悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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15話

 そして、それっきり。

 ベルンからの呼び出しはありませんでした。

 秋が終わり、冬が始まっても。

 フラメールへの派兵が、間近に迫っても――。

 

 トウリ遊撃中隊は、戦闘には直接参加しません。

 そもそもが「プロパガンダと訓練」を目的とした部隊だからです。物資輸送等の後方任務につく可能性はありますが、基本は陣地でお留守番です。

 

 一方、参謀長官であるベルンは、兵を率いて敵国に乗り込んでいく立場です。フラメールへの侵攻が始まってしまえば、当分の間は会うことが難しくなるでしょう。

 何か話をするなら、同じ陣地に居る今しかない、と。

 わかっているのに、私はどうすることもできずにいました。

 

 だって、仕方ないでしょう。

 この世で1番苦手な相手が、実は生き別れの兄だったとか言われて、いったいどんな顔をすればいいのですか。何をどうするのが正しい対処なのですか。

 

 考えても答えは出ず、かといって事が事だけに、誰かに相談するというわけにもいかず。

 結果、私は1人で煮詰まっていました。

 

 そうこうしているうちに時は過ぎ、いよいよ明日が出陣の日となりました。

 

 

 その夜、オースティンの陣地はいつになく湧いていました。

 出陣前夜、というのはそういうものです。

 明日からは戦地での厳しい生活が待っているため、兵たちは最後の夜に戦友と酒をくみかわしたり、酒保に出向いて女を買ったりするのです。

 

 そんな活気に満ちた陣地の片隅で、私は1人ぼんやりと膝を抱えておりました。

 

「……何やってんだよ」

 

 聞き慣れた声に振り向けば、そこに立っていたのはガヴェル曹長でした。

 

「別に、何もしていません」

 

 どうぞお構いなく、と私は答えました。

 

「おまえさあ……」

 

 ガヴェル曹長は微妙な顔でしばし口ごもった後で、

 

「見た目によらず肝が据わってるかと思えば、たまにどうしようもなくガキっぽくなる時があるよな」

「……どういう意味でしょうか」

「そのままの意味だよ。要は世話が焼けるってこと」

「はあ」

「はあ、じゃねえよ。もう面倒だから、単刀直入に言うぞ」

 

 会いに行かなくていいのか、とガヴェル曹長は聞いてきました。

 何かを吹っ切ったような、まっすぐで強い目をして。

 

「……何の、ことでしょうか」

「今更とぼけるなよ。おまえがあの人の――ベルン少佐のこと気にしてるのはわかってる」

 

 なぜ、そんなことがわかったのでしょう。

 ガヴェル曹長は、見た目によらず慧眼(けいがん)なのでしょうか。

 当事者ですら気づけなかった私たちの関係を、ただそばで見ていただけで気づいてしまったとでもいうのでしょうか。

 

「おまえ、好きなんだろ? あの人のこと」

 

 ……全く違いました。

 

「誤解です。断じて違います」

「いいって。ごまかさなくても」

「ごまかしではなく、事実です!」

 

 強い口調で断言すると、ガヴェル曹長はなぜか肩をすくめて、

 

「この前、あのプクプク女がまた訓練サボってさ。衛生部に逃げ込んでたから、連れ戻しに行ったんだけど」

「…………」

「その時、レィターリュ衛生部長に聞かれた。『トウリちゃんが新しい恋をしてるって噂は本当?』って」

「レイリィさん……」

「まあ、喜んでたよ。ケイル主任もエルマ看護長も、旦那を亡くしたおまえのこと、随分心配してたみたいだし」

「ケイルさんたちまでっ……!」

 

 ショックを受ける私に、ガヴェル曹長は冷めたまなざしを向けて、

 

「『あの子は好きになるほど意固地になって否定するのよ』とも言ってたな、確か」

「……っ!」

「まあ、俺も今まで色々言ったけどさ。おまえが本当に本気なら、別に反対はしないよ。爺ちゃんだって、さすがに仲を引き裂こうとまで思ってるわけじゃ……」

「まさか、レンヴェルさんまで!?」

「アンリ大佐にちくっとやられたらしいぜ。自分らみたいな年寄りが、若者の恋路に口出しするのは野暮(やぼ)の極みだって」

 

 何ということでしょう。そんな根も葉もない噂が、軍のトップにまで広がっているだなんて。

 

「これも全部、あの男のせいです!」

「いや、あれだけしょっちゅう面会してれば噂にもなるだろ、普通」

「呼び出したのは向こうです!」

「自分から行ったこともあるじゃねーか。おまえ、ヴェルディ様の所にもよく行ってたから、一時は二股してるって噂になってたくらいだし」

「……っ!」

「ま、そっちは間違いだってわかってるから、別にいいんだけどさ」

「そっちは、ではなく、どっちも、です!」

「まだ言ってんのか。本っ当に世話が焼ける奴だな」

 

 ガヴェル曹長はうんざりしたように顔をしかめて、それからおもむろに懐中時計を取り出しました。

 

「ん。そろそろだな」

「……何のことですか」

「面会時間だよ。ベルン少佐の所に、おまえの名前で面会申請しといた」

「いつの間に!?」

「これもレィターリュ衛生部長の助言。おまえは素直じゃないから、多少強引に背中を押してやらないとダメだって」

「…………」

「意地張るのは勝手だけどさ。これからしばらく、会いたくても会えなくなるんだぞ? ……戦地に行くんだからさ。あの人がいくら怪物でも、絶対に戻ってこられるって保証はないんだし……」

 

 ガヴェル曹長は真面目に心配されているようですが、フラメールとの戦争は現在、オースティンがかなり有利に進めています。この状況で「ベルン・ヴァロウ」が敗北するなんて、まずありえません。

 

「おまえがどうしても会いたくないって言うなら、いい。『申請は間違いでした』って、俺の方で手続きしとく」

「…………」

「で、どうするよ? 隊長殿」

「…………」

「俺も暇じゃないから、今すぐ決めてくれる?」

「…………」

 

 繰り返し答えを求められて、私は、迷いと混乱を抱えたまま――。

 

 

 

*****

 

 ……結局、ベルンのテントまでやってきてしまいました。

 

 正直、会って何を話せばいいのかはわかりません。

 言ってやりたい文句も、聞いてみたいこともある気はしますが。

 実際に顔を合わせたら、自分が何を言うのか。それは自分でも予測がつかないことでした。

 

「トウリ・ロウ少尉」

 

 ちなみに、ベルンに会う前にひとつ関門がありました。

 あの眼鏡の副官が、私の姿を見るなり、つかつかと歩み寄ってきて、

 

「少しだけ、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

 

 有無を言わさず、テントから離れた場所まで連れて行かれて、そこでちくちくと嫌味のようなお小言のようなことを言われたのです。

 

 にわかには信じがたいことですが、私と最後に会ったあの日から、ベルンはずっと「落ち込んでいた」のだそうです。

 たまにぼんやりして、何度もため息をついていたのだとか。

 

「あまりあの方のことを傷つけないでいただけませんか」

 

 眼鏡の副官は、あからさまな非難のこもった目を私に向けてきました。

 

「あなたが混乱する気持ちはわかります。けれども、だからといって、何を言っても許されるというわけではないのですよ?」

 

 あの日はまあ、それなりに暴言を吐いた記憶はあります。

 ですが、それでベルンが傷ついたとか言われても……。

 信じる気にはなれない、というのが率直なところです。

 

 だいたい、ひどいことを言ったのは向こうも同じじゃないですか。こちらだけ非難されるのは納得いきません。

 しかしベルンへの忠義に厚い副官は、私の気持ちなどお構いなしのようで。

 

「私にも経験がありますが……。年頃の娘や妹からの『嫌い』は、男にとって、非常に刺さるものなのですよ」

 

 私は今更のようにハッとしました。

 先程からの会話の流れ。この人はつまり、私たちの関係を知っている?

 

「あの方のご命令で、あなたの身元を調べたのはこの私ですので」

 

 彼は私の疑念をあっさり認めた上で、当時のことを教えてくれました。

 ベルンが私の素性を探ったのは、当人も言っていた通り、引き抜きの材料にするためで。

 私を部下にした後は、玩具(おもちゃ)にして使い倒す気満々だったそうですが。

 妹だとわかってからは、あきらめた様子だったと。

 

「それは、あなたに肉親としての情があるからだと、私の目にはそう見えました」

「……でも、あの人は」

 

 自分のことを、忘れていたとはっきり。

 

「その言葉を、そのまま信じるのですか?」

「…………」

「ここ数年、あの方のことをそばで見続けてきた私の解釈はこうです。あの方は家族の生存をあきらめていた。亡くしたものとして、とうの昔に割り切っていた。だからこそ、盲点だったのだと思うのですよ」

 

 私の正体が、彼の妹――イリス・ヴァロウだということが。

 

「今は少々混乱していらっしゃるように見えます。あなたとの距離感をはかりかねて、手をこまねいている」

「……そんな繊細な方なのでしょうか」

「さまざまな側面がありますからね。人というものは」

「…………」

「あなたも、一見おとなしそうな女性ですが、ひとたび戦場に立つと笑いながら敵を撃ち殺すのでしょう?」

「……っ!」

「それと同じように。敵国からは『悪魔』などと呼ばれ、敵を蹂躙(じゅうりん)するのを心から楽しんでいるように見えるあの方にも、ごく当たり前の人としての感情はある。そういう話ですよ」

「それは……、そうかもしれませんが……」

「あと、『変態』は普通に言い過ぎですね」

「うっ」

「では、失礼」

 

 言うだけ言って、彼は去っていきました。

 取り残された私は、なおもしばらく迷っていましたが、いつまでもそうしているわけにもいかず。

 意を決し、ベルンのテントに向かい、「トウリ・ロウです」と声をかけると――。

 

 少しの間があって、やがて「入れ」と中から声がしました。

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