思えば、違和感はあったのです。
ベルンの自分への興味は本物でした。部下にならないかという申し出も、本心からのものだったはずです。
けれど、その「勧誘」の仕方は、ベルン・ヴァロウという男の性質を考えるなら、随分と手ぬるいものでした。
ベルンが本気で自分を引き抜きたいなら、いくらでも効率的な手段があったはずです。
彼はサバトの労働者議会と懇意にしています。サバト経済特区への影響力だって持っているのです。だからセドルくんの身柄を盾に脅すとか、やろうと思えばできたはずです。
ですが彼は、そうしなかった。
その理由は、いったい何だったのでしょうか?
「トウリちゃん、もしかして具合でも悪いのかな?」
私の意味不明な問いかけに、ベルンはそう返しました。
「無理させて悪かったね? いいよ、もう。帰ってもらっても――」
「まだ質問の答えをいただいておりません」
「…………」
「あなたは、誰なのですか」
「……おまえ、何言ってんだ?」
愛想笑いも、気持ち悪い猫なで声もやめて素になった彼は、得体の知れない何かを見るように私を凝視しました。
「……私の幼なじみに、バーニーという少年がおりまして」
「はあ?」
「このところよく、彼の夢を見るのです」
「おい、何の話――」
「彼はとても心の優しい少年でした。私は彼のことを『兄』のように慕っていました」
ぴくり、とベルンの頬が震えました。
「夢の中で、彼は幼い私を背負って、家まで連れ帰ってくれました。一緒に夕焼けを見て――私の髪が、夕焼けで彼の赤毛と同じ色に染まって――何だか嬉しくて、はしゃいで――」
いつしか、私の声はかすれていました。
言葉を紡ぐたびに、熱いものが喉の奥からせり上がってくるのがわかります。
「でも、おかしいですね。私が知っているバーニーは、赤毛じゃないんです。優しい栗色の髪をしてるんですよ……」
「…………」
「バーニーと私は同い年でした。いくら私が小さくても、背負って歩くなんて簡単じゃないはずなんです。でも、夢の中の彼は、私よりずっと背が高くて……」
「…………」
「優しくもなくて。いつも意地悪で。私のことを、トウリとは呼ばないんです。……イリス、ってそう呼んで。適当だけど、案外優しい手つきで私の頭をなでるんですよ……」
「…………」
「ねえ、教えてください。イリスって誰ですか」
「…………」
「あなたは、誰なんですか……」
*****
長い沈黙が、テントの中に落ちました。
私は、ともすればこぼれ落ちそうになる涙をこらえながら、じっとベルンの顔をにらみつけていました。
一方のベルンは、しばらく挙動不審でした。
目を泳がせ、私の顔を見たと思えばそらし、急に天井の方を見上げ、イライラと頭をかいたりしていました。
おそらく、めまぐるしく思考を紡いでいたのだと思います。頭脳明晰な彼は、この状況を言い逃れるすべを必死で探していて。
「……はあ。まさか思い出しちまうとは」
やがてその思考を放棄して、深々とため息をついたのでした。
「ちっと構い過ぎたかなあ。けど、俺の顔どころか存在すら忘れてやがったくせに、今頃になって思い出すとは」
調子のいい奴、となぜか非難のまなざしを向けられて。
「……あなたは、何なんですか」
自然、こちらの声も硬くなりました。今更ながら互いの距離の近さを意識し、数歩あとずさると。
「誰、じゃなくて何、と来たかよ」
ベルンは逆に距離をつめてきました。私の顔に指を突きつけ、
「だーかーら。思い出したんだろ? ちんまいくせに無駄に重いおまえを背負って、家まで連れ帰ってやったのは俺!」
「……重かったですか、私は」
「そうだよ。しかもおまえ、じっとしてねえし! 鳥が居たとかリスが居たとかキツネが居たとか、いちいち騒いでうるせえし!」
私の故郷は森のそばにありました。だから鳥も獣も多かったのです。
「……ウサギも居ましたね」
「居たな。俺が石ぶつけて仕留めたら、おまえ大泣きしやがって」
「だって、かわいそうじゃないですか。あんなフワフワで可愛い……」
「ちなみに、あのウサギ。その日の夕飯になったぞ」
「……! まさか、久しぶりのご馳走だってお母さんが作ってくれたあのスープは……」
「ニコニコしながら食ってたくせに、何が可愛い、だ」
また、沈黙が落ちました。
先程よりもさらに長くて、とても居心地の悪い沈黙が。
やがて「嘘でしょう?」と口をひらいたのは私の方でした。
「だって、そんな。ありえないじゃないですか。あなたが、私の――」
家族という単語は、とても口に出すことができませんでした。
しかしベルンは「いつまでもったいつけてんだ」と言って、あっさりとその先の言葉を口にしました。
「ありえなかろうが何だろうが。おまえはイリス・ヴァロウ。俺の妹だよ」と。
*****
再会当初は、ベルンも気づかなかったのだそうです。
私が、彼の、生き別れの妹であることに。
ただ、初対面で自分を「悪」だと断じた私に興味を持ち。
その後の北部決戦やサバトの内乱での活躍を聞いて、さらに興味を引かれ。
あくまで「引き抜きの材料」にしようと私の素性を調べた結果、思わぬ事実が出てきてしまっただけ、なのだとか。
話を聞いた私はあきれ果てました。
唖然とし、怒り、混乱の極地に落とされました。
「そんなふざけた偶然があってたまりますか!」
「俺も正直そう思った」
しかし残された状況証拠がその事実を裏付けていました。
具体的には、私がノエル孤児院に保護された日付が。
同じく戦乱を逃れた彼がマシュデール要塞で保護された日付と、数日しか違わなかったのだそうです。
また、妹かもしれないと思って見てみれば、確かに面影もあったとのことで。
「おまえは母親にまあまあ似てる。ちっこくてガキっぽいところは似てないが、髪の色と目の色と、あと胸がないところは似てる」
そこで彼は自分の髪を指差し、
「ちなみに、赤毛は親父の血統な。覚えてないか?」
お父さんの髪の色。
残念ながら、記憶にありませんでした。両親のことは、ほとんど覚えていないのです。まして、兄が居たなんて記憶は、いえ「認識」はありません。
「そんな……、そんな馬鹿げたこと、信じられません!」
この時の自分は、かなり錯乱していました。
言っていることも支離滅裂だったと思います。そもそも、自分の方から言い出した話ですのに。
「だいたい、おかしいでしょう! 私があなたの、妹だっていうなら――」
「いうなら?」
「もっと早く、再会した時に気づくはずでは――」
自分がノエル孤児院に預けられたのは3つの時です。
一方、この男は――正確にはわかりませんが、4、5歳は年上のはずです。
さすがに、妹の顔を完全に忘却するほど幼かったとは思えません。
私の髪色は、わりと珍しい方ですし。年頃だって合うのです。少しくらいぴんとくるものがあったって。
「あー、あの時な。正直、おまえのこと忘れてた」
「わすっ!?」
絶句する私に、ベルンは悪びれるでもなく、
「仕方ねえだろ。こっちはこっちで苦労したんだ。親を亡くしたガキが1人で生きてくのはヌルくねえんだよ。おまえも孤児だったならわかるだろ?」
それは、そうかも、しれませんけど。いくら何でも、あんまりではないでしょうか。
――さよならだ、イリス。
――やだ、置いてかないで。
だって、私は。
ずっと、ずっと、ずっと。
「待ってた、のに」
「あ?」
「あなたが、私を、置いていった後。いつか帰ってくるかもしれないと思って、ずっと、孤児院の入り口で待って――」
「……!」
そうです。そうだったのです。今、はっきりと思い出しました。
孤児院に来たばかりの頃、私が周囲に心を閉ざして、泣いてばかりいたのは。
この人が私を置いて、1人でどこかに行ってしまったから。
「あなたは、いつだって、優しくなかったけど。私が泣いている時には、いつも来てくれたから――」
「…………」
「待ってた、のに。きっと迎えに来てくれるって、信じてたのに――」
しゃくり上げながら言葉を紡ぐ私を、その鋭い目で見返していたベルンは。
やがて「ハッ」と嘲りの声を上げて、私を
「調子のいいこと抜かしやがって。なーにが『信じてた』だ。今までずっと思い出しもしなかったくせに、よく言えたもんだぜ」
「……っ!」
「孤児院でも、ついでに軍でも! 兄貴代わりの男をさっさと見つけてたんだろう? 優しいバーニー? 良かったなあ、ちょうどいい代用品があって。今はヴェルディか? それとも死ぬ前に
「ロドリーくんを、侮辱しないで……っ!」
私の怒りも、ベルンにとってはどこ吹く風のようでした。
「おまえはそういう奴だよ。人形でも何でも。やたら同じ物に執着するかと思えば、気がついたら代わりを見つけてニコニコしてやがる」
「……っ!」
「人の本性は変わらねえなあ! 三つ子の魂百までってか!」
「……っ! ……っ!」
視界が、涙で歪みます。
憎らしい、腹立たしい、許せない。
目の前の男を、罵ってやらなければ気がすまない。
そう思っているのに。
「……嫌い」
私の口から出てきたのは、まるで子供の
「嫌い、嫌い、嫌い! 大っ嫌い!!」
わめいて、地団駄を踏んで、泣きじゃくって。
「意地悪! 馬鹿! 人殺しの変態! あなたなんか、あなたなんか兄さんじゃない!」
「ベルン様……」
あまりの騒ぎに、眼鏡の副官が様子を見に来たほどでしたが、
「あー、いい。何でもない」
ベルンが雑に手を振って、追い払ってしまいました。
「ふぐ、ひっく、うぅ……」
気づけば自分は、うずくまって泣いていました。
ベルンはといえば、少し離れたところにかがんで、こっちを見ています。……その顔は何だか、ひどく困っているように見えました。
「落ち着いたか?」
「…………」
「なら、泣きやめ。そのぐちゃぐちゃな顔をどうにかしろ。おまえをその顔で帰したら、ヴェルディの奴がキレて乗り込んでくるだろうが」
そう言って手渡された布は、ハンカチにしてはやけに大きいと思ったら、そこらに積んであった野営用の寝具でした。
ちゃんと洗濯はしてあったみたいですけど。デリカシーとかないんでしょうか、この男。
ひとまず顔を拭いていたら、「ほれ」と何か手渡されました。……キャンディでした。
「少佐殿は、甘い物を召し上がるのですか……」
「口寂しい時と、頭を使う時にな」
「逆に、頭を使っていない時などあるのですか……?」
「おまえ、俺のこと何だと思ってる?」
気まずさをごまかすように口に含むと、レモンのような酸っぱい香りが鼻腔に広がりました。
「で? 何か言うことは?」
「……取り乱してしまい、大変申し訳ありませんでした……」
「全くだな。自分から聞いてきやがったくせに、認めたらキレるとか、意味わかんねえ」
「……はい。返す言葉も、ありません」
「それで? どうすんだよ、これから」
ベルンは困惑顔で聞いてきましたが、それを聞きたいのは、むしろこちらの方でした。
私はふらりと立ち上がり、
「帰りが遅いと、皆が心配するので……、ひとまず帰ります……」
そんな現実逃避のようなことを申しました。
「……あ、ああ。そうか」
そしてベルンもまた、そんな私を引き止めようとはせずに。
「失礼します、少佐殿……」
ふらふらとテントを出て行く私を、彼は黙って見送っていたようでした。
最後にまた長いため息が聞こえた気がしましたが、私は振り返らずに外に出ました。