「さーて、何をしてもらおうかなあ」
ベルンは上機嫌でした。
「結婚以外のことなら何でもするって話だったよね?」
一方の自分は、さながら死刑囚のような気分で彼のテントに足を踏み入れました。
役目を果たせなかった以上、要求に従うのは仕方がありません。……仕方がないのですが、
「あの、少佐殿?」
「ん?」
「もう少しだけ、時間をいただくことはできませんか?」
あと数日、せめて1日だけでも。
ベルンは即座に笑みを消して、「甘えるな」と一蹴しました。
軍事行動中に決められた期限を守れなかったとして、敵に「待ってください」と頼む気かと。
正論で責められてうなだれていると、「勝算はあるのか?」と続けて問われました。
「レィターリュ衛生部長の話じゃ、おまえ、あの小娘にまるっきり相手にされてなかったそうじゃないか」
それは事実だったので、私は素直に認めました。
「仰る通りです。私はどうも、人と話すのが不得手なようで」
「……それでよくあんな取引を持ちかけようと思ったな?」
「はい。ですから今後は、やり方を変えようかと」
「?」
そもそも「3日で情報を引き出す」なんて無茶な話なんですよね。正攻法でうまくいくはずがありません。
ここは軍隊です。目的のためには、手段を選んでなどいられません。
失敗すれば何かを失う。その何かは、誰かの命かもしれない。そういう場所なのですから。
「あの少女と話していて、気づいたことがあるのですが……」
マリーさんは年のわりに受け答えもしっかりしていて、見た目によらず気が強くて。
そういうところもリナリーに似ていると、私は思ったのですが。
家族を全員亡くしてしまい、ヤケになって死を望んでいたリナリーと違い、彼女はまだ生きたがっているように私には見えたのです。
「自分から全てを奪った相手に復讐しようとしている。少佐殿は彼女のことをそんな風に仰いましたが……」
おそらくマリーさんには、まだ誰か居るのではないでしょうか。自分にとってのセドルくんのような、心の支えになるほど大切な存在が。
「完全には絶望していない。そう見えたので……」
ベルンは気のない顔で「へえ」とつぶやいて、
「その話が『使える』のか?」
「……はい」
使えるか使えないかで言ったら、間違いなく使えるでしょう。……ただしそれは、人の道を大いに外れた手段になりますけど。
「おまえに? できんの?」
いかにも疑わしそうな顔で確認されて、それでも私はうなずきを返しました。
「はい。必ず、お役に立って見せます」
「…………」
ベルンの疑わしそうな顔は変わりませんでしたが、私が強気な態度を崩さないのを見て、
「まあ、いいだろう。我ながら甘いとは思うが――」
あと1日だけくれてやる、とそう言いました。
それは実際に「甘い」と言えるくらいの譲歩でした。
私が驚いて見返すと、ベルンは心なしか疲れたような顔をして、
「ただし、レンヴェル老への言い訳は自分でしろよ。俺は関知せん。あのジジイにごちゃごちゃ言われるのはうんざりだ」
中央軍の司令官をジジイ呼ばわりしつつ、ベルンは自分の頼みを聞いてくれたのでした。
*****
かくて、4日目。
これ以上の猶予はどう頑張っても得られないだろうという、最後の日。
私は衛生部のテントで、マリーさんと向き合っていました。
「また来たんですか」
私の顔を見て、彼女は露骨に迷惑そうな顔をしました。
「今日は大切なお話があります」
「何でしょうか」
「あなたと、あなたの大切な人の身の安全に関わる話です」
そう切り出すと、マリーさんの表情にかすかな緊張が走りました。
「あなたは賢い人です。おそらく、薄々察していらっしゃいますよね? ご自分の身に、疑いがかけられていることを」
「……何の話ですか」
「わからなければ、それでも結構です。ただ、これから自分が話すことをよく聞いてください」
そうして私が語ったのは、先日ベルンに聞かされた、酒保の娼婦たちの話。
サバトの間者だと疑われた彼女たちが、どのような惨い目にあったか――その詳細を語ったのです。
それは本来であれば、とても一般人の少女に聞かせられる内容ではありません。
案の定、マリーさんの顔が見る見る青ざめていきました。
「そんな残酷な……! ただ疑われただけでそんなこと……!」
人として当然の困惑と怒りを見せる彼女に対し、私は眉ひとつ動かさずに話を続けました。
「仰る通りですね。ですが、それが軍のやり方なのです」
「……!」
「このままだと、あなたの身にも同じことが起きかねません。たとえあなたが年若い女性でも、軍というのは、そんな理由で手心を加える組織ではないのです」
マリーさんの顔はさらに血の気を失い、ほとんど蒼白になりました。でも。
「……私は、何も悪いことはしていません」
彼女の態度は、いまだ
たとえ脅されても、こちらの思い通りにはならない。そんな強い意志を感じさせるものでした。
多分、彼女は、自分が傷つくことは最初から覚悟していたのでしょう。
ならばと思い、私は用意してきた言葉を唇に乗せました。
「あなたの大切な人が、どうなってもいいのですか?」
それは我ながらひどいセリフでした。
物語の中であれば、悪役しか口にすることがないような。
「居ますよね、あなたには。何としても守りたい人が。その人のためなら、何でもしたいと思えるくらい特別な存在が」
まして相手は、軍属でもない一般人なのに。
戦乱によって傷つけられた、何の罪もない年下の少女に対して、私は説得ではなく、脅迫という手段を用いることにしたのです。
「軍を舐めないでください。それが誰だか、とうに調べはついています」
「嘘よ!」
彼女は叫びました。
まだあどけなさの残るその顔に浮かぶのは、まごうことなき恐怖の色でした。
ああ、やはり。
彼女は全てを奪われてはいなかった。まだ大切な人が、守りたい人が居る。
それはきっと、戦乱で家族を失った彼女に残された最後の希望で。
レィターリュさんの見立て通りなら、彼女にとっての愛する人なのでしょう。
「嘘ではありません」
それはただのハッタリでした。彼女の「大切な人」が誰かなんて、調べる暇はありませんでしたので。
ですがマリーさんは、いともたやすくそのハッタリを信じてしまいました。
おそらく彼女は、見た目よりずっと疲弊していたのだと思います。
まだ10代半ばの少女が軍に「保護」され、何日も過ごしてきたのです。気丈に振る舞っていても、内心は限界だったに違いありません。
「お願い! 彼には何もしないで!」
私にすがりついてきたマリーさんは、その瞳を涙で濡らしていました。
「オースに村を焼かれて! 家族を殺されて! 絶望して、死のうとした私を救ってくれた人なの! 優しい人なの! 私にはもう、彼しか居ないの! どうか、お願いよ……」
「マリーさん……」
「愛してるの! 彼を愛してるのよ! あなたも女ならわかるでしょう……」
マリーさんの懇願を聞きながら、私は絶望で目の前が暗くなりかけました。
彼女にかけられた疑いは、残念ながら誤りではなかったのです。
私が彼女を潔白だと思ったのは、「そうであってほしい」という願望による思い込みで。
この少女は何かを知っている。一般人を装い、何らかの目的を持って軍に潜入しようと試みたのだと。
「話してください。あなたの役割を」
そう理解してしまった私は、泣き崩れるマリーさんに、わざとらしいほど優しく言葉をかけました。
「我々に協力してくだされば、悪いようにはしませんから」
「本当に……?」
奈落の底に救いの糸を垂らされたかのように、マリーさんの表情に光が灯りました。
本当のわけがないじゃないですか。
私はあなたを騙そうとしているのですよ。
リナリーと、自分の義妹と面影を重ねてしまった少女が、無惨に殺されるのを見たくない。
そんな極めて身勝手な理由で、あなたから愛する人を奪い、最後の希望を奪おうとしているのです。
こみ上げる吐き気をこらえながら、私は必死で優しい顔を保ち、彼女の「告白」に耳を傾けました。
そうして語られた話によれば――。
*****
マリーさんは確かに、国境沿いの村で暮らすオースティン人でした。
しかしフラメールとの間で戦争が起きた時、彼女が暮らしていたのは国境の向こう側。
彼女の母親はフラメール人だったのです。
マリーさんは10歳の時に事故で父親を亡くし、以後はずっと母方の実家で暮らしていました。
フラメールの友人に囲まれ、フラメールの村を故郷として。
つまり彼女の村を焼いたのは、国境を越えて侵攻してきたオースティン軍の方でした。
家族も友人も隣人も殺され、彼女自身は瀕死のところを運良く偵察中のフラメール軍に拾われ、命を救われました。
そして復讐のために自ら志願して間者になったのだとか。
彼女は訓練を積んだ兵士ではありませんが、オースティンに深い恨みを持ち、どちらの国の言語も流暢に操ることができます。フラメールにとっては、十分に「使える」人材だったのでしょう。
軍に保護された後は内地に移動し、そこで既に入り込んでいる諜報員と協力して、任務にあたる手はずだったそうです。
なお、マリーさんが「彼」と呼んでいたのは、その「既に入り込んでいる諜報員」のことでした。
その男は酒保に出入りしていた商人で、主な
何にせよ、敵国に通じていたスパイです。今後は厳しい取り調べを受けることになるでしょう。
生きのびる可能性は……、おそらく、ゼロに近いと思います。
「おい、どうしたんだよ?」
その日、テントに戻った自分は、心配顔のガヴェル曹長に出迎えられました。
「具合でも悪いのか? そんな今にも死にそうな顔して……」
「……大丈夫です」
自分は無理に笑って見せました。
するとガヴェル曹長は、にわかに幽霊でも見たかのような顔をして、
「ちょっと待ってろ」
早足でテントを出て行ったかと思うと、程なく戻ってこられました。
「ぷー、ぷっぷくぷー」
いかにもだるそうにプクプク言っているアルギィを連れて。
「どうしたのですか? 彼女がまた何か問題でも?」
「じゃなくて、このプクプク女は一応看護兵だろ。おまえの具合が悪そうだから、診てもらおうと思って連れてきた」
「大丈夫ですよ、本当に……」
ガヴェル曹長は聞いてくださいませんでした。
私を寝台に座らせると、ひたいにふれて熱をはかり、肩に寝具をかけて。
「って、俺が介抱してどうすんだ。プクプク女! ちゃんと仕事しろよ!」
「ぷくぷくぅ……」
不満そうに近づいてきたアルギィは、たった今ガヴェル曹長がしたように私の熱をはかり、脈を診て、軍服の上を脱がせて。
それから「副長、いつまで見てるの?」と言いたげにガヴェル曹長を見上げました。
「……っ! 外で待ってる!」
ダッシュで出て行こうとしたガヴェル曹長が、置いてあった椅子につまずき、あわや転びかけるのを見送って。
「ぷー、くすくす」
その様子を鼻で笑うアルギィの顔を眺めながら、私は寝具にくるまり、目を閉じました。
今夜はきっとひどい悪夢を見ることでしょう。
先に逝った戦友たちに軽蔑され、リナリーに罵倒され、ロドリーくんにも嫌われてしまうかもしれませんね。……でも、そうなっても仕方ないのです。
私は最低です。
人でなしで、偽善者で、エゴイストです。
あんな年端もいかない少女を騙して、恋人を奪った。卑しい性根の、救いようがない「悪人」なのですから。