戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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・二十一話(前回)までのあらすじ
天羽奏(通称かっちゃん)が眠るベッドの前で俯く南じゃなくて西なゼファー少年
彼は駆けつけた立花響(通称たっちゃん)に沈痛な面持ちで告げる
「綺麗な顔してるだろ? ウソみたいだろ? 死(ry」



うそです


第二十二話:運命の分岐点、ただし一本道

 どこを好きになったのかと問われれば、天羽奏は一瞬口ごもる。

 彼女は、風鳴弦十郎が好きだ。

 現実の人間の魅力は数値化出来ない。時と場合によっては言葉にも出来ない。

 彼より格好いい人、頼りになる人、頭のいい人、気遣いのできる人も探せば居るだろう。

 だけど、そうじゃない。

 彼女は彼の、言葉にできない素敵なところを好きになった。

 

 初めて会った日に、抱き締められたその時にはもう心惹かれていて、ゼファーの導きで決着を付けたあの日に己の気持ちを自覚した。

 

 格好良かったから好きになったわけじゃないけど、一度好きになったら他の誰よりも格好良く見えるようになった。

 性格ですら数段素敵になったように見え始める。

 恋は盲目。愛しては其の醜を忘る。あばたもえくぼ。

 恋という要素が加わっただけで、その人の欠点まで良点に見え始める。

 

 変わったのは、奏が弦十郎を見る目だけだったはずなのに。

 明確に意識するようになれば、その瞬間から世界の景色すら違って見えた。

 自分も、好きになった相手も、今生きているこの世界も。

 いつもよりほんの少しだけ、色が濃くなっているように見えてくる。

 

 天羽奏は風鳴弦十郎が好きだ。

 思春期相応の恋愛感情で恋をしている。

 焦がれるように、その人を求めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十二話:運命の分岐点、ただし一本道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこを好きになったのかと問われれば、ゼファーは一瞬口ごもる。

 彼は、天羽奏が好きだ。

 現実の人間の魅力は数値化出来ない。時と場合によっては言葉にも出来ない。

 彼女より見目麗しい人、背中を預けられる人、優しくしてくれる人も探せば居るだろう。

 だけど、そうじゃない。

 彼は彼女の、言葉にできない素敵なところを好きになった。

 

 他人とは思えないような共感を抱きながら、そんな彼女が紆余曲折を経て過去を乗り越え、成長した瞬間に見せたその輝きに。彼は魅せられた。

 

 外見が魅力的だったから好きになったわけじゃないけど、一度好きになったら他の誰よりも魅力的に見えるようになった。

 性格ですら数段素敵になったように見え始める。

 恋は盲目。愛しては其の醜を忘る。あばたもえくぼ。

 恋という要素が加わっただけで、その人の欠点まで良点に見え始める。

 

 変わったのは、ゼファーが奏を見る目だけだったはずなのに。

 明確に意識するようになれば、その瞬間から世界の景色すら違って見えた。

 自分も、好きになった相手も、今生きているこの世界も。

 いつもよりほんの少しだけ、色が濃くなっているように見えてくる。

 

 ゼファーは天羽奏が好きだ。

 思春期相応の恋愛感情で恋をしている。

 焦がれるように、その人を求めている。

 

「―――」

 

 その『好き』という気持ちさえ、ゼファーは今日土場に言葉を重ねられて初めて気が付いた。

 土場はゼファーが気付くまで、根気強く何度も言葉を重ねた。

 自覚はなく、意識の中にはあれど気付けず、気付いたのはどうしようもなくなってから。

 ゼファーの初恋は、胸に刺さる刃のようなものだった。

 

「あの、私はやはり席を外した方が……」

 

「翼君にもここにいて欲しい。

 ああ、別に何か言って欲しいわけじゃない。

 ただここに居て欲しいんだ。どうだろうか?」

 

「土場さんがそうまで言われるのなら……」

 

 この男は考えなしに何かをする男ではない。

 そしてそれと同時に、その考えを他人に明かさないことも多い。

 土場はそういう男だ。

 翼はとりあえず、二人から少し離れたソファーに座る。

 

 彼女の目には、今のゼファーの表情が映っている。

 読めない。とにかく感情の読めない表情だった。

 取り繕ったものでもなく、素の表情でもなく。

 翼も、以前からうっすらと違和感を感じてはいたのだ。

 だが実際にゼファーの仮面と、その下に隠されていた感情の混沌とした坩堝のギャップを見た途端、翼の中の彼への印象はガラッと変わる。

 

 翼は思う。

 自分は、何か、とんでもない思い違いをしていたのではないのかと。

 風鳴翼が"ゼファーの成長"だと思っていたものは、良くも悪くもそういうものではなかったのではないかと……彼女はそう思い始めていた。

 

「君は、奏君が好きだ」

 

「……」

 

「そうだろう?」

 

「…………………はい」

 

「奏君は、風鳴司令が好きだ」

 

「……」

 

「風鳴司令は、奏君のことを特に好きではない」

 

 土場が何か一つ言葉を発する度に、ゼファーの胸がチクリと痛む。

 それは現状の整理であり、ゼファーの心の中身の整理であった。

 

 たとえば、誰もがこの問題にて腫れ物に触るようにゼファーに接し、彼に現実の現状を突き付けないよう優しく接したとしよう。

 ゼファーの中でこの問題はいつまでもくすぶり続け、やがて淀みながら腐っていき、最終的にどうしようもない決定的な破綻を生み出してしまうだろう。

 

 土場はストレートにこの問題を突き付け、ゼファーの中で心の整理がつくように、彼の心の中の問題を整理していく。

 その過程は痛みを伴うが、ゼファーはまだ、逃げない。

 土場は"あわよくば、ここで全てを終わらせよう"と考える。

 『恋』ができるようになったことで、それが可能であると彼は思っていた。

 

「君は、二人がそういう関係になることは望んでいない」

 

「何言ってるんですか?

 彼女の恋は応援しますよ?

 当然じゃないですか?

 それがカナデさんが一番喜ぶ道でしょう?」

 

「そうだな。そして君が喜ばない道だ」

 

「喜びますよ?」

 

「奏君の恋が成就して幸せになった、という点だけ見て、な。

 かの二人がそういう関係になることそれそのものに喜ぶわけではないだろう?」

 

 疑問符を連呼するゼファー。

 語調までもが、どこか何かがおかしくなっている印象を受ける。

 それは、この話題に関しては、今のゼファーではどうやっても完璧には仮面を被りきれないということでもある。

 本気の嘘で、自分を騙しきることができていないということでもある。

 

「それに、歳の差がありすぎる。私は風鳴司令の方が拒むと思うがな」

 

「カナデさんが本気なら、ゲンさんは歳の差だけを理由に断るような人じゃありません。

 第一、今すぐじゃなくていい。何年後だっていいじゃないですか。時間制限はないんだから」

 

「上のお偉いさんから司令に、身を固めろとのお見合い話もかなりの数来ている。

 多忙を理由に断っているが、司令も嫌な顔はしていない。

 "特定の誰か"が居ない彼が良妻と出会えるよう、そこに全力を尽くして手伝えば結果的に……」

 

「いりません」

 

 土場が言うことは、極めて現実的だ。

 漫画に影響された恋愛結婚至上主義に染まることもなく、男女が人生の半分を結婚した相手と過ごすということをきっちり認識し、過程の恋愛以上に家事や性情の保証なども重要視していて、されど恋愛というものの比重を軽んじることもない。

 弦十郎を他の誰かとくっつけてしまえばチャンスは有る、というのもそう。

 歳の差。一線を越えた後の困難や障害。ゼファーにもたらされる利。

 土場は多種多様な要素を千変万化な言葉の数々で提示する。

 だが、ゼファーはそれら全ての甘い誘惑を突っぱねる。

 

「俺はカナデさんを応援して、不可能だって可能にしてみせます」

 

 選択は決まり切っていた。

 ゼファーがそうしたかったからではない。

 "ゼファー・ウィンチェスターはそうしなければならない"という思考が、彼の中にある『他の気持ち』を全て塗り潰し、他の選択を選ばせなかったからだ。

 

 

「君は恋を殺す道を選ぶのか」

 

 

 土場がそう言い、ゼファーはそれを聞き。

 ゼファーは息を呑むこともなく、表情を変えることもなく、身じろぎもしない。

 だがその分だけ、心の奥にある部分を激しく揺らされていた。

 

「それは、自分の幸せを殺すことだ。

 やめておくといい。君はこの機会に、もう少し自分本位に生きることを覚えるべきだ」

 

 土場は鋭い視線でゼファーを見つめ、強力な言葉を吐く。

 ゼファーはそれに、目だけで人を射殺せそうな視線を返した。

 

「ゲンさんがカナデさんを振るならそれでいい。

 カナデさんが時間経過でゲンさんを好きでなくなるならそれでもいい。

 選択の自由は二人にある。だけど……だけど!

 カナデさんの気持ちを分かった上で引き離す策を弄するなんて、できないッ!」

 

「だが、君は」

 

「自分の!」

 

 ダン、とゼファーはテーブルに拳を叩き付ける。

 

「自分の幸せのために他人の幸せを踏みつけにすることは、『悪い事』だ……!」

 

 何もかもを棚に上げ、自分の本音を押し殺し、潔癖過ぎる主張を掲げながら。

 

「失礼します!」

 

 ゼファーは怒ったような苛立っているような、けれどそれらとは少し違う様子を見せて立ち上がる。そして逃げるように部屋を出て行った。

 翼は彼らしくもない様子にぎょっとして、立ち上がりその後を追いかけようとし、止まる。

 そして振り向き、土場に視線をやった。

 

「構わない。行くといい、翼君。君に見せたかったのは『これ』だったのだから」

 

「……! 失礼します!」

 

 土場に頭を下げてから、翼はゼファーの後を追う。

 二人が去った後、土場は二人に出した茶の器を片付けながら、溜め息を吐く。

 

「悪い事、か。バカらしい」

 

 もしも、この二課で最もダブルスタンダードを行っている人物が居るとするならば。

 それは間違いなくゼファーであると、土場は思っていた。

 

「君は他人が自分の幸せのために、君の幸せを踏みつけにしようとすれば……

 『人間として当然の感情だ』と責めもしないだろうに。実にバカらしい」

 

 揺らがないダブルスタンダード。

 自分はダメでも他人はいい、というスタンス。

 今日、それを少しでも壊してやろうと思っていた土場であったが……予想以上に、ゼファーは頑固で、意固地で、歪んでいた。

 だが、今が千載一遇のチャンスであることには変わりない。

 

「……説き伏せられない私も同類か」

 

 土場は眉間を揉みながら自嘲する。

 そして『次』の手を考えようとする。彼に諦める気はない。

 彼はゼファーに、我慢と忍耐が自分の幸せに繋がるわけではないのだと、教えたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔、昔のこと。

 とある農家・土場家の三男坊として、彼は生を受けた。

 彼は生まれついての器用さを誇り、進研ゼミと参考書だけで全国模試二桁クラスの学力を田舎で手に入れ、ごく自然に都会の大学へと進学する道を進んだ。

 貴族風の服装や振る舞いはただの趣味だ。

 彼曰く、魂に刻まれた在り方だとかなんとか。

 

「はじめまして」

 

 そして彼は、大学にて運命の人と出会う。

 綺麗な女性だったと、彼は記憶している。

 病弱な女性だったと、彼は記憶している。

 絵巻物一つに収まらないような大恋愛の果てに、彼はその女性と結ばれた。

 

「大好きだよ」

 

 告白したのは彼女の方。

 土場はそれに「私もだ」と返し、二人の恋愛は始まった。

 されど、二人の愛を裂こうと悲劇の運命が訪れる。

 土場が愛した女性は、不治の病に侵されてしまったのだ。

 それこそ、『現代の科学』では治療どころか延命すら出来ないような。

 

 それが、土場が特異災害対策機動部二課へと入った理由。

 彼は自分のスカウトに来た弦十郎に頼み込み、『先史の科学』による治療を受けさせることを交換条件に二課へと参入した。

 女性は異端技術の応用を用いられることで、ほんの少し、ほんの少しだけ延命される。

 そう。先延ばしにしただけで、何も変えられなかった。

 死の運命は、変えられなかった。

 

「そんな顔しないで。これはきっと、運命だったのよ」

 

 彼女は何も言わなかった。

 自分の苦痛も、死の恐怖も、絶大な不安も。

 何一つとして口には出さなかった。

 ずっと愛してくれる、ずっと看病してくれている、愛した人に心配をかけたくなかったから。

 頬がこけ、肌は青白く、生気が欠片も感じられない表情で、浮かべられる儚くも綺麗な笑顔。

 彼女は自分のために表情を曇らせている彼へと、笑顔で言う。

 

「だから、笑って」

 

 彼には一つ心残りがあった。

 始まりは彼女が彼へと告げた愛の告白。

 だがそれ以降、彼は彼女に愛の言葉を囁いたことが一度もなかった。

 どうにも、言葉にするのが気恥ずかしかったから。理由なんて、それだけだったのだが。

 

 彼女が死にゆく際となって、彼は初めてその事実に気がついた。

 病気に侵され死にゆく身で、彼女はさぞ不安だったことだろう。

 愛を疑ったこともあっただろう。不安で揺れたこともあっただろう。

 それでも、彼女は彼を信じたのだ。彼の愛を信じたのだ。

 そんな彼女の不安、胸の痛み、そしてそれを押し殺した気遣いに土場は気付き。

 彼女への愛で、気恥ずかしさを乗り越えた。

 

「君を愛してる」

 

 そう一言、彼が言った日に。

 最後の最後に彼女は、花が咲くような笑みを見せて、息を引き取った。

 

「ありがとう。あなたに会えて、幸せだった」

 

 土場は愛した人を助けるために二課に入った。

 助けられずに、愛は終わった。

 そして今日も、土場は自分が愛した人を助けるために力を貸してくれた『二課』への恩を返すために、この場所で仲間達を助け続ける。

 これが二課のメンバーのほとんどが知っている、土場の過去と今日に至るまでの過程だ。

 

 ゼファーが選ぼうとしている選択は、土場が途中で捨てたスタンスと似ていた。

 好きと伝えず、好きと伝えないまま、好きな人と永遠の別れとなりかねない選択。

 ゼファーの在り方は、土場の愛した人が最後に選んだそれと似ていた。

 他人より少しだけ我慢強くて、与えられる痛みに鈍い人が、少しだけ頑張って耐えてしまう。

 仮面を被って、弱音を吐くのもやめてしまう。

 そして意志一つで、死するその時まで耐え切ってしまうこともある。

 "誰かのために"なんて理由で、泣きもせずに笑顔で耐えて、苦痛と不幸の中で死に至る。

 どこかで誰かに救われない限り、最後に絶対にそうなる人間が『時々居る』のだということを、土場はよく知っていた。

 

 彼は知っているのだ。

 仮面を被った人間にできること、本音を隠した人間にできること、英雄にできることを。

 その選択がその人に強要する、無理と我慢を。

 「好きだ」と伝えないまま重ねてしまう日々が作る痛みを。

 好きな人が目の前で死んだ時の悲しみを。

 刻まれた後悔が生む痛みを。

 

 今ゼファーが一直線に向かっている先にある、結末を。

 

 彼の人生経験が、ゼファーの説得に役立つかと言えばそうでもない。

 話せばゼファーの同情は引けるだろう。

 言えばゼファーに少しだけ耳を傾けさせることもできるだろう。

 だが、土場の人生に何かがあったという事実が、ゼファーの人生を変えられるだろうか?

 否。これを話しただけでは、限りなく不可能に近いはずだ。

 あれでゼファーは、ほんの少しづつにしか変われない人間だ。

 それゆえに、この人生が定める事実はたった一つ。

 

 土場という男は、ゼファーという少年に後悔をさせたくない。

 この少年の恋を、悲しみと後悔だけに終わらせたくない。

 そう思っていて、ここに居る。

 ただそれだけが、今の彼の全てだった。

 

 惚れた女を目の前で死なせてしまった男は、少年に自分達と同じ道を辿らせまいとしていた。

 

 自分が辿って来た人生、過去の後悔のことなど、少年には一つたりとも明かさぬままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 土場は何も、自分一人で何かを変えようとしているわけではない。

 ゼファーが何か致命的な選択をしかねない人間だと思っていて、その彼が奏に恋をしたことが話の起点であるならば。土場よりももっと二人に近く、二人の関係に手を入れられる者が一人居る。

 ゼファーと奏という二人に対し、極めて近い立ち位置の人間が一人居る。

 

「……」

 

 風鳴翼は、"その"ゼファーを見て、足先から徐々に血の気が引いていくのを感じていた。

 体だけでなく、心からも血の気が引いていくかのような錯覚。

 彼女の視線の先では、土場との話の後から数分しか経っていないというのに、『普段通りに』研究室第一班の人間と話すゼファーの姿があった。

 

 いつも通りの、穏やかで波紋のない水面を思わせる静かな笑み。

 事前情報がなければ、何もおかしな所がないように見える笑み。

 翼視点では、一から十までおかしな所しか見えないような笑み。

 

「ゼファー……いつも通り、ね」

 

 ああ、こうして隠してきたのかと、翼は思う。

 

「? なんか変か?」

 

「ううん、何も変なところはないわ。……でも、それが変」

 

「?」

 

 そうかもしれない、と思ったことはある。

 弱さを隠してるのではと思ったことはある。

 けれど、すぐに否定していた。ここで過ごす毎日の中で成長し、強くなって弱さなど無くしてしまったのだと、そう彼の強さを信じていた。

 何の根拠もなく、信じていた。

 

「なんで……なんで、『変』じゃないの?」

 

 翼の言葉に、ゼファーはきょとんとした表情を浮かべる。

 不自然に自然な表情だった。不穏なくらいに穏やかな表情だった。

 

「俺はいつも通りだろう? 変なツバサだな」

 

 風鳴翼は思い出していた。

 彼が強く生きていたから忘れていたものを。

 もう何年も前だったから忘れていたものを。

 翼が初めて会った日の、出会ってすぐの頃の、ゼファー・ウィンチェスターの姿を。

 

 

 

 

 

 時は人を待つことなく、流れて行く。

 正常な歯車は徐々に狂い、狂っていた歯車は徐々に正常に戻って行く。

 運命が近付く。

 未来の分岐点が近付く。

 生か死か。

 それを定めるかの日まで、あと一ヶ月。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 描写されている範囲の中で、あるいは描写されている範囲の外で、礼を忘れないのがゼファーである。

 例えば一課の世話になった場合、後日菓子折りを持って一課に行くのがゼファーだ。

 いい意味で言えば律儀であり、悪い意味で言えば物事を適当に捌けていない。

 善意には善意で返す。

 ゼファーが修行に手を貸してくれた響や未来への恩返しに選んだのは、二人に水の上の景色を見せるという、ちょっとだけ小洒落たものだった。

 

「わぁ……!」

 

 ゼファーが響を抱えて海を走る。

 彼に横抱きにされた響は、海を横切る自分とそこから見える光景に感嘆の声を上げた。

 船などと違い、海にずっと近い場所を走っているがために、今の響が感じている感覚は筆舌に尽くしがたいものがあった。

 雲の上を走る人間に抱えられ、雲の上を行く感覚か。

 あるいは空を走れる自転車の荷台に乗せてもらっている感覚か。

 何にせよ、機械や金属といったものを間に挟まず、海の上を行くという感覚は、響にとってはとても新鮮な感覚だったようだ。

 

「ただいま」

「ただいま!」

 

「おかえり」

 

 やや興奮気味の響と、少しだけ息が切れているゼファーが戻り、座っていた未来が迎える。

 響があんまりにも楽しそうで、見ているだけで楽しくなってくるような魅力的な笑顔を浮かべるものだから、運んでいただけのゼファーや見ていただけの未来まで楽しい気持ちになってしまう。

 これも一種の才能か。

 先ほどゼファーが未来にやってあげた時も楽しそうにはしていたものの、この響ほどにはしていなかったように思える。

 

「いつできるようになったの?」

 

「響の家でシャワー借りた日の次の日」

 

「なるほどなるほど、海での秘密特訓が役立ったというわけですなー」

 

「秘密特訓? なにそれ?」

 

「実はね―――」

 

 響が語って、未来が聞く。

 未来は途中で何かを察したようだが、響の後ろで唇に人差し指を当てているゼファーを見て、微笑んで響との会話に相槌を打つ作業に戻った。

 

 ゼファーは先日、ベリアルとの戦闘にて『空を体で掴む感覚』を体得した。

 これは教えられていた水上走りの根幹であり、緒川の歩法全てに通ずる極意である。

 ナイトブレイザーの身体能力があって初めてできた絶技であったが、今日に至っては生身の体でも使えるようになっていた。

 

 前方宙返りで例えよう。

 前方宙返りは筋力の足りない人間が無駄を削ぎ落として足りない筋力を技術で補って……という形で習得しようとすると、時間もかかるし難易度もかなり上がる。

 しかし、筋力の充実した人間が力任せに成功させ、そこから無駄を削っていく形で習得しようとすると、こちらはびっくりするくらい簡単かつ短期間でできるのだ。

 

 これは拳法の世界でも、開展・緊湊という形で半ば常識のように語られている。

 開展。まずは大きく力強く動くことを意識する。

 緊湊。次にそれの無駄を削って小さく、最高効率で打てるようにする。

 結果、必殺の威力を小さなモーションで、かつ一点に集約させて打つ。

 これこそを中華の拳士は真髄とした。

 これを逆にやってしまうと、最初に身に付けた技術の型が威力重視の動きのせいで崩れてしまったり、逆に型が邪魔になって思いっ切り打てないなどの問題が発生してしまう

 総括すれば筋力を付ける前に技術を身に付けても意味が薄れる、といったところか。

 転じて、習得に最も必要なのは『たった一度であっても成功させた感覚』ということでもある。

 研鑽は、成功させた後でも間に合うのだ。

 

 ゼファーが水上走りを学び始めてから三年弱。

 たゆまず重ねた努力は嘘をつかず、こうしてようやく彼の血肉となっていた。

 

「あ、そうだ。響、来月のちゃんと覚えてる?」

 

「うん、もちろん!」

 

「来月? ミクとヒビキは、何か予定があるのか?」

 

 ゼファーの疑問符に、きらりと瞳を輝かせた未来が答える。

 

「ふっふっふ。今、飛ぶ鳥落とす勢いの新星ツヴァイウィング!

 その一ヶ月後のライブコンサートのチケットが、手に入ったの!」

 

(!?)

 

 ぎょっ、とするゼファー。

 まさかここで、その名前を聞くとは思っていなかったのだ。

 ツヴァイウィング。天羽奏と風鳴翼の二人による、今国内で最もホットなアーティスト達。

 

「手に入れたのは未来なんだけど、チケットが二枚あるからって私も誘ってくれたんだ」

 

「そうだったのか……ちなみに俺も行くぞそれ。スタッフサイドで」

 

「スタッフ!?」

「スタッフ!?」

 

(……誤魔化しとくか)

 

「スタッフはスタッフでも短期バイト。日雇いの設営の仕事みたいなもんだ」

 

「あ、ああ、そうなんだ……びっくりした……」

 

 豆知識。

 コンサートには、設営の際バイトの人間を多く集めることがままある。

 バイトの窓口を絞っているため集まる人員に地雷も少ない、そういう準人海戦術だ。

 仕事は鉄製の骨組みやら階段やら大型の機材を体力任せに運び舞台を作ること。

 無論乱暴に扱うなど論外で、集まるバイト戦士はほぼ全員男という男の世界である。

 何千人もの人間にラグなく音楽を聞かせるためのステージを作るということは、何十kgもの機材を抱えて中距離走を何度も走るも同義だ。

 休憩時間も長いが、設営する場所によっては15時間以上拘束されることもある修羅の道である。

 響や未来がそんなことを知る由はないが、仮に知っていたとしても、ゼファーのキャラ的にはそこそこマッチングするバイトであると言えるだろう。

 それなりにリアルな嘘にはなる。

 

 ゼファーは自分はバイト……とは、言ったものの。実際のところは、緒川のパシリとして動くゼファー、ゼファーのパシリとして動くバイト、という構図であったりする。

 ツヴァイウィング芸能事務所『小滝興産』は二課のダミーカンパニーである。

 アーティストとしてのツヴァイウィングをサポートするチームの中核は緒川慎次であり、実際の業務をこなすのはその部下やゼファーなどの援軍人員だ。

 当然、ライブコンサートともなればゼファーが搬入や撤収の手伝いに行くことも多い。

 

 未来はゼファーの秘密を知っている。

 だが、二課の人員ではない。二課が抱える秘密まで知っているわけではない。

 だから響と未来にとって、ゼファーとツヴァイウィングは繋がりのない二つの点なのだ。

 二人は野球の時にすら、翼達と顔を合わせていないのだから。

 

「その件で偉い人との話し合いが今週にあったりしてな」

 

「へー。バイト代交渉?」

 

「そんな感じだ」

 

 二課がツヴァイウィングというユニットをデビューさせた目的の一つ。

 それが、『観客を利用しての完全聖遺物の起動』だ。

 装者と観客の声と心を揃えて大量のフォニックゲインを生み出し、それを注ぐことで完全聖遺物を起動させる……と計画そのものは完成しているものの、実行にはいくつかの問題があった。

 その最たるものが、実験を行うためにお偉いさんに許可を貰わないといけないということ。

 

 そのための第一段階が、まず防衛大臣と弦十郎が会談すること。

 政治の世界における二課の最も心強い味方、"広木防衛大臣"をこの計画に賛同させ、計画を実行準備の段階にまで移すこと。

 ゼファーが先日、大臣秘書と話していたのがこれだ。

 第二段階は、武中陸将補や矢薙内閣情報官などの中立派を、シンフォギアVS自衛隊の模擬戦にて華々しくシンフォギアが勝利することで、実験の有用性を示しこちら側に引き込むこと。

 これにより、完全聖遺物の起動実験は内閣の審査を通過できるはずだ。

 

 最短で一ヶ月先のライブに間に合わせることはできる。

 それを逃しても、数ヶ月先にはまたチャンスは来るだろう。

 実験に使えるライブという弾丸はしこたま用意されていたし、二課も完全聖遺物再起動明日やれと言われてはいと答えられるくらいには準備万端な状態である。

 

 根回しも完璧だ。

 二課に関わる主要なお偉いさんにはほとんど手が回されている。

 残るは本丸だけなのだ。

 年々増えているノイズの年間出現率、ゴーレムという途方も無い脅威、国民感情や世間に流れる風聞などのことも考えれば、政治を担う者達が焦り始めるのは必然で。

 

 完全聖遺物という異端技術(ブラックアート)の塊は、それほどに魅力的なものだった。

 

(因果なもんだなあ)

 

 トントン拍子に上手く行けば、人類をノイズの脅威から恒久的に救うことができる技術の発見、その場面に知らず知らずの内に響と未来が立ち会うかもしれない。

 その技術を復活させるのは、奏と翼の二人の歌。

 ゼファーの友人大集合になりそうだ。

 未来は言動の熱っぽさを見る限り、ツヴァイウィングのファンのように思える。

 ライブの後にこっそり会わせてあげようかな、と、ゼファーは思うのだった。

 

「ツヴァイウィングはね、こんなに売れてて……」

 

「ん?」

 

 ツヴァイウィングの良さを語ろうとする未来に対し、ゼファーも同じく1ファンであることを明かして語り合おうとした、その時。

 彼の耳に、声が届いた。

 

「人だ」

 

「え?」

 

 海を向き、急に表情を引き締めたゼファーに響が反応する。

 何が、と響が問う前に、ゼファーは海上に飛び出していた。

 

「声が、聞こえた!」

 

「ちょっとゼっくん!?」

 

 二人には見えていなくても、聞こえていなくても、ゼファーには分かる。

 ゼファーの力は聞き届ける力。助けを求める声を聞き逃さない力だ。

 やがて彼は遠く、海の波間に浮かぶ人の影を見つけ、その人を掬い(救い)上げた。

 

 

 

 

 

 人を救う力を、努力して手に入れたとして。

 それを振るって頑張ったとして。

 結果として人の命を救えたとして。

 それが報われる結果になるとは限らない。

 

 

 

 

 

 その男は、故障して沈没していった船から、死ぬ気の思いで泳ぎ出して来た。

 ノイズやゴーレムといったものは何も関係ない。

 ただ単に、船が老朽化で壊れたというだけの話。

 そしてその果てに、彼が溺れかけていたというだけのことだ。

 

「た、たす……いやだ……死にたくな……!」

 

 彼は陸地が見えるぎりぎりの場所、人が泳いで行くにはあまりにも遠いその場所で、ひたすらもがいていた。死にたくない、死にたくないと泣きわめきながら。

 冷えていく体温。肺に時折入る海水。疲労が溜まり動かなくなってくる手足。

 海水でむせこむたびに苦しくて、"これ以上にもっともっと苦しんで溺れ死ぬ"と思った瞬間から恐怖に身が包まれて、迫る死の感覚が涙さえ浮かばせる。

 『溺れ死ぬ寸前の恐怖』というものは、そうなりかけた本人でなければ本質的には分からない。

 そんな、特大の恐怖なのだ。

 

「……たすけて、たすけ、たすけてくれぇ……」

 

 そんな彼の視線の先、遠いと置いその場所で、少年少女が柔らかに談笑していた。

 男は助けを求める。声を向ける。手を伸ばす。

 けれど、少年少女は応えてくれない。

 男の声は波の音に呑まれ、実際に少年達には聞こえていないのだが、極限状態の男の視点には『聞こえているのに無視されている』ように見えてしまった。

 

「……なんで……」

 

 錯乱した思考が、助けを求めた・助けを無視した・見捨てられたと認識を変化。

 「助けてくれ」が、「どうして助けてくれないんだ」に変わり、「助けてくれないあいつなんて」に変わっていく、その過程。

 海水が肺に満ち、むせこむ度に自分が死んでいく実感が、男の心に絶望を産む。

 絶望が"助けてくれなかった者への憎悪"に転換され、男は海に沈み……救いを求める男の声を聞き届けたゼファーは、最悪なことにこのタイミングでこの男を救ってしまった。

 

「げほっ、げほっ、げほっ、がはっ」

 

「大丈夫ですか!?」

 

「大丈夫なわけ……あるか! 見えてた、げほっ、んだぞ!

 俺が、溺れて、げぅっ、助けてくれと言ってたのに、女とイチャイチャしてやがってッ!」

 

「え?」

 

 今日まで、ゼファーに与えられなかった試練の一つ。

 まだ、彼が向き合うべきものではない七難八苦の一つ。

 いつか来るであろう敵。

 ゼファーという少年に、今この時から『それ』について考えさせるための先駆け。

 

「俺がもうダメだと思ってからようやく気づきやがって!

 もう少しで死ぬところだったんだぞ! この野郎ッ!」

 

「それは……その、すみません」

 

「すみません? 俺は、死にたくなんてなかったのに、死にかけてたんだぞ!?」

 

 『救われた者の身勝手』。

 それに対し、ゼファーは上手くいなすための言葉をまだ持っていない。

 生きたいという、死にたくないという願いが転じたその言葉を、彼がどうして否定できようか。

 それは今はただ、死の恐怖で錯乱しているだけの男の気の迷いのような言葉でしかない。

 この男も頭が冷えれば謝罪の言葉、感謝の言葉を告げるだろう。

 所詮、その程度の話だ。

 だが。

 何か、歯車がズレるような、正しい場所にハマっていくような、そんな音にならない音がする。

 

「むぅー……」

 

 そして助けたのに罵倒されているゼファーを見て、響は怒っていた。未来は哀れんでいた。

 

「ゼっくん、怒ってもいいのに」

 

「怒れないんだよ、きっと」

 

 響は表側を見る。

 ゼファーの成長を見る。長所を見る。良点を見る。

 未来は裏側を見る。

 ゼファーの歪みを見る。苦痛を見る。後悔を見る。

 二人の視点が向かう先は違い、見ているものは裏表。

 だからこそ、こんなにも二人の行動と性格は違う。

 

「ゼっくんが怒らないなら、私が怒る!」

 

 響はゼファーのためにと、ぷんすかぷんと歩き出し。

 

「ん、私も行くよ」

 

 未来も理性的な表情に、明確な敵意を瞳に浮かばせて、その後に続くのだった。

 

 

 

 ツヴァイウィングのライブコンサート、その一ヶ月前のことだった。

 

 

 




噛み合いが悪くなってきたような、良くなってきたような物事の歯車

あ、言い忘れてましたが、四章は二十三話で終わりです

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