1話
秋。
オースティン軍が鉱山戦線で敵とにらみ合い、きたる大規模侵攻への準備を進めていた頃。
我らがトウリ遊撃中隊150名は、ベースキャンプの
「右向け、右ー!」
「イエッサー!」
「もっと声出せ、声ー!」
「1、2! 1、2!」
そんな折、私は久しぶりに「あの男」の呼び出しを受けたのです。
「オースティンの悪魔」こと、参謀少佐ベルン・ヴァロウ。
敗北必至の戦況から敵を打ち破り、国を救った英雄。人を殺せば殺すほど称えられる「戦争」に大義名分を得た快楽殺人鬼。
「や、トウリちゃん。久しぶり~」
そんな彼は、いつものようにうさんくさい笑顔の仮面を張りつけて。
他に誰も居ないテントで1人、私を待っていました。
「お久しぶりです、ベルン・ヴァロウ少佐」
顔を見ただけでわき上がる不快感と、本能的な恐怖にも似た嫌悪感にふたをして、私は何食わぬ顔で彼にあいさつしました。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ま、ま。そう急かさずに」
彼は私に椅子を勧めると、以前にもそうしたようにポットから蒲公英茶を注いで、差し出してきました。
「まずはどうぞ? 良ければお茶菓子もあるよ」
「……お気遣いただき、恐縮です」
本音はあまり長居したくない、どころか1秒でも早く立ち去りたかったのですが。
上官の勧めを断ることもできず、私は温かい蒲公英茶に口をつけました。
これ自体は嫌いじゃないというか、むしろ好きなんですけどね。滅多に口にできない贅沢品ですし。呼び出した相手がベルンでなければ、いっそ役得とさえ思えたでしょう。
ただ、そうして蒲公英茶を飲んでいる間も、正面に座っている彼の視線が、じっと自分を観察しているのがわかりました。
女性が少ない前線で兵士などやっていますと、「見られる」こと自体はそう珍しくありません。
私は実年齢より幼い外見のせいで、女というより子供として扱われることの方が多いのですが、それでも。
まるで視線でなめ回すような、服を着ているのに裸を見られているような、欲望を含んだ目付きを向けられた経験がないわけではありません。
しかしこの時のベルンの目付きは、そういうレベルを超えていて。
まるで視線で解剖でもされているような、服どころか皮膚まで引っぺがされて体内をのぞかれているような、何ともおぞましいものでした。
その目付きのまま、口をひらいて言うことには。
「隊長職は楽しい?」
「は」
「だいぶ活躍してるみたいだね。噂になってるよ。軍の女神。
「それは、あの……」
確かに自分は、そのように呼ばれることもあります。
私にさわると縁起がいい。戦場で生きのびることができる。
そんな噂がなぜか広まってしまった結果、握手を求めてやってくる兵士が跡を絶たず、一時は行列を作るほどでした。
自分ではそのような御利益などないと理解していますし、思わぬ騒ぎになって困っているくらいなのですが。
ベルンは自分の弁解など聞く気はなかったようで、
「良かったね?」
にんまりと、口元を悪意に歪めて、私に笑いかけてきました。
「中隊長なんてお飾りの
「……っ!」
「前線で歩兵として戦いたいとか、仲間を殺された復讐がしたいとか――君がヴェルディ少佐に噛みついた、みたいな話も聞いたけど」
トウリ遊撃中隊の実態は、プロパガンダ兼訓練部隊です。
私の上官であるヴェルディさんは、私を前線に立たせるつもりはない、とはっきり仰いました。
「不満はないのかな? むしろ、本音ではホッとしてる?」
自分だけが安全な場所に居られるから、と。
……これは、あれですね。露骨に挑発されています。
彼は以前から私に、「自分の部下にならないか」と誘いをかけてきていました。
つまり今の発言の真意は、「俺の所に来れば好きなだけ敵を殺させてやるのに」ということなのでしょう。
「不満など全くありませんよ」
それは半分、嘘でした。
私の胸には、敵への憎しみと復讐心が今も
前線で敵と戦いたい。リナリーを殺した奴らを地獄に落としてやりたい。そう思っているのは、消せない事実です。
それでも私が、お世話になったヴェルディさんたちを裏切ってこの男につく、なんてことはありえません。
「そもそも自分は、上官の決定に不満を言えるような立場ではありません」
私のお行儀の良い回答を聞いたベルンは、いかにもつまらなそうな顔をしました。
不興を買ってしまったかもしれませんが、いいのです。私はこの男のご機嫌を取りたいなんて全く思っていませんから。
「用件は以上でしょうか? でしたら、自分にも任務がありますので、これで」
立ち上がり、形だけの敬礼をして立ち去ろうとすると。
「なんで、そこまでレンヴェル派に義理立てする?」
ベルンは張りつけたような笑みを消し、少しだけ素の顔をのぞかせて、そう聞いてきました。
「レンヴェルのジジイは老害だ。オースティン軍の癌みたいなもんだ」
「……今、何と仰いましたか?」
私はつい足を止め、聞き返していました。
軍の幹部の1人であり、長年オースティンに貢献してきた勇将を老害呼ばわり。いくらベルンが参謀長官の地位にあっても、許されることではありません。
しかしベルンは、私の非難の視線にも動じることなく。
「露骨な身内びいき。カビが生えた古くさい戦術。そのくせ自信とプライドだけはある。何度痛い目を見ても懲りずに、しつこく同じことを繰り返す」
とんとんと指先でテーブルを叩きながら、教科書でも読み上げるみたいに言葉を続けました。
「君は、さあ。今でこそ少尉殿だけど、募兵組の前線上がりだろ。しかも西部戦線ではレンヴェル老の旗下に居たんだよね?」
彼の指揮で「無意味な突撃」を繰り返させられた兵士たちが、どれだけ死んでいったかを見ているんじゃないのかと。
言葉を重ねられて、不覚にも動揺してしまいました。
あの絶望の西部戦線で、わずか数十メートル国境線を押し上げるために、日夜、戦友たちが命をすりつぶしていた。その光景は私の中に深く刻み付き、けして忘れられるものではないからです。
動揺する私を見たベルンは、ひどく満足そうでした。
「そうだ。そういう顔になるよな? けど、レンヴェルたちは違う。ああいう連中は、自分の作戦でいくら兵が死のうが、今の君みたいな顔は絶対にしない」
兵士の死は、彼らにとって「損害」だから。今回は何人、という書類上の数字に過ぎないからだとベルンは言いました。
「……少佐殿にとっては、違うと仰るのですか」
この男こそ、一兵卒の死なんて、ただの数字上の損失としか見なさないタイプに見えますけど。
「俺は公平な男だからね?」
「…………」
「どんな兵士も、使い方次第で多少は使える駒になる。無駄なく使って、死ぬまで役立ててやるさ」
ああ、なるほど。そういうことですか。
名もなき兵士も、レンヴェルさんのような将でも、ベルンにとっては駒に過ぎないと。
ある意味とても「公平」と言えるかもしれませんが、それが良いことだとはカケラも思えません。
「私は、レンヴェル中佐に大変お世話になっています」
背筋をのばし、精一杯、胸を張り、私はベルンの顔を見返しました。
「先程の少佐殿の暴言については――今回だけは聞かなかったことに致しますが」
2度目はない。そういうつもりで、言葉を切りますと。
ベルンは「はあ」とわざとらしくため息をついて、心なしか軽蔑のこもった視線を私に向けてきました。
「そっかー、君はあっち側に行きたいんだ」
「は?」
「だから、彼の身内びいきに堂々と乗っかれる側にさ。噂で聞いたよ。レンヴェル老、君を『本当の』身内にしたがってるんでしょ?」
君にもその気があるんだ、とニヤニヤしながら
「はああ?」
うっかり素で反応してしまいました。
レンヴェルさんが私に、そういう話を――彼の一族と婚姻を結ぶ気はないかと仰ってくださったのは事実ですが、
「そのようなつもりは全くありません!」
あまりに分不相応なお話ですし、そもそも自分は既婚です。亡き夫であるロドリーくん以外の人と婚姻を結ぶ気などありません。
「つもりがないなら、気をつけた方がいいよ。ヴェルディ少佐が妙に君のことを気に掛けるから、君らの仲が怪しいって噂してる奴らも居るみたいだし」
「事実無根です!」
私はつい、声を荒げていました。
上官に対する態度ではありません。……つまりはベルンのペースに乗せられていたのです。
彼の権力なら、適当な罪状で自分を処罰することだってできます。実際にはそこまでしなくとも、「処罰するぞ」と脅して言うことを聞かせることだってできるのです。
自分の身を守るためには、隙を見せてはいけない。日頃の行いには十分注意しなければならないと、かつて上官だったレィターリュさんにも忠告を受けていましたのに。
どうしてこの時は冷静さを欠いてしまったのか、自分でもよくわからないのですが。
「ヴェルディさんと私はそのような関係ではありません! あの方は私の――」
「私の?」
「大切な戦友で、頼れる兄のような存在と申しますか……」
沈黙が、テントの中に落ちました。
あのベルンが、なぜかあっけにとられたような顔で私を見ています。
何かおかしなことを言ってしまったでしょうか。あらためて自分の言動を振り返り――そこでようやく、私は冷静さを取り戻しました。
ヴェルディさんは、気さくで付き合いやすい方ではありますが、生粋のエリート軍人です。レンヴェルさんの甥であり、中央軍の英雄です。
そんな人をつかまえて「兄のような存在」だなんて、思い上がりも
「いえ、失言でした! 取り消します!」
「…………」
「申し訳ありません! あの……、ベルン少佐?」
なぜか全く反応がありませんね。声をかけても、あいかわらず唖然とした表情で私を見ているだけです。
何にせよ、相手が隙を見せてくれたのです。これ以上の長居は無用でしょう。
「その……、ご用件がお済みであれば、帰ってもよろしいでしょうか?」
「……ああ、うん。別にいいよ。バイバイ……」
ベルンは気の抜けた顔で私を送り出しました。
本当に、急にどうしたんでしょうね?