ベルンの第一声は、「本当に来たのかよ」でした。
「先日は大変ご迷惑を――」
「そんなことはいい。それより、何しに来た」
「それは……」
「明日戦地に行く俺を、その貧相な体で慰めにでも来てくれたのか?」
ベルンはいつも通りでした。
へらへらとした笑顔の仮面こそつけていませんでしたが、あの副官の言うように「落ち込んでいた」なんて風にはとても見えません。
「いえ、そのようなつもりは全く」
「だったら何だ」
「それは、自分にもわかりません……」
副長のお節介、もしくは余計な親切に背中を押されて来ました、とはさすがに言えませんよね。
「ふざけてるのか」
ベルンの瞳に怒気が宿るのを見て、私は慌てて弁解しました。
「あ、いえ。わからないからこそ、確かめたかったというか」
「……何を」
あれから、ずっと。
暇さえあれば、私は考えていました。
自分が思い出したこと。ベルンに聞かされたこと。私たちが別れた時のこと。
そうして見つけた、いくつかの疑問点。
「どうして私を、1人で置いていったんですか」
「また、それかよ。恨み言が言いたいなら、戦地から戻った後にしろ」
かなりキツイ目付きでにらまれて、「いえ、そうではなく!」と自分は声を張り上げました。
「少佐殿はおいくつでしたっけ」
「何だ、急に」
「落ち着いて見えますけど、まだお若いですよね? 自分との年の差は、せいぜい4、5年くらいですか?」
「…………」
「私はあの時3つかそこらでした。つまり、あなただってほんの子供でしたよね? まだ10歳にも満たないような」
「…………」
「一緒に孤児院に残ることだってできたはずなのに、どうして……」
ベルンは「ハッ」と嘲笑を浮かべました。
「何かふかーい事情があって、やむにやまれず置いてったとでも思ってんのか?」
そんなものはない、と彼は断言しました。
ただ私が邪魔だった、足手まといだっただけだと。
「俺はガキの頃から有能だったからな。畑仕事も、家の仕事も、便利に使い倒されてた」
そんな田舎の暮らしに、うんざりしていたのだと彼は言いました。
だから戦災に巻き込まれて両親が亡くなった時、都会に出たくてマシュデールを目指したのだと。
調子よく言葉を紡ぐベルンを、私はキッとにらみつけました。
「少佐殿。以前、自分が言ったことをお忘れですか」
「あ?」
「私は、他人の嘘がわかります。全てとは言いませんが、ある程度はわかります。そして今のあなたの嘘は、かなりわかりやすいです」
「……!」
私は意固地な性格であるともよく言われます。何かをごまかす時には、口早になると指摘されたこともありました。
「もしや、少佐殿にも似たような癖がおありですか?」
「…………」
「今のが嘘なら――この状況で、そんな嘘をつく理由があるとしたら」
単に傷つけたいだけか、何か隠したいことでもあるのか。
あるいは先程ベルンが言った通り、本当に「深いわけがあって置いていった」からではないのでしょうか?
「そもそも私は、どうして『トウリ』になったのですか?」
3つの子供でも、自分の名前くらい言えるでしょう。
周囲の大人は、孤児院の先生たちは、どうして自分に偽名を、新しい名前をつけて育てたのでしょうか。
「まるで『イリス・ヴァロウ』という存在を隠そうとしたかのようにも見えますよね?」
「…………」
「何も、仰らないのですか。口をひらいたら、また嘘になってしまうから?」
「おまえ」
調子に乗るなよ、とベルンがつぶやきました。
乱暴に胸ぐらをつかまれて、至近距離でにらまれて。
「怒っているフリをして、脅かして。それでごまかそうという魂胆でしたら、無駄ですよ」
「…………」
「私だってうんざりです。こんな、わけのわからないまま、混乱した気持ちのままでいるのは」
決着をつけたい。ケリをつけたい。
ここまで来たのは半ば成り行きでしたが、私はようやく腹をくくって、この男と向き合う覚悟を決めました。
「教えてください、ベルン少佐――」
ふいに胸ぐらをつかむ手から、力が抜けました。
軽く咳き込みながら、目の前の顔を見ると。
「なるほど。脅しても無駄、か」
ベルンは笑っていました。
妙に楽しげで、悪意に満ちた。率直に言って、かなり怖い笑みでした。
「じゃあ、脅しじゃなかったら?」
するりと
「何を――」
「何を、じゃねえよ。おまえ、明日がどういう日だかわかってんのか? ずっと軍に居るくせに、理解してねえの?」
その言葉で脳裏をよぎったのは、活気づく陣地。
最後の夜に、酒保に繰り出す兵士たちの姿でした。
「俺だって同じだ。さっきからずっと、興奮が抑えられないんだよ。
その異様な言動に、私ははっきりと恐怖を覚えました。
とっさに後ずさり、逃げようとしましたが、それより早くベルンの手がのびてきて私の腕をつかみ、強引に引き寄せました。
「そんな時に、のこのこ訪ねてきやがって」
「放してください……っ!」
「嫌だね」
そのままベルンは私を引きずって、テントの奥に連れていきました。
普通の兵士は寝袋や毛布にくるまって寝るだけですが、位階が高くなるとベッドが使えるようになります。
彼は私をその上に放り投げ、手足を押さえつけて、そのまま組み敷こうと――。
「やめてください! 放してください!」
ようやく相手の意図を察した私は、力の限り叫びました。
「軍規に違反しています! このようなことが許されるわけが――!」
「おまえ、わりとまともな上官に当たってきたんだな」
ベルンは私の上にのしかかったまま、無表情な顔でつぶやきました。
「こういうのが裁いてもらえるのは、相手の地位が低かった時だけだ。下の人間がいくら訴えたって、普通は握りつぶされて終わりだよ」
「自分はこれでも少尉です。中隊長です。いくら少佐殿が参謀部のトップでも――」
「軍事裁判にでもかけるか? まあ、無理強いされたって証拠があればできるかもな」
ベルンの手が、自分の頭にのびてきて。
「自分から夜中に男の所を訪ねてきといて、そんな言い分が通ると思うなよ」
ぐいと髪をつかんだかと思うと、私の顔をベッドに押しつけました。
「いたっ……!」
「そのまま横向いてろ。おまえのガキみたいな顔が視界に入ると萎える」
「……っ!」
「言っとくが、騒いでも無駄だぞ。クルーリィには、おまえが来たら人払いするように言っといた」
「……!」
その言葉に、私は戦慄しました。
まさか、最初からそういうつもりだったのですか? あの眼鏡の副官もグルだとでもいうのでしょうか。
「私は、あなたの……っ! 妹じゃ、ないんですか……っ!」
血縁者と通じようだなんて、人間のすることですか。正真正銘のケダモノではないですか。
「まあ、なあ。さすがの俺も、妹を抱く趣味まではなかった」
「だったら……っ!」
必死でもがく私を、ベルンはあきれたように見下ろして、
「あのな。10年以上、離ればなれになってた妹なんて、ほとんど他人と変わらねえんだよ。顔だって変わってるし、体も――」
と、そこでなぜか微妙な沈黙を挟んで、
「あー、手足は多少長くなったかもな、うん」
「他は変わっていないかのような言い方は不当です! 厳重に抗議します!」
「……さっきから、わりと余裕ありやがるな、おまえ」
それは、まあ。ベルンが会話に応じてくれているからだと思います。
私は西部戦線に居た頃、同じ部隊の兵士に手籠めにされかけたこともあります。
その時は問答無用でひん剥かれて、体をさわられました。
それと比べれば、今の状況は随分とマシです。手加減をされているようにすら感じます。
要するに、私の中には、「これはやっぱり脅しなんじゃないか、襲うフリなんじゃないか」という考えがあったのですが。
ベルンはそんな私の内心を嘲笑うかのように、
「泣けば許してもらえるかも、なんて甘いことは考えるなよ?」
私の耳元にささやいて、ふっと息をかけて。
「せいぜい脅えて、気持ち悪がって、絶望しろ。おまえが後生大事に抱えてる死んだ旦那への義理を、俺はぶち壊すんだからな? たっぷりと俺を恨んで、憎悪の目を向けてくれよ?」
そのまま私の耳に口付けたかと思うと、襟首に手を入れて、首筋を露出させて。
「やっ……!」
不快感を伴う痛みに、私は我を忘れそうになりました。
これは、首筋を吸われているのでしょうか。距離が近すぎてわかりません。
「やめてください、少佐殿! 後生ですから!」
懇願しても、ベルンはその体勢のまま動きません。吸われているだけでなく、噛まれている気もします。吸血鬼ですか。
「本当に、やめてください! 自分は、自分の血は、おいしくありません!」
ぷはっと息を吐いて、ベルンが顔を上げました。
「血がおいしくないって何だよ。もうちょっと色気のあるセリフが吐けねえのか?」
「そのようなことを……、仰られましても……」
「んー、今のは期待外れだったな。じゃ、次はこっち」
この時、彼は、時間をかけて少しずつ私を蹂躙していくつもりだったようです。
手加減なんて、とんでもない勘違いでした。彼は私がどんな反応をするかをいちいち確かめながら、それは丁寧に私を
首筋の次は唇でした。片手で私の顔をつかむと、指先を無理やり、私の口にねじ込んできて。
多分、口をひらかせてから口づけようとしたのだと思います。いわゆる大人のキスですね。
私は懸命に首をひねってその手を避けました。
「ダメです! それだけはダメです!」
「は?」
「ですから、唇だけはご容赦ください! 他は犬に舐められたと思ってあきらめますので!」
「……誰が犬だよ。ってか、なんで唇だけ?」
「それは……。夫以外には、1度も許したことがない場所だからです……」
「…………」
「お願いします……。彼の思い出は、私にとってとても大切なもので……」
「おまえ、今の状況わかってるか?」
その思い出とやらをぶち壊してやると言ったつもりだが、とベルンは不思議そうに首をひねっています。
「どうしても……、やめていただけないのですか……」
私は涙目で抗議しました。
「このような目にあわせられなければならないほど……、私はあなたに、憎まれているのですか?」
その言葉に、彼はやっぱり不思議そうにして、
「いや? 単にやりたいからやってる」
「そうですか……」
ならば仕方ありませんね。できればこの方法だけは使いたくありませんでしたが、最終手段です。
ここは彼のテントで、人払いがされていると言います。助けを求めて叫んでも無駄でしょう。
仮に決死の覚悟で抵抗しようとも、腕力では男性にかないません。状況的には、逃れる手段などないようですが。
それでも光明はあるのです。他ならぬベルン自身が教えてくれました。
10年以上、離ればなれになっていた妹なんて、「ほとんど」他人と変わらない。けれどさすがの彼も、妹を抱く趣味まではないと。
だったら私は、彼の「妹」になればいい。
彼が再び身をかがめて、私に覆いかぶさってきたタイミングで。
私はその耳元に向かって叫びました。精一杯幼く、舌足らずな声を作って。
「やだ! やめて! お兄ちゃん!!」
*****
かすかに、ベルンの体が震えた気がしました。
その体勢のまま数秒間、静止した彼は、やがてゆっくりと顔を上げ、
「今、何て言った?」
と私に聞いてきました。怒りをこらえているような声と表情でした。
「『お兄ちゃん』と申しました」
私もまた、瞳に怒りをこめてにらみ返しました。
「それとも『兄さん』の方がお好みでしたか」
「……何のつもりだ」
答える義理はないので黙っていましたが、聡い彼はすぐに気づいたようでした。
「ああ、妹を抱く趣味はないって俺が言ったからか。そんで助かるために妹のフリかよ」
ベルンの鋭い瞳が、ギラリと凄味を増しました。
「舐めるなよ。そんな見え透いた手が通じるとでも――」
再びのびてこようとした手を遮るように、私は連呼しました。
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!!」
「やめろ、気色悪い!」
「いっつも意地悪ばっかり! お父さんとお母さんに言いつけてやるんだから!」
「イリスはそんなセリフ吐いたことねえよ! しかも棒読み!」
むぎゅっと手で口をふさがれてしまいました。
でも、甘いです。声が出せなくたって、やれることはあるのですから。
「……今度は泣き真似かよ」
真似というか、涙は本物ですけどね。さっきからずっとこらえていただけで、我慢を放棄すればいくらでも涙は出ます。
ぽろぽろとこぼれる涙が私の頬をつたって、ベルンの指先にかかると、彼は思わずという感じで手を放しました。
「ふざ、けるなよ……。こんな、程度のことで……」
ベルンの瞳が、至近距離から私をとらえました。
あいかわらず冷たくて、真っ暗で、光のない瞳。
一方の私の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていたと思います。そのみっともない泣き顔を、彼は暗いまなざしのまま凝視して。
「……っ!」
悔しそうに舌打ちしてから、あきらめたように私を解放して――そのまま脱力した様子で、天井を仰いだのでした。