それからシルフが語ったことは、私にとっては既に知っている話でした。
サバトの政府軍と、労働者議会との間で起きた内戦。
戦場でもそれ以外の場所でも
「知っているよ。本当に
アルノマさんはシルフの話に首をひねって、
「だが、それと『ベルン・ヴァロウ』に何の関係がある?」
「大ありだとも! 奴は労働者議会とつながっていたんだ!」
「……ああ、そうだな。だから今のオースティンはサバトと同盟を結んでいるんだ」
オースティンが労働者議会の側を支援し、その勝利に貢献したから、ですね。それも周知の事実です。
しかし、シルフは「違う!」と叫びました。
「奴は確かに労働者議会と通じていた! だがその目的は奴らの勝利じゃない!」
シルフいわく、その目的とは、サバトの国民同士で戦わせ、命の奪い合いをさせることでした。
自分は一滴も血を流さずに仇敵を弱体化させるために、
「奴は労働者議会がすぐには負けぬよう、しかし勝ちすぎもしないようにと加減していたんだ!」
ベルンの
兵は飢え、自国の市民から食糧を強奪。抵抗した者は無惨に殺され、抵抗しなかった者は餓死していったのだと。
「トウリ、貴様もその目で見ただろう!? あの地獄を! 忘れたとは言わせないぞ!」
「…………」
私は、何も言えませんでした。
首都決戦のことはもちろん覚えていますし、ベルンが労働者議会とつながっていたことも知っています。
けれども、さすがに話の後半は予想外でした。
私も参加し、命を賭けて戦ったあのヨゼグラード攻略戦が、全てベルンのてのひらの上だったなんて――。
「証拠はあるのですか……?」
何か客観的な証拠は。シルフの憎しみから生まれた妄想なのでは?
「無論、あるとも」
シルフは即答しました。
ヨゼグラードで彼女は、ベルンがサバトの高官と交わした親書を見つけたのだそうです。
そこにはサバト政府の中でも有能な政治家を優先的に殺し、無能な政治家だけを生き残らせる企みや、首都決戦の綿密な計画書など、「オースティンの悪魔」がいかに周到にサバトを
「それは、証拠というには弱いのでは……」
私の反論に、シルフはなぜか嬉しそうな顔をしました。
「何だ、トウリ。随分と自信がなさそうじゃないか」
「…………」
「内心では貴様も思っているんじゃないのか? あのベルン・ヴァロウならば、その程度のことはやりかねない、と」
「……!」
「貴様も知らずに利用されたんじゃないのか? そして、今も利用され続けているんじゃないのか。無自覚に。何も気づかぬまま。奴の都合が良いように転がされているだけなんじゃないのか?」
「……そんな、こと……」
「そうか? 貴様、さっき身を
あの時から違和感があった、とシルフは指摘しました。
「なぜなら、私が知っているトウリ・ロウは、甘ちゃんなところもあるが、有能な兵士だった。いくら仲間でも、自分の命を捨ててまで助けようとするはずがない」
「言われてみれば……」
アルノマさんも、今やシルフの話に引き込まれている様子で、
「小隊長。君はなぜ彼をかばったんだ? まるで自らの身を投げ出すようにして」
「……それは」
「彼は、それほどまでに君にとって特別な存在なのか?」
「それは」
私が答えを口にするより早く、
「特別に決まっているだろう」
とシルフが断言しました。
「私が知る限り、今のオースティンに、奴を除いてまともな戦略を立てられる人間は居ない。国を勝たせる切り札だ。兵士の1人や2人、捨て石になる価値は十分あるだろうさ」
その言葉に、アルノマさんは何事かを思い出した様子で、たいそう苦い表情を浮かべました。
「そうだ。君はあの北部決戦でも
それは違います。あれは自ら志願した結果ですし、そもそも作戦を発案したのは自分です。
私がそう言っても、アルノマさんはより悲しそうな顔をするだけでした。
私が軍に洗脳され、犠牲になっているとでも思ったのでしょうか。彼はその顔のまま深いため息をついて、
「ここまでの話を聞いて、何か言いたいことはあるだろうか」
と、ベルンに問いかけました。
対するベルンの答えは軽かったです。平然と肩などすくめて、
「特にないですね。俺はベルン・ヴァロウじゃないんで」
「……そうか」
もう1度、深いため息をついたアルノマさんは。
なぜか私の体を抱え上げ、ベルンから引き離そうとしました。
「アルノマさん!?」
「……すまない。小さな小隊長」
彼は私に一言謝って、それから迷いを振り切るように言いました。
「私には彼の正体はわからない。だが、今はこうするのが正しい選択であるように思う」
「最初からそうすればいいんだ」
シルフが勝ち誇ったように笑っています。再び、手にした拳銃をベルンに向けて、
「やめて! お願いだからやめてください!」
「小さな小隊長……っ!」
私は全身全霊の力で抵抗しました。
手足をばたつかせ、自分を抱えているアルノマさんの腕をひっかいたりもしました。
その様子を見て、フラメールの民兵たちが加勢に入ります。乱暴な複数の腕に、私は力づくで取り押さえられて――。
「痛……っ!」
「彼女を傷つけるな!」
怒りに満ちた声でそう叫んだのは、他でもないアルノマさんでした。
「おまえたちはただ、そこに立っていればいい。……彼女に見せないように」
「だめ……っ!」
一方、シルフはこちらを見てもいませんでした。
愉悦に満ちた笑みを浮かべて、「何か遺言はあるか、オースティンの悪魔」とベルンに問いかけています。
ベルンはそんな彼女を、いかにも冷めた目付きで見返していましたが、
「貴様にも遺族が居るというなら、最期の言葉くらい届けてやらんでもない」
その言葉には、小さく反応しました。
「……それじゃ、手短に」
「ああ」
「遺族だけじゃなくて、仲間にもお願いできます?」
「いいだろう」
「……じゃあ、まずは俺の上官に。ご武運を。まだ生きてるなら、仇はとっといてください」
上官とはアンリ大佐のことでしょうか。
彼が無事であることは伝えたはずですが……。予断を許さぬ重症度ではあったので、必ずしも楽観はできません。
「それから、副官の眼鏡に。例の件は任せた」
それはクルーリィさんのことですよね。
そう言えばあの人は鉱山戦線の方に来ていたので、今回の司令部襲撃には巻き込まれていないのでした。
「……イリスに」
ベルンの声に耳を傾けながら、なおもアルノマさんの手を振りほどこうと暴れていた私は、その言葉に息を飲みました。
「俺が死んだら、あのうるさい眼鏡に会いに行け。……遺書を預けてあるから。俺が持っていたもので、使えるものは全部くれてやる。まあ、別に使わなくたっていいが、おまえにまだ守りたいものがあるなら、多分、役に立つ」
沈黙が、室内に落ちました。
「それで終わりか?」
最終確認のようにシルフが問えば、
「最後に、もう1人だけ」
ベルンはにんまりと、それは彼らしい悪魔的な笑みを浮かべて、
「シルフ・ノーヴァとかいうサバトのお嬢様に」
対照的に、シルフの顔からは笑みが消えました。
「おまえ、さあ。どんだけ馬鹿なんだよ?」
*****
「今更オースティンと戦うことに何の意味がある?」
まず、ベルンはそう言いました。
半分死人のようなひどい顔色をして、力なく壁に背を預けたまま、その鋭いまなざしはひたとシルフをとらえています。まるで、目の前の獲物を絶対に逃がすまいとするかのように。
「ここで手柄を上げて、連合軍にサバト旧政府のことを認めさせて? それが何になる。他国にいくら認められようが、サバトの民はおまえの帰還なんて望んじゃいないのに」
早口で。噛んで含めるように。彼はこれまでのシルフの戦いを否定し、
「他人を悪魔呼ばわりして、自分は正義の使者にでもなったつもりかよ。笑わせんな。てめえの国を生き地獄に変えたのは、他でもないてめえ自身だろうが」
シルフの属する旧政府軍は、無謀な進軍で味方の兵士を殺し、労働者議会と対立することで同じサバト人を殺し、首都決戦をしかけて民間人を殺しました。
それはけっしてシルフ1人で為したことではありません。
むしろ彼女自身は反対していた件も含まれるのですが、他でもないベルンが「シルフの悪事」として喧伝した結果、サバト国民の間には彼女の悪名がかなり広まっているのが実状でした。
「いいかげん、その目を覚まして現実を見ろ! おまえはヨゼグラードに悪夢をもたらした愚将で! 無抵抗の市民を虐殺した魔女だ!」
「黙れ!!」
ようやく、シルフが反論しました。
吠えるように。泣き叫ぶかのように。激しい怒りと憎しみを込めて。
「その悲劇を画策したのは貴様だろうが! 愚かな労働者議会の連中を
シルフはそこで唇を噛みしめ、「どうして、あそこまで惨いことができるんだ……」とつぶやくように言いました。再びキッと顔を上げ、
「貴様ほどの外道を、私は見たことがない! そんな奴が、同じ人間だなどとは認めない! 敵と呼ぶ価値すらない!」
悪魔がお似合いだと激高するシルフを、ベルンはどこまでも冷めた目で見返して、
「まあ、大層な悪事だよな」
まるで他人事のように、あっさりと認めて見せました。
「サバトの民に恨まれるならわかる。けど、おまえに責められるのは意味がわからねえ」
「はあ!?」
「おまえだってオースティンに地獄を見せただろうが。おまえの作戦で前線を突破したサバト軍は、オースティンでいったい何をした? しかもおまえの属するサバトの旧政府は、こっちが無条件降伏までしたのを撥ねのけたんだ。後で仕返しされたからって、なんでキレてんの? 意味不明なんだよ」
そこまで一気に語ったベルンは、軽く息継ぎをしてから、小さく笑いました。
「ま、『ベルン・ヴァロウ』は確かに人を嵌めて殺すのが趣味みたいな奴だけどな。戦略的に意味のない殺しはやってねえ。おまえは違う。国のため民のためと言いながら、結局は自分の保身のためだけに戦って、無駄に殺しまくってる」
「デタラメを……っ!」
「じゃねえよ。事実だろ」
とベルンは決めつけて。
「たとえば、鉱山戦線。おまえの仲間がオースティンの陣地にサバトの旗なんか立てやがったせいで、どんだけ国に迷惑かけたかわかってんのか?」
サバトの旗。
その一言で義妹の、リナリーの最期が目の前をよぎり、私は動揺しました。
そして理由は違えど、動揺したのはシルフもまた同じでした。生粋の愛国者である彼女にとって、「国に迷惑をかけた」という指摘は何より聞き流せないものだったからです。
「それが、どうした……っ! 労働者議会の奴らが、いくら迷惑しようが……」
強がる彼女に、ベルンはまた噛んで含めるように、
「あーのーな。詫びの代わりに、サバトがオースティンに送ってきた物資。あれは元々、労働者議会が民のために用意したものなんだよ。あの内戦でメチャクチャになった地方に物資を行き渡らせるためのやつ。それをオースティンに送っちまったら、さて、どういうことになったと思う?」
「……っ!」
「物資不足は解消されず! 労働者議会への不満は高まる! 奴らと対立しているおまえら旧政府軍にとっては確かにいいことだろうさ! 結果的にサバトの民が何人飢えて死のうが、それが自分たちの得になるんだからな!」
「黙れえぇぇぇ!!」
シルフが絶叫しました。
その目は血走り、銃を持った手は小刻みに震えています。
「貴様に、私の、何がわかる……」
「知らねえよ。俺はベルン・ヴァロウじゃねえし」
「……っ!」
ベルンを見返すシルフの顔は、まるで悪鬼のようでした。
誰もが、目の前のやり取りに飲まれていました。
アルノマさんも、エライアさんも、フラメールの民兵たちも。
私は、その隙をついて、アルノマさんの腕に――。
「ぐあっ!」
思いきり噛みついてやりました。……ごめんなさい、アルノマさん。
彼の手をすり抜けた私は、ベルンとシルフの間に立ちはだかるように飛び出しました。
「やめてください! どうか、撃たないで!」
「トウリ……っ!」
「お願いです、シルフ! 何でもしますから、どうか命だけは!」
「ふざけるなああっ!!!」
シルフは地団駄を踏むように軍靴のかかとを打ち鳴らしました。
「こいつのせいで、いや、貴様らのせいで! 私は家族を失った! 仲間を失った! 国を失った!」
空いている方の手で私を指差して、
「まして、私の部下を、ゴルスキィをその手で殺した貴様が! どのツラ下げて仲間の命乞いなどして見せるんだああっ!!」
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
「謝って済む話かあ! これ以上、私を愚弄するなら、貴様も――!」
「シルフ!!」
アルノマさんが制止の声を上げましたが、シルフは構わず、私に銃を向けました。
私は、その暗い銃口を静かに見返して、
「撃ってください」
夫の仇であり、憎むべき敵である彼女に、頭を下げたのです。
「この人を殺すつもりなら、私も撃ってください! 一緒に殺してください! 私は、私は――」
シルフの指が引き金にかかっています。あと数秒以内には引かれるでしょう。つまり私に残された時間は、あと数秒。
その数秒で彼女の心を動かせるかもしれないセリフを、私はひとつしか思いつきませんでした。
「この人を愛しています! 愛してるんです!」
「……は?」
彼女の口がぽかんと開いて、瞳もありえないくらいまん丸に見開かれました。
「愛しています。かけがえのない人です。失うくらいなら死んだ方がいい! 自分だけが残されるのは、もう嫌だから――だから――」
必死で言葉を紡ぎながら思い出したのは、ロドリーくんの話をシルフに聞かせた時のことでした。
根が善良な彼女は、自分の作戦が結果的に私の夫を死なせたことを、内心、気に病んでいたように思います。
だったらこれは、決めゼリフになるかもしれない。
「お願いです、シルフ! これ以上、私から愛する人を奪わないで――」
その場を切り抜けるためとはいえ、愛を
それでも、私は知っていました。シルフは戦争の中でたくさん手を汚して、歪んで、狂ってしまっていますが、本質的には子供のように純粋な人なのだと。
「ぬがあああああっ!!!」
結果は、私の計算通り。
シルフは長い銀髪を振り乱して、わめいて、手にした拳銃を力いっぱい床に叩きつけたのでした。