悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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22話

「……なんで、おまえがここに居るんだよ」

 

 相手が私だと知るや、ベルンは銃を引っ込め、ずるずるとその場にうずくまってしまいました。

 彼は血まみれでした。顔にも髪にも、軍服にも血がついています。

 

「少佐殿!」

 

 私はベルンの傍らに膝をつき、ケガの有無を確かめました。

 明らかに重傷です。……なんで今、立って動いてたんですか、この人。

 ぱっと見でも銃創らしきものが複数、しかも顔色は紙のように真っ白で。

 

「ゲホッ!」

 

 内蔵も傷ついているのでしょう。苦しそうに血を吐いて――。

 

「カハッ、ハァ、ハッ……」

 

 口元を押さえて、のたうち回っています。喉にあふれた血液が、呼吸を(さまた)げているのがわかります。

 

「……っ! 失礼します!」

 

 私はとっさに彼の上に覆いかぶさり、互いの唇をあわせて、気管に入った血を取り除きました。

 1度では取り切れなかったので、2度、3度。

 同じことを繰り返すうち、ベルンの呼吸もいくらか落ち着いてきました。

 

「……唇は……、絶対許さないんじゃなかったか……?」

「軽口を叩く暇があるなら、負傷部位を教えてください! すぐに処置します!」

 

 普通なら見ればわかりますが、あまりにも全身傷だらけなので、自己申告してもらった方が早いと判断しました。

 

「3発、くらっちまった。……右肩、左脇腹、右膝の下。肩は多分貫通してる。他は……、どうだろな」

 

 その言葉を聞くが早いか、私は手術の準備を始めました。

 

 嵐は奇跡的に静まっていました。

 しかしながら、またいつ雨風が強まるかわからない状況下。こんな場所で重傷者を治療するなんて、普通ありえません。

 

 それでも、今やらなければ間に合わない。

 

「そこに寝てください。傷を診ます」

 

 簡易テントを張り、可能な限り雨風に備えて、私は彼の手当てを始めました。

 

 右肩は確かに貫通していますね。これは止血だけで済みそうです。最も重傷に見えるのは左脇。……おそらく致命傷です。ならば真っ先に手当てするのはその傷です。

 

 アーミーナイフを取り出し、まずは開腹して血を抜こうとすると、「ちょっと、待て」と止められました。

 

「すみません、怖いですよね。ですが状況的に、全身麻酔とかしている暇はありませんので」

 

 私は彼に折り畳んだ布を手渡し、

 

「これを噛んでいてください。多分、ものすごく痛いと思いますけど、大声を出すと敵に見つかる危険があるので、死ぬ気で耐えてください」

「じゃなくて、おまえ、手――」

 

 震えてるんだけど、とベルンは指摘してきました。

 

「それで、まともな処置が、できるのか?」

「あ、ああ、本当ですね」

 

 現場で治療を行うことなど、別に初めてではありませんのに、どうしたんでしょうか。

 

「……ああ、そうだ。お医者さんというのは、身内の手術はしないものらしいですよ。配偶者や子供や親兄弟の体を切るのは、やはり抵抗があるらしく――」

「無駄話は、いい。それより、どうすんだ」

「大丈夫です」

 

 私は無理に笑って見せました。だいぶ怖い笑顔だったみたいで、あのベルンがちょっと引きました。

 

「動揺するのは、患者が身内だからです。少佐殿が他人であれば、何の問題もありません。ですから、何か。生理的に気持ち悪いことを言っていただけませんか、いつものように」

 

 ケンカ売ってんのか、と毒づきながら、それでも明晰な彼は、このままではまずいと理解してくれたらしく。

 

「ぶっちゃけ、おまえって処女?」

「……いいですね。その調子でお願いします」

 

 セクハラ発言を何度か聞いているうちに、動揺と手の震えが治まってきました。

 

 思い出します。ガーバック小隊長のお腹を切って、中を処置して、前線復帰させた時のこと。

 肝臓に被弾して、確実に致命傷だったのに、あの人、平然と動き回ってたんですよね。しかも手術直後にまた敵と戦って。

 

「……っ!」

 

 ベルンはさすがに、あの人ほどの化け物ではなかったみたいですけど。

 ろくな麻酔もなしの開腹手術、という拷問レベルの苦痛に、叫び声は愚か、(うめ)き声すら上げませんでした。

 

「【(ヒール)】をかけます……っ!」

 

 最後に、傷をふさぐための魔法。

 神秘的な白い光が、夜の森を一瞬、まばゆく照らして――。

 

「もう1度、行きます!」

「待てっ……」

 

 ベルンの制止は一瞬遅く、私は再び魔法を発動させました。……よし。これで脇腹の処置は完了です。

 次は足ですね。私はこの人をかついで走れませんので、まずは自力で動けるようになっていただかなくては。

 

 ぜえぜえと荒い息を吐きながら、ベルンが身を起こしました。ひとまず【(ヒール)】の効果で、ある程度は回復してくれたようです。

 

「あー、くそ、俺としたことが……っ! なんでこんな簡単なことに先に気づかなかった……!」

「ベルン少佐? まだ動いては――」

「光だよ、この馬鹿! 【(ヒール)】の光はとにかく目立つんだ。この状況で使ったら、おまえ……っ! 敵に居場所を教えるようなもんだろうが!」

「!」

 

 私は真っ青になりました。

 言われてみればその通りです。こうした状況では、患部と手元を厚手の布で覆ってから魔法を使うとか、対策も知っておりましたのに。……完全に、頭から抜け落ちていました。

 

「すぐにここを離れるぞ」

「無理です! その足では……。まずは治療を終わらせて……」

「そんな暇はねえ! 奴らに見つかったら、その時点でアウトだ!」

 

 ベルンのセリフが終わるより早く、銃声が夜の森に鳴り響きました。

 

 私たちはその場に凍りつきました。

 まだかなり遠いですが……。複数の気配が、こちらに近づいてくるのがわかります。

 

「……クソが」

「どう、しましょう」

「ふざけんなよ……。こんな所で、死んでたまるか……」

「私が(おとり)になります。少佐殿は、その間に……」

 

 逃げて、という言葉は飲み込むしかありませんでした。

 だって、まだ足の治療が終わっていないのに? 脇腹の傷だって、ようやくふさいだばかりなのに?

 

「……詰みだな」

「あきらめるのは早すぎます!」

「じゃあどうすんだよ」

 

 ピンチではあります。しかしこの時の私は、「まだ何とかなる」と確信していました。いつも戦場で自分を助けてくれた、「死の気配を察知する感覚」がそう告げていたからです。

 

「撃ってきたのは間違いなく敵兵ですよね?」

「だろうな。……フラメール語だ」

 

 ベルンは地面に耳を近づけて、相手の足音と声を聞いているようでした。

 

「4、5人は居るな。小隊か」

 

 全員で突撃してこられたらそれこそ「詰み」ですが、向こうも視界の悪い森の中で罠を警戒しているのか、かなり慎重になっている様子でした。

 

「■■■、■■!」

 

 野太い声が、何かがなっています。それを聞いたベルンが、なぜか微妙な顔をしました。

 

「何と言っているのですか?」

「あー……。『女が居るな。命は助けてやるから、武器を捨てて出てこい』ってよ」

「……なるほど、命は」

 

 それは、つまり。命以外の目的がある、という意味ですよね。

 

「なあ、トウリちゃん」

 

 ベルンは優しい声で名前を呼ぶと、拳銃を取り出し、私に向けてきました。

 

「何をなさるのですか」

「や、悪いけど先に死んでくれないかなって。『イリス』が奴らの玩具(おもちゃ)になるのは、正直、気分が悪い」

 

 この男にもそういう感覚があるのですか。とても意外です。

 

「そのような心配は無用です。ここは切り抜けて見せますので、ご安心を」

「……できんの?」

「どうか信じてください。私はそのためにここに来たので」

「…………」

 

 ベルンはいかにも疑わしそうな顔をしましたが、一応、銃を引っ込めてくれました。

 

「■■■、■■■■!」

 

 また、怒鳴り声が――さっきとは違う声がしました。

 それに呼応するようにまた別の声がして、まるで言い争ってでもいるかのようにフラメール語の応酬が続いて。

 その間、なぜか一発の銃弾もこちらに飛んではきませんでした。

 

「……どうしたのでしょう?」

「わからん。なんか、もめてる?」

「できれば通訳を……」

「ん。『抵抗する意思のない者は傷つけるな。それが女性なら尚のことだ』……?」

 

 戦場に全くふさわしくない紳士なセリフに、私たちが戸惑った時。

 

「そこに隠れている、君!」

 

 響いたのは、流暢なオースティン語でした。

 

「ただちに武器を置いて出てきなさい! そちらが抵抗しなければ危害は加えない! 命を奪うことはもちろん、無用な狼藉を働くこともしない!」

 

 この声は、まさか。……いえ、間違いありませんね。

 

「おい、何やってんだ」

 

 私が大急ぎで装備を外し始めたのを見て、ベルンが小声で咎めてきます。

 

「大丈夫です。私を信じてください」

「…………。ヤバそうだったら、撃つからな」

 

 それは「私を」ですよね。仮にも血縁者ですのに、わりとためらいなく撃ってやるという顔をしています。

 

「くどいようですが、必要ありません。ケガ人は余計なことをせず、おとなしくしていてください」

「…………」

 

 不満げな顔のベルンに背を向けて、私は声を張り上げました。

 

「降伏します! どうか撃たないでください!」

「ならば、姿を見せなさい! 武器を持たずに、両手を上げて!」

 

 言われて、私はその通りにしました。

 慎重に様子を(うかが)いながら、ゆっくりと立ち上がり、敵兵の前に姿をさらします。

 

「なっ……! 君は――」

「やはり、あなたでしたか」

 

 私は深い安堵の息を吐きました。

 

「生きていたのか、小さな小隊長!」

「お久しぶりです、アルノマさん。お元気そうで何より」

 

 そこに居たのは、私の予想通り。

 北部決戦の前に別れたはずの、かつての私の同僚、アルノマさんでした。

 

 

 

*****

 

 アルノマ・ディスケンス。

 私が彼と出会ったのは、オースティンの首都、ウィンの街でした。

 

 彼はフラメール人であり、旅芸人一座の花形役者でした。

 

 サバトの侵攻によって危機に陥っていたオースティンの人々を見かねて、異国人でありながら衛生兵として力を貸してくれた。そういう義侠心にあふれた人物です。

 

 その後のフラメールの参戦によって、彼はスパイではないかと疑われ、軍を追われることになってしまったのですが……。

 

「本当に……、君なのか……」

 

 信じられない、という顔でアルノマさんは私に問いかけてきました。

 

「君は、あの北部決戦で死んだと……。そう聞かされていたのだが……」

 

 彼の後ろには、4、5人のフラメールの民兵が居ました。

 彼らは一様に戸惑い顔をして、私とアルノマさんを見比べています。

 内1人がアルノマさんに話しかけると、アルノマさんはその兵士をフラメール語で怒鳴りつけました。

 その様子を見る限り、この場の指揮権を持っているのは彼だと思って良いのでしょうね。

 

 そもそも見た目からして、民兵たちとは大きく違います。

 アルノマさんは背が高くて体格も良く、顔立ちも端正な偉丈夫です。

 元から見目の良い人でしたが、今は歴戦の兵士のような貫禄も加わって、より格好良く見えました。いかにも屈強な指揮官、という感じです。

 

「教えてくれ。なぜ君は生きている。どうしてこの場所に?」

「はい。今からご説明します」

 

 問われるままに、私は彼に話しました。

 北部決戦の後、九死に一生を得てサバトに流れ着いたこと。その後、軍に復帰して、今は歩兵として働いていることを、手短に。

 

「アルノマさんは、フラメールに無事戻れたのですね」

「ああ、君のおかげだ。君が私のことを、アリア大尉に取りなしてくれたから……」

 

 アルノマさんの表情には、感謝と喜びが。そして敵として再会してしまったことへの苦悩が滲んでいました。

 

「アルノマさん。……私は、殺されますか」

「そんなことは絶対にしない!」

 

 私の問いに、彼はいっさいの躊躇(ちゅうちょ)なくそう答えました。

 

「君は私の友人で、恩人だ。身の安全は絶対に保証する。だから、どうか、そのまま武器を置いて投降してほしい」

「……わかりました」

 

 私がうなずくと、彼は明らかにホッとしたようでした。

 

「ありがとう。……ああ、それと。君は1人ではないね? 仲間が居るのだろう。共に投降してもらえるだろうか?」

 

 やっぱり、バレてましたか。このまま、しげみの中のベルンに気づかず立ち去ってくれたら1番良かったんですけど。

 

「彼は、ケガ人です。重傷を負い、私が治療したばかりです。命の保証はしてくださいますか?」

「ああ、もちろんだとも」

 

と、アルノマさんは気安く承知しかけて、

 

「その前に、ひとつだけ教えてもらいたい」

「何でしょう」

「なに、簡単なことだ。そのお仲間の名前と、所属を聞いてもいいかな?」

 

 ひやりとしたものが私の胸をよぎりました。

 もしも、そこに居るのが「オースティンの悪魔」だと知ったなら、いくら温厚なアルノマさんでも生かしてはおかないでしょう。

 

「彼の、名前は」

 

 危ないところでした。さっき治療した時、ベルンが身につけていた階級章とドッグタグを念のため確認しておかなかったら、どうなっていたことか。

 

「エトヴィン・ロイス。私が所属している小隊の隊長で、中尉殿です」

 

 それは多分、少し離れた場所で亡くなっていた、あの赤毛の兵士の名前なのでしょうね。ベルンは逃げる途中で、自分のそれと死体の持ち物を取り替えていたのです。

 

「そうか。では、中尉殿。武器を置いて姿を見せてもらえるかな?」

 

 かすかにしげみの揺れる音がしましたが、動きはありませんでした。

 

「あの、彼は右足を負傷して、おそらく歩けないので――」

 

 自分が手を貸しても構わないかと聞くと、アルノマさんはそれも承知してくれました。

 

「感謝します」

 

 こうして私は、ベルンの元に戻ったのですが、

 

「って、何してるんです?」

「いいから、手伝え」

 

 彼はなぜか、自分の頭に包帯を巻き付けているところでした。

 

「小細工だが、しないよりはマシだ――」

 

 ベルンの意図を察した私は、大急ぎで手を貸しました。

 

 考えてみれば、敵が「ベルン・ヴァロウ」の情報を全く持っていないとは限りません。

 顔は知らなくても、「赤毛で目付きの鋭い若い男」、くらいの知識はあるでしょう。

 その中で最も特徴的で目を引くのは、やはり髪の色です。私も、さっき赤毛の兵士の死体を見た時は心臓が凍りつきました。

 

「どうした、小さな小隊長!」

「すみません、すぐに行きます!」

 

 できるだけ、彼の髪色が目立たないように包帯を巻いて、血を塗りつけて。肩で支えながら、私は身を起こしました。

 アルノマさんがこっちを見て――そしてほんのわずかに、目を見張りました。

 

 ……彼は。

 オースティンで従軍していた時、ベルンの姿を見たことがあったのでしょうか。

 至近距離で言葉を交わしたことはなかったと断言できます。

 でも、アルノマさんがスパイとして軍に捕らわれたのは、確か南軍と中央軍が合流した後だったはずで――。

 

 どっと冷や汗が出て、心臓がうるさく騒ぎ始めました。

 

 果たしてそれは、私の勘違いだったのか。

 アルノマさんはとても静かな声で、「では案内しよう」と私に告げたのでした。

 

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