悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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2話

 ベルンのテントを出て訓練地へと戻る途中で、私は1人の兵士に声をかけられました。

 

「トウリ中隊長! 良かった。お戻りになったんですね」

 

 いかにも温厚そうな空気をまとった細身の中年男性。我らがトウリ遊撃中隊の一員であり、頼れるベテラン工作兵のナウマンさんです。

 

「何かご用でしたか?」

 

 私が尋ねますと、ナウマンさんはなぜか意味深な笑みを浮かべて、

 

「いえ、用があったのは当方ではなく。ガヴェル副長が、あなたの帰りが遅いとひどく心配されていたので」

「……? そんなに遅くなってしまいましたか?」

「あー、つまり、時間も時間ですし? 中隊長殿はお若い女性ですし……」

「…………」

 

 ようやく意味を察した私は、いささかゲンナリしてしまいました。

 若い女性の兵士が、上官のテントに1人で呼び出された――となれば、確かにそういう「心配」も成り立ってしまうのが軍隊というものです。

 

「誤解です、ナウマンさん。自分とベルン・ヴァロウ少佐の関係は、そういったものでは全くありません」

 

 できるだけ冷静に、嫌悪感を表に出さないように答えたつもりだったのですが、ナウマンさんは「おや」と目を見張りました。

 

「トウリ中隊長は、南軍の英雄殿がお嫌いなんですか?」

 

 あっさりと看破されてしまいました。さすがに少々気まずくなって、

 

「嫌いというか、苦手で……」

 

 小声で言い訳しますと、ナウマンさんはなぜか意外そうな顔をなさいました。

 

「そうでしたか。いや、当方はてっきり――」

「……てっきり?」

「中隊長殿は、あの方に親近感をお持ちなのかと」

 

 なぜ、私があの男に親近感など持たなければならないのでしょう。

 確かにベルン本人には、「自分と同類の人殺し」みたいな言い方をされたこともありますけど。

 ごく真っ当な常識と良識を持つ、ナウマンさんのような方にまでそんな風に見られていたなんて心外です。

 

 私がひそかに落ち込んでいるのを見て、

「失礼、おかしな意味ではないんですよ」

とナウマンさんは謝ってくれました。

 

「あの方はいわゆる名家の出身ではないでしょう。我々と同じ市井の生まれでありながら、実力ひとつで今の地位まで上りつめた」

 

 それは、彼の言う通りです。

 ほんの2年ほど前まで、ベルンは参謀部の見習いに過ぎなかったのです。

 それが南部戦線、北部決戦、さらにフラメール・エイリス連合軍との戦争でも手柄を挙げて、いまや少佐殿です。率直に言って、異常とも呼べる速さで出世を遂げています。

 

「貴族生まれの将校の中には、『民間上がり』と陰口を叩く者も居るようですがね。一般の兵士の中には、普通に憧れている者も多い」

「あこがれ……」

 

 ああ、気の毒に。あの男の本性を知らないばかりに。

 私が兵士たちに深い同情を覚えていますと、ナウマンさんはふと何かに気づいたような顔をして、

 

「おっと。話し込んでる場合じゃありませんでしたね」

 

 ガヴェル曹長が心配しているからと、私の背中を押して送り出してくれました。

 

 そのガヴェル曹長は、私のテントの前で1人、待っていました。

 

 現在15歳。士官学校を出て1年足らずの年若い曹長です。

 その風貌は、実年齢よりは頼もしく見えますが、まだまだ子供っぽさを残しています。

 

 彼はこちらの姿を見るなり近づいてくると、「何してたんだよ」と鋭い声で問いかけてきました。

 

「お待たせして申し訳ありません。すぐに今日の分の書類仕事を片付けてしまいますので――」

「そんなことはいいから」

 

 ガヴェル曹長は私の謝罪を早口で(さえぎ)って、

 

「それより、ベルン少佐の用件って何だったんだ?」

「それは……」

 

 おそらくは、また引き抜きの件を持ちかけるつもりだったのだと思います。

 ただ、実際はそこまで話が進まなかったんですよね。

 主に聞かされたのは、私への皮肉と嫌味、あとはレンヴェルさんへの容赦ない非難の言葉でしたが――それをガヴェル曹長に申し上げるわけにはいきません。

 

 彼はレンヴェルさんの一族です。きっと嫌な気持ちにさせてしまうでしょう。

 ……告げ口のような形になってしまうのも、やはり気が進みません。

 ベルンの発言は、あまりに礼を欠いたものではありましたが、全くの的外れだったかといえば――。

 

「何だよ。なんで口ごもってるんだ?」

 

 困りましたね。ただお茶をご一緒しただけです、なんて言うのは変ですし。

 

「少佐殿に聞かれたのは、トウリ遊撃中隊のことです」

「俺たちの?」

 

 歩兵中隊とは名ばかりの、新兵の訓練とプロパガンダを目的とした部隊であることを揶揄(やゆ)された――とも言えません。

 なぜなら、ガヴェル曹長はそのことをご存知ないからです。歩兵として前線で活躍する日を夢見て、日々努力しておられるからです。

 

「その……、おそらくですが。若輩者である自分が、中隊長として部隊を率いることになったと聞いて、疑問に思われたのではないかと」

 

 適当な思いつきを述べますと、ガヴェル曹長は「ああ、なるほど」と納得の表情を浮かべました。

 

「普通そう思うよな。おまえみたいなちっこいのが歩兵の中隊長って、何の冗談だよって」

「…………」

「で? 聞かれて何て答えたんだ? うちの爺ちゃんのごり押しで、無理やり隊長にされましたって?」

「そのようなことは申し上げておりませんが……」

「隠さなくていい。中央軍はヒイキとコネばかりだって、南軍の奴らに馬鹿にされるのはもう慣れた」

「ガヴェル曹長……」

「おまえも本心では思ってるんだろ? 気に入った奴だけ贔屓(ひいき)する爺ちゃんのアレ、悪いクセだなって考えてるだろ?」

「…………」

 

 ガヴェル曹長は、ハァ、と小さくため息をついて、

 

「まあ、用件はともかく、だ。直属の部下でもない相手をこんな時間に呼び出すって、さすがにどうなんだよ」

 

 現在の時刻は夜です。真夜中というほどではありませんが、日はとっくの昔に暮れています。

 

「……あの方も、昼間はお忙しいのでしょう」

 

 多分、おそらく、その可能性は皆無ではないかと。

 

 ベルンのテントは、かなり散らかっていました。何かの資料らしき書類が山積みになっていたり、空になったレーションが転がっていたり。

 それと、見間違いでなければ、目の下にうっすらクマがあった気がします。

 

 我がオースティン軍は、現在フラメール侵攻に向けて準備を整えているところです。そして参謀長官であるベルンは、その軍事作戦の中心人物です。

 

 おそらくは寝不足で、疲れがたまっていたのではないでしょうか。

 

 いつもの彼は、もう少し上手に素の顔を隠していた気がします。一応はレンヴェル派と見なされている自分の前で、あんな暴言を口にするのもらしくない気がします。

 

「嫌なら断っていいんだぞ?」

「は?」

 

 当たり前のように言われて、私の目が点になりました。

 軍において、上官の命令は絶対です。「嫌だから行きません」などというわけには参りません。

 

「そんなの、爺ちゃんに言えばどうとでも……」

「お気遣いいただき恐縮ですが、このような些事(さじ)でレンヴェル中佐の手を(わずら)わせるわけには」

 

 自分の答えに、ガヴェル曹長は明らかに不満そうな顔をなさいました。

 そしてその顔のまま、「おまえとベルン少佐って、どういう関係なんだよ」と聞いてきました。

 

「……どう、と申されましても。特筆すべき関係など何もない、としか」

「何もないのに、何度も呼び出されるのか」

「それは……。ご存知のように、あの方が私のことを部下としてほしがっているからで」

「…………」

「無論、応じる気はありません。以前レンヴェル中佐にもそのように申し上げました」

 

 私がベルンのもとに行くことなどありえません。

 きっぱりはっきり断言しますと、ガヴェル曹長も納得してくださったのか、

「……あ、そう」

と短く言って、この話題を終わらせてくれました。

 

 そう、ありえなかったのです。

 あの男の部下になることはもちろん、これ以上、関わりを持つことも望んではいませんでした。

 

 私はあの男が嫌いです。とにかく苦手なのです。

 ただ同じ空間に居るだけでも耐えがたいと、心の底から思っていましたのに――。

 

 この後、陣地で起きた事件が、そしてその後に続く戦争が、私たちの関係を大きく変えてしまうのでした。

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