「行くぜッ!――ミサイルパーティーだぁッ!!」
轟音と共に、真紅の機構が展開する。
次の瞬間、無数のミサイルが空を埋め尽くした。
弾頭が連鎖的に火を噴き、爆炎が夜空を染め上げる。
翼はその隙を逃さず、両腕を広げた。
空間から生まれた無数の剣が、一斉に射出される。
銀の閃光と紅の閃光が交差し、ノイズの群れを削り取っていく。
だが、それでも数は減らない。
焼け焦げた灰の奥から、新たなノイズが次々と湧き出してくる。
「オイ風鳴翼ッ! もっと派手にやれ! 数の暴力には数の暴力だッ!!」
「ああ――心得たッ!!」
二人の声が、爆音に飲まれて響く。
空を駆ける光跡が、夜空の花火のような軌跡を描いた。
「ああっ、腹が立つ! 数が多すぎるだろッ!!」
クリスは吐き捨てるように叫び、銃口を乱射した。
空を覆うノイズの群れが、波のようにうねり、押し寄せてくる。
撃ち落としても撃ち落としても、焼けた灰の奥から次の群れが生まれる。
視界の端で、崩れ落ちたビルが火花を散らした。
その爆ぜる音が、まるで世界の終わりを告げるラッパのように響く。
――ああ、これが“災害”ってやつか。
人が作ったどんな兵器より、よほど理不尽で、救いがない。
だが――本物の天災とは違う。
ノイズには“狙い”がある。
標的を定め、群れで襲いかかる。それだけで、十分に読み解ける秩序があった。
本物ならば、そんなことはあるまい。
災害と言う物は、打算もなく、言葉も話さず、殺さず、動きが読めないものだ。
クリスは空を見上げ、歯を食いしばる。
連続射撃で進路を切り開きながら、僅かな“間”を見出していた。
「……動きにパターンがある。こいつら、標的を絞って来てる!」
叫びと同時に、数体のノイズが一斉に反応し、向きを変える。
予想通りだった。
「行動は読める! 誘導して、まとめて落とす!」
その叫びと同時に、クリスはビルの屋上を強く蹴り飛ばした。
足元が砕け、破片が舞う中、彼女の身体は一気に空へと跳ね上がる。
――空中は、嫌いじゃない。
重力から解き放たれる、この一瞬の浮遊感。
音も、痛みも、重さも、すべて消える。
落ちていくのも、悪くない。どこまでも自由だから。あらゆる感覚から逃れられるところなど、最高だ。
高く跳躍し、頂点へ達した刹那。
クリスは視界の端で、ノイズたちの動きを見た。
群れが――ほんの一瞬、彼女の位置に意識を向ける。
狙い通りだ。
「スナイプッ!!」
轟音と共に、空中から閃光が走った。
あの瞬間のために――この時のために、仕込んでおいた“隠し玉”。
クリスが空へ飛び出したことで、ノイズの群れが一瞬だけ動きを乱す。
彼女を追った個体と、まだ下の標的を見失わなかった個体。
その狭間に――ぽっかりと、空白が生まれた。
そこへ、クリスが放った特大のミサイルが突き抜ける。
雷鳴のような爆発音が夜空を裂き、衝撃波が周囲のノイズをまとめて呑み込んだ。
轟ッ――と、耳を裂くような音が響く。
ノイズの群れが、空一面を覆い尽くすように蠢き、飛び交っていた。
最初の一撃で、確かに“大きな穴”は開いた。
爆炎の余韻が残る空に、わずかな晴れ間が生まれた――ほんの一瞬だけ。
だが、それも束の間だった。
黒い靄のように、ノイズたちはすぐさま再生するように集まり、空を再び埋め尽くす。
ほんの少し人間の猿知恵を搾り出したところで、
対応できるほど――ノイズは甘い“
「チィッ!」
苛立ち混じりの舌打ちとともに、
クリスは迷わず引き金を引いた。
弾丸の雨が空を裂き、ミサイルが本丸――巨大ノイズめがけて走る。
翼もまた、剣を放つ。
無数の刃が光の矢となり、空を貫く。
だが、それでも数が違いすぎた。
群がるノイズが、まるで生きた鎖のように絡みつき、
ミサイルの軌道をねじ曲げていく。
爆炎が上がり、視界が白に染まる。
ミサイルは途中で爆発し、空中分解――。
一瞬、勝負あったかに見えたその時。
「な、ん、て、な♡――デストロイッ!!」
次の瞬間、爆心の中から、さらに大きな閃光が迸る。
直後、天を裂く轟音とともに、ノイズの群れが一斉に蒸発した。
それでも――まだ届いていない。
爆炎の向こう、大型ノイズは健在だ。
「……いや、なんとか届いたな」
呆れたように、それでいてどこか安堵した声で、翼が呟く。
「ああ。全くだ。
本当ならミサイルだけで届かせるつもりだったんだが……
二段階ブーストは保険ってわけだ。結果オーライ、だな」
クリスは息を吐き、わずかに笑う。
焦げた煙が頬をかすめる中、その笑みは不思議と柔らかかった。
「行ってこい――馬鹿野郎」
その一言に押し出されるように、爆炎を突き破って飛び出す影。
「ああああぁぁぁあああ!!!」
衝撃波をまといながら、爆発の衝撃に翻弄され、叫び声を上げながら、立花響が一直線に空を駆け抜ける。
轟音が耳を裂き、熱風が世界を焦がす。
その拳は――確かに、巨大ノイズの目前にあった。
*
「ちょ、ちょっと待ってクリスちゃぁぁぁああん!!」
悲鳴が空気を震わせた。
「うっせえ。黙ってろ。舌噛むぞ」
クリスは淡々と告げながら、響をミサイルに鎖で括りつけた。
背中に積んだミサイルの一つ――。
本来なら響の動きに合わせて連携を取るはずだが、今回はそれを待たない。
これは“保険”であり、半分は――揶揄いだ。
「ちょっ!? クリスちゃん、別に括りつけなくてもいいでしょコレぇ!!」
「
「ちょ、ちょっと!? 硬っ!? なにこれぇぇえええ!!??」
鎖が音を立てて固定される。
響がじたばたと暴れるも、びくともしない。
そんな彼女を見て、クリスは口の端を僅かに吊り上げた。
「……安心しろ。落としはしねぇよ。
ただ、ちょっと――派手にいくぞ
これでお前をあのノイズにまでぶっ飛ばす。
ちょっとの衝撃で離れたらアレだからな。
固定しておくから、安心しな」
そう言いながら、クリスは笑った。
無茶苦茶で、大胆で――けれど、どこか“未来”を見据えるような、まっすぐな笑み。
その瞳の輝きは、かつての彼女にはなかったもの。
立花響にはまだ届かない。
けれど、それは確かに、“大人たち”――弦十郎たちの瞳に近い光だった。
少し前までの彼女からは、想像もできなかった変化。
変わったのか。
それとも――
「……行くぞ。こんなとこで立ち止まってる暇なんざ、ねぇからな」
*
ぐるぐると視界が回る。
重力と爆風が絡み合い、天地の感覚がひっくり返る。
響は空中で体勢を立て直し、目の前の“化け物”を見据えた。
爆炎の中――巨体。
あのノイズが最も高く君臨していたのは、ついさっきまでのこと。
今は違う。
「――ッ!」
拳を握り締める。
空を蹴る。
“地面”なんて無いはずなのに、パワージャッキーが空気を押し潰す音がした。
反発。推進。落下。
その全てが、衝撃のために収束していく。
「―――
必中必伝。咆哮とともに、落ちる。
金色の光が空を裂き、空気が悲鳴を上げた。
命を削るような一撃が、一直線に巨大ノイズの胸に叩きつけられる。
爆光。衝撃。
勢いよく空中から叩き落されたノイズは、そのまま…………
「ッらあッ!!」
「はあッ!!」
地上が、揺れた。
同時に、地上の二人が動いた。
翼の斬撃が閃き、クリスのミサイルが炎の雨を撒き散らす。
三つの軌跡が一点で交わり――
ノイズの巨体が、悲鳴すら残さず崩れ落ちた。
*
「……やった、のか?」
翼の呟きが、沈黙の戦場に落ちた。
返すように、遠くから短く、けれど力強い声。
「ったり前だッ! あたしが仕事したんだ。打ち漏らしなんて、素人じみた真似はしねぇ!」
焦げた匂いと熱風の中で、クリスの声がやけに鮮明に響く。
その強がりが、どうしようもなく安心を誘った。
「やった、やったー! 勝てたのはクリスちゃんのおかげだよー!」
「やめろッ! 何しやがるんだコラァ!!」
響が勢いよく飛びつき、クリスが顔を真っ赤にして暴れる。
翼は、その光景を見ながら小さく息を吐いた。
「……まったく、戦場で騒ぐな。緊張感というものを――」
そう言いかけたが、途中で言葉を飲み込む。
いいだろう。今だけは。
この空気を壊すほど、野暮ではない。
三人は一旦合流し、シンフォギアを解除する。
装甲が解け、光が霧散する音が静寂を取り戻していく。
「勘違いすんなよ。あたしは利害の一致から協力してるだけで、仲間になった覚えはねぇからな!」
クリスが強がるように響を指差す。
翼は苦笑しながら、二人の様子を見守った。
「えー、でもクリスちゃん、もうとっくに仲間だと思うよ!」
響の笑顔に、クリスは何も言えず――顔を逸らす。
「……チッ、勝手に言ってろ」
その横顔を見て、翼はふと微笑んだ。
かつて敵として対峙した少女の背に、確かな“意思”の炎が宿っていた。
これで――一旦は任務完了。
そう感じた瞬間、張りつめていた糸が、ふっと緩んだ。
そのわずかな隙を狙うように、響の端末が強い自己主張を始める。
――なぜだろう。
その音が、誰かの悲鳴のように聞こえた。
胸の奥がざわめき、嫌な予感が喉を焦がす。
響はすぐに端末を取り出し、応答ボタンを押した。
「はい、響です!」
『――響!?』
繋げるなり、耳に飛び込んできたのは、聞き慣れた親友の声。
『響っ、大変なの!! リディアンがノイズに襲われ―――』
言葉の途中で、通信がプツリと途切れた。
その瞬間、頭の中が真っ白になる。
「……………………………………………………………………未来?」
掠れるような声が、唇から零れた。
切迫した親友の声。
そして、見えざる手で引き裂かれたような通信の断絶。
それらが重なって、不吉な予感だけが胸の中で膨れ上がる。
動けない。考えられない。
ただ、意識が沈みかけた、その時――
「おい、馬鹿!」
鋭い声と、肩を叩く衝撃。
現実に、無理やり引き戻された。
「不測の事態が起きたのは理解した。――だったら落ち着け。
必要なのは、感情じゃなく情報だ。あたしも行動する。
ノイズがどこを襲っているのか。それ以外は不要だ。
それだけを、簡潔に答えろ」
短く、鋭い声音。戦場での指揮官の声だ。
その言葉に、響は一瞬だけ息を呑み、それから――迷いのない瞳で叫ぶ。
「リディアン! 私たちの……学校!」
*
時間は少し遡る。
響たちがスカイタワーへと向かってから、間もない頃――二課本部にて。
「……了子君が、いないな」
静まり返った管制室で、弦十郎の低い声が落ちた。
その一言に、端末を操作していたオペレーターが顔を上げる。
「そういえば……先ほどまで確かに観測デッキにいたはずですが……」
「やはりか」
短く返す弦十郎。その声音には、妙な確信と重みがあった。
なにかを悟ったような――そんな色が滲む。
その直後だった。
耳をつんざくような警報音が、静寂を切り裂く。
「っ!? どうした!」
「ノ、ノイズ反応です! 二課の管制網をすり抜けて――リディアン校舎内に出現!!」
「なに……!?」
瞬間、空気が張り詰める。
弦十郎は歯噛みしながら、迷いなく命令を飛ばした。
「すぐに避難要請を出せ! 生徒と職員を、全員地下シェルターへ誘導しろ!
急げ――一秒でも遅れれば、命が消えるぞ!!」
*
リディアンは――ノイズの襲撃を受けていた。
自衛隊が必死に応戦している。
だが、通常兵器は一切通じない。
銃弾は虚空を裂くだけで、ノイズに触れることさえ叶わない。
できることは、ただ一つ。
生徒たちを、逃がすこと。
未来は、その最前線にいた。
「落ち着いて! 慌てずにシェルターへ向かってください!」
自衛隊員に誘導を任せながら、怯える生徒たちをなだめるように声を張る。
額には冷や汗。心臓が早鐘を打っている。
それでも、止まるわけにはいかなかった。
「落ち着いて……! 大丈夫だから!」
「ヒナ!」
呼びかける声に振り返る。
そこにいたのは、いつもの仲間たち。
黒鉄色のショートカット――安藤創世。
長い金髪を揺らす――寺島詩織。
そしてツインテールを揺らしながら震える――板場弓美。
「みんな……!」
「どうなってるのよ!? 学校が襲われるなんて、アニメじゃあるまいし!」
弓美の叫びが、震えた空気を切り裂く。
確かにその通りだ。
ノイズの出現はニュースで何度も見た。けれど――
“学園”が襲われるなんて、今まで一度としてなかった。
「みんなも、早く避難を!」
「小日向さんも、一緒に!」
詩織の声を、未来は首を振って拒む。
「先に行ってて! まだ中に誰かいるかもしれない!」
「ヒナッ!」
創世の声を振り切り、未来は校舎へ駆け戻る。
その瞬間だった。
「君たち、危険だ! すぐにシェルターへ――!」
避難を誘導していた自衛隊員が、走り寄りながら叫ぶ。
だが、その声が最後まで届くことはなかった。
――黒い影が、空気を裂いた。
視界の端で閃光が走り、男の身体に穴が穿たれる。
一拍の間。
黒い、形を持たない、液体のような何かが、教室に降り立った。
それがノイズだと、誰もが本能で理解した。
音が、世界から消えた。
次の瞬間、男の身体が――黒く、崩れた。
まるで炭になったみたいに。
「……え?」
誰かの呟きが聞こえた。
誰も動けない。息すら、忘れていた。
続いて、弓美の悲鳴が爆ぜる。
「――いやぁぁぁあああああッ!!!」
その叫びは、破滅の合図のように校舎中へ響き渡った。
*
未来は、学園の廊下を駆け抜けていた。
靴底が床を叩く。息が熱い。
まだ走れる――さすがに陸上部で鍛えた足は伊達じゃない。
「誰かー! 残ってる人はいませんか――ッ!?」
返事はない。
代わりに、地面が低く唸った。
揺れる床に、思わず悲鳴が漏れる。
窓の外を見た瞬間、息が止まった。
黒い影が、街を覆っていた。
液体のようで、金属のような巨大なノイズが、リディアンの校舎を、紙細工のように押し潰していく。
自衛隊の砲撃が降り注ぐが、弾丸はその身をすり抜け、爆ぜるだけだった。
「学校が……響の、帰ってくる場所が……」
呆然と立ち尽くす未来。
その刹那、窓ガラスが爆ぜた。
ノイズが壁を這い、砲弾のように突進してくる。
逃げられない――そう思った瞬間、強い腕が肩を掴んだ。
「伏せて!」
衝撃。世界が横に弾け、床に叩きつけられた。
息が詰まる。
「うう……あ、緒川さん!?」
「ギリギリでした。次、うまくやれる自信はありませんよ」
面を上げた緒川の目は鋭い。
通り過ぎたノイズが、すぐに方向を変え、再びこちらを狙っている。
「走ります!」
「え、ちょ――!?」
未来の手を掴み、緒川は廊下を駆ける。
「三十六計、逃げるに如かず――です!」
エレベーターの中に飛び込み、扉が閉じるのと同時に、ノイズの影が壁を突き抜けて追ってきた。
その触手が届く直前――
ガタンッ。
重力が一瞬裏返り、エレベーターが急降下した。
光の線が伸び、ノイズの影が視界の上へ遠ざかっていく。
「……ほっ」
未来は思わず息を漏らす。
緒川はすぐに通信機を取り出した。
「こちら緒川。リディアンの破壊は依然拡大中……ですが、未来さんのおかげで、生徒の避難はほぼ完了。これより、彼女をシェルターまで誘導します」
通信の向こうで、弦十郎の低い声が響いた。
『わかった。……気をつけろよ』
「了解です」
指を動かし、通信を切ろうとしたその瞬間――
緒川の目が、モニターの表示に吸い寄せられる。
「……司令。デュランダルの反応があります」
『ーー何?』
「この……二課の中から、です」
短い沈黙。
その沈黙の中に、弦十郎の息が僅かに荒れる音が混ざった。
『……やはり、か。こちらでも、了子君の姿が確認出来ていない』
「……司令の予想通りということですね。了解です。直ぐに私も動き――」
――その時だった。
低く笑う声が、通信の向こうから割り込んだ。
空気を刺すような、冷たい女の声。
「なるほど。今の今まで、デュランダルの反応が出るのを――
私が動くのを、待っていたのか」
緒川の指が止まる。
「随分、察しが良いじゃないか。お前も……弦十郎も」
途端に、ノイズが走った。
――ジジッ、と通信が軋み、音声が崩れる。
次の瞬間、通信は途切れた。
*
二課のシステムが一時的に機能停止していたため、
バックアップも支援も受けられないまま、
三人がリディアンに到着したのは――夜中だった。
空には、大きな月が浮かんでいる。
満ちた光があまりに白く、ともすれば地上に落ちてきそうなほど近く見えた。
「……これは……」
翼の声が、風に溶けるように漏れる。
そこに広がっていたのは、荒れ果てた学園だった。
校舎は瓦礫と化し、グラウンドは抉られ、
焦げた戦車が無造作に横たわっている。
空気は焼け焦げた鉄と油の臭いで満ち、
風が吹くたびに、折れた鉄骨がかすかに軋む音を立てた。
「未来――! みんな――!!」
響が声を張り上げる。
だが、その呼びかけに返るものは、何もない。
夜風が答えの代わりに吹き抜けるだけだった。
膝が、自然と地面についた。
拳を握りしめても、声が出ない。
「……リディアンが……」
翼が呟く。
その声には、怒りでも涙でもない――ただ、
“現実を受け入れきれない”という絶望の色だけが混じっていた。
「落ち着け。取り敢えず、生き残ってる人間がいるか、あたしが確認する。
こういうのは――お家芸だ。
……だが、“最悪”ぐらいは想定しておけ」
クリスの低い声が、夜気の中で鋭く響いた。
その“最悪”という言葉に、響も翼も息を呑む。
彼女が軽口ではなく、覚悟を告げるとき――それは、本当に危険な時だ。
二人とも、わかっていた。
クリスの言う“最悪”が何を指すのか。
それを口にするのが、怖かった。
……そのとき。
風が止んだ。
夜を切り裂くように、月光が雲間から差し込む。
そして、見えた。
「……あれは……」
響が呟く。
翼が、目を細めた。
崩れかけた校舎の端――瓦礫の上に、ひとりの女性が立っていた。
白衣の裾を風がはためかせ、月光がその輪郭を縁取る。
人影というより、幻のように静かな姿。
「櫻井女史……!?」
翼の声が震える。
その名を口にした瞬間、空気が張り詰めた。
彼女――櫻井了子は、ただ微笑んでいた。
まるで――再会を喜ぶかのように。
けれど、その笑みの奥に宿る“何か”が、胸の奥をざわつかせた。
「良かった! 了子さん! 無事だったんですね!」
響の声が夜気に溶ける。
それは、安堵と嬉しさが混じった声だった。
だが。
「待て、立花。何かがおかし――」
翼の声が届くよりも早く。
――ダン。
乾いた銃声が、夜の静寂を切り裂いた。
瞬間、時間が止まる。
月明かりの中、白衣の裾がふわりと揺れ――
櫻井了子の身体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「クリスちゃん!?」
響が叫ぶ。
けれど、クリスは一言も返さない。
銃口は、なおも倒れた了子へと向けられたまま。
その目には、怒りも恐怖もない。
ただ――確信だけがあった。
「……黙ってろ」
鋭い声。
一切の迷いもない。
引き金を引いた者だけが感じる、“終わり”の予感が、
そこにあった。
「一々しょうもない猿芝居をしなくても良い。
この程度で、あたしとコイツらの間にヒビが入るとでも思ったか?
……フィーネ。これは、お前の仕業か?」
銃口を向けたまま、クリスは冷ややかに言い放つ。
その瞳には、恐れも迷いもなかった。
月光が白衣を照らし、死人のような影を床に落とす。
倒れ伏していた櫻井了子の身体が、ピクリと指先を震わせた。
「うっふ……ふふふ……」
抑えきれない笑いが、喉の奥から零れ落ちる。
その声は次第に高まり――
「あは、あははははは――!」
血を流すこともなく、了子の顔が持ち上がる。
その口元は、三日月のように――歪んでいた。