺は、結局、育ててくれた人に……育ててくれた恩も、返せなかったから……」

 

 何故か、悠里はゼファーが突然滲ませてきた雰囲気に、息が詰まりそうになった。

 それは似ていた。

 話している最中に、突然相手が意味不明に怒り出した時、真っ先に感じる戸惑いに。

 痛々しく無残な死体を人が見た時感じる、言葉の出ない圧迫感に。

 聞いているだけで居住まいを正される、真剣な人の声色に。

 人生の経験は、言葉に乗る。

 

「家族を大事にして欲しいなって、林田さんに思ってる」

 

 それは、自分の家族を思い返しながらの彼の本音の気持ちであり。

 奏の家族を思い返しながらの彼の本音の気持ちであり。

 翼の家族を思い返しながらの彼の本音の気持ちであり。

 クリスの家族を思い返しながらの彼の本音の気持ちであり。

 自分が守れなかった人達の中にも居たであろう、『家族』を想っての言葉だった。

 平和に、幸せに、愛を育んで行ける"まだ家族が誰も死んでいない者"に向けた、ゼファー・ウィンチェスターの祈るような言葉だった。

 その言葉には、重みが乗る。

 

「その辺の窓を見てくれ」

 

「……?」

 

 ゼファーが指差すと、その先には割れたいくつかの窓があった。

 

「この前のゴーレムの襲来で割れた窓だ。

 ビルから落ちた破片は、人に刺さって怪我をさせたものもある。

 ……ナイトブレイザーだって、何もかも守れるわけじゃない。

 守れなかったものの方が多いかもしれない。

 この破片が、見ず知らずの人じゃなくて、君や君のお父さんに刺さっていたら?」

 

「……!」

 

「それは『ありえた』んだ、林田悠里。

 君と君のお父さんが仲違いしたまま、仲直りする前に永遠の別れとなった可能性が」

 

 悠里はばっと周りを見渡した。

 いつもの風景が少し壊れた風景。

 それを見る目に"もしもの想像"が加わると、どれもこれもが凄惨に見えて仕方がない。

 割れたガラス窓、コンクリートの上に散らばるガラスの刃。

 倒れた街路樹。傾き、もう一度襲撃があれば倒れてきそうな電柱。

 人を殺すに足る被害が、そこかしこに見えていた。

 

「生きることは素晴らしい。

 俺だって誰も彼もを生かしたい。

 だけど、覚えておいて欲しいんだ。

 明日を生きる保証を持っている人なんて、どこにも居ないんだってことを」

 

 今日、悠里と父が仲直りをしないまま。

 明日、二人が永遠に別れてしまう可能性。

 それはノイズやゴーレムだけではなく、交通事故や食中毒などの可能性だって含まれる。

 人は死ぬ。運が悪かった、ただそれだけで死ぬ。

 それは避けられない事実であり、この国でも年間に100万人以上が死んでいる。

 その枠から林田親子だけが逃れられるなんてことは、ありえないのだ。

 

「私……」

 

 ゼファーが突きつけたのは『死』だ。

 転じて、"生きている間にしかできないこと"と"生きている今にすべきこと"でもある。

 それが最後に、彼女の背中を押した。

 

「お父さんと、もう一回話してみます」

 

「うん、きっとそれがいい」

 

「さっきは嫌いだって言ったけど……本当は、嫌いじゃないから」

 

「ああ。きっとそれが正解だ」

 

 悠里はゼファーに背を向け駆け出そうとして、一度だけ振り返り大きく手を振る。

 花が咲くような、満面の笑みを彼へと向けて。

 

「ありがとう! 青い瞳の用務員さん!」

 

 そして、去って行った。

 

「どういたしまして」

 

 ゼファーにはその笑顔が、何よりの報酬であるように思えた。

 微笑みながら彼女を見送って、彼女の姿が見えなくなってから、表情を引き締める。

 ここからは、戦いの時間だ。

 すっかりお馴染みになったインカムを携帯端末に付け、ゼファーは二課本部と通信を繋ぐ。

 並行し、彼は跨った愛機のジャベリンを全力で走らせた。

 インカムの向こうの緒川へと、ゼファーは言葉を発する。

 

「緒川さん、聞こえますか? こちらゼファーです」

 

『良かった。僕も今、そっちに連絡を入れようとしていたところだったんです』

 

「波形は覚えましたから。二度も先手を許す気はありません」

 

『ご武運を』

 

「そちらこそ。声が疲れきってますよ」

 

 互いに通信機越しにくすりと笑って、互いの戦場で全力を尽くす決意を固める。

 ゼファーが向かう先は海辺の港。

 そこから見える水平線の向こうから、『奴』がやって来る。

 

「来い」

 

 ゼファーも万全とは言いがたい。

 ここ二日で10分しか寝ていない上に、起きている間は体も頭もフル稼働だったのだ。

 蓄積された精神疲労、肉体にさせた無茶はツケとなって現れる。

 加え、ナイトブレイザーをHEXバトルシステムで補助するシンフォギアの不在。

 これによりナイトブレイザーの戦闘力は目に見えて目減りし、焔の負荷は軽減されずゼファーを侵食し、戦える時間も先の戦いの1/3。

 勝てる要素など、どこにもない。

 

「たとえ俺が一人でも、たとえお前が俺よりずっと強くても!

 ここが人の生きる場所であるかぎり……俺は、負けないッ!」

 

 それでも。

 一人でも。

 ゼファーは戦う。

 

「平和を、幸せを、命を!

 どこの誰にも奪わせはしない!

 それは、絶対に絶対だッ―――アクセスッ!

 

 ゼファーはバイクから跳び上がりながら、焔の黒騎士へと変身。

 変身の際に発せられた焔の残照が彼の背にこびりつき、まるで焔の翼のように見え。

 完全にダメージを回復し、銀の翼を翻したベリアルがその眼前に迫る。

 ナイトブレイザーのかかと落としとベリアルのパイルバンカーが空中で衝突し、衝撃音と共に大気に見えない波紋が広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悠里は走る。

 まさか帰宅途中に緊急避難警報がなるとは思っていなかった。

 この警報タイプはノイズではなくゴーレム。

 先ほど話された、ゼファーの言葉が悠里の脳裏に浮かんでは消える。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 息が切れ、悠里は体力の無さも相まって塀に手をついてしまう。

 すぐ近くにまで自分の命を奪えるものが迫っている。

 今すぐにでも自分は死んでしまうかもしれない。

 そう思うと、悠里は無性に家族に会いたかった。

 こんなところで死んで、何もかもが中途半端なままに終わってしまうことが、恐ろしかった。

 こんなことならすぐにでも許してあげるべきだったと、悔やんでいた。

 

「……あっ……」

 

 そんな彼女が空を見上げると、砕けたガラスの欠片が高層より降ってくる。

 先ほど話された、ゼファーの言葉が悠里の脳裏に浮かんでは消えていく。

 もしかしたらガラスの破片で死んでいたかもしれない、という話。

 その言葉が現実味を帯びて、現実となって、彼女を襲う。

 人の皮膚などいともたやすく貫いて、動脈を切断する半透明の刃の雨。

 

(いや……こんなところで……死にたくない……!)

 

 悠里は目を閉じ、頭を抱えて守り、しゃがんですぐにでも来るであろう痛みに備える。

 だが、いつまで待っても痛みは来ない。

 恐る恐る目を開け、上を見上げると、そこには人が居た。

 悠里のよく知っている人が居た。

 彼女の大切な家族が、彼女を庇って、防護服越しにガラスを背中に突き刺されていた。

 

「おとう……さん?」

 

「無事か、悠里」

 

 防護服で致命傷にこそならなかったものの、血が滴っていく。

 ガラスには少々の重さと、少々どころではない鋭さがあった。

 

「お父さん、血が!」

 

「いや、構わない」

 

 父は娘を守れたことを喜び、誇り、娘の無事に微笑みを見せる。

 

「……この命より、お前の方が、ずっと大切だ……」

 

 彼は不器用で、失敗もして、物語を動かすような大きな功績なんて上げられないけれど。

 それでも、娘を守る一人の父としてここに在る。

 

「お父さんッ!」

 

「お前に会ったら、最初に言おうと思っていた。

 ……すまなかった、悠里。私の一番大切なものであるお前を、ないがしろにしてしまった」

 

「……! 私も、私も、ごめんなさい! お父さんにもお仕事があるのに、あんなことを……」

 

「いいんだ。全て私が悪かった」

 

 父は娘を庇い続け、娘は父を抱きしめる。

 何故か? また、ベリアルの衝撃波の余波が物を飛ばしてきたからだ。

 それも今度はガラスなんて生易しいものではなく、自動車丸ごと一つという、どうしようもない暴力の塊。

 

「悠里!」

「お父さん!」

 

 こんなところでは死にたくないという思い。生きたいという二人の祈り。

 せめてこの人だけは生かしてという思い。生きて欲しいという二人の祈り。

 生きることを諦めない、親子の祈り。

 それを聞き届け、焔の黒騎士は駆けつける。

 

「え?」

 

 焔の火柱。

 それが自動車を飲み込んで、燃えカスが残らないほどの高熱で焼き尽くす。

 火柱が解け、それが幾千もの焔の糸になり、ふわりと世界に溶けていく。

 その向こうに、光焔に照らされる黒騎士の背中があった。

 

「……綺麗……」

 

 悠里は気付く。

 あの夜見せられた、あの紅き焔を美しいと思った理由を。

 あの焔は、誰かを守るために振るわれるからこそ美しい。

 命を守るために振るわれるからこそ、人の心を掴んで離さないのだと。

 

「あっ!」

 

 次の一瞬、悠里がまばたきを一回する内に、戦いは動く。

 ナイトブレイザーは跳び上がり、再度接近したベリアルの攻撃により吹っ飛ばされた。

 吹っ飛ばされた者、それを追う吹っ飛ばした者。

 両者は海の方向へと向かう。

 父はそれを見て、正確には吹っ飛ばされたナイトブレイザーを見て、かつてないほどに闘志を燃やし駆け出そうとした。そんな父を、娘が呼び止める。

 

「お父さん、そんな怪我でどこに……」

 

「ナイトブレイザーを支え、共闘するのが今の私の仕事だ」

 

「!」

 

 娘の言葉に足を止めることもなく、父は走り出す。

 他の誰でもなく、他の何でもなく。

 あのナイトブレイザーを助けるために走るからこそ、彼の足にはこんなにも力が湧いてくる。

 対し娘は、憧れのナイトブレイザーと父が仲間であるということに胸を躍らせつつ、二人の勝利を祈るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーは吹っ飛ばされつつ、アクセラレイターで"吹っ飛ばされる速度"を加速。

 ベリアルの攻撃を構成する力と速度を利用し、一気に沿岸部分に移動し陣取った。

 

「……っ……ダメージがシャレにならないな」

 

 そんなゼファーに向かい飛んで来る、ベリアルの追撃。

 今までであればとっさのガードが限界、それもすぐに崩されかねない……それほどの速度であった。だが、ゼファーは構え、足を振り。

 その一撃を、綺麗に受け流した。

 

(……よしッ! さっきみたいにミスって市街地まで飛ばされるなんてことはもうしない!)

 

 ゼファーは仮面の下で冷や汗をかきつつ、藤尭朔也によってもたらされた攻略法が、ようやく身に付いてきたことを実感していた。

 

 朔也はまず、ベリアルの攻撃パターンを分類した。

 すなわち、衝撃波による面攻撃。左手の剣による線攻撃。右手のパイルバンカーによる点攻撃。そして申し訳程度に使われている格闘攻撃である。

 射撃系装備が一切ないという、男らしさを形にしたようなゴーレムだ。

 ゼファーは朔也がデータに添えていた助言を元に、攻撃をしのぐ方法を考えに考えた。

 衝撃波は浮かせられないようにすれば、ナイトブレイザーへの決定打にはならない。

 格闘攻撃もダメージはそう大きくない。

 さらには、出血もないために手足への攻撃ならば決定打になりはしない。

 

 ならば。

 胴体と首への線攻撃と、点攻撃だけを防げばいい。

 あまりにも思い切った防御法ではあったが、これが見事に噛み合った。

 防御する部分を限定し、直感を絞ればなんとか攻撃を捌けるようになったのである。

 

 そして、データには朔也のコメントと、データ分析の結果見つけ出された勝機が記されていた。

 

『いいかい、ゼファー君。この敵はディアブロとは違う。

 このゴーレムは、近接戦を想定されてはいるが近接戦の達人じゃない。

 この敵は強すぎるし、速すぎるんだ。

 きっとこれまでの戦いはずっと、ヒットアンドアウェイしかして来なかったんだろう。

 速く動いて、一回だけ攻撃。これをひたすら繰り返してきたんだと思う。

 主が居ればきっと効率よく操作もしてくれるんだろう。

 だけどおそらく、このゴーレムに主は居ない。攻撃はディアブロと比べれば単調だ』

 

 先史の時代に主が居た時は、露呈しなかったベリアルの弱点。

 今この瞬間、ゼファーが突ける弱点の存在。

 ベリアルは脳筋だった。

 

『思い出すんだ。君達の前回の戦いを。

 君は自分の前に焔の壁を張って、二人の方に攻撃を誘導した。

 そしてそれは成功した。

 三人がバラバラになった後、君達はベリアルの想定にわざと乗った。

 三人が集合する瞬間を狙っていたベリアルを罠にかけ、勝機を掴んだ。

 君達はこの戦いが始まってからずっと、ベリアルを策で上回っている』

 

 ならば、いくらでもやりようはある。

 

『駆け引きの勝負なら、君は負けない』

 

 ゼファーは再度接近してきたベリアルの剣閃をかわし、拳を振るう。

 されど速度で追いつけず、拳は届かなかった。

 

「チッ」

 

 また離れた敵を認識し、ナイトブレイザーは構え直した。

 今、彼は海に近い場所で戦っている。

 確かにここなら、飛ぶだけで周囲を破壊するベリアルの被害も最小限に抑えられるだろう。

 だがしかし、同時に泳げないゼファーにとっては死地だ。

 海に落とされれば敗北は免れない。

 ……と、思わせるのが、ゼファーの狙い。

 

(……来たか!)

 

 陸側から突撃してきたベリアルが、減速なしのジグザク飛行というとんでもないことをやらかしながらゼファーへと迫る。

 それを側方宙返りでかわすゼファー。

 動きも完全に読んでいて、理想的な回避ができたものの、やはり敵が速過ぎるせいか反撃にまでは至らない。

 

「っ、やっぱり速いな」

 

 ゼファーは海に落ちれば負けとなる。

 だが、それを相手が知っている前提で動いたならば?

 今のナイトブレイザーの立ち位置は、それを想定した立ち位置だった。

 叩いて吹っ飛ばせば海に落ちてくれる位置。

 されど、斜めに吹っ飛ばすなどの中途半端な吹っ飛ばし方では、海に落ちない絶妙な位置。

 

 要するに、今のゼファーを海に落としたいのであれば、ベリアルは攻める方向が非常に限定されてしまうのだ。

 それこそ、ゼファーに完全に対応されてしまうくらいに。

 

 そしてゼファーの思惑を外そうとして攻めるのだとしても、"この方向で今まで攻めていたんだから今度はこう攻めよう"という駆け引きの要素が絡んで来てしまう。

 ジャンケンと同じだ。

 ただやるだけならば運要素が大いに絡む。

 だが「次は○○を出すぞ」「次は○○を絶対に出さない。約束する」と言った途端、それは運の勝負ではなく駆け引きの勝負となるのだ。

 

 彼は四方八方どこから攻めてくるか分からない敵を、駆け引きの土俵に引きずり下ろした。

 『駆け引きの勝負なら、君は負けない』。

 藤尭朔也が言ったその言葉を、ただ信じて。

 そして圧倒的格上であるはずのベリアルに対し、主導権を握ることに成功したのである。

 

「うおっとぅ!?」

 

 今度は海の側から、逆を突いて攻めてきたベリアル。

 しかしそれは、ゼファーが「グーを出すぞ」と言ったからと、パーを出すのをやめ裏をかいたグーを出すようなもの。

 その程度なら、直感持ちのゼファーに読めないはずがない。

 攻撃直前に空気抵抗が発生したことで、水面近くに波が発生したことも重なり、ベリアルはまたしてもゼファーに攻撃を回避されてしまう。

 そこに追撃の、焔の槍16連発が飛んで来た。

 

 ベリアルは恐るべきスピードと機動性を見せ、空にぐねぐねとした軌跡を次元違いのスピードで描いていく。焔の槍は小さくかわされ、大きくかわされ、あるものは直線にて純粋に速度差で追いつくことすら叶わなかった。

 

(……ああ、クソッ、主導権は握ってるのに決めきれない……!)

 

 古今東西、主導権を握るということはそれだけで強い。

 研究家の中には「主導権の存在が兵力を三倍にする」と言う者さえ居るのだ。

 ゼファーも今、圧倒的有利な状況に居ると言えよう。

 だが、決めきれない。

 だが、倒せない。

 その原因は純然たるスペック差のせいだろう。

 ナイトブレイザーとベリアルの間には、速度の差がありすぎる。

 それこそ、動きを分析し主導権を完全に握っていても、決めきれないほどに。

 バニシングバスターが当たる可能性だって、戦いが始まってから今に至るまで、どの場面でも不動の0%を貫いているという有り様だ。

 

(どうする、どうする、どうする……!?)

 

 海の向こうに行ったベリアルを警戒し、ゼファーは構える。

 ……だが、直感が違和感を拾った。

 海面の水位がほんの少し、微妙に下がってきている。

 ベリアルがいつまで経っても現れない。

 なのに直感が感じ取っている戦いの流れは、"まだ敵の攻撃は続いている"というもの。

 その疑問の答えはすぐに現れる。

 

「……?」

 

 水平線が持ち上がる。

 否、水平線の向こうから、"海の壁が迫って来ている"のだ。

 それはノイズらとある意味同じ、人々に多大な被害をもたらす災害。

 『高波』であった。

 

「……! 冗談だろ!?」

 

 ベリアルは空気抵抗をそのままに、水面近くで太平洋から日本に向かって全速飛行。

 その後空気抵抗を0にして太平洋方向に飛び、また空気抵抗を戻して日本に向けて全速飛行。

 水面をうちわで扇ぐように、台風が海面をそうするように。

 暴力的な風と衝撃波によって『波』ができ、やがてそれは『高波』に変わる。

 それこそ、東京を丸ごと飲み込みかねない規模で。

 

「高波被害なんて出させてたまるかぁッ!!」

 

 ゼファーは瞬時に最悪の状況を想定し、両の腕に全力で焔をチャージ。

 HEXシステムで軽減されない痛みは、まるで真っ赤に加熱された鋼鉄のペンチで腕の肉を何度も何度も引き千切られるようなものだったが、根性で集中は切らさない。

 そしてナイトブレイザーが両の腕を横一直線に振るえば、途轍もない熱量の焔が高波に向かって放たれ、彼の意志に従い横一直線に伸びていく。

 海だって燃やせる。雲だって燃やせる。

 それが、魔神の焔(ネガティブフレア)

 ゼファーが放った熱の波は、一撃で高波を跡形もなく焼滅させてみせる。

 

「……ぐ、あの野郎、ベリアルはどこに」

 

 人々を守った代償に、ゼファーは決定的な隙を晒してしまう。

 ベリアルの存在も見失った。

 直感(ARM)のレーダーの反応さえも悪いことから、彼は氷の女王の奥の手のことを思い出し、"もしや隠していた能力を"と思い至り、そして。

 

「がっ、あっ、なっ、ぎっ、がッ!?」

 

 何がなんだか分からないまま、ベリアルの攻撃を受ける。

 そして宙に舞い上がり、何度も何度も剣とパイルバンカーで攻め立てられ、高度33000フィートの空へと打ち上げられて行く。

 雲の上、空の上。

 ゼファーはそこで、何故ベリアルの姿が視認できないのかその理由と、何が何だか分からないまま攻められていたその理由を把握した。

 ナイトブレイザーの視線の先で、何もなかったはずの場所から、すうっと敵が現れる。

 光がその身体を通り抜けて行く状態から、通り抜けない状態へと変化していく。

 

(―――光学迷彩!?)

 

 そう。

 真銀の騎士ベリアルの銀一色装甲はただのお洒落ではない。伊達や酔狂でもない。

 『光学迷彩』というスキルを発揮するための、至高の装甲なのだ。

 

(んなバカな、なんでそんな強力な能力を、ここまで隠して……!?)

 

 信じられないものを見るような目で、ゼファーがベリアルを射殺さんばかりに見つめる。

 だがその動きは、先ほどまでのものとは比べ物にならないくらいに鈍かった。

 

(そうか。大量のエネルギーを消費するから、一時的にジェネレーターの出力が落ちるのか。

 内部機関に負担をかければそうもなる。つまりこれがこいつの弱点……だけど……!)

 

 ようやく見つけた敵の弱点。

 が、ここは空の上。

 空を飛べないゼファーには、その弱点を突く手段がない。

 焔を撃ってもかわされる。そのくらいの速度は、まだ敵も保っているようなのだ。

 ベリアルはそれを分かった上で、この状況を作り上げるために、光学迷彩という手札を切った。

 

(こいつは弱点がバレても、そこを俺に突かれないよう、ここで決めるつもりだッ……!)

 

 ゼファーは確かに、駆け引きだけでベリアルの上を行っていた。

 だがベリアルは、駆け引きで負けようとも、能力の絶対数とその強さの絶対値の高さだけで、その上を行こうとする。

 ゴーレムだけに許された、理不尽なまでのゴリ押しだった。

 ナイトブレイザーは重力に従い落下を始め、ベリアルは攻撃を仕掛けるためか光学迷彩で姿を消して、ナイトブレイザーの下から回り込む。

 

「う、お、お、落ちるッ……!!」

 

 仮にナイトブレイザーの体重を100kgと仮定する。

 実際にそうであるかは別として、かなり軽めに見ての仮定の100kgだ。

 この場合、大気を落下して地面にぶつかる瞬間の終端速度は時速229km。

 ぶつかる際のエネルギーの総量は9,806,650Jとなり、TNT爆薬2kgが体内で爆発したのと同じくらいのダメージが発生する。

 仮面ライダーのライダーキック風にトン換算をすれば、大雑把に300t以上だろうか。

 

 ただ落ちる、というだけでもこれだけの破壊力が発生するというのに。

 ベリアルはナイトブレイザーに容赦などせず、姿を消したまま下に回り込み、落下速度を利用してパイルバンカーを叩き込もうとしていた。

 落ちてくるゼファーの腹に、下からパイルバンカーをぶっ刺そうとしているのである。

 

「野郎……!」

 

 ゼファーはそれを直感で感じ取るも、何も出来ない。

 何かないか、何かないかと考えようとも、どれもこれもがベリアルには通じないものしかない。

 諦めはしない。

 なのに知識と思考は、打開策を教えてはくれないのだ。

 

「諦めるものかッ!」

 

 ゼファー・ウィンチェスターは諦めない。

 はるか下方の街を見据えて、全力で叫ぶ。

 

「あそこに俺の守リたいものがある限り、俺はッ!」

 

 その声が、意志が、覚悟が、運命の流れを引き寄せる。

 

『ゼファーさん!』

 

「! シンジさん!?」

 

『教えたことを思い出してください! まだ一週間も経っていませんよ!』

 

「まさか、あれを……!? ですが、あれはッ!」

 

『できます! 理論上できるかもしれないと、思い付いたのはあなたのはずです!』

 

「……ッ!」

 

 耳元に届く、緒川慎次の通信の激励。

 あなたならできると、そう信じた彼の言葉。

 

『どうせ出来なければ死ぬんです。なら、思い込み、信じて、なるんです!』

 

 彼にしては珍しい、熱い言葉。熱い精神論。

 

『今この瞬間だけでも、自分自身の、可能性の、狂信者に―――!!』

 

 なればこそ、ゼファーの背を押す力となる。

 

「―――!」

 

 ゼファーは記憶を想起する。

 あの日、タラスクと戦った時、響の声に応えるように自分が繰り出したあの技を。

 ゼファーは記憶を想起する。

 あの日、朔也がデータで見せてくれた、ディアブロの空中跳躍を。

 ゼファーは記憶を想起する。

 あの日、緒川が響を助けるために見せた水上走りを。

 

 ナイトブレイザーの下で、ベリアルが構える。

 狙うは腹と背中を一直線に貫く一撃。

 黒騎士の落下速度と銀騎士の上昇速度を合わせた一撃が、パイルバンカーより放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間。

 ベリアルは、何が起こったのかまるで理解できなかった。

 『ナイトブレイザーが』、『空で』、『跳んだ』。

 

 足元には焔。薄く放出された焔の膜。

 それを足場にして、ナイトブレイザーは"空中を跳んだ"のだ。

 あの日、ゼファーは響を助けるために、腕から焔を放出して反動で腕を無理矢理動かした。

 あの日、ディアブロは焔を足場にして跳んでいた。

 あの日、緒川は水という形のないものの上を走っていた。

 

 ゼファーはいつとて学び、覚え、それらを組み合わせて新たなものを作り出す。

 突飛な発想ではない。

 今日までの間に考えついていて、今日までの間に積み重ねてきた鍛錬を昇華させ、一つのスキルとして組み上げた必然の技。

 水上走りの進化系、空中走り。

 それがゼファーがこの土壇場で引き寄せた、唯一無二の勝機であった。

 

「うおおおおおッ!」

 

 ゼファーが空を走り、ベリアルに迫る。

 今の出力が落ちたベリアルでは、今のゼファーからは逃げられない。

 アクセラレイターも併用した高速移動で、ベリアルへと迫るゼファー。

 それをベリアルは、剣を縦に振り下ろすことで迎撃した。

 だがかわされる。

 ゼファーは左肩、左脇、左腰から焔を放出し、右にスライドするように跳んだのだ。

 

「!?」

 

 拙いAIで驚愕するベリアル。

 ゼファーは右足裏から焔を放出し、スライドを止めつつ跳躍。

 右肩の後ろ、右腰の後ろから焔を放出。

 左肩の前、左肩の前から焔を放出。

 身体そのものを左回転で高速回転させ、右足で高速回し蹴りを放った。

 当然、右足の各所からも焔を放出して攻撃力アップ。

 絶大な威力を内包した空中回し蹴りは、防御に回されたベリアルの剣をいともたやすくへし折った。

 

「ぐ、ぎ、ぃッ……!」

 

 だが、何故か攻めていた方のゼファーが苦悶の声を上げる。

 ゼファーは苦悶の声を噛み潰し、再度焔を足場にして跳躍。

 水上走りの極意『形のないものを掴む』を発展進化させた空中機動にて、ベリアルの背後を取って焔の腕を振るう。

 だがベリアルもさるものだ。

 身をひねり、その一撃をかわし、距離を取ろうとする。

 ゼファーは逃がすかと、距離を離されないよう再度距離を詰めていった。

 

「づ、ぁ、ぐ……!」

 

 ゼファーのこの焔を放出し、虚空を掴み、立体的な軌道を取る能力。

 これには、致命的なリスクが存在する。

 すなわち、体表でネガティブフレアを爆発させて推進力を得るために、肉体に膨大な負担がかかるのだ。

 またしてもリスクありの技。

 ナイトブレイザーのスキルはそのほとんどがデメリット付きで、この技に至っては自分を自分でタコ殴りにしているようなものだ。

 もはや技と呼べるようなものではない。

 だと、いうのに。

 この能力を多用しなければ、ゼファーはベリアルに追い付くことすら出来ないというその事実。

 

(視界が霞む……気が遠くなる……痛い、熱い、苦しい……けど……!)

 

 諦めない心だけでは、こんな力しか紡げない。

 されど諦めない心があるからこそ、こんな力でも発現させて、現実に希望を繋いでいける。

 『次』の希望が来るまでの時間を、稼いでくれる。

 

『ラインオン!』

『ナイトブレイザー、天羽々斬、ガングニール!』

 

 その瞬間、ゼファーの肉体に掛かる負荷が、すっと軽くなった。

 誰が、なんて無粋は言わない。

 誰が、なんて探すようなことはしない。

 誰が、なんて言うまでもない。

 

『ごほっ、こほっ、ラインだけ、繋いだから……』

『コンビネーションアーツは撃てねえが、サポート入れてやるぜ……う、お、えっ』

 

『この子らはこちらに任せて、そちらはそちらのすべきことを!』

 

 歌も歌えないような身で、無茶をする。

 ゼファーは仲間へと最大級の賛辞を心の中で述べ、彼女らの意志を尊重し連れて来てくれたのだろう林田父へと感謝して、更に跳ぶ。

 ここが勝機。

 勝負の賭け時。

 

「分かるか? どんな時でも、俺は一人じゃない。

 こんな何もない空の上に連れて来たって、そうなんだよッ!」

 

 敵は格上。だがそんなことは関係ない。必要なのは勝利のみだ。

 敵が格上ならば、ただ一撃。必殺の一撃を叩き込める状況を作ればいい。

 ナイトブレイザーには、上位ゴーレムとて一発で撃墜する、最強の一撃があるのだから。

 自身より十倍強い相手だろうと、『それ』が当たったならば粉砕できる。

 

「バニシングバスター――」

 

 ゼファーはバニシングバスターを展開。

 繋がれたHEXのラインを通し、余剰エネルギーを外部に流出させて制御力を向上させつつ、コンビネーションアーツの原理で発射後の威力を増幅させる仕組みを作る。

 いつもとは違う感覚で、その一撃を解き放たんとする。

 そうして、光撃は、かつてない形で撃ち放たれた。

 

「――コンビネーションアーツ・バージョンッ!」

 

 粒子加速砲は放たれ、そして『分裂』した。

 普段は極太の一本だったそれが、十数本の光の線となって光速度の何割かという速度で飛んで行く。それぞれが曲線、あるいはジグザクに飛び、全てが目標であるベリアルへと飛んで行く。

 避けられるはずもない。

 受けられるはずもない。

 殺到する粒子加速砲の集中攻撃を、ベリアルはその身で全て受け止めた。

 

 ゼファーは駆け引きでベリアルの上を行く。

 ベリアルは能力の絶対数とその強さの絶対値の高さだけでその上を行く。

 ならば、更にその上を。

 ゼファーは繋いだ絆と積み重ねた努力の数で、その上を行く。

 

 この日、初めて。

 生涯、初めて。

 もう一度やれと言われても出来ないような奇跡の果てに、ゼファーはゴーレムを撃破した。

 

「やっ……た……ぜ……」

 

 そこで疲労の限界が来たのか、ゼファーはナイトブレイザーの姿のまま落ちていく。

 そして、海へドボン。

 海面への激突が最後のトドメになったのか、ゼファーは海中にて気絶。

 

 「助けが来るのがあと五分遅ければ溺れ死んでいた」と言われたような状態で、一課のメンバーに救助されるのだった。

 

 なんとも締まらないが、勝ちは勝ち。

 めでたし、めでたし。

 どっとはらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 

「いやあ、君は本当になんというか、ギャグだね」

 

「ほっといてください」

 

「ふふっ」

 

 ゼファーは先日の戦いをネタに、さんざん土場にからかわれていた。

 傍らには翼。

 もうすっかりインフルエンザからも立ち直ったようだ。

 三人は長椅子に座って、廊下でひたすら給料泥棒に勤しんでいた。

 

「そういえば、ゼファー君。看病の時に奏君とは何かあったかな」

 

「え? いや、特にないですけど」

 

「そうか」

 

「何故いきなりそんなことを?」

 

「いや、深い意味しかないさ」

 

「ええええ?」

 

 土場が含みをもたせた言い回しをすると、通路の向こうに奏と弦十郎の姿が見える。

 

「なんだよ弦十郎の旦那ー、もっとあたしを構えよ」

 

「俺は忙しいんだ。ゼファーか翼に構ってもらえ」

 

「あんたがいいんだってばー」

 

 二人は楽しそうに話していて、とても気安そうで、信頼が見えて。

 ゼファーだから、分かったことがある。

 今、奏が弦十郎に見せている顔は、弦十郎に対してだけ見せる顔。

 他の誰にも見せない顔。

 そして、ゼファーが時々鏡で見ている顔。

 

(……え?)

 

 『誰かに恋する者の顔』だった。

 

(……なんか……胸が、苦しい……)

 

 ゼファー・ウィンチェスターは恋をした。

 されどその恋は報われない。

 彼が彼女を好きになった時点で、彼女には既に好きな人が居たのだから。

 風鳴弦十郎に抱き締められたあの日から、奏の心が向く先はとうに定まっている。

 

(なんでだ……なんで、俺は……)

 

 心がざわめく。

 心が荒ぶる。

 ゼファーは自分の気持ちも、何故その気持ちが荒ぶっているのかも分からない。

 自覚できていない。

 報われない現実すらも見えていない。

 

(なんで、俺……見返りなんて求めた覚えはないのに……

 なんで、『こんなに頑張ったのに』なんて、思ってる……?

 何考えてんだ……意味分かんねえ……なんで、報われなかった気持ちに、なってる……?)

 

 理屈ではない感情の衝動。

 彼は理性的にそれを受け止めて、戸惑いの上に戸惑いを重ねていく。

 そんなゼファーを、翼が口元を抑えて見つめる。

 

「ゼファー、あなた……」

 

「……どうした?」

 

「いえ、その……なんていうか……泣きそうな顔、してる?」

 

「……」

 

 仮面が外れた。

 それは一時的なものであったが、翼はその下の彼の顔を覗いてしまう。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 一つ、一つ。

 歯車がズレ、外れ、噛み合い、違う形に組み上がっていく。

 その過程で、不気味な不協和音を奏でながら。

 

「ふむ」

 

 土場はこうなるだろう、と思っていた。

 いつかこうなるだろうと確信していた。

 だから、戸惑わない。

 

「二人とも、私の部屋に来ないか」

 

 予定調和のように、二人を部屋へと誘う。

 

「いい茶葉があってね。ご馳走しよう」

 

 少年少女は、土場の部屋へと招かれる。

 その後の彼との会話が、ゼファーの未来と運命を、ある道筋へと決定させるのだった。

 

 

 




少年にないもの
彼にはあるもの
好かれる理由は、ただそれだけ

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