単行本・大怪獣時代は人間に厳しい時代です 作:アイアイホイホイおさるさん
やがてリーアの里に夜が来た。
里長は自身の家に泊まるよう親切をしてくれたが、ベラはあんなものを見せられた後ではそのご厚意に甘えるハズもなく、サイドカーに積んでいたテントを張り、野宿をする事にした。
「………あのクソ王の気持ちちょっとだけわかったかも。そりゃ滅ぼしたくもなるよ、あんなの」
ハアとため息をつきながら、ベラはそれまでに見て回ったこのリーアの里の事を思い出し、まとめる。
「第一に、この里は酷い女尊男卑である」
この里のルールは昼間里長が話したように「一つ、男は女の子を傷つけてはならない。一つ、男は女の子に心理的負担を加えてはならない。一つ、男は女の子にケアを求めるべからず」の三つ。
とどのつまり少しでも女の機嫌を損ねるような事はしてはならず、目に付くような事をすれば昼間の少年のような鞭打ちが待っている。
男は彼女達の理想の理解ある彼くんになるか、逃げ回るしかない。そんな社会だから、昼間の少女のように意中でない男子から告白された程度でこの世の終わりのように喚き散らすような人間に育ってしまう。
「第二に、この里は完全菜食」
そしてもう一つは、この里で肉食は禁忌という事。
里を見て回り野菜農園はいくつも見かけた。が、家畜農場や狩りを行う様子が無かったので訪ねてみた結果発覚。
聞けば「他者の命を奪うなど旧人類の犯した罪そのもの、そんな事をすれば偉大なる
ので、ベラは隠れるように設立したキャンプの中で持ち込んだジャーキーを食べるしかなかった。見つかればあの子供に鞭を振るっても平然としていた人々に何をされるか分からない。
「………おかしいと思わないかい、この話」
しかし考えてみれば、この二つは両立しないし、里という大規模コロニーの維持を考えればどちらも成立し得ないハズだ。
「野菜は確かに健康にはいい。けれど、野菜だけじゃ生きるために必要な全ての栄養をまかなう事はできない………」
文明崩壊前もヴィーガンやベジタリアンといった菜食主義者はいたが、それでも動物性タンパク質を補充するためのチートデイは設けていたし、思想から完全菜食に走った過激な者は例外なく体調を崩して挫折している。
完全菜食など雲をつかむような話でしかない。が、彼等はこうして完全菜食による生命維持を実現していた。
「男を邪険に扱っているというのも変だね。里を維持するための労力は必要なのに………」
何故出来ているかは置いておくとして、完全菜食により栄養を賄うにしても、腹を膨らませるための膨大な量の野菜が必要になる。そうでなくとも野菜農園の維持と運営には多大な労力が必要になる。男手はどうしても必要になる。
所がリーアの里では男性はまるで害虫のように扱われ、徹底的に差別されている。子供ですら純粋な「好き」を伝えただけで徹底的に自己を否定されるのだ。
里を維持する労力にやる事じゃないし、常に疲れている彼等にそれができるとは思えない。
じゃあ女が畑仕事をしているのか?と思ったが、あの様子の連中が泥にまみれて手を汚すとは考えにくい。
「こんな里、とっくに破綻してないとおかしんだよ。でも………」
だが現実は、こうしてリーアの里は存続している。少なくとも、里で子供が生まれて育つ程度の時間は経っている。
これはどういう事なのか?いくら考えるとも答えは出ない。
「………いいさね別に、どうせとっとと出てくんだから」
あっしにゃ関係無いでございまする。そんなどこかの映画で見た台詞を思い出しながら、ベラは寝てしまおうとした。
その時、テントの隙間。森の中に人影を見つけた。あいつらが監視でもつけていたのかと思ったが、見ればそれは小さな子供。
それも、ただの子供ではない。
「………ロジャー?」
月明かりに反射するキラキラした髪は、あの時ベラと出会ったロジャー少年であった。
何か思い詰めた様子で森の中を歩いている。
「(何してんだ………?)」
ベラは心配になった。テントの中から追うように見ていると、ロジャーは森の中で立ち止まった。
すると、おもむろに履いていたズボンを降ろす。立ちションか?と思ったベラであったが、その手に握られていたナイフを見つけた途端、不安さと共に昼間の様子が蘇る。
「(まさか………!)」
不安は的中した。
ロジャーは露出した自分の股にナイフを突き立てていた。そして怯え、目を見開き、数度の深呼吸の後意を決し、ナイフを大きく振り上げた所で。
「やめんかぁ!!」
「わあっ!?」
ベラは飛びかかった。
ロジャーを押し倒した。
カラン、とナイフが地面に落ちた。
「何を、な、何を考えてんだよアンタは!?そんな、何を………!」
ベラは、何をどう言えばいいか分からなかった。
ロジャーは自身の性器を切り落とそうとしていた。何がそうさせるのか、何がそうさせたのかは見当がついた。
「ロジャー、お前は、お前は………そんな事しちゃダメだよ、たとえ里のやつがお前の事なんかどうでもいいつっても………あーしが悲しいから………ッ!」
それでいて、ロジャーがそこまで追い詰められた事が、ベラには耐えられなかった。
自分で自分を傷つけようとする、しかも性器を………つまる所臓器を自分の意思で切りつけようとする程に苦しんでいた事が、ベラの心に深い悲しみを刻んだ。
「あ、あ、うあ………あう、う………」
「………いいんだよ、今は喋らなくて」
嗚咽を漏らすロジャーを、ベラは優しく抱きしめた。
その間も、ロジャーはうわ言のような慟哭を零し続け、ベラのジャケットを涙が濡らした。
***
落ち着いた後、ベラはロジャーをテントに連れて行った。外界から隔離し、二人きりで話した方がいいと考えたからだ。
そこでロジャーは、このような蛮行に出た理由。そして何故あの時里の外に居たかを話してくれた。
「………朝起きたら、その、お漏らししてたんです。でも、ただのお漏らしじゃなかった」
「………ネバネバしていた?」
「………はい」
「ああ………」
話を聞いたベラはそれ以上聞かなかった。それが何か分からないほどベラは馬鹿ではなかった。
嫌悪感も抱かなかった。そういうものであると割り切っていたからだ。
「そしたら………お母さんが怒り出したんです。それは女性を傷つけるようになった証だって」
しかし、リーアの里の女達はベラほど賢くなく、生理的好き嫌いを社会常識や法律に適応する程度には愚かだった。
故に子孫を残す準備が整ったロジャーは、母親の好き嫌いのために聞かされていなかった生理現象に戸惑い怯えて母親に相談し、結果母親の怒りを買って家を叩き出された。
そして里の周りを宛もなく彷徨い、ベラに出会い今に至る。
この様子だとあの後も家には入れて貰えてないらしく、白い服は薄汚れていた。
「だから、切り取って、無くして………そうしたらお母さんは家に入れてくれると思って………ぐすっ」
とどのつまり、ロジャーの男としての成長が"生理的に無理"であるとして、ヒステリーを起こした母親が彼を家から叩き出した。
それが、ロジャーが今こうしている理由であり、あの時里の外にいた理由。
………仮にも知的生命体でありながら、母親になった存在がここまで幼稚な感性なのか?と、ロジャーから母親の話を聞いたベラは、心の底から彼女を軽蔑した。
「(………このまま育てば、ロジャーはどうなる?)」
同時に、ベラの脳裏にはロジャーのこの先が浮かんだ。
息子の男性としての成長を侮蔑し、喚き散らし、臓器を切り取ろうと思わせる程に追い詰める母親、それを許容し是とする社会。
これから、そんな所で育つロジャーの未来は?
自尊心を踏み潰され、心を否定され、感情を無視し悪魔化され、挙句の果てに危険な里の外を彷徨っても誰も助けてくれない。
この先ロジャーは、まともな………というよりは、幸せになれるのか?
「………なあ、ロジャー」
その答えが否であると結論が出たベラの胸の内から、何か熱いものが湧き上がってくる。
義憤でもあったし、何よりそれは目の前で泣くロジャーに対する、守りたい、助けたいという感情。
「ぐす………えっ?」
「………あーしを見な」
「………えっ!?」
ベラは感情に従う事を我慢できなかった。
するりするりとジャケットを脱ぎ、ズボンを下ろし、インナーがはらりとテントの床に落ちた。
「え、え、え………!?」
「悪いね、こんなバキバキの身体で………でも、あーしにはこれしかないからさ」
テント内のランタンに照らされたベラの裸体は一流のアスリートのように逞しく、しかし丸みもあり、それなりにある乳房が彼女が女性であり、これが女体であるとロジャーの脳に認識させる。
「あ、あ………」
「駄目だよロジャー、目をそらさない」
「あ………」
善意と羞恥心から目をそらすロジャーを叱責し、目を向けさせる。
しかし、ベラは緊張感を解くかのように優しく微笑みかける。"お前は何も悪くない"と、表情で語りかける。
「………ロジャーも苦しいだろ?」
「え、あ」
「………じっとしなよ、脱がせてあげるから」
固まっているロジャーの腰に手を伸ばし、優しくズボンを下ろす。
テントの照明がぴょこんと飛び出た影を映す。幼いが、ロジャーが立派に男として成長している証しだ。
「あ、その………」
「いいんだよ、ロジャーは何も悪くない」
「う………」
怯えるロジャーの頬を、ベラが優しく撫でる。
母親からでさえ向けられた事のない、慈しみに満ちた微笑み。そして抱擁が、ロジャーを優しく包む。
「何も心配しなくていいよ、あーしが全部やってやるからさ」
テントの床に優しく寝かされたロジャーとベラの身体が、静かに重なった。
***
………ショック療法というものがある。主に精神疾患の治療法で、電気や薬物を使い脳に刺激を与える手法だ。
ベラは自身の、人間の範疇であれば性犯罪でしかない行動をそれであると定義づけた。性を全否定された心の治療にうってつけなのは、大人になる前にその全てを肯定してやる事だと考えたからだ。
「(………何やってんだろうなあ、あーし)」
ベラは、テントに映る未だ火照りが収まらない自身の身体の影を見て自嘲する。
「(正気じゃねーさね。いくら助けるためつっても、人間の子供とまぐわうなんざ)」
テント内の青臭いニオイと、腹筋のベタつく感触。
本来不愉快であるハズのそれらに何も感じず、逆に少しうれしいとさえ考えてしまう自分に。
………まさかそれらがよりによって腹筋に向けられるとは思いもしなかったが。
「(でも………悪くない)」
「はっ、はっ、はっ………」
今まで否定されてきた情欲を全てぶつけ終え、幸福に満ちた疲労の中でやがて眠りに落ちるロジャー。
ベラは、そんなロジャーに優しく毛布をかけ、頭を撫でながら添い寝する。実母以上に、ロジャーにとって母親のようであった。
「………なあ、ロジャー」
「すう………すう………」
「朝が来たらさ、二人で里を出よう」
そしてベラには解っていた。自身がこのような手段を取った以上、ロジャーはもうこの里では生きていけないと。
「世界は広いんだ………こんな狭い里だけじゃない、いろんな物を見に行こう。南極のオーロラ、タイのでっかい寺院、横浜の夜景………はは、最後のはもう無理だね」
それ以上に、こんな所に置いておくなどできなかった。
ベラ自身も、そんな手段を取った事に驚いていた。今なら、「王」が人類根絶を宣言する直前まで、人類に対する慈しみを持ち続けた母や妹の気持ちが、少しだけ解る気がした。
「………一緒にいよう、ロジャー」
柔らかな頬にキスをし、ベラもまた眠りについた。
………しかし、ベラは一つドジを踏んでいた。
このイカれた里の連中がこのまま自分を放っておく事がない事を忘れていた。
だから、自身が眠ったのを確認して、茂みの奥から出てきた白シャツの集団がテントを取り囲んでいる事に気付かなかった。