悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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10話

 やはり、そう簡単に忘れることなどできませんでした。

 

 その夜はリナリーの夢を見ました。

 元気だった頃の彼女に会えたら良かったのに、実際に夢に出てきたのは、彼女の最期の姿。

 血の涙を流して事切れていた、あの(むご)たらしい亡骸(なきがら)でした。

 

 日中、意識がある時も、ふとした瞬間に彼女の幻を見ることがありました。

 

 ――私を見捨てるの?

 

 そんな声が聞こえてくるような気もしました。

 

 ――私はスパイなんかじゃない。何も悪いことなんてしてないのに。

 

 リナリーはもちろん間者ではありません。疑いをかけられているあの少女は、リナリーとは別人なのです。

 

 ――トウリ義姉(ねえ)さん、助けて。このままだと私、ひどい目にあわされる。

 

 別人だと、赤の他人だと、頭ではわかっていても。

 やはり、このまま見過ごすことなどできない――そう思い知るのに、長い時間は必要ありませんでした。

 

 そもそも私は、あの少女が間者である、という話に懐疑的でした。

 ほんの一瞬、衛生部で見ただけですが。

 私には、悲惨な体験をして傷ついている、ただの一般人にしか見えなかったのです。

 

 あの少女を保護したのは南軍の部隊。取り調べもそちらで行われるとヴェルディさんは言っていました。

 つまり、彼女を助けるためには南軍の兵士、それも位階の高い人間に頼むしかありません。

 そんな心当たりは、1人しか居ませんでした。

 

 かくて、初めて少女を見掛けた日から3日後。

 その日の訓練を終えた私は、南軍で唯一、個人的な話ができそうな相手のもとを訪ねたのです。

 

「お会いになれないそうです」

 

 しかし私のアポなし訪問は、眼鏡の副官に阻まれてしまいました。

 

「ベルン様はご多忙の身です。面会の際は、必ず事前の申請を、できれば数日の猶予をもって」

 

 言われてみれば当然の話でした。

 これまで何度も気安く呼び出されたせいで、感覚がマヒしていましたが……。

 本来、あの男は私よりずっと(くらい)が上なのです。いきなり会ってくれなんて、寝言もいいところでした。

 

「申し訳ありません! 大変失礼しました!」

 

 すぐに謝罪して立ち去ろうとすると、程なく、足音が追いかけてきました。

 

「お待ちください、トウリ・ロウ少尉」

 

 追ってきたのは、あの眼鏡の副官でした。

 

「10分だけなら時間をとれるそうです」

「え」

「どうか、お戻りを」

 

 口調は丁寧ですが、その目は冷たく私を見すえていました。「非常識で図々しい小娘」と思われているのがはっきり伝わってきます。

 気分は針のむしろでしたが、今更「結構です」とも言えず、私は彼の後についてベルンのテントに戻りました。

 

 ベルンは机に向かって書類仕事をしていました。

 会うのは、何日か前に彼の仕事を手伝わされて以来ですが。

 その時よりさらに目の下のクマが濃く、顔色も悪くなっているように見えました。

 

「何の用だ」

 

 机に向かったまま、顔を上げることもせず、彼は聞いてきました。

 

「どうした。なぜ黙っている」

「……あの」

 

 用件を切り出さなくては、と頭ではわかるのに、言葉が出てきません。

 私はいったい何を考えていたのでしょうか。

 ベルンはヴェルディさんとは違います。多忙な折に個人的な相談を持ちかけられるほど、それを許してもらえるほど親しい間柄ではないのに。

 

「その……」

「何だ。今日はやけにしおらしいじゃないか」

 

 私が言葉をつまらせていると、ベルンは舌打ちしてペンを投げ捨て、テントの外に声をかけました。

 

「茶を淹れてくれ。休憩にする」

 

 間もなく、2人分の蒲公英茶が運ばれてきました。

 

「座れ。いつまで突っ立ってる気だ」

 

 口調は荒いですが、声はそこまでキツくもありません。むしろ、この話し方が彼の「素」なんでしょうね。

 

「……失礼します」

 

 向かい合って席につき、蒲公英茶に口をつけながら、私はちらりとベルンの様子を(うかが)いました。

 

 彼は黙って蒲公英茶を飲んでいます。

 笑いもせず、ふざけもせず、いつもうるさいほどよくしゃべる口を閉じたまま。

 生来の目付きの悪さ、もとい鋭さも、疲労のせいか今はあまり感じられず。

 そうしていると、何やら別人のようにも見えてくるのが不思議です。

 

「おい。いつまで(だんま)りを続ける気だ?」

 

 ふいにベルンが口をひらきました。

 

「何の用だか知らんが、付き合えるのはこれを飲み終わるまでだぞ」

 

 私は慌てて蒲公英茶の入ったカップをテーブルに置きました。

 

僭越(せんえつ)ながら、お尋ねしたいことがあって参りました」

 

 そうして私は、本題を切り出したのですが――。

 

「ああ、あのスパイか」

 

 ベルンはあの少女のことを間者だと決めつけていました。何か根拠があるのかと聞いても、

 

「ハッ。んなもん、見ればわかる」

「…………」

「あれは恨みの目だった。憎しみの目だった。自分から全てを奪った奴らに、何が何でも復讐してやるって目をしてた」

「…………」

「訓練を積んだ兵士じゃない。それならもっとうまく本心を隠せる。あれは一般人。それもオースティンに深い恨みを持ってる奴だ」

 

 ……なるほど。

 サバトやフラメールで民間人を虐殺したベルンは、そういう「恨みの目」を山ほど見てきたのでしょうね。

 なぜかついさっきまで忘れていたこの男への嫌悪感が、再び強く胸にわきました。

 

「敵を引き入れる役目か、諜報員か……。まあ、それは本人に聞いてみればわかることだ」

 

 それはあの少女に尋問を行う、という意味ですよね。

 仮に敵国に通じているのだとしても、まだ年端もいかない民間人の少女から、この男は情報を引き出す気でいるのです。

 

 そして私には、それを止めるすべがありません。

 彼女が間者だなんて思えないと、この場でいくら主張したところで無意味です。

 

 私にできることがあるとしたら。

 あの少女のために、何かしたいのなら。

 傍観者ではなく当事者として、この件に関わりを持つ必要がありました。

 

「ベルン・ヴァロウ少佐。お願いがあります」

「あ?」

「そのお役目を、私に任せてはいただけませんか?」

「はあ?」

「自分は、他人の嘘がなんとなくわかるので……」

「……ああ。そういや、前にそんなこと言ってやがったな」

 

 ベルンは冷ややかに私を見返して、

「そのわりに、新兵ごときにあっさり騙されて捕まってなかったか」

と、耳に痛い指摘をしてきました。

 

 あれは、その。

 端的に言って油断していたと申しますか、相手が素朴な顔の新兵だったからこそ、害意を見抜けなかったと言いますか……。

 

「そんな見た目に惑わされまくりの嘘発見器が役に立つのか?」

「…………」

「何だ、同情か? あんな小娘が尋問されるのは可哀想だって?」

 

 あいかわらず良い子ちゃんで居たいんだな、と馬鹿にしたように笑われて。

 

「……そう思ってはいけないのですか」

と私は言い返しました。

「あのような年端もいかぬ少女を尋問するのが、軍の仕事なのですか?」

 

 非難を込めた私の物言いに、ベルンは怒るでもなく、

「そうだけど?」

と答えて、軽く首をひねりました。

 

「諜報部がどんな仕事してるか、おまえ知らねえの?」

「……不勉強で申し訳ありません」

「あー、そっか。おまえ女だし、見た目はガキみたいだし。……何だかんだで大事にされてきたんだな。汚れ仕事のたぐいなんて、見たこともないか」

 

 ベルンが何を言おうとしているのか、この時の私には理解できませんでした。

 

「……何を仰りたいのですか」

 

 そう尋ねますと、ベルンは一見関係ないことを口にしました。

 

「おまえって、酒保とかよく行く方?」

 

 酒保。

 それは外部の商人が兵士たち相手に、さまざまな品物を売りに来る施設です。

 酒、煙草、菓子など。かつては珍しい嗜好品も手に入りました。

 

 ただ、ここ数年のオースティンは極端な物不足に陥っていますので、酒保で取り扱われる商品もその数を大きく減らしています。

 

 今現在、メインとなっているのは性風俗です。

 本職の娼婦や、暮らしに窮した戦争未亡人が体を売る場所。

 そんな酒保の話題を、一応は女性である私に振ってくるのは、何か良からぬ意図があるのではないかと、目を尖らせていると。

 

「南部戦線に居た頃、俺は事務方の手伝い――まあ、平たくいえば雑用係みたいな仕事をさせられてたんだが」

 

 ベルンは、世間話のような軽い口調で。

 

「その時、諜報部の助っ人に駆り出されてな。酒保の娼婦をまとめてしょっ引いたことがある」

 

 私の知らない、それまで想像したこともない、「軍の汚れ仕事」の話をしたのです。

 

「ああいう場所では、男は口が軽くなるもんだろ。軍の機密レベルの情報を、ぽろっともらしちまうような馬鹿も居る。間者にしてみれば狙い目なんだよ。体を売るのに、許可証やら身分証明書なんていらねえし」

 

 その時、逮捕された娼婦たちの中にも、確かに敵国の――この場合はサバトの間者がまぎれていたそうです。

 

 しかし全員がそうだったわけではありません。

 その娼婦のフリをしていた間者と個人的に親しかったとか、あるいは単に外国籍だったとか、そんな理由で逮捕された人も居て。

 軍の取り調べは、何の罪もない彼女たちに対しても容赦なく行われ――。

 

「少佐殿! もう結構です」

 

 ベルンがどんな「手伝い」をしたのか。

 娼婦たちにどのような「取り調べ」が為されたのか。

 具体的な話が出てきたところで、私はそのあまりの非道さ、残酷さに白旗を上げました。

 

「それ以上はどうか、ご容赦ください……」

 

 完全に血の気が引いていただろう私の顔を見ても、ベルンの顔色は変わらず。

 

「ま、要するに。軍隊ってのは、元々そういう場所だってことだ」

 

 あくまで軽い調子で、話を結びました。

 

「相手が女だろうが、子供だろうが。そんな理由で手心を加えることはない」

「…………」

「逆にいえば、そういう理由で手加減しちまう奴に、その手の仕事は無理ってことだな」

「…………」

「で? 今の話を聞いてもまだ、おまえはあの小娘に関わる気でいるのか?」

 

 ようやく、話がそこに戻ってきました。

 

「私は――」

 

 諜報分野に関しては、確かに全くの素人です。

 どんな理由であれ、女子供への暴力が正当化されるべきとも思いません。

 ベルンが言うところの「手加減しちまう奴」、つまりはそうした仕事では役に立たない人間、ということになりますが。

 

「あの少女が間者である、とは思えません」

「根拠は?」

「それは……。現時点では、具体的な根拠はありません。ただ直感的にそう思った、としか」

「話にならねえな」

「……恐れながら、少佐殿の仰る『オースティンへの恨み』というのも、客観性のある根拠とは言い難いのでは」

「ここで俺に文句つける? 良い度胸してやがんな、おまえ」

 

 ベルンが席を立ちました。

 蒲公英茶のカップはとっくに空になっています。

 約束の10分どころか30分は優に過ぎていますが、いまだ「出て行け」とは言い出しません。

 ゆっくりと私に近づいてくると、乱暴に肩をつかんで、ずいと顔同士を近づけ、

 

「そこまで言うからには、覚悟はできてるんだろうな?」

「……覚悟、とは」

「おまえの望み通り、あの小娘から話を聞き出す役目を任せてやったとして」

 

 もしも、それを果たせなかったら、何の役にも立てなかったらどうする気かと。

 明らかに脅しのこもった口調で問われて、私は臆さず言い返しました。

 

「その時は、少佐殿のお好きなように」

「ほう」

「貞操と婚姻以外のことでしたら、何でも従います」

「言いやがったな」

 

 ベルンは舌なめずりしそうな表情になりました。

 多分、失敗したら有無を言わさず部下にされる流れですね、これ。

 

「ですが、逆に。私がこのお役目を無事に果たせた時には、何かご褒美をいただけますか?」

 

 一方的に条件を飲むわけには参りません。不利を承知で、私は取引を持ちかけました。

 

 考えていたのは、少女の助命です。

 仮にスパイ疑惑が事実なら、どう転んでも命はありません。また、事実ではなかったとしても、軍の手にかかって尋問など受けたら、あの少女の心は壊されてしまうかもしれません。

 

 助ける方法があるとしたら、ある程度、権力を持っている人間の裁量に(ゆだ)ねるしかないのです。

 あの恋に狂ったアダー少尉が大した罰も受けずに除隊したように、地位と権力さえあれば、多少のルール違反はできてしまうのですから。

 

「ご褒美、ね。また随分と図々しい申し出だな」

 

 管轄外の仕事に首を突っ込ませてくれ、と頼んでいるのはこちらの方ですからね。普通はそれ以上の要求なんてできません。

 

「……ま、いいか。おまえが俺の役に立つ情報を取ってきたら、その時は何か考えてやる」

「お願いします」

 

 ただし、とベルンは続けました。

 

「期限は3日だ」

「3日……」

「ああ。俺は優しい上官だろう? 『3日も』時間をくれてやるんだからな」

「…………」

「手はずは整えてやる。……ちと面倒だが、レンヴェル派への口利きもしてやる。その代わり、必ず使える情報を聞き出せ。わかったな」

 

 淡々と、簡単な事務仕事でも任せるように命じられて。

 私は、今更ながらプレッシャーを感じていました。

 我ながら、とんでもないことに首を突っ込んでしまったのではないかと――気づいた時には、後の祭りでした。

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