そこは確かに室内だったが、何処からともなく緑の雨が降ってくる。
「あれ、見ない顔ですね」
大きなクローバーを傘にした妖精が立っている。細長い足、黒い帽子、緑の翅。胴体は大きく裂かれているようだが、ネクタイのせいでよく見えない。
それよりも特徴的なのは大きく発達した左手だろう。
「貴方も私のお世話をしにきたのでしょう? ああ、この雨には濡れない方がいいですよ」
「飯の時間だ、F-01-11-45」
「生真面目ですね。ここに来た人は皆『足長妖精』と呼びますよ」
妖精がそう付け加える。
アブノーマリティの言葉を鵜呑みにしてはならない。その言葉が罠か否か、しっかりと取捨選択をする必要がある。
「……人の善意を無下にするんですね」
「お前は人ではない。足長妖精。アブノーマリティだ」
故に、アレンは雨を避ける必要はない、と判断した。
顔に緑の液体が掛かる。
「良いんですか?頭から溶け出してしまうかもしれませんよ?」
「痛くも痒くもない」
皮膚が熱を持ち、溶け出していく感覚がする。
「そのままでは死んでしまいますよ? ほら、この傘の中に入って下さい」
足長妖精が傘を差し出す。
皮膚が溶け、赤い部分が見える。
アレンは持ってきた封を開け、肉を取り出し足長妖精の前に置く。
「……有難いですが、どうせならその肉は濡らさない方が好きなんですが」
「次は善処しよう」
肉が若干雨に晒されている。
身体の赤い部分が溶け、白色が見える。
「ほら、このままだと死にますよ? 早くこの傘の中に入って下さい」
「良いんですか? こんな道半ばで死んでも。貴方はまだやるべき事があるでしょう?」
「此方としても目の前で死なれると嫌なんですよ。ほら、はやく……」
甘い言葉を使う妖精。
身体はみるみる内にボロボロになっていく。
それでもあの傘には入ってはならない。
徐々に身体が消えていく感覚がして、白い部分がより多くなる。
恐怖。これは間違いなくこれは幻覚だろう。この雨に人を殺す力は無い。しかし本当にこの体が溶けていたら? 打つ手立てがあるのにこのままのうのうと死を待っているのだとしたら? 死んだら後がないこの状況下で失敗しようものなら? 徐々に痛みが走り出す。どうする? どうする?
***:特異点ネキ
戯言。
目が覚める。
自身の身体を見てみれば、傷ひとつ付いていない。痛みもさっぱり消えていた。
「……新鮮な肉の方が好きなんですが、無理そうですね。そんなに濡れれば不味くて食えませんよ」
そう話すと妖精は渋々目の前に置かれた肉を左手で切り、大きく裂かれた胴体に放り込む。
その発達した左手は、べっとりと血が付いていた。
「……美味いですね。ちょっと濡れてますけど」
「悪かったな」
「次はお願いしますよ」
足長妖精の言葉を軽く流し、アレンは収容室から出ていった。
「無事終わりましたか」
そこにはオリーブが立っていた。
さっきまでは何とも思わなかったクローバーが今では忌々しく感じる。
「すいませんね。急用が入ってしまい、しっかりと説明できませんでした」
オリーブが何やら話し出す。
「足長妖精。危険レベルはTETH。収容室の中では常に雨が降り続き、クローバーの傘の中に入るよう促す。その言葉通りに傘の中に入ろうものなら妖精の左手が新しく貴方の血で塗り直されてたでしょうね」
既に知らされていたとはいえ、
言うのが遅い。
「……あの収容室に入っている時、幻覚の様なものを見た。あれは?」
「さあ? あの妖精が効率良く食事を取るために手に入れた言葉騙しの一つじゃないですか?」
確かに渡された資料にはそのような事が書いてあった。しかし、一つの疑問。
(あいつは……元々幻覚なんて使っていたか?)
***:特異点ネキ
リンバス時点では使っていませんね。完全に同一の個体ではないからでしょう。
***:特異点ネキ
言ってしまえば変異体。もしくは個体差でしょう。アブノーマリティに個体差なんてものが存在するかどうかはさておき。
「アブノーマリティの行動原理なんて考えるだけ無駄ですよ。なんかよくわかんないけどそうなってるならそうなんですよ。じゃあ、メインルームに戻っておいて下さい。私は後の二人を回収しに行きます」
***:特異点ネキ
これからの業務で聞き覚えのあるアブノーマリティが出てきても、違う点がいくつかあるかもしれませんね。
「あいつら生きてるかな」
何かと縁ができた二人に思いを馳せる。
***:特異点ネキ
……ところで、何か忘れてません?
「……え?えっ………………と」
***:特異点ネキ
誰のお陰で無事喰われずに済みましたか?
「あっ……迷惑かけました……ありがとうございます……」
***:特異点ネキ
本当に頼みますよ……此方のサポートも限度がありますからね……
コントロールチーム。そのメインルーム。憩いの場として設けられたソファーに腰を落とす。
今はのんびりと休息を取っているが、つい先程までは生死の縁に立っていたという隔りに驚きを隠せない。
「君が今日入ってきた新人かしら?」
身をソファーに任せていると、とある女性が話しかけてきた。
薄紫を基調としたロングコートとレギンス、しかしその服はどこか溶けているようにも見える。胸の辺りにベージュ色の布が付いており、その姿は貴婦人を思わせる。
「悪いね。挨拶が出来てなくて」
(40……いや50?)
「おっと、今年で72だよ」
「……え?」
(声に出ていた? それとも……ゲゼルシャフトを読まれた?)
「そんな怖がらなくてもいいよ。顔を見れば概ね何を考えているかは分かるもんだよ」
彼は戸惑いながらも挨拶をする。
「……今日から入りましたアレンと申します」
「うん、よろしくおねがいね。私はコントロールチームの部門長をしているイザベルさ」
コントロールチーム部門長。そう言えばチーフにはたくさん会っていたが部門長には全く会っていなかった。
「その手に握ってあるソレを見るに……あの子の管理をしていたんだね?」
イザベルが右手に持っている杖でアレンの右手を指す。
その杖には銀色の蛇の頭を模した取手がついている。
「……右手?」
無意識に強く握りしめていた右手を離す。
手のひらの中には小さい四葉のクローバーがあった。
「あのインチキ妖精から貰ったんだね。彼らの贈り物……E.G.Oギフトは微力だけど、確かに貴方を助けてくれるだろうからね」
四葉のクローバー。
確かに縁起は良さそうだが、だからと言ってこれで身を守る事は出来そうにない。
「まあ、どこかのポケットにも入れておきなさい。きっと貴方の助けになってくれるよ」
イザベルは優しく微笑む。
命掛けのこの職場でどこかゆったりとした余裕を感じさせる、
司令塔……コントロールチーム部門長として、絶対的な安心感を持ち合わせているようだ。
「私はあのインチキ妖精は嫌いだけど、その四葉のクローバーは好きなのよね。ただあの妖精、私には全くくれりゃしない」
呆れとも愚痴とも取れるように話す。
「えっと……」
ずっと話を聞くのもどこかじれったくなり、こちらから話を持ちかけようとした刹那。
放送。
First Trumpet。アブノーマリティの脱走。
「おや……」
どこで起きているのかは分からない。しかし、騒動が起きているのは分かる。
「First Trumpet……。HE以下のアブノーマリティが一体脱走、又は三人以上の職員の死亡。あの子は……手間取ってるみたいね」
イザベルがメインルームの入り口へと向く。
騒音が大きくなる。
「いい?ロボトミーコーポレーションでは身を守る為に……『Extermination of Geometrical Organ』。『E.G.O』を身につけるの」
杖を入り口に向ける。
「この世の者ならざる者達との調和。ここで生きていく為には必要不可欠の心得よ」
入り口が破壊され、赤い姿が顕になる。
「ブモオオオオォォォォォォォォ!!!!」
真鍮の雄牛。金属でできた牛の体は赤く色付き、中にいる人の顔から吐き出される赤い熱気が肺を焦がす。
「!!……ベレット……」
あの牛はベレットが担当するアブノーマリティのはず。彼を探すが見当たらない。
周りを見る。他の休んでいたオフィサー達は動揺してはいるが、あの婦人がいるからかパニックは起こっていない。
「もちろん、それを身につけたからといって生き残れるわけではないの。ここで大切なのは……運。だから景気付けに四葉のクローバーが欲しいのよ」
雄牛はイザベルに突っ込む。
それに合わせてイザベルは杖を牛の頭部に突き刺し動きを止める。赤く熱された金属はソレを止める事が出来ず、めり込んでいく。
「モオオオオ」
「それなのにあのインチキは……だから、ソレは大切にしておきなさい」
銀色の杖が充分にめり込んだ時、真下に振りかざし中の人間の脳天ごと頭を割った。
見た目にそぐわない力強さ。歳の衰えを一切感じさせない。
牛が赤い蒸気に包まれた瞬間、牛の形と苦しむ顔が浮き彫りになっている卵へと姿を変えた。
「じゃあ新人さん。これから一緒に頑張りましょうね」
そこには黒い長髪を流し、中世の貴族を思わせるドレスをまとった老婦人が立っていた。
トランペットが鳴る条件は本部と少し変えています。