先生からの質問の意図が掴めず、眉を寄せて首を傾げるシグレ。
返答を待たず、先生は言葉を重ねる。
“シグレはきっと、選ばなきゃいけないと思ってる”
“自分の居場所は、一箇所にしかないと思ってる”
────だからこそ。ノドカが「そうなる」というのなら、自らも退学を選ぶ程に、追い詰められている。…返事は、要らなかった。分かり切ったことを聞いたから。少し、意地悪をしたが…これで、おあいこかな。
“でもね、シグレ”
“むしろ開き直って、どちらも大切な物だと認めてしまえば”
“広げた両手に、全部を抱え込めるかもしれない”
「…な、何言ってるのさ、先生。そんな事…」
────明らかな、動揺の色。賢い子だ。困惑の矛先は、私の発言の突拍子の無さではなく、私の言葉が描くシナリオが行きつく先。
その、先を踏んで。先生はもう一言、言うべき言葉を。声帯を、震わせる。
“間違ってしまったとしても、気にする事はないよ”
“間違って、取り零して、後悔して────”
“それでも、何度だってやり直せるのが────”
“生徒の君たちに許された、青春の特権なんだから”
「────!」
────「ノドカの傍」に居たい。共に辛苦を乗り越えた、家族よりも大切な人に、いつだって寄り添っていたい。それは本音だ。
────その為になら、『他の全て』を切り捨ててでも。なんて、そこまで覚悟は決まっていない。けれど、切り捨てなければ「隣」に居られないのなら。そう、思っていた。
────「ノドカの隣」かつ、『スイーツ部の一員』。そんな、傲慢な望み、抱く事すらおこがましいと、そう思っていたから。
────軽蔑されるかもしれない。『たった一ヶ月過ごした関係性』が、その一言で崩れ落ちるかもしれない。そんな理由で、成績を落としている理由を、隠していた。
────それは、一度失い、手放し。はぐれてしまった縁を握り直す事など、叶わないのだと思っていたから。繋がりを、芽生えた絆を、失くしてしまう事を恐れていて。それで。
「…それでも、“私達は“やり直せるから、大丈夫…って?」
シグレの呟きは、声にはなっていなかった。
“私にできる事は、いくらでもするよ”
“彼女たちの努力が、最大限に実を結ぶように”
“でも、最後に結果を形作るのは私じゃない”
“ノドカたち、補習授業部のみんなだから”
“彼女たちが何を選ぶのか”
“それは私が、シグレに約束してあげられる事じゃない”
“だからどうか、信じてあげて欲しい”
“君が、守りたい「居場所」を”
“君が、守りたい『居場所』を”
────あぁ、この人は。この、先生と言う大人は、一体どこまで私の事を分かっているのだろう。
「…これが初対面のはずなのにね。気味が悪いよ、先生」
悪態をつくシグレの顔は、どこか穏やかで。
空が、美しく焼けていく。
「…お。やあやあ、いらっしゃい」
「あ、来た。授業お疲れ、シグレ」
先生とシグレの“個人面談“の翌日、放課後スイーツ部の部室にて。
扉を開けたシグレを出迎えたのは、二人の少女。脚で座った椅子を斜めに傾け、パックの牛乳に刺したストローを下唇に乗せたナツと、机に上体を投げ出す形でスマホを弄っていたカズサだ。
奥には冷蔵庫を漁るヨシミに、大きなチョコミントアイスのぬいぐるみ(…?)を抱えたアイリが、ソファに身を沈めている姿が見える。
「…シグレちゃん…?!」
「ど、どうしたのよ?床、汚いから…」
扉を閉めたシグレが、入ってすぐの床にぺたん、と腰を下ろす。…否、膝を折った、というべきだ。
それはいつぞやの、点数精査の時と同じ体勢────正座だ。唐突な行動に、四人の目線が一斉にシグレに向き、アイリとヨシミが声を上げた。
多少の位置関係は除くとして、大まかな構図は以前と同じ。異なる点は、ただ一つ。
「…みんなに、話したいことがあるんだ」
34点の答案用紙を地べたに叩きつけながら。
真剣な面持ちでそう切り出す、間宵シグレの、“意思“の有無のみ。
────これから。
これから、シグレは言う。大切な人の存在を。「天見ノドカ」という幼馴染の為に、自分がこれまで何をしてきたかを。
これから、シグレは語る。その人が、大切である理由を。過酷な雪国の寂れた小屋に、生を繋いだ六年間を。
これから、シグレは述べる。自分の望む立ち位置を。この部活と相容れる事の無い、夢物語の様な展望を。
これから、シグレは論ずる。彼女なりの理論を。作戦を。馬鹿正直に底辺まで落ちようとした、愚かしさを。
これから、シグレは吐き出す。四人に向けて、一人と四人の揺れ動く天秤について。膨らんでいた、迷いを。
これから、シグレは話す。
「私は、“補習授業部”に入る為に────」
トリニティ総合学園二年生「間宵シグレ」の全てを、話し始める。
幼馴染であるノドカの事。彼女を追って補習授業部に入ろうとしていたこと。その為に勉強をしない手を選んだこと。彼女が退学の危機に迫られている事。彼女がもしも退学になろうものなら、自分もその後を追うであろうこと。
天文部の暴動事件についてだけは、明言を避けつつ遠回しに。
語るべきすべてを語り終えたシグレは目を伏せ、返ってくる言葉を静かに待つ事を選ぶ。
静寂が、部室に満ちゆく。
牛乳パックから抜けたストローを咥えたままのナツ。頬杖をついてぼんやり、遠くを眺めるカズサ。冷蔵庫に凭れたまま、アイスを手に立ち尽くすヨシミ。口をぬいぐるみに埋め、眉を寄せたアイリ。
1秒。
2秒。
────溜め息が。
深い、深い溜め息が、3秒目の静寂を静かに切り裂いた。
「あんた、やっぱバカでしょ」
そして、その吐息の刃の主が、ワンテンポ空けて声を上げた。
「…カズサ」
呆れたような表情で。心底、呆れ果てた様な顔をして、シグレを見下ろすカズサ。
「友達が成績悪くて落第間近の特別クラス行きになって心配。ここまでは分かるよ。でも、その後とる行動が『自分も成績落として同じクラスに行こう』って何?」
こん、こん。手入れの行き届いたカズサの爪が、机を叩く音。
「本人に直接頼まれた訳でもないのに、あんたが行って何になんの?勉強教えんのぐらい、部活が違おうが出来るでしょ。予定合わせて、それこそ私らとしたみたいにスイーツ食べながら一緒に勉強でもすれば解決じゃん。違う?」
ぎゅ、っと目を瞑る、シグレ。カズサは、半ば誇張気味に続ける。
「あぁ、違うから悩んでんだもんね。じゃあ何、知り合いが近くに居ないと不安でしょうがないとか?十年来の付き合いの友達が隣に居ないと、不安で不安で何も出来なくなっちゃうから、無理矢理成績落としてでも着いて行こうって?」
ふー…。細く、空気を射抜く吐息を挟んで。カズサは、言う。
「うん。はっきり言うわ────なにそれ、キモチワル」
「────っ、ちょっと、カズサちゃん…!いくらなんでもそれは、言い過────も、がっ…!」
カズサの言葉に、声を荒げようとしたアイリの口に、牛乳パックに刺し直したストローを差し込むのは、ナツ。
「はいはい、我らがアイリ姫。今日の牛乳の時間だよ~」
「ナイス、ナツ。……ごめんね、アイリ。ちょっとだけ、黙ってて」
友人が友人に口を塞がれる様を、一瞥する事も無く。カズサの意図を汲んだナツの行動への感謝と、シグレを思いやるアイリへの謝罪と共に、聞こえてきた声に、サムズアップを返しながら。斜め上から、真っ直ぐにシグレを見下ろすカズサ。
「……それでも、一緒に居たいから。誰が…何と、言ったって」
「一緒に居る、…だけ?あんた、置物じゃなくて友達なんでしょ。着いてくるだけの置物なんて、いい迷惑じゃない?────それも、思い入れがある置物なら、尚更傍に居られると気が散るだけだと思うけど」
震える声で返したシグレの言葉に、今度は空白を空けず、カズサが言葉を重ねた。
「私は、自分の意思でこの部にいるし、自分の意思でこいつらの為に限定スイーツを買う。あんたは、何がしたいの?そのノドカって子に、どうなってほしいの?…退学になるなら一緒についてく。それは勝手にすればいいけどさ。じゃあ、あんたはノドカが退学になってもいいって考えてんの?」
「それ、は…」
「だから、バカって言ったの。一年の頃は頭良かったのか何なのか知らないけど、今のあんたは頭硬すぎ。……答えは一つでしょ。いくらバカのシグレでも、それぐらいはすっと答えれるじゃん、普通に。…友達が退学しそうなのを、みすみす許容できるヤツなんている?」
「私……私、は────」
「────ノドカを、助けたい。落第になんて、退学になんて、させたくない…この学校で、一緒に、過ごしたい…!」
「……そ。────だってさ、みんな!」
ぎ、っと椅子を傾け、大きく体を反らし、後方の三人に呼び掛ける、カズサ。その表情は、シグレからは伺えない。
「うちの“新入部員”は、そうしたいらしいけど。『放課後スイーツ部』としては────どうする?」
空白。その後に、笑い声。零れる様な、笑い声。
初めのそれが。最後のそれが。誰の物かは、わからなかった。
「ホントは頭良かったのにバカの振りしてました、ってなんかムカつくわね」
「私はロマンだと思うがね。能ある鷹は爪を隠す。我らを振り切って自分の道を貫くというのも、案外悪くは無いかもしれないよ、シグレ」
「やめてよナツ。冗談じゃない」
ただ、静寂は影も残さずに飛び立ち、後にはいつもの放課後スイーツ部が残っている。
「────私達も協力するから、ノドカちゃん達が補習授業部を抜け出せるように、手助けしてあげよう!」
「…みん、な」
シグレの胸の中で、感嘆が漏れる。
…この四人に、間宵シグレを簡単に逃す気は、どうやらないらしい。
────これは、補習授業部に課された『第二次特別学力試験』の、二日前の出来事。
結束を固め、決意を胸に抱くシグレを他所に────張り巡らされた策謀に、容赦はなく。
疑心は不和を呼び、妄信を引き起こす。凝り固まった、桐藤ナギサの内奥に蠢く闇が────
同日、夜。トリニティ総合学園情報電子掲示板にて、その姿を現した。
────────「補習授業部の『第二次特別学力試験』に関する変更事項のお知らせ」