悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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13話

 それは、遠い春のこと。

 

 幼い私は、黄色いタンポポの花畑で遊んでいました。

 花畑の向こうには小さな野菜畑があって、赤い髪の少年が野良仕事をしています。

 

 ――遠くへ行くんじゃないぞ。

 

と、彼は言いました。

 遊びに夢中になると、私がよく迷子になってしまうのを知っていたからでしょう。

 

 ――行かないから、一緒に遊んで。

 

と私は頼みました。

 

 ――忙しいから、ダメ。

 ――けちー!

 

 むくれた私は、花畑を出て、背の高いくさむらへと移動しました。

 私の姿が見えなくなると、彼はいつも探しに来てくれます。今回も、すぐに草を踏み分けやってきて、

 

 ――見えない場所には行くな、って何度も言ってるよな?

 

 少しだけ怖い声を出すと、どこからか取り出した(ひも)を私の腰の辺りに巻いて、近くの木の幹にぐるぐる巻きつけて。

 また何食わぬ顔で畑仕事を再開した彼に、私は「動けないよぉ」と抗議しました。

 

 ――言うことを聞かなかったおまえが悪い。

 ――ごめんなさい! もうしない!

 ――絶対だな?

 ――ぜったい、ぜったい!

 

 すると彼はまた歩み寄ってきて、紐の長さを調節してくれました。

 だいたい3メートルくらいの範囲でしょうか。私は仔犬のようにつながれたまま、1人で遊んでいろと命じられました。

 

 ――つまんないよぉ。

 

 私はただ、彼に構ってほしかっただけなのに。

 どうしてこんな意地悪をするのでしょうか。ちょっとくらい、優しくしてやろうという気持ちはないのでしょうか。

 

 ――ねえ。お仕事、まだ終わらないの?

 ――うるさい。邪魔するな。

 ――つまんない、つまんない!

 

 騒いでも無視されました。

 ふてくされた私は、花畑の中にごろんと寝転がりました。

 

 タンポポは今を盛りと咲いています。

 お日様のような黄色い花がいっぱいで、とてもキレイなのに。

 1人で放っておかれるのはつまらなくて。ちっとも楽しくなくて。

 

 ごろりと寝返りをうった時、私は気づきました。

 黄色いタンポポの中に、1輪だけ真っ白な綿毛が混じっていることに。

 まん丸の綿毛は見るからに可愛かったので、私はそのタンポポを摘んで彼に見せに行くことにしました。

 

 ――見て! 真っ白!!

 

 思いきり声を上げたのは、途中で腰に巻いた紐が引っかかって進めなくなってしまったからです。

 彼はうるさそうに顔を上げて、

 

 ――おまえの耳には綿毛がつまってるのか?

 

と、幼い私には意味のわからないことを言いました。

 

 ――邪魔するな、ってさっき言ったばかりだよな?

 

 そして彼は早足で歩み寄ってくると、私が差し出したタンポポにふっと息をかけ、綿毛を吹き飛ばしてしまいました。

 

 ――あー!!

 

 悲鳴のように叫ぶ私を見て、彼はケラケラ笑っています。

 すっかり機嫌を損ねた私は、その後はずっと1人で遊びました。

 

 タンポポの咲く季節、村の子供たちはよく花冠を作ります。

 私も見様見真似で作ろうとしましたが、うまくいきません。

 幼い私の手では、タンポポの茎をうまく結ぶことができなくて。

 結局、夕陽の光が差す頃になっても、お粗末な出来映えのものしか作れませんでした。

 

 べそをかいていると、畑仕事を終えた彼がやってきて。

 私の手から花冠を取り上げ、あっという間にバラバラにして、またあっという間に編み上げてしまいました。

 

 それは小ぶりだけれど、とても形のいい花冠で、私は驚きました。

 だって、彼はいつだって意地悪で、いくら「作って」と頼んでも、言う通りにしてくれたことなんかなかったのです。

 ぽかんとしている私の頭を、彼は軽くなでて。

 

 ――帰るぞ、イリス。

 

 そう言って、私に背を向けたのでした。

 

 ――待って。

 

 私は、彼の背中を追いかけて。

 

 ――待ってよ、おにいちゃん!

 

 そう大きな声で呼びかけたのでした。

 

 

 

「確かに、悪い夢でしたね……」

 

 目覚めた私は、寝台の中で1人、乾いた笑い声をもらしました。

 

「本当に悪夢ですよ……。こんな馬鹿げた話が……」

 

 怖気(おぞけ)に体を震わせながら、両手で顔を覆ってうずくまっていると、涙が一筋、頬をつたって落ちました。

 それは熱くて、とても忌まわしくて、ほんの少しだけ懐かしい。

 遠い昔にできた、傷痕の痛みなのでした。

 

 

 

*****

 

「お疲れ、トウリちゃん。いやー、思ったよりもうまく運んだなあ」

 

 数日後、ベルンは私を呼び出し、それは白々しく(ねぎら)いの言葉をかけてきました。

 

「君のお手柄だよ。あの小娘が言わなくてもいいことまでベラベラ吐いてくれたおかげで、仕事がやりやすかった」

「……恐縮です」

 

 私は形だけ頭を下げました。

 

 実際のところ、自分がしたことにどれほど意味があったのかはわかりません。

 ベルンは最初からあの少女が間者だと確信していました。当然のことながら、彼女に見張りくらいつけていたでしょう。

 

 怪しい人間の目星も、ある程度はついていたのではないでしょうか。

 後で知ったことですが、きたるフラメールへの大規模侵攻に先駆けて、軍に出入りするスパイを一掃しようという計画自体は元々あったようです。

 

 酒保に出入りする商人たちは部外者ですので、最初から疑いの目を向けられていた存在でした。たとえマリーさんの一件がなくても、彼らの運命はさほど変わらなかったかもしれないのです。

 

「フラメールも終わってやがるな。あんな馬鹿正直な小娘に、間者なんて務まるわけがないだろうに」

 

 マリーさんが秘密を打ち明けたのは、馬鹿正直だからではありません。ただ愛する人を守りたい一心でした。

 そんな彼女の想いを薄汚い舌で(あざけ)りながら、悪魔はひたすら上機嫌に話を続けます。

 私は適当に相槌を打ちながら、機会を待っていました。

 

「あ、何か飲む? 珍しい菓子とかあるけど、いる?」

「いえ、お気遣いなく」

 

 一応言質(げんち)はとっていますが、本来であれば私は、個人的な要求などできる立場ではありません。確実に目的を遂げるためには、慎重になる必要がありました。

 

「それより、例のご褒美についてなのですが――」

「ああ、もちろん忘れてないよ」

 

 どうせ望むのはあの女の助命だろうと、ベルンは言いました。

 

「許していただけるでしょうか?」

「いいよ。普通はダメだけど、今の俺の地位なら、どうとでもできるし」

 

 良かった、と私は思いました。

 これで、あの少女の命は助けることができる。……本当に、命だけは。

 

 ほんの一瞬、彼女の「愛する人」の助命も頼んでみようかという考えがわき上がりましたが、すぐに打ち消しました。

 ベルンが承知するわけがない、というのも理由のひとつですが。

 

 そもそも私は、その男のことを疑っていたのです。

 まともな人間であれば、兵士でもない自分の恋人を、敵地に送り込んだりはしません。

 十中八九、その男はマリーさんを騙したのでしょう。家族を失って絶望していた少女の心につけ込み、利用した。そんな卑劣な(やから)に違いありません。

 

 ……などと思うのは、自分が楽になりたいからでしょうか。

 私がしたことは、結果的にあの少女のためになるのだと信じたいのでしょうか。

 だとすれば、卑劣なのは私の方ですね。

 その男の想いが本物であれ偽物であれ、私がマリーさんから「愛する人」を奪った事実は何も変わらないというのに。

 

「……彼女はこれから、どうなりますか」

「んー、そうだね。国内に置いとくのはさすがにまずいし、半分はフラメール人だっていうなら、あっちに送り返してやるのが1番いいんじゃないかな」

「…………」

「危害は加えない。もちろん余計な迫害もしない。それでいい?」

「……感謝します、少佐殿」

「ははっ、全っ然嬉しそうじゃないね、君」

「それでは、自分はこれで――」

 

 退出しようとすると、「待った」と声をかけられました。

 

「もうひとつあげようか、ご褒美」

「……いえ、もう十分です」

「そう言わずにさ。今回は君のおかげで助かったし」

 

 ベルンは本当に機嫌が良さそうな顔をして、

 

「何かしてあげたい気分なんだよ。今なら多少の無茶は聞くよ?」

「…………」

「あ、疑ってる? 別に裏とかないってば。たとえば、そう。休暇とかほしくない?」

「休暇、ですか」

「うん。今すぐは無理だけど」

 

 たとえば、フラメールとの戦争が終わった後に。

 普通に考えれば、戦後も軍部は忙しく、兵士たちも当面の間は故郷に戻れないはずですが。

 ベルンのような立場の人間が許可すれば、話は別なのでしょうね。

 

「行きたい場所があるんでしょ? 何なら3ヵ月くらいまとめて休みをあげてもいいけど」

 

 私の行きたい場所とは、考えるまでもなくサバト経済特区のことですよね。

 裏がないと言いつつ、あからさまに恩を売ろうとしているのがわかります。

 

「それは、非常に魅力的なお話ですが……」

 

 自分だけ休みなどもらえませんし、今はセドルくんに会うことさえ罪深く感じてしまいます。

 こんな自分が彼に関わるのは、果たして正しいことなのでしょうか。このままアニータさんにお願いした方が良いのではないでしょうか。

 

「……ただ、そうですね。せっかくのお申し出ですし」

 

 ベルンに頼みたいことというなら、ないわけではありません。

 

不躾(ぶしつけ)ながら、少佐殿にお願いがあります」

「俺に?」

「はい。正確には、してほしいことが」

 

 そう言って、自分はベルンに一歩近づき、最敬礼しました。

 つまり、頭を差し出したような形です。

 そのまま動かずにいると、「何やってるの?」と怪訝(けげん)な声がしました。

 

「自分の頭を、なでていただけますか」

「……は」

「自分の頭を、なでてください。ベルン少佐殿」

 

 

 

*****

 

「もしかして、君、すごく疲れてる感じ?」

 

 しばしの沈黙の後に、ベルンが口にしたセリフがそれでした。

 言葉だけだと心配しているようですが、口調からは(あざけ)りを感じます。暗に、「頭が変になったのか?」と聞かれているのがわかります。

 

「あいにく、自分は正気です」

「…………」

「狂ったわけではありません。平静に、冷静に、お願いしているのです」

「……とりあえず、話しにくいから顔上げてくれる?」

 

 私は最敬礼の姿勢から元に戻りました。

 ベルンはじっとこちらを見ています。なおも正気を疑っているような、どことなく困惑混じりの視線で。

 

「ダメですか。ご許可いただけませんか」

「…………」

「どうか、お願いします。2度は申しませんので」

「……まあ、そこまで言うなら?」

 

 ベルンは席を立ち、近づいてきました。

 こちらに手をのばそうとして、1度ぴたりと静止し、

 

「本当に、いいの?」

「はい、お願いします」

「メチャクチャ嫌そうなんだけど?」

「生まれつき、こういう顔です」

「……あ、そ」

 

 なおもしばらくためらってから、ベルンはぽんと自分の頭に手を乗せました。

 

 ぞわっと悪寒がしました。

 全身に鳥肌が立ち、強い嫌悪感がこみ上げてきます。

 

 それでも耐えていると、

「あー、もしかして罰のつもり?」

とベルンが聞いてきました。

 

「あの小娘への罪悪感がキツくて、こんな意味不明なことやらせてるとか?」

「違い、ます。そんなつもりは全くありません」

 

 事実、それは違いました。

 

「そのまま続けてください。どうか、黙って」

「……?」

 

 不理解の気配をただよわせつつ、ベルンは口を閉じました。

 ゆっくりと頭をなでるてのひらの動きは、優しいといえば優しく、雑といえば雑でした。

 

 ――ああ、やっぱり。

 

 こうしてふれられること自体は、初めてではありません。ベルンはわりと気安く、肩とか頭とかさわってくる方でしたので。

 私はそれをセクハラと思っていましたが、実際の彼の手は、むしろアレンさんやヴェルディさんが頭をなでてくれた時に近い動きをしていました。

 

 今までそれを不快に感じていたのは、私が彼のことを嫌っていたからで。

 彼は最初から、私を「女」扱いしてはいなかったのです。

 正確には、他人扱いしていなかったと言うべきでしょうか。

 おざなりで、そこそこ優しくもあるその手の動きは、まるで年下の身内にでもふれているようで――。

 

「もう、いいです。十分です」

 

 ベルンの手が止まりました。

 

「よくわかりましたから――」

 

 てのひらの重さが離れていくのを待って、私はゆっくりと視線を上げました。

 

 すぐそばに、ベルンの顔がありました。

 とても不可解そうではありましたが、彼は「今の行為に何の意味があるんだ?」という当然の疑問を口にしようとはしませんでした。

 

 代わりに彼は、私を凝視していました。言葉ではなく、表情や態度から、真意を読み取ろうとしているように。

 おそらく、彼も気づいたのでしょうね。……私が気づいたことに。

 

「ベルン・ヴァロウ少佐」

と私は呼びました。

 そして、我ながら意味不明の、正気とは思えない質問をしたのです。

 

「あなたは、誰ですか」

 

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