久方ぶりに訪れるウィンの街は、予想通りと申しますか、暗い空気に包まれていました。
ここはほんの1年と少し前には、激しい防衛戦の舞台になっています。
街全体を囲む城壁と
さらにその周囲には幾重にも塹壕が彫られ、もはや軍事要塞化しています。かつて芸術の都と
出入りも厳しく制限されており、軍人ですら、そう簡単には中に入れないという話でしたが。
私たちの場合はアンリ大佐の書状があったので、ほとんど待ち時間もなく城門を通過できました。
まずは軍部に顔を出し、大佐のもとに私たちの到着を知らせる先触れを出してもらいます。
そうして、待つことしばし。
やがて1人の兵士が私たちのもとにやってきました。
「トウリ・ロウ少尉」
まるで壁のように大柄で屈強な兵士で、私にとっては知った顔でした。
名前は存じませんが、フラメールの奇襲で大佐が重傷を負った際、そばに控えていた人ですね。おそらく、大佐の副官でしょう。
「ようこそいらっしゃいました。大佐がお待ちかねです。ご案内しますので、どうぞこちらへ」
護衛の皆さんとは、そこで一旦、別れることになりました。
ナウマンさんに後のことを任せ、私はその兵士に先導されて建物の外へ――。
「大佐はどちらにいらっしゃるのですか?」
「今は、ご自宅で療養されています」
ということは、これから行くのはそのご自宅なのですね。
オースティン軍のトップだった大佐のお宅です。さぞや立派なお屋敷なのでしょう……。
「わざわざ馬車で行くのですか?」
「はい。その方が時間もかかりませんので」
まるでお貴族様が乗るような、黒塗りの馬車に乗せられて恐縮してしまいました。
中は広く、座席はふかふかです。
馬車を引く馬も、顔付きからしてそこらの馬とは違います。毛並みもツヤツヤしています。
そんな高級馬車を1人で占拠し、ウィンの街路を走ること、およそ15分。
連れて行かれたのは、高級住宅街の一角でした。
立派なお屋敷ばかりが立ち並ぶ区画の、中でもひときわ目を引く大きなお屋敷が、アンリ大佐の私邸だそうです。
前庭には季節の花々が咲き誇り、
片田舎で育った平民、しかも貧しい孤児だった私にとって、そこは完全なる別世界でした。
「お金持ちというのは居るものなのですね……」
車窓の景色に目を奪われているうちに、馬車が止まりました。
「どうぞ、足元にお気をつけて」
あの兵士が、うやうやしく私の手を取って、馬車から下ろしてくれました。
……何だか貴族のお姫様のような扱いをしてくださっていますが、私は軍人ですよね? ここには公務で呼び出されたはずですよね?
そうです。私は半年前の戦いについて、証言するために来たのです。
私を呼び出したのは、オースティン軍の元・最高司令官。
空気に飲まれている場合ではありません。しっかりと気を引き締めなくては。
「やあ、トウリ・ロウ少尉」
その元・最高司令官ことアンリ大佐は、ほがらかに笑って私を出迎えてくださいました。
「よく来てくれたね。まずはゆっくりくつろいでくれたまえ。君、紅茶派? それともコーヒー派? 甘味は好きかな? うちの料理長は焼き菓子が得意でねえ。このクッキーは今年の新作なんだけど」
「ええと、これは……」
いったい、どういう状況なのでしょうか。
私が通されたのは、立派な暖炉のある部屋で。
絵画や調度品も飾られています。おそらく「応接間」というものなのでしょう。
大佐は部屋の奥のソファーに座していました。
療養中という話でしたが、お元気そうですね。
ケガの後遺症か、やや動きがぎこちないところもありますが、不健康そうな印象は全くありません。
大佐はもともと細身で、柔和で、あまり軍人っぽく見えない方です。
軍服を脱ぐと、余計にそう感じます。
ゆったりした仕立ての良い服をまとい、優雅にティーカップを傾ける姿は、優しいお金持ちのおじさん、という感じです。
もっとも、それは見た目に騙されているだけで、腹の底では何を考えているのか、読めない人なのですけど。
「私は半年前の戦いの件で呼び出されたのでは……?」
遠慮がちに話を切り出しますと、大佐は即座に表情を引き締めてうなずきました。
「そうなんだ。君にどうしても聞きたいことがあってね」
「はい」
「あの時、うちの少佐が君に命を助けられただろう?」
「ええ、まあ……」
私は大佐の命令を無視して、ベルンを助けに行きました。
本来であれば厳しい処罰を受けるべきところを、特別にお目こぼししていただいたのです。
つまり、お世話になったのはこちらの方なのですが……、大佐はなぜか申し訳なさそうな顔をして、
「当然、その恩に報いて
これは大いに問題だと大佐は仰いました。
「君のように若くて魅力的な女性を、半年も放っておくなんて! 他に悪い虫がついたらどうする気なんだ」
「あの、大佐?」
戸惑う私に、大佐は気の毒そうな目をして聞いてきました。
「さぞ心細い想いをしていただろう? 可哀想に」
「いえ、あの……」
「彼に言ってやりたい文句が山ほどあるんじゃないのかね? 遠慮はいらない、話してみなさい」
……ちょっと待ってください。聞きたい話ってそういうことなんですか?
軍部とか、政府の偉い人の前で証言してほしいわけじゃなかったんですか?
私があきれかえっておりますと、応接間のドアが静かにノックされました。
「旦那様、お見えになりました」
聞こえた声は、年かさの男性のものでした。執事さんとか、そういう人でしょうか。
「ああ、そうか。思ったよりも早く来てしまったんだな」
大佐はなぜか残念そうな顔をして、「通してくれ」と返答しました。
すぐにドアが開きました。年配の紳士の顔がちらりとのぞいて、それから来客らしき男性の顔が――。
「ベルン少佐!?」
私は座っていた椅子から飛び上がりました。
向こうもぎょっとした顔で足を止め、
「おまえ、なんでここに――!」
悠然と様子を見ているのは、アンリ大佐だけでした。ソファーから腰を上げると、ドアの前で突っ立ったままのベルンのもとに歩み寄り、
「急に呼び出してすまなかったな、少佐。せっかくの来客だというのに、急用ができてしまってね。私の代わりに、彼女の相手を頼むよ」
早口の棒読みで事情説明らしきものを終えると、去り
「では、ごゆっくり」
執事さん共々、応接間から出て行ってしまいました。
残された私たちは、互いに顔を見合わせて――。
*****
「
それがベルンの第一声でした。
「今日は絶対に予定をあけとけとか言う割に、具体的な指示がないから妙だと思えば……」
「…………」
私は、言葉が出ませんでした。
ここで会えるなんて全く予想外で――会えるかもしれないなんて、期待すらしていなくて。
けれど、実際に顔を見ると、さまざまな感情が一気に押し寄せてきて。
「今まで、どこで何をしていたんですか!」
気づけば私は、目の前の男につかみかかっていました。
「あなたが居ないせいで、現場の兵士たちがどれだけ不安だったか!」
この半年、私がどれだけ心配したと思っているのですか。
なのに、そんな平然と、何事もなかったような顔をして。
「国の窮地に、半年も雲隠れして! 愛国者が聞いてあきれます!」
ベルンはそんな私の手を振り払い、「好きで現場を離れたわけじゃねえよ!」と言い返してきました。
「軍の上層部と、一部の政府高官の差し金だ。レンヴェル派は俺を前線に戻す気はないらしい。政府の査問会の後、降格と転属の指令が来た」
しかし、いまだ軍と政府に強い影響力を持つアンリ大佐が手を回して、その指令を撤回させると。
「今度は、
「……っ!」
「落ち着け、大丈夫だ。弾は当たらなかったし、そもそも当てる気もなかったんだろうよ。おとなしく引っ込まないなら、次は本気で狙うっていう脅しだな」
「それのどこが大丈夫なんですか!」
あなた実際、脅されて引っ込むような人ではないでしょう。その出来事があった後も、おとなしくなんかしていなかったのでは?
「まあ、なあ。無視して色々やってたら、向こうも色々やってきた。人の後をつけ回したり、食い物にガラス片を仕込んできやがったり」
「……!」
「いっそ毒でも入れりゃあいいのに、手ぬるいもんだよな」
「……っ! ……っ!」
「ま、そんなわけで。しばらく首都を離れた方がいい、ってアンリ大佐が言うんで――」
実際にしばらく雲隠れしていた、とベルンは話を結びました。
「……今までどこに居たんですか」
私が最前の問いを繰り返すと、彼は「どこだと思う?」と聞いてきました。
「私が耳にした噂では……」
アンリ大佐の密命を帯びて、近隣諸国を――それもフラメールと仲が悪い小国を回って、協力を打診していた、とか。
「それは外交部がやることだろ。俺の仕事はそっちじゃない」
では、どっちなのです。いったいどこで何をしていたのですか?
「本当にわからないのか?」
馬鹿を見るような目を向けられて、私はムッとしました。
彼が行きそうな所……。前線ではなく、ウィンでもなく、近隣の小国を回っていたのでもないとしたら……。
「もしかして、サバトですか」
それは当てずっぽうだったのですが、どうやら正解だったようでした。ベルンは満足そうにうなずいて、
「仕込みは終わった。あとはさっさと現場に復帰して、連合軍を――あの馬鹿女と英雄気取りの阿呆をぶっ殺すだけだ」
どうやってぶっ殺す気なのですか。
自信満々な顔をしていますけど、まずは現場に戻れるかどうかが問題ですよね?
「オースティン軍はいまや中央軍の天下ですし、レンヴェルさんはあなたを呼び戻す気がないのでしょう?」
ベルンは「さあ?」と笑って見せました。
その底意地の悪そうな笑み。確実に何か、
「……まさか、クーデターを起こす、なんて言わないですよね」
ベルンを崇拝している南軍の兵士たちを武装蜂起させて、上層部を力づくで排除して――とか。
「そうなったらおまえ、どっちにつく?」
「…………」
「俺とヴェルディの、どっちを選ぶんだ?」
「……ふざけていないで、真面目に答えてください」
そんな
ベルンは確かに一部の兵士に熱狂的に支持されていますけど、一部の兵士には結構嫌われていますし。
下手なことをしたら、軍が2つに割れてしまいます。そして今のオースティンには、そんな内輪もめをしている余裕などありません。
ベルンは私の答えにつまらなそうな顔をしました。
「そこは『少佐殿についていきます』って答えるところじゃねえの? 俺の部下になるって言ったよな? もしかして心変わりした?」
しておりませんよ、と私は答えました。
「ですがそれは、ヴェルディさんを裏切るという意味ではありません。あの方は私の――」
「私の?」
「大切な、戦友ですから」
「……それ、前にも言ってたよな。上官じゃなくて戦友なのか?」
「ヴェルディさんと私は、西部戦線で一時、同じ小隊に属していたのですよ」
ガーバック小隊は私にとって、初めて配属された部隊です。
一方、士官学校出のエリートであるヴェルディさんにとっても、前線部隊に配属されたのはガーバック小隊が初めてでした。
右も左もわからない「初めての現場」で、親身になってくれた先輩方も、厳しく指導してくださった小隊長殿も、肩を並べて戦った同期も、けして忘れ得ぬ存在です。
そんな思い入れ深いガーバック小隊も今はなく、お世話になった皆さんは全員亡くなってしまいました。
だから私とヴェルディさんは、残された唯一の戦友同士なのです。ただの上官とは違う、特別な存在です。
「あいつが妙におまえに肩入れするのはそれでか……」
ベルンは納得したような、していないような顔でつぶやきました。
「それよりも、先程の質問に答えてください」
いったい何を企んでいるのですか。クーデターでないなら何なのですか。
「話をごまかさずに、どうか」
ベルンは「ばーか」と
「そんな大事なことを、聞かれたからってぺらぺら答えられるか」
「…………」
「別に、おまえを信用してないわけじゃねえよ! 計画を成功させるためには、知ってる奴は少ない方がいいってだけだ! いちいち『傷ついた』みたいな顔するんじゃねえ!」
嫌がらせかよ、と毒突いて、彼は不機嫌そうな顔でそっぽを向いてしまいました。
「……申し訳ありません」
私はうつむきかけた顔を上げました。
「ただ、この数ヵ月。自分は本当に不安だったのです」
「…………」
「あなたがどこでどうしているのか、何もわからなかったから……」
「手紙は送ったろ」
「……はい」
「何だ、あれだけじゃ不満ってか? こっちも忙しかったんだ。それでも、おまえが心配――してるだろうと思ったから、手間暇かけて連絡してやったんだろうが」
あんな手紙に、そこまで手間がかかっていたのかと激しく疑問ですが、
「それは、つまり。少佐殿が私のことを、少しは気に掛けてくださったという意味ですか?」
「他にどんな意味だよ」
「…………」
その時、応接間のドアがまた開きました。
顔を出したのはアンリ大佐です。急な用事があるとかいう話は、いえ建前はどこに行ったのでしょうか。
彼はいかにも「ほほえましい」という風に私たちを見て、
「まだここに居るつもりなら、菓子でも出そうか?」
ベルンは「お気遣いなく」と答えました。一応、愛想笑いを浮かべていますが、横顔が引きつっています。
大佐がドアを閉めてから舌打ちすると、
「……出かけるか」
そう言って、有無を言わさず私の腕をつかんできました。