雪音クリスは衛宮士郎に拾われる   作:バースデー

18 / 27
ああ。きっとそれが良い

フィーネは大昔、自分が見届けた一つの戦いを思い出す。

 

 まだ彼女が終わりの名(フィーネ)などという、大層な名前を使用するようになるよりも、ずっと前。

 

 地面を掘れば冥界に至ると信じられていたほど、神秘が濃く息づく時代。

 

 ある意味では、地獄。

 ある意味では、天国。

 あらゆる存在がまだ、神と人とのあわいで生きていた頃――。

 

 それは、世界の“転換点”。

 神々が去り、人が立ち上がり、(ことわり)が書き換えられようとしていた瞬間。

 

 彼女はその光景を、ただ見届けていた。

 何もせず、ただ、終わりゆく神々の時代と、始まりゆく人の時代を。

 

 彼女はその光景を、ただ見つめていた。

 命が生まれ、争い、滅びていく。

 神殿の瓦礫を覆う赤い花が、翌日には枯れていた。

 祈りも、希望も、愛も、死と同じ速さで朽ちていく。

 

 あのとき、確かに思ったのだ。

 ――この世界は、終わるべくして終わるのだと。

 

 それは、誰もが理解していた。神の世界は終わり、これからは人の世界が始まる。

 その始まりの瞬間を。

 嘆く者もいた。慄く者もいた。賞賛する者もいた。

 

 だが、それはあの“二人”からすれば、どうでもいいことなのだろう。

 

 彼らは神でもなく、人でもなかった。

 それでも――人として生き、人として死ぬことを、確かに選んだ。

 

 時間という概念の外に在りながら、同時に“時間”そのものが生んだ矛盾の具現。

 まるで世界の仕組みが産み落とした、ひとつの“バグ”のように。

 

 そして今、天を裂き、地に降る。

 黄金の門より放たれるは、王のみが手にできる『武器』。

 

 ただの武器ではない。

 そのひと振りひと振りが、後の時代に“完全聖遺物”と呼ばれる以前の原型――

 まだ名も持たぬ神々の遺産だった。

 

 こんな世界、ついていけるのは――それこそ、神だけだろう。

 

 そう思って、あのお方に尋ねた。

 だが返ってきたのは、短く冷たい三文字――『不可能』。

 

 神すらも許さぬ、絶対の死の雨。

 それに抗うように、大地がぬるりと隆起する。

 まるで世界そのものが、理不尽への拒絶を示すかのように。

 

 隆起はやがて、形を持つ。

 完全聖遺物に匹敵し――いや、それすら凌駕する“武器”へと変じた。

 

 そして、大地を砕き、空を穿つ。

 轟音と共に、それは勢いよく天へと放たれた。

 

「ふはははははははははははははは──!」

 

 王が笑う。世界が笑う。

 それが当然の摂理であるかのように。

 

 ガリガリと削られる音。

 

――そう、“世界”そのものが、二人を拒絶しているようだった。

 

 そんな予感すら、あった。

 

 

 

「……ここまでだ。我が友よ」

 

 王が静かに呟いた。

 それは傲慢でも、慈悲でもない。

 ただ、この戦いが終焉へと至ることを知る者の声だった。

 

 空気が変わる。

 ギチ、と世界が軋んだような音さえした。死神の鎌が首に触れているような、怖気が走るほどの冷たさ。

 

 空中に途方もなく巨大な赤い紋様が描かれた。一つの大樹のように見えるそれこそは、黄金の宝物庫の縮図。人類が生み出す財宝、その系統樹に他ならない。

 無数に分かれた枝の一つが、怪しく輝く。赤と白に点滅する光は、回路を走る信号のような動きで、大樹の根本へと向かっていき……王の手へと到達した刹那、眩い光が放たれる。

 

 王の掌に宿るのは、星であり、無であり、生命であり、そして死。

 それは、新たな星を生み、命を紡ぎ、同時に世界を終わらせる()

 

 ――あの御方の名を冠する、始まりと終わりの象徴。

 

 

 

 新たなる星を創るもの。

 殺戮たる無を生むもの。

 生命を紡ぎ、極楽を築くもの。

 終末を呼び、地獄を刻むもの。

 

 

 

『――離れよう』

 

 あのお方の声に従い、フィーネは身を翻した。

 足元の大地が震え、空が悲鳴を上げる。

 世界の形が、音もなく塗り替わっていく。

 

 振り返れば、すべてが“光”に呑まれていた。

 空も、大地も、命も、祈りも。

 

 どうなったのかは、分からない。

 ただ――ひとつだけ確信していた。

 

 ――あれは、世界を()()()()()だったのだと。

 

 なんとも、皮肉な話だとフィーネは思う。

 今、自分が行おうとしていることは、ある意味で時代の逆行。

 神の手によって築かれた“始まり”を、人の手で“終わり”へと導いた時代。それを再び始めようとしている。

 

 それは、あの“王”が最も嫌ったこと。

 その記憶が、いまだに恐怖となって身体の奥を震わせる。

 

 フィーネは、静かに息を吐いた。

 眉間を指で押さえながら、何もない壁をじっと見つめる。

 

 まるで――猫が、存在しないはずの何かを見つめるように。

 あるいは、そこに“かつての何か”を見出そうとするかのように。

 

 その顔には、何一つとして感情が浮かんでいない。

 

 

 そこに何も無いことは、彼女にだって分かっているだろうに。

 

 

 *

 

 

 

 

 リディアン高等科の全域に、けたたましい警報が鳴り響いた。

 それはつまり――出現したノイズが、この学校へ向かっている可能性を示していた。

 

 サイレンがガラス窓を震わせ、空気がひりつく。

 悲鳴が上がり、ざわめきが波のように広がる。

 それでも“今の日本”では、避難訓練が徹底されている。

 動揺の中にも秩序があり、生徒たちはすぐに整列を始めた。

 

 その列の中で、ただ一人――

 響は立ち止まり、未来の方へと振り返った。

 

「行ってくる」

「……待ってる」

 

 言葉は短く、でも確かな約束のように響いた。

 響は列を飛び出し、迷いなく駆け出す。

 リディアンを――みんなを守るために。

 

 足音を響かせながら、通信機を取り出す。

 ノイズの位置情報を聞こうとするより早く、通信が自動で繋がった。

 

『翼です』

『ノイズの進行経路を確認。四方から――東京スカイタワーへ向かっています!』

 

「東京スカイタワー……!」

 

 街の中心にそびえる、全長六三四メートルの巨大な電波塔。

 政府の通信網を統括する要所――落とされれば、国家規模の致命傷だ。

 

 けれど、ここからでは遠すぎる。

 翼のバイクを使う手もあるが、彼女は今、反対方向の任務中。

 走っても、到底間に合わない。

 

「くっ……どうすれば……!」

 

 その瞬間、突風が吹き荒れた。

 砂埃が視界を覆い、肌を刺すような風が頬を叩く。

 思わず腕で顔を覆い、風の収まるのを待つ。

 

 ――そして。

 

 風が止んだとき、目の前に一機のヘリが静かに降り立っていた。

 

『――何ともならないことを、何とかするのが……俺たちの仕事だッ!』

 

 通信機越しに響いた、弦十郎の力強い声。

 その一言が、胸の奥で火花のように弾けた。

 

「……はいっ!」

 

 響は勢いよくヘリへと駆け込み、ドアが閉まる。

 回転翼が唸りを上げ、再び風が舞う。

 視界が揺れ、街が遠ざかっていく。

 

 ――これなら、間に合う。

 あの人と、同じ空の下で。

 

 

 

 

 現場に近づくと、その惨状が目に飛び込んできた。

 スカイタワーの上空を旋回する、無数の“巨影”。

 その一体が、ゆっくりと開く――まるで巨大な門のように。

 

 そこから降り注ぐ、無数の光。

 いいや、それは光じゃない。色とりどりの“小型ノイズ”だ。

 

「……っ、ノイズのプラント!?」

 

 地上が、飲み込まれていく。

 ビルの谷間で、悲鳴が混じった爆風が響いた。

 

 

 

「着きました!」

 

『私も間もなく到着する――共に往くぞ、立花ッ!』

 

「はいッ!」

 

 

 

 下を見下ろせば、静まり返った道路を疾駆するバイクの影。

 ――翼だ。

 

 ヘリのパイロットに短く礼を告げ、響は躊躇なくドアを開くと、そのまま勢いよく飛び降りた。

 足元に広がる街の光が、流星のように遠ざかっていく。

 

 恐怖はなかった。

 胸の奥で燃えるのは、ただひとつ――人を救いたいという願い。

 

 響は真下のノイズめがけ、拳を構える。

 

 

――Balwisyal Nescell gungnir tron!

――Imyuteus amenohabakiri tron!

 

 紅と蒼。二つの光が、空間を裂いた。

 

 着装と同時に、腕のハンマーパーツが膨張し、鋼鉄の鼓動を帯びて跳ね上がる。

 

「ーーー世界貫く想い(ガングニール)!!」

 

 全力で突き出した拳が、巨大ノイズの装甲を砕いた。

 “風穴”と呼ぶに相応しい亀裂が、鉄の躯を裂き、破片と残響が空気を震わせた。

 

 だが、それで終わりではない。

 超大型ノイズはあと三体、生み出された小型ノイズまで含めて、無数の敵が降り注ぐ。

 

 その時、翼の姿が視界に飛び込む。

 バイクを蹴り捨て、黒鋼の鎧が閃く。

 大剣の刃先が空気を切り裂き、蒼い斬撃が天へと放たれた。

 

 だが、それは飛行型ノイズの壁に阻まれ、力を削がれる。

 斬撃は虚空を切るように消えた。

 

「相手に頭上を取られると、立ち回りが限定される……!」

 

 響の悔しそうな声が風に溶けそうになる。

 

「なら、我らも空から――」

 

 翼の言葉は、希望にも、焦りにも聞こえる。

 

 合流した二人の視線が、空のヘリを指す。

 “射程が足りないなら、上から落とせ”――その思考が炸裂しかけた瞬間、轟音が空を裂いた。

 

「そんなッ!?」

「よくもッ!」

 

 振り返ると、ヘリは爆炎とともに四散していた。

 黒煙が渦を描き、鋼鉄の残骸が垂直に落ちる。

 パラシュートの影はない。

 それがどう言ったことを意味しているのか、わからぬ二人ではない。

 送り届けてくれたパイロットの姿すら、記憶の空白に吸い込まれた。

 

 怒りと悲嘆の狭間で、二人は身体をひるがえし、襲いかかるノイズを打ち返す。

 拳、剣、衝撃波。火の粉が降る戦場で、呼吸を抑えて動き続ける。

 倒すたび、さらに敵が上空から降り、数は全く減らない。

 

「どんどん増える……どうすれば」

 

 響の声に、震えが混じる。

 

「臆するな、立花。防人が後退すれば、それが崩壊の始まりだッ!」

 

 翼の声が、刹那の光のように響く。

 

 だが、その隙に――飛行型ノイズがひとつ、鋭角に形を変えて襲いかかる。

 二人は体勢を整える。

 間に合うか、どうかは五分五分。

 いや、間に合わない可能性の方が高いだろう。

 

 

 しかし、その一撃に先んじて――

 

――空気が裂けた。

 

 *

 

――気づけば、ふと昔のことを思い出していた。

 

 あのとき、咄嗟に“初恋”なんて口にしたけれど……冷静になってみれば、……どうにも違う、そんな気がした。

 

 彼と過ごした日々。

 

 あたしは、あの人に心のすべてを預けていた。

 

 愛情も、憧憬も、嫉妬も、怒りも――あらゆる感情をあの人ひとりに向けていた。

 

 それは恋と呼べば、それらしく聞こえる。でも――どこか違う。あまりに幼すぎる気がした。

 

 

 

 それでも、他に言葉が見つからないのだ。

 

 この、彼への想いを表す言葉が、どうしても見つからない。

 

 

 

 愛憎が混じり合って、絡み合って、ほどけなくなって、それでも確かにそこに在った。たったひとつの想い。

 

初恋と呼ぼうか。

憎悪と呼ぼうか。

執着と呼ぼうか。

――そのどれでもあって、どれでもない気がする。

 

 滑稽だと思う。

 頭の中で同じ言葉を何度も回して、結局、答えなんて出ないまま。

 

 それでも、ひとつだけ確かなことがある。

 

 あたしは――アイツの“夢”が好きだった。

 そして、アイツの“死”が――

どうしても、嫌いだった。

……許せなかった。

 

 耳の奥で、爆音が蘇る。

 耳の外で、爆音が響く。

 

 意識が、思考の底から現実へと引きずり上げられた。

 

 視界の奥――ほんの数百メートル先で、地獄が形を取っていた。

 人が死に、建物は崩れ落ち、二人の少女が、ただ必死に抗っていた。

 

……酷い光景だ。

 胸の奥が、焼けるように痛む。

 

 あれほどまでに願い、祈り、積み上げたすべてが、こんなにもアッサリと踏み躙られる。

 

 その原因の一端が、自分にあるという事実が、胸の奥を、静かに――けれど確実に締めつける。

 

 何度も何度も間違いを犯してきた自覚はあるが、その中でもこれは特級の物だろう。

 

この形容しがたい感情から目を背け、

ただ、何も見ないふりをして“同化”を続けていたのだから。

 

 

 

……でも、もう終わりにしよう。

 

 夢は――もう、終わったんだ。

 どれだけ焦がれたって、あいつは……もう、いない。

 

 なら、その死が、人生が報われなかったって事実は、もうどうにもならない“現実”なんだろう。

 

 あたしが無理矢理、あいつの夢を叶えたところで、そんなもんには意味なんてない。

 過去は変わらない。

 当たり前のように、そこにあるだけ。

 

……それでも。

 

 それでも、あいつが――

 目に映るすべてを救おうとした、その在り方だけは。

 

 その在り方を、愚かだと笑う“世界”があるのなら――

 

 あたしが、否定してやる。

 それだけは、間違いじゃなかったって。

 

 あたしが、証明してやる。

 それだけは、確かに正しかったって。

 

――Killter ichaibal tron。

 

 その言葉が空気を裂き、真紅の鎧が彼女を覆った。

 鉄と血の匂いが、瞬間的に周囲を満たす。

 

 手には弓。

 今、あたしにしか出来ない仕事がある。

 

 標的は超大型ノイズ。距離は――約五百メートル。

 シンフォギアの力があれば、その距離など数秒で詰められる。

 だが、悠長なことをしている時間はない。そんなことをしていれば、あの二人は確実にやられてしまう。

 

 銃の重みは、あたしの手にはよく馴染んだ。

けれど、元からあった“神秘”を削ったぶんだけ、何かが抜け落ちた気がする。

 

 その状態で、あの超大型ノイズを潰せるかどうか――正直、五分五分だ。

 

 ならば、確実に潰せる道を選ぶだけだ。

 

 矢を現出させる。だが、失った片手ではそれを番えることができない。

 選択肢はふたつ。外付けの装具を付けるか、自分の肉体で代替するか。

 

 外付けなら早い。だが感覚が違う。弓は、体の延長であってほしい。

 ならば、力任せに、身体から義手を生やすしかない。

 

 シンフォギアの力を使い、肉体に突貫の腕を繋げる。

 皮膚を裂くような痛み。筋肉が引き伸ばされる断末魔。骨が軋む気配まで、鋭く返ってくる。――叫びを呑み込む。

 

「ぐっ……!」

 

 だが、痛みは言い訳にならない。痛みは、いままでの過ちの代償だ。

 すべては自分が招いたもの。だからこそ、いま自分がやらねばならない。

 

 義手の指先が弓を確かに掴む。矢は、弦と一体になっている感覚で、体の中を走った。

 

 狙いは一点。五百メートル先の巨体。その中心を――穿つ。

 

 深呼吸ひとつ。

 膝を沈め、腰を捻る。

 弾かれる直前の静寂が、世界を支配した。

 

 集中。

 筋肉から神経、血管の一本一本にまで意識を通す。

 何も特別なことは要らない。いつも通りでいい。ただ、迷わず引き絞るだけ――それだけの、簡単なことだ。

 

 明鏡止水。

 イメージするのは、水面に浮かぶ一枚の葉。

 波紋が落ち、静けさが戻る。

 音も、風も、呼吸すらも消えた。

 今なら、宙を漂う塵のひとつひとつまで掴める気がする。

 

 そして、――放つ。

 

 空気が悲鳴を上げた。

 光が一筋、血のように滲んで伸びる。

 世界の音がすべて止まった――矢だけが、生きていた。

 

 一筋の流星。

 その軌跡は寸分の狂いもなく、立花響と風鳴翼の狭間を貫いて――巨大ノイズの中心に、風穴を穿つ。

 

 爆ぜる音。

 遅れて、衝撃が肌を叩く。

 

「……当たった」

 

 ただ、静かにそれだけを口にした。

 

 強化した視界の先。

 風鳴翼は戸惑い、立花響は――何かを悟ったように、崩れ落ちるノイズを見つめていた。

 

「……相変わらずの、馬鹿野郎が」

 

 クリスは、呆れたように息を吐く。

 その顔に、かすかな安堵が混じっていた。

 

 この様子なら、余計な誤解はされないだろう。

――いや。もしかしたら、弦十郎のやつが、もう話してるのかもしれない。

 

 響と翼の姿が遠くで交差する。

 爆炎の向こう、赤と青の光が交わるのを見て――胸の奥に、何かが微かに疼いた。

 

 

……また、左腕が痺れやがる。

 あの時、無理に使いすぎた。

 冷えていく感覚――限界が近い。

 

 もう、生やすのはやめよう。

 身体をこれ以上いじりたくない。

 外付けでいい。動けば、それでいい。

 

 とにかく行こう。

 一言でもいい。顔を見せてやる。

 

 *

 

 避けられない。

 巨大ノイズの体当たりは、見た目に反して恐ろしく速い。

 響と翼の回避は、間に合わない。

 

「くっ……!」

 

 防御姿勢を取るしかなかった。

 瞬間、二人の間を、光が裂いた。

 

 流星のような閃光が駆け抜ける。

 爆風が巻き上がり、空気が一瞬、止まる。

 

 その光が直撃したのは――

 二人ではなく、迫る巨体。

 

 一拍置いて、巨大ノイズが音もなく崩れ落ちた。

 

「……え?」

「なに、今の……?」

 

 戦場の風が、静まり返る。

 瓦礫の向こう。

 

 夜風を切り裂いて、真紅の閃光が歩み出る。

 

――片手の少女。

 左腕だけで、イチイバルの弓を握りしめ、義手のように伸びるギアの補助アームがその姿を支えている。

 

「ったく……ピーピー鳴きやがって……」

 

 クリスがぼそりと呟く。通信端末が、弦十郎の声を割り込ませた。

 

『聞こえてるぞ、雪音。助っ人の到着が遅れてすまんな!』

 

「助っ人って言うな! あたしはただ……ムカついただけだッ!」

 

 その声は、怒鳴りながらも震えていた。

 本当は痛いのだ。体も、心も。

 

 だが、立ち止まるわけにはいかない。

 

「……助っ人?」

「あー!クリスちゃん!!ありがとーッ!」

 

 響が走り出す。翼の制止も聞かずに。

 そして、その勢いのまま飛びついた。

 

「クリスちゃーん!やっぱり来てくれたんだね!」

 

「バ、バカ!やめろっての!!」

 

片手で抱き留めるには無理がある。

義手のギアが軋み、負荷を感じる。それでも、振り払えない。

 

その腕を振りほどいたとき、クリスの表情にはかすかな笑みがあった。

 

「勘違いすんなよ。あたしは――お前たちの味方になったわけじゃねぇ」

 

「そうか……けど、並び立つには充分だ」

 

 翼の声が短く返る。

 その一言で、全てが通じた。

 

「……チッ、勝手にしろ!」

 

 風が鳴る。

 三人の間に、言葉はいらなかった。

 同じ方向――空を覆うノイズの群れへと、視線を合わせる。

 

「行くぞ、立花、雪音!」

「応ッ!」

「撃ち抜くッ!」

 

 夜空が裂け、戦場に再び光が走る。

 

――今度こそ、三人で。

 

 *

 

 

「うおぉぉおおおお!!」

 

 二体の巨大ノイズを打ち倒しても、戦場は終わらなかった。

 死角にいたもう一体が、膨張するように黒い靄を吐き出す。

 そこから溢れ出す無数の小型ノイズ――まるで一国の軍勢のよう。

 

 その日、気象衛星はスカイタワー上空に“異常な積乱雲”を観測している。

 その雲は()()

 どんな雲も本来、陽光を受ければ白く輝くはずなのに――

 この雲は、あろうことか光を拒むように真黒だった。

 

 不吉の絶頂。

 終末の予感。

 

 その一粒一粒がノイズだなどと、誰が想像できるだろう。

 

 降り注ぐ黒の雨。

 地上は、もはや天国の裏側。

 

 それでも、三人の少女は駆けた。

 “最悪”に最も近い地獄の只中を、まるで光を引く彗星のように――。

 

「なんか、いつのまにかノイズがめちゃくちゃ増えてるんですけどーっ!」

「ああ。すでに避難は完了しているが……これ以上は、放っておけん」

 

 響が拳でノイズを砕き、翼が数本の剣を展開しながら、広範囲を一気に薙ぐ。

 だが――追いつかない。

 倒しても倒しても、黒い靄の中から次のノイズが生まれる。

 

「チマチマ雑魚狩りしてても意味ねぇぞ!」

 

 ビルの屋上に着地したクリスが、滑るように体勢を切り替え、

 その勢いのまま銃を乱射した。

 弾丸がノイズの群れを貫き、空気を焦がす。

 

「だが、あれほど上空にいられては、こちらとしても手が出せない」

「わかってるよ、そんなこと!」

 

 苛立ち混じりに返し、クリスが振り向く。

 

「おい、バカ!」

「へっ!? わ、私っ!?」

 

 響が慌てて顔を上げた。

 銃声と爆音が混じる中で、彼女の声だけがひどく間の抜けた音に聞こえる。

 

 

「お前、真名解放、使ってただろ? もう一回いけるか?」

「へ? 真名?」

「“ガングニール”って叫ぶやつだよ。……名前も知らずにぶっ放してたのかよ」

「え、ええと……たぶん、行けると思う! 全然!」

 胸の前で拳を握る響に、クリスは小さくため息を吐いた。

「でも……クリスちゃんも使ってたじゃん。

 あの、デュランダルを正面から砕いたやつ! あれ、すごかったよ!」

 

 一瞬、クリスの表情が固まる。

 視線が泳ぎ、わずかに俯く。

 

「……アレは、今は使えねぇ」

「え?」

「理由は言わねぇ。

 さっきの狙撃も、タメがいるし……こんだけノイズがうじゃうじゃいたら、本命に届く前に威力が死ぬ」

 

 銃口を持ち上げ、黒煙の向こうを睨む。

 

 

「つまり――やるなら、近づいて一撃で決めるしかねぇってことだな」

 

 クリスはそう言って、わずかに口角を上げた。

 

「……心配すんな。道はあたしが作ってやる」

 

 一拍置いて、少しだけ視線を逸らす。

 

「別に情けで言ってるわけじゃねぇ。

 ……お前の“バカみてぇな真っ直ぐさ”、見てたらな――ちょっと、放っとけなくなっただけだ。

 お前のやること、最後まで見届けてやる。

 だから、前だけ見て走れ。道は……あたしが切り開く」

 

 一瞬、響は言葉を失った。

 けれど、すぐに顔を上げて問いかける。

 

「……じゃあ、私は、どうすればいいの?」

 

 クリスはにやりと笑みを浮かべ、肩越しに言い放った。

 

「いいから黙って見てろ。――“道”ってのは、こうやって作るんだよ」

 

 

 




エンキは、シュメール神話に登場する神で、地下の淡水の海「アプスー」の主。
知恵・魔法・秩序・真水を司る神である。
バビロニアでは、大洪水から人類を救った人類の友として知られる。

――またの名を、“エア”。

前回のあのセリフだけで、金ピカだって分かった人が大勢いてびっくりしました。
前述した通り、エンキってエアのことでもあるので、ギルガメッシュとエンキもまた、面識があったのではないか。と本作では考えています。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。