悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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31話

 我ながら、迂闊(うかつ)なことをしたものだと思う。

 あの男たちが探していたのは「赤毛のガキ」だったかもしれないが、奴らはそのガキが幼い妹を連れているところを見ているのだ。

 

 あの孤児院にも足を運んだかもしれない。そして「最近こんな見た目のガキが逃げて来なかったか」と尋ねただろう。

 もしも孤児院の責任者が面倒事には巻き込まれたくないと日和(ひよ)っていたなら、あっさりとイリスを引き渡した、かもしれない。

 

 彼がしたことは、結果的に妹だけを置いて逃げたのとそう変わらない。

 だから、記憶の戻ったあいつが「置いて行った」と責めたのはそう筋違いでもない。

 

 言い訳をさせてもらえるなら、当時は心身共に限界だったのだ。

 多少知恵は回っても7つのガキである。マシュデールまで逃げ延びることができたのもかなりの幸運だった。途中で野垂れ死ぬか、奴らに捕まってなぶり殺しになる未来も十分ありえたはずだ。

 

 たまたま助かって、門兵に保護され事情を話すと、ノエル近郊で戦闘が起きたことは既に知られていた。

 が、あの賊らしき連中のことは、まともに取り合ってもらえなかった。

 ガキの証言がアテにならなかったのか、単に大人の事情ってやつか。ともかくマシュデールの上層部は、周囲の村々よりも砦を守ることを優先し、兵を出すこともほとんどしなかった。

 

 この時、軍が動いてくれていれば。

 奴らは当然逃げ出しただろうし、イリスのもとに戻ることもできたかもしれない。

 だが現実には、彼はマシュデールからしばらく動けなくなった。

 同じように逃げてきた避難民たちにまぎれて暮らし、最初の内は多少の支援もあったが――その後は1人で生きていく他なく、それはけっして楽なことではなく。

 

 正直、当時のことは思い出したくもない。あの数年は、人生最悪の時期と呼んでも過言じゃない。

 どうにかこうにか命をつなぎ、12の年に軍の雑用係として雇われ、数年後に志願して、正式に軍の一員となった。

 

 その間、イリスのことを全く考えなかったといえば嘘になる。

 ガキ1人、食うや食わずの状況では、妹を引き取る余裕などなかったが。

 それでも先の見えない生活の中で、あいつの顔を思い出すことが生きる支えになっていた部分もまあ、ないとは言えず。

 食えるようになったら、いつかは――という想いは正直あったと思う。

 

 ただ、軍で働き始めた頃には、彼はもう自分の異質さに気づいていた。

 

 彼は人の死に、不幸に、心が痛まなかった。

 たとえば、軍隊という場所では理不尽な暴力が日常茶飯事だったが、そうした現場を見ても何も感じなかった。

 

 自分が殴られた時は怒りと憎しみを感じたし、しつこい奴には地獄を見せてやったが。

 他人の苦しみに対して――仮にそれが自身の引き起こしたものであっても、いわゆる「良心の呵責」というやつを覚えることはなく。ムカつく奴を嵌めてやった時には、強い快感すらあって。

 それが普通のことではないと、気づく程度の常識もあった。

 

 要するに、俺はおかしい。まともじゃない。

「あの日」の出来事で、何かが壊れてしまったのか。それとも元からそうだったのかはわからない。

 

 こんな自分がイリスに会いに行くのは、果たして正しいことなのか。

 唯一の身内が頭の壊れたヤバイ奴だと知って、あいつは喜ぶのか。

 このまま、会わずにおいた方がいいんじゃないか? とそう思う一方で、置いて行かないでと泣いた妹の顔がまぶたをよぎる。

 

 結局、どうするのか決めきれぬまま、時だけが流れ。

 軍でそこそこの結果を出したことで運良く後見人がつき、士官学校に入学できた。

 

 1度だけ、イリスの消息を調べてみたのはこの時だ。と言っても、書類を取り寄せただけだが。

 結果わかったのは、ノエル孤児院に「イリス・ヴァロウ」という名の子供は居ないこと。

 どこかに引き取られたのか、それとも病気にでもなって成長できずに死んだのか。あるいは、自分の代わりに奴らに捕まって――。

 

 そのいずれであったとしても変わらないのは、彼が「間に合わなかった」という事実だけ。

 そう、間に合わなかったのだ。いくら妹への情が多少あったところで、孤児になった自分に、あいつを守るだけの力はなかった。結果はそういうことだ。

 

 ――あいつは俺を恨んだかな。

 

 それとも、もうとっくの昔に兄のことなど忘れて、別の人生を生きているのだろうか。

 まあ、そんなことは考えるだけ無駄だ。

 彼はこの時点で妹のことをあきらめた。正確には、仮に生きていたとしても自分との縁は切れたものと割り切ったのだ。

 

 それ以上、消息を追うこともしなかった。

 生死は半々だと思ったし、ならば死んだとはっきり確かめるよりは、どこかで別の人生を送っているかもしれないと想像する方がまだ救いがあった。

 

 あの農夫に助けられたこと。軍で後見人がついたこと。

 自分に多少の幸運があったように、妹もどこかで誰かに救われて、幸福になっている可能性もゼロじゃない。

 

 とはいえ、彼はけして楽観論者ではなかったので。

 それどころか、現実というやつがいかに無慈悲でしょっぱいものかをよく知っていたので。

 ある日、どこかでばったり、成長したあいつに再会できるかも、なんて奇跡みたいな望みは微塵も持っていなかった。

 

 そう。奇跡なんて人生には起こらない。

 自分が妹と再会できたのは、絶対に奇跡などではない。

 どこまでも救いがなくて容赦もないくせに、時にありがた迷惑の、馬鹿みたいな偶然を引き起こす。

 そんな気まぐれな運命の悪戯(いたずら)だったのだ、あれは。

 

 別れてから10年以上の時を越え、彼は妹に再会した。

 それこそ、ある日ばったり、突然に。

 

 

 

*****

 

 と言っても、それが「生き別れの妹との再会」だったと気づいたのは、ずっと後のことだ。

 

 中央軍のエースだった女の後ろで、ひどく脅えた目をして自分を見ていた小娘。

 初対面で自分を「悪」だと断じた女――トウリ・ロウ。いや、あの時はまだノエル姓だったか。

 

 興味を覚えて調べてみれば、その戦績も目を引いた。

 地獄の西部戦線を生きのび、マシュデールの防衛戦も生きのび、ヴェルディの名を一躍高めた撤退劇も、フタを開けてみればこいつの仕業だった。

 

 是非とも手駒にして使いたいと思ったが、トウリはレンヴェル派に妙に気に入られていた。

 引き抜く方法を考えていた矢先、北部決戦であっさり死んだと聞いた時にはひどく落胆したものだ。

 

 ――あいつは、使える玩具(おもちゃ)になりそうだったのに。

 

 そういう落胆と、「期待外れだったな」という失望である。

 戦場という狂った世界では、まともじゃない奴ほど優れた駒になる。

 あいつはよく斬れるナイフだ。高い生存能力を持った兵士だ。何としてでも手元に置いて、思う存分、殺しを楽しみたかったのに。

 

 そう思っていたから、生きていたと知った時には狂喜した。

 生存報告を止め、レンヴェル派に見つかる前に回収しようとしたが、これはうまくいかなかった。

 

 そして、それから程なく。

 毒ガス戦の失敗でオースティンが久しぶりの敗北を喫した戦いで、トウリは大手柄を挙げた。

 敵の背後を突き、混乱する味方を援護し、被害を最小限にとどめ、さらには敵のエース級をその手で討ち取って見せたのだ。

 

 後で聞いた話では、そのエース級はトウリの知己だったらしい。

 サバトで暮らしていた時、世話になった相手で――そんな「恩人」を容赦なく討ち取った彼女は、笑っていたという。

 いや、その戦いの間中、周囲が引くような酷薄な笑みを浮かべ続けていたのだという。

 

 見たかった。本当に、その時のトウリの顔が見たかった。

 この時にはもう、彼女への執着は恋情に近いレベルになっていた。

 あの女の本性を暴く。何が何でも俺の物にしてやる。そのためなら、どんな汚い手でも使う。そう思っていた。

 

 トウリの弱みは、わりと簡単に見つかった。

 先の戦いで彼女の戦意に火をつけたのは、1人の通信兵の死。

 その通信兵はトウリの「夫」の忘れ形見で、つい先日、義妹のちぎりを結んだばかりだったという。

 

 サバト経済特区にせっせと送金していることもわかった。

 理由は、サバトで世話になった恩人の子供を育てるため。トウリはその血縁も何もない子供のことを、弟のように可愛がっているらしい。

 

 彼はサバトと縁をつないでいたので、そのセドルという子供の身柄を抑えることはたやすかったが――。

 あまり強引な真似をすれば、ヴェルディ辺りに邪魔されるのは目に見えていた。

 あいつがレンヴェル派に後足で砂をかけてでも自分に寝返るような、自ら望んでこっちに来るような「情報」がほしい。

 

 彼がトウリの家族について調べさせたのはそういうわけだ。

 多忙の折に、わざわざ副官のクルーリィを現地に行かせてまで探らせた。

 しかし、何やら困惑を顔に浮かべて戻ってきた副官が、手渡してきた資料には――。

 

「って、俺かよ!?」

 

 トウリの正体が、生き別れの妹イリスだと。正確にはその可能性があると、そう記されていたのだった。

 

 

 

*****

 

 全くもって、運命というやつは皮肉で、ろくでもないと思う。

 

 そんなふざけた偶然があるかとわめき散らす彼に、副官も困惑顔で聞いてきた。

 思い当たることはないのですか、と。

 

 言われて、記憶を辿ってみれば――確かに「思い当たること」はあった。むしろありすぎた。

 ノエルという姓も、目立つ髪色も、年頃も。率直に言って、「なぜ気づかなかった?」と自分であきれ返るレベルだった。

 

 ちなみに彼には「商売女は抱かない」という信条があった。

 孤児になったイリスが苦労の末に、娼婦に身を落としている可能性もあったからだ。

 知らず妹と通じていたらと思うと、あまり良い気分はしない。だから女の年齢や容姿にはわりと注意を払っていたのに。

 

 軍に志願するのは身寄りのない貧しい人間にとって、確実に食っていける手段のひとつだ。

 イリスが娼婦になっている可能性は考えたくせに、なぜ兵士になっている可能性は考えなかったのか?

 

 それはおそらく、その「可能性」が彼にとって「都合のいい筋書き」だったからだ。

 戦災で親を亡くし、生き別れた自分たちが軍属として再会するのは、考え得る中では随分マシな未来である。

 逆に、場末の娼館で会って、知らずに情を通じて、なんていうのが最悪なやつだろう。

 

 彼は運命ってやつを全く信用していなかったので、「不幸な再会」には警戒して神経を尖らせていても、「幸運な再会」には無防備だったのだ。

 まあ、要するに。

「そんなことはありえない」という思い込みが、いかに人の目を曇らせるかという見本なのだろう。

 

「どうすんだよ、これ……」

 

 思いがけず知ってしまった「真相」に、彼は頭を抱えた。

 

 せっかく、最高に面白そうな玩具を見つけたというのに。

 どんな方法を使ってでも手に入れて、思う存分、使い倒してやろうと思っていたのに。

 

「よりによって妹かよ……」

 

 彼は机に突っ伏し、深々と嘆息した。

 

 ――無理だ。

 

 あれが妹だというのなら、自分には手を出せない。できない。……いや、できなくはないかもしれないが、正直やりたくない。

 彼には家族への未練などなかったが、とうの昔に割り切ったつもりでいたが。

 自分がトウリを――イリスをいたぶる場面を想像すると、彼の中の何かが、ひどい違和感を訴える。それこそ妹を抱くような気色の悪さがある。

 

「ダメだな、これは……」

 

 こうして彼は、とびきりの玩具を手に入れる機会をあきらめた。

 

 とはいえ、完全に興味が失せたわけではなく。

 

 別れた時、イリスは3歳だった。今では見た目も変わり、成長している。

 10年以上も会っていなかった妹なんて、9割方は他人だ。ただの女だ。

 

 こいつがほしい。その本性を俺の手で引きずり出してやりたい。残酷に(もてあそ)びたい、という欲求が消えることはなく。

 トウリの方が自分のことをこれっぽっちも覚えていなかったのをいいことに、ちょくちょく彼女にかまった。

 

 結果、トウリは「兄」のことを思い出してしまった。

 さらに誤算だったのは、彼女の「家族」への執着が予想以上だったことだ。

 毛嫌いしていた自分にまで、何やらよくわからない感情を向けてきた。

 それは良くないことだった。――主に、トウリ自身にとって。

 

 彼のトウリへの執着は消えていないのだ。あいつもわかっているのだろうに、自分から距離を詰めてきて。

 ムカついて押し倒したら泣き出した。

 夫との思い出がどうとか、実の兄貴と寝る気はないとか言って。……そりゃそうだ。だったらなんで自分に近づいてきた、と余計に腹が立った。が。

 

 トウリに泣かれると、彼は何もできなくなる。

 それはその泣き顔が、あまりに記憶の中にあるままだったからだ。

 無防備で弱々しく、幼かったからだ。

 彼の心に、ほんのわずかに残った柔らかい部分に、トウリの涙は直に爪を立ててくる。それは耐えがたい不快感だった。並の拷問など軽く凌駕するほどの。

 

 そばに置いておけば傷つける。しかし求められれば突き放せない。

 

 認めるしかない。今や自分が彼女を持て余していることを。

 どうすればいいのか、よくわからなくなっていることを。

 自業自得、と言ったらそれまでだが。

 

 一方では「なんでだよ」と思う。

 

 家族なんていらなかったのだ。彼は戦場で「悪」として生きていくことを決めていたし、それをとことん楽しむつもりだった。そのためには縛るものがない天涯孤独の身の上は、動きやすくて好都合だったのに。

 なんで今更、求めてもいない時に、1度は取り上げた妹を返してよこした。

 

 本当に、つくづく運命ってやつは――。

 

 

 

*****

 

 長い回想を終える頃には、いつのまにか夜が明けていた。

 副官が呼びに来る。戦場の一日が始まる。その高揚感に、頭を悩ませていた問題は一旦、脇に置くことにする。

 

 フラメールとの戦いは最終局面に入っている。このまま順調に行けば、終戦もそう遠くない。

 

 長い戦いだった。

 サバトとの戦争が10年。フラメールとエイリスの参戦から約3年。

 

 その間、どれだけの悲劇がこの国を襲っただろう。そしてどれほどの人間がこう思っただろう。――戦争さえなかったら、と。

 

 そのありふれた陳腐な問いを、彼自身も心に浮かべたことがある。

 

 もしも戦争がなかったら。

 ただの農家の小倅(こせがれ)だった自分が軍に入ることもなく、大軍を指揮する立場にまで成り上がることもなかっただろう。

 

 それを幸運だったとは思わない。

 

 自分の策で敵を嵌めて殺すのは心底楽しかったし、それは今の地位に就かなければできなかったことだが。

 その代わりに失ったものを、彼は望んで手放したわけではなく、まして自らの命を危険にさらしてまで戦いたいと思ったことは1度もない。

 

 彼には人殺しの才能が、戦場への適性があった。

 そして、自国の味方が全く頼りにならなかったために、自分で動くしかなくなった。

 

 別に、望んでこうなったわけじゃない――と言っても、多分、誰も信じないだろうな。特にあいつは。

 虐殺が趣味のイカレ野郎の目的が、この戦争を終わらせることだなんて、きっと夢にも思わない。

 

 そもそも彼は、その目的を誰にも語ったことはない。

 単純に気持ち悪かったからだ。

 自分がこれから山ほど人を殺すと、敵も味方も容赦なく死なせるとわかりきっているのに。

 終戦を――平和を(うた)い文句にして戦うなんてのは、究極の偽善だとわかっていたからだ。

 それこそ、祖国愛を謳いながら自国民を地獄に堕とした、あの「塹壕の魔女」と同レベルの気色悪さだろう。

 

 綺麗事は、全部終わった後に、手を汚さずに見ていただけの奴が言えばいい。

 彼にはわかっている。それは自分の役割じゃないと。

 自分はただ、敵にとどめを刺すだけだ。

 自分の人生も、(あいつ)の人生も、とことん狂わせてくれた敵を。この戦争ってやつを、ぶっ殺す。

 

 ――なあ? 俺を「怪物」にしたのは戦争(おまえ)だろう。

 存分に遊び倒して、楽しんで、最後には必ず、おまえの息の根を止めてやるからな。せいぜい首を洗って待っていやがれ。

 




 次話からはトウリ視点に戻ります。

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