雪音クリスは衛宮士郎に拾われる   作:バースデー

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The End

 

 

金属の擦れる音、瓦礫の落ちる音、風が泣く音――。

静寂の中でさえ、その音は誰の耳にも届かない。

ただ、風に攫われ、夜の底へと消えていった。

 

「ハアッ!!」

 

 ブースターが閃き、翼が宙を駆ける。

 重力さえも斬り裂く一閃は――

 しかし、絡み合う紅の薔薇の壁に、あっけなく弾かれた。

 花弁が散り、光を弾き、金属音が響く。

 その一つ一つが、まるで世界の悲鳴のようだった。

 

「立花、踏め!!」

「ハイ! 失礼します!」

 

 翼の声と同時に、響が背後から飛び出す。

 タン、と軽い音。

 翼の背中を一段の地面として――響は跳んだ。

 

 空気が裂ける。身体を縦にひねり、回転を加え、薔薇の壁の外縁を掠めて滑り抜ける。

 目の前には、もう障害はない。

 フィーネと響の目と目が交差した。

 

 だが、この軌道では辿りつかない。

 

 回り道だ。遠回りだ。このまま進んだとしても、その時にはこの薔薇の壁は、既に彼女の前に立ち塞がっているだろう。

 

「スナイプッ!!」

 

 そこを、無理矢理押し込む。

 響の背後、フィーネから、ちょうど響が影になって見えない位置にいるクリスの放った弾丸が、響の背中を掠め――推進の火花を散らす。

 衝撃が、背を押した。

 痛みと共に、響の身体は一瞬で加速する。

 

 ダン。と着地音を響かせて、響はフィーネの目の前に。

 

「ガング……」

 

 撃ち込む。そう確信して拳を突き出そうとしたが、それは上手くいかなかった。

 

 紅の鞭が走った。

 フィーネの薔薇が咲き乱れ、空を裂く。

 

 蛇のようにうねり、軌道を変えた鞭が、空を裂いて響を弾き飛ばす。

 

「ぐっ――!」

 

「焦んな! まだチャンスはある!」

 

 クリスが滑り込みながら響をキャッチする。

 片腕で抱えたまま、牽制用のミサイルをばら撒く。爆炎が視界を覆い、風圧が髪を引きちぎった。

 

――今、視界は塞がっている。

このまま一度、距離を――

 

「雪音!!」

 

 翼の声に、思考が一瞬で前に引き戻された。

 反射的に振り返る。

 その視線の先に――()()()()()()()

 

「――は?」

 

 ポカンとした、間抜けな声が漏れた。

 理解が追いつくより早く、拳が顎を打ち上げた。

 世界がひっくり返る。骨の軋みが頭蓋に響く。

 

「クリスちゃん!」

「戦闘中によそ見をするなと、弦十郎には教わらなかったのか?」

 

 背中を抉るような肘打ちが、響の身体をくの字に折り曲げる。

 次の瞬間、薔薇の鞭が閃光のように走り、胸を貫いた。

 

「ガハッ!」

 

 赤い滴が宙を舞う。

 フィーネは流れるように回転し、背後の気配を捕らえる。

 そこには、吹き飛ばされたクリスの身体が宙に浮いていた。

 背中から落ちる――その、わずかな隙。

 

 フィーネの姿が、視界の端を閃光のように横切る。

 空気が鳴った。薔薇の香りを纏った風が、殺意に変わる。

 

「そこだ」

 

 回転。踵が空を裂く。

 落下してくるクリスの胴を正確に捉え、骨ごと軋ませた。

 轟音。粉塵が吹き荒れ、視界が白に塗りつぶされる。

弾丸のように叩きつけられたクリスの身体が、地を削りながら止まった。

 

フィーネは振り返る――響に、トドメを刺すために。

だが、そこに彼女の姿はない。

 

「チッ!」

 

……理由を悟る。

「なるほど。そう来るか」

 

目を細めて振り返れば、そこにいた。

弾き飛ばされながらも、伸ばしたアームで響を掴み、引き寄せていたクリスの姿が。

 

「上手くやったな。相変わらず慣れている。……私に弾き飛ばされたのも、退避に利用したか」

 

相手への賞賛をほんの一瞬に留め、フィーネは追撃に移ろうとする。

 

空気が裂けた、その瞬間――

 

「――させん!!」

 

翼が割り込んだ。

刃と刃が擦れ、火花が散る。

 

「健気ね。後輩を守ったのかしら。ほんと、奏ちゃんが死んでから、頑張ったわね」

「黙れ、外道!貴様が奏を語るな!」

 

 

 

翼を挑発するためか、フィーネはわざと櫻井了子の口調を真似て語りかける。

翼が切り返しても、彼女はその“芝居”をやめようとはしなかった。

 

「語るわよ? だって、奏ちゃんは――ただの偶然で装者になった子だもの」

ふわりと笑う。

「私が発掘品を奪うために放ったノイズから、たまたま逃げ延びてね。

 本当なら、死んでいようが生きていようが、どうでもよかった。

 でもガングニールに適合して、最後には響ちゃんみたいな“役に立つ子”まで連れてきた。

 ……こんな健気な子、語らないほうが失礼でしょ?」

 

翼の瞳に、理性の光が音を立てて砕ける。

 

「――貴様ぁぁぁああああ!!!」

 

翼の叫びと共に刃が振り下ろされた。だが、刃が通ったはずの空間は、すぐに歪んで溶けるように消えた。血の匂いだけが刃跡に残り、フィーネの姿は掴めない影となって散った。

 

 

地面に叩きつけられ、世界がふっと小さくなる。視界は粒子のように震え、耳には自分の呼吸だけがやけに大きく響く。

 

「クソッ……意識、飛んでたな。蹴られてる間は、さすがに退屈だったぜ。フィーネに感謝しないとな」

 

 クリスは吐き捨てるように言って、首を振り上げる。言葉は皮肉だが、その目は鋭い。身体中が痛む――だが、動ける。生きている。それだけは確かめねばならなかった。

 

「おい、バカ。生きてるな? 死んでたら容赦しねえからな」

 

 低い声が耳元で言う。振り向くと、響が泥にまみれたままこちらを見ていた。小さく頷く彼女に、響は短く返す。

 

「う……ん。大丈夫。平気、へっちゃらだよ」

 

 その返事を聞きながら、クリスの頭の中では冷たい計算が走る。フィーネは今、翼が相手をしている――だが時間は稼げていない。翼も響も、体力と耐久に限界が近い。ここを突っ切らせるわけにはいかない。

 

強化、付与(トレース・オン)

 

 視力を強化する。

 先ほどは見えなかったが、今度は逃がさない。

 

(ここが、あたしの――命の捨て所でいいのか?)

 

 問いは刃のように胸を刺す。

 答えは――もう、出ていた。

 だが、答えを出したからといって、身体がそれに従うとは限らない。

 クリスは息を吐き、拳を握り直す。血に濡れた掌が、まだ震えている。

 

 

 

「……貴様まで、考え事とは。

少し買い被りすぎたか?」

 

 

 

 その声が、背後から降る。

 次の瞬間、視界が弾けた。

 轟音。背骨を貫く衝撃。

 光弾に叩き飛ばされ、地面を何度も転がる。

 

 

 

(嘘だろ……!? いつの間に、背後に――

空間転移……? まさか!魔法レベルの……魔術だぞ!?)

 

 

 

「驚いているようだな」

 

 フィーネの声が近づく。

 冷たく、嘲るように。

 だがその響きに、クリスはもう耳を貸していなかった。

 

 言葉を拾う。

 分析する。

 この女がどうやって――そんな離れ業を可能にしているのか。

 

 

 

 今、フィーネが口にしている言葉の中に答えはない。

 アイツはそういう女だ。

 答えを言わんとしている時に、決して答えを発せず、ただ相手を惑わせる為だけの言葉を放つ。

 

 そのことは痛いほどよく分かっている。

 

 

答えがあるとすれば、それは彼女が意識せずに零した“何か”。

 あるいは――詠唱。

 

 声。響き。意図。

 そのどれかが漏れた瞬間に、魔術は形を取る。

 

 

 

『――強化、置換、操作、憑依。

 他、十数の魔術式、同時展開。』

 

 

 

 その声を思い出した瞬間、クリスは息を呑んだ。

 強化、置換、操作――どれも、ネフシュタンの動作に関わる基本術式。そこまでは理解出来る。

 だが。

 

(憑依……? 何に、だ?)

 

 脳裏で警鐘が鳴る。

 憑依だけが、他と噛み合っていない。

 “装備の制御”にも、“身体強化”にも属さない。

 それでも、詠唱は破棄されず、今も術の構成に残っている。

 

 ――つまり、それは切り離せない“根幹”だ。

 意図的に維持している。そこに、理由がある。

 

 理解の輪郭が浮かぶほどに、寒気が背筋を走る。

 

「ああ、クソ……化け物め……」

 

 喉が焼ける。息が荒い。

 それでも、脳裏では思考が過熱していた。

 

「立花響! すまん……作戦を誤った!

 コイツは正面から叩く相手じゃねぇ。搦手でいくべきだった。

 コイツの力は――数千年分の経験そのものだ!」

 

 その言葉を吐き出す瞬間、記憶が閃いた。

 かつて、衛宮士郎が語っていた“異常な憑依の理”。

 ――己の前世を、己自身に憑依させる術。

 

 もしもそれが真実なら。

 この女は、櫻井了子になる前の()()()()()を呼び戻し、過去の技法ごと再現していることになる。

 時間による風化も、魔術回路の衰えも関係ない。

 

 つまり――

 フィーネは、数千年という全ての“生”を、力として積み重ねている。

 

(そんなの……人間じゃねぇ)

 

「うるさい、小娘だ」

 

 瞬間、薔薇の鞭が閃いた。

 空気が裂け、喉元を貫く。

 

「ッ、が……!」

 

 血が弾ける。

 それでも、引き金を絞る。

 力が籠もり切らないショットガンが火を吐くが、易々と避けられ――

 

「遅い」

 

 短刀が閃いた。

 胸を切り裂き、肩を、脚を、額を。

 光と血が舞い、世界が反転した――その瞬間。

 

 フィーネの短刀が胸を抉った刹那、クリスの胸孔の奥で、暗い金属の燐光が一度だけ瞬いた。

 それはすぐに消え、血の匂いだけが残る。空気が――凍るように冷たくなった。

 

 ――そして、音が消えた。

 静寂だけが、世界のすべてになった。

 倒れ伏したクリスを、フィーネは冷たく見下ろしていた。

 

「クリスちゃん!!」

 

 響の叫びが、遠く霞んで聞こえた。

 駆け出す彼女を、フィーネは一瞥し――身を翻す。

 流れるような動作のまま、フィーネの身体が揺らめき、次の瞬間、響の視界が地面に叩きつけられる。

 衝撃。

 肺の奥に残っていた空気が全て吐き出され、呼吸が止まる。

 

「アッ……」

 

 痛い。

 声にならない。

 痛い。痛い。痛い。

 

 口の中が鉄の味でいっぱいだ。

 

「まあ、よく頑張った方ではある」

 

 上から降ってくる声は、慈しみのようで、酷く冷たい。

 光のない瞳が、氷のように響を射抜く。

 

「――だが、この状況でも、“お前はお前として戦える”かな?」

 

 フィーネの指先が、顎に触れた。

 氷のように冷たく、震えるほど滑らかな感触。

 まるで“この世のものではない”手触りだった。

 そのまま、響の顔を無理やり上へと向ける。

 

 そうして無理矢理向かされた、その視線の先――。

 

「……翼さん……」

 

 ()()()()()

 

 血に染まる地面。

 倒れていた。防人・風鳴翼が。

 

 手にはまだ刀を握っている。それでも、腕はもう動かない。

 一瞬、見ただけでは気が付かなかったが、彼女の腹のあたりには、大きな円を描いた血の水面が広がっており、それは刻一刻と広がっている。

 

「転移の前に、少し腹を刺しておいた。

 普段なら避けられただろうに。激情に駆られた人間は、案外脆いもの」

 

 フィーネは静かに笑った。

 その笑みは慈悲の形をしていながら、底のない残酷さを孕んでいた。

 

「哀れだと思わないか?」

 

 金の瞳が細まり、艶めく唇が嗤いを形にする。

 響の顔をさらに無理やり横へ向ける。

 先ほどより強い。向きたく無い。そう響が対抗しようとするほど、その力は強くなっていく。

 

 その指先は、優雅で、何より“人間の温度”を欠いていた。

 

「クリスちゃんは、良い線まで行ったけど、それでもダメだったわ。

 分かっていたこと。あの子が私を理解しているより、私の方があの子をよく知っていた。

 ――年の功って奴よ」

 

 その瞬間、響の中で何かが崩れた。

 怒りか、悲しみか、絶望か――もはや区別がつかない。

 

 フィーネは立ち上がり、ゆっくりと腕を広げた。

 背後で、崩れた校舎の瓦礫が青白く脈動する。

 それはまるで、世界そのものが彼女に跪いているかのようだった。

 

「そして――【カ・ディンギル】のエネルギーも、既に満ちた」

 

 風が止む。

 赤い月が、血のような光を地上に注ぐ。

 

「もう、何をしても無駄よ。

 それでも聞くけれど――」

 

 瞳が、金色に染まっていく。

 恍惚とした、恋に落ちた少女のような表情が、響の網膜に焼き付く。

 瞳孔の奥で、何か古い機構が回転するような音が響く。

 

「――まだ、やるか?」

 

 その声は、まるで世界の終わりを告げる鐘のようだった。

 赤い月の光が、地上を、血のような色で染め上げる。

 響の瞳だけが、その中で微かに震えていた。

 

「あ……あ……」

 

 喉が震えた。

 声を出そうとしても、肺が動かない。

 息を吸うたびに、胸の奥で何かが軋む。折れた肋骨だ。わかっているのに、息を止められない。

 

 動かなければ、動いて。動け!

 脳が叫ぶ。神経が命令を繰り返す。

 だが、筋肉が反応しない。

 まるで、壊れたブリキの人形のように。

 若しくは、血の抜けた魚のように。

 

 何も感じない。

 何も掴めない。

 手のひらから、力が零れていく。

 

「……っ」

 

 噛み締めた歯の間から、赤い滴がこぼれ落ちる。

 

 それでも目だけは閉じなかった。

 それだけは、どうしても、できなかった。

 

 ――赤い月が、脈動する。

 フィーネの足元から、魔法陣のような光が幾重にも広がっていく。

 その中心に聳え立つのは、螺旋状に回転する塔――カ・ディンギル。

 光は塔の基部から天へと登り、まるで地と天を縫い合わせる経文のように、空を引き裂きながら伸びていく。

 世界の輪郭が揺らぐ。空気が悲鳴を上げ、耳の奥で骨が軋んだ。

 

 「――始原の声を以て、封ぜられし契を解く。

  統一言語(リンガ・ユニス)

  いま再び、この世界に還れ。」

 

 その声は呪詛であり、祈りであり、審判だった。

 響には言葉の意味が理解できない。

 それでも、その響きだけで世界が軋むのを感じた。

 空が割れ、空気が焦げ、耳鳴りが痛みに変わる。

 

 「やめて、了子さ――」

 

 叫びは届かない。

 塔の先端が、ついに――月と同じ色に輝いた。

 

 「待て……!」

 

 そこで、フィーネの視線が止まる。

 その瞳に、初めて“焦り”が走った。

 

「 ――()()()()()()()()()()()

 

 その視線の先。

 そこには、血に塗れ、倒れ伏す雪音クリスの姿が、()()()()()()()

 

 だが、そこには何も無く、あるとすれば、ただの血溜まりのみ。

 

「ーーッ!!」

 

 初めて、フィーネの姿が焦燥に駆られる。

 分かっているのだ。彼女には。

 雪音クリスをよく知る彼女だけは。

 

 絶対に、彼女を自由にしてはならない。

 

 自由にされた猛獣のいる檻に、自ら入る人間はいない。

 生き物ですらいない。

 

 その愚行を、目的の達成に有頂天になったフィーネは、一瞬、勝利の余韻に酔ったフィーネは。

 犯したのだ、過ちを。本来ならば、彼女が見下すであろう、愚かな人間のすることを。

 

 やがて、彼女は気づく。

 視線の先―― 頂に、赤い月を背負って立つ影。彼女の姿を。

 

 雪音クリスが、神代より魔術と女と死を孕んできた月を背に、ひとり、立っている。

 

 そのクリスの視線、角度、覚悟。

 それを感じ取り、フィーネは焦る。

 

 この小娘は、自分の数千にも及ぶ計画を、白紙に戻すつもりなのだ。

 

 その確信が、世界を凍らせた。

 

「辞めろぉぉぉぉおおおお!!!」

 

 最早、取り繕うこともなく、フィーネは叫んだ。

 

 *

 

 ――音が消えた。

 

 金属の擦れる音、瓦礫の落ちる音、風が泣く音――。

 静寂の中、その音は彼女の耳にだけ届いた。

 

 フラフラと、自分でも不安になるような足取りで、一番高い瓦礫の上に登った。

 

 辺り全てが、よく見える場所に。

 

 ドクン。ドクン。ドクン。

 ……冗談みてぇだ。まだ、動いてやがる。

 

 自分の心臓の音すら頼りなく、それでも動いてくれていることに感謝する。

 

 死体はただ倒れているだけだが、生きているのならなんだって出来る。

 それが幸となるか、不幸となるかはこれからのお楽しみだ。

 

(ここが、あたしの――命の捨て所でいいのか?)

 

 また、頭の中で声がする。

 今ここで死んだとして、何か変わるのか?

 自分が死んだ後に、あの女はどうする?勝てないのではないか?

 

(ここが、雪音クリスの――命の捨て所でいいのか?)

 

 ああ、違う。違う。いいわけがない。

 これはそんな、未来への戦術に関する不安とか、ここで死ぬことの正確性を確かめる冷静さとか、そんなものではない。

 

 これはあたしの、ただの生存欲だ。

 

 まだ、自分にあるのかと驚いたが、そりゃああるだろう。

 だって、生命は死を恐れるものだから。

 それ以上、深い理由は無いだろう。

 

(ここが、お前の――命の捨て所でいいのか?)

 

 鼓動は激しく、勢いよく自分を攻め立てる。

 それで良いのかと、やりたいことはあるのか?とか、明日の上手い飯とか、そう言ったベタなことを言うわけでもなく、ただひたすらに生存欲だけが刺激される。

 

(ここで、死んで良いのか?)

 

 良くはない。良いわけがない。

 雪音クリスだって、人間なのだから。人間はいつ死のうとも、死にたく無いと足掻くものだから。

 だから、良いとは言えない。

 

 だが、それ以外道が無くて、そして自分はその道を自信を持って進みたいと思う。

 

 

 だから、良いとは言えない。

 それでも――あたしは、行く。

 

 崩れた瓦礫の上で、ゆっくりと立ち上がる。

 身体はもう、まともじゃない。

 視界の端が歪んで、骨が軋むたびに、喉の奥で赤い味がした。

 

 それでも、笑えた。

 だって――ようやく、本当にやりたかったことが出来る。

 

 幼いころに、見えていたもの。

 いつのまにか、見えなくなっていたもの。

 

 ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるとは、良く言ったもので。

 

 

 本当にやりたかったことをしようとしても、いつの間にか捻じ曲がって、正解なんて選べなかった。

 ただ、見えなくなっていった。

 

……それでも。

 今は――ほんの少しだけ、見えている。

 

(綺麗な空だな……)

 

 何となく、そう思った。

 最期に、こんな綺麗な空が見えるなんて。

 それだけで、少し救われた気がした。

 

『話せば、きっと分かり合える。

だって私たち、同じ人間なんだよ』

 

 嘘くせぇ……阿呆くせぇ……。

 

 不快で、不快で、たまらない。

 それでも――きっと、あたしが言いたかった言葉だ。

 

 今のあたしには無理だ。

 けど、それでも……託すことは、できる。

 

「……行こう。全部、撃ち抜くために。」

 

――Killter ichaibal tron.

 

 再び、シンフォギアを纏う。

 これで見納めだ。せいぜい、脳裏に焼き付けておけ。

 

 巨大な豪弓が一つ、虚空に現れる。

ミサイルでも銃火器でもない――弓。これが最適と感じるのは、少し悲しい。

 

 シンフォギアは、装者の歌を起点に聖遺物を起動させるもので、歌が消えたら何の力も無いガラクタになってしまう。

 

 自分は多分、弓を撃った時点で死ぬので、矢は別のところから持ってこなければならない。

 

 シンフォギアに頼らない、完全な聖遺物。

 

「まあ、お前に託すか」

 

 かすれた声で笑いながら、

 衛宮士郎の唯一の遺品――干将・莫耶を、一対の矢として番えた。

 

 頼む。せめて目的を果たすまでは、砕けないでくれ。

 

 衛宮士郎から雪音クリスに繋がれ、そして今、彼女の信じる()()に託される思いのように。

 

 矢に、左手を掛ける。

 

「ーーッ!!」

 

 指先が、焦げる。

 熱い。いや、違う。

 これが、“毒”だ。

 

 初めてフィーネから、このイチイバルを渡された時に解析をして、この弓が秘めていた危険性は承知していた。

 

 イチイの木は、神のもの。

 イチイバル――それは本来、“武器”として完成された代わりに、持ち主に毒を流し込む代償の聖遺物だった。

 

 シンフォギアの形で制御している限り、その毒性は完全に封印されている。

 人間が扱えるように“調律”された、いわば制御済みの力だ。

 

 だが、“真名解放”――本来の名を呼び覚ますという行為は、その封印を解き放ち、“本来のイチイバル”を再現することを意味する。

 

 その瞬間、装者の身体は、神の代わりに毒を受ける器となる。

 

 ウルは神であったからこそ、その負荷に耐えられた。

 だが、雪音クリスは人間だ。

 どれほどシンフォギアが補助しようとも、“毒”は確実に肉体を蝕む。

 

 それは、骨の髄を焼くような痛みと、心臓を絞るような震えを伴う。

 使えば勝てる。だが、使えば死ぬ。

 そういう“本質”を持った聖遺物なのだ。

 

「……ったく、どうしようもねぇな。

 死ぬの、何回目だよ……」

 

 一度目に、本来なら父と母と共に、あの場所で死んでいるべきだった。

 それを乗り越え、戦場で衛宮士郎に最期の会話をして、そしてまた死にぞこなった。

 

 何度も何度も失敗して、何度も何度も間違えて、それでも誰かに助けられてきた。

 

 息を吐く。

 目を閉じる。

 風が、冷たい。

 

 でも、もう怖くない。

 だって――あたしは、もう一度、ちゃんと“選んだ”から。

 

 指が震える。

 弓が、軋む。

 義手の感触が、もう痛みにならない。

 

 さあ、最期だ。

 名残惜しさも忘れよう。

 流す曲は、そうだな――“怒りの日”が良い。

 

 

 

 天才の奏でる、荘厳なる一曲よ。

 ただ、何もかもを、この一瞬を――舞台の一端として、面白おかしく、物悲しく、魅せてくれ。

 

ーーEmustolronzen fine el zizzl

 

 歌を歌う。最後の歌を。

 

「っ………。

………つあ、ぁーーー!」

 

 全身に、過剰魔力が走る。

 これまでは、ネフシュタンの鎧で辛うじて制御していた出力だ。

 だが、いまは違う。

 砲門を展開するには、あまりにも回路が足りない。

 

 鎧の代わりに流れ込む魔力は火花となって、血管を、神経を、骨肉を――内側から裂いていく。

 

 

 意識が弾ける。視界が白く爆ぜ、眼球が破裂する。

 呼吸器官は焼かれ、両膝が折れ落ちそうになる。

 

()()()()()()()()()()()!?)

 

「良いに決まってるだろうが、このスカたん!!」

 

 萎えそうな自分を、口先だけで必死に奮い立たせる。

 

「ーーーッ!!」

 

 足元から、圧力が強まる。

 不味い。もう――カ・ディンギルが月を穿つ。

 

「急げ。急げ。急げ……!

 雪音クリス。お前ならやれる。絶対にできる。

 もう、()()()()失敗しない!!」

 

 余りにも 見っともなく足掻く自分を、どこか冷めた目で見つめているもう一人の自分がいる。

 その自分が囁く。哀れだと。こんなところで死ぬべきじゃないと。

 

 振り返りそうになる――でも、分かっている。

 その冷めた“もう一人の自分”でさえ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 分かっている。

 ここで命を捨てさえすれば、全て上手くいくと。

 この道は――間違いじゃない。

 

「――血潮は鉄、心は慟哭。

希望を重ね、慟哭を射抜く。

我が矢は、思いと共に世界を救う。

何者にも縛られず、飛べ!! 魔弓・無窮の虹弓・欠(イチイバル)

 

 矢は真っ直ぐに、夜の闇すら切り裂いて、空に登り、そしてゆっくりと、天に向けられた砲口に向けて落ちていく。

 

「ぐっ……あぁ……!」

 

 何十兆という細胞すべてが燃える痛み。

 宇宙が燃えるような痛み。

 矢と月を穿つ光が、真正面からぶつかり合う。

 

 瞬間、痛みによって加速した思考は一瞬を永遠に変え、穏やかに、緩やかに、

 彼女だったものの記憶を振り返った。

 

『許してくれ。感謝はしてるさ。でも、仕方ないだろ? 俺たちだって死にたくない。

 それに、誰も助けてくれなんて頼んじゃいないか。

 頼んでもいないことをしておいて、恩に思えだなんて、理不尽だ。』 

 

 その言葉を思い出した時、

 ふざけるな、とか、何も知らない癖に、とか、

 そう言った恨み言は少しも湧いてこなかった。

 

 ただ、確かに、ああ、その通りだと。何処か納得したように感じた。

 

 根本的に、誰かを助けるということは、希望を振り撒くということなのだ。

 助かるかもしれない。もう、苦しまなくて良いかもしれない。

 

 それは、とても素晴らしいことかもしれないけれど、同時に、それは助けられなかった時より大きな絶望を連れてくるのだ。

 

 自分は助けられなかった。

 なら、確かにそう言われても仕方ない。

 

「でも、今は助けられた。」

 

 ゆっくりと、光を割き、塔に突き刺さる矢を見届けながら、クリスは呟く。

 

 

 赤い月が砕け、白い閃光が走る。

 音が戻る。風が泣く。誰かが叫ぶ。

 

 だけど、もう聞こえねぇ。

 心臓が、止まった。

 焼けるような痛みと一緒に、世界が遠のく。

 

 ゆっくりと、倒れる視界に映り込むのは、こちらに向けて何かを叫んでいる立花響(バカ)の姿。

 

 ありがとう。

 貴女と肩を並べられたのは、ほんの数時間だけだったけど。

 

 それでも、あたしは終わってしまった“恋”ではなく、始まろうとしていた“友情”の為に死ねるのです。

 こんなに嬉しいことはない。

 

(……あーあ。やっぱり、音が綺麗だな……)

 

 そう思った瞬間。

 雪音クリスの心臓は、完全に崩壊した。

 




 星の降る世界に落ちていく少女。
 どうして、こんなにも輝かしくて、どうして、こんなにも苦しくて。

 それでも、まだ終わったわけではない。
 少女の胸に、輝きがある限り。

 次回『AND……』
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