スパイかもしれない少女から情報を聞き出すため、ベルンに協力する。
自分のこの希望は、簡単には通りませんでした。
ベルンは確かに中央軍に話を通してくれたようなのですが、レンヴェルさんが許可してくれなかったのです。
それどころか、私は彼のもとに呼び出され、ものすごく叱られました。
「そんな管轄外のことより、自分の任務に集中せんか! この馬鹿もん!!」
正論です。ど正論です。反論の余地がありません。
「だいたい何だ、ベルン少佐の手伝いってのは! 奴には関わるなと言ったばかりだろうが!!」
「叔父上、どうか落ち着いて……」
結局は、見かねたヴェルディさんの取りなしで、訓練の後に数時間だけ、という約束で許可をもらうことができました。
通常、訓練後の時間はテントにこもって書類仕事をしています。
その時間を別のことに使ってしまったら、あとは睡眠時間を削るしか手がありません。
ガヴェル曹長にも、当然のことながら嫌そうな顔をされました。
俺が忠告してやったのに聞かなかったのかよ、という不満を隠そうともしないまま、彼が私に告げたのは。
「まあ、書類仕事の方は、俺1人でもできるだけ進めとくよ」
……という、実に慈悲深いお言葉だったのでした。
「ガヴェル曹長……」
「全部は無理だぞ。できるだけ、だぞ」
「私に協力してくださるのですか?」
彼は「仕方ないだろ」とため息をつきました。
「おまえは俺の隊長殿だし、ヴェルディ様にも頼むって言われたし」
「……ありがとうございます」
こうして心優しいお2人のおかげで、私は3日間だけ衛生部に通えることになったのです。
1日目。
私は歩兵部隊の中隊長ではなく、ただの衛生兵ということにしてもらって少女と面会しました。
最初に見た時、衛生部の片隅に寝かされていた少女は、今はレィターリュさんのテントで寝起きしているそうです。
さすがに兵士でもない女の子を、男性たちと同じ場所で寝かせておくわけにはいかなかったのでしょうね。
「マリー、こちらノエル二等衛生兵よ」
レィターリュさんが彼女に紹介してくれました。
「今日からしばらくの間、あなたのお世話係をしてもらうことになったから」
たとえスパイの疑いがあっても、彼女は建前上、「保護された民間人」です。
傷が癒えたら、いずれ安全な内地に送られる――と、本人には伝えてあるそうです。
私はそんな彼女の「お世話係」。忙しい衛生部長に代わって、彼女の身の回りの世話をするために来た、という設定になっています。
「はじめまして、ノエルさん」
彼女は私の目を見て、丁寧にあいさつしてきました。
「見たところ、私よりも年下なのに……。もう軍でお勤めしてるんですね、偉いです」
彼女はリナリーより1つ年上の15歳だそうです。
……ちなみに私は現在17歳。年が明ければ程なく18になります。
「ノエル二等衛生兵は15歳なのよ」
レィターリュさんが笑いをかみ殺しながら、設定通りの年齢を彼女に告げました。
「あなたの話し相手になってもらおうと思って呼んだの。同い年だし、女の子だし、むさ苦しい男性兵士よりはいいでしょう?」
「……はあ。お気遣いいただき、恐縮です」
彼女は、自分が疑われているということを知っていたのでしょうか。
あるいは、戦乱に巻き込まれたショックで、心を閉ざしていたのかもしれません。
その対応は丁寧でしたが、態度は硬く、口数も少なく。
初日は当たりさわりのない会話以外、交わすことができませんでした。
これではまずいと思った私は、帰り際、レィターリュさんに相談してみました。
私と同じく、彼女が間者だという話に懐疑的だったレィターリュさんは、快く相談に応じてくれました。
「ベルン参謀少佐は、彼女がオースティンへの恨みで敵に協力しているとお考えのようなのですが……」
「へえ、あの人はそんな風に言ったの? でも、私の意見は違うわね」
レィターリュさんの瞳がきらりと光りました。
「あれはね、恋の目よ!」
「は?」
「熱くてあま~い恋に落ちて、夢中になっている時の目だわ!」
「あの、レイリィさん?」
「私の見立ては確かよ、トウリちゃん。あの子は間違いなく恋をしているわ! 他のものは何も目に入らないくらい、盲目的で運命的な恋よ!」
なぜ今、色恋の話題になるのでしょうか。正直、ベルンの説よりさらに根拠が不明なのですが……。
「これは真面目なアドバイスよ。あの子の心をひらきたいなら、恋の話題を振ってご覧なさいな」
レィターリュさんは自信満々でした。
私も、有能な彼女がそこまで言うのなら、と思い。
他に良い手立てが思いつかなかったこともあって、その夜は彼女に話せそうな「恋バナ」を考えながら眠りにつきました。
2日目。
自分は早速、レィターリュさんの助言を実行に移しました。
「マリーさん。実は自分には心に決めた人がおりまして」
「えっ……! ノエルさん、恋人が居たんですか?」
「恋人というか、夫です。既に籍を入れています」
「ええーっ……、早くないですか? そんなちっちゃ、じゃなくて、可愛らしい見た目で結婚とか……」
なぜだか、どん引かれてしまいました。
しかも「旦那さんて、そういう趣味の人なんですか?」と、意味のわからないことも聞かれました。
そういう趣味とは、どういう趣味のことなのでしょう。
「夫は、とても優しくて、勇敢で、ステキな人です」
既に鬼籍に入っている、という話は伏せておくことに致しましょう。あまり重たい空気になっても何ですし。
「はあ、良かったですね……?」
しかし、唐突なノロケ話を聞かされたマリーさんは、どんな顔をすればいいのかわからない、という反応をなさいました。
よく考えたら当然ですね。この後、どう話を転がせば良いのですか、レィターリュさん。
「ちなみに、このキツネの人形は、結婚前に夫が買ってくれたものです」
「指輪とかじゃなくて、人形……?」
「私は人形遊びが趣味でして」
「ノエルさんって、本当に15歳なんですか? 実は10歳くらいだったりしません?」
「…………」
「…………」
結局、その日の会話は、何とも微妙な空気になっただけで終わりました。
もともと私は、人と話すのが得意ではありません。
表情も乏しい方だとよく言われますし、自分の気持ちを言葉にするのも苦手です。
そんな自分が、つらい目にあって心を閉ざしている初対面の少女から話を聞き出すとか。
もしかしてこれ、ものすごく無謀なことをやろうとしてるんじゃないでしょうか。
今さら気づいたところで、もはや後戻りはできません。
3日目。
やはりマリーさんとの会話は弾みませんでした。
「あの、ノエルさんもお忙しいでしょう? 無理に私に構わないでください。1人でも大丈夫ですから」
やんわりと拒絶されてしまいました。これはまずいです。非常にまずい流れです。
「マリーさん、ってステキなお名前ですよね」
どうにか会話を続けようと、私は適当に思いついたことを口にしました。
「はあ、そうですか? ものすごくよくある平凡な名前だと思いますけど……」
「親しみを込めて、マーシャさん、とお呼びしてもよろしいですか」
「別に親しくはないので、やめてください。……っていうか、それってサバト風の呼び方ですよね?」
マリーさんの瞳が、かすかに尖りました。
「私の故郷はサバトから遠かったので、あの国への恨みとかは特にないんですけど……。つい最近まで戦争してた国ですよ? 兵隊さんとして、思うところはないんですか?」
「それは」
私は、一瞬迷ってから答えを告げました。
「国としてのサバトには、確かに恨みがあります」
ですが、サバトはゴムージの、私を助けてくれた恩人の故郷です。
彼の忘れ形見であり、いまや私にとってかけがえのない存在となったセドルくんもサバト人です。
「国と国が争えば、そこに生きる人たちは必然的に引き裂かれ、戦うことになってしまいますが――」
サバトで共に戦った、シルフやゴルスキィさんの顔が脳裏をよぎり。
彼らへの親しみと、大切な人を奪われた憎しみを同時にこの胸に宿しながら。
「できることなら、人を恨みたくない。憎むのは戦争だけにしたい」
私が口にしたのは、けして実現できない綺麗事でした。
悪いのは戦争であって、サバトの人たちじゃない。そんな風に、割り切って考えられたらどんなに楽だったでしょう。
大切な戦友たちを奪われたことも。
愛するロドリーくんを奪われたことも。
故郷ノエルを焼かれ、家族のように育った孤児院のみんなを奪われたかもしれないことも。
全部全部あいつらのせいだと、本音では思っているくせに。
もっと
まだ記憶にも残らないような幼い頃、サバトの工作兵が
私は、連れて逃げてくれた人が居たおかげで、どうにか助かったのですが――。
――さよならだ、イリス。
ズキンと、頭の奥が痛みました。
――やだ、置いてかないで。
そう、連れて、逃げてくれた人が。
あの日、村中が燃えて、大勢の人が死んで。
怖くて怖くて、震えながら泣くことしかできなかった私を抱えて、あるいは背負って。
ノエル孤児院まで連れていってくれた人が、確かに居たはずで。
――行ったらダメ。置いてったらダメ。
私は、立ち去るその人の背中に向かって叫んで、振り向いてくれないから、走って追いかけようとして。
すぐに足がもつれて転んで、大泣きしながら、その人に手をのばして――。
「ノエルさん?」
私はハッと顔を上げました。
「急にどうしたんですか? 顔が真っ青ですよ?」
「……すみ、ません。ご心配を……」
おかけして、と謝ろうとした声は声にはならず、私はふらりとよろめいて、その場にへたり込んでしまいました。
「ちょ、大丈夫ですか?」
「…………」
「誰か、誰か来てください! ノエルさんが……!」
マリーさんが叫ぶ声を聞きながら、私の意識はゆっくりと遠ざかり。
次に気づいた時には、衛生部の片隅で、他の負傷者たちと一緒に寝かされていました。
「あら、トウリちゃん。起きた?」
「レイリィさん……」
「気分はどう? まだ気持ち悪い?」
「…………」
私はゆっくりと慎重に身を起こしました。
レィターリュさんは私の顔色を見たり、脈をとったりしながら、
「多分、精神性の貧血じゃないかと思うのね? 念のため、今夜一晩はここで休んでいく?」
「いえ……」
仕事もありますし、のんびり寝てなどいられません。
「ご迷惑をおかけしました。自分はテントに戻ります……」
「本当に大丈夫? 無理してない?」
「はい」
「そう? それなら好きにしてくれていいけど……。あ、そうだ。さっきベルン少佐がここに来てね。あなたが起きたら伝えておいてほしいって頼まれたんだけど」
「…………」
「あの件はどうなった、報告に来い、ですって。ちなみに、時間は何時になってもいいそうよ」
私はパタリと倒れ込みました。
いっそもう1度気絶したいくらいでしたが、そのまま目をつぶっていても、意識が途切れることはもちろんありませんでした。