悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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14話

 思えば、違和感はあったのです。

 ベルンの自分への興味は本物でした。部下にならないかという申し出も、本心からのものだったはずです。

 けれど、その「勧誘」の仕方は、ベルン・ヴァロウという男の性質を考えるなら、随分と手ぬるいものでした。

 

 ベルンが本気で自分を引き抜きたいなら、いくらでも効率的な手段があったはずです。

 彼はサバトの労働者議会と懇意にしています。サバト経済特区への影響力だって持っているのです。だからセドルくんの身柄を盾に脅すとか、やろうと思えばできたはずです。

 

 ですが彼は、そうしなかった。

 その理由は、いったい何だったのでしょうか?

 

「トウリちゃん、もしかして具合でも悪いのかな?」

 

 私の意味不明な問いかけに、ベルンはそう返しました。

 

「無理させて悪かったね? いいよ、もう。帰ってもらっても――」

「まだ質問の答えをいただいておりません」

「…………」

「あなたは、誰なのですか」

「……おまえ、何言ってんだ?」

 

 愛想笑いも、気持ち悪い猫なで声もやめて素になった彼は、得体の知れない何かを見るように私を凝視しました。

 

「……私の幼なじみに、バーニーという少年がおりまして」

「はあ?」

「このところよく、彼の夢を見るのです」

「おい、何の話――」

「彼はとても心の優しい少年でした。私は彼のことを『兄』のように慕っていました」

 

 ぴくり、とベルンの頬が震えました。

 

「夢の中で、彼は幼い私を背負って、家まで連れ帰ってくれました。一緒に夕焼けを見て――私の髪が、夕焼けで彼の赤毛と同じ色に染まって――何だか嬉しくて、はしゃいで――」

 

 いつしか、私の声はかすれていました。

 言葉を紡ぐたびに、熱いものが喉の奥からせり上がってくるのがわかります。

 

「でも、おかしいですね。私が知っているバーニーは、赤毛じゃないんです。優しい栗色の髪をしてるんですよ……」

「…………」

「バーニーと私は同い年でした。いくら私が小さくても、背負って歩くなんて簡単じゃないはずなんです。でも、夢の中の彼は、私よりずっと背が高くて……」

「…………」

「優しくもなくて。いつも意地悪で。私のことを、トウリとは呼ばないんです。……イリス、ってそう呼んで。適当だけど、案外優しい手つきで私の頭をなでるんですよ……」

「…………」

「ねえ、教えてください。イリスって誰ですか」

「…………」

「あなたは、誰なんですか……」

 

 

 

*****

 

 長い沈黙が、テントの中に落ちました。

 私は、ともすればこぼれ落ちそうになる涙をこらえながら、じっとベルンの顔をにらみつけていました。

 

 一方のベルンは、しばらく挙動不審でした。

 目を泳がせ、私の顔を見たと思えばそらし、急に天井の方を見上げ、イライラと頭をかいたりしていました。

 おそらく、めまぐるしく思考を紡いでいたのだと思います。頭脳明晰な彼は、この状況を言い逃れるすべを必死で探していて。

 

「……はあ。まさか思い出しちまうとは」

 

 やがてその思考を放棄して、深々とため息をついたのでした。

 

「ちっと構い過ぎたかなあ。けど、俺の顔どころか存在すら忘れてやがったくせに、今頃になって思い出すとは」

 

 調子のいい奴、となぜか非難のまなざしを向けられて。

 

「……あなたは、何なんですか」

 

 自然、こちらの声も硬くなりました。今更ながら互いの距離の近さを意識し、数歩あとずさると。

 

「誰、じゃなくて何、と来たかよ」

 

 ベルンは逆に距離をつめてきました。私の顔に指を突きつけ、

 

「だーかーら。思い出したんだろ? ちんまいくせに無駄に重いおまえを背負って、家まで連れ帰ってやったのは俺!」

「……重かったですか、私は」

「そうだよ。しかもおまえ、じっとしてねえし! 鳥が居たとかリスが居たとかキツネが居たとか、いちいち騒いでうるせえし!」

 

 私の故郷は森のそばにありました。だから鳥も獣も多かったのです。

 

「……ウサギも居ましたね」

「居たな。俺が石ぶつけて仕留めたら、おまえ大泣きしやがって」

「だって、かわいそうじゃないですか。あんなフワフワで可愛い……」

「ちなみに、あのウサギ。その日の夕飯になったぞ」

「……! まさか、久しぶりのご馳走だってお母さんが作ってくれたあのスープは……」

「ニコニコしながら食ってたくせに、何が可愛い、だ」

 

 また、沈黙が落ちました。

 先程よりもさらに長くて、とても居心地の悪い沈黙が。

 

 やがて「嘘でしょう?」と口をひらいたのは私の方でした。

 

「だって、そんな。ありえないじゃないですか。あなたが、私の――」

 

 家族という単語は、とても口に出すことができませんでした。

 しかしベルンは「いつまでもったいつけてんだ」と言って、あっさりとその先の言葉を口にしました。

 

「ありえなかろうが何だろうが。おまえはイリス・ヴァロウ。俺の妹だよ」と。

 

 

 

*****

 

 再会当初は、ベルンも気づかなかったのだそうです。

 私が、彼の、生き別れの妹であることに。

 

 ただ、初対面で自分を「悪」だと断じた私に興味を持ち。

 その後の北部決戦やサバトの内乱での活躍を聞いて、さらに興味を引かれ。

 あくまで「引き抜きの材料」にしようと私の素性を調べた結果、思わぬ事実が出てきてしまっただけ、なのだとか。

 

 話を聞いた私はあきれ果てました。

 唖然とし、怒り、混乱の極地に落とされました。

 

「そんなふざけた偶然があってたまりますか!」

「俺も正直そう思った」

 

 しかし残された状況証拠がその事実を裏付けていました。

 具体的には、私がノエル孤児院に保護された日付が。

 同じく戦乱を逃れた彼がマシュデール要塞で保護された日付と、数日しか違わなかったのだそうです。

 また、妹かもしれないと思って見てみれば、確かに面影もあったとのことで。

 

「おまえは母親にまあまあ似てる。ちっこくてガキっぽいところは似てないが、髪の色と目の色と、あと胸がないところは似てる」

 

 そこで彼は自分の髪を指差し、

 

「ちなみに、赤毛は親父の血統な。覚えてないか?」

 

 お父さんの髪の色。

 残念ながら、記憶にありませんでした。両親のことは、ほとんど覚えていないのです。まして、兄が居たなんて記憶は、いえ「認識」はありません。

 

「そんな……、そんな馬鹿げたこと、信じられません!」

 

 この時の自分は、かなり錯乱していました。

 言っていることも支離滅裂だったと思います。そもそも、自分の方から言い出した話ですのに。

 

「だいたい、おかしいでしょう! 私があなたの、妹だっていうなら――」

「いうなら?」

「もっと早く、再会した時に気づくはずでは――」

 

 自分がノエル孤児院に預けられたのは3つの時です。

 一方、この男は――正確にはわかりませんが、4、5歳は年上のはずです。 

 さすがに、妹の顔を完全に忘却するほど幼かったとは思えません。

 私の髪色は、わりと珍しい方ですし。年頃だって合うのです。少しくらいぴんとくるものがあったって。

 

「あー、あの時な。正直、おまえのこと忘れてた」

「わすっ!?」

 

 絶句する私に、ベルンは悪びれるでもなく、

 

「仕方ねえだろ。こっちはこっちで苦労したんだ。親を亡くしたガキが1人で生きてくのはヌルくねえんだよ。おまえも孤児だったならわかるだろ?」

 

 それは、そうかも、しれませんけど。いくら何でも、あんまりではないでしょうか。

 

 ――さよならだ、イリス。

 ――やだ、置いてかないで。

 

 だって、私は。

 ずっと、ずっと、ずっと。

 

「待ってた、のに」

「あ?」

「あなたが、私を、置いていった後。いつか帰ってくるかもしれないと思って、ずっと、孤児院の入り口で待って――」

「……!」

 

 そうです。そうだったのです。今、はっきりと思い出しました。

 孤児院に来たばかりの頃、私が周囲に心を閉ざして、泣いてばかりいたのは。

 この人が私を置いて、1人でどこかに行ってしまったから。

 

「あなたは、いつだって、優しくなかったけど。私が泣いている時には、いつも来てくれたから――」

「…………」

「待ってた、のに。きっと迎えに来てくれるって、信じてたのに――」

 

 しゃくり上げながら言葉を紡ぐ私を、その鋭い目で見返していたベルンは。

 やがて「ハッ」と嘲りの声を上げて、私を(ののし)ったのでした。

 

「調子のいいこと抜かしやがって。なーにが『信じてた』だ。今までずっと思い出しもしなかったくせに、よく言えたもんだぜ」

「……っ!」

「孤児院でも、ついでに軍でも! 兄貴代わりの男をさっさと見つけてたんだろう? 優しいバーニー? 良かったなあ、ちょうどいい代用品があって。今はヴェルディか? それとも死ぬ前に(ちぎ)ったとかいう、お人よしの旦那がそうだったのか?」

「ロドリーくんを、侮辱しないで……っ!」

 

 私の怒りも、ベルンにとってはどこ吹く風のようでした。

 

「おまえはそういう奴だよ。人形でも何でも。やたら同じ物に執着するかと思えば、気がついたら代わりを見つけてニコニコしてやがる」

「……っ!」

「人の本性は変わらねえなあ! 三つ子の魂百までってか!」

「……っ! ……っ!」

 

 視界が、涙で歪みます。

 憎らしい、腹立たしい、許せない。

 目の前の男を、罵ってやらなければ気がすまない。

 そう思っているのに。

 

「……嫌い」

 

 私の口から出てきたのは、まるで子供の癇癪(かんしゃく)みたいな陳腐な言葉でした。

 

「嫌い、嫌い、嫌い! 大っ嫌い!!」

 

 わめいて、地団駄を踏んで、泣きじゃくって。

 

「意地悪! 馬鹿! 人殺しの変態! あなたなんか、あなたなんか兄さんじゃない!」

 

「ベルン様……」

 あまりの騒ぎに、眼鏡の副官が様子を見に来たほどでしたが、

「あー、いい。何でもない」

 ベルンが雑に手を振って、追い払ってしまいました。

 

「ふぐ、ひっく、うぅ……」

 

 気づけば自分は、うずくまって泣いていました。

 ベルンはといえば、少し離れたところにかがんで、こっちを見ています。……その顔は何だか、ひどく困っているように見えました。

 

「落ち着いたか?」

「…………」

「なら、泣きやめ。そのぐちゃぐちゃな顔をどうにかしろ。おまえをその顔で帰したら、ヴェルディの奴がキレて乗り込んでくるだろうが」

 

 そう言って手渡された布は、ハンカチにしてはやけに大きいと思ったら、そこらに積んであった野営用の寝具でした。

 ちゃんと洗濯はしてあったみたいですけど。デリカシーとかないんでしょうか、この男。

 ひとまず顔を拭いていたら、「ほれ」と何か手渡されました。……キャンディでした。

 

「少佐殿は、甘い物を召し上がるのですか……」

「口寂しい時と、頭を使う時にな」

「逆に、頭を使っていない時などあるのですか……?」

「おまえ、俺のこと何だと思ってる?」

 

 気まずさをごまかすように口に含むと、レモンのような酸っぱい香りが鼻腔に広がりました。

 

「で? 何か言うことは?」

「……取り乱してしまい、大変申し訳ありませんでした……」

「全くだな。自分から聞いてきやがったくせに、認めたらキレるとか、意味わかんねえ」

「……はい。返す言葉も、ありません」

「それで? どうすんだよ、これから」

 

 ベルンは困惑顔で聞いてきましたが、それを聞きたいのは、むしろこちらの方でした。

 私はふらりと立ち上がり、

 

「帰りが遅いと、皆が心配するので……、ひとまず帰ります……」

 

 そんな現実逃避のようなことを申しました。

 

「……あ、ああ。そうか」

 

 そしてベルンもまた、そんな私を引き止めようとはせずに。

 

「失礼します、少佐殿……」

 

 ふらふらとテントを出て行く私を、彼は黙って見送っていたようでした。

 最後にまた長いため息が聞こえた気がしましたが、私は振り返らずに外に出ました。

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