放課後スイーツ部二年、間宵シグレ   作:Rayu278

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第三話「個人面談」

「はぁ…」

 

 溜息、ひとつ。シグレの心は沈んでいた。

 似たような表情を浮かべる生徒は少なくない。周りを見渡せば、一人や二人、簡単に見つかる事だろう。

 だが、シグレの憂鬱は、むしろ彼女たちのそれとは真逆に位置する理由から来るものだ。

 友人同士、点数を見せ合ってはしゃぐ生徒たちを尻目に、手に持った答案用紙にもう一度目を落とすシグレ。

 

「…上がっちゃったなぁ」

 

 言葉だけを聞けば、場合によっては反感を買う事もあるであろう一言。34点、と書かれたそれを見ながら、再び大きく溜息を吐く、シグレ。

 赤点、回避。五十歩百歩とは言うが、その間には明確な差異がある。

 たった、4点。それだけでも、目標に据えた補習授業部入りが、大きく遠のいたのを、シグレは身に染みて実感せざるを得ない。答案を返却した教師が、ほっとした様な表情をしていたのがとても腹立たしかった。

 

 上辺だけを繕った所で、ただやる気のないだけの生徒に手間暇をかけるほど、世間は優しくない。成績不振者を飛び越え、一発退学となってしまっては元も子もない。そう考えたからこそシグレは、名実ともに「成績不振」を実現するべく、勉強をしない道を選んだ。

 スイーツ部の部室で、山の様に積み重なった一桁台の答案用紙は、その歪な“努力”の結晶。シグレはひとつのテストも欠席していないし、手を抜いたことも無い。ただ、問題が分からなくて解けなかったという、事実だけを得るために、“真剣に”試験に向かっていた。

 

 全て、自力。放課後スイーツ勉強会を経ても尚、そのスタンスは保持し続けていたシグレは────なればこそ、その成果を発揮した、と言うべきだろうか。

 

 ────シグレが勉強会を経て、赤点を回避した。その事実を聞けば、スイーツ部の面々はどんな反応をするだろうか。

 考えようとして、考えるまでも無い事に、シグレは気づく。

 

「…みんなは、喜ぶんだろうなぁ」

 

 当然だ。彼女らがどれほどの付き合いか、シグレは知らないにしても。入部したての見知らぬ一個上に親身になって、勉強会────と称した交流の場を設けるような、善意の塊だ。

 カズサもヨシミも、「やればできんじゃん」なんて言いながら。アイリも飛び跳ねてはしゃぐだろうし、ナツは得意げな顔でいつもの調子の語り口を披露するに決まっている。

 もしかしたら、体験入部の時みたいに、お菓子パーティを始めるかもしれない。…決め打ちで、既に準備をしている可能性すらある。

 

 そんな祝福を、どんな気持ちで受け取るべきか。そんなことを考えながら、握った答案を鞄に戻し、視線を前に向けたその時。

 

「…あ」

「あ!」

 

 馴染みのあるシルエットと、馴染みのないシルエットが、横並びにひとつ。

 

「…ノドカ」

「シグレちゃん!久しぶりーっ!」

 

 にぱ、っと小さな顔に大きな笑み。彼女の後方から光指す太陽よりも、シグレにはそれが眩しく見えた。「久しぶり」と言葉を返し、片手をひらひらと振りながら。変わらない速度で、立ち止まった二人の近くへと。

 

「…こちらの方は?彼氏?」

“「違うよ!?」“

 

 ────おぉ、綺麗にハモった。顔が真っ赤だよ、ノドカ。

 

 などと、冗談もほどほどに。その大人の男性の顔には、シグレも見覚えがあった。過去何度か、ノドカから送られてきた盗撮に近しい写真群の中でも、良く被写体に選ばれている、補習授業部の顧問。

 

「冗談、冗談。シャーレの先生、だよね。初めまして、かな?」

“うん。初めまして、シグレ”

 

 先生はそう言って、小さく会釈をする。これはこれは、ご丁寧に…とシグレも会釈を返し、視線を再びノドカへと戻した。

 

「それで、二人はここで何をしてたの?」

 

「それがね、シグレちゃん!!」

「おわ」

 

 両肩に手を置いて、シグレを揺さぶる姿勢。こんな距離感だったな、という懐かしさ。

 ────それに次いで、「懐かしい」と感じるくらいには離れていた事を実感して、強烈な寂しさが、シグレの胸の中を、ゆっくりと広がった。

 

 

 

「────私達、このままだと退学になっちゃうかもしれなくて!!」

 

 

 

「は?」

 

 

 

 気の抜けた声が、シグレの口から漏れる。

 たいがく。退学。この言葉に、文脈で、それ以外に当てはまる漢字があるだろうか。

 シグレにとっては聞き慣れた言葉。何度も頭を下げ、駆けずり回って、ノドカのそれをついこの間、取り消したばかりなのだから。

 呆然とするシグレに容赦なく情報の波を、言葉にしてぶつけるノドカ。穏やかな微笑みを浮かべていた先生も、心なしか険しい顔をして、シグレの視界の端っこに佇んでいる。

 

 


 

 

 

 つまり、ノドカの話を要約するとこうだ。

 補習授業部の生徒には、最大で三回のチャンスが与えられる。

 補習授業部に課される、特別学力試験。三度あるそのどれかで、全員が合格点を上回る点数を取らなければ、────所属生徒は全員、退学処分が下されるという話。

 そして、ノドカ達は既に第一次特別学力試験を終えており────結果は、惨敗。

 

「…いや、いやいや」

 

 若干薄れ始めている、記憶の中の現ティーパーティー・ホストの顔を思い切り睨みつけながら、シグレは天を仰ぐ。

 

 ────遅い。遅かった。

 今更、自身に強制転部の措置が下されないのも、少し納得がいった。それが理由だ。一蓮托生、連帯責任────そんな話があるか、と糾弾したいのは山々だが。

 つまるところノドカには、今回ばかりは、いよいよもって自らの力で乗り越えて貰わなければならない。字の通り、部外の者である私に、してあげられる事は無い。

 

「────だけど、ヒフミちゃんが模擬試験を作ってくれたり、ハナコちゃんやコハルちゃんと水着パーティーをしたり…!諦めずに、皆で頑張ってるよ!」

 

「水着、パーティー…?」

 

“あ、あんまり気にしなくて大丈夫!”

 

 怪しげな単語にシグレの耳がぴょこりと跳ね、疑念の色を持った目を向けられるのは、部の顧問である先生。じっとりと睨まれた先生は掌を見せ、左右に振るいながら無実を主張する。

 そんな話をしている最中、ノドカの手の中の携帯が鳴った。

 

「あぁっ、アズサちゃんとヒフミちゃんの事待たせてるんだったっ…!!ごめんシグレちゃん、続きはまた今度―!」

 

「あっ、ノドカ、ちょっとま…」

 

 声を掛けるよりも早く、手を振りながら駆け出すノドカ。一緒に居た先生も置いて、トリニティの街路を走り去り────瞬く間に、二人の視界から消えた。

 

“…行っちゃったね”

 

 慌てる様子も無く、先生はそう呟く。

 

「相変わらず、慌ただしいなぁ。私の方ももうちょっと、話したい事あったのに」

 

“何か言伝があれば、私に言って”

“しっかり伝えておくから”

 

 片手を払う様に、先生からのその申し出を断るシグレ。「モモトークもあるし、邪魔になりそうだから、平気」と、言葉を添えて。

 二歩、前に進む。ノドカの駆けて行った足跡に、自身の足を重ねる様に。

 

「…ノドカを追わなくていいの、先生?」

 

“ヒフミとアズサが居るから大丈夫”

“それよりも今は、シグレの方が気になるかな”

 

 ────?

 

「もしかして私、口説かれてる?」

 

“そういう意味じゃなくて!”

“気にかかる事があるって事!”

 

 ────どこか、抜けた所のある大人。その癖に、…変に目敏い、というか。

 ────生徒の事を、よく見ている。それが、初対面の相手だったとしても。

 

“初対面だから、なんともいえないけど…”

“シグレ、何か悩んでいることは無い?”

 

「…え」

 

 鼓動が、明確に早まるのを、シグレは感じた。

 

 


 

 

 ベンチを共有して座る、先生とシグレ。少し間を空けて、三人掛けのベンチの端と端に、ちょこんと腰掛け。多少待たせる事になるノドカ達に、連絡を添えた上で。

 シグレが、口を開く。

 

「…ノドカとは、10年来の幼馴染…っていうかもう、ホントに物心ついた時から一緒にいてさ」

 

 目を閉じ、上瞼の裏に映る白銀の景色を思い浮かべながら、次の言葉を紡ぐ。

 

「私達の産まれはレッドウィンターの方なんだ。雪山の奥にあった小さな小屋に、私とノドカと、もう一人。育ての親みたいな人と、一緒に暮らしてたの」

 

 反らすようにして空を仰いでいた身体を、前方へ倒す。前屈み、膝に肘を置き、顔の前で手を組みながら。彼女の表情は、先生からは見えない。淡い青緑の毛髪に、シグレの目が伏せられる。

 

「困窮した生活に耐えかねたのか、吹雪の止まない山に狩りに出かけて熊にでもやられたのか、はたまた何か事情があって、私達を置いてキヴォトスを出たのか。その人は、ある日を境に小屋に帰って来なくなった。一ヶ月に満たない分の食糧や薪に────二丁の銃と、一つの封筒を残してね」

 

 身動ぎに合わせてかちゃり、と音を立てるのは、シグレが肩から下げているグレネードランチャー。『スプリングパンチ』と名付けられた明るい水色のそれは、遠目にはドリンクホルダーの様にも見える。

 

「身寄りのない私達の情報をどこから聞きつけたのやら。四年前、私達が本来なら中学一年生になる年の、ある朝に山小屋を訪ねてきた、連邦生徒会の保護を受けたんだ。その時、親代わりだったあの人が残した封筒が一緒に見つかった」

 

 僅かに、身を起こすシグレ。髪の隙間から、どこか淋しそうな目線が地面に注がれているのが伺える。

 

「それは『紹介状』だった。『間宵シグレと天見ノドカという生徒を、トリニティ総合学園へ入学させる』為の、諸々の手続きを済ませた書類の束が入った封筒。後は私達の署名を足して、提出するだけで────二年後、トリニティ総合学園に入学を果たせる」

 

 追い縋っても届かないものに、無意味だと分かっていて手を伸ばすかの様に。正面のアクセサリーショップとの間にある虚空を、指先で切り裂きながら、シグレは続ける。

 

「その人はもしかしたらどっちかの肉親だったのかもしれないし、全く関係のない、赤の他人だったのかもしれない。私とノドカははっきり血縁じゃないって分かってるけど、その人と私達との関係性はもう、知りようのない事なんだ」

 

 握った手には、何もない。指の、手の隙間から、閉じ込めようと空気が漏れ出して、後には何も残らない。

 

「顔すら朧気だしね、下の名前も覚えてない。苗字も、ノドカは覚えてないと思う。私は、そっちの方は────ここに来て、思い出したけど」

 

 ここで初めてシグレは、先生の方に顔を向ける。少し意地の悪い、からかうような表情を浮かべて。

 

「考えてみれば当然の話、っていうかさ。トリニティ総合学園って場所がどんな所か、先生も知ってるでしょ?気品と規律。優雅たれ、みたいな。その実どうかは知らないけど、そんなところに。身寄りのない、薄汚い子供を、連邦生徒会越しとはいえ、ぽんと名前付きの一筆だけで二人入学させられる程度のツテ、だよ。相当、限られてくると思わない?」

 

 強張り、押し黙った表情の先生を見て、シグレは満足そうに笑いながら、言った。

 

 

 

 

 

「────その人の苗字は、“桐藤“。現ホストのあの子との関係は知らないけど、ね」

 

 

 

 

 

「関係のない話だったね。できれば、内緒にしておいてほしいな、ナギサが知ってたら流石に去年の段階でなんとか言って来るだろうし」

 

“ナギサと、面識があるの?”

 

「あれ。ノドカから聞いてない?…言わないか、そりゃそうだ。…んー、そうだね。とある理由で、呼び出しを喰らっちゃってさ。心当たりはありすぎて、どんな事情だったか…。数える程度だけどブラックマーケットに出入りもしてたし、それ関連だったかなー?」

 

 後頭部で腕を組み。足を投げ出して堂々としらばっくれるシグレ。 後にこの事を問い詰められる事があれば、彼女は「嘘は吐いてないし?」と言い逃れをするだろう。一年の初めの頃の、ブラックマーケットへの出入りは事実。ノドカの件で心当たりがあるのもまた、事実。

 …前者は実際には足が付いていないのだが、シグレはその事を知らない。

 

「件の人が居なくなってから、連邦生徒会が来るまで…大体、六年くらい?ノドカと私は必死に食いつないでさ。出来る事はなんだってやる。お腹すきすぎて、二人揃って木の根っこに齧りついたこともあったっけ」

 

“木の根っこ…”

 

 渋い顔をする先生を横目に、再び笑みを零すシグレ。「からかい甲斐のある反応をしてくれるねぇ、せーんせ」。と、言葉を零しながら。

 

「それは流石に冗談だけど、命からがら、二人で生き延びてきたのは本当。血のつながりは無くても、私にとってノドカは家族。いや、それよりもっと、もっともっと深く、大切な人なんだ」

 

「…悩み、って言うか、不安かな。本当なら私が傍で手助けしてあげたいくらいなんだけど…仕組み上、それは出来ないし。今所属してる部の子達にも、かなり迷惑をかけちゃうからね。だからまぁ、何が言いたいかっていうとさ」

 

 二度、三度。首を振って、気持ちを切り替える。爪先、膝、上体、顔。ベンチに対して斜めに、先生に対して真っ直ぐに、改めて全身を向けて。

 

「先生。ノドカを、よろしく。…お願いだから、どんな手を使ってでも────あの子を、合格させてあげてほしい。あの子が退学ってなったら、私も学校を辞める。結果がどうなろうと、私はあの子の傍にしか居られない。身寄りも無いし、ツテまで失ったら、本当に行く宛ても無くなるけど…それでも、ね」

 

 数秒間の、沈黙。それを経て。ゆっくりと、西の空が焼けていく。

 シグレの目を、真っ直ぐに見つめ。シグレの言葉を、真っ直ぐに受け止めた先生が、口を開く。

 

“…シグレ”

 

 

 

“今の話を、部の友達には、した?”

 

 

 

 

 

 

「…うん?」

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