拳が、フィーネを叩き飛ばす。
「あぐっ……!」
刃による攻撃を想定していたがゆえに、全くの予想外から飛んだその一撃は、フィーネの意識を激しく揺らした。
終わるな。終わるな。終わるな。
こんな程度で終わってなるものか。
自分は過去、何度も何度も殺されてきた。
時代に名を刻む英霊。
決して存在を許されぬ怪物。
名も知れぬ星からやってきた侵略者。
その一体一体が、どうしようもなく強大であり、今、目の前の小娘よりも遥かに脅威であったはずだ。
なのに、なのに。
どうして――どうしてこの小娘に、これほどまで圧倒されている?
恐怖している?
その理由だけが、どうしても理解できない。
「ウオォォォオオオオオアアアアアッ!!!」
その絶叫が空間を震わせた瞬間、フィーネの背後が影のように黒く染まる。
跳躍したクリスの影だと察すると同時、彼女は反射的に後方へ飛び退き、薔薇の鞭を閃かせる。
クリスの視線は、先ほどまで地面に縫い付けられていた。
ならば普通、回避など出来るはずがない。
「
だがクリスには、肉体の双眸とは別の“第三の視界”がある。
解析によって世界の構造を瞬時に読み切る、もうひとつの目だ。
その視界が開いた瞬間――
地面から湧き上がった無数の刀剣が、暴風のように吹き上がり、迫る薔薇の鞭を片端から叩き落としていった。
「ーー何処までも、小癪な小娘め!!」
最早、今手元にある“カード”では、この防御を掻い潜ることはできない。
ノイズは当然のように撃ち落とされ、
ネフシュタンも本質は回復の鎧――攻撃に転じれば心許ない。
ならばどうする?
「──王の蔵よ」
だからこそ、フィーネは新たな一手を切る。
空間と宝物庫を繋ぎ、無数の宝具を自在に取り出すために用いられた、
魔法の域に迫る奇跡の結晶。
その宝具を、この瞬間――自ら破棄した。
「なに──」
クリスがわずかに目を見開く。
相手の行動を逃すまいと距離を取り、次の一手を潰すべく構える。
だが、フィーネはその反応を見て、静かに口端を吊り上げた。
「貴様なら、そうすると思っていた。
雪音クリス……確かに、それは“正解”だ!」
フィーネが蔵の中に腕を差し入れ――
そこから一本の剣を引きずり出した。
黄金に輝く、あの聖剣。
デュランダル。
「──ッ!」
クリスの表情に、明確な焦りが走る。
一瞬で悟ったのだ。
自分が“何を間違えたのか”を。
今、フィーネは デュランダルの永久エネルギー炉 を強引に逆利用し、
その膨大な魔力をソロモンの杖へ上乗せすることで、
本来なら王しか扱えぬはずの“王の蔵”へ接続している。
だが――
その手数がことごとく潰されたのなら、戦略を変えるのみ。
王の蔵の“宝具”ではなく。
王の蔵が保有するエネルギー総量そのもの を使う。
その方法は、クリスの後の先を撃つ妨害すら、真正面から撃ち勝つほどの出力を誇る。
その瞬間。
警鐘。
警鐘。
警鐘。
身体の本能が叫ぶ。
蓄積してきた知識が悲鳴を上げる。
脳内のあらゆる“生存”が赤く点滅する。
──この出力は危険。
──ネフシュタンをもってしても耐え切れる保証はゼロ。
──使用してはならない。
──これは“踏み越えてはならない領域”だ。
「知るか!! 限界を──こえろッ!!」
その警告を、フィーネは――力ずくで踏み潰した。
巻き起こる負荷?
一歩誤れば即死?
――なにを今さら。
数千年にわたる執念と恋慕に比べれば、そんなものは欠伸ほどの価値もない。
恐れる理由が一つも存在しない。
デュランダルと王の蔵が唸りを上げ、白い世界に魔力が奔る。
フィーネは現存する限りのエネルギーを引きずり出し、無理矢理に制御系を解き放つ。
一方で、クリスは――
全身の魔力回路を焼きつぶしながら、今ある全ての魔力を刀剣へと変換する。
投影の詠唱も精度の計算も、もはや贅沢だ。
必要なのは“質”ではなく、“生き残るための一手”。
「……凍結、解除」
考える得る
――ただ、生き延びる。
――ただ、一秒先の生存を勝ち取る。
今は、それだけだ。
「さあ──輝きを見ろ。
消えてなくなれ。これこそ折れることなき、消えることなき
「
全投影、一斉射出!!」
その瞬間、歴史に名を刻んだ無数の宝具と、
ただ一本で全てを凌駕しうる絶対の聖遺物が放つエネルギーは、最高潮へと跳ね上がり──
──ありとあらゆる砲火が、一斉に炸裂した。
「────────」
世界が、割れる。
『デュランダル』の無限出力と、『無限の剣製』から撃ち出される数限りない贋作。
その二つが正面衝突した瞬間、世界はただの“舞台”であることを強要される。
一方に在るのは、人類史という名の連綿たる軌跡──その模造品。
あらゆる概念が入り乱れ、ぶつかり、溶け、砕け、裂け、破れ、また生まれ、朽ちていく。
その“無限”が、究極の“一”に蹂躙されていく。
炎の魔剣は圧倒的な光量に呑まれ燃え尽き、
水の聖剣は蒸発の暇すらなく消える。
光も闇も、特性も系統も、存在理由すら関係なく、ただまとめて呑み込まれ──
世界そのものが悲鳴を上げた。
「おおおおおおおお──ッ!」
喉が裂けるほどの声が迸る。
このままでは──一秒も保たない。
死ぬ。
その確信が、皮膚の内側から噴き出すように全身を満たす。
間に合うのか。
足りるのか。
そんな問いすら、光の奔流に押し潰されそうになる。
「
“
咆哮と共に、クリスは盾を投影した。
薄紫の七枚──否、形を成すより早く四枚へと収束した花弁が展開し、“全ての長距離攻撃を防ぐ”という概念そのものを前へ突き立てる。
だが──
花弁は、一瞬で焼き切れた。
(──いや、それでも“時間”は稼げた。)
さきほどまでは、生き残るために質も選別も捨て、ただ無差別に剣を放つしかなかった。
だが今は違う。
今、花弁が焼き切れるまでの余りにも小さな一刹那。 その極小の時間で、クリスは投影に必要な情報をすでに解析し終えていた。
どこから?
無論、目の前で暴れ狂う“脅威そのもの”からだ。
「──
投影、開始。
本来なら、この無数の剣の丘から唯一“対抗できる刃”を探すのは至難。
だが──そんな悠長なことをしている暇などない。
ならば、選ばない。
探さない。
“脅威そのもの”を、そのまま投影する──!!
「さあ──輝きを見ろ。
消えてなくなれ。これこそ折れることなき、消えることなき──!!」
投影された宝具は、真作には及ばない。
だが今この瞬間、相手の出力は“
ならば、贋作であろうとも勝ちの目は存在する。
「
少女の咆哮が、夜空そのものを震わせた。
贋作という形で結晶化した魔力の奔流が、真作デュランダルの噴き上げる灼熱の奔流と真正面から激突する。
紅蓮と白炎、双方の光が世界を灼き、影を消し飛ばし、地平の輪郭さえ塗り潰す。
高エネルギー同士が衝突するたび、空間が歪み、地面が軋み、草原に突き立つ剣の一本一本が悲鳴のような共鳴を上げる。
そして──
ベキリ、と世界の縁がひび割れる音が鳴った。
固有結界そのものが、二つの“絶対”の圧力に耐え切れず崩壊を始めている。
「限界を超えろ……! “
クリスの腹の底から絞り出すような声と共に、贋作の刃が震えた。
ぴし、と細い罅の走る音。
それは、偽りの聖遺物が内部から悲鳴を上げた証。
次の瞬間、罅は一気に広がり、砕け散る寸前の宝具から、なおも魔力が暴風のように噴き上がる。
悲鳴のように唸りながら、偽りの“デュランダル”が最後の意地を見せた。
砕ける直前の刀身から、真作の火炎をも上回るほどの光刃が放射状に迸り、爆ぜるように広がっていく。
宝具自身を使い潰すことで、そこに蓄蔵されていた全ての魔力を注ぎ込む──
自爆を前提とした、文字通り“剣の寿命を削る”禁断の秘奥。
偽りであろうとも、聖遺物は聖遺物だ。
本来であれば、使い手の肉体も精神も焼き切ってしまう禁術。
だが、今のクリスはそんなことを気にしている余裕など一欠片も無い。
叫びと共に解き放たれたその一撃は、目前で荒れ狂っていた神の火焔を一気に捲り返し──
正面から押し返し、ねじ伏せた。
圧倒的だったはずの光が、贋作の暴発によって弾き飛ばされる。
奔流は進行方向を逸らされ、空気を灼きながら遠方へと吹き飛んでいく。
そして、役目を果たした偽の聖剣は、次の瞬間──
木っ端微塵に四散した。
*
ベキリ。
再び、嫌な音が世界を貫く。
見れば、固有結界のあちこちから、朝の光が差し込むように亀裂が走っていた。
ひび割れの隙間から漏れるのは、紛れもなく外の世界の光。
そろそろ夜が明ける時間だ。
……日が完全に登る頃には、決着はついているだろうか。
そんな考えが胸を過る。
だが、次の瞬間には、剣を握る手に再び力が込められる。
終わらせるのは、これからだ。
「随分と余裕だな。
あそこまでのことをして、
もしやと思うが、そのことが理解出来ていないのか?」
「クソッ!!」
フィーネが再びエネルギーを溜め始めている。
それ自体はおかしくない。問題は──その速度だ。
明らかに早い。
さっきまでの比ではない。
クリスが想定していた“次撃”の充填より、二倍、三倍どころではない。
経験の差か。
執念の差か。
それとも、もっと別の何かか。
クリスには判別できない。
だが、迫る脅威だけは、痛いほど理解できた。
「どうした? 次は耐えられるか?」
「……!」
「無理だな。おまえは耐えられない。
いや──おまえが耐えられたとて、この世界が先に崩壊する!!」
「舐めるな! だったらこっちが先に終わらせるだけだッ!!」
吠えるように叫び返しながら、クリスは両手に魔力を集中させた。
両腕が震える。
魔力が逆流し、血管を軋ませながら奔流の形を取り始める。
限界なんてとうに超えている。
だが──だからこそ、止まる理由など無い。
コンマ一秒の間に、掌の血管が数十本は千切れるほどの負荷。
コンマ一秒の間に、その痛みを正確に認識できるほどの集中。
クリスの右手が、ゆっくりと、しかし確実に掲げられる。
その刹那。
フィーネは、クリスの手に“瞬間ごとに全く異なる剣が握られている”光景を見た。
ただの残像ではない。
過負荷でぶれているわけでもない。
──“投影が追いつかないほどの速度で、次々と最適解を上書きし続けている”のだ。
「──
名乗り上げるのは、白と黒の双剣を握りしめた、ただの少女。
だが、その一振りが世界を震わせる。
指揮者のように双剣を振り払う。
その瞬間、緑の草原に突き刺さっていた無数の刃が、一本、また一本と軋みを上げながら自ら抜け出し、クリスの周囲へと吸い寄せられるように浮遊し始めた。
風を裂き、空気を震わせる音。
ただそこにあるだけで、世界そのものを削るような圧。
──だが、それだけでは終わらない。
空間には何も存在していないはずなのに、そこから剣が“生まれた”。
輪郭も前触れもなく、ただ“必然”として出現し、湧水のように列へと加わっていく。
空間に剣が現れる。剣が現れる。剣が現れる。剣が現れる。剣が現れ、剣が、剣が、剣、剣剣剣剣剣剣剣剣剣剣────。
瞬きする間に、数十の剣が整然と宙へ並び立つ。
神話の残滓。
英雄譚の影。
歴史に埋もれた無銘。
炎、雨、力──この世界にあるあらゆる“刃”が、少女の背に従うように集い、揃う。
その全てが、たった一声で牙を剥く。
世界を砕く“戦車砲”と化し、次の瞬間──解き放たれた。
「ってえ! やっさいもっさい!!」
叫びと同時、空間そのものが爆ぜるような圧力。
百や千、万や億──いや、そんな矮小な数値では断じてない。過去も現在も未来も、並行世界を含め、人類が生み出し、携えてきた戦うための刃が一斉に唸りを上げる。奔流は限りなく膨れ上がり、全てを巻き込むようにしてフィーネへと収束していく。
「ノイズ共よ!!」
奔流を前にして怯むことなく、フィーネはノイズを呼び出す。彼女の選択もまた、質より量を優先した生存戦略だ。
「──行け!!」
クリスが率いる“人類の軍勢”と、フィーネが操る“呪いの群れ”。睨み合う二つの軍勢が、それぞれの究極を解き放つ。
──ありとあらゆる砲火が、一斉に炸裂した。
「────────」
すべてが悲鳴を上げ、世界が軋む。
『ソロモンの杖』により呼び出されたノイズと、『
撒き散らされた破壊が作り出す景色は、すべてを呑み込む「黒」だった。砕かれた贋作宝具から噴き出す諸相の魔力が、ノイズの撒き散らす呪詛と混ざり合って毒の霧となり、世界を覆っていく。
何もかもがぶつかり、消えていく──終末の光景。
そんな黒一色の只中で、クリスはただ前へ進んでいた。
視界は黒に染まり、轟音と禍々しい閃光が肉を刺す。呪いの風が皮を引き裂き、砕けた剣片が皮下へと食い込み、魔力の残滓が焼きつくす。だが彼女は歩みを止めない。牙をむいた獣のように、血煙を振り払いながら、ただ前へと踏み込んでいく。
(これしきで止まるかよ……!)
黒の奔流を蹴散らすように、彼女はなお進む。その一歩ごとに、奔流は僅かに押し戻される。刃を掴む指先は血でぬめり、呼吸は荒れ、心臓は今にも胸を突き破りそうに暴れている──それでも、彼女は歩みを止めない。
きっと、今フィーネは自分を見ていない。
この魔力の奔流の果て、そのさらに奥底を踏み越えて迫る“自分”を、見えていない。
そう信じて、ただ前へと突き進んだ。
「──なっ!?」
その驚愕に染まる表情を見た瞬間、胸の奥がほんの僅かに冷え、そして澄んだ。
投影したのは、巨大な大剣。
もはや自分がそれを引きずっているのか、あるいはその質量に引きずられているのか――そんな感覚すら曖昧なほどの一撃の“形”。
「余所見を、したなァァアアアアアアア!! フィーネ!!
喰らっとけ──!
一息の間に、九つの連撃が閃光のように走った。
──激突。
「”
上段からの切り下ろし。
大上段から叩き割る唐竹割り。
横薙ぎの一閃。
足元からえぐり上げる斬撃。
斜め上からの一撃。
正面からの刺突。
左右、上下、あらゆる方向から放たれた九つの斬撃が、ほぼ同時に一点へと集中する。
それは、まさしく神速。
意識が追いつくより前に、フィーネの身体は吹き飛ばされていた。
「……それが、どうしたッ!!」
空中へ弾き飛ばされながらも、フィーネはクリスを真っ直ぐに見据えていた。
その視線の先には──彼女自身が握る、無尽のエネルギー炉・デュランダル。
「既にエネルギーは満ちた!
もう、
デュランダルには、確かに凄まじい力が収束している。
彼女の言葉は虚勢ではない。
このままでは世界そのものが、次の一撃に耐えられない。
ならば──!
「ーーーッ!!」
クリスは右手を高く突き上げた。
やけになったわけではない。
その握られた手の中には、短剣が確かに存在している。
「
あらゆる魔術を“初期化”する、最強の対魔術宝具。
今の彼女が掲げるのは、過去の決別とも言えるそれだ。
展開した瞬間からずっと寄り添っていた、あの気配も──
そのすべてを、この一瞬で振り切った。
ーー良いのか?
問いかけなど、とうに終わっている。
無論だ。
過去にしがみつく必要など、もうどこにも無い。
自分は、前へ進むと決めたのだから──未来へ向かって。
*
「ーークリスちゃん!!」
強烈な反動とともに、世界がねじ切れたような感覚が走り、クリスの身体は元の世界へと叩き返された。
足が大地を踏んだ瞬間、視界が揺れ、地面がぐらりと回転するような酩酊が脳を刺す。
奇跡に奇跡を重ねて突破した反動――その代償なのだろう。
だが、今の彼女にそんな理屈を整理している暇などない。
ただ、耳に届いたその声が。
沈みかけていた意識を、氷水に飛び込んだかのように一気に覚醒させた。
「ーー来るぞ! 構えろ!!」
叫ぶと同時に、クリスは右手を鋭く掲げた。
その先に渦巻くのは、いまだ勢いを増し続ける破滅的エネルギーの奔流。
世界を焼き尽くすその光は、もはや止まる気配すらない。
「先に世界を壊したところで、何になる!!
このエネルギーごとだ……貴様らも、その背後の“目撃者”どもも……灰すら残さず消し炭にしてくれるわ!!」
フィーネが咆哮し、頭上へ掲げたデュランダルが太陽のように輝きを増す。
その光に宿ったのは、怒りでも憎悪でもない。
ただ、逆鱗に触れた者へ下される、冷酷無比の断罪。
「逆さ鱗に触れたのだ……
覚悟は、とうに出来ておろうな……?」
「フィーネ……」
「行きましょう! 翼さん! クリスちゃ──」
「ーー待て!!」
飛び出そうと身を沈めた二人を、クリスの声が鋭く制した。
「あたしがどうにかして、アイツの攻撃を
その刹那に……お前らは全力で、あいつの撃ち出す攻撃にぶつけろ。」
迫る時間の刃に背中を押されながら、クリスは淡々と告げていく。
だが、言葉は明らかに早口だった。
間に合わず、フィーネのエネルギーが溜まり切れば――その瞬間に全てが終わる。
だから絶対に、僅かな猶予すら無駄にできなかった。
あと十秒は持つはず。
いや──先ほどの一撃はソロモンの杖の余剰エネルギーを上乗せしていた。
本来より溜まる速度は鈍っているはずだ……そう、計算していた。
「──そう、思っていたのか?」
「ーーー!?」
その声に、空気が一瞬で凍りついた。
エネルギーが溜まっている。
しかも──先ほどを遥かに凌ぐ、常軌を逸した速度で。
なぜだ。どうしてだ。
ソロモンの杖は、そこに蓄積された魔力は彼女が確かに使い切ったはず。
ならば考えられるのはただひとつ。
別の魔力リソースを新たに得ている──その事実。
幾つもの仮説が脳裏をよぎる中、クリスはひとつの“正解”に辿り着いた。
「まさか……テメェ……」
「気づいたか? そうだ。二課の聖遺物の管理者はこの私だ。
魔力を蓄えたものが眠っているのなら──例えば、そうだな。立花響が回収した願いを叶える願望器であろうとも──使わぬ理由があるまい?」
フィーネの魔力の流れを凝視する。
その身体の一点。
そこに、常識を踏み越えた魔力の“濁流”が凝縮していた。
「テメェ……まさか
「──その通りだ!
フフフ……ハハハハハハハハハハ!!!」
その瞬間、フィーネの肉体が膨張し始めた。
皮膚は破れ、剥き出しの筋線維のようにねじれ、脈打ち、その醜悪な質量は際限なく肥大していく。
五メートル。十メートル。二十メートル──それでも止まらない。
五十メートルを超えたあたりで、蠢く肉塊はようやく“形”を得始めた。
頭部も、手足も、胴体も、どれひとつとして人の造形を留めていない。
ただ“人型”という外枠だけが残り、他の全ては壊れた神話の残骸のように歪曲した。
完全なる「怪物」が、そこに誕生した。
「お前らァ! 時間がないぞ!
──頼む。あたしを信じてくれ」
自分でも驚くほど必死に、クリスは絞り出すように声を上げた。
こんな勝手ばかりの自分を、本当に信じてくれるのか──そんな不安すら口に滲む。
「「了解ッ!!」」
返ってきた答えは、あまりにも迷いがなく、あまりにも早かった。
「……随分と簡単に信じたな。
──良いのか?」
「勿論! だって、友達だもん!!」
「先ほどからずっとお前を信じて動いているんだ。
無論、これからもそうするとも」
翼と響の瞳は、一点の曇りもなくクリスを見ていた。
その確かな光が、彼女の胸の奥に火を灯す。
ほんの少しだけ、目の前が霞んで見えた。
「作戦会議は終わったか? 今さらどう足掻こうが無駄な話だがなァッ!!」
咆哮とともに、怪物の全身から無数の光刃が放たれた。
それはノイズの群れ──そして、もはやそれだけではない。
「来るかッ、小娘どもォ!!」
刃は横に並ばせ、収束し、回転し、星の臨界光を孕み始める。
黒色の怪物は、頭部に集束させたそのフレアを抱え込み──
「■■■■■■■ッ!!」
宇宙の始まりを思わせる爆ぜる閃光を、一気に解き放った。
闇を蹂躙する暴虐そのものの光が、瞬時に彼女たちを飲み込もうと迫りくる。
「投影、開始」
クリスはその瞬間、自身の体内時間を極限まで加速させた。
世界が止まったように錯覚するほどの刹那を延長し、永遠に偽装する。
検索。選出。解析。投影。
それが雪音クリスの役割。
三度目の投影──
生身を削り尽くす魔術。
だが、この怪物を止めるにはこれしかない。
「──ッ!!」
不安もある。
恐怖もある。
満身創痍の今、自分は先ほどと同じ投影を発動できるのか。
そもそも、聖杯を燃料にしたこの光の奔流は、自分の想定を超えているのではないか。
「I am the bone of my sword.」
だが、自分は言われた。
信じるのだと。それならば、やらねばならない。
この瞬間で、最良の選択肢を持って彼女達を勝たせてやらなければならない。
「“熾天覆う七つの円環《ロー・アイアス》”ッ!」
最強の盾が、最強の殲滅光へと真正面から突き立てられる。
『ガ───!』
衝突の瞬間、突き出した上腕が軋み、骨が震え、神経と筋肉と血管が一斉に悲鳴を上げた。
左腕は弾け飛びそうなほど痙攣し、クリスは右手でそれを必死に押さえ込む。
「Emustolronzen fine el baral zizzl──」
「───el zizzlッ!」
詠唱の余韻を震わせる彼女の背後で、もうふたつの気配が爆ぜた。
限界ぎりぎりの防御で踏みとどまるクリスを護るように──ふたりの少女が飛び込んでくる。
「
「絶刀——天羽々斬!!」
赤と蒼。
想いを刃に変えた二つの光が、怪物の放つ黒い極光へと激突する。
衝突の瞬間、空間が震えた。
一瞬の均衡が砕け、巨圧が揺らぎ──
黒い暴圧が砕き散らした四枚羽が、火花のように宙へ舞う。
そして次の瞬間──夜の闇は、爆ぜる白光に呑まれた。
光の幕越しに、一瞬だけフィーネの影が射抜かれたように視界へ映る。
だが、それも僅か。
その隙も、聖杯という無限のエネルギーを抱えたデュランダルであれば、あっという間に埋め尽くしてしまうだろう。
「クリスちゃん!!」
「──雪音!!」
響と翼が、崩れかけた彼女の両手を強く掴んだ。
それは迷いなど一欠片もない、ただ“信じる”者の手だった。
「——任せろ!」
クリスの短くも確かな言葉。
その意志を受け取り、二人は力の全てを込めて──
「「──行ってこい!!」」
彼女を、未来へ。
灼き尽くす光のただなか、“前”へと押し出した。
*
「──雪音、クリスッ!!」
「応。呼んだか?」
ただ、それだけの言葉の応酬。
けれど、その一声で二人の魔力は共鳴し、爆発的に膨れ上がる。
クリスの背後には無数の刃が生まれ、空気を切り裂きながら軌道を描く。
対するフィーネの周囲では、黒い呪詛──ノイズが泡立つように湧き上がり、咆哮と共に形を成す。
「一瞬、エネルギーが緩んだ隙にここまで来たか?
だが、それでどうする。限定解除を施したシンフォギアであれ、この出力に耐えられると──」
「だから、一瞬で終わらせる。
具体的に言えば、
空気が裂ける。
熱狂そのものが爆ぜる音がした。
剣と呪いがぶつかり合い、両者の中間に存在するはずの“壁”は、もうどこにもない。
両者とも、自らの身で全てを受け切り、全てを叩きつける構え。
「投影、開始」
避けも、防御も、退路すらない。
だからこれは、純粋な殴り合い──
力と力が正面から衝突する、最終決戦だった。
「──終わりだァァァアア!!」
フィーネの咆哮が空間を震わせる。瞬間、山をも砕く巨大な腕が一直線にクリスへ迫った。
「──ッ!!」
即座に投影した剣を足場にし、彼女は空へ跳ね上がった。
空中に不自然に生まれた一枚の刃を蹴りつけ、その反動だけで身体を無理やり浮かせる。
迫り来る巨腕は、まるで天を落とすような質量の塊。
クリスは空中で体を強引にひねり、身を裂く風切り音とともにそれを紙一重で躱した。
視界の中心──“それ”が見えた。
巨体の胸部、明らかに魔力が淀み渦巻く核の一点。
あそこを穿たなければ、勝利はない。
一瞬の隙、腕へと着地。
クリスは歯を食いしばり、巨腕へ、そしてそのまま胸部へ向けて疾走する。
「させるかッ!!」
フィーネの叫びとともに、怪物の肉体が膨れ上がる。
内部で悲鳴のような音を立てながら、その肉は形を変え──
無数の鞭となって爆ぜた。
黒い肉鞭がしなり、振り下ろされる。
それは警察の立ち入り禁止テープのように空間を区切り、蜘蛛の巣のように絡み合っては前方への道を完全に塞いだ。
逃げ場など、どこにもない。
「投影。」
短い一声と共に、クリスの右腕に蒼白い光が収束し──
弓が形を取る。
次の瞬間には、湾曲した刀身が“矢”としてその弦に番えられていた。
ギチリ──ッ。
限界まで引き絞られた弦が悲鳴を上げる。
視界には肉の蜘蛛の巣が無数に揺らめき、その向こう側で脈打つ“胸の核”だけが赤々と輝いている。
クリスはそのわずかな直線軌道を選び抜く。
そして──放つ。
一撃。
「行けッ!──屈折延命《ハルペー》!!」
矢となったハルペーは轟音すら置き去りにし、一直線に突き進む。
回復阻害の逸話を宿す刃は、肉の網を文字通り切り裂き、
怪物の胸へと突き刺さった。
「壊れた幻想《ブロークン・ファンタズム》!!」
直後、炸裂。
肉壁が弾け飛び、空気ごと震える爆ぜる音が戦場に散った。
「──ガッ!」
破裂した肉塊の奥から、フィーネの姿が露わになる。
その胸には、未だ禍々しく光を放つ聖杯が抱えられたまま。
「終わりだ! フィーネ!!」
怯んだ、その一瞬。
緩んだ拘束を見逃すはずがない。
クリスは破片の嵐を蹴り抜き、砕ける肉の網を強行突破し、なお前へ──ただひたすら、前へと突き進んだ。
「貴様ああああああああああああああ!!」
フィーネの咆哮が炸裂し、青い光が奔流となって降り注ぐ。
だがクリスは止まらなかった。
青き鉄槌が空を割り、地を抉っても──その細い身体は、ただ一直線に前へ。
飛び散る魔力の雨を掻い潜り、焦げる肌の痛みを振り払う。
その手には、陽光を凝縮したかのように輝く黄金の剣。
――フィーネへ届けば、それでいい。
「コレでえええええええええええ……最後だあああああああああああッ!!」
金と金が激突する。
クリスの握る黄金の刃と、フィーネが抱える
金属同士がぶつかっているだけではない。
概念と概念、願いと願い、殺意と信念が衝突している音だ。
「随分と……互いに相容れんな……!」
フィーネの声は怒りと嘲りの混じった震え。
だがクリスは一切退かず、歯を剥いて叫んだ。
「そりゃあ──最初からだッ!!
あたし達が“混ざり合う”ことなんて、今まで一度だって──
あるわけねぇだろうがッ!!」
二つの黄金の剣が噛み合い、空間が軋む。
世界が、二人の衝突を中心にひび割れ始めるほどの圧。
最初に会ったのは、誰も名も知らない何処かの地であった。
何処か相容れず、それでも最終的に生きていない、別々の一人の男の為に戦った二人。
一人はその男の亡霊を追い続け、過去の残滓に縛られたまま世界を呪い続けた。
もう一人は、死者ではなく——未来に、生きる誰かのために戦う道を選んだ。
その差は、あまりにも大きかった。
だからこそ今、二つの刃は決して混ざり合わない。
「──憑依経験、共感……完了」
呟きが漏れた瞬間、クリスの眼差しが変わる。
眼の奥で、確かな“軌跡”が点火するように光を宿した。
再び、鋼と鋼がぶつかり合い、爆ぜるように火花が散る。
その一合目で、フィーネは自らの失策を悟った。
硬い。——いや、“堅い”。
先ほどまでの荒々しく粗削りな剣筋ではない。
力の入れ方、伝わり方、さらには力の“受け流し”までが、別人のように洗練されている。
たった一瞬で、まるで別の戦士が乗り移ったかのような変質。
何が起こったのか。
どうして変わったのか。
フィーネがその答えに辿り着くよりも早く——
デュランダルが弾き飛ばされ、手首に激痛が走った。
音が遅れて聞こえるほどの鋭さで、衝撃が骨の芯まで響く。
「ぐッ……!? 貴様、何を……!」
ただの少女が振るった一撃。
だというのに、今のそれは間違いなく“英雄”のそれだった。
フィーネが理解する間もなく、クリスの足元に風が巻き起こる。
次の一撃が——来る。
「──
アーサー王伝説の幕開けを飾り、
あの男が“英雄”へ至る最初の礎となった、始まりの宝剣。
その刃が生まれた瞬間、空気が震えた。
フィーネが回避動作に移るより速く。
迎撃の呪いを構築するより速く。
クリスの身体が弾丸のように踏み込み、
黄金の剣は、躊躇も、迷いもなく——
フィーネの心臓を、真正面から貫いた。
それは体重を全て乗せた渾身の刺突。
どれほどの呪いを積み上げようと、防げる性質の一撃ではない。
避けられない。
受け止められない。
凌ぎようもない。
その瞬間——フィーネは敗北した。
口から噴き出す赤が、空中にひどく鮮やかに散った。
「……随分と、呆気ないものだな」
力の抜けた声で、フィーネはぽつりと呟く。
「最悪だよ。ここまで積み重ねた計画をぶち壊されるなんて……
こんな経験、今まで一度もなかったわ」
その身体の末端から、ぽろ……ぽろ……と崩壊が始まる。
それはきっと“代償”なのだろう。
自身の身を削り続けた無茶への報い。
あるいは、王の宝具を模造し、力として振るったことへの罰。
どちらにせよ、逃れられない終わりが、静かに、しかし残酷に迫っていた。
「最後に一つ、良いだろうか?」
「──何だ? 負け惜しみか?」
「そうだ」
「ハッキリ言ったな」
一瞬だけ、胸の奥で警戒が灯る。
“最後に何か仕掛けてくるかもしれない”という戦士としての本能が、わずかに顔を覗かせた。
だが、その懸念はすぐに霧のように消えた。
同情か。
それとも——この女は、敗北した以上、卑劣な手を使うような真似はしないと、どこかで確信していたからか。
いずれにせよ、クリスはその問いを、あまりにも自然に、あまりにも素直に受け入れていた。
「何故、私は負けたのだろうな。
力も速度も技術も、そして知識も……すべて私が勝っていた。
なのに負けた? 何故だ」
「何だ──気づいてなかったのか?
ああ、いや……気づいてないなら当然か。
気づいてたら、お前は負けてねぇよ」
その問いに、クリスはわずかに眉をひそめた。
戦いの最中、確かに胸の奥に引っかかっていた“違和感”。
苛立ちと、ほんの少しの親切心……そして、多分ほんのわずかな憐れみ。
きっと、これは“八つ当たり”ではない。
ただ、言うべきことを言うだけだ。
「お前……あたしと戦ってなかっただろ」
「──は?」
フィーネの瞳に露骨な困惑が宿る。
もはや四肢も消え始め、身体は静かに崩落し続けているというのに、その表情だけは妙に人間的だった。
クリスは息を吐き、肩をすくめる。
うん。勿体ぶっても仕方ねぇし、さっさと言ってやろう。
「アンタはずっと──“あたしじゃない、もっとデカい誰か”と戦ってた。
その“誰か”を殺すつもりで振るった攻撃は、そもそも“今のあたし”に当たるはずがなかった。
……こんなとこだろ?」
*
『ほう、不老不死か。
我が旅に出ている間に、実に大きくなったものよ。
だが──そんなものを手に入れたところで、貴様が満たされるわけでもあるまい』
『黙れ!! 元を辿れば……元を辿ればすべて貴様のせいだ!!
不死の妙薬など探しに行かなければ……国を放り出してさえいなければ……
あのお方に、私の声が届かなくなることも無かったッ!!』
『ふむ……国を空けたのは、まあ悪手ではあったな。
シドゥリの助けがなければ、どうなっていたことか……』
『ふざけるな!!
そんな事はどうでもいい……私は、私は必ずあの御方の“意思”を……!』
『フン。くだらん。
貴様のやっていることは、人としてあるべき全てを投げ捨て、
エンキめの“生”を泥で覆うような真似だ。
道化としてはこれ以上ないほど様になっているがな』
*
それが──彼女の“最初の死”だった。
なるほど──確かに、と思った。
彼女の戦い方は、どこか“彼の王”に酷似していた。
だが、明確に違っていた。
もし本当に“彼の王”だったなら。
あの時、自らの世界を壊してまで誰かに縋ることはなかっただろう。
フィーネへ切りかかるその一瞬にしても、あの王ならば決して選ばない手だったはずだ。
その、わずかな“ズレ”。
積み重なった予想の狂いと、王との決定的な差。
そのギャップこそが──彼女の明暗を分けたのだ。
「ハハハ……。まったく、これほど“つまらない幕切れ”もあるまいな……」
身体が崩れる。
命が崩れる。
自分という形を保つものすべてが、砂の城のように音もなく崩落していく。
その感覚を、フィーネは確かに味わいながら、ゆっくりと膝を折った。
「お前の勝ちだ……。
私は――憎んだ“誰か”をお前に重ね、勝手に投影し……
肝心のお前自身を見てもいなかった。
そんな私に、勝利が与えられるはずも、なかった……」
静かに、静かに、吐息のような声で言い残し――フィーネは目を閉じた。
誤った形で思いを継ぎ続けた自分と、思いを抱えて
その“差”が、あまりにも残酷なほど明確だった。
残された肉体は、最後の形を保つことなく、さらさらと崩れ落ちていく。
崩壊の中心へ、クリスは歩み寄った。
剣を握る手は震えているのに、その足取りだけは揺るがなかった。
そして――崩れ落ちた“そこ”に、静かに黄金の剣を置く。
「……おやすみ。」
たったその一言だけが、彼女に向けられた唯一の弔いだった。
雪音クリスは、それだけをすると朝日の昇る背後へと歩いていった。