雪音クリスは衛宮士郎に拾われる   作:バースデー

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ノリで作ってしまった。
後悔はしていない


prologue
prologue 戦場にて


 そこは、戦場だった。

 

 軍事国家―― バル・ベルデ。

 数年前、とある国からの独立を宣言し、以降、隣国への侵攻を繰り返している国家である。

 独立戦争と聞けば聞こえは良いが、実際には周辺諸国を相手に、軍人・民間人を問わず無差別に攻撃を仕掛ける、ただのテロ行為に過ぎなかった。

 当然、そんな暴挙を国際社会が許すはずもない。

 この世界では国連が機能しており、バル・ベルデに味方する国は一つとして存在しない。結果として、少数民族のみで構成されたこの国は、戦争を続けるうえで深刻な問題に直面していた。

 

 ――兵力不足。

 足りないのは兵士だった。

 

 武器は裏ルートから手に入る。カネさえ出せば、ミサイルだって買えた。

 だが、兵士だけは金ではどうにもならなかった。

 相手は広大な領土を持つ大国。いくらゲリラ戦を仕掛けても、バル・ベルデ側の犠牲は次々と増え続ける一方だった。

 このままゲリラ行為を続けていけば、ある程度の“戦っている”と言うアピールは出来るが、勝利することは不可能だ。

 

 このままでは勝てない。

 

 

 勝利するには、いずれ特攻にも等しい大規模な攻勢を仕掛ける必要がある。

 だが、そんな無謀な作戦に出れば、限られた兵士たちは壊滅するだろう。

 そうなれば、この国家は内部から崩壊する。

 

 進むも地獄、退くも地獄。

 

 そのジレンマの果てに、バル・ベルデは“ある解決策”にたどり着いた。

 

 ――少年兵の導入、である。

 

 発展途上国から、金のために売られた子供たち。

 国の中でも、役立たずとして放置された孤児たち。

 そして、何よりも効率的だったのは、「敵国で誘拐した捕虜の子供たち」だった。

 

 テロ先で攫った少年少女。

 彼らが「行方不明」と報告されれば、それで終わりだ。死んだものとして処理される。

 そうなれば、誰がいつ、どこで、どのように使い捨てようとも問題にはならない。むしろ、戦うたびに新たな“戦力”が増えるのだ。

 

 そんな彼等を捨て駒とする事で、バル・ベルデの犠牲は必要最小限に抑えられる。

 こうして、少年兵たちは日々増え続けていった。

 

 ――そして、その中に、一人の少女がいた。

 

 *

 

 パパはヴァイオリン、ママは歌。

 

ふたりが並んで演奏する姿は、まるで魔法みたいだった。

音楽が始まれば、世界が優しくなる。そんな気がした。

 

あたしは、そんなふたりの娘であることが、ただただ誇らしかった。

 

……それは、終わってしまう“前”の話。

 

それでも、その時確かにあたしは幸せだった。

 

ーーー()()()()()

 

 あの国の名前は覚えていない。

 その国で一番偉い人の名前も知らない。

 

 あたしが知っているのは、パパとママが最近、よくそこに行っていることと、二人の仕事仲間の人たちの名前。

 そして、パパとママが何のためにその国に来たか――だけ。

 

 パパとママは「歌で世界を平和にする」お仕事をしていた。

 その国の人たちは、隣の国とずっと喧嘩していて、パパは「歌でこの二つの国を仲直りさせるんだ」と教えてくれた。

 

 喧嘩をしたら仲直り。あたしだって、それくらいはわかる。

 パパとママのお仕事は、歌を通して二つの国の仲直りを手伝うことなんだ。

 

 歌で、争いを止める――素敵な仕事だと、そう思った。

 

 でも、あたしは少しだけ怖かった。

 いつも優しいパパの仲間が、怖い顔をしていた。

 一緒にいた人たちも、同じような顔をしていた。

 

 それが「怯えていた顔」だと気づいたのは、もっと後のこと。

 

 パパとママは偉い人と握手をしていた。

 でも、あたしにはわかった。あの人は“いい人”じゃない。

 

 車に乗って移動する。

 私のそばにいるのは、パパとママとよく一緒にいる人達。

 パパとママの側には、手に黒いものを持った、男達が座っていた。

 鈍く光る――人を傷つけるための武器。

 それを平気で持っている大人たちが、怖かった。

 その武器を手に、無表情のまま怖い顔をしている人たちが、もっと怖かった。

 どうしてあんなものを、人に向けられるんだろう……。

 

 あたしは、無性に怖くなって、ママの膝の上に座った。

 優しく抱きしめてくれるママの左手。

 頭を撫でてくれるママの右手。

 その両方がとても暖かくて――少しだけ、心が落ち着いた。

 

 あんな怖い場所へ行って、ちゃんと笑って帰ってくるパパとママは、ほんとうにすごい人だと思う。

 そして、あたしはそんなふたりの娘で、すごく幸せなんだって、胸を張って言える気がした。

 

 

 

 空を見上げると、グレーの雲が粘土の様に空中に広がっていた。

 雲の奥にうっすらと見える太陽。

 今日が薄暗いのは、きっとこの雲が太陽を見えなくしているせいだ。

 

 

 舞い上がった砂埃は空へと広がってから、あたしたちから見て左のほうへ流れていった。

 

 

 

 砂が目に入って、あたしは目をパチパチさせた。

 その姿を見て、パパとママは優しく撫でてくれた。

 

「大丈夫だよ。クリス……」

 

 

 だけど、その手は――ほんの少しだけ、こわばっていた。

 それに気づいて、あたしもちょっとだけ怖くなった。

 

 

 

 

 街に着いた。少し古びた、さびしい街。

 ここでパパとママは、公演をするらしい。

 でも、街に漂う臭いは、家の排水溝のようで。

 その場にいる人たちの視線は、雷が落ちた時みたいに、あたしの心を震わせた。

 

 無意識に、パパの手をぎゅっと握っていた。

 パパは苦笑しながら、握り返してくれた。

 えらい人たちと話すときも、視察の時も――ずっと。

 

 そんなパパが、あたしは大好きだった。

 ママも、そんなパパがきっと大好きで。

 パパも、ママとあたしを心から大事にしてくれていた。

 

 

 それが、あたしの“しあわせ”。

 

 みんなで、その幸せを分け合えたらいい。

そう言って笑うパパを見て、あたしも信じた。

 

パパとママの歌なら、きっと、届く。

 

 

 

だから――邪魔をしちゃいけないと思った。

 

ちょっとだけ寂しかったけど、つないだ手を、そっと放した。

 

 

 

 

 

 その時――

 何かが、じんわりと熱かった。

 

 

 まるで、すぐそばで火でも燃えているみたいな、嫌な感じの熱さ。

 思わず、あたしは辺りをキョロキョロ見渡す。

 

 ……何もない。火なんて、どこにもない。

 でも、確かに感じた。あれは気のせいじゃない。

 燃えるような、焼けるような、いやな熱さ。

 

 ……ダメだ。ここにいちゃいけない。

 言葉にできないけど、直感がそう告げていた。

 

 

 

 ママとパパを連れて逃げなきゃ。

 あたしはそう思った。

 

 パパの手を離したことを、猛烈に後悔した。

 走って、走って、走って――

 前を歩くパパに、もう一度追いつこうとして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――パパの、頭が。

 

なくなった。

 

 「ぐちゃり」と音がして、パパはただの肉の塊になった。

 さっきまで、あたしの頭を撫でてくれていた手が、もうどこにもなかった。

 

 

 

――動かない。呼んでも、返事がこない。

 

 

 

 ダダダ、と何かが弾ける音が響く。

 花火みたいな音だった。パパとママと三人で遊んだ、あの夜の音に似ていた。

 でも、それがこんなに怖い音だったなんて――あたしは知らなかった。

 

 

 

 泣いた。喉が切れそうになるほど叫んだ。

 涙で前が見えなくなって、それでも見えたのは、バラバラになった人たちの体。

 パパも、ママも、みんな、ぐちゃぐちゃの肉の山になっていた。

 

 

 

 もう、誰が誰なのかもわからない。

 どんなに叫んでも、どれがママの手で、どれがパパの顔か、見分けがつかない。

 

 

 

 怖くて、気持ち悪くて、いやで、

 あたしは走った。ひたすら走って、逃げた。

 

 これが夢だったらいいのに。

 パパとママと一緒にいた、あのあったかい日々が本当で、今見ているのはただの悪い夢だったら――。

 

 

 

 喉がガラガラになっても、助けを求めて叫び続けた。

 でも、誰も来なかった。

 どこか遠い場所で、あたしはずっと逃げ続けていた。

 

 

 

 気がついたら、車の中にいた。

 両手には冷たい手錠。まるで奴隷みたいに、あたしは運ばれていた。

 

 

 

 まわりにも、たくさんの子どもたちがいた。

 みんな、あたしと同じくらいの年。

 だけど、その目は、生きてなかった。

 光も、色も、なかった。

 

 希望を奪われた、っていうより――

 最初から、希望なんて知らなかったような顔だった。

 

 

 

 あたしも、こうなるのかな。

 ぼんやりとそんなことを考えて、その想像の重さに、ぞっとした。

 

 

 

……これは夢だ。

 きっと全部、夢なんだ。

 そう思って、何度も目を閉じた。

 いつか目が覚めたら、パパとママと、笑い合ってるはずだから。

 

 

 

 車の中で夢を見た。

 みんなで演奏して、歌って、たくさんの人が笑顔になって――

 その景色が、まぶしくて、苦しくなった。

 

 でもあたしは、もう分かってる。

 夢と現実の違いくらい、ちゃんと分かる。

 

 ある日、車の中で騒いだ子がいた。

 うるさいって理由だけで、外に引きずり出されて、撃たれた。

 その瞬間、あたしは――もう、「夢なら覚めて」なんて、思えなくなった。

 

 代わりに願うようになった。

 夢の中に、ずっといたい。

 目を覚ましたくないって、そう思うようになった。

 

 

 

 夢の中には、パパとママがいる。

 あたしを抱きしめてくれる手がある。

 殴ってくる大人もいないし、撃ってくる人もいない。

 

 

 

 泣く時間が、どんどん増えていった。

 パパとママの声を思い出すたびに、あったかかった日々を思い出すたびに、胸がぎゅうっとなって、涙が止まらなくなる。

 

 

 

 あたしは、あの場所から逃げたかった。

 

 

 

 けど、逃げても、逃げても、

 現実はあたしの手首に手錠をかけたまま――どこまでもついてきた。

 

 

 *

 

 

 

 それは、何年後だったのか、百と二十二まで日付を数えてから、その先のことは分からない。

 ただ、明らかに多くの時間が消えて行ったと言う事だけは分かっていた。

 

 

 少女の瞳からは、光と言う物が消えていた。

 自分の運命を悟った様に、あるいは生きることを諦めてしまったかの様に。

 

 

 二年もの間、少女の人生に幸福と言う言葉は無かった。

 

 ある時は、他の少年兵と共に、何の装備も無く地雷原を歩かされた。

 また、ある時は爆弾を抱えて敵の陣地へ走らされた。

 

 生きているのは、幸運であり不幸だった。

 本能は生を求め、心は死を求めた。

 その矛盾に、心が壊れる様だった。

 

 かつては様々な楽器を弾き、人々を笑顔にした両の手は、様々な銃火器を操り、人々を傷つける事しか出来なくなった。

 かつては美しい音階を奏でたその声は、いつの間にか必要最小限の事しか話さなくなった。

 

ーー何が、歌で争いを止めるだ……

 

 かつては誇りに思ったその考えも、今では唾棄するように変わって行った。

 

 何度死のうとしたか、もう覚えていない。

 でもその度に、誰かが「使い道」を見出してくる。

 逃げることも、終わらせることも、許してはもらえない。

 

 食料は最低限。水は泥水に近く、眠る場所は土の上。

 それでも、今日も命を使い潰すように命じられる。

 

 どうして、生きてるんだろう。

 どうして、死なせてくれないんだろう。

 

 そんな問いを胸に抱えながら、少女――クリスは今日も引き金を引く。

 感情も、悲しみも、残してはいけない。

 感情を持ったままでは、この地獄では生きていけない。

 

 

 

 その日。

 いつもの様に、任務を終え、寝心地もクソもない土のベッドで横になる。

 

 普段は風のない国だったが、その日はやけに風が吹いていた。

 奇しくも、それはクリスが捕虜となった“あの日”と同じ。

 だからと言って、何かを期待するにはクリスは擦り切れていた。

 明日もまた、使い潰される。

 希望はなく、救いもない。

 

 それでもその日は、日が沈み、日付を跨ごうと言う終わり(ぎわ)に、唐突に変化を始めた。

 

 乾いた爆音が一発、空気を切り裂いた。

 直後、混乱が始まる。

 どたどたと足音。叫び。火花。土煙。

 一瞬で空気が焦げ臭くなる。

 

「敵襲だ!!」

「早くしろ! ガキどもを盾にしろ!!」

 

 誰かの断末魔。誰かの悲鳴。焼ける肉の臭い。

 ああ、まただ。また、地獄だ。

 

 意識が朦朧とする中、クリスは地面を這って銃を探す。

 撃てなきゃ、殺される。

 立てなきゃ、見捨てられる。

 戦えなきゃ、生き残れない。

 

 鬱陶しい上官の声に従い、クリスは駆け出す。

 そして――

 

見た。

 

一人の“男”が、戦場を駆け抜けていた。

 

小国とはいえ、兵士の拠点に、たった一人。

無謀にもほどがある。常識的に考えれば、自殺行為。

 

だが――彼は、違った。

 

「う、あ……ああっ……!!」

 

 刹那。

 

 上官の首が、宙を舞った。

 

 男の手にあるのは、二本の剣と数丁の拳銃。

 明らかに軽装――にもかかわらず、銃弾は当たらない。

 

銃声の中を、彼はゆっくりと歩いていた。

 

 まるで、嵐の目のように。

 

 銃弾は彼を避けるように風を裂き、

 その剣は、一陣の刃となって敵を薙ぎ払う。

 

 次々と倒れていく兵士たち。

 誰も、彼の歩みを止められない。

 

 血飛沫を浴びても、その足取りは一度も止まらなかった。

 狂気でも正義でもない――それは、ただの静かな“死”。

 

 まるで、戦場に現れた死神だった。

 

 クリスは言葉も出せず、その背中を見つめていた。

 息を呑むことすら忘れていた。

 

 

 

 音もなく、影もなく。

 男は地獄の風景に溶け込むように進んでいく。

 まるで、そこにいることが自然であるかのように。

 

 

 

「……なに、これ……」

 

 震える声で、クリスが呟いたその時だった。

 反対方向から、靴音が迫ってくる。

 

「――国連軍だ!!」

 

 誰かの叫びが、張り詰めた空気を破った。

 

混乱の中――

 

 ただひとつ、確かなものがあった。

 

 彼女の心にはいつの間にか磨耗した筈の、希望の心が現れるのを感じた。

 

 

 *

 

 報告書抜粋:

 

2037年4月、有志の密告により、バル・ベルデ共和国が少年兵を用いた非人道的行為に関与していることが発覚。

国連軍による強制介入が行われ、かつて死亡したと見做されていた5歳から18歳までの少年少女捕虜が多数保護される。

現地にて彼らは武装訓練を受け、実戦に投入されていた模様。

現在、各国へ送還され、専門機関によるカウンセリングとケアが実施されている。

だが、そこに雪音クリスの名前は無かった。

 

 *

 

「なあ、待ってくれよ」

 

 日差しは容赦なく照りつけ、乾いた土を焦がしていた。

 

 ここは中東、バル・ベルデから遠く離れた小国。表向きは平静を装っているが、その実、貧困と武装勢力の影が交錯する不安定な土地だった。

 

 そんな場所を、一人の男が無言で進み、その背を追うように一人の少女が足を速めていた。

 

「いい加減、国に帰れ」

 

 振り向かず、淡々と。だが拒絶の色を隠そうともしない声が風に混じった。

 

「冗談きついぜ……!」

 

 少女――クリスは声を張り上げる。だが、その裏には焦燥と哀しみが滲んでいた。

 

「あたしと一緒に逃げ延びようって約束した奴は、その三日後に死んだ。パパもママも、燃えちまった。

 あたしには、帰れる場所なんて最初からなかったんだよ!」

 

 声が震えている。怒りか、悲しみか、自分でも分からないまま、言葉が口をついて出る。

 

「頼むよ……連れてってくれよ。

 あたしも、あんたみたいに、この世界から争いを無くしたいんだ……!」

 

 男――衛宮士郎の足が止まる。

 

 砂が舞う。小さな竜巻のように、二人の間に薄い幕を作る。

 

 その背を向けたまま、士郎は静かに答えた。

 

「……世界から争いを無くしたい?」

 

 その言葉には、かすかな嘲笑と、何より痛みが込められていた。

 

「たわけ。お前のような子供が、そんなものを抱いて生きていけるとでも?」

 

 彼の声音は冷たいが、それは感情を殺してなお滲み出る哀しみの色。

 

「戦争も、悲劇も、殺し合いも……止められるものなら、とうの昔に誰かが止めている。

 誰もできなかった。俺も、だ」

 

「それでも……誰かがやらなきゃ!」

 

 クリスは叫ぶ。

 だがその言葉の先に、ほんの一瞬の沈黙が落ちた。

 まるで、世界が言葉を吟味しているかのように。

 クリスは、このまま沈黙が続けば、自分にとって決定的な決断が行われてしまう……その焦りと共に、更に言葉を重ねていく。

 

「このまま黙って見てるだけなんて……嫌だ! もう誰も死んでほしくないんだ!」

 

 士郎は、振り返らない。

 

 その背が、あまりに遠く見えた。

 

「……ダメだ。

 お前がそう思うのは良いが、だからって俺がお前を連れていく訳にはいかない。

 雪音クリス……その名前は、戦場に行くには有名すぎる。」

 

「足手纏いだって言いたいのかよ! あたしは銃の扱いも知ってる。

 誰よりも撃てるし、外さない。そういう風に、育ったんだ!

 もう、音楽の弾き方だって覚えちゃあいねえ」

 

 クリスは歯を食いしばる。

 

 だが、返ってきた言葉は、感情を押し殺した冷たさだった。

 

「――死ぬぞ」

 

「それでも構わねえ!」

 

 叫んだ瞬間、喉の奥が切れるように痛んだ。

 

「あたしが死んで、悲しむ奴なんて……この世のどこにも、いやしねぇんだよ」

 

 沈黙が落ちた。

 

 それは、罰のような静けさだった。

 

 ようやく士郎が振り返る。だがその瞳に宿っていたのは、怒りでも、蔑みでもなかった。

 

 ――痛みだった。

 

「そんな事を軽々しく言うな。

 そんな奴はこの世にいないし、死ぬ覚悟なんて犬にだって出来る」

 

「それに、ただ俺は、目の前の誰かに死んでほしくなかっただけだ。

 全てを救えるなんて、思っちゃいない。」

 

 そう言った士郎の瞳は、過去に焼きついた幻影を映しているようだった。

 

 ――届かなかった命。

 救えなかった叫び。

 間に合わなかった背中。

 

 その全てが、彼の足枷であり、原動力でもあった。

 

 クリスは一歩だけ、近づいた。

 

「それで……あんたは今も、一人で全部背負い込もうってのか?」

 

 彼女の声は静かだったが、怯えや戸惑いはそこにはなかった。

 

「ならあたしも、その背中を見てるだけなんて……ごめんだね」

 

 最早、この少女には何を言っても無駄だと思ったのか、それとも自身を重ねたのか男は一つため息を吐くと、静かに少女に告げた。

 風が吹いた。男の背中が、一瞬だけ揺れる。

 

「……ならば、勝手についてこい」

 

 それだけ言い残して、男は再び歩き出した。

 

 *

 

「士郎ー! 飯まだなのかー!?」

「後、もう少しだから大人しく座っていろ。クリス」

 

 中東のとある街、そこに居るのは多くが難民だ。

 国を宗教や民族の事情により、離れなければならなくなった者。

 戦争から逃れてきた者。そうした移民が集まるのがこの街だ。

 

 テントや掘っ立て小屋が立ち並び、舗装すらされていない道には、子どもたちのはしゃぐ声が響く。

 だがその笑顔の裏には、過酷な過去があった。人々は生きるためにここにたどり着き、そして今日も生き抜くために手を取り合っている。

 

 そんな街の一角、薄汚れたコンテナを改造した小さなキッチンがある。そこに立つのが、衛宮士郎だった。

 

 クリスからすれば、衛宮士郎について行った結果は、ある意味では期待外れ、またある意味では悪くない物であった。

 基本的に行う事は難民達のキャンプを巡り、難民の生活の援助。

 

 具体的に言えば、食事の援助や子供の世話。

 それは、彼女が思い描いていた『戦場』とはまるで違っていた。

 剣を振るうこともなければ、敵もいない。ただ腹を空かせた子どもと、それを見つめる士郎の背中があった。

 そう言ってもこの場所は戦争の激化によって国連の部隊が近づくことが難しくなり、孤立無縁となってしまった陸の孤島であり、決して安全な場所ではない。

 

 笑顔があるから平和なのか。それとも衛宮士郎という“お気楽”が、そう錯覚させるのか。

 ――その答えは、まだ彼女の中で定まっていなかった。

 

 *

 

 夜になった。

 夜の帳が静かに降り、街の喧騒が遠ざかっていく。クリスは自室の窓辺に腰を下ろし、外の景色を眺めていた。士郎のあの笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。

 

「あいつ、なんであんなに無防備なんだよ……」

 心の中で呟く。その笑顔が、まるで世界のすべてを受け入れるかのようで、苛立ちと共に胸の奥がざわつく。

 

 彼の存在が、クリスの中にある過去の傷を優しく撫でるようで、戸惑いを覚える。

 

「あたしは、もう希望なんて持たないって決めたのに……」

 

 窓の外では、星が瞬いている。その光が、遠い昔に見た両親の笑顔を思い出させる。

 

「あたし、変わりたいのかな……」

 

 クリスは深く息を吸い、そっと目を閉じた。士郎の笑顔が、再び浮かび上がる。その笑顔に、少しだけ心が温かくなるのを感じた。

 

「……ん?」

 

 ふと、窓の外を見ると衛宮士郎が何処かに向けて歩いていく。

 

「何してんだ?アイツ……」

 

 疑問が頭の中に浮かんだにも関わらず、それ以上、詮索をする気が起きない。

 

 彼のことだ。きっと、誰かのために動いてるんだろう。

 そんなこと、分かりきってる。あのバカみたいな“正義の味方”は、誰かのために走ってばかりいる。

 

 「……ほんと、バカだよな」

 

 小さく吐き捨てるように呟いて、それでも胸の奥がチクリと痛む。

 

 それでも彼は、痛みに鈍感なんかじゃない。むしろ、全部わかったうえで、それでも人のために動こうとする。

 

 衛宮士郎は、あたしとは正反対の人間だ――そう、雪音クリスは思っていた。誰かを守るために、自分を平然と犠牲にしようとする。

 その無謀さ、その優しさが、かつての彼女なら偽善と一蹴していたはずだった。

 それは、彼女が嫌いで、好きだった物でしかない筈だった。

 

 けれど、今のクリスは違っていた。

 

「……アイツを、ちゃんと見てたいって思ってんのかね、あたし」

 

 小さく呟きながら、クリスはゆっくりと窓辺から立ち上がる。柔らかな夜風が、銀色の髪を揺らす。星明かりを受けて、揺れる髪が淡く光った。

 

「変なやつに絡まれても知らねぇぞ」

 

 吐き捨てるような声に、どこか諦めを含んだ優しさが混じる。口では毒を吐きながらも、クリスの胸の内には、確かな感情が芽生えつつあった。士郎のような“馬鹿”を、突き放すことができない自分がいる。

 

 誰かに手を伸ばしたい――そう思ってしまっている自分に、彼女はうすうす気づいていた。

 

「……マジ、ムカつく」

 

 呟きは、感情のままに吐かれたものだった。けれどその声には、どこか柔らかさがあった。クリスの視線は、夜の街を歩く士郎の後ろ姿を追いかける。憎まれ口の裏にある微かな温もりを、自分自身でも否定しきれずにいた。

 

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