「予想よりさらにガキっぽい女だったな」
それがベルンのシルフ評でした。
「ガキの
彼女の心をあれほど無慈悲に
あの後、シルフは怒って部屋から出て行ってしまい、アルノマさんは「少し時間をくれ」と言って、部下を連れて立ち去りました。
今はまた2人きり。多少の時間稼ぎはできたようで何より、ですが。
「どうして、あんな煽るようなことを仰ったのですか」
あれでは挑発です。自分がベルン・ヴァロウだと、ほとんど認めているようなセリフもありましたし。
「まあ、時間稼ぎ? どうせあの女、俺が誰だろうが撃つつもりだと思ったし。1分でも2分でも、しゃべってる間は殺されないかなーってさ」
「…………」
「ああいうプライドの高い奴は、人に見下されるのが何より耐えがたいんだよ。つまり相手に言い負かされてる間は、撃ちたくても撃てない」
「…………」
「おまえの演技力には期待できなかったし?」
「……悪かったですね」
「愛がどうとかも寒かったわ。相手があの馬鹿女でなきゃ通じなかったぞ」
「力及ばず、申し訳ありません」
口先だけで謝る私に、ベルンは少しだけ真顔になって、
「演技だよな? あれ」
「無論です」
「……そうか。なら、いい」
小さくつぶやいて、目を閉じました。
「寝ないでください、少佐……いえ、中尉殿」
私は彼に顔を近づけ、耳元で呼びかけました。もはや自力で座っていることもできない彼の体を、両手で支えながら。
「……だったら、何か話せよ」
返事は、ひどく弱々しいものでした。
ベルンの体はほとんど脱力していて、まぶたをひらく気配もありません。さすがに、体力の限界が来たようです。
「何を、話せば、よろしいのでしょうか」
「…………」
「ええと、ここから帰った後の話でもしましょうか。私は軍令違反で処罰されるかもしれません。最悪、敵前逃亡と見なされて銃殺かも」
「…………」
「当然、助けていただけますよね? 私はあなたの、命の恩人になるのですから」
「…………」
「中尉殿。聞いていますか?」
聞いてる、とベルンは答えました。
「……助けてやっても、いい。おまえが俺の所に、来る気なら」
「見返りを求めるのですか。この状況で」
私はあきれ果てました。
「ばぁか。……タダで助けてやるわけがあるか。……俺は別に、おまえに頼んだわけじゃない。おまえが勝手に、助けに来たんだろうが……」
「感謝はないのですか。命の恩は」
「あるよ。してるよ。さっきは何だかんだ言ってもおまえのおかげで助かった。……だが、それとこれとは話が別だ」
本当に、どこまでも勝手な男ですね。いっそ感心してしまいます。
「ならば、仕方がありませんね……」
不本意ですが、銃殺は嫌ですし。
「無事に戻ることができたなら、私はあなたの部下になることに致しましょう」
おお? とベルンが意外そうな声を上げました。
「マジで言ってんのか?」
「はい」
ほんの少しだけ、ベルンが目を開けて笑いました。
「よし。確かに聞いたからな。レンヴェルのジジイが何と言おうが、おまえは俺のものだ」
「『俺のもの』ではなく、あくまで仕事の上で部下になると言ったのです。誤解を招く発言はおやめください」
「…………」
「中尉殿?」
悪い、と彼は小さな声で言いました。
「限界だ。少し寝る。ヤバそうなら起こせ……」
「中尉殿!」
とっさにベルンの耳元で呼びましたが、その時にはもう、彼は意識を手放していました。さっきまで話していたのが嘘のように、完全に気絶しています。
「起きてください、中尉殿……」
返事はありません。
「どうやってここから逃げるのですか……。私の力じゃ、あなたを背負って走れないんですよ……」
1人になると、不安と心細さが否応なくこみ上げてきます。
腕の中の温もりにすがりつくようにしながら、私は涙声で訴えました。
「お願いです、起きてください……。本当に、2人で死ぬしかなくなりますよ……」
硬い靴音が、部屋の外から響いてきます。いよいよ、その時が来たのでしょうか。
「兄さん……」
扉が勢いよく開いて、そこには――。
*****
いつのまにか、嵐がやんでいました。
白む空。猛スピードで吹き飛ばされていく雲。かすかに光が差し始めている山の稜線。
程なく夜明けを迎えようとしている空を見上げつつ、私は外に出ました。
そこは砦の裏側でした。目の前には急な斜面と、細い山道が続いています。
「この道を行けば、おそらく安全だ。少し遠回りだが、その分、戦闘に巻き込まれる危険は少ないだろう」
ここまで案内してくれたアルノマさんが言いました。
彼は、気を失ったベルンをその背にかついでいます。
その上さらに私の荷物と、小銃までも。
「……良いのですか、アルノマさん」
武器を渡すのは、さすがの彼も抵抗があったようなのですが、
「私は、君を信頼している」
自分に言い聞かせるようにそう言って、アルノマさんは手にした銃を私に差し出してきました。
「だから、どうか。命の危険がない限りは、この銃で私の仲間を撃たないと約束してくれないか」
「……わかりました」
私はうなずいて、銃を受け取りました。
その次に荷物を背負い、さらにその上から、気絶したベルンの体を背負わせてくれるようにと頼みます。
「……さすがに、無理がないか?」
「大丈夫です」
重さだけを考えるなら、いっそ荷物は捨てていってもいいくらいなのですが。
私たち、身長差がかなりあるので、普通に背負おうとすると引きずってしまうのです。
なので、先に荷物を背負って、その上にベルンの体を乗っけるような形にした方がまだマシかと思ったのですが……。
うーん、やっぱりだめですね。どうしても多少は引きずってしまいます。
私が四苦八苦していると、見かねたアルノマさんが言いました。
「やはり、途中までは私の仲間に送らせて――」
「いえ、平気です」
その「仲間」が裏切らないとは限りません。私はアルノマさんのことは信じていましたが、フラメールの民兵のことは全く信じる気になれませんでした。
ここから先は、2人で行くしかありません。
オースティンの陣地まで、普通に行けば半日ほどでしょうか。
私の体力が
客観的に見て、かなり分の悪い賭けであると言えました。
「アルノマさん。本当にありがとうございました」
あのシルフとのやり取りを聞いて、彼はベルンの正体をほぼ確信したでしょうに。
まさか、こうして逃がしてくれるとは思いませんでした。
「正直に言えば、迷いはあるよ」
と彼は言いました。
「シルフの話を聞いて、私は思ったんだ。彼は、この世に存在してはいけない人物なのかもしれないと」
「…………」
「彼の言い分自体はわからなくもないが、あまりに人間らしい情や倫理というものが欠けている。彼をこのまま帰したら、サバトで起きた悲劇が我が祖国にも降りかかるだろうと思った」
「では、どうして……」
理由は2つある、とアルノマさんは答えました。
「ひとつは、私の信条に反するからだ。戦場ではない場所で、無抵抗の相手を撃ち殺すのは、ただの殺人だろう。それが正当な報復だったとしても、裁判も行わずに人の命を奪うのは、ただの私刑だ。私にはそれが正しいことだとはどうしても思えない」
そして、もうひとつの理由は。
「彼が撃たれそうになった時、君は身を挺してかばった。彼を愛していると言った、あの言葉は真実なのだろう?」
「……はい」
「ならば、私には彼を殺すことはできないよ」
「アルノマさん……」
「我々もこれからすぐに退却するが――」
できれば、この先も君とは戦いたくない、と。
アルノマさんはとても真剣な目をして言いました。
「彼が目覚めたら、講和を望んでいると伝えてもらえないだろうか」
「……わかりました」
ベルンが応じるとは思えませんけどね。そもそも、講和するかどうかを決めるのは軍人の仕事じゃないですし。
「アルノマさん。本当に本当に、ありがとうございました」
もう1度、深く頭を下げて、私は彼と別れました。
山道は急勾配で、キツさは想像以上でした。
あっという間に手足が重くなり、心臓や肺が悲鳴を上げ始めます。
それでも。
耳元でかすかに聞こえる呼吸の音と、伝わる温もりが。
絶対に足を止めまいという意志と、次の一歩を踏み出す気力を私に与えてくれました。
「あの時と逆ですね、兄さん……」
私たちの故郷が、サバトに焼かれた日。
まだ幼い私を抱えて、彼が逃げてくれたこと。私を背負って、歩いて、ノエル孤児院まで連れていってくれたこと。なんとなくですが、覚えています。
「私、思い出したんですよ。あの頃のあなたは意地悪だったけど、たまには優しい時もあったってこと」
タンポポの花冠を作ってくれた時みたいに、とても気まぐれで、素直ではない優しさでしたが。
「あなたたちに、この人の何がわかるっていうんですか……」
シルフとアルノマさんの顔を思い浮かべながら、私は1人つぶやきました。
「この世に存在するべきじゃないとか、何様ですか。勝手に人を裁いて、正しいつもりになって。自分たちだって立派な人殺しのくせに」
息が切れて山道にうずくまり、
「死なせませんよ、絶対に……」
そしてまた顔を上げ、歩き出しました。
「今度は私が、あなたを助ける番です」
*****
追っ手の気配に気づいたのは、十分に砦と離れて、戦闘の音が届かない場所まで来てからでした。
「まあ、簡単には逃がしてくれないでしょうね……」
シルフの指示なのか、あるいはアルノマさんの部下の、フラメールの民兵たちの独断なのか。
いずれにせよ、敵が現れた以上は戦うしかありません。
追っ手は3人居ました。遠目にもその装備はお粗末で、兵としての練度は低いとわかります。
相手が正規兵なら、多勢に無勢でどうしようもなかったでしょう。
けれども民兵相手なら、自分1人でも勝ち目はあります。
まずは周囲の地形を確認して、少しでも有利な位置を確保。
それから荷物を外し、適当な木の陰にベルンの体を横たえて、
「兄さん、追っ手です」
声をかけても、反応はありませんでした。
「やっぱり、ダメですか。……ここは私がやるしかなさそうですね」
敵は何の工夫もなく、正面から突撃してきました。
子供のような女1人と、
3発の銃弾が自分めがけて飛んできましたが、タイミングもほとんど同じで、防ぎやすい攻撃でした。
私は慌てず騒がず、【
胸を撃ち抜かれた敵兵が、断末魔の叫びも上げずに倒れ伏します。
残る2人との距離も、まだ4、5メートルあります。これなら接敵される前にもう1人いける、と銃を構え直した
風を切る音と共に、頭上に濃密な死の気配が生まれました。
――手榴弾!
「……っ! 【
動揺に、ほんの一瞬、対処が遅れました。
かろうじて魔法で弾き飛ばしたものの、爆音と熱風にまぎれて、敵2人が肉薄してきます。
「っ!」
走る勢いのまま腹部を蹴られて、私は勢いよく地面を転がされました。
体勢を立て直す暇もなく、残る1人が私に駆け寄り、頑丈な軍靴で右腕を踏みつけてきます。
「あうっ!」
凄まじい痛みが脳天まで突き抜けました。もしかしなくても、骨をやられたかもしれません。
私の腕を踏んだ兵士は、私が手放した銃を遠くに蹴転がすと、そのまま馬乗りになってきました。
一方、残る1人は私の横を駆け抜けてさらに奥へ行こうと――。
――させません!
「【
私は、その兵士の足元に盾を展開しました。
足場の悪い山道でバランスを崩した兵士は、狙い通り急斜面を転げ落ちていきました。
直後に響く、鈍い音。その後、静かになったところを見ると、うまく頭でも打ってくれたのかもしれません。
「■■■! ■■!」
馬乗りになった兵士が、怒声を上げながら私を殴りつけてきます。
容赦なく
だって、私が死んだら、次はあの人が。
懸命に意識をつなぎ止め、目の前の顔をにらむと、その兵士はいつのまにかニヤニヤしていました。
両目をギラつかせ、口元だけをだらしなく緩めて、手にした銃を私の足に向け、
「あああああっ!!」
右太ももを撃ち抜かれて、私は悶絶しました。
出血に、体から熱が抜けていくのがわかります。
「■■■!」
悶え苦しむ私を見て、敵兵は歓声とも嬌声ともつかない声を上げています。
……さっきから、痛めつけるばかりで急所を狙ってきませんね。どうやら、そういう趣味の変態のようです。
ならば隙を見て反撃をと思ったのですが、今度は先程踏まれた腕を撃たれて、再び悶絶させられました。
「……っ!」
なんで、こんな人を部下にしてるんですか、アルノマさん。これで「フラメールの英雄」とか、終わってるじゃないですか。
「放してください、私は……っ!」
あなたの
「やめてくださいっ!」
男の手が服の上から体をまさぐろうとしてきて、私は抵抗しました。
正確には、抵抗しようとしました。
しかし片足と片腕を撃ち抜かれた状態では思うように動くことができず、あっさり押さえつけられてしまいます。
「ロドリーくん……!」
とっさに彼の名を呼び、目を閉じて。
私は、愕然としました。
その時、心に浮かんだのは、優しく勇敢な亡き夫の顔ではなかったのです。
「……どうして」
今、あなたの顔が浮かぶんですか。
なんで、どうして、よりにもよって。
「……やだ」
こっちを見ないで。
こんな姿を、状況を、あなたにだけは見られたくないのに。
「やだ、やだ、やだぁ!!」
私は幼児のように叫びました。手足をバタつかせ、みっともなく泣きわめきました。
自分に馬乗りになっていた兵士の顔が破裂して、横向きに吹き飛んだのはその時でした。
「……え」
「■■っ! ■■■っ!」
兵士は顔を押さえてのたうち回っています。
私はすぐに起き上がろうとして、腕と足の痛みに気絶しそうになり、結局は地面に倒れたまま、視線だけを動かして――。
「……クソ野郎が」
そして、同じく地面に倒れたままのベルンが、こちらに拳銃を向けている姿を見たのです。
「俺の前で、そいつを、壊すんじゃねえよ……!」
まるで呪いの言葉みたいに毒突いて。
それが彼に残された体力の、最後の一滴だったのだと思います。
もう1度、敵兵に向かって銃の照準を合わせようとしたベルンは、その途中でばったりと地面に倒れ伏しました。
……ぴくりとも動きません。息をしているのかどうかもよくわかりません。
「兄さん!」
私は這うように彼に近づこうとして、背後の兵士がまだ生きていることを思い出しました。
兵士は顔を撃たれて恐慌状態でした。
もはや戦えるようには見えませんでしたが、それでもトドメを差しておかなければ、自分たちの身が危うくなります。
私はどうにか上半身だけを起こし、兵士が落とした小銃を拾い上げ、片手だけで苦労して照準をあわせて引き金を引きました。
どさりと重たい音を立てて、兵士の体が地に落ちます。
「ハアッ、ハアッ」
終わった。勝った。自分はまだ生きています。……今にも死にそうですが。
太ももの傷は【
体力も底をつきかけています。また追っ手が来たら、今度こそ殺されるでしょう。
「どうせ、死ぬなら……」
私は、倒れた彼のもとに行くことにしました。
「2人で、一緒に……」
互いの距離は10メートルもありません。
立って歩けば一瞬の距離が、その時の私には、途方もなく遠くて。
「兄さん、起きて……」
地に伏したまま、私は懇願しました。
お願いです。起きてください。
どうせ死ぬなら、冷たい地面の上で1人きりで死ぬのではなく、誰かの温もりを感じながら逝きたいのです。
「私を、1人にしないで……」
もう置いて行かれるのは嫌です。1人ぼっちは嫌です。
あなたと別れて、あなたを忘れた後も。
私はずっとずっと寂しかった。
頼りになる人が、信頼できる人が、優しくしてくれる人がほしかった。
この世にたった1人でもいい。私のことを、特別に思ってくれる誰かに居てほしかった。
私を愛してくれる人を、ずっと求め続けていた。
「お願い……」
ゆっくりと、まぶたの
必死でのばした手は、何もつかめないまま。
あの日と同じように、あの人に届かないまま。
熱い涙がこぼれて頬をつたうのを自覚しながら、私の意識は暗い闇の中へと落ちていきました。