雪音クリスは衛宮士郎に拾われる   作:バースデー

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過去に呪われた少女と過去に囚われた少女と……

「ゲホッ……ゲホッ!」

 

 人気の絶えた路地裏。

 白髪の少女は壁に背を預け、呼吸を荒げながら、今にも崩れ落ちそうな足を前へと運ぶ。

 

「クソッ……あの野郎……ッ」

 

 唇を噛み、血を吐きながら悪態をついたその瞬間――。

 

「随分、無様な姿ね」

 

 嘲笑を孕んだ声。

 少女の濁った視界に、フィーネの姿が映る。

 

「……フィーネ」

 

 憎悪を噛み殺すようにその名を吐き出し、クリスは睨み上げた。

 相変わらず、腹の立つ表情だ。

 成功したのに、当たり前の表情。

 ……いや、そうではないな。

 

 この女は、きっと失敗をしたとしてもこんな同じ表情をしていたのだろう。

 永遠に変化することのない、怪物のように。

 

「デュランダルは、手に入れた……。

 契約どおり、だろ? まさかとは思うが――契約を果たした私に、文句を言うつもりじゃねぇだろうな。

 言っとくが……私はお前を信じちゃいない。

 不満があるなら、それは私なんかを信じたお前の自業自得だ……ッ!」

 

 この状況では似合わないことだと思いながら、クリスは声を上げる。

 今回の時点でクリスはデュランダルと聖杯を手に入れてこの女を切り捨てるつもりだった。

 にも関わらず、結果は失敗。

 無様にデュランダルを持ち帰って、裏切ったという情報を持ったフィーネの前にいる。

 一刹那後には、首と胴が泣き別れになったとしても何もおかしくもない。

 

「その状態で、よくもそんなに強気でいられるものね」

 

 血塗れの少女を見下ろしながら、フィーネは小さく息を吐いた。

 呆れとも、興味ともつかぬ眼差し。

 

「まあ、確かに貴女の言うとおりよ。

 私たちは同盟であっても、決して友ではない。

 だから――これはただの興味本位にすぎない」

 

 そう言って、彼女の瞳がわずかに愉悦で光る。

 

「……アレは何? 貴女は、あれを使って何をしようとしているの?」

 

 クリスは答えない。ただ、唇を噛みしめ沈黙する。

 

「分かっているはずよ。あれは既に私が解析している。

 ――作られて間もないくせに、その神秘は完全聖遺物にすら匹敵する。

 普通ならあり得ない。

 だから、答えを聞きたいの」

 

 そこで一拍、わざと間を置き、楽しむように口角を吊り上げる。

 

「質問次第では……私がもう一度、二課からアレを奪い返し、貴女の手に戻してやってもいいのよ?」

 

 沈黙が流れる。

 クリスは空を仰いだ。何かを考えるように。何かに縋るように。

 血で汚れた手を握りしめた。その震えを隠すように。その痛みを噛み締めるように。

 その姿を、フィーネは能面のような無表情で見つめ続けていた。

 

「……本当なら、あたしはお前と手を組んで、世界の“抑止力”になる力を探すつもりだった」

 

 声は掠れて、それでも確かに言葉を紡ぐ。

 

「だが……デュランダルの話を聞いた時、考えが変わった。

 “無限のエネルギー”――その言葉の響きに、あたしは心を奪われた」

 

 口の端に、乾いた笑みが浮かぶ。

 

「お前も分かるだろ? 無限のエネルギーってのは――」

 

 間を置き、噛みしめるように続ける。

 

「手段さえ揃えれば、()()()()()()()ってことだ」

 

 瞳にちらつくのは、欲望か、それとも狂気か。

 

「……その手段こそが、アレだ」

 

 声を潜めるように吐き捨て、クリスは口角を吊り上げる。

 

「聖杯――神の血を受けたっていう、神秘の象徴。

 もっとも……本物じゃねぇ。

 作られたのは……江戸の後期だ」

 

 そこで一度言葉を切り、フィーネの瞳を射抜くように見やる。

「……あたしからすりゃ遥かな昔だが――お前にとっては“つい昨日”くらいか?」

 

 その挑発めいた言葉に、フィーネの口元が僅かに動いた。

 クリスはそこで、チラリとフィーネの瞳を見詰める。

 この交渉の結果はクリスからは大体予想出来ている。

 もう、この質問をしている時点で、フィーネは自分のしようとしていることに期待を持っている。

 ならば、あとは自分の情報を如何に開示することで彼女を自分の思い通りに動かせるかだ。

 

「もう一つ、質問をしてもいいかしら?」

「……なんだ」

「貴女はデュランダルの永久炉を、その“聖杯”のための動力にすると言ったわね。

 なら――その前は? 何を燃料にしていたの?」

 

 クリスは鼻で笑い、血の滲む唇を吊り上げた。

「英霊の魂だ」

「……は?」

「英霊の魂だよ。耳が悪いのか? 何度も言わせんな」

 

 

 

 吐き捨てるように言って、壁に手を突く。

 

「お前には信じられねえかもしれねぇが……アレはそういう代物だ。

 過去も未来も問わず、名を残した神霊や英雄を引っ張り出して、無理矢理使役する。

 そして魂を喰らい、燃料に変える――それが“聖杯戦争”ってやつさ」

 

 その言葉に、フィーネはひとつ溜息をつく。

 視線は何処か遠くを彷徨い、その姿は戦場を彷徨う亡霊のようでもあった。

 

「仮定の話をしよう。

 たとえ聖杯とデュランダルを接続したとしても、必ずしも解決するとは限らない。

 デュランダルが無限の湖に繋がっていたとしても、その湖の水を押し出す蛇口の容量には限りが存在するものだ。

 そうなった時、お前はどうする?」

 

 フィーネからの質問にクリスはまるで愚問を問われた学者のようにフン、と鼻を鳴らす。

 

「……なら、その時は別の燃料を足せばいいだけの話だ。

 例え、必要量に到達しなくともデュランダルを使えば、聖杯を使う上での必要量を軽減出来る。

 なら、あとはその分の燃料を従来の方法で継ぎ足せば良い。英霊でも、何でもな」

 

 その瞬間、フィーネの目が大きく見開かれた。

 これまで冷静を装っていた表情が崩れ、押し殺していたドロドロとした何かが滲み出す。

 

「……そう。なら、私と貴女の同盟は――ここまでね」

「………。」

 

 クリスは目を細める。敵意とも、困惑ともつかない声音。

 フィーネの唇がか細く震える。そこにあったのは論理ではなく、恐怖と怒り。

 耐えきれずに吐き捨てるように叫んだ。

 

「――何度も同じことを言わせるな! その手を二度と口にするな!!」

 

 声には、明確な憎悪が宿っていた。

 雪音クリスの口にした言葉が、或いは今まで自分と似た部分しか見ずに目を逸らしていた雪音クリスの()()が、彼女の中で最も触れてはならぬ地雷を踏み抜いたのだ。

 

「………。」

 

 雪音クリスは無言でフィーネに向けてデュランダルを向ける。

 

「悪いが、そう言う訳にもいかない。

 確かにお前との同盟でメリットは数え切れないほどあったが、それは互いに干渉しないという関係性故。

 お前が邪魔をするなら、あたしはお前を叩き潰すだけだ。」

 

 その言葉に、フィーネの瞳が金色に輝く。

 切先を天に向けるクリスに対し、冷徹な視線が突き刺さる。

 

 だが、次の瞬間にはフィーネは息を吐き、殺気を引いた。

 

「……辞めておこう。今ここで争っても双方に利はない。

 二課に嗅ぎつけられれば、それこそ本末転倒だ」

「最初に殺気を出したお前が、それを言うのかよ」

「勘違いするな。

 私は二度とお前と組まない。

 デュランダルは――別の手で奪う」

「……そうかよ」

 

 互いにそれ以上は言わず、背を向けた。

 明確な決別に、二人は何の感慨も抱いてはいなかった。

 

 *

 

「……はあ」

 

 雪音クリスは深いため息をついた。

 さっきまで滝のように流れていた血は、もう止まっている。

 グチュグチュと不気味な音を立てながら、傷が塞がっていく。

 

 本当なら、もっと上手いやり方があったのかもしれない。

 フィーネの心に触れてはいけない部分を察し、

……そこに触れないように黙るか、若しくは誤魔化すといった行為を取るべきだったのだろう。

 そうしていれば、同盟を続けることもできたのだろうか。

 

 だが、そんな上手い立ち回りをするには――雪音クリスには人と関わる時間が足りなかった。

 

 思えば、雪音クリスという人間は、いつも誰かの背中を追ってばかりだった。

 父と母。捕虜として仕えた愚図。そして……士郎。

 

 そんな自分に、人を信じさせるなんて芸当はできっこない。

 だって、信じられる人間なんて――片手で数えるほどしかいないのだから。

 だから、自分には分からない。人を信じさせる都合の良い魔法の言葉なんて。

 

「クソッ!」

 

 クリスは干将を振りかざし、放り投げると頭上の電線を断ち切った。

 弾け飛ぶ火花。銅線は重力に引かれて落ち、次の瞬間、全身を奔る激痛。

 

「――――ッ!!」

 

 喉の奥から漏れそうになる叫びを、歯を食いしばって押し殺す。

 自傷なんかじゃない。ネフシュタンに侵食された細胞を、電撃で焼き切るための処置だ。

 本来なら専用の機械に繋ぐべき治療を、今はこんな無茶で代用するしかない。

 フィーネと袂を分かった今となっては。

 

 馬鹿げている――だが、やらなければもっと酷いことになる。

 

「……行かないと」

 

 フラつく足を無理やり前へ。

 火花の散った路地はいやでも目立つ。

 すぐに人が来る。その前に、この場所を離れなければならなかった。

 

 *

 

 ――気がつけば、闇の中にいた。

 

 手も足も見えない。いや、それどころか、そもそも身体そのものが存在しているのかどうかすら分からない。

 足場の感覚もなく、ただ曖昧に浮かんでいる。そんな場所。

 

 

 

 だから、思考もまた曖昧で。

 意識は眠りかけのようにぼやけ、何を考えることもできなかった。

 

 ――その時だ。

 

 不意に、目の前に“それ”が現れた。

 闇であり、絶望であり、怒りであり、そして恐怖。

 ありとあらゆる悪感情のすべてを凝縮したかのような、言葉にできない“塊”。

 

 ーー死ね。

 

 その声が、頭の奥底に直接叩きつけられる。

 反響し、繰り返し、無限にループしていく。

 鼓膜ではなく、脳髄そのものを揺さぶられている。

 精神が一枚一枚、剥がし取られていくような感覚。

 

 怖くないはずがなかった。

 だけど――その憎悪の奥に、なぜか寂しさが滲んで見えた。

 闇に呑まれながらも、あの瞳がほんの少しだけ……泣いているように思えた。

 

 *

 

 

 ――目が覚めた。

 

 ガラン、ガラン、と。

 鉄と鉄が擦れ合い、転がって奏でる喧しい音が、闇に沈んだ意識を引き上げていく。

 

「ん……」

 

 白く霞んだ視界。

 ぼんやりと横を向くと、黒い影が二つ三つ。スーツ姿の男たちが、何か話をしているのが見えた。

 

(……師匠?)

 

 思考が追いつかないまま、ようやく自分が病院のベッドに横たわっていることに気づく。

 途端、脳裏に記憶が差し込んできた。

 ――あの、理解の及ばない肉塊を植え付けられて、それから……。

 

「あ……」

 

 小さく声が漏れる。

 その瞬間、首筋に微かな息遣い。耳に馴染みすぎている声が届いた。

 

「……起きたか、響くん」

「師匠……すいません、私……」

 

 込み上げる感情が涙になりかけた瞬間、弦十郎はそっと肩に手を置いて、それを制した。

 

「心配しなくていい。

 デュランダルは今、二課の総力をあげて追っている。

 それに――響くんはあの状況で、新たな手掛かりを掴んでくれた。

 それだけで、十分すぎる成果だ」

 

 つい先ほどまで部下たちと厳しい顔でやり取りしていたはずなのに、今の表情は嘘のように穏やかだ。

 その眼差しは、ただの上司ではなく――迷う者を導く存在のように思えた。

 

「響くんが持ち帰った、謎の聖遺物らしき肉片は了子くんが解析中だ。

 状況を考えれば、敵の目的に深く関わっているはずだ。

 本当に……感謝しているよ」

「すいません……本当に、すいません……!」

 

 立花響は、何度も頭を下げた。

 謝っても謝っても足りない気がして、胸の奥に溜まっていくのは申し訳なさと――それでも優しくしてくれることへの、どうしようもない苦しさ。

 恥ずかしさに似ているけれど、それよりもっと悪いものに思えて……結局、飲み込むしかなかった。

 

「それからな、響くん」

「は、ハイ!!」

 

 声を張り上げて答えた瞬間、弦十郎は穏やかな笑みを浮かべて告げた。

 

「翼が……目を覚ました」

「……え?」

 

 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。

 反応が遅れて、そして――。

 

「本当ですか!?」

「ああ。危険な状態は脱したらしい」

 

 弦十郎はそこで、一旦言葉を区切った。

 

「何と言うか……色々と心配でな。見舞いに行ってもらえないだろうか。緒川も君に行ってほしがっているんだ」

「は、ハイ!!もちろんです!!」

 

その答えに、弦十郎は満足げに笑うと、机の上から赤い林檎をひとつ手に取った。

 

「ほら、これを持っていけ。丸かじりでもいいが……まあ、気持ちだ」

 

 少し照れ臭そうに林檎を渡し、翼の病室を教えると、静かに病室を後にした。

 

 *

 

 病院というのは、不思議な場所だ。

 人々にとってなくてはならないのに、誰もじっと観察しようとはしない。

 特に、今自分がいるような大きな病院は――日常の延長というより、むしろ非日常の象徴のように扱われる。

 

 昔、ライブの後に入院したこともあった。

 けれど、あの時ほどの重症ではない今だからこそ、改めて目に入る光景がある。

 

 白く磨かれた床。

 退屈な入院生活に配慮したのだろう、大きな窓から外の景色がよく見える。

 清潔で、整っていて――どこか人工的で、現実感が薄い場所。

 

「あら?響ちゃんじゃない?」

「了子さん!」

 

 ふと、病院の廊下の真ん中で了子に出会った。白衣姿は、いつも通りだ。

 これで医者と間違えられないのだろうか、と疑問が浮かんだが、取り敢えず聞かないことにしておいた。

 

「もしかして、了子さんも翼さんのお見舞いに来てくれたんですか?」

「……ええ。まあ、そんなところよ」

 

 響からの質問に、了子は曖昧に返す。

 響が不思議そうな表情をしているのを見たのか、了子はにこりと笑って響に言葉をかける。

 

「そう言えば、響ちゃんが回収したものの解析結果が出たわよ〜」

 

 その言葉に、ドキリと胸が一瞬鼓動する。

 あの感覚は、慣れた物ではない。

 身体に一瞬で無数の情報……それも、あんなにも悍ましい言葉を打ち込まれる感覚は恐ろしい以外の感情が挟まる隙間を与えない。

 

「あれって、何だったんですか?」

「結論から言うとね……

 あれは聖遺物じゃない。人々が願いを叶える為に作り上げた、人工の聖遺物に限りなく近い、“何か”よ」

「ふぇっ……? えっと、それってつまり、どういう……?」

 

 了子の説明は、響には難しすぎて言葉が追いつかない。

 口から声が漏れ出る。

 大分アホらしい声ではあったが、いきなり訳の分からない情報の洪水を押し付けるよりはマシだと思う。思いたい。

 

「まあ、俗に言うアレよ。

 どんな願いも叶えてやろう……的な感じのやつ。

 良くあるでしょ? 聞いたことぐらいはあるでしょ?」

「まあ、一応は……」

 

 そう言ったアニメ的な話題は、自分より友人の板場弓美の方が分かるのだろうな……なんてことを響は呑気に考える。

 ただ、その中で気になったことがあったので、了子に何となく尋ねてみる。

 

「あの……了子さん、

 私……あの娘にアレを押し込まれてから、頭の中で『死ね』とか『憎い』みたいな声が何度も聞こえたんですけれど、……何でなんでしょうか?」

 

 その記憶を口にするだけで、背筋が冷たくなる。

 耳の奥でまだ、あの声がこだましている気がした。

 恐ろしくて、でも確かめずにはいられなかった。

 

 了子はその言葉に、頬へ指を押し当てる。

 

 

「そうねえ。まあ、それはきっと……

 人々の願いを叶える願望器故じゃないかしら?

 ()()()()()()()()()んだもの。

 今の人々の願いは、自分以外の誰かを呪う物であって然るべきよ」

 

 *

 

 

 風鳴翼という人間は、天羽奏を喪ったその日から止まっている。

 己を防人として研ぎ澄ますことでしか前に進めず、戦場に剣を捧げることでしか呼吸ができなかった。

 

 もとより、彼女は後ろ向きな存在だった。

 聖遺物を起動できるという異端の才能。

「風鳴」という血筋に生まれ落ちた、歪んだ宿命。

 その全てを悲観し、ただ与えられた檻の中で自分を諦めていた少女。

 

 だが――奏と出会ってしまった。

 あの眩しすぎる歌に触れてしまった。

 そのせいで、諦めは希望へと形を変え、後ろ向きだった翼はようやく顔を上げることができた。

 

 そして。

 ある日、支柱は折れた。

 

「もっと強ければ」「もっと鋭ければ」

 その愚直な後悔だけを抱えて、翼は全てを捨てた。

感情も、涙も。

 ただ剣としてノイズを屠り続ける。まるで、自らの死に場所を探すように。

 

 *

 

 眠り続ける病室の中、翼は夢を見る。

 あのライブ会場。崩れ落ちた瓦礫と、炭となって舞う灰。

 心に深く刻み込まれた光景の中で、背中合わせに天羽奏がいた。

 

「気づいたんだ。私の命に、意味なんて無いって」

 

 笑顔で告げられる優しい言葉。

 アッサリと告げられるその言葉の重みに、ほんの少しだけ眩暈がした。

 

「戦いの向こうには、また違ったものがあるんだよ」

 

 ノイズを倒す剣としてしか己を律せなかった翼に、奏はそう語る。

 けれど翼には、その“違うもの”が何か分からなかった。

 

「それは、何?」

「自分で見つけるものじゃないかな」

 

 答えを教えてくれない奏に、翼はむくれ顔で俯く。

 だが――その次に口をついて出たのは、どうしようもなく脆い告白だった。

 

「そんな奏は、もういないんだよね」

「結構なことじゃないか」

「私は……私は、奏に傍にいてほしいんだよ!」

 

 笑うように答えた奏の姿は、次の瞬間には消えていた。

 背中を合わせていたはずの感触が、霧のように溶けてなくなる。

 

「私が傍にいるか、遠くにいるかは――翼が決めることさ」

 

 最後に聞こえた声を残して、夢は崩壊する。

 翼の視界は真っ白に染まり、そこで夢も現も境を失った。

 

 *

 

 

 目を覚ましてから、どれほどの時が過ぎただろうか。

 時計の針を追うことはやめた。

 病院という場所は、外界と切り離された檻だ。

 朝も夜も、そこでは同じ白色に塗り潰されていく。

 気がつけば、ただ“白い時間”だけが流れ続けていた。

 

「まさか、そんなッ……!?」

 

 扉の前で立ち尽くす少女の声。

 振り返れば、ぽかんと口を開けて、散らかった病室を見つめている。

――立花響。

 

 羞恥心は、確かにあった。

 だが、胸の奥に生まれた感情はそれだけだった。

 

 かつては、彼女を見るたびに胸がざわついた。

 まるで奏の場所を奪うように、笑顔でそこに立つ姿が赦せなかった。

 だが今は違う。

 

――奪われたのではない。

そもそも、そこは最初から空席だった。

誰も座っていない、冷たく凍えた椅子。

 

(……さて。何て声をかけるべきだろうな)

 

翼はそんなことを思いながら、言葉を探す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 過去の偉人(あのお方)が燃料にされかねない状況にフィーネさんブチギレ
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