雪音クリスは衛宮士郎に拾われる   作:バースデー

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嬉しいので感想もどんどん送ってください。


誓いは風の中に

「トレース……オン」

 

 クリスが道端に士郎から渡された紙切れに向けて、手を翳す。

 風が止まったような一瞬。

 空気が緊張を孕む。

 

「良いぞ。そのまま魔力を流すんだ。

 一本、一本、紙の繊維を意識しろ」

 

 衛宮士郎の声は落ち着いていて、どこか温かみを含んでいた。

 それが逆に、クリスの焦りを煽る。

 

「……ッ、んなの、言われたって……!」

 

 噛みつくような声とともに、手のひらが微かに震えた。

 

 次の瞬間──

 パチリと鋭い音と共に、紙片が小さな火花を散らして破裂する。

 パラパラと舞い散るそれを見ながら、クリスは仰向けに地面に体を投げ出す。

 

「クッソ!!なんで、こんなもんも出来ねぇんだよ……!」

 

その背中には、悔しさと、自分自身への苛立ちが滲んでいた。

 

 士郎は黙ってその様子を見つめ、やがてそっと言葉を重ねた。

 

「……そう落ち込むな。俺が初めて魔術に触れたときなんて、魔力を通せるのに一週間かかったんだ。

 紙を爆ぜさせるだけでも、十分すごいさ」

「慰めなんて、いらねぇよ……」

 

 クリスは顔を上げなかった。

 でも、その声には、どこか拗ねた子供のような苦さが混じっていた。

 

 衛宮士郎は、魔術をクリスに教え始めてから口調がほんの少しだけ柔らかくなった。

 と、言うよりは本来の彼を出す様になった、と言うべきか。

 

「慰めてるんじゃない。

 事実を言ってるだけだよ」

 

 そう言って、士郎はふっと笑った。

 どこか懐かしむように、静かに、優しく。

 

「俺にも、教えてくれた人がいた。

 そいつに比べれば、俺の教え方なんて拙いもんだが……

 ……でも、お前は俺よりもずっと早く、形にしてる」

 

 その言葉に、クリスがわずかに顔を上げる。

 

「魔術ってのは、根性や筋力でどうにかなるもんじゃない。

 けど……“叶えたい願い”がある奴ほど、強くなれる」

 

 士郎はそう言って、紙の切れ端をそっと拾い上げた。

 

「お前には、誰かを守りたいって気持ちがある。それが、何よりの力になる」

 

 クリスはしばし沈黙し、やがてぽつりと呟いた。

 

「……そんな綺麗ごとで、あたしはもう救えなかった人間がいるんだよ」

「そうかもしれない」

 

 士郎の返事は即答だった。

 慰めでも否定でもない、ただ事実を受け入れるような声音。

 

「でも、それでも前を向こうとしてる。

 なら、十分だろ」

 

 その一言が、じわりと胸に染みる。

 クリスは、少しだけ目を伏せ、そして立ち上がった。

 

「……もう一回だ。やらせろ」

「ああ。重要なのは、物質の構造を正確に理解すること。

 そしてもう一つ、自分の中にある魔術回路を、きちんと意識することだ」

 

 衛宮士郎の声は、落ち着いている。

 それは単なる指導の言葉ではなく、自らも何度も壁にぶつかってきた者の“確信”に裏打ちされた声音だった。

 

「魔術回路は、誰にでもあるものじゃない。

 けど、お前が魔術を使えてる時点で、確かにお前の中にはそれが存在してる。

 だから、必ずできるさ」

 

 その言葉に、クリスは瞼を閉じた。

 

 ──あたしの中に、そんな力がある?

 

 信じられないような、不思議な感覚だった。

 だが、それでも士郎の言葉は、どこか妙に胸に落ちる。

 

 彼は言っていた。

 魔術回路に魔力を流すために必要なのは、“イメージ”だと。

 

 ──銃身に銃弾を装填するように。

 ──心臓から全身へ、身体が宝石が変質していくように。

 

 それは、魔術師それぞれが持つ“自分だけの回路起動の鍵”。

 精神の中に築いた儀式のようなもの。

 

 魔術とは、人の在り方に根差すもの。

 だからこそ、それを動かすには、自分の奥底にある衝動を引きずり出す必要がある。

 

「……集中、集中……」

 

 静かに息を吐く。

 さっきまでの苛立ちも、不安も、全て振り払い――

 

 意識を、内側へ沈めていく。

 

 見えないはずの自分の体内が、次第に明瞭になっていく。

 

 ──血管の網。

 ──リンパの流れ。

 ──神経の繊細な接触。

 

 そのすべての間に、確かに“それ”はある。

 

 魔術回路。

 

 目に見えない、けれど確かに自分の一部として存在している“管”たち。

 

 その数、幾百、あるいは幾千……

 いや、きっとそんなに多くない。

 もっと少ない、それを選別する。

 全身に静かに広がる、“力”の道筋。

 

 「……見えた……」

 

 クリスは微かに、唇の端を吊り上げた。

 

  

──それは、まるで胸の奥に小さな音叉が鳴ったような感覚だった

 例えるなら、昔やっていた演奏の場で、いともたやすく口から美しい音階が溢れている時のような、そんな感覚。

 

 これが、あたしの中にある──“可能性”。

 

 それを掴もうと、そっと意識を伸ばす。

 

 ──その瞬間だった。

 

「エミヤ、人が来た!」

 

「うおっ!?」

 

 思いきりひっくり返る。クリスの背中が砂を跳ね上げた。

 

 一瞬にして、集中が霧散する。

 内側から響いていた感覚は、まるで手のひらの水のように、すっと消えてしまった。

 

「クッソ……もうちょっとだったのに……」

 

 ぶつぶつと文句をこぼしながら、クリスは声のした方へ目をやる。

 

 そこに立っていたのは、小さな難民の少女。

 このキャンプでは見慣れた顔だ。

 

「……誰だかわかるか?」

 

 士郎が淡々と尋ねる。

 

「知らない。でも……軍人じゃない。そんな歩き方じゃないし」

 

 少女の声は、どこか空虚だ。

 感情を殺すことに慣れすぎてしまった声。

 傷ついた現実に、感情を持つ余裕も失ってしまった、そんな響きだった。

 

 何も考えないことだけが、生き残る手段。

 ここでは、それもまた“正しさ”の一つになってしまっている。

 

「……わかった」

 

 士郎は静かに立ち上がり、砂を払う。

 

「クリス、行くぞ」

「ん。……ああ、もちろんだよ」

 

 立ち上がるその横顔に、未だ燃える苛立ちと、諦めきれない意志が残っていた。

 

 *

 

 

「……なあ、あれって……」

 

 壁越しに覗き見た向こう。砂埃の中に、整った制服姿がいくつも並ぶ。

 その一団を見たクリスの顔が、僅かに強張る。

 

「ああ、日本人のようだな」

 

 士郎がぼそりと呟く。

 声は低く、しかしどこか探るようでもあった。

 

「……まさか、あたしを連れ戻しに来たんじゃ……」

 

 言いながら、思わず唇を噛む。

 口に出して初めて、自分の中に湧いたその感情に気づく。

 

 ――嫌だ。

 なぜなのかはわからない。

 でも、今はまだ戻りたくなかった。

 

 この場所で過ごした日々。

 あの瞬間、紙切れの中に見えた“可能性”。

 それがもう少しで掴めるような気がしていた。

 

 だから、あの瞬間がただの幻だったなんて、思いたくなかった。

 今ここで、すべてを終わらせたくなかった。

 

「……っ」

 

 言葉にはせず、ただ無言で士郎の顔を見つめる。

 祈るような視線だった。頼む。今は、行かせないでくれ。

 

 士郎は、それを一目見てから、溜め息をひとつだけついた。

 

「……はあ。そう心配するな」

 

 いつも通りの調子で、軽く言う。

 

「お前にも結構、助けられてるからな。

 ……うまく誤魔化しておいてやるよ」

 

 その言葉に、クリスは目を見開き――そして、そっと息を吐いた。

 

 ……とは言え、向こうの目を誤魔化せるほど、士郎は器用ではない。

でも、きっと何とかしてしまう。そんな気がしてしまうのは、たぶん──

  信じたくなったから、だ。

 

 心のどこかが、ふっと軽くなった気がした。

 

 *

 

 

「I’m sorry, but do you have a moment?」

 

 砂埃の舞う陽炎の中、一団の中から一人の男が前に出る。

 英語で話しかけてきたその声は落ち着いていて、威圧するような気配はない。だが、背後に控える者たちの立ち姿が、それとなく彼の“格”を示していた。

 

「ああ、日本語で大丈夫ですよ」

 

 士郎は肩の力を抜いたまま、柔らかく返す。

 

 その瞬間、男の表情が一転する。

 

 驚いたように目を瞬かせ、そして、ふっと口元が緩んだ。

 

「……ああ、そうでしたか。てっきり、通じないかと」

 

 どこか安堵した様子でそう呟く男に、士郎も小さく笑みを返す。

 

 ――まあ、無理もないな。

 

 銀というより白に近い髪色。

 陽に焼けた肌と、鍛え上げられた巨体。確かに、初見で“日本人”だとは思われにくい。

 

「ここに来る前は、日本にいたんです。言葉くらいは忘れませんよ」

 

 軽く肩をすくめる士郎の口調には、穏やかな自嘲と、どこか遠くを見つめるような気配が混ざっていた。

 

「そうでしたか。それは失礼を……」

 

 男は一礼しかけて、ふと言葉を切る。

 

「申し訳ない。名乗りが遅れました」

 

 姿勢を正し、真っ直ぐに士郎を見据える。

 

「俺は――風鳴弦十郎と言います」

 

 その名は、風のように静かに、しかし確かな存在感を持って士郎の胸に届いた。

 

 *

 

 

「……ったく。士郎の野郎、大丈夫かな……」

 

 衛宮士郎と離れ、ぽつりと独り言を漏らしながらキャンプの外れを歩くクリス。

 不安が胸の奥をわずかにざわつかせる。

 

 あの日本人の一団――何者かは知らないが、もしも自分が“雪音クリス”だとバレたら。

 下手をすれば、日本に強制的に連れ戻されるだけじゃ済まないかもしれない。

 それに、士郎にも迷惑がかかる……そんなのは、絶対に嫌だった。

 

「……チッ。余計な心配させやがって……」

 

 けれど、思い出すのはさっきの士郎の言葉。

 

 「お前にも、結構助けられてる」

 

「……ま、悪い気はしねぇな」

 

 自分が支えられるばかりじゃない。

 自分も誰かの力になれている。

 そのことが、ほんの少しだけ、心を軽くする。

 

 不意に、口元が緩む。

 

「ふふっ……ふふふっ……」

 

 ほんの少しだけ笑ったつもりだった。

 それなのに。

 

「やっほ〜♡ なぁに、そんなに嬉しそうに笑っちゃって~。もしかして、恋バナの途中だったかしらん?」

 

「ぎゃああああああ!?!?」

 

 まるで影から湧いたかのように背後に現れた声に、クリスは跳ねるように悲鳴を上げた。

 振り返れば、そこにはグラマラスな茶髪の女が、悪戯っぽい笑みを浮かべて立っていた。

 

「……誰だ、てめぇ」

 

「そんな怖い顔しないでよ、お嬢ちゃん。ちょ〜っと興味が湧いただけ♡

 だってさ、あんなに優しい顔で笑ってたんだもん。

 ねえ、好きな人のことでも考えてたのかしら?」

 

「なッ……な、なな、何言ってやがる!? 誰が士郎のことなんか!!」

 

 慌てて手を振るクリス。

 思わず名前を口にしてしまい、舌打ちする。

 

「っつーか、ちげえからな! あたしは通りすがりの魔法使いで、日本人でもねえし!

 このキャンプも……まあ、なんとなくいただけだ!」

 

「あら〜? そうなの?」

 

 女はにっこりと微笑みながら、目だけは一切笑っていない。

 

「でもね――ここを探すの、すっごく大変だったのよ。

 正規のルートじゃ入れない、かなり特別な場所だから。……ふふ、安心して。国連にはまだ報告してないわ」

 

「……アンタ、何者だよ」

 

「それを答えるには……もうちょっと仲良くなってから、かな♡」

 

 言い終えると同時に、女は突然、クリスの耳元で言葉を放つ。

 

「Эй, ты, чистокровный из музыкального мира――」

 

 音の響きは柔らかいのに、どこか冷たくて背筋がぞくりとする。

 聞いた事がある。母方の言語。

 そこで告げられていたのは……

 

「ね、“音楽界のサラブレッドちゃん”♡」

 

 ――完全に、名指しだった。

 しかもその“呼び方”は、決して外の人間が知るはずのないものだ。

 

「……っテメェ……!」

 

 クリスの顔から、笑みが消える。

 

 

「ふふふ。心配しなくても、あなたのことは弦十郎君たちには言わないでおいてあげるから」

 

「……本当、だよな?」

「ええ♡ もちろん」

(嘘くせえ……)

 

 突如現れたこの女――その言葉、仕草、雰囲気。

 妖艶で、軽薄で、どこか底知れない。

 

 クリスが今まで出会った誰とも違う。

 正直に言えば――最も、得意じゃないタイプだった。

 

「それじゃあ、私からも質問してあげるわ。

 貴女、こんなところで何をしているのかしら?」

 

「……なんで、そんなこと答えなきゃなんねえんだよ」

 

 警戒心をむき出しにして睨みつけるクリスに対し、女は軽薄な笑みを崩さない。

 その無邪気さが、逆に不気味だった。

 

「だって、ガールズトークをするには、まずお互いのことを知らなくちゃ♪」

 

「ふざけてんのか?」

 

「ふふふ、ごめんなさい。でもね、気になったのは本当。

 どうして貴女はこんな所で、そんなことをしてるの?

 さっさと日本に帰ってしまえばいいのに?」

 

 女の声音はどこまでも柔らかい。

 だが、その奥にある意図は読みきれない。

 

 それでも――クリスは答えた。

 

「……あたしは、世界から争いを無くしたいんだよ。

 誰も、傷つかないように。

 たとえ、誰かを傷つけることになっても……な」

 

 一瞬、女の笑みが深まる。

 

 そしてその瞳が、ほんの一瞬――金色に、妖しく光った。

 だが、クリスが目を凝らす前に、それは元の色に戻っていた。

 

「それは――不可能よ」

 

「……は?」

 

「だって、人類は“呪われている”んだもの」

 

 その言葉だけが、空気を凍らせた。

 

「……なんだよ、てめぇ。

 “人類の原罪”とか、そういう話か?

 悪いけど、あたしはそういう神様ごっこには興味ねえんだ」

 

 吐き捨てるように言ったクリスに、女――櫻井了子はくすりと笑う。

 

「ふふふ……まあ、今はそれでいいわ。

 私の名前は“櫻井了子”。

 とりあえず、今日は()()()()だけ教えておいてあげる」

 

 軽く手をひらひらと振りながら、女は背を向ける。

 

「また会いましょうね、可愛い無知な女の子♡」

 

 その声は背を向けたまま、なおも楽しげに響いた。

 

 女が立ち去ったあとも、空気の温度はしばらく戻らなかった。

 

――人類は、呪われている。

 

 その言葉だけが、耳の奥で何度も、嫌になるほど反響していた。

 

「……構うもんか。あたしは、あたしにできることをやるだけだ……!」

 

 思わず、声に出していた。

 自分に言い聞かせるように、必死に。

 

 確かに揺らいだ。了子の言葉はどこかで、心の隙間に爪を立ててくる。

 

 けれど――それでも、それが“全て”だなんて思わない。

 

 衛宮士郎が見せてくれた景色は、どこまでもまっすぐで、美しかった。

 彼は今も人を救い続けている。

 その手で助けられた人たちは、きっと彼を心から大切に思っている。

 

 それが……衛宮士郎がいる限り。

 この世界は、きっと変えられる。

 あたしは、きっと希望を持ち続ける事が出来る。

 

 たとえどれだけ呪われていたとしても――

 

 いつか、きっと。

 

 今よりも、もっと優しい世界にできるはずだから。

 

 

 

 

 *

 

 焚き火の明かりがちらちらと揺れ、静けさの中に薪がはぜる音だけが響いていた。

 その向かいに座る風鳴弦十郎は、腕を組みながらも真っ直ぐに衛宮士郎を見据えている。

 

「……あなたの話、随分と現実離れしてますね」

 

 魔術。聖遺物。秘匿された異能の技術体系。

 常識で測れば、すべてが荒唐無稽だ。だが、弦十郎の顔には迷いはない。

 

「だが……」

 

「信じるんですか?」

 

「信じるというより、放っておけない」

 

 彼はふっと視線を遠くにやった。

 どこか、過去の痛みを思い返すように。

 

そう言った弦十郎の瞳は、あくまで真剣だった。

 

「日本でも、似たような“構造物”が発見されています。扱いを間違えれば、災害では済まない……

 君の話が事実であれば、これまで黙認していた側にも責任はあるでしょう」

「……なるほど」

 

 士郎は軽く頷いた。少なくとも、信用してもよさそうな相手だ――そう感じた。

 

「私にそこまでを話して、後悔は?」

 

 弦十郎の問いに、士郎は少しだけ空を仰ぐ。

 青空の広がる昼下がり。どこか遠くで子どもたちの声が聞こえる。

 

「ありません。……俺は、“魔術使い”であって、“魔術師”じゃないので」

 

「その違い、説明してもらおうか」

 

「“魔術師”は、真理のために人命を切り捨てることも厭わない。合理主義の塊です。

 でも、俺は……目の前で泣いてる誰かを、見過ごすことはできない」

 

 短く、静かな言葉だった。だが、その芯は揺るがない。

 

「魔術は力です。危険でもあるが、使い方次第で人を救える。

 だから――それを悪用しないで済むなら、多少のリスクは背負う覚悟があります」

 

 弦十郎はしばし黙したまま士郎を見つめた。

 

 その目は、ただの理想主義を見抜こうとする視線。

 だが、士郎はその視線を正面から受け止める。

 

 やがて、弦十郎はふっと息を吐いた。

 

「……どうやら、君は信用に値するらしい」

 

「それは光栄です。あなたもまた、“ただの軍人”じゃないようですね」

 

 互いの立場は違えど、その根底にあるものは似ていた。

 

「協力は惜しまない。ただし、あくまで正義の名を借りて暴走するような真似は……」

「しませんよ。そんなものは――俺の信じる“正義”じゃない」

 

 士郎が言い切ると、弦十郎はほんの僅か、口元を緩めた。

 

「……なら、安心だ」

 

 テントの奥で、風が静かに布を揺らす。

 陽光は強く、空はどこまでも青かった。

 

 

 

「一つ、聞いてもいいか」

 弦十郎が腕を組んだまま、静かに問いかける。

「君は……どうしてこんな場所で、人を救おうとしている?」

 

 その問いに、衛宮士郎はほんのわずか目を細め、遠くを見た。

 思い出すのは、あの夜の炎。喧騒。そして、願いの果てにあった静けさ。

 

「昔、約束をしたんです」

 

 ぽつりと漏らすように言う士郎に、弦十郎が片眉を上げる。

 

「約束?」

 

「はい。誰かを助けるって。正義の味方になるって。――そんな、子どもじみた夢でした」

 

 士郎は笑った。自嘲とも、懐かしさともつかない、複雑な表情。

 

「昔……とても奇妙な戦争に巻き込まれました。

 歴史には絶対に残らない、けれど確かに人が死んだ“戦争”です。

 その中で俺は、誰かを助けたくて、夢を貫こうとした。だけど――」

 

 言葉を一度、切る。喉が詰まるように。

 

「……結局、何も掴めなかった。

 確かに友情はあったし、大事なものも手にした。けど……

 肝心な“気づき”だけは、最後まで得られなかったんです」

 

 語る士郎の声には、焦燥とわずかな悔いが混じっている。

 その感情を、彼は自分で正しく扱いきれていない。

 

「だから……気がついたら、日本を飛び出していた。

 正義の味方って、どこかに正解があるもんだと思ってたから。

 外に出れば、もっと大きな正しさがあるって、そんなふうに思ってたんでしょうね」

 

 士郎は少し肩をすくめて、苦笑した。

 

「笑える話でしょ。理想に殴られて、その意味もわからないまま、俺は逃げたんです。

 でも、それでも誰かを助けたいって思ってる。……たぶん、まだ負けを認めきれてないんでしょうね」

「いや、まさか笑おうとは思いませんよ。

 貴方のしてきたことは――この場所が、それを証明している」

 

 弦十郎の声は静かだったが、そこに偽りの色はなかった。

 衛宮士郎はその言葉に、ふと目を伏せる。だが、その表情には確かな安堵の気配があった。

 

 ――その時。

 

「あら? 弦十郎君?」

 

 軽やかな声が、風に乗って届いた。

 振り返ると、茶髪のグラマラスな女性が、明るい笑みを浮かべてこちらに歩いてくる。

 その歩みは柔らかで、どこか猫のように気まぐれだった。

 

「了子君か」

 

 弦十郎がわずかに眉を動かす。

 士郎は答えず、静かに了子を見据えた。

 

 二人の視線が交わる。空気が張り詰めた。

 

 ――この女、ただ者じゃない。

 

 了子は肩をすくめて歩み寄ると、弦十郎の隣に立った。

 

「ねえ、彼の話、ちょっと面白かったわ。魔術なんて単語、聞き捨てならないもの」

「何を聞いた」

 

 士郎の声が低くなる。

 了子は楽しげに微笑んだ。

 

「偶然よ。聞こえちゃっただけ。隠す方が悪いんじゃない?」

「そうか。なら、これ以上話す気はない。知りたいなら、彼に聞けばいい」

 

 士郎は視線を外す。

 この女とは、視線を合わせたくなかった。

 合わせて仕舞えば、自分の中にある全てが見透かされてしまう。

 そんな、千年を生きる妖怪と相対したような、不気味な感覚を衛宮士郎は感じていた。

 

 

「ふふ、冷たいのね」

「まあ、後で詳しいことは俺から話す」

 

 弦十郎がそう言って軽く頭を下げる。

 

「それじゃあ、今日は世話になった」

 

 彼は待機していた部下たちを呼び、了子を伴ってその場を離れていく。

 砂漠の風が、静かに吹き抜けた。

 

 

 *

 

 焚き火の明かりがちらちらと揺れ、静寂の中に薪がはぜる音だけが響いていた。

 その側に座る雪音クリスの頬に、揺れる火光が影を落とす。

 

 地を踏みしめる足音が近づき、衛宮士郎がゆっくりと腰を下ろした。

 

「今日は……悪かったな。あんなことまでさせちまって」

 

 バツが悪そうに呟くクリスに、士郎はただ穏やかな笑みを返す。

 

「なあ、クリス」

 

「あ?」

 

 不意の呼びかけに、クリスはぽかんと顔を上げる。

 士郎の方から話しかけてくるなんて、今までにほとんど無かった。

 だからこそ、これは――何か大切な話だと、彼女の直感が告げていた。

 

「……俺は昔、正義の味方に憧れてた」

 

 士郎はゆっくりと火を見つめながら、言葉を紡いだ。

 

「いや……今も、ずっと憧れてるんだと思う」

 

「なんだよ、いきなり。藪からセンチメンタルか?」

 

 肩をすくめるように言うクリスに、士郎は微笑を浮かべる。

 その笑顔が、なぜか胸を締めつけた。

 まるで――それは、何かを悟った人間の顔のように見えたから。

 

「約束なんだ。叶えられなかった奴の代わりに、俺がなるって誓った」

 

 静かに、けれど確かな口調だった。

 

 クリスは、思わず口を噤む。

 その言葉には、どこか危うい香りがあった。

 まるで――自分のすべてを、たったひとつの理想に捧げてしまったような。

 

「だけどさ、どうにも“正義の味方”ってのは……大人になると難しいみたいで」

 

 苦笑を浮かべながら、士郎がつぶやく。

 

「なあ、クリス――」

 

「……それ以上、言うなよ!」

 

 思わず、声が漏れていた。

 夜の静寂を破って響く、強い、けれど震える声。

 

「お前は……あたしの、あたし達の……正義の味方だ」

 

 言葉が、喉の奥からこぼれるように続く。

 

「お前が助けてくれなかったら……あたし達は、今でも暗闇の中にいたんだ。

 そんなふうに、誰かを救ってくれた奴が……正義の味方じゃないわけ、ないだろ……!」

 

 気づけば、頬を伝う涙。

 泣くつもりなんてなかった。なのに、止まらない。

 

「お前は、誰が何と言おうと、正義の味方なんだよ……!」

 

 言葉にこめられたのは、かつて誰にも届かなかった、自分自身の叫びだった。

 

 士郎は、少しだけ目を見開いて、そして――ふっと、静かに笑った。

 

「……そうか。済まない」

 

 それは、どこまでも優しい微笑だった。

 

「ありがとう。クリス」

 

 その微笑みを、絶対に忘れまいと――

 雪音クリスは、心の奥深くに誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その夜。世界の輪郭から、ひっそりと隔絶された場所にて。

 

 都市の明かりどころか、星すら届かない、地下深くの石造りの空間。

 ひび割れた祭壇の上に、ひとりの女が腰を下ろしていた。

 

 白磁のような肌、年齢の定まらない美貌。

 その姿は人のようでいて、人の域を明らかに逸していた。

 

 名を持つなら、それは既に捨てられたもの。

 今この世に存在する理由はただひとつ――想いを成就させるため。

 

 揺れる蝋燭の灯りが、古びた柱と濡れた床に妖しく影を落とす。

 女は静かに目を細め、吐息のように呟いた。

 

「……衛宮士郎、ね」

 

 声は甘く響くが、底知れぬ冷たさを孕んでいた。

 

「まったく、何処の誰が投げ込んだか。

 この盤上に異物を滑り込ませるとは、つくづく“余計”な真似を」

 

 背後に控える黒服の男が、沈黙のままひざまずく。

 

「御命令を。いかがいたしますか」

 

 女はしばし思案するように唇に指を添え――やがて微笑んだ。

 それは慈悲に見えながらも、死を告げる天秤の片側に等しかった。

 

「排除しなさい。手段は問わない。ただし、“あの娘”には指一本触れさせないこと」

 

 黒服の男は深く頭を垂れる。

 

 “あの娘”――雪音クリス。

 その肉体に流れる血と因子こそが、女にとって最大の価値を持つもの。

 正確な刻限で、正しい“形”に導くためには、今はまだ不可侵の駒に他ならない。

 

「私の目的は、いずれ必ず果たされる。

 それはもう、何千年も前に定められたこと。……この世に抗うことなど、誰にも許されない」

 

 その双眸が、幽かに金に染まる。

 

 瞬間、蝋燭の灯が一斉に吹き消された。

 音もなく訪れる闇が、冷たく地下を包み込む。

 

 それは、静かなる宣戦。

 衛宮士郎が灯そうとする“光”に、深く、執拗に迫る影の気配だった。

 




読み手に共感させつつ、くどくないようにするって難しいですね。
次かその次位の話には状況を動かしたい(願望)
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