悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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3話

 この日から数日後のことです。

 訓練中の私は、見知らぬ兵士に声をかけられました。

 

「はじめまして、トウリ・ロウ少尉」

 

 その人は軍人にしては線が細く、物腰も穏やかでした。

 年齢は、自分よりひとつふたつ上でしょうか。つまりはかなり若い方なのですが、肩につけた階級章は、自分と同じ少尉の地位を示していました。

 

「私はアンドレアス・アダーと申します。失礼ですが、握手をお願いできますか」

 

 また「幸運運び」の噂を聞いて来られた方でしょうか。

 この年齢で尉官の地位にあるということは、おそらく生まれ育ちの良いエリート軍人さんですね。階級が同じであっても、失礼はできません。

 

「はじめまして、アダー少尉殿」

 

 差し出された手をそっと取りながら、私は丁寧に挨拶しました。

 

 一方のアダー少尉は、意外に雑な手つきで私の手を握り返すと、

 

「突然申し訳ありません。実はヴェルディ先輩からあなたの話を聞いて、どうしても1度お目にかかりたいと」

「ヴェルディ、先輩?」

「はい。あの方と私は、同じ時期に士官学校で学んでいたのです。正確には、私の方が一期下で」

 

 当時から優秀で面倒見が良かったヴェルディさんは、後輩たちにとても慕われていたそうです。

 

「そうでしたか。自分も、ヴェルディさんには大変お世話になっています」

 

と、そこまではなごやかムードだったのですが、

 

「ええ、存じています」

 

 ふいにアダー少尉の瞳が冷たく光りました。

 

「ヴェルディ先輩は、あなたのことをそれは信頼しておられると」

「光栄です」

「それだけではなく、あなたの能力を高く買っておられると」

「……恐縮です」

「士官学校も出ていない、民間出の募兵が……」

 

 あ。この流れはマズイです。覚えがあります。

 

 ヴェルディさんは中央軍の英雄でありエースです。信奉者が大勢居ます。

 

 例を挙げるなら、我がトウリ中隊の副長であるガヴェル曹長もそうです。

 私がヴェルディさんに厚遇されているのを見て、露骨にライバル心を燃やしていました。

 ガヴェル曹長は基本さっぱりした性格の方なので、しつこく絡まれたり嫌がらせをされたり、といったことはありませんでしたが。

 

 比較すると、今、私の前に居る若い少尉は――何やら薄暗い目付きをしておりますね。男の嫉妬が、炎のように瞳の奥で揺らめいているのがわかります。

 

「…………」

 

 私はさりげなく彼と距離をとりました。

 同時に、視線だけで周囲を見回して、この場を逃れるための口実にできそうなものを探します。

 

 少し離れた場所で、訓練中の兵士たちを見守る筋骨隆々なコワモテおじさんは、トウリ遊撃中隊の鬼教官こと輜重(しちょう)兵長のメイヴさんです。

 彼がこちらに気づいてくれれば……。不穏な空気を察してくれれば……。

 あるいは、ガヴェル曹長でもナウマンさんでも、兵士の誰かでもいいのですが。

 

 残念ながら、その願いはかなうことなく。

 

「トウリ・ロウ少尉。僭越(せんえつ)ながらお伺いします」

 

 アダー少尉は明らかに語気を強めて、ずいと距離をつめてきました。

 

「ヴェルディ先輩に引き立てられ、中央軍で分不相応な地位を得ているあなたが、このところ南軍の参謀とも頻繁(ひんぱん)に会っている、というのはどういうことですか」

 

 南軍の参謀、と言ったら心当たりは1人しか居ませんね。

 頻繁に、というほど会ってはいませんし、そもそも会いたがるのは向こうの方なんですけど。

 

「それは、あの」

 

 私は誤解を解こうと口をひらきましたが、アダー少尉には聞いてもらえませんでした。

 

「厳に(つつし)むべきです! それはヴェルディ様の顔に泥を塗り、恩を仇で返す行為だ!」

 

 呼び方が「先輩」から「様」になりました。目付きも怖いです。まるでタチの悪い熱病にでも侵されているみたいです。

 

「まあ、泥臭い前線上がりでは、尉官の地位にふさわしい振る舞いなど学ぶべくもなかったのでしょう。その愛らしい見た目を活かして、男にすり寄るくらいしか出世の道がなかったのかもしれませんが」

「あの……」

 

 とにかく1度落ち着いて話しませんか、という一言さえも口にさせてもらえず。

 

「そんな手段が、ヴェルディ様にも通用するとはゆめゆめ思われないことです!」

 

 アダー少尉は傲然(ごうぜん)と身を(ひるがえ)すと、捨てゼリフを残して去っていきました。

 

 ……何なんでしょうか、アレ。何かの病気でしょうか?

 

 私が唖然としておりますと、「おーい」と背中から声をかけられました。

 近づいてきたのは、メイヴさんでした。ようやく、様子がおかしいことに気づいてくれたみたいです。

 

「ちょっといいかい、中隊長殿。さっき懲罰房から苦情が来たんだが」

 

 と、思ったら全くの別件でした。

 

「苦情?」

「ああ。うちの看護兵がまたやらかしたらしい。あいつ、今日の昼までの予定で懲罰房に入ってただろう?」

 

 うちの看護兵で、懲罰房に入れられるような人といったら1人しかいませんね。

 働かない、まともにしゃべらない、窃盗癖まである。

 有能で世話焼きな、あのレィターリュ衛生部長すら(さじ)を投げたほどの問題児、アルギィさんです。

 

 彼女は軍の倉庫からワインを持ち出そうとした罪で、ここ3日ほど懲罰房に入れられていました。

 罰が終わったら迎えに行こうと思っていたのですが……、そういえば、うっかり忘れていましたね。

 

「申し訳ありません、彼女が何か?」

 

 迎えが来ないので拗ねているのかと思いきや、メイヴさんは「いや、なんで中隊長殿が謝るんだ?」と太い首をひねりました。

 

「あいつ、罰が終わったのに帰ろうともせず、懲罰房の中でごろごろしてるらしいですぜ。プクプクうるさくて邪魔だってんで、担当の奴から苦情が来たんでさあ」

 

 その言葉で、「忘れてごめん」という罪悪感はひとまず私の中から消え去りました。

 

「どうします? またいっちょ、シメてやりますか」

 

 メイヴさんはやる気満々、二の腕の筋肉を盛り上げていますが、あまり暴力に頼るのは良くない気がします。

 

「……少し、話してきます」

 

 彼女とはしばらく前にも色々話して、少しだけ心を通わせることができたつもりでいたのですけどね。やはり、人を育てるには、相応の時間と根気が必要なのでしょう。

 

 そんなわけで私は、ベースキャンプの片隅にある懲罰房までアルギィを引き取りに行きました。

 

 だらしなく床に寝そべっていたアルギィは、私の顔を見ると「ぷくぷくぅ……」と抗議の声を上げました。

 泡が弾けているかのような奇怪な音は、彼女独特の言語というか意思表示です。

 

 年頃は20代半ば。顔立ちは非常に美しく、スタイルは妖艶。

 ちゃんとしていれば間違いなく異性にモテるはずですが、彼女がちゃんとしている姿を、私はまだ1度も見たことがありません。

 

「少しは反省しましたか、アルギィ」

「ぷぅ……」

「そうですか、疲れましたか。3日も懲罰房に入っていればそうでしょうね」

 

 彼女を房から連れ出し、訓練地へと戻る途中で、また話をしようと思ったのですが……。

 アルギィは「帰りたくない」と言って、ほとんど歩かないうちに座り込んでしまいました。

 

「どうしたんですか、アルギィ」

「ぷくぷくぅ……」

「さすがに意味がわからないので、ちゃんとしゃべってください」

 

 アルギィは一瞬不満そうな顔をしてから、やがてぼそぼそと話し始めました。

 

「だって、帰ったらまたどやされる……、叱られる……」

「もう罰は受けたんですから、誰も怒ったりしませんよ。言葉で注意されることはあるかもしれませんが、あなたが2度とこんなことはしないと約束してくれるなら――」

 

 しかし彼女は、私の言葉に小さく首を振りました。

 

「お酒のこと、じゃなくて。私、副長のこと怒らせちゃったから」

「副長? ガヴェル曹長と何かあったのですか?」

「……3日前、私が捕まった時に、会いに来て。『おまえ、いいかげんにしろよ』ってうるさくお説教されて」

 

 それはするでしょう。メイヴさんなら問答無用で鉄拳が飛んだでしょうから、お説教で済んだのはかなり優しい対応と言えます。

 

「ムカついたから、つい言い返しちゃって。ヘタレの副長には偉そうなこと言われたくない、って」

 

 上官に「ヘタレ」は懲罰ものです。くどいようですが、メイヴさんなら鉄拳制裁の数が倍になります。

 

「なぜ、ガヴェル曹長がヘタレなのです」

 

 あの方は勇敢な兵士です。まだまだ幼いところもありますが、国のために戦うという覚悟を持っておられます。

 するとアルギィは、鼻の頭にしわを寄せて「ぷー、くすくす」と笑いました。

 

「えー、だってぇ。いっつも中隊長と一緒に居るのに、全然進展してないよね? 玉砕した兵士がいっぱい居るのに、副長は告白すらしてないし」

 

 ガヴェル曹長が私に懸想(けそう)しているなどという事実はありません。

 しかしアルギィはなぜかそう決めつけている様子で、なおも馬鹿にしたようにプクプク笑っています。

 

 ……なるほど、わかりました。

 反省という言葉を知らない相手には、真っ当な恩情も時に無意味だということが。

 

「アルギィ。今から一緒に、メイヴさんの所に行きましょうか」

「ひいっ!?」

「私も、久しぶりに訓練兵時代を思い出すことにしましょう」

「ぷ、ぷくぷう(ゆ、許して)……」

 

 及び腰になる彼女の手を引いて、訓練地へと歩き出そうとした時。

 

「トウリ中隊長殿!」

 

 1人の兵士が、私のもとに駆け寄ってきました。

 

「あなたは……。ルーカス二等歩兵、でしたか」

 

 先日、自分の部隊に補充されたばかりの新兵です。ウィン近郊の村から徴兵された、若干15歳の兵士です。

 彼は自分の前でぎこちなく敬礼して、

 

「お忙しいところ申し訳ありません! 至急ご報告したいことがあって参りました!」

「発言を許可します。……何かありましたか?」

「は! 実は」

 

 彼の報告によると、訓練地のそばに広がる森の中で、トウリ中隊の兵士が1人、ケガをして動けなくなっているそうです。

 移動中に地面のくぼみに足をとられて転倒し、突き出た木の根で二の腕を切ってしまったのだとか。

 重傷ではないものの、思いのほか出血がひどいので、動かさずに様子を見ているとのこと。

 それは、場合によっては治癒魔法が必要な案件かもしれませんね。

 

「アルギィも一緒に来てください」

「ぷくぅ……」

 

 露骨に面倒くさそうな顔をしながらも、アルギィは素直に従ってくれました。多分、メイヴさんの所に行くよりはマシだと考えたのでしょうね。

 

「それにしても、なぜ森の中に?」

 

 移動しながら尋ねると、ルーカス二等歩兵は露骨に目をそらしました。

 

「それは、あの。……訓練がキツくて。見つかりにくいサボり場所があるって、前にアルギィさんが教えてくれて」

「ぷくぷくぅ!?」

「アルギィ……、あなたという人は、本当に……」

「ぷーっ! ぷーっ!」

「申し訳ありません! 申し訳ありません!」

 

 必死に首を振るアルギィと、必死に頭を下げる新兵を見比べて。

 

「……お説教は後にしましょう」

 

 まずはケガ人を収容するのが先と、現場に向かったのですが……。

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