遅れました。ここから、現代編に(少し強引に)移行します。
双蛇の会話
空白。
その時間に、敢えて名前を付けると言うのなら、人はそれを空白と呼ぶだろう。
時間にすれば、夜と深夜の調和境界。
決して人の記憶に残ることが無く、その時間に目を向ける人間は決して存在しない。
だが、確かに存在している。
そんな時間。
人々は既に帰路に付き終わり、開いている店など殆ど無い。
人の気配が消えた街では、動物すら寄りつこうとしない。
歪んだ形で空を刺すビル群は、誰のためでもなく、ただ光を撒き散らしている。
「嘗ては、世界はこうも狭くは無かった。」
そんな街中を、二人の女が歩いて行く。
一人は雪のような透き通った白い髪をした少女、もう一人は金色の髪に黒いサングラスを付け、決してその容貌が見えないように、ある種の“武装”をした女。
空白の時間は、誰も目を向けないからこそ、通常とは違った種類の人間が現れる。
ある意味では下衆で、ある意味では下等。
だが、また別の意味では、彼らほど純粋な人間もいない。
少なくとも、サングラスをかけた女はそう思っていた。
「へへ……」
金の指輪や、何の為に付けられたのかも分からない、刺青の刻まれた、浮浪者の様な男達が笑みを漏らす。
男達の視線は、執拗に彼女たちを追っていた。
あたかも、手に入らない宝石を盗人が値踏みするように。
男達は、表に出る事を嫌う人間だ。
爪弾きにされたのか、自ら堕ちたのか――いずれにせよ、彼らにとって女たちは、あまりに眩しかった。
彼らにとって、自分たちは“狩る側”だった。
この路地も、空白の時間も、自分たちの縄張り――そう思い込んでいた。
……だが、そこが誰の領域だったのか。
踏み込んだ足元が、地面なのか奈落なのかさえ、彼らは理解していなかった。
「夜っていうのは、もともと“恐怖”だった。
闇が怖いから神話を作ったくせに、今の人間はそれを忘れた。
今の夜は、ただの演出よ。光で塗り潰しただけのまがい物。
これじゃあ、奥行きも、深さもない。
ーーわかる?クリス」
女――フィーネは、冷淡な声でそう言い放つ。
「チッ!」
男たちは、その視線に無意識に苛立ちを覚える。
その女は、自分たちを“人間扱いしていない”と、直感だけで理解した。
金色の女は、呆れたように男達を見据える。
男達にとっては、その在り方は持つ必要の無いプライドを酷く損なう物だった。
男たちは女二人を取り囲み、浅く笑っていた。
その笑みは浅く、嗤いとしても力を欠いている。
彼等はただ、自尊心を守るために動いた。
思考ではなく、それはもはや習性に近しい物だった。
だが、道を行く少女にとって、それは無意味で、愚かな挑発にすぎない。
そうして、一人が踏み出した瞬間。
女の傍らで、何も言わずに佇んでいた白髪の少女が、手にした杖を振り上げた。
「
少女――雪音クリスが静かに呟き、振り上げた杖を地面に向けて一閃。
杖の一閃と同時に、鈍い緑色の風圧が路地を駆け抜けた。
男たちは目に見えない衝撃に突き上げられ、地面から離れ、鉄の塊のように壁へ叩きつけられる。
「ぎゃあッ!!」
男達は壁に背中を打ちつけ、意識を飛ばす。最早彼等は呻きも、言い訳も、もう口にはできまい。
「……全員、寝てろってんだよ」
クリスはため息混じりに言い捨て、杖を肩に戻した。
「まったく。大切な完全聖遺物を、そんな雑に扱うとはね」
フィーネはわずかに眉をひそめ、クリスに視線を向ける。
「アンタのくだらない話を、あんな連中に聞かせる気だったのか? 正気じゃねえな」
クリスは苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てる。
その声に、フィーネはくすりと小さく笑ってみせた。
*
「それで、一体これからどうするつもりなんだ? フィーネ。」
クリスは、足元の男の顔を容赦なく踏みつけると、吐き捨てるように言葉を放った。
フィーネは、クリスの姿に嘲るような笑みを浮かべる。
「ソロモンの杖? 完全聖遺物?笑わせんな。
シンフォギアなんて物が生まれたって、争いは消えやしなかった。」
クリスは足元の男の顔から足を離すと、フィーネに向けて冷たい声を投げかける。
「……なあフィーネ。
あたしが、まだお前に付き合ってる理由――ホントにあると思うか?」
フィーネは、クリスの苛立ちに何一つ反応を示さない。
ただ、彼女の問いに淡々と答えた。
「ええ。心配しなくても、その杖は私の……そして貴女の目的への足がかりでしか無いんだもの」
フィーネは、夜風に髪をなびかせながら、一瞬だけ目を細めた。
夜風に揺れるその輪郭は、容貌こそ見えないが、怪しく、そして美しい。
「もっとも、今は政府がその力を握ってるのだけどね。
でも、それも長くは続かせない」
そう言うと、フィーネはクリスに向けて資料を投げ渡す。
その紙はザラザラとした分厚い質感で、いかにも国家機密の書類らしい重みがある。
「んだ?これ」
怪訝な顔を隠すことなく、雪音クリスはその書類を覗き込む。
そこには、幾多もの理解するには難しい数式と、一つの剣についての図式が書き込まれている。
「……デュランダル? ローランの歌、完全聖遺物……」
「そう。そこに書いてあるのは、政府が管理している、完全聖遺物の情報。
まだ日本政府はそれを起動できてはいないのだけど、私達には使い道があるわ」
クリスは、フィーネの言葉を話半分に聞きながら、資料を走るように読み進めていく。
「で、これは何だ? 力は分かった。
……だがよお?あたしに一体何の得がある?」
クリスの疑問にフィーネはニヤリと笑みを浮かべる。
その笑みは、まるでクリスを讃えているかのようだった。
クリスはその姿には何も言わずに、ただ機械的に質問の答えを待ち続けている。
「永久機関よ。減らず、枯れず、尽きることのない力。
それさえあれば、装者の火力は天井知らず。神の与えた奇跡すら、模倣できる。
――貴女の好きな“火力”の話よ」
「………つまり、その無限のエネルギー炉を使わせてやるから、アンタの目的は詮索するなってか」
クリスは皮肉げに笑う。
その瞳の奥には、怒りでも不満でもない、ただ冷たい諦念だけが座っていた。
「構わない。
それで。
アンタの目的は、あたしの目的とは違う。
だが、あたしの邪魔をするわけでも無い。
なら、構わない。どんなことだって、その結果として多くの血を流したって。
それが……
少女の諦めと同時に前向きな言葉。
その在り方を、フィーネはまるで毒蛇のような瞳で見詰める。
彼女とはあくまでも利害の一致による同盟関係だ。
彼女とそれ以上、関係を深めるつもりは無いし、それ以上に関係を深めることが、いかに危険かを知っている。
フィーネは、クリスの横顔を一瞥し、思う。
その瞳は、空虚だった。
彼女の瞳は薄膜を張ったかのように、感情の色も熱もなく、ただ透明な光を宿している。
まるで、意味も感情も捨てきった空白――伽藍の洞。
何も映さず、何も語らない。ただ、そこに在るだけ。
フィーネはその光を知っている。歴史のどこかで、何度も見たことがある。
――破綻者。
感情も倫理も、とうに脱ぎ捨てた。
善も悪も価値を持たない。
――ただ、正しさだけが彼らを動かす。まるで、ロボットの振りをした人間。
恐ろしく、そして厄介。
人間でありながら、人間性を脱ぎ捨てた者たち。
敵に回すべきではない。だが、味方にしても安心できない。
今の同盟は、あくまで現状での最善の手段にすぎないだろう。
「おい。それで、あたしは何をすれば良い?
まさかとは思うが、……政府に攻め込め、なんて言わねえよな?
ま、やってやってもいいけどよ。そんな真似しても、アンタが欲しがってる“お宝”は手に入らねぇだろうがな」
クリスが、唐突にフィーネの思考を打ち切らせるように、言葉を放つ。
彼女からすれば、いきなり目の前で考え事に吹かれるのは不快だったのだろうか。
それとも、必要以上にフィーネと関わり合いになるつもりは無いのだろうか。
「ソロモンの杖で、少し騒ぎを起こしてちょうだい。
二課の近くで何度か――“意図的”にね。
そのことが、馬鹿でも気づけるように」
フィーネは音もなく手を楽団を指揮する指揮者のように振るいながら、クリスな向けて指示を出す。
「了解。……まあ、こっちも試しておきたいことがあったしな」
クリスは、なんてことのないように答える。
「それと、ノイズの討伐に出てくる装者のうち――ガングニールの方を捕えなさい。
彼女には、融合症例として“使わせて”もらうわ」
そう言いながら、フィーネはクリスに向けて、銀色のアタッシュケースを投げ渡す。
「これで、言いたいことは全てよ。
……まったく、手間のかかる計画よね」
「何、苦労人ぶってんだよ。
やるのは全部、あたしなんだからな」
それだけを口にすると、クリスは踵を返し、夜の闇に向かって行く。
都市の光は煌々と灯っていた。
……ただ夜だけが彼女を呑み込み、光はその姿を捉えることなく過ぎていく。
まるで、初めから存在などしていなかったかのように。
*
そこは、遺棄された場所だった。
忘れ去られ、ただ高みに置き去られたまま、誰にも顧みられることのない場所。
形式的にぶら下がる「立入禁止」の札が、風に弄ばれ小さく揺れている。
夜の暗い闇は、どこか感情を帯びた昏い闇に変わり、そこから望む街の光が視界を満たす。
そのビルの屋上には、特徴というものがない。
平らに延びたコンクリートの床と、それを囲うように巡らされた網目のフェンス。
あるのはただ、それだけ。
目につく構造物といえば、給水タンクの載った小屋がひとつ。
夜景は、たしかに美しい。しかし、「綺麗」と呼ぶには、どこか違っている。
まるで、過剰な光がそのまま街の不安を照らし出してしまっているかのようだった。
この光がなければ、自分も、ここまで惨めに感じずに済んだのだろうか。
……フィーネの野郎が言っていた通りだ。
この夜には、奥行きがない。広がりがない。
ただ光だけがあって、そこに深みというものは排除されている。
もし、ここにあるのが、一切の光を許さない、本当の“闇”だったのなら。
父が。
母が。
そして何より――彼が。
あの深い闇の中に、変わらぬ顔で立っている……そう思えたかもしれないのに。
本来ならば光の届かぬはずの夜というものは、深海のように沈黙し、ただ暗くあるべきだった。
だが、今目の前に広がっている夜の世界は――
街のそこかしこに灯る、深海魚の瞬きのような光によって穢されていた。
「………茶番だな」
自らの思考を、無理やり引き裂くように呟く。
こんなふうに考えても、それはただの現実逃避にしかならない。
それでは、意味がないと、ずっと前から分かっているはずなのに。
黙って、フィーネから預かったソロモンの杖を掲げる。
この杖が持つ力――それは、ノイズの召喚と使役。
静寂が、一瞬だけ深く沈んだ。
そして、膜が破れるような音が、空気の向こうから届いた。
鈍く、くすんだ緑光が揺らめき、ノイズが生まれる。
有機でも無機でもないその存在が、まるで呼吸をするかのように微かに脈打っていた。
その表面には、一瞬だけ歪みが走る。
顔とも呼べぬ何かに浮かんだ、感情のようなもの。
喜怒哀楽、そのいずれでもない。
けれどそれは、明確に“誰か”を見ている眼差しだった。
……クリスには、それが嘲笑にしか見えなかった。
「……へぇ」
気まぐれに、その姿を覗き込んでみる。
それが本当に“顔”なのか、あるいはただの自身の脳みそが産み出した錯覚なのか。
その違いすら、彼女には酷く曖昧でどうでもよかった。
「……まあいい。行け」
言葉を添える必要などない。ただ意志を投げた。
ノイズたちは小さな群れを成し、夜の都市の光の中へと滲むように消えてゆく。
これで数分もすれば、ノイズ発生の情報が二課に届くだろう。
この屋上は、今や監視の死角になっていた。
古く、傷ついたこの廃ビルに、わざわざ目を向ける者などいない。
この場所は、都市の監視カメラの死角にあたっている。
もっとも、それだけで十分だとは思っていない。
ノイズたちは、このビルからおよそ一キロ離れた地点を中心に旋回させている。
これで、この場所に無用な注目が集まることはないだろう。
そもそも、この屋上からノイズの動向を正確に観察し続けるには、それ相応の装備が必要だ。
高性能な望遠機器に、熱感知――あるいは軍事レベルのセンサーでもなければ。
だが今、この街にそんな大仰な装備を所持している人間など、まずいない。
今日は、流れ星が降る夜でもないのだから。
ゆえに、この屋上からノイズたち――そして、やがてそれに引き寄せられるシンフォギア装者の姿を、誰かが観測することなど、不可能に近い。
「
手に持ったのは、なんてことのない、小さな双眼鏡。
これに、強化の魔術を施す。
強化の魔術の効果は、物体の硬代だけではない。
その物質の特徴の強化だ。
例えば、電球に強化魔術を施せば、それはより強く輝き、双眼鏡に施せば、より遠くを見通す事が出来る。
目に見える。
夜の広がりの奥も、逃げ惑う人々も、そして
クリスはその様を、無言で観察し続けた。
*
「はあ……」
戦いを見届け、双眼鏡を下ろした。クリスの胸から、重く湿った溜息が漏れる。
任務が難しかった? ――そんなわけ、あるか。
むしろ、あまりの低レベルさに、呆れさえ生まれた。
立花響。フィーネの依頼でマークしていた、ガングニールの装者――のはずだったが。
そいつの戦いぶりは、敵対してるはずのクリスですら、情けなくなるレベルだった。
「……なんだよ、これ。戦いってのは、泣きながらやるもんじゃねぇ」
基本的な動きすらなっておらず、フラフラ歩きながらノイズの後を半泣きになりながら追いかけ、戦闘は殆どもう一人のシンフォギア…… 天羽々斬の装者の風鳴翼におんぶに抱っこ。
その上、その風鳴翼とも碌に連携が取れてないときた。
その、風鳴翼からも、立花響に合わせようという意思が感じられない。
自分が全てを
と言うよりは、立花響の存在を初めから度外視しているかのような。
こんな奴等を相手に、何故あたしがわざわざ出張る必要があるのか。
フィーネの胸中はクリスには分からない。
奴が今、何処で何をしているのか。
それでも構わないと、クリスは思う。
何を奴が企んでいるのかは知らないが、それでも雪音クリスの目的は変わらない。
最早、奇跡にすらも雪音クリスが縋ることは無いだろう。
彼女が信じるのは、確かな合理性と、その為の自身も他者も顧みない行動。
それだけが、今の雪音クリスの全て。
雪音クリスが歩む道。
その先にあるのが、地獄であったとしても、雪音クリスは必ず、争いの無い世界を作り上げてみせる。
「その為なら、悪く思うなよ。立花響」
その表情は笑っていた。
笑っていて、そして虚しく泣いていた。
そんな姿は余りにも痛々しい。
怪我をしてしまったようで、雨に打たれてしまっているようで、馬鹿馬鹿しい。
そんな自分の姿を見て、雪音クリスは再び、笑う。
きっとそれは、彼女がこれからもし続けていくことになる、偽りの表情だ。