悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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27話

 それから、およそ半日。

 私は衛生部の皆さんの手を借りて、ひたすら体力回復に努めました。

 おかげで歩き回るのは無理でも、ベッドに起き上がって話をするくらいなら、どうにかできるようになりました。

 そうして日が暮れた頃、ドアの向こうから「おい、入るぞ」と待ちかねた声が――。

 

「ベルン少佐?」

 

 ゆっくりと病室の中に入ってきたのは、間違いなくベルン・ヴァロウでした。

 

 彼が助かったことはレィターリュさんに聞いていたものの、実際にその姿を目にすると、胸の奥からこみ上げてくるものがありました。

 それこそ駆け寄ってしがみつきたいくらいの気持ちになったのですが、それはごく短い間で。

 

「足が、痛むのですか?」

 

 ベルンは杖をついていました。歩き方も少々ぎこちない感じがします。

 

「右足にマヒが残っちまった。レィターリュ少尉は、時間をかけて治療すれば治るだろうって言ってたが」

「…………」

「あの状況で、足1本で済んだらかなりマシな方だろ。別におまえの治療がヘタだったせいじゃない」

「…………」

「なんで、そんな死にそうな顔してんだ?」

 

 それは、治療については確かに全力を尽くしたのですが。

 ……やっぱり、山道で引きずってしまったのがまずかったのでしょうか。あの時はとにかく命さえあればいいと、少しばかり雑に扱ってしまったような気もしますし……。

 

「おまえ、何か隠してない?」

 

 ぎくっ。

 

「イリスちゃん? ……怒らないから、お兄ちゃんに本当のことを言ってごらん?」

 

 ゆっくりと歩み寄ってきたベルンが、猫なで声で私を問いつめようとした時。

 ドアの外から、咳払いの音がしました。

 

「ヴェルディさん!?」

「どうも、トウリちゃん」

 

 ベルンの後から病室に入ってきたヴェルディさんは、心配と安堵を同時に顔に浮かべていました。

 

「意識が戻って本当に良かった。また無茶をしたんでしょう。その件については、後でじっくりお説教するとして――」

 

 ヴェルディさんの目が、ベルンの方を向きました。

 一見にこやかですが、笑っているのは口元だけです。目はガチで怒っています。怖いです。

 

「話は3人そろってから、というお約束でしたよね?」

 

 指摘を受けたベルンはといえば、ヴェルディさん相手にも愛想笑いの仮面をつけてはいませんでした。

 むしろイラだちを隠せない様子で短く嘆息して、

 

「先に現状を確認しあうくらい良いでしょう。俺はともかく、彼女は意識が戻ったばかりで――」

「それは、2人きりでなければできないことですか?」

「……ええ、まあ。ヴェルディ少佐には全く関係ない、個人的な話ですから」

「口止めや、口裏合わせを目的としたものではなく?」

「……っ!」

 

 最初から、とても気まずい空気ですね。どうしましょうか。

 

「先に10分だけ、時間をください」

 

 明らかに怒っているヴェルディさんに対して、ベルンは妙に平坦な声でそう言いました。

 

「このまま3人で話し始めたら、彼女が混乱します」

 

 ヴェルディさんは無言になりました。気まずい空気がさらに増していきます。

 

「口止めなんてしませんて……。お疑いなら、レィターリュ少尉を呼んでください。俺がこいつに妙なことを言わないか、彼女に見張っていてもらえばいい」

「私はだめで、彼女になら聞かせられる話ですか」

 

 しばらく無言の時間が続いて、やがて引いたのはヴェルディさんの方でした。

 

「まあ、いいでしょう。あなたを信じますよ」

 

 全く信じていない口調でそう言って、ヴェルディさんは一旦、病室から出て行きました。

 ベルンはその姿を見送ってから、私を見下ろし、数歩距離をつめて。

 

「この阿呆、馬鹿、間抜け」

 

と、いきなり(ののし)ってきました。

 

「なんでよりにもよって、ヴェルディなんぞに知られてるんだよ」

「……申し訳ありません」

「あー、しょげるな、しょげるな。今、落ち込んでる暇はねえんだよ。それより、どうする」

 

 と、言われましても。まずはご自分で仰っていた通り、現状をきちんと説明していただかなくては。

 

「ヴェルディさんは、どこまでご存知なのですか?」

 

 昨日、2人で話したのですよね。レィターリュさんによれば、かなり長い時間。

 

「……だから、アレだよ。おまえが俺の、生き別れの妹かもしれないって話」

「それを、ヴェルディさんは――」

「カケラも信じてなかった」

 

 でしょうね。あまりに不自然な話ですから。

 

「俺がおまえの弱みにつけ込んで、うまく丸め込もうとしたんじゃないかって疑ってる」

 

 普通そう考えますよね。ベルンが私を引き抜こうとしたのは周知の事実ですし。

 

「ですが一応、証拠はあるのでしょう?」

 

 私たちが兄妹かもしれない可能性を示す、戸籍上の記録があるという話だったのでは。

 

「あったよ。今はもう、ない。……俺が焼いちまった」

「焼いた!?」

「当然だろ。おまえの引き抜きに使えないなら、あんなもんに用はねえ。実は妹が居たなんて知られたら、誰にどんな使われ方するかわからねえし」

 

 弱みになるかもしれないから処分した、とベルンは事もなげに告げました。

 

「それを、ヴェルディさんに言ったのですか?」

「言うわけねえだろ、馬鹿。余計に怪しまれるだけだ。おまえとの関係に気づいたのは――面影があったからだとか、互いの記憶が一致したからとか、そういうことにしてる」

 

 それは、信じてもらえなくても仕方ないのでは。根拠があやふやすぎます。

 

「そう言うおまえは、なんで信じてるんだよ?」

 

 かなり今更なことを聞かれました。

 

「最初はそんなふざけた話があるかって言ってたよな? 半信半疑どころか、ほとんど信じてなかったんじゃねえの?」

 

 で、あるにも関わらず、今では。

 

「命がけで助けに来やがるわ、人前で兄さんなんて呼ぶわ」

 

 兄妹だと確信しているように見える。それはなぜなのかと。

 

「今、聞かなければならないことなのですか、それは」

 

 時間もあまりないというのに、ヴェルディさんと話す前に、確かめておく必要があるのでしょうか。

 

「大ありだよ。あいつの前で、『実はただの思い込みでした』なんておまえに言い出されたら、俺は確実にペテン師扱いだ」

 

 なるほど。さすがの彼も、そのような事態は避けたいと。

 

「証拠にしたって、見せたわけじゃない。記憶にしても――3歳の時のだぞ?」

 

 そうですね。それらしいことを言われて、兄妹だと思い込んで、都合のいい記憶を自ら作り出しただけ、かもしれないですよね。

 

「仮に記憶が本物だとしても、おまえの知ってる兄貴と俺が同一人物だとは限らないだろ?」

 

 あなたのような人が、この世に2人も居てたまりますか。……と言いたいところですが。

 

 彼の言うことはもっともでした。

 私は兄の名を覚えておりません。父母の名も同様です。

 

 ベルンの妹、「イリス・ヴァロウ」がかつてノエル孤児院に居たのが事実だとしても、それが絶対に私であるとは限らないのです。

 

 たとえば、うんと小さい頃に私と彼女が会っていて。

 イリスが語る家族の話を、私が自分のことのように記憶してしまった、なんて可能性もあるでしょう。

 

 それでも私が、兄妹だと確信しているのは。

 

「簡単なことですよ。だって、あなたは確信してるじゃないですか」

「は?」

「そうでしょう? あなたは私がイリスだと確信している。でなければ、私に手を出そうとしたあの時、泣こうがわめこうが途中でやめてくれたわけがありませんから」

「おまっ……!」

 

 ベルンが背後を伺いました。ぐっと声をひそめて、

 

「ヴェルディには絶対言うんじゃねえぞ、今の話」

 

 言うわけないでしょう。あまり見くびらないでほしいものです。

 

「たとえ客観的な証拠がなかったとしても、私がイリスだとあなたが確信していることは、見ていればわかりますから」

 

 他でもない「ベルン・ヴァロウ」が、自分の身内を取り違えるような間抜けな男だとは、私には思えません。

 

「……俺だって、別れた時はほんのガキだったんだぞ」

「そうだとしても。あなたにとっての『イリス』は、それなりに大切な存在だったのでしょう?」

「!」

「たとえ面影程度でも見てしまったら、手が出せなくなってしまうくらいに」

「……っ!!」

 

 あの時、ベルンはこう言いました。10年以上生き別れになっていた妹なんて、ほとんど他人と変わらない、と。

 それはおそらく、本心なのだと思います。

 彼の中で、トウリ・ロウとイリス・ヴァロウはイコールではないのです。

 ただ彼は、ほんの少しの妹の面影を私の中に見ているだけ。

 

 私にとって兄の記憶は、ずっと心の奥底に閉じ込めていた分、鮮明に残っているのですが、この人の場合は逆で。

 ずっと覚えていたからこそ、日々の暮らしの中で少しずつ薄れて、今では遠くなっているのではないでしょうか。

 

「見透かしたようなこと言うんじゃねえよ」

 

 そうつぶやいたベルンは、控えめに言っても、かなり怒っているように見えました。今にもつかみかかってきそうなくらい怖い目付きをしていましたが、

 

「10分たちましたよ」

 

 病室の外から聞こえたヴェルディさんの声に、一旦はその怒りを引っ込めたのでした。

 

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