「——クソッ!」
裏路地を全速力で駆け回る黒い影。建物の壁を縦横無尽に飛び回り、その手には背中に背負った刀をいつでも引き抜けるように構えている。
その後をつけるのは紫の蛇。数多の建物を隙間を縫い、時に壁を穿ちながら男へと近づく。決して離れる事はなく、かといって近づく事もない。ただ、獲物が隙を見せるのを待っている。
「おい!ルミナス!どうなって……」
蛇が牙を見せる。
「ッ!!!」
かろうじて蛇の一撃を避ける。赤色の眼が対象を捉え、その赤い刀の鞘を強く握る。
「……やるしかないか」
その体を反対側へと翻し、構える。上空から迫り来る一匹の蛇。空を舞う姿はまるで神話の生物を彷彿とさせる。
「……『死平線』!!!」
空間ごと引き裂かんとした赤い軌跡は……
キンッ!
蛇が作り出した障壁によって阻まれた。
「いやいや……本当はあんた達に手を出すつもりは無かったけど……流石に腹黒小僧に手を出すのはやり過ぎじゃないのかしら?」
「……何のつもりだ!『
「大人げなくて申し訳ないけど……私、あんた達の事がそこそこ嫌いなのよね。今までは大した事をしてなかった様だから見逃してあげてたけど……」
「部外者のあんた達が都市の流れを壊すのは看過できないわね」
紫色の蛇柄のコートの女。足元にまで伸びた髪はカチューシャによって纏められ、腰には複数の刀を下げている。
紫の涙。この都市にて最強と謳われる『特色』の一人。
「……流れ……?」
「あんた達、もしかして自分達が何をしてもいいなんて考えてる訳じゃないわよね?」
「『もしも』あの時ああしていたら……こうしていたら……大いに結構。私もその気持ちは痛い程に分かるわ」
「でもピアニストだけは違う。全ての世界において最も多くの可能性が絡む一つの結び目でもあるの。その結び目を解こうものなら……」
「…………」
「えぇ。全ての世界が根本から崩れ落ちるでしょうね」
「……?世界が根本から崩れ落ちる??」
「あんた達がとんでもないしっぺ返しを喰らうって事。それだけなら自業自得で終わるけれど、その余波がこっちにも飛んでくるのは勘弁なのよ」
モルテムは赤い刀と共に暗闇へと姿を消す。音もなく建物を縦横無尽に飛び回る一方、紫の涙は一切動かない。
「あんた達がどこの次元からやって来たかは知らないし、これからどんな事をしようとも大抵の事は好きにすればいいと思っているわよ」
「けれど覚えておいて。あんた達はこの都市が見る夢に過ぎないって事。夢が現実を変えれる筈が無いのよ」
影の中から男が飛び出す。その刀が魅せるのは肆分の壱。
「『死の……境界』!!!」
「『決闘』」
イオリが余りにも長い大太刀を構えれば、その大太刀は二つの蛇へと姿を変え、紅の光を放つあの刀へと振り落とされる。
死を彷彿とさせるシ協会の奥義。それを迎え撃つ二体の蛇。
「ッ!!!ァア!!!」
赤く光るあの刀は二体を蛇をすり抜け……
「ッッッッ!!!」
イオリの胴体を切り裂——
「……?」
——く前に、力が入らなくなる。
カチャン。
……男の両腕が抉られ、刀が落ちる。
「……!!」
「これに懲りたらさっさと手を引く事ね。私だって見捨てたくて見捨てる訳じゃないのよ」
「……詰みか」
もはや彼に残された手は逃げのみ。仮にこれ以上戦った所で勝機はまずありえない。
……そもそも最初から勝機なんて物は存在しなかったが。
「どうせあんたを殺した所で変な事をして生き返るんでしょう?なら見逃してあげるわよ。あんたのツレもいる事だし」
「……アイツはどこに行きやがった?」
「やあやあモルテム君!こっぴどくやられたねぇ!」
空間が揺らげば、突如目の前に
「駄目じゃないか!急に相手に切り掛かったら!」
「……いや、あっちから仕掛けられたんだが」
「ほら、ガキ共は帰りなさい。ついでにあんた達のボスにもよろしくお願いするよ。もうこんな真似は一切するなって」
『おっと、そいつは聞き捨てならないね』
声。その場にいる誰の物でもない声。
「……もしかして、あんた達の代表さんかしら?」
『いかにも。ルナ事務所代表、アストラだ』
「……アイツどこから喋ってんだ?」
「モルテム君経由のゲゼルシャフトから聞こえてるよ」
『私の優秀な部下二人が迷惑をかけたね。この事務所の代表として詫びよう』
「もうこんな事が無いようちゃんと躾けておくんだよ」
『……ルナ事務所はピアニストの件について一切関わらないと約束しよう。口頭だけで不安って言うなら契約書でも何でも書こう』
「ピアニストだけ、ね」
『ああ。関わらないのはピアニストのみだ。図書館には全力を尽くして関わらせてもらう』
「ッ!おい代表、俺らが人質にいるってわかってんだよな?」
「ボクとしても墓場が時空の狭間になるのは御免だよ?」
「ええ。それで構わないわ」
……まさかの承諾。
「ピアニストが起こす風は都市中を駆け巡り、巨大な嵐となって都市へと帰ってくるわ」
「その時にあんた達がどれだけもがこうと、嵐を変える事なんて到底出来ない。あの図書館も、赤色のアイツが乗るバスも」
『それでも足掻いてみせるさ。都市が夢を見ないなんてあり得ないからな』
「……最近はやけに夢を見る奴が多くて感心しちゃうわね。夢が醒めた時にショック死しないようにしとく事ね」
……紫の涙は踵を返し、どこかへと去っていった。
「……おいルミナス。俺のポケットに入ってる注射器を取り出せ」
「ボク以外の女と遊んだ次は雑用係かい?本当に君はモテないだろうね」
「いいから取り出せ。このままだと出血死するんだよ」
ルミナスがポケットの中を探り、緑の液体が入った注射器を取り出す。
「右腕に刺せ」
「はいはい、肩の辺りに刺せばいいんでしょ?」
右肩から入った緑の液体は筋肉と骨を刺激し、逆再生するかのように腕が生えてくる。
「これでひとまずは大丈夫だろ。左腕は包帯を巻いておけば少なくとも事務所までは持つか」
「……ところで、これからどうするんだい?」
『君達は一度事務所まで戻ってきてくれ』
「だそうだ。一度戻るぞ」
「いやー酷い目に遭ったねモルテム君!どうだったかい?紫の涙と戦った感想は?」
「勝負にすらなっていなかった。間違いなくイオリは此方の事を舐めていたし、わざと攻撃の隙を作っていた。俺が何をしても軽くあしらわれ、まともに手札を切らせる事無く完封された」
「いいなー、ボクもやってみたかったよ」
モルテムが左腕に包帯を巻き終わった後、あのワープステーションへと向かって歩き始める。
「……なあ代表。お前がどんな素晴らしい作戦を考えているか知ったこっちゃねぇが……俺は到底頭を折れるなんて考えていない」
「ただ、アンジェリカを助ける事も出来なくなった。なんでわざわざピアニストより強い奴を相手取らないといけないんだよ」
「ひとまず進んでみようじゃないか!頭を悩ませても解決出来ない問題は山ほどあるからね!」
…………。
『……ごめん、お好み焼き食べてた』
「……なあルミナス。本当に代表は俺らの事を見捨てないんだよな?」
「No Commentとさせてもらうよ」
『ついでに、もう経費カツカツだからワープ列車の1等席は買わないでね。普通席か高速バス使って帰ってきて』
「なあルミナス!本当に見捨てられないんだよな!?」
「No Commentとさせてもらうよ……」
ピアニスト。
最初にして最悪のねじれ。
彼らが9区を離れてから、その演奏は始まった。
のべ三十万人もの命を美しい音色へと変え、都市の人々へ向けて素晴らしい演奏を響き渡らせた。
才能も何も無い、落ちこぼれのピアニストの魂の叫びはどう人々に聞こえたのか?
どれだけ非情な現実を突きつけられても、夢へとしがみついた者が示した一つの道は人々にどう映ったのか?
あの光が作り出した夢を果てを、ピアニストは描き続けた。
その幻想曲を皮切りに、世界に二つの夢を見る者が現れた。
一つは都市に苛まれ、現実を受け入れた者。
一つは激流の中でも、自我を保ち続けた者。
都市に蒔かれた種が芽吹き始めた。
とりあえず一区切り