悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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37話

 連れて行かれたのは、一見すると宿屋さんのような建物でした。

 

 裏路地に面した目立たない場所にあり、宿屋のご主人にしては目付きの悪い男が受付に座っています。

 

 彼は私たちの身なりを見て、それなりに金を持っている客だと判断したのでしょう。

 

「何かご希望は?」

 

 妙に愛想のいい笑顔で、そう聞いてきました。

 

「個室がいい。周りに音がもれない部屋」

 

 ベルンがお金を手渡すと、男の笑みが深くなりました。

 

「2階の1番奥を使いな。……ごゆっくり」

 

 冷やかすような、(あざけ)るような。そんな男の声に送られて、私たちは店の奥に足を踏み入れました。

 

「ここはどういった施設なのですか?」

 

 ギシギシときしむ階段を上がりながら尋ねると、「男と女が昼間からしけ込める場所」という答えが返ってきました。

 

「このご時世に、結構流行(はや)ってやがるな。いや、このご時世だからなのか?」

 

 通り過ぎてきた1階には、衝立(ついたて)と目隠し代わりの布で細かく仕切られた大部屋がありました。

 何やら怪しい声と気配もしますが……。いえ、聞かなかったことに致しましょう。

 

 私が何とも言えない顔をしているのを見て、ベルンは「どうした?」と眉をひそめました。

 

 どうした、じゃないと思うんですけどね。

 私は彼に「告白」をしてしまったんですよね。その件について話し合うために移動したのですよね。

 なのに、こういう場所を選ぶとは、いったいどういう了見なのでしょうか。

 

「人目につかなくて話を聞かれない場所だろ?」

 

 指定された2階奥のドアを開けながら、ベルンは何か問題でもあるのかと聞いてきました。

 

「……いいえ」

 

 もうどうにでもなれという気分で、私は彼の後についてドアをくぐりました。

 

 中は指定通りの個室ではありましたが、率直に言って、かなり殺風景な部屋でした。奥にベッドがひとつ置いてあるだけで、他の家具は見当たりません。

 

「よし。まずは座れ」

 

 ベルンは部屋のドアに鍵をかけてから、偉そうに命じてきました。

 

「……座れと言われましても」

 

 ベッドしかないんですけど、座れる所。

 

「何やってんだ、早くしろよ」

 

 彼は全く気にしていない様子でベッドに腰掛けると、自分の隣をぽんと叩いて見せました。

 ……まあ、深い意味はないのでしょうし、立ったまま話をするわけにもいきませんし。

 そう思って腰掛けますと、

「で?」

とベルンが聞いてきました。「おまえ、俺と寝たいの?」

 

 私はベッドから飛び上がりました。

 

「何だよ、その反応。好きってのはそういうことじゃないのか?」

「違います!」

「違うのかよ」

「違いませんけど……っ、違うんです!」

 

 必死で動揺をこらえながら、私は弁解しました。

 

「つまり、その……。まだ想いを自覚したばかりで、そのような段階ではないと申しますか……」

 

 我ながら、あまりうまい言い訳ではなかった気がします。

 

 正確には、言葉の内容よりも態度の方が不審だったのでしょうね。

 

「だったらキスは?」

 

 ベルンは明らかに疑っているような、半分面白がっているような顔で聞いてきました。

 

「まさか、それもできないのか?」

「……っ! できないというわけではなく、そういったことはきちんと段階を踏んでですね――」

「なんでだよ。別に初めてでもねえのに」

 

 3回もしただろうと言われて、最初は意味がわかりませんでした。

 が、すぐにぴんときました。ベルンが言っているのは、彼がフラメールの奇襲で重傷を負った際、喉にあふれた血を私が取り除いた件だと。

 

「あれは医療行為です! キスではありません!」

「そうか? 結構興奮したけどな」

「死にかけていた時に何を考えているのですか、あなたは!」

 

 ……悔しい。明らかにからかわれています。

 

「兄さん。私は真面目に話しているのです」

「ほー」

「私とあなたは、兄妹なのですよね?」

「だから?」

「実の妹とキスだの、せ、性的な関係を持つだのと、許されないことだとはお思いにならないのですか……」

 

 ベルンは笑うのをやめて、意味がわからないという風に眉をひそめました。

 

「なんで、おまえの方から告ってきたのに、俺が説教されてんだ?」

「それは、その通りですが!」

 

 自分はふざけているわけではないのです。そちらも多少の誠意は見せてくれてもいいではないですか。

 

「あなたは、私のことをどう思っているのですか?」

 

 つまりは告白の返事です。

 ベルンにそんな気がないことは、もちろんわかっています。それでも、この際だから聞かせてほしいのです。彼にとって私はどんな存在なのか。

 

「おまえのこと?」

 

 そうだな、とベルンは少し考えて、

 

「よく斬れそうなナイフ。遊び甲斐のある玩具(おもちゃ)。あと何年かしたらいい女になりそうだな、ってところから、なんでかさっぱり成長しない女」

「…………」

「ヴェルディの窮地を救った。雷槍鬼(カミキリ)を討ち取った。普通なら死んでるところを何度も生きのびた。無害そうな顔してるくせに実は人殺しが得意で、でもそれを認めたくない奴」

 

 つらつらと言葉を並べてから、また少し考えて。

 

「まあ、まとめて見ると、俺もおまえに惚れてる、ってことでいいんじゃないか」

「今の話のどこをまとめたらそうなるのですか……」

 

 恋に結びつきそうな要素なんて、ひとつもありませんでしたよね。

 当人はわりと楽しそうに語っていましたけど、内容は半分以上、悪口でしたし。

 

「くどいようですが、私はあなたの妹です」

「ああ」

「以前、妹を抱く趣味はないと仰っていたはずでは?」

「まあ、そうだけど」

 

 彼はあいかわらずニヤニヤしながら、

 

「おまえがどうしてもって頼むなら、今だけ妹だってこと忘れてやってもいい」

 

 どうする? と挑発するように言って、軽く両手を広げて見せました。

 

「ふざけるのもいいかげんにしてください」

 

 私はさすがに腹を立てていました。

 人の決死の「告白」を――まあほとんど事故というか勢い任せでしたけど、この人はまともに取り合う気がないのです。

 

 何だよ、と彼はつまらなそうにしました。

 

「おまえが好きとか言うのだって遊びみたいなもんだろ? 遊びっつーか、ガキのままごとみたいな」

「……本気で怒りますよ」

「本気、ねえ」

 

 だったら答えてみろよと言って、ベルンは私の顔に指を突きつけてきました。

 

「おまえが俺とどうなりたいのか」

「どう、とは」

「寝たいわけでもないし、キスもできない。だったら、何をどうしてほしい? おまえは俺に何を求めてるんだ?」

「それは」

 

 私が、この人に求めていることは――。

 

「あなたと、ずっと」

 

 顔が熱くなって、私は下を向きました。

 本心を口にするのはとても勇気のいることで、相手の顔を見たままではどうしても言えなかったのです。

 

「ずっと、一緒に居たい。もう、離れたくない。あなたがサバトに行くのなら、一緒に連れていってほしい」

 

 サバトという言葉で、レミさんの顔が頭をよぎりました。

 

 彼女がベルンに好意を持っているなんて、普通はありえないことだと思います。

 ただ、ベルンは彼女にとって恩人なんですよね。レミさんがオースティン兵に乱暴されかけていたところを救ったのがベルンなのです。吊り橋効果で、恋情を錯覚してしまったという可能性ならないこともありません。

 

「あなたを、他の誰かにとられたくない。自分だけのものにしたい。……そう願っています」

 

 我ながら、結構すごいことを言ってしまったというか、十二分に愛の告白に聞こえるセリフだったと思うのですが。

 ベルンは「ふーん」とつぶやいただけでした。見れば、全然照れてもいませんし、感じ入った様子もありません。

 

「やっぱりガキのままごとじゃねえか」

 

 私は納得できずに、強くその顔をにらみました。しかしベルンは平然と、

 

「おまえ、3つの頃にも似たようなこと言ってたぞ」

「は!?」

「だから、『お兄ちゃんとずっと一緒がいい』とか」

「……っ!」

「さすがに独占したいとまでは言ってなかったが……。俺が近所の女の子としゃべってたら、怒って石投げてきたことはあったな」

 

 ちなみに、当たりはしなかったそうです。

 ただ、その子がひどく驚いて大泣きしたため、親御さんが怒って怒鳴り込んできて、お母さんが何度も頭を下げることになってしまったのだとか。

 

「……覚えていません」

 

 前述のセリフも、口にした覚えがありません。兄の作り話ではないのでしょうか?

 

「信じる、信じないは勝手だがな」

 

 私は3つの頃と大して変わっていないと。

 

「俺はおまえにとって、でかい人形か何かなんじゃねえの」

 

 所詮は替えがきくものだろうと、私の告白など少しも真に受けていない顔で言うのです。

 

「私は、真剣です」

「あ、そ。……まだ言うか」

 

 ベルンの瞳が光りました。

 ギラギラとした闇そのもののような瞳。私は、この人がこういう目付きをするのを何度か見たことがあります。

 

 こういう時の彼は、攻撃的で、悪意に満ちており。

 その明晰な頭脳で他者の心を見抜き、その人物にとって最も残酷な言葉を、容赦なく口にするのです。

 

 そのまなざしが他でもない自分に向けられていることに、体の芯が震えるような恐怖を感じながら。

 それでも、ここで退()くわけにはいきませんでした。

 

 いくら、怖くても。……そもそも恋情なんて持っていなくても。私がこの人を、家族として強く求めているのは事実なのです。

 

 それを否定されることだけは、どうしても耐えがたかったから。

 傷つけられるとわかっていても、私は――。

 

 

 

*****

 

「おまえ、さっき言ったよな? 実の兄貴で、人として終わってて、救いようがない人殺しの俺が好きだって」

 

 言いましたよ、と私は答えました。

 

「まあ、実の兄は一旦置くとして、だ」

 

 置くんですか。そこが1番、問題がある気が致しますが。

 

「人殺しの俺が好きっていうのは、おまえの大嫌いな民間人殺しも含めての話か?」

 

 私はびくりと身を震わせました。

 

「フラメールでは女子供も殺して、村を焼いた。そういう命令を出したし、自分でも手を汚した。逆に、サバトでは直接、手を出さずに殺し合いをさせた。できるだけ大勢死ぬように、奴らが自滅するように裏から手を回した」

 

 で? とベルンは聞いてきました。

 

「おまえは、そういう俺が好きだって? 本気で言ってるのか?」

「……っ!」

 

 動揺する私を見て、彼の表情が笑みの形に歪みました。

 

「言っとくが、まだ終わってもいねえぞ? これからだって俺は敵を殺すからな。おまえとオトモダチのあの塹壕の魔女も、フラメールの英雄もどきも。奴らを嵌めて、踏みにじって、殺す。それでもおまえは、俺と『ずっと一緒に』居たいのか? 奴らを殺して、壊しまくった後で、全部忘れて穏やかに暮らしたいですって?」

 

 随分とムシのいい話だなと(あざけ)るように言って、

 

「おまえにそんな真似ができるのかよ。いまだに良い子ちゃんで居たがってるおまえに。俺とは別の意味で人殺しの才能があるくせに、『こっち側』に来るのは心底嫌がってるおまえに」

 

 ベルンはそこで言葉を切ると、空中でスッと指をすべらせました。まるで、私と彼の間に一線を引くように。

 

「俺はもうとっくの昔に狂気(こっち)側なんだ。1度越えちまったら、もう正気(そっち)には戻れやしないし、戻る気もない。だから、おまえが本当に本気で俺のことがほしいなら――」

 

 おまえが来い、と彼は言いました。「できるものなら?」と付け加えるのも忘れずに。

 

 そうしてベルンは口を閉じ、その鋭い瞳でひたと私を見すえました。

 私が何か答えるのを待っているように。私がどんな反応をするか、確かめようとしているように。

 

 それは、ひどく重苦しい沈黙でした。

 彼の言葉は実際、的外れなものではなく。

 私がこの人に出会った頃から――正確には再会した頃から、ずっと感じ続けてきた嫌悪感と拒否感の理由でもありました。

 

 戦場で、武器を持った兵士が殺し合う。それはまだわかるのです。

 けれども、兵士が一般人に武器を向けるのは、一方的な蹂躙(じゅうりん)であり、虐殺です。

 

 何度も述べておりますように、私が育ったノエル村は、サバトの兵士たちに踏みにじられ、焼かれてしまいました。お世話になった院長先生やシスター、共に育った子供たちの安否はいまだわかりません。

 ノエルとは別の場所ですが、虐殺が行われた村の跡地で、口にするのもおぞましい光景も目にしています。

 

 平然と、顔色を変えることなく。

 そうした行為を命じることができる上、まるで罪悪感を覚えている様子がない。

 そんな彼のことが、私は理解できませんし、したくもありませんでした。

 ……でした。そう、過去形ですね。

 

「どうして、なんですか」

 

 私は伏せていた顔を上げ、ベルンに問いかけました。

 

「どうしてあなたは、そんなことができるんですか」

 

 それは非難ではなく――いえ、ある程度は非難もこもった、問いかけでした。

 

「私たちの故郷は、戦災で焼かれてしまったのですよね?」

 

 私はそう聞いています。

 オースティンに侵入したサバトの工作兵たちのせいで、両親は砲撃で焼け死に、私は孤児になったのだと。

 

「戦争に民間人を巻き込むのがどれほどひどいことか、あなたは知っているはずなのに――」

 

 ふいに、ベルンの顔が忌々しそうに歪みました。

 

「自分は何も見てねえくせに、知った風な口をきくんじゃねえよ」

 

 え、と私が聞き返すと、

 

「おまえ、親父たちが死んだところ見てねえだろ。うちだけじゃない、あの日は村の半分が焼かれて、村中に焼死体が転がってた。それを覚えてるのか?」

「…………。いえ」

 

 私は「その日」のことを覚えていません。

 うっすらと思い出せるのは、この人が私を抱えて、あるいは背負って、逃げてくれたこと。それだけなのです。

 

「だろうな。だからおまえ、どっか他人事なんだよ」

「は!?」

「虐殺がひどいことだとか、巻き込まれた奴が気の毒だとか。上から目線の他人事だろうが」

「な……っ! 取り消してください!」

 

 その言葉は聞き捨てなりませんでした。くどいようですが、私が家族のように育った孤児院の人たちも、虐殺の犠牲になったかもしれませんのに。

 

「私は、許せなかった。私の故郷に、大切な人たちに、あんな惨い、あんな非道なことをした敵が、けっして……!」

 

 燃えるノエルを見た時の絶望は、怒りは、憎しみは。今もこの胸から消えてはいないのです。

 

 それなのに、ベルンはどこか冷めた目で私を見て、

「だったらおまえは、なんで壊れてねえの?」

と聞いてきました。

 

「何が何でも敵に復讐したい、全員ぶっ殺してやりたい、同じ目にあわせてやりたい。そう思ってないのはなんでだ?」

 

 思っていないわけがないでしょう。憎いし、復讐したいです。

 

「ですが、それと民間人を殺すことは同じではありません。話をすり替えないでください」

 

 ハッと馬鹿にしたようにつぶやいて、彼はあさっての方を向いてしまいました。

 

 まともに答える気はないようですね。だったら、自分で答えを考えるまでです。

 

「あなたにとっては、民間人を殺すのも敵への復讐のうちなのですか?」

「…………」

「答えてください、ベルン少佐」

 

 繰り返し問うと、彼は(うるさ)そうにこっちを向きました。

 

「仮に、俺が『そうだ』とでも言ったら、おまえ納得するのか?」

「……いえ」

「だろうな。なら、聞くだけ無駄だ、そんなこと」

「兄さん!」

 

 私が声を荒げても、ベルンの態度は変わらず、

 

「無駄なんだよ。この件では何をどう頑張ったって、おまえが納得するような答えは出てこない。おまえの兄は、非道な虐殺に手を染めました! ……で、おまえはそれを確かめてどうすんの?」

「……っ!」

「まだ好きだとか、一緒に居たいとか、寝言言う気かよ」

 

 私は無意識に拳を握りしめました。

 悔しいけれど、反論の言葉が出てこなかったのです。

 

「言えるんなら、さっき言った通り。抱いてやってもいいけど?」

 

 そんな私を見て、ベルンは勝ち誇ったように笑っています。

 

 暗い瞳。無機質で、物を見るような目。人であることをやめてしまったような――思えば彼は、いつから「こうなって」しまったのでしょうか?

 

 ……言葉は出ません。でも。

 軽蔑と嫌悪感と、怒りと悔しさがあっても。

 それと同じくらい、この時の私は悲しくてたまらなかった。

 

 自分は「向こう側」だと言って、私は違うと言って。

 そうやってどこまでも冷たく私を突き放す彼は、実はとても孤独な人なのではないかと気づいてしまったからです。

 

 もちろんこの人でなしは、孤独を苦にすることなんて全くないのかもしれませんけど。

 

 正気のままでは行けない場所で、たった1人で生きている。

 かつて、自分の家族だった人が。

 それに耐えられるほど、私は強くありませんでした。

 

 だから、私は。

 目の前に居る男の、憎たらしい顔にそっと手をのばし――。

 

「おい?」

 

 彼が戸惑った声を上げるのも構わず、寄り添うように体をふれあわせて。

 

「やめろ、馬鹿」

 

 そっと口づけようとしたところで、ベルンの手に阻まれてしまいました。

 

「何やってんだ、おまえ」

「……あなたの言う通りですよ」

 

 私は涙のにじむ目で彼の顔をにらみました。

 

「あなたのことなんて、好きでも何でもない。むしろ大嫌いです」

 

 やっぱりかよ、とベルンが言いかけるのを遮って、

「だけど」

と私は言葉を続けました。

 

「だけど、私は。あなたのことを愛しています」

 

 奇妙な間があきました。

 私が何か言い間違いでもしたかのように、無言・無表情でまばたきを繰り返すベルンの顔を見すえながら、私は想いを口にしました。

 

「人でなしの虐殺者のあなたと、一緒に居たい。あなたがこの先も、大勢の人を殺すことになるとわかっていても、あなたに死んでほしくない。そう思っています」

 

 言葉と同時に、こらえていた涙が瞳からこぼれ落ちました。

 

「愛してます、兄さん」

 

 彼の鋭い瞳がわずかに細められて、私の瞳の奥を探るようにのぞき込みました。

 1分か、2分か、あるいはもっと長い時間、沈黙が続いて、

 

「……本気か?」

 

 私が涙をぬぐいながらうなずくと、ベルンはそっとこちらに手をのばしてきました。

 

 その手の動きが、子供の頃に、頭をなでてくれた時と似ていた気がして。

 私は警戒心もなく、目を閉じてしまいました。

 まさか、いきなりベッドに押し倒された上、力いっぱい首を絞められることになるとは思わずに。

 

 

 

*****

 

「!?」

 

 突然の痛みと息苦しさに、私は混乱しました。

 必死でもがいて、その手を振り払おうとしましたが、ベルンは私の上に馬乗りになって、自分の体重で押さえ込んでしまいました。

 そうやって私の抵抗を封じてから、首にかけた手に、指に、さらに力を込めて。

 

「……!」

 

 声が出せません。息もできません。気が狂いそうなほど苦しくて、ものすごく痛いです。

 あまりの苦痛にまた涙がにじんで、こぼれて、歪む視界の中にうつった兄の顔は。

 私の苦しみなどまるで意に介さない、いっそ退屈そうにも見えるくらいの無表情でした。

 

「どんな気分だ? トウリ」

「…………」

「自分が殺されそうになっても、まださっきと同じことが言えるか?」

 

 私はぱくぱくと口を動かしましたが、もちろん声は出てきませんでした。

 

「おまえは、あれだろ。俺が妹に危害を加えることはない、ってどっかで舐めてただろ?」

 

 否定はしません。この人は妹に弱いのだと。何だかんだ言っても、本気で傷つけることはできないのだと、そう思っていました。

 それはもしかすると、今のようになってしまう以前の彼を、「イリス」の存在が呼び起こすからなのではないかとも――。

 

「あのなあ、イリスちゃん」

 

 彼はわざと妹の名前で私を呼んで、

 

「『できない』と『やらない』は違うんだよ?」

 

 両手に込めた力はそのままに、私の耳元に顔を近づけて、

 

「俺はその気になれば、おまえのことだって殺せる」

 

 私の首が折れないように、絞め殺してもしまわないように、力を加減しながら。

 

「まあ、妹を殺すとか、できればやりたくはない。だから今まではしなかった。そんだけの話だ」

 

 淡々とそう口にして、ようやく私の首から手を放しました。

 

「ゲホッ! ゲホッ!」

 

 ぼろぼろと涙をこぼしながら咳き込む私を見ても、眉ひとつ動かさず。

 黙ってベッドから立ち上がり、そのまま出て行こうとして――ためらうように1度振り向いた時、彼は少しだけ困ったような、手に負えないものを見るような目をしていました。

 

「おまえ、前に言ったよな。俺は妹の面影をおまえの中に見てるって」

「けほっ……」

「おまえも同じだよ。……いや、違うか。おまえが俺の中に見てるのは、家族の面影どころか幻だ」

「…………」

「現実を見ろ。俺に期待するな。おまえが欲しがってるものは、もうこの世のどこにもない。とっくの昔に壊れて、なくなっちまったんだよ」

 

 何の感傷もこもらない、乾いた声でそう言って。

 彼は出て行ってしまいました。呆然とベッドに座り込んだままの私を残して。

 

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