悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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29話

 ベルン・ヴァロウは成り上がりです。

 士官学校卒ではありますが、家はなく、後ろ盾と呼べるほどの存在もなく。

 一兵卒の立場から、実力ひとつで少佐の地位までのし上がった。そういう人間ですから、当然、敵は多く。

 中央軍はもちろん、南軍の上層部にも、アンリ大佐に重用されるベルンを(こころよ)く思わない人間は居たそうで。

 今回の敗北によって、それが一気に表に出てきたというのがヴェルディさんの説明でした。

 

「たった1度、負けただけでですか?」

 

 確かにベルンはここまで連戦連勝でしたけど、普通はその方がおかしいです。

 西部戦線では、オースティンとサバトは毎日のように勝ったり負けたりを繰り返していました。そのたびに参謀の首が飛んだなんて話は聞いたこともありません。

 

「問題は、司令部の将校が数多く犠牲になったことですよ」

 

 今回の戦いでは、司令部が直接、敵の襲撃を受けたためですね。

 

「犠牲者の中に、政府高官のご子息が居たのです。その高官の叔父が、オースティンの政界に極めて強い影響力を持つご老人だとかで」

 

 誰かに責任をとらせろという要求を、首相のフォッグマンJr.も無視するわけにはいかなかったのだそうです。

 そしてその「誰か」にするのに、成り上がりの参謀長官はちょうど良かったと。

 

「そんな! そんな理不尽な話がありますか!」

 

 戦いは今も続いているのに、そんな理由でベルン・ヴァロウを前線から引き離そうだなんて。

 馬鹿げています。ありえません。国は勝つ気がないのでしょうか?

 

「私もそう思いますよ。どうにか召還を回避できるようにと動いているところなのですが……」

 

 状況はあまり楽観視できない、とヴェルディさんは言いました。

 

「この話は本来、極秘なのですがね。人の口に戸は立てられないものです。不確かな噂として、兵たちの間に広まってしまい――」

 

 結果、オースティン軍は今、かつてないほど不穏な空気に包まれているのだとか。

 

「彼は性格こそアレですが、その能力については疑いようもない。そして有能な指揮官というのは、極めて数が少ないものです」

 

 その指揮官の家系であるヴェルディさんの言葉は、普通の兵士が言うより遙かに重く響きました。

 

「前線で長く戦ってきた者ほど、それを実感しているのでしょうね。ベルン少佐が更迭(こうてつ)されるかもしれないと聞いて、特に南軍の小隊・中隊長らに動揺が広がっています」

 

 その中には他の指揮官のもとで戦う気はないと、公言した隊長も居たそうです。

 

 中央軍の兵士と南軍の兵士が、人前で激しく口論するという事件も起きてしまいました。

 2人とも部下の信頼が厚いベテラン兵士で、殴り合いまではさすがにしなかったものの、つかみ合い寸前にはなったと言いますから、かなり本気だったのでしょう。

 

「事態を重く見た叔父上が、昨日、ベルン少佐を呼び出して――」

 

 他の軍幹部も集めて、先の敗戦についてくわしい説明を求めました。

 

「念のため言っておくと、彼をつるし上げようという魂胆があったわけではありませんよ」

 

 ヴェルディさんいわく、事実関係をきちんとまとめて、誰か1人に(かたよ)った責任を負わせるのを回避するための措置だったとのこと。

 

「彼は淡々と事実を答えていました。天候の急変という不運もあったとはいえ、本部の守りが手薄になったのは自分の落ち度もあると率直に認めていました」

 

 形だけベルンが謝罪し、今後はこのようなことがないように対策をとることに決めて、話が終わりかけたところで。

 

「幹部の1人が、余計なことを言ってくれましてね」

「……余計なこと?」

「ええ。当人はどうってことのない皮肉のつもりだったのでしょうが」

 

 ――今後はよくよく気をつけてくれたまえよ。君自身のためにも、オースティンのためにも。

 

 その発言の真意は、「また同じ失敗があれば、今の地位は保証しない」という脅しのようなものでした。対するベルンの答えは、

 

 ――ええ、そうですね。俺が居なくなったら、オースティンは負けるでしょうし。

 

 思い上がった青二才の大口と、言える状況であればまだ良かったのです。

 問題は、この発言が事実に近かったこと。「事実に近い」と思っている者が軍内部、特に現場の兵士の中に少なくないということが表面化してしまっていたことでした。

 それはとりもなおさず、「ベルン以外の上層部は無能である」と多くの兵士が考えている、ということに他ならず。

 

 盛大にブチ切れたのがレンヴェルさんでした。

 激高し、席を立ち、噛みつかんばかりの勢いで「撤回しろ」と怒鳴り。

 ベルンも一応謝罪したそうですが、

 

 ――あー、はいはい。すみません、失言でした、取り消します。

 

 うるさそうに顔をしかめながらの謝罪を、レンヴェルさんは謝罪とは受け取らず、ますます語気を荒げて。

 

「今度は叔父上の方が、言ってはならないことを口にしてしまったのです」

「……何を、仰ったのですか」

 

 聞くのは怖いと思いながら、それでも聞く以外の選択肢は私にありません。

 

「ベルン・ヴァロウ少佐が、敵と通じていたのではないかと」

「は?」

「つまり、敵の奇襲が成功したのは、オースティン内部に手引きした者が居たからではないかと、そう言ったのですよ」

「……っ!」

 

 あまりといえばあまりな発言に、その場は騒然となり。

 ヴェルディさんも席を立ち、叔父であるレンヴェルさんを必死になだめようとしました。

 一方、当事者の2人はといえば。

 

 ――はあ? 阿呆ですか。いったい何を根拠に。

 

 ――そうでなければ、三万の軍が寡兵(かへい)に敗れるなどということがあるものか! 軍の中枢が破壊され、数多くの重要人物が討ち取られた中で、貴様はなぜ生きて帰ってきた!

 

 ――なぜって、運が良かったからですけど……。それより、討ち取られた重要人物って誰です? アンリ大佐はご無事でしたし、他に死んだら困る人って誰か居ましたっけ?

 

 ――……っ!

 

「まあ、そういった成り行きで」

 

 ついには、ベルンを救助したガヴェル曹長と、治療にあたったレィターリュ衛生部長がその場に呼び出される事態にまでなってしまいました。

 

「2人とも、事実をあるがまま答えてくれましたよ」

 

 ガヴェル曹長は、自分が発見した時、ベルン少佐はまさに瀕死の状態だったと。

 レィターリュさんは、彼が助かったのは本当にギリギリのところで、あとほんの少しでも治療が遅れていれば命はなかったはずだと証言してくれたそうです。

 特にレィターリュさんは、あれは絶対に偽装などではないと、衛生部長としての誇りを賭けてもいいとまで言ってくださったらしく。

 

「レイリィさん……」

「はいはい、呼んだー?」

 

 病室のドアから、当のレィターリュさんの顔がのぞきました。私たちが驚いて振り向くと、彼女はにっこり笑って、

 

「ベルン少佐の治療が終わったんだけど、ここに連れてきてもいい?」

 

 その問いに答えたのはヴェルディさんでした。

 

「……すみません。もう少しだけ、待ってもらってください」

「了解。あとね、トウリちゃん。治まりそうにもなかったその場を治めてくれたのはヴェルディ様なのよ。中央軍も南軍も一丸となって敵と戦わなきゃいけない時に、今のは絶対に言ってはいけないことだって、あのレンヴェル中佐にお説教して、最後は謝らせちゃったの」

 

 思わずヴェルディさんの顔を見ると、彼は気まずそうにしていました。

 

「身内の失言は、自分が責任を取らなければと思っただけですよ」

「ありがとうございます、ヴェルディさん」

「あなたにお礼を言われるようなことではありません」

 

 とにかく、その場はそれで治まったものの。

 この件もやはり噂として流れ、オースティン軍にただよう空気は、さらに不穏かつ険悪なものになってしまいました。

 

「こんな時にベルン少佐を更迭したら、軍そのものが機能しなくなってしまいます」

 

 だからツテを頼って政府に働きかけているが、今のところ、あまりうまくいっていない、とヴェルディさんは言いました。

 主な原因は、政府高官にも強力なパイプを持つレンヴェルさんがへそを曲げてしまい、協力してくれないことだそうです。

 

「すみません。私の兄がご迷惑を……」

 

 レンヴェルさんも大概ですが、あの人も口が悪すぎるでしょう。

 どうして無駄にケンカを売るようなことを言うのでしょうか。本人は「別に本当のことを言っただけ」とか考えてそうな気もしますけどね。

 

「兄だと決まったわけではないですよね? あなたが謝ることでもない」

 

 私の謝罪にすばやく突っ込みを入れて、

 

「そういうわけですから、あなたが今、ベルン少佐に関わるのは非常に良くないことなんです。兄妹としてはもちろん、以前、噂になったような理由でも同じです」

「…………」

「そんな、関わる気満々の顔をしないでもらえますか」

「いえ、そのようなつもりは……」

 

 ない、とは言えないかもしれません。

 この時の私は、あの人が本当に首都に行くのなら、ついていけないだろうかと考えていました。

 

 怪物ベルン・ヴァロウも不死身ではないということは、今回の件でよくわかりました。

 目を離した隙に、また死なれかけては困ります。

 

 私とて無論、不死身でも無敵でもありませんが、これまで数多(あまた)の戦場を生き抜いてきた実績があります。

 近づく死の気配を察知し、回避する。その能力があれば、かなり高確率であの男の命を守ることができると思うのです。

 

「あなたはケガ人でしょう? 今は自分の体のことだけ考えるようにしてください」

「ヴェルディさん……」

「この件は私が何とかしますから」

 

 何とか、できるのでしょうか。あまりうまくいっていない、とたった今聞いたばかりですが。

 

「まずは叔父上のことを説得して……」

 

 それが1番難しそうですよね。

 レンヴェルさんはけして悪い方ではありませんが、頑固で昔気質(むかしかたぎ)です。1度怒らせてしまったら、そう簡単に折れてはくれない気がします。

 

「私からレンヴェルさんにお願いしてみるというのは……」

 

 実の孫同然と言ってくださったことを思い出し、そう提案してみたのですが、即座に「ダメです」と却下されてしまいました。

 

「100パーセント確実に、逆効果です」

「……そうですか」

「この件は私に任せてください。きっと何とかしてみせます」

「…………」

「だから、どうか。あなたは余計なことを考えず、ゆっくり養生してください」

 

 ほとんど拝むように頼まれて、私は「お願いします」と頭を下げる他ありませんでした。

 

 

 

*****

 

「ようやく帰りやがったか」

 

 ヴェルディさんが病室から出て行ったのと入れ替わりに、ベルンが戻ってきました。

 

「おい、奴に何を聞かれた。話した。全部言え」

「…………」

「トウリ?」

「トウリちゃん、どうしたの?」

 

 レィターリュさんの手が、優しくひたいにふれました。

 この時、私は少しだけぼんやりしていたようです。聞かされた話が深刻だったせいもありますが、そもそも半日前に目覚めたばかりでしたので、体力が十分ではなかったのでしょう。

 

「これはちょっと、ダメそうね。今日はもう休ませてあげてくれないかしら? お兄さん」

「……チッ」

 

 ベルンは不服そうでしたが、私を叩き起こしてまで話をしようとはしませんでした。

 そのまま部屋を出て行って。

 

 次に顔を合わせたのは、翌々日。

 私はといえば、高熱を出してベッドで寝込んでいました。

 ふいに病室に入ってきたベルンは、「ウィンに行く」と一言、告げました。

 

「阿呆どもに呼び出されて、首都に戻ることになった」

「今、あなたが居なくなったら……っ!」

 

 飛び起きて叫ぼうとする私の頭をベッドに押さえつけ、

 

「起きるな。寝てろ。ここを発つ前に絶対顔を出せってレィターリュ少尉が言うから来たんだよ。そうしないとおまえは後から追いかけていくってな。冗談じゃねえっての」

 

 ベルンは吐息がかかるほど私に顔を近づけて、耳元でささやいてきました。

 

「安心しろ。多分、どうにかなる。今、アンリ大佐が向こうで動いてくれてるからな」

「……そうなのですか」

 

 療養のために首都に戻ったと聞いていましたが、それだけではなかったのですね。

 

「おそらく1、2ヶ月で戻れるはずだ。おまえを引き抜く話は、それまで保留な」

「……っ!」

「あと、俺のことを気に入らん連中が、おまえにちょっかいかけてくる可能性もゼロじゃないからな。その時は迷わずヴェルディにすがれよ。1人でどうにかしようとか絶対考えるんじゃねえぞ」

「兄さん……」

 

 その呼び方はやめろ、とベルンは(うめ)くように言いました。

 

「誰が聞いてるか、わからな――」

 

 私は、すぐ近くにある彼の体に、両手を回してしがみついてやりました。

 

「!」

 

 ベルンが硬直するのが伝わってきましたが、私は手を放しませんでした。

 

 ああ、ようやく確かめることができました。

 ちゃんと生きている。息をしている。温かい――。

 

「……おまえ、マジで何なの」

 

 私にしがみつかれたまま、やがて彼は疲れたように言いました。ベッドに片手をついて、自分の体重が私にかからないようにしながら、

 

「あんだけ毛嫌いしてたくせに、いつのまにかてのひら返しやがって。意味わかんねえよ」

「……あなたのせいです」

 

「家族」という人の弱みにつけ込んで、自分の部隊に引き抜こうだなんて悪辣(あくらつ)なことを考えたからです。自業自得です。

 

「今更いらないとか言われても、聞きませんからね」

 

 自分のものだと、もとい部下だと言ったからには、責任は取ってもらいます。

 

「俺がほしいのは、鬱陶(うっとう)しくひっついてくる妹じゃなくて、戦場で使える有能な駒なんだが」

「……だったら、使ってください」

 

 私はようやく手を放しました。目の前の彼と視線を合わせて、

 

「きっと、あなたを満足させて見せます。だから、早く帰ってきて……」

「言うじゃねえか」

 

 ベルンはにんまりしました。

 

「必ず満足させろよ? 俺を失望させるんじゃねえぞ」

「あなたこそ――もう負けないでくださいよ」

 

 一瞬、ベルンは笑ったのか怒ったのか、よくわからない顔をして。

 ぐしゃっと私の髪をかき回すと、後は振り返らずに病室から出て行きました。

 その姿を見送っていたら、胸の奥がひどく痛んで。

 私はあふれ出る涙を隠すように、両手で顔を覆ったのです。

 

 一時(いっとき)、離れるだけのことが、どうしてこんなにつらいのか。

 自覚もないまま、私は祈っていました。

 

 どうか、無事でいて。絶対に居なくなったりしないで、と――。

 

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