転生軍師の戦国記~お転婆姫と大うつけの天下統一記~ 作:松平まこと
私の目の前には、天龍が畳から数cm上に浮いて蜷局を巻いていた。
五十鈴だった。
有難いことに彼女は私の依頼を聞くためにわざわざ長瀬城まで来てくれたのだ。
出会い頭、五十鈴は躰をさざ波のように小さくうねらせてから思惟を発した。
『我々は戦には関わりません。このことはお忘れなく』
私は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
戦に関わることを依頼するつもりだったことが読まれている。
いや、彼らもこちらの状況を知っているならこのタイミングで古土家の侵攻と関係がないとは思わないか。
一応、そのことも入れて話を考えてはいるけど、通るかどうかは……賭けだ。
「もちろん。戦とは関係のない依頼だよ」
私は一つの書状を差し出した。
名前は私の義父である琴平重正のものである。
内容は、ため池の水位が低くなってきているためにある時間帯に琴平領を中心とした広い範囲に雨を降らせてほしい、という物だった。
五十鈴はしばらく黙ってそれを読むと
『我々は戦の手助けはしません。例え、それが友からの頼みだとしても』
やっぱりダメか……。
ダメだとしても作戦の内容は変えられない。
だけど、成功率はかなり落ちてしまうだろう。
そこに苦笑するような波が響いた。
『ですが、田のために雨を降らすことを断ることもできません。そういう契約なのですから』
「じゃあ……」
五十鈴はため息のような思惟を発した。
『これっきりですからね』
「ありがとう!」
私は五十鈴の躰に抱き着いた。
呆れたような思惟が降ってきた。
『ちゃんと勝って生き延びてくださいね……。あとから古土に詰められたくないですから』
「城に籠った方がまだ勝ち目があるのではないでしょうか」
清継が方針を伝えた軍議の場でそう言ったのは政務・外交を担当している平井様だった。
皺の増えてきた顔に孫を案じる祖父のような表情を浮かべていた。
彼も籠城策でも最終的に敗けることはわかっている。
しかし、あまりにも博打的な行動であるため思わず口にしてしまったのだろうということはこの場にいた全員がわかっていた。
それに同調するように立林様も口を開いた。
「殿。籠城で粘り、適当なところで和睦することもけして恥ではありません」
この人は前回賭けに出て大敗した清正様を間近で見ていたからこその懸念かもしれない。
清継はそれを鼻で笑った。
「和睦して、それで何が解決する」
清継は年嵩の重臣二人の顔を見た。
「従属せねば、またいずれは攻めてくる。そしてその時は今と同じだけの戦力を集められるかもわからん」
「しかし、よりよくなっているかもしれませんぞ」
「ああ、その通りだ。それに賭ける手もある」
清継は立林様の言葉に獰猛な笑みを浮かべた。
「そしてこれも賭けだ」
黙り込んだ家臣たちに清継は言葉をつづける。
「俺はより儲けが大きい方に賭ける。古土家当主自ら出馬して来ているのだ。これは好機である」
そこまで言うと清継は小姓に地図を用意させて私に顎をしゃくった。
説明しろ、という合図だった。
私は流石に少し緊張しながら口を開いた。
「狙いは、古土元康殿のみとなります。そのためには軍勢をできるだけ彼の周囲から引き離すことが要となります」
古土家先手勢は、勇躍していた。
彼らは佐登勢が籠る小城を次々と陥落させていっている。
その勢いは凄まじく、日にいくつかといった単位だった。
(尤もマズそうになると佐登勢がすぐに城を捨てていることも影響している)
その中に約三千となる青山勢もあった。
今も進撃路上にあった小城を攻めようとしていた。
「殿、目の前の城には城兵はおらぬようです」
指揮官である青山半介の元に偵察の結果が報告された。
「いない?もぬけの殻か」
「ハッ」
半介は、太い眉を寄せながら唸る。
「罠かァ?」
今まで小勢しかいないことはあっても城兵がいない、といったことはなかった。
しかし罠としても妙だ。
別にこちらは城が欲しいわけではない。邪魔だから除きたいだけなのだ。
つまり誰もいないなら無視するだけでいい。
「集まっているのかもしれません」
近習の一人が囁いた。
敵が戦力の分散を止めて、どこかに集中させ始めたのかもしれないと言っていた。
「ふゥん……」
半介は恰幅のよい肉体を揺らした。
長く戦場にいる漢だけあって、その身体は筋肉で膨れていた。
「こっちとしてはそのほうが都合がいいな。妙に手強い小城を落すのにも飽きたわ」
そう言うと手勢に進撃を再開するよう命じる。
古土家先手勢は躍進した。
その結果、元康率いる中衛との距離は一挙に広がっていった。
元康の元には様々な報告が届いていた。
先手勢の前進速度が上がり、既に敵の最終防衛線(だろう)、久山城と尾谷城に攻めかかりつつあるようだった。
また物見から、約2千と思われる敵勢がこちらを大きく迂回して、後衛あるいはその後ろに潜り込もうとする動きを見せていた。
元康は後衛の一部を割いてその対処に向かわせていた。
元々そのために、後詰である後衛に多めに戦力を置いていたのでこれは問題ない。
だが、そのために後衛に中衛から戦力を一部回さざるを得なかった。
機動している(つまり動き回っている)敵を補足、撃滅するにはそれ相応の数が必要だからだ。
最善手を打てている、元康はそう思った。
このまま勝てるだろう。いつものように。
「………」
だけど、何か胸がざわついた。
なにかを見落としているような。
その時、伝令が駆け込んできた。
「申し上げます!」
その内容は、先手勢の下級指揮官に負傷者が続出しているというものだった。
先手勢にいくらか援軍を出してやるべきかもしれない。
思考をその対処に回している内に胸騒ぎのことは忘れてしまっていた。
空にはますます雲が広がっていた。