主人公補正、という言葉があります。
物語の主人公は、基本的には死ぬことがない。どんな危機に陥っても紙一重で窮地を脱し、最後には勝利する。
恋人や友人、頼れる恩師にも出会い、名を上げる機会にも恵まれて――。
要は、ストーリーの都合上、その世界の中で主人公だけが妙に優遇されて見えることを
現実にも
たとえば歴史上、「英雄」と呼ばれた人々の中には、神がかった逸話、天に愛されているとしか思えないエピソードを持つ人が多いのです。
強敵に囲まれて四面楚歌の状況下で、たまたま敵将の1人が病に倒れてくれたとか。
近距離で狙撃されても、なぜか銃弾が当たらなかったとか。
戦いから逃げる途中、なぜか味方の部隊が通り過ぎた直後に川が増水して、追ってきた敵を足止めしてくれたとか。
ちなみに上記の例は、全て同じ人物の逸話です。
私が前世で暮らしていた国にも、かつて「乱世」と呼ばれた時期があり、数々の英雄が生まれました。
その中で最もメジャーな、敢えて名前は申しませんが、元は地方領主のさらに下、という場所から、国のトップに近い地位まで上りつめた英傑がおりました。
「おい、雨だぞ」
その日、自分は鉱山戦線の陣地から、フラメールの最前線まで物資を輸送する任務の途上にありました。
「風も出て参りましたね」
「見通しが悪いな……。予定と違うが、ここらで1度、偵察を出すか?」
「はい。良いお考えだと思います」
人間は天気には勝てません。
先の「川が増水した」という例もそうですが、自然災害や天候の急変というものは、時に戦争の勝敗すら左右することがあります。
例に挙げた英傑も同じく。
彼の名を一躍高めたのは、嵐の中の奇襲作戦でした。
自身の領地に攻め込んできた、明らかに格上の、しかも圧倒的多数の敵に対して、彼は悪天候の中、寡兵で挑みかかりました。
天候の悪化自体は、たまたまの偶然です。
突然の雨で、敵の陣形が乱れていたことも。その時、敵が布陣していたのが奇襲をかけやすい地形であったことも。
いくつもの幸運に助けられて、彼は敵本陣に突入。
敵味方入り乱れての乱戦に持ち込んだことで戦力差を
「冬の嵐か……。厄介だな……」
前世の自分は、歴史にくわしい方ではなかったのですが、この逸話はさすがに有名だったので知っていました。
しかし、この時、この瞬間。
オースティンとフラメールの間で、これとよく似た出来事がまさに起きていたとは知るよしもなかったのです。
*****
偵察に出した小隊が戻ってきたのは、それから小1時間後のことでした。
彼らはなぜか一様に青ざめており、出迎えた私とガヴェル曹長に「この先に友軍が居る」という情報を伝えてくれました。
しかも彼らは敗走して逃げている途中で、街道は負傷した兵士であふれ返っていたというのです。
「本当か?」
「はい、間違いありません」
話を聞いた私たちは、急ぎ現場に駆けつけました。
そして偵察の兵士が言った通りの状況を目撃して、唖然として立ち尽くすことになるのです。
「おい、何があった!」
手近な兵をつかまえて詰問するガヴェル曹長。
しかし、その兵士も混乱している様子で、「突然、敵に襲われてわけがわからなかった」という話しか聞けません。
「司令部はどこだ! アンリ大佐は――」
その問いに答えてくれたのは別の兵士でした。軍曹の階級章をつけた20代半ばほどの兵士で、
「その指令部が襲撃されたって聞いた」
と、にわかには信じがたいことを口にしました。
「アンリ大佐や、ベルン参謀少佐も負傷されたと――」
ドクンと私の心臓が脈打ちました。
辺りには大勢の兵士が、負傷者が居ました。
看護兵や衛生兵が慌ただしく動き回り、治療の優先順位をつける「トリアージ」を
私はとっさに、うち1人の看護兵に駆け寄りました。
「衛生部はどこですか? 部長のレィターリュ少尉は!」
まだ若いその看護兵は、私の顔を見て驚いたように瞳を見開きました。
「あなたは、トウリ・ロウ少尉?」
私にとっては知らない顔でしたが、向こうは私の顔を見知っていてくれたようです。
「お願いします! 衛生部に連れていってください!」
私の頼みに、彼女は戸惑いながらも「では、こちらに……」と案内してくれました。
「って、おい! 1人でどこ行く気だ!?」
ガヴェル曹長が背後で叫んでいるのが聞こえましたが、私の足は止まりませんでした。
「あーもう、仕方ねえな……」
彼が中隊のメンバーに指示を出す声を遠くに聞きながら、小走りに負傷者の間を移動して――。
連れて行かれた衛生部のテントは、まさに修羅場でした。
「重傷者は奥のテントに運んで! 大至急!」
「治癒魔法は助かりそうな者から使え! 黄色優先! 赤は尉官以上だ!」
「誰か人工呼吸器持ってきて! 包帯と鉗子も足りない……!」
負傷者の呻き声があふれ、彼らを助けようとする衛生兵や看護兵たちの、まるで悲鳴のような叫び声があちこちで飛び交っています。
「ここは私がやるから、ありったけの秘薬を持ってきてちょうだい! 節約しないで、在庫してるの全部!」
そんな中、私の耳は聞き知った声を拾いました。
テントの奥、衛生部長のレィターリュさんが、部下に指示を飛ばしながら治癒魔法を行使しています。
私はケガ人の合間を縫って駆け寄って――そして彼女の治療を受けている人物の顔を見て愕然としました。
全身に無数の傷を負い、血まみれで力なく横たわっているその負傷者は、オースティン軍の最高司令官、アンリ大佐だったのです。
「君は……」
「トウリちゃん!?」
声もなく立ち尽くしていると、アンリ大佐が、次いでレィターリュさんが私に気づきました。
「いったい、何が……、どうして……」
アンリ大佐は1度きつく目を閉じると、なぜか苦渋の表情で「すまない」と私に謝ってきました。
「私が……。私のせいで……。彼を、連れ帰ってくることが、できなかった……」
ぐらっと視界が揺れて、私は床に膝をつきました。ちょうど、横たわっている大佐のすぐ近くに座り込むような形です。
「トウリちゃん、しっかりして、落ち着いて」
レィターリュさんが私に声をかけてくれました。
その手はせわしなく傷口の処置をしています。先程【
「あの人は。ベルン少佐殿はどこに……」
私はゆっくりと首を巡らせました。
近くに居るケガ人の中に、それらしき姿は見当たりません。
「わからない。ほんの数時間前までは共に居たんだが……」
「大佐。あまり話しては傷にさわります」
大佐の副官でしょうか。近くに控えていた兵士が口を挟んできました。
まるで壁のような、大柄で筋骨隆々の兵士です。手足に包帯を巻いてはいますが、どうやら軽傷のようでした。
「彼女は、ベルン少佐の関係者だ」
苦しい息の下から、大佐はその兵士に命じました。
「話をしてやってくれ。私の代わりに、くわしく」
「は。承知致しました」
兵士が私に向き直り、説明を始めました。
オースティン軍に何があったのか。あの人の身に何が起きたのかを。
*****
それは今日の午前中のこと。
フラメールの首都パリスを目指して進軍中のオースティン軍は、突然の嵐で足止めを食っていました。
たかが雨風と馬鹿にはできません。
この時代、防水性に優れた衣服はまだ開発されていませんし、銃も水が入ると使えなくなってしまうことがあります。
オースティン軍は一旦進軍をやめ、手近な森に避難してやり過ごすことにしました。
ちなみに、この季節外れの大嵐は、援軍としてフラメールを目指していたエイリスの船団も足止めしてくれたのですが、それを私たちが知るのはまだ先のことです。
一方、嵐の中を進軍していたのはフラメール軍も同じでした。
彼らは民兵を中心とした斥候部隊で、その数は3千弱。オースティン軍の10分の1以下でした。
偵察も出しにくい視界不良の雨の中、両軍はわずか数キロメートル圏内でニアミスしたのです。
この時、オースティン軍が居たのは、
オースティン側も当然それはわかっていたので、周囲を警戒しつつ速やかに通り抜ける予定であったのです。ちょうどその地に差し掛かった時に、天候が急変したりしなければ。
予定外の場所で、予想外の足止めを食ったため、オースティン軍の陣形は多少乱れていました。
とはいえ、それはごくわずかな時間。
たまたま近くに居たフラメールの偵察兵がそれに気づけたのも、嵐の中、ほんの30分ほど、晴れ間がのぞいたからでした。
今、奇襲をかければ、オースティンの心臓部に、司令部に手が届くかもしれない。
とはいえ、兵力の差は10倍以上。
わずか3千の兵で、3万の敵に襲いかかろうとは普通思いません。
しかし、この時。
フラメールの部隊を率いていたのは、のちに「フラメールの英雄」と呼ばれる1人の偉丈夫でした。
彼には「まるで主人公のような」強運がありました。
祖国を守ろうとする強い想いと、勇気と、決断力がありました。
そして彼にはまた、人を動かす力が、途方もないカリスマ性があったのです。
「戦え、フラメールの戦士たちよ! どんな劣勢でも、将を討ちとれば必ず勝機はある!」
まるで物語の主人公のような彼のカリスマ性に鼓舞された兵士たちは、その多くが寄せ集めの民兵だったにも関わらず、士気高くオースティン軍に襲いかかりました。
予期せぬ奇襲に混乱しながら、オースティン軍も応戦し――。
結果、この斥候部隊は半数以上が戦死する形になったのですが、代償としてオースティンの中枢である司令部に大打撃を与えることに成功したのです。
それはまるで、あの名高い英傑の奇襲作戦のように。
いくつもの偶然、いくつもの要素が絡み合った末の、薄氷の勝利でした。
オースティン軍は混乱のまま敗走し、一方のフラメール軍も、犠牲が多かったために追撃戦は行えず。
両者は現在、そう遠くない場所で、互いに体勢を立て直しているところだそうです。
何しろ元の兵士の数が違うので、部隊を整えることさえできれば、まだオースティンにも勝機は十分あるとのことですが。
問題は、司令部の人員が、つまりは軍幹部の多くが負傷、あるいは戦死してしまったことでした。
「それで、ベルン少佐は――」
ともすれば震え出しそうになる自分の膝を叱咤しながら、私は必死で話を理解しようと努力を続けていました。
「途中までは共に逃げてきた」
沈痛な面持ちで口ごもってしまった兵士に代わり、またアンリ大佐が口をひらきました。
フラメールの奇襲を受けた後、大佐とベルンはどうにかその場を逃れることができたそうなのですが、しかし結局は嵐の山中、わずかな手勢で孤立することになってしまい――。
「『共倒れが1番まずい。ここから先は二手に分かれましょう』と彼が言った」
アンリ大佐が、「自分のために敵を引きつけてくれるのか?」と半ば冗談で尋ねると、ベルンは「むしろ逆ですね」と答えたそうです。
「できれば、俺のために犠牲になってください。ちゃんと仇はとりますから」
仮にもオースティンの最高司令官に向かって、
「どちらが生き残る方がオースティンのためになるか、考えてください。いや、考えるまでもないですよね?」
とまで言ったらしいです、あの馬鹿は。
そして地図と地形を確認して、敵が待ち伏せていそうな逃げ道を予測し、「大佐殿はあちらを」と指差したのだとか。
「そうすれば、君は生きのびられるのか……?」
「半々、いや3割以下でしょうね。俺が敵将なら、絶対こっちの道にも兵を伏せとくんで」
ではご武運を、と別れたのが4、5時間前とのこと。
「つまり、その時には……。少佐殿はまだ、ご無事だったのですね?」
「無事、と言っていいのかどうか」
アンリ大佐の顔が苦しげに歪みました。
「彼もまた、今の私とそう変わらない満身創痍だったよ」
「……!」
大佐は全身に無数の傷を負い、衛生部のエースであるレィターリュさんの治療を受けても、いまだ予断を許さぬ状況に見えました。
「だが、安心しなさい。彼はそう簡単に死なない」
話しているうちに、元気が出てきたのでしょうか。アンリ大佐はいくらか明るい表情でそう仰いました。
「現に、私もこうして生きている。敵部隊とは遭遇したが、思ったほどの数ではなかった」
おそらく敵も、この嵐の中で思うように連携が取れていないのだろう。そこに付け入る隙があるはずだ、と大佐は言いました。
急ピッチで部隊の再編成を進めていること、それにはまだ時間がかかるが、先に少数精鋭の救出部隊を出すことになっているとも教えてくださいました。
「正確には、あとどれくらい時間がかかりますか……?」
「……そうだな。遅くとも数時間以内には」
ダメだ。間に合わない。
その時、私の頭に浮かんだのは、ほとんど直感にも似た確信でした。
膝の震えが止まり、心の乱れも嘘のように消えて。
戦場で命の危機に
今すぐ、助けに行かなければ、あの人は死ぬ。
逆に、今すぐ行動に移せば――まだ、間に合うかもしれない。
「アンリ大佐、お願いがあります」
自分を救出に行かせてほしい、と私は頭を下げて頼みました。
私は、その場で負傷者を癒やせる治癒魔法の使い手です。そして今現在は歩兵です。仮に敵部隊と遭遇しても、切り抜ける自信があります。
アンリ大佐は少なからず驚いた顔をして、「ならば先発の救出部隊に同行させよう」と答えました。
「いえ、それでは間に合いません」
「……まさか、1人で行く気か?」
「はい。その方が目立たなくて良いでしょう。自分は戦闘の経験もありますので、護衛の必要もありません」
「…………」
アンリ大佐はわずかに迷う素振りを見せましたが、やがて「許可できない」ときっぱり告げました。
「君にもしものことがあったら、彼が戻ってきた時、恨まれてしまうよ」
「アンリ大佐……! お願いします、どうか……!」
私はなおも食い下がろうとしましたが、あの大柄な兵士に阻まれてしまいました。
「これ以上は本当に、大佐のお体にさわります」
兵士は丁重に、しかし有無を言わさず、私を大佐のもとから遠ざけてしまいました。
「トウリちゃん……」
何か言いたそうな顔のレィターリュさんも、治療の手を止めるわけにはいきません。
衛生部を追い出された私は、仕方なく自分の部隊に戻ることにしました。
ですが、救出をあきらめたわけではなく。
この時にはもう、覚悟を決めていました。