悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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16話

 ベルンの第一声は、「本当に来たのかよ」でした。

 

「先日は大変ご迷惑を――」

「そんなことはいい。それより、何しに来た」

「それは……」

「明日戦地に行く俺を、その貧相な体で慰めにでも来てくれたのか?」

 

 ベルンはいつも通りでした。

 へらへらとした笑顔の仮面こそつけていませんでしたが、あの副官の言うように「落ち込んでいた」なんて風にはとても見えません。

 

「いえ、そのようなつもりは全く」

「だったら何だ」

「それは、自分にもわかりません……」

 

 副長のお節介、もしくは余計な親切に背中を押されて来ました、とはさすがに言えませんよね。

 

「ふざけてるのか」

 

 ベルンの瞳に怒気が宿るのを見て、私は慌てて弁解しました。

 

「あ、いえ。わからないからこそ、確かめたかったというか」

「……何を」

 

 あれから、ずっと。

 暇さえあれば、私は考えていました。

 自分が思い出したこと。ベルンに聞かされたこと。私たちが別れた時のこと。

 そうして見つけた、いくつかの疑問点。

 

「どうして私を、1人で置いていったんですか」

「また、それかよ。恨み言が言いたいなら、戦地から戻った後にしろ」

 

 かなりキツイ目付きでにらまれて、「いえ、そうではなく!」と自分は声を張り上げました。

 

「少佐殿はおいくつでしたっけ」

「何だ、急に」

「落ち着いて見えますけど、まだお若いですよね? 自分との年の差は、せいぜい4、5年くらいですか?」

「…………」

「私はあの時3つかそこらでした。つまり、あなただってほんの子供でしたよね? まだ10歳にも満たないような」

「…………」

「一緒に孤児院に残ることだってできたはずなのに、どうして……」

 

 ベルンは「ハッ」と嘲笑を浮かべました。

 

「何かふかーい事情があって、やむにやまれず置いてったとでも思ってんのか?」

 

 そんなものはない、と彼は断言しました。

 ただ私が邪魔だった、足手まといだっただけだと。

 

「俺はガキの頃から有能だったからな。畑仕事も、家の仕事も、便利に使い倒されてた」

 

 そんな田舎の暮らしに、うんざりしていたのだと彼は言いました。

 だから戦災に巻き込まれて両親が亡くなった時、都会に出たくてマシュデールを目指したのだと。

 調子よく言葉を紡ぐベルンを、私はキッとにらみつけました。

 

「少佐殿。以前、自分が言ったことをお忘れですか」

「あ?」

「私は、他人の嘘がわかります。全てとは言いませんが、ある程度はわかります。そして今のあなたの嘘は、かなりわかりやすいです」

「……!」

 

 私は意固地な性格であるともよく言われます。何かをごまかす時には、口早になると指摘されたこともありました。

 

「もしや、少佐殿にも似たような癖がおありですか?」

「…………」

「今のが嘘なら――この状況で、そんな嘘をつく理由があるとしたら」

 

 単に傷つけたいだけか、何か隠したいことでもあるのか。

 あるいは先程ベルンが言った通り、本当に「深いわけがあって置いていった」からではないのでしょうか?

 

「そもそも私は、どうして『トウリ』になったのですか?」

 

 3つの子供でも、自分の名前くらい言えるでしょう。

 周囲の大人は、孤児院の先生たちは、どうして自分に偽名を、新しい名前をつけて育てたのでしょうか。

 

「まるで『イリス・ヴァロウ』という存在を隠そうとしたかのようにも見えますよね?」

「…………」

「何も、仰らないのですか。口をひらいたら、また嘘になってしまうから?」

「おまえ」

 

 調子に乗るなよ、とベルンがつぶやきました。

 乱暴に胸ぐらをつかまれて、至近距離でにらまれて。

 

「怒っているフリをして、脅かして。それでごまかそうという魂胆でしたら、無駄ですよ」

「…………」

「私だってうんざりです。こんな、わけのわからないまま、混乱した気持ちのままでいるのは」

 

 決着をつけたい。ケリをつけたい。

 ここまで来たのは半ば成り行きでしたが、私はようやく腹をくくって、この男と向き合う覚悟を決めました。

 

「教えてください、ベルン少佐――」

 

 ふいに胸ぐらをつかむ手から、力が抜けました。

 軽く咳き込みながら、目の前の顔を見ると。

 

「なるほど。脅しても無駄、か」

 

 ベルンは笑っていました。

 妙に楽しげで、悪意に満ちた。率直に言って、かなり怖い笑みでした。

 

「じゃあ、脅しじゃなかったら?」

 

 するりと(ほお)をなでられて、その粘り着くような感触に全身が総毛立ちます。

 

「何を――」

「何を、じゃねえよ。おまえ、明日がどういう日だかわかってんのか? ずっと軍に居るくせに、理解してねえの?」

 

 その言葉で脳裏をよぎったのは、活気づく陣地。

 最後の夜に、酒保に繰り出す兵士たちの姿でした。

 

「俺だって同じだ。さっきからずっと、興奮が抑えられないんだよ。(たぎ)って、高ぶって、居ても立ってもいられねえんだよ。当然だろう? 明日はいよいよフラメールだ! 俺はずっと待ってた! また戦場に戻って、思う存分殺せる時を待ってた!」

 

 その異様な言動に、私ははっきりと恐怖を覚えました。

 とっさに後ずさり、逃げようとしましたが、それより早くベルンの手がのびてきて私の腕をつかみ、強引に引き寄せました。

 

「そんな時に、のこのこ訪ねてきやがって」

「放してください……っ!」

「嫌だね」

 

 そのままベルンは私を引きずって、テントの奥に連れていきました。

 普通の兵士は寝袋や毛布にくるまって寝るだけですが、位階が高くなるとベッドが使えるようになります。

 彼は私をその上に放り投げ、手足を押さえつけて、そのまま組み敷こうと――。

 

「やめてください! 放してください!」

 

 ようやく相手の意図を察した私は、力の限り叫びました。

 

「軍規に違反しています! このようなことが許されるわけが――!」

「おまえ、わりとまともな上官に当たってきたんだな」

 

 ベルンは私の上にのしかかったまま、無表情な顔でつぶやきました。

 

「こういうのが裁いてもらえるのは、相手の地位が低かった時だけだ。下の人間がいくら訴えたって、普通は握りつぶされて終わりだよ」

 

 詭弁(きべん)(ろう)する彼を、私は強くにらみつけ、

 

「自分はこれでも少尉です。中隊長です。いくら少佐殿が参謀部のトップでも――」

「軍事裁判にでもかけるか? まあ、無理強いされたって証拠があればできるかもな」

 

 ベルンの手が、自分の頭にのびてきて。

 

「自分から夜中に男の所を訪ねてきといて、そんな言い分が通ると思うなよ」

 

 ぐいと髪をつかんだかと思うと、私の顔をベッドに押しつけました。

 

「いたっ……!」

「そのまま横向いてろ。おまえのガキみたいな顔が視界に入ると萎える」

「……っ!」

「言っとくが、騒いでも無駄だぞ。クルーリィには、おまえが来たら人払いするように言っといた」

「……!」

 

 その言葉に、私は戦慄しました。

 まさか、最初からそういうつもりだったのですか? あの眼鏡の副官もグルだとでもいうのでしょうか。

 

「私は、あなたの……っ! 妹じゃ、ないんですか……っ!」

 

 血縁者と通じようだなんて、人間のすることですか。正真正銘のケダモノではないですか。

 

「まあ、なあ。さすがの俺も、妹を抱く趣味まではなかった」

「だったら……っ!」

 

 必死でもがく私を、ベルンはあきれたように見下ろして、

 

「あのな。10年以上、離ればなれになってた妹なんて、ほとんど他人と変わらねえんだよ。顔だって変わってるし、体も――」

 

と、そこでなぜか微妙な沈黙を挟んで、

 

「あー、手足は多少長くなったかもな、うん」

「他は変わっていないかのような言い方は不当です! 厳重に抗議します!」

「……さっきから、わりと余裕ありやがるな、おまえ」

 

 それは、まあ。ベルンが会話に応じてくれているからだと思います。

 私は西部戦線に居た頃、同じ部隊の兵士に手籠めにされかけたこともあります。

 その時は問答無用でひん剥かれて、体をさわられました。

 それと比べれば、今の状況は随分とマシです。手加減をされているようにすら感じます。

 

 要するに、私の中には、「これはやっぱり脅しなんじゃないか、襲うフリなんじゃないか」という考えがあったのですが。

 ベルンはそんな私の内心を嘲笑うかのように、

 

「泣けば許してもらえるかも、なんて甘いことは考えるなよ?」

 

 私の耳元にささやいて、ふっと息をかけて。

 

「せいぜい脅えて、気持ち悪がって、絶望しろ。おまえが後生大事に抱えてる死んだ旦那への義理を、俺はぶち壊すんだからな? たっぷりと俺を恨んで、憎悪の目を向けてくれよ?」

 

 そのまま私の耳に口付けたかと思うと、襟首に手を入れて、首筋を露出させて。

 

「やっ……!」

 

 不快感を伴う痛みに、私は我を忘れそうになりました。

 これは、首筋を吸われているのでしょうか。距離が近すぎてわかりません。

 

「やめてください、少佐殿! 後生ですから!」

 

 懇願しても、ベルンはその体勢のまま動きません。吸われているだけでなく、噛まれている気もします。吸血鬼ですか。

 

「本当に、やめてください! 自分は、自分の血は、おいしくありません!」

 

 ぷはっと息を吐いて、ベルンが顔を上げました。

 

「血がおいしくないって何だよ。もうちょっと色気のあるセリフが吐けねえのか?」

「そのようなことを……、仰られましても……」

「んー、今のは期待外れだったな。じゃ、次はこっち」

 

 この時、彼は、時間をかけて少しずつ私を蹂躙していくつもりだったようです。

 手加減なんて、とんでもない勘違いでした。彼は私がどんな反応をするかをいちいち確かめながら、それは丁寧に私を(もてあそ)ぼうとしたのです。

 

 首筋の次は唇でした。片手で私の顔をつかむと、指先を無理やり、私の口にねじ込んできて。

 多分、口をひらかせてから口づけようとしたのだと思います。いわゆる大人のキスですね。

 私は懸命に首をひねってその手を避けました。

 

「ダメです! それだけはダメです!」

「は?」

「ですから、唇だけはご容赦ください! 他は犬に舐められたと思ってあきらめますので!」

「……誰が犬だよ。ってか、なんで唇だけ?」

「それは……。夫以外には、1度も許したことがない場所だからです……」

「…………」

「お願いします……。彼の思い出は、私にとってとても大切なもので……」

「おまえ、今の状況わかってるか?」

 

 その思い出とやらをぶち壊してやると言ったつもりだが、とベルンは不思議そうに首をひねっています。

 

「どうしても……、やめていただけないのですか……」

 

 私は涙目で抗議しました。

 

「このような目にあわせられなければならないほど……、私はあなたに、憎まれているのですか?」

 

 その言葉に、彼はやっぱり不思議そうにして、

 

「いや? 単にやりたいからやってる」

「そうですか……」

 

 ならば仕方ありませんね。できればこの方法だけは使いたくありませんでしたが、最終手段です。

 

 ここは彼のテントで、人払いがされていると言います。助けを求めて叫んでも無駄でしょう。

 仮に決死の覚悟で抵抗しようとも、腕力では男性にかないません。状況的には、逃れる手段などないようですが。

 

 それでも光明はあるのです。他ならぬベルン自身が教えてくれました。

 10年以上、離ればなれになっていた妹なんて、「ほとんど」他人と変わらない。けれどさすがの彼も、妹を抱く趣味まではないと。

 だったら私は、彼の「妹」になればいい。

 

 彼が再び身をかがめて、私に覆いかぶさってきたタイミングで。

 私はその耳元に向かって叫びました。精一杯幼く、舌足らずな声を作って。

 

「やだ! やめて! お兄ちゃん!!」

 

 

 

*****

 

 かすかに、ベルンの体が震えた気がしました。

 

 その体勢のまま数秒間、静止した彼は、やがてゆっくりと顔を上げ、

「今、何て言った?」

と私に聞いてきました。怒りをこらえているような声と表情でした。

 

「『お兄ちゃん』と申しました」

 

 私もまた、瞳に怒りをこめてにらみ返しました。

 

「それとも『兄さん』の方がお好みでしたか」

「……何のつもりだ」

 

 答える義理はないので黙っていましたが、聡い彼はすぐに気づいたようでした。

 

「ああ、妹を抱く趣味はないって俺が言ったからか。そんで助かるために妹のフリかよ」

 

 ベルンの鋭い瞳が、ギラリと凄味を増しました。

 

「舐めるなよ。そんな見え透いた手が通じるとでも――」

 

 再びのびてこようとした手を遮るように、私は連呼しました。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!!」

「やめろ、気色悪い!」

「いっつも意地悪ばっかり! お父さんとお母さんに言いつけてやるんだから!」

「イリスはそんなセリフ吐いたことねえよ! しかも棒読み!」

 

 むぎゅっと手で口をふさがれてしまいました。

 でも、甘いです。声が出せなくたって、やれることはあるのですから。

 

「……今度は泣き真似かよ」

 

 真似というか、涙は本物ですけどね。さっきからずっとこらえていただけで、我慢を放棄すればいくらでも涙は出ます。

 ぽろぽろとこぼれる涙が私の頬をつたって、ベルンの指先にかかると、彼は思わずという感じで手を放しました。

 

「ふざ、けるなよ……。こんな、程度のことで……」

 

 ベルンの瞳が、至近距離から私をとらえました。

 あいかわらず冷たくて、真っ暗で、光のない瞳。

 一方の私の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていたと思います。そのみっともない泣き顔を、彼は暗いまなざしのまま凝視して。

 

「……っ!」

 

 悔しそうに舌打ちしてから、あきらめたように私を解放して――そのまま脱力した様子で、天井を仰いだのでした。

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