雪音クリスは衛宮士郎に拾われる   作:バースデー

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お待たせしました。今回、少し長めです。


残酷な童話

「す、すいませんでしたぁぁっ!」

「い、いや……こちらこそ、すまない……!」

 

床に張り付く勢いで土下座する響。その必死さは、地面にまで謝罪を押し込もうとしているかのようだった。

対する翼は、そんな過剰なまでの誠意に、逆に居心地を失って言葉を探すしかない。

 

 ……少し前。

響が慌てて病室に駆け込んで見たものは、錯乱した室内。

彼女はそれを見て「襲撃でもあったのか」と本気で思い込んだからだ。

 

だが真相は、単純にして残酷だった。

風鳴翼という人間の片付け能力が、信じがたいまでに壊滅的――それだけの話。

 

戦場では無敵の剣。

けれど日常においては。

彼女は、整理整頓という戦いの前にあまりにも脆すぎた。

 

「………。」

 

 沈黙が落ちた。

響は床に額を押しつけるように謝罪し、翼はその姿をただ見つめていた。

 

(……何を話せばいい?)

 

 思い返せば、彼女にしてきたことは理不尽な当たりばかり。まともに会話したことなんて、数えるほどしかない。だから今こうして向き合っても、言葉が出てこない。

 

 本来なら、こちらが先輩。二課において立花響よりも早く修羅場を歩んできた存在のはずなのに。

 

――けれど現実は非情。汚れた病室の床と、無言の沈黙。防人の名を背負い、剣として戦場を駆ける自分が。

こうしてはっきりと「ただの汚部屋のコミュ障」だったと露呈している。

 

もしファンに知られたらどうだろう。風鳴翼が片付けも出来ず、会話すらまともに出来ない――その事実に、きっと彼ら彼女らは泡を吹いて倒れるに違いない。

 

「すいません……あの、私……」

 

おずおずと口を開いた響に、翼は思わず言葉を重ねる。

 

「そうね……話してくれないか?私が眠っていた時のことを」

 

 *

 

 

「そう……デュランダルが」

「すみません。私が……不甲斐ないばかりに」

 

翼の言葉に、響は肩を落として頷いた。

 

「いや。叔父様も言っていたように、貴女がいなければ手掛かりすら得られなかった。それだけで、装者としては充分な成果だ」

 

口にしたのは、努めて優しい言葉。だがそれは取り繕いではなく、今の翼の本心でもあった。

きっと昔の自分なら、彼女にもっと厳しい言葉を突きつけていた。なのに今は、不思議と自然に、優しい声が零れ落ちていく。

 

「それにしても……どんな願いも叶える願望器、か。

 櫻井女史の言葉は突拍子もないことばかりだが……今回はその中でも群を抜いているな。

 なぜ、そんなものを――あの少女が持っていたのだ?」

 

 翼は顎に手を当てながら物思いに耽る。

 

「そもそも、そんな物とデュランダルに、一体何の関係が?」

 

そこで思考を遮る声。

 

「あら?随分悩んでいるのね、翼ちゃん」

「了子さん!?」

「櫻井女史!?いつから……」

 

 驚く二人の様子を満足気に眺めながら、了子はその先の言葉を続ける。無論、二人を揶揄う言葉を。

 

「翼ちゃんと響ちゃんが楽しそうにお話してるところからよ❤︎ 

 いつ割り込もうか悩んでたけど、長くなりそうだったから助け舟を出してあげたの」

 

「え、えっと……!?な、なんでここに……!」

 

 隣で響が完全にうろたえている。

 

 いたずらっ子めいた笑顔を浮かべる了子。

――聞いていたのなら、もっと早く声をかけてほしかった。

先ほどの沈黙を思い返すたび、翼の胸裏にじわりと呆れが広がっていく。 

 

「そりゃあ勿論、翼ちゃんのお見舞いに来たのよ❤︎ 響ちゃん。

 私だって翼ちゃんは可愛いんだもの。目を覚ましたと聞けば、飛んでこないわけがないじゃない……」

 

 そこで、わざとらしく咳払いを一つ。

 空気を切り替えるように、了子の声色が変わる。

 

「――けれど、本題は別。翼ちゃんが気にしていたこと……願望器とデュランダルの関係について、説明をしに来たの」

 

 パン、と手を叩いた音が静かな病室にやけに響く。

 通りすがりのナースに注意を受け、慌てて頭を下げると、了子は何事もなかったように二人へ向き直った。

 

「そもそもとして――解析の結果、あれは“聖遺物もどき”。

 限りなく近いだけの人工物に過ぎないわ。

 無条件で願いを叶える奇跡なんて、本物の聖遺物でなければ成立しない」

 

 了子は肩をすくめ、わざとらしく指先をひらひらさせる。

 

「世界には“エネルギー保存の法則”ってものがあるでしょ?

 無から有は生まれない。奇跡だって例外じゃないの」

 

 その言葉に、響はポカンと口を開け、翼は眉間に皺を寄せて沈思する。

 

「すみません、櫻井女史……その説明では、理解が追いつきません」

「でしょうねえ」

 

 了子は片目をつむり、くすりと笑った。

 

「じゃあ、もっと分かりやすく言うわ。願望を叶えるための“ショートカット機構”よ。

本来なら届かない夢を、どこか別の場所からエネルギーを引っ張ってくることで、叶えてしまう」

 

 指を鳴らして、自販機のパネルを押す真似をする。

 

「例えるなら――自販機かしら。

“飲みたい”って願いはボタンを押すだけで実現するけど、その裏でお金を投入してるでしょ?

あれと同じ。願望器の場合、“お金”がエネルギー、“飲み物”が願い。そしてその為のエネルギーを引っ張って来るのにデュランダルを使おうとしていたのでしょうね」

 

 にっこりと笑うその顔に、翼は背筋を冷たくする。

 その口ぶりは冗談めいていても、語られているのはあまりにも現実離れした“真実”だったから。

 

 

 

「……ッ」

 

 翼の喉が鳴った。

 願望器そのものではない。問題は――そんな代物を使おうと、あの少女がそこまで追い詰められている事実。

 

 人には誰だって叶えたい願いがある。

 けれど、全てを犠牲にしてまでそれを願うことは、常軌を逸している。

 ……それでも、彼女はそこに踏み込んでしまった。

 

止められる言葉など、あるのだろうか。

ならば――その命を断つしかないのか。

それは理解していた。

 

 ――それでも、胸から込み上げてくるものを抑えきれなかった。

 

「でも……そんなの、悲しすぎます!」

 

堰を切ったように声があがった。

翼が顔を上げると、そこにいたのは――戦うより、話し合おうとし続けた愚直な少女。立花響だった。

 

「響ちゃん……」

 

「だって……あの子、必死だったんです。

 どうにかして叶えなきゃならない“お願い”があったんだと思うんです。

 それなのに……あんなに苦しそうで……見てて、辛くて……!」

 

言葉はまとまらず、感情のままに零れ落ちる。

だが――それこそが立花響という少女の強さだった。

憎悪を浴びても、呪いに晒されても、それでもなお悲しみを抱ける。

その在り方は、無垢にすぎて脆い。だが同時に、誰よりも揺るぎない。

 

「……立花」

 

 翼の口から、自然に名が零れていた。

 かつて彼女は確かに言った――争うのではなく、話し合おうと。

 

「貴女の前に言ったことを、私は否定した。

だが、今は違う。貴女は今も誰かの為に泣いている。その思いは紛れもなく本物で、間違いじゃない。

 

今、貴女の胸にあるものを。

それを強く、強く思い描きなさい。

 

 それこそが――立花響の力となる」

 

「翼さん……!」

 

その一言に、響の顔がぱっと輝いた。

二人の間にわだかまりはもう、どこにもない。互いにそれを確信していた。

ああ――自分たちはようやく、同じ地平に立てたのだと。

 

そんな二人を見て、了子はわざとらしく携帯を取り出す。

そして、にっこりと笑いながら響に画面を突きつけた。

 

「響ちゃん。見て」

 

 了子が差し出した携帯の画面に、白い影が映っていた。

 路地を駆け抜ける――あの白髪の少女。

 

「……これ、まさか」

「そう。彼女は今、二課の本部に向かっている。どうやってかは知らないけど、警備の隙を正確に把握しているわ。

もし潜入を許せば、取り返しがつかない。……響ちゃん。あの子を救えるのは、貴女だけなのよ」

 

 言葉は静かだった。だが、その一言一言が胸を刺す。

 響は視線を伏せ、拳を握り締め――そして顔を上げた。

 

「……私、行きます。この子と――話してきます!」

 

「待て、立花!お前一人では無茶だ。なら、私も……」

 

翼が声を荒げた。

 

「駄目よ」

了子が遮る。

「今の翼ちゃんを戦場に立たせる訳にはいかない。これはドクターストップよ」

「しかし……相手は完全聖遺物を纏っています。立花一人で任せるには……」

 

「わたしなら、大丈夫です」

 響は振り返り、まっすぐ翼を見据えた。

「だから、信じてください。翼さん」

 

「……立花」

 

 力強く頷く響。その姿に、翼は言葉を飲み込む。

 一瞬、何かを言いたげに唇が動いたが――やがてゆっくりと首肯した。

 不承不承ながらも、その瞳には確かに信頼の光が宿っていた。

 

「……行ってこい」

 

「はい!」

 

 エレベーターが降りていく。

 響は最後の瞬間まで手を振り、翼もまた、その背中を見送っていた。

 

 ――胸の奥には、まだ不安が巣食っている。

 けれど今はただ、信じると決めるしかなかった。

 

 *

 

「響ちゃん!最後にひとつだけ」

「了子さん……?」

 

エントランス。

そこに立つのは、さっき別れたはずの櫻井了子。

 

 ――どうして? いつの間に?

疑問を口にする前に、彼女は微笑みとともに言葉を紡いでいた。

 

「響ちゃんに秘策を授けてあげる。

もしも、どうしても勝たなきゃいけないのに負けてしまう――そんな時のためにね」

 

「それって……絶唱のことですか?」

 

恐る恐る問いかけた響の言葉を、了子は手を軽く振って遮った。

 

「違うわ。もちろん切り札としては否定しないけど……死んでしまったら話し合いなんてできないでしょう? 響ちゃんには意味がないのよ」

 

微笑む声色は優しい。けれど、言っている内容はあまりにも冷たい。

響はただ呆然と立ち尽くす。何を言おうとしているのか、理解できない。

 

「いい? 貴女がするべきことは、ただ名前を呼ぶこと。

そうすれば――ガングニールは必ず応えてくれる」

 

「名前を……呼ぶ……」

 

 響が繰り返すと、了子はにやりと笑って首を傾げる。

 

「質問は?」

「……いえ。大丈夫です」

「そう。なら――頑張ってね。応援してるわ」

 

 ひらひらと手を振りながら背を向ける了子。

 その姿は人混みに紛れるようにして消えていった。

 

 残された響の胸に残るのは、疑問と違和感。

 けれど、今は立ち止まっている暇はない。

 彼女はひとつ息をつき、駆け出した。

 

 ***

 

 

それは、何もないはずの日に、唐突に始まった。

 

ヒュー、と。

花火に似た甲高い音が、空を裂いて降りてくる。

 

その瞬間、背筋が凍りついた。

鼓膜が震えるより早く、身体は理解していた。――これは死の合図だ、と。

 

「攻撃だ!!」

「どうして!? 何でここに――!?」

 

声が波のように広がり、恐怖は伝染病のように膨れ上がっていく。

耳を塞いでも無駄だった。世界そのものが悲鳴をあげているのだから。

 

次の瞬間、視界が白に塗り潰された。

熱が襲い、衝撃が叩きつけ、肺が裏返るほどの圧力に押し潰される。

 

彼と守ってきたキャンプは、炎に呑まれ、音を立てて崩れ落ちていった。

 

「クリス!! 助けて!!」

 

手を伸ばす“誰か”の姿が見える。

伸ばそうとした。

だが、その前に――爆発で瓦礫が降り、頭蓋が半ば抉れて砕け散った。

指先は宙を彷徨ったまま、動かなくなる。

 

「なんで……? どうして、まだ苦しまなきゃならないの……」

 

「……ッ」

 

返す言葉はなかった。舌を噛み締めるしかなかった。

 

「やっと助かったと思ったのに……助けてくれるって言ったのに」

小さく間を置いて、最後の一言が落ちる。

「――嘘つき」

 

「あ、ああ……ッ」

 

喉が痙攣し、胃液がせり上がる。吐き出せば楽になれる――それすら許されなかった。

顔を上げれば、地獄は続いていた。

 

砲撃に撃ち抜かれ、余波に呑まれ、逃げ惑う者たちが次々と肉片に変わっていく。

赤砂の大地は鮮血に濡れ、泥へと変わっていった。

 

――それでも。

 

「無事か、クリス!!」

 

その声だけは、確かだった。

この狂った戦場にあっても、変わらぬ調子で呼んでくれる声。

 

「……士郎?」

 

縋るように名を呼んだ。彼なら、この状況をどうにか出来るのではないか――そんな淡い幻想にすがって。

 

「立て!状況は分からないが、相手国が攻撃を仕掛けてきた。西へ回れ! 難民を避難させるぞ!」

 

「し、士郎……まだ、あそこに逃げてる奴が……いる。助けないと……!」

 

「無理だ」

短く切り捨てる声。

「攻撃は東から始まってる。この場所ですら生き残るのは不可能だ。ーーあれは逃げてるんじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()だけだ。」

 

 

「……そんな」

 

喉の奥から洩れたのは、情けないほど弱い少女のような声だった。

まるで夢を見ている少女のように。

今にして思えば、滑稽なほどに。――いや、あの時のあたしは、本当に夢を見ていたのだろう。

 

「早くしろ!! このままでは、我々もただでは済まないぞ!!」

「分かってるよ! クソッ!!」

 

衛宮士郎に急かされ、雪音クリスは立ち上がって走り出す。

背後で、自分たちが僅かでも安息を得ていた場所が燃え、崩れ落ちていくのを感じながら――。

 

 *

 

「……生き残ったのは、これだけか」

 

砂漠に取り残された一団を見渡しながら、衛宮士郎は苦々しく吐き捨てた。

 

先ほど掴んだ情報によれば――本来は停戦中であったはずの敵国が突如攻め込んできた理由は単純だった。

難民たちの亡命先で巨大な油田が発見された。それを奪うため、奴らはでっちあげの事件を口実に戦端を開いたのだ。

 

無論、攻撃を受けた側も、難民達の祖国も黙っているはずもない。

 

――止まっていた戦争は、再び燃え上がった。

 

 

「……どうすんだ、士郎」

 

「どうもこうもない。これ以上ここに留まれば、命の保証はない。――今すぐ、他国に亡命するべきだ」

 

そう言いながら、士郎はくたびれた地図を広げる。砂に擦れて端はぼろぼろだ。

 

「見て分かるだろう。今俺たちがいるのは、戦火のど真ん中だ。この場所じゃ救助が来る道理もない。……東は砲火で潰されている。行くなら西しかない」

「なんでだよ……。今、あたし達はこんなに危険の中にいるのに……誰も助けてくれないなんて」

 

悔しそうに呟くクリス。

その横顔を見て、士郎は声を和らげた。

 

「仕方がないことだ。命の危険がある中で、他人のために動ける人間なんて、そう多くはない。……ましてや組織なんてものが、動くわけがない」

 

その言葉に、クリスは顔を逸らした。

何を言うわけでもなく。反論を探すわけでもなく。

ただ、自分の心を保つために。崩れ落ちないように、必死に“納得できる理由”を探していた。

 

そんな彼女の耳に、不意に柔らかな声が届く。

 

「……もし。大丈夫ですか?」

 

顔を上げると、避難民の一人の女がそこにいた。

焦げた布を羽織り、疲弊した面持ちをしていながらも、その瞳には確かな意志が宿っている。

 

「……どうした?」

士郎が怪訝そうに問う。

 

女は深々と頭を下げた。

 

「貴方方に……感謝を。

遠い国から来て、私たちのために必死に戦ってくれること。命を賭して守ろうとしてくれること。

そのすべてに、感謝しています。

……これは、ここにいる全員の気持ちです」

 

その言葉に促されるように、周囲の避難民も次々と頷いてみせた。

照りつける太陽の下、疲弊しきった彼らの表情に――それでも小さな光が宿っているのが分かった。

 

そうだ。自分にはまだ、守らなければならない人達がいる。悩むのは、苦悩するのはその後で良い

 

「行くぞ。クリス」

「……ああ。」

 

 

 

「襲撃だ!!」

 

乾いた空気が張り詰め、舌の奥がビリ、と痺れる。

自分たちに向けられた無数の銃口。その冷たさに、膝が震えそうになる。

 

「……やらなきゃ、やらなきゃ……!」

 

怯んだら死ぬ。

そう確信し、必死に引き金へと指をかける。

 

だが――。

 

「下がっていろ、クリス!!」

 

雷鳴のような声が割り込んだ。

次の瞬間、銃口を向けた兵士たちの影が、赤い軌跡を引いて崩れ落ちていく。

 

たったひとりの男が、刹那のうちに戦場を切り裂いていた。

 

「悪い! 士郎!」

「謝罪は後でいい! 避難民を下がらせろ!!」

 

士郎の声に、慌てて背後を振り返る。

そこにいるのは、わずかな人数の避難民たち。だが数の問題ではない。年寄りも、子供も――守らねばならない命が確かにそこにある。

 

「みんな!死にたくなかったら下がれ! ただし、あたしから離れんなよ!」

 

怒鳴り声と共に、クリスは必死に周囲を見渡した。

数十メートル先、大岩がある。身を隠すにはうってつけだ。

 

「こっちだ!」

 

声を張り上げ、避難民たちを誘導する。

その途中で、震える声が背後から返った。

 

「す、すまない……クリス……」

 

「御託はいい! 早く動け!」

 

思わず荒げた声は、喉を震わせて自分でも驚くほどだった。

だが――これが自分だ。怒鳴り散らすぐらいで、ちょうどいい。そう思い込むことで、ほんの僅かに緊張を緩めた。

 

……それが、いけなかった。

 

「きゃあっ!」

 

甲高い悲鳴に振り向く。

幼い少女が、砂に足を取られて転んでいた。砂漠の白い粒子が、その小さな体を呑み込むように舞い上がる。

 

次の瞬間、銃声。

乾いた砂を裂く衝撃音と同時に、腹の奥に灼けるような痛みが走った。

 

「……っ!?」

 

視界の端で、転んだ少女が呆然とこちらを見上げている。

理解するより先に、身体が勝手に動いていた。

――自分が、彼女を庇ったのだ。

 

全身を電流が駆け抜ける。

危険。危険。危険。

直ちに処置しなければ、身体は壊れる。

内臓の奥に、決定的な損傷が走った感覚がある。

 

死ぬ。死ぬ。死ぬ。

 

身体が砂に叩きつけられる。

熱い血が喉を逆流し、砂漠にどくどくと流れ出していく。

 

「クリス!!」

 

士郎の声が遠く聞こえた。

それでも、抱きしめた少女の体温だけは確かに腕の中にあった。

 

 *

 

 

「おい……ばか、士郎」

「……なんだ?」

 

瞼を開いた。

目を覚ました――そう呼ぶには違う。

これは、死の間際に人がほんの一瞬だけ取り戻す、儚い火。

雪音クリスには、その確信があった。

 

腹に撃ち込まれた銃弾。

血と一緒に、命と呼べる何かが砂に流れ落ちていく感覚を、まだ鮮明に覚えている。

 

助からない。

そう悟った瞬間、らしくもなく心が折れた。

絶望はこんなにも、あっさりと訪れるものなのかと。

 

「なあ、士郎……」

 

声が掠れる。

だからだろうか。だからこそだろうか。

こんな時に限って、普段なら絶対に言わないことを口にした。

 

「あたしの、黙ってた昔を話す。……だからアンタも、アンタの昔を話してくれよ」

 

 *

 

自分は何かの宗教を信じているわけじゃない。

死んだ人間と再会できるなんて、都合のいい奇跡を夢見たこともない。

 

だから――目を覚ました瞬間、理解が追いつかなかった。

 

「……なんで? 生きてる……?」

 

呆然と、自分の腹に触れる。

あれほど確かにあった穴が――塞がっている。

血に濡れていたはずの指先も、今は乾いている。

 

おかしい。意味が分からない。

そこがあの世だなんて、思っていない。

なのに。

 

呼吸は変わらずに肺を満たし、

胸は確かに動いている。

 

――死んだはずなのに。

 

目に映ったのは、クリーム色の天井。

布の揺れ方からして、どこかのテントの中だろう。

 

「……ここは……?」

 

ふらつく足で外へ出る。

そこに広がるのは――やはり砂漠。けれど、違う。

肌に触れる風、砂の匂い、胸にまとわりつく湿度。

ほんのわずかな違和感が、ここが自分の知る場所ではないと告げていた。

 

(……避難所、か)

 

思考の末にようやく辿りつく。

ああ、そうだ。ここはきっと避難場所だ。

 

理由は分からない。なぜ自分が生きているのかも分からない。

けれど――助かった。それだけで胸が震えた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

走り出していた。

会わなきゃ。彼に――衛宮士郎に。

絶対に、生きているはずだから。

 

砂の地面を蹴り、見知らぬ人影を掻き分ける。

無遠慮にテントを開けては、士郎の姿を探す。

中にいた者の声が耳に飛び込んでくる。

「……彼なら、別の場所にいる」

 

――良かった。生きてるんだ。

 

喉が焼けるほど息を荒げながら、十を越えるテントを開いた。

そして十三個目。

 

「……いた」

 

そこに、衛宮士郎がいた。

避難民たちに囲まれて、確かに生きて、そこに立っていた。

 

良かった。

ただそれだけで胸がいっぱいになった。

涙が滲む。

その瞬間まで、クリスの世界は「生きていた」という事実だけで埋め尽くされていた。

 

だから。

――目の前にいた“知らない男”が、自分の知るもっとも忌むべき存在、悪意そのものだったことに、気づけなかった。

 

「それでは、衛宮士郎どの」

男は滑らかな声で告げる。

「あなたの命を、この戦争の終結と難民の救済のために――使わせていただきます」

 

「……ああ」

 

応じる士郎の声が、静かに響いた。

 

「――は?」

 

クリスの思考は、一瞬で凍りついた。

 

「どういうことだよ?」

「クリス……」

 

衛宮士郎が、こちらを見据える。普段と変わらぬ落ち着いた瞳をしている。その穏やかさが、かえって恐ろしい。さっきのやり取りなど、初めから無かったかのように。

 

男は、雪音クリスを冷ややかに見下ろす。

「……誰だ?」

「私が、とある戦場から攫ってきた人質ね。

 残念ながら、使う機会は無かったが」

 

男の言葉は嘲りに満ちていた。

――違う、そんなはずはない。私は、自分の意思で士郎について行ったのに。

 

「違う! 私は、自分の意思で……」

叫びかけるクリスを、男が遮る。彼女の言葉は虚しく室内にこだまするだけだ。

 

「ああ、可哀想に。こんな状況でも、こんな男を庇わなければならないほど追い詰められているとは」

男は嗤う。

「心配するな、我が国は必ずお前の母国へ返してやる。君の庇護者に多大な恩を売れるだろう」

 

怒りが、クリスの胸にふつふつと湧き上がる。口から言葉が出るはずだった。

それでも出ない。何を言っていいのか、何を言えば良いのか分からない。それが辛かった。苦しかった。

 

「ふざけんなッ!!なんでアイツが殺されなきゃならない!!

 お前ら、アイツに散々助けてもらったのに、最後の最後で見捨てるのか? 本気で」

「許してくれ。感謝はしてるさ。」

 

避難民の男は顔を背けた。

 

「でも、仕方ないだろ? 俺たちだって死にたくない。

 それに、誰も助けてくれなんて頼んじゃいないか。

 頼んでもいないことをしておいて、恩に思えだなんて、理不尽だ」

 

必死に言葉を並べた。もう、辞めてくれ。これ以上あたしを苦しませないでくれ。

お前たちが向けた感謝は何だった?

あたし達の努力は何だった?

あたしは、衛宮士郎はお前たちの犠牲になる為に生きてきたとでも?

 

『貴方方に……感謝を。』

 

アレは、ただの出まかせだったのか?

 

その言葉を、口にしようとした。

――でも、その時、士郎が動いた。

 

「クリス……黙っていろ」

 

低く囁く声。

その声音に逆らえないと、本能で悟った。

 

「な、何を――」

 

次の瞬間、口元に布が押し当てられる。薬臭さが鼻を突いた。

もがく腕を士郎が押さえ、視界が揺らぐ。

 

「すまない……起きた時には、全部終わってる」

 

彼の瞳は静かに決まっていた。

そこにあるのは優しさか、冷徹か。分からない。

ただ――決して揺るがない“覚悟”だけ。

 

「しろ……ぉ……ッ」

 

名前を呼ぼうとした声は、息に溶けた。

最後に額へ触れた指先の温もりだけを残し、世界は暗転していく。

 

――結局、言えなかった。

「あたしは、置いていかないで」って。

 

 *

 

目を覚ました時には、全てが終わっていた。

衛宮士郎はすべての責任を押し付けられ、処刑台に吊るされていた。

 

戦争を起こした二つの国は口を揃えて言う。

「我々は騙されていただけだ」

「恐ろしきテロリストを捕らえた今、ようやく平和が訪れる」

 

そうして幕を閉じた戦争は、犠牲を「尊いもの」として飾り立て、

「失ったものを噛み締め、明日を生きていこう」と、美談で塗り潰された。

 

そして、彼に“誘拐されていた”哀れな少女――雪音クリスは無事保護され、日本へ送り返された。

 

めでたし、めでたし。

 

 

 

 

 

 

……ふざけるな。

 

ふざけるな! ふざけるなッ!! 馬鹿野郎!!

 

なんだ、この結末は!?

衛宮士郎は、誰からも引き止められることもなく。

誰からも望まれて――処刑された。

 

そんな馬鹿なことがあるか。

あんなにも努力して、あんなにも誰かのために身を削って……

それでも、彼は一人きりで死んでいった。

 

「……あたしは、何してたんだ」

 

声が漏れた。

隣を歩いていたつもりだった。けれど結局、あたしは何も出来なかった。

ただ見ていただけだ。ただの傍観者だ。野次馬だ。

 

胸の奥から込み上げてくるのは、どうしようもない虚しさと自己嫌悪。

あんな奴らの……人間の幸せなんて――認めない。許さない。認められるわけがない。

 

けれど。

 

救わねばならないのかもしれない。

自分は確かに、それを望んであの男について行った。

もしここで足を止めてしまえば……本当に、彼は何のために死んだのか分からなくなる。彼の生は何も残せなかったことになる。

 

「……クソッ」

 

言い聞かせるように呟いて、クリスは天井を見つめた。

 

 

だから――あたしは救う。

彼の犠牲が無駄じゃなかったと証明するために。

彼よりも冷酷に。残酷に。効率的に。そして、確実に。

 

……それが、本当に正しいのかどうかなんて、分からない。

けれど、もう立ち止まることは出来ない。

 

あの日、置いていかれたままのあたしを――進ませるために。

 

 *

 

 

 ***

 

 

夢を見ていた。

何ともくだらない、滑稽な夢を。

ぼんやりと立っていたからか、いつの間にか眠っていたのだろう。

 

「……行くか」

 

静かに、少女は呟いた。

もうすぐ、自分の理想に手が届く。

だというのに、二の足を踏む理由など、どこにあろうか。

 

歩く。歩く。歩く。――歩く。

 

その足が、不意に止まった。

 

「……何で、お前がここにいる?」

 

立ちはだかる影。

目の前にいたのは、立花響。

 

「貴女と、話をしに来た」

 

容赦なく潰したはずだった。

なのに、どうして――。

 

 

「……いや」

苦々しく吐き捨てる。

「フィーネの仕業か」

 

そう、即座に納得したクリスは、目の前の少女を睨みつける。

 

「お前は、何をしに来た」

「……貴女を助けたいの」

 

迷いなく言い切ったその声が、クリスの苛立ちを煽る。

夢想と現実。理想と欺瞞。

 

「嘘臭え。」

「うん」

 

両者が交わらない。気配も無い。けれど、それでも……

 

――Killter ichaibal tron。

――Balwisyal Nescell gungnir tron。

 

二つの閃光が、空間を切り裂いた。

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