悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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5章 エンゲイ撤退戦
40話


 フラメールへの大規模侵攻が始まってから、およそ1年後。

 オースティンに再び冬の気配が近づく頃、ずっと膠着状態だった戦いに変化が起きました。

 

 それはオースティンにとって最悪の変化でした。

 首都攻略の最前線で、あるいは拠点としていたエンゲイのような地方都市で、立て続けに敗北を喫してしまったのです。

 

 なぜ、そんなことが起きたのか。

 くわしく説明する前に、まずは当時の状況に軽くふれておきますと。

 

 ベルン・ヴァロウの不在で攻め手を欠くオースティンは、自軍は塹壕に籠もって守りを固め、敵に攻めさせては返り討ちにする、という戦い方を繰り返していました。

 

 塹壕戦は、守る側が圧倒的に有利です。兵の練度もオースティンの方が上ですし、機関銃など殺傷力の高い兵器も有しています。

 

 そんなオースティン軍が守る塹壕に、フラメールの兵士はなぜか馬鹿正直に突撃を繰り返してきました。

 

 それは当時の司令官が立てた「作戦」でした。

 

 フラメールがオースティンに(まさ)っているのは、国力と生産力、そして兵士の数である。オースティンには予備兵力もほとんどないが、フラメールはまだまだ愛国心にあふれた若者を動員できる。

 戦いが長引くほど、不利になるのはオースティンの方だ。

 とにかく敵に武器弾薬を使わせろ。敵を消耗させろ。たとえ味方が10人死のうとも、結果、1人でも敵を殺すことができたなら、フラメールの勝利が近づく――。

 

 オースティンは確かに瀕死の状態でしたので、長期的な戦略という意味ではさほど間違っていなかったかもしれません。

 とはいえ、消耗戦は仕掛けた側も当然、消耗します。

 何よりこの作戦は、現場の兵士の命をあまりに軽視していました。

 この司令官の後世の評判はけして良いものではなく、むしろ非難と嘲笑の(まと)になるのですが――それはさておき。

 

 敵も味方も命をすり潰すだけの愚かな戦いを終わらせたのは、次世代の新戦術でした。

 実行に移したのは彼女です。

 

 シルフ・ノーヴァ。

 

 稀代の天才戦術家。祖国サバトを追われた悲劇の将。私の仇であり、宿敵。

 

 そんな彼女が考案した新戦術とは、簡単に言えば「敵に気づかれないように塹壕内に潜入し、敵を分断し、制圧すること」でした。

 言うは易く、行うのは極めて難しいこの戦術を実現するため、彼女は何と1年もの準備期間をかけて、潜入戦に特化した部隊を作り上げたのです。

 

 塹壕とは長大なものです。どう頑張っても守りの手薄な部分というのは生じます。

 シルフが育てた特殊部隊は、そうした守りの穴を見極め、味方の砲撃を目くらましにして塹壕内に侵入。

 敵を制圧し、分断し、各個撃破しました。

 

 これを一箇所ではなく、同時多発的に行うことで敵は混乱します。

 まるで魔法のように塹壕内から敵兵がわき出して、気づいた時には味方の部隊とも司令部とも連携が取れなくなっている、という状況になるのです。

 

 この恐るべき戦法に弱点があるとすれば、最初に侵入してくるのが「少数精鋭」であるということでしょうか。

 奇襲性と隠密性が作戦の(きも)なので、武器弾薬を大量に持ち込むというわけにはいきません。

 ですから、攻められる側が常に連絡を取り合い、十分な予備兵力を持ってさえいれば、侵入に気づいた時点でただちに増援を送り、穴が広がらないうちにふさいでしまう、ということもできました。

 

 ……そう。十分な予備兵力を持ってさえいれば。

 

 兵の数が足りないオースティンに、この戦法は凄まじい威力を発揮しました。

 各地の戦場で味方は総崩れとなり、多くの戦死者、負傷者を出しながら、敗走を余儀なくされたのです。

 およそ2ヶ月後には鉱山戦線でも敗北し、フラメール国内の拠点を全て失って国境線まで退(しりぞ)くことになるのですが――。

 

 先に、この話をしておかなくてはいけませんね。

 シルフ・ノーヴァの新戦術によってオースティンが手痛い敗北を喫したのと、ほぼ同じ頃。

 オースティン軍最高司令官、レンヴェル中佐が解任されました。

 表向きは敗北の責任を取って、ということにされていますが、実はこの解任はずっと以前から決まっていた――いえ、仕組まれていたことでした。

 

 軍内部、政府高官、さらには首相のフォッグマンJr.にも手を回して入念な下準備を行い、名高い勇将をその地位から追い落としたのは。

 レンヴェル中佐と同じ中央軍の将であり、実の甥でもあるヴェルディさんでした。

 

 

 

*****

 

 私がその事実を知ったのは、新たな「シルフ攻勢」からわずか5日後のことでした。

 ちょうど前線まで物資を運ぶ途上にあったトウリ遊撃中隊は、オースティンの敗北を知って、急遽(きゅうきょ)行き先を変更。味方の司令部があるエンゲイに身を寄せたのです。

 

 そこで戦況を確認し、上の指示を仰ごうとしたところ、なぜか私とガヴェル曹長だけが呼び出され。

 装備を取り上げられ、味方のはずの兵士たちに別室へと連行されて。

 いつになく険しい顔をしたヴェルディさんから、上記の流れを聞かされたのでした。

 

「2人とも、驚かせてすみませんでしたね」

 

 説明を終えたヴェルディさんは、少しだけ表情を緩めて笑って見せました。

 

「何しろ軍のトップが交替したばかりなので。後から合流した部隊には、念のため確認しなければならないのですよ」

 

 レンヴェル中佐に代わって最高司令官となったヴェルディさんに忠誠を誓い、共に戦うつもりがあるのかどうかを。

 

 私は、横に居るガヴェル曹長の顔をちらりと(うかが)いました。

 

 ガヴェル曹長は無言でした。祖父が追放された、しかもそれを(おこな)ったのが尊敬するヴェルディさんと知って、さすがに戸惑っていらっしゃるように見えます。

 

 私も、無論のこと戸惑いはありました。

 けれども、今の話を聞いてヴェルディさんへの信頼が揺らいだかといえば、答えは(いな)です。

 まずはもう少しくわしいことを教えていただこうと口をひらきかけると、先にガヴェル曹長が焦ったように発言しました。

 

「理由を、聞かせてもらえますか?」

 

 ヴェルディさんが、実の叔父を裏切るような行為に到った理由を。

 

「爺ちゃんが――じゃなくて、レンヴェル中佐がこのままトップに居たら勝てないと思ったから、ですか?」

 

 明らかに動揺しているガヴェル曹長に対し、ヴェルディさんは特に表情を変えるでもなく静かに首肯しました。

 

「ええ。有り体に言えば、そうなります」

 

 オースティンには派閥がありました。

 中央軍の兵士を中心としたレンヴェル派、南軍の兵士を中心としたアンリ派。

 ベルン・ヴァロウが台頭してからは南軍が主導的な立場となっていましたが、フラメールの奇襲後、アンリ大佐が療養のためにトップを退(しりぞ)いてからは中央軍が主体となっていました。

 

「ただでさえ数の少ないオースティン軍が2つに割れていたのです。それでは勝てるはずがない。この戦いに勝利するためには、派閥間の対立を解消することが急務であり不可欠だったのです」

 

 しかし、レンヴェル中佐がトップのままでは、その対立はけして解消しないだろうとヴェルディさんは言いました。

 自分の身内や味方だけを厚遇する彼が上に居たのでは、南軍の兵士たちは納得しないからです。

 

「大変でしたよ。叔父上にバレないように計画を進めるのは」

 

 この計画が始動したのは、何と今から半年近くも前のことで。

 以来、ヴェルディさんはレンヴェルさんに隠れて、政府高官や軍関係者への根回しに奔走してきたのだそうです。

 

「さすがに、力づくで叔父上を追い落とすような真似(まね)をしては、将来に禍根を残すことになってしまいますからね」

 

 関係者を説得し、あるいは何らかの見返りを約束して自分の味方につけ、慎重の上にも慎重を期して準備を進め。

 

 結果、甥から叔父への反乱とも言えるこの(くわだ)ては、流血沙汰もなく静かに成功したのでした。

 

「叔父の地位を引き継ぐにあたって、私は少佐から中佐になりました。今後、オースティン軍は私と南軍の参謀が協力して率いていくことになります」

 

 南軍の参謀? と私が疑問を呈するより早く、

「2人は私を支持してくれますか?」

とヴェルディさんに確認されました。

 

 私とガヴェル曹長は、ほんの一瞬、視線を交わしました。

 ガヴェル曹長の顔にはまだ戸惑いがありました。今の話を頭では理解できても、感情の方が追いついていない。そんな風に見えました。

 

 が、ガヴェル曹長はすぐに姿勢を正すと、ヴェルディさんに向かって敬礼しました。

 

「俺は、あなたについていきます」

 

 ヴェルディさんはその答えに小さくうなずいて、それから私の方に視線を移しました。

 

「…………」

「……トウリちゃん?」

「あ、申し訳ありません」

 

 うっかり、ヴェルディさんに不安そうな顔をさせてしまいました。

 別に答えを迷っていたわけではないのです。ヴェルディさんは私が最も信頼する戦友であり上官です。当然、ついていくに決まっています。

 

 ただ、不安だったのです。

 ヴェルディさんはレンヴェルさんの甥で、同じ中央軍の人です。南軍の兵士たちにしてみれば、あまり変わったように思えないのでは、と。

 

 私がその懸念を伝えると、

「ああ、それは問題ありません」

とヴェルディさんは笑いました。

 

「この計画には、南軍の兵士たちも協力してくれていますから」

「そうなのですか?」

「はい。そもそも計画を立てたのは彼ですし」

「彼?」

「トウリちゃんはよく知っている人ですよ」

「……まさか」

 

 それは、つまり。もしやとは思っていたのですが、そういうことなのですか。

 

「ええ、そうです。ベルン・ヴァロウ少佐ですよ」

 

 

 

*****

 

 その後、私はヴェルディさんに連れられて、司令部の一室に移動しました。

 

 この建物は、元はエンゲイの行政府だったものをオースティンが接収し、使っているのだそうです。

 本来は市長の執務室だというその部屋は、今は書類や物資でひどく散らかっていました。

 

「よう。遅かったな」

 

 部屋の中にはただ1人、その男の姿だけがありました。

 

「ベルン少佐……」

 

 どうして、あなたがここに居るのです。

 レンヴェル中佐に疎まれ、軍に戻れなくなっていたはずのあなたが、なぜ。

 

 戸惑う私を見て、ヴェルディさんが気を遣ったように言いました。

 

「さて、どこから説明したものですかね」

 

 なお、ガヴェル曹長は部隊に戻りました。メイヴさんやナウマンさん、中隊の兵士たちに現在の状況を説明するためです。

 

「お2人はいつから……?」

 

 こんなクーデターまがいの計画を、共に実行するような間柄になっていたのでしょうか。

 

「本当に、すみませんでしたね。今まで黙っていて」

 

 ヴェルディさんは説明の前にまず謝ってくれました。

 

「言い訳をさせてもらえるなら、この計画については、関わる人間を最小限に絞る必要があったのです。もしも途中で計画が頓挫したら、オースティンは本当に終わってしまう」

 

 弁解するヴェルディさんの向こうで、ベルンは黙って立っています。

 

 不安と疑念が、同時に私の胸にこみ上げてきました。

 あの優しいヴェルディさんが、好き好んで実の叔父を追放するでしょうか。

 もしや、ベルンがヴェルディさんをそそのかして、自分のために利用したのでは?

 

「……あなたが何を心配しているのかはわかります。けれども、それは誤解ですよ」

「え」

「計画を立てたのは確かに彼ですが、先に協力を求めたのは私の方ですから」

「ヴェルディさんの方から……?」

「そうです。理由は先程言った通り、無益な派閥争いを終わらせるため。南軍と中央軍が共に戦うには、南軍の英雄であるベルン少佐の協力が欠かせなかった」

 

 にも関わらず、レンヴェルさんはベルンを軍から遠ざけようとしました。それではオースティンの勝利が遠のくと、ヴェルディさんがいくら説得しても無駄でした。

 

「叔父とベルン少佐の共闘が不可能であるなら、私はどちらか一方を選ぶしかありません。そしてオースティンの未来を考えれば、答えはひとつだった」

「ヴェルディさん……」

「全ては勝利のためです。この戦争に勝ち抜くために、これまで我々は数多(あまた)の戦友の命を犠牲にしてきたのですからね」

 

 今更、身内の情に惑わされるような愚かな真似はしないと。

 気負いも迷いもなく言いきって見せるヴェルディさんに、私は驚きと共に深い尊敬の念をいだきました。

 

「その英断を、もうちょっと早くしていただければ良かったんですがね」

 

 そこに水を差してきたのがベルンです。彼は妙にしらけた目をヴェルディさんに向けて、

 

「計画では、あと1ヵ月は早くレンヴェル老に退場していただくはずだったのでは?」

「それは、あの。思いのほか根回しに時間が――」

 

 ヴェルディさんが口ごもると、ベルンはあろうことか舌打ちしました。

 

「その1ヵ月で、『塹壕の魔女』は準備万端、勝負をかけてきたんでしょうが。あんたがモタモタしてる間に――」

 

 その発言には、温厚なヴェルディさんも黙っていませんでした。

 

「仕方がないでしょう!? こういうことには時間がかかるものなんです! あまり強引なことをしては、軍が機能しなくなる! それでは体制を変える意味がない!」

「負けたらもっと意味ねえだろうが! あんたがそうやって周りの顔色を窺ってるうちに、使える兵士の数がどれだけ減ったと思ってやがる!」

「……っ!」

 

 気まずい沈黙が室内に落ちました。

 計画に直接関わっていない私は、ただ2人を見比べておろおろすることしかできません。

 

「……確かに、少佐の仰る通りです」

 

 やがて、先に引いたのはヴェルディさんの方でした。

 

「私の力が足りず、結果としてフラメール内の拠点を放棄せざるを得なくなった。それについては弁解のしようもありません」

 

 申し訳ありませんでした、とヴェルディさんが頭を下げても、ベルンの態度は変わりませんでした。

 

「謝ってどうなるもんでもないでしょう。おかげで、計画の立て直しだ」

 

 さすがに見ていられなくなって、私は「兄さん」と小声で非難しました。

 

「何だよ」

「態度が悪すぎますよ。今の話が事実なら、あなたはヴェルディ中佐のおかげで軍に戻れたようなものなのでしょう?」

 

 もっと感謝と敬意を示すべきなのに、ベルンは逆に(あざけ)るように言いました。

 

「ハッ。んなもん、俺の力が必要だったってだけの話だろ。なんで感謝しなきゃならん」

 

 こちらも小声ですが、しっかりと相手に聞こえるように言っていますね。

 いいかげんにしてくださいと私が怒ろうとしたら、先にヴェルディさんが「仰る通りです」と認めてしまいました。

 

「窮地に陥った我が軍は、『ベルン・ヴァロウ』の力を何としても必要としているのですよ。この状況を(くつがえ)す必勝の策が――当然、あるのですよね?」

 

 下手(したて)に出ているように見せかけて、実は露骨にプレッシャーをかけていますね。目が怖いです。

 

 ベルンはわざとらしく嘆息してから、面倒くさそうに口をひらきました。

 

「今、オースティンが退()いたら、敵は嬉々として追撃をかけてくるでしょうね」

「ええ、おそらくは」

「そうなったら、こっちの被害は甚大なものになる」

 

 普通はね、と言って、そこでベルンはにんまりと笑いました。

 

「けどね、ヴェルディ中佐。俺は追撃戦ってやつは結構得意なんですよ」

 

 ヴェルディさんも薄くほほえんで、

 

「存じておりますよ。ベルン少佐の名を一躍高めたのが、南部戦線で敵を縦横無尽に追い散らした追撃戦ですからね」

 

 そうなのです。

 将には得意戦法というものがあり、シルフが「塹壕の魔女」と呼ばれるように、ベルンの代名詞となっているのは追撃戦でした。

 

 南部戦線において、彼は逃げる敵の動きを読み、地形を読み、状況を読み、きめ細かく味方に指示を出して敵を分断。甚大な被害を与えることに成功しました。それはもう、敵からすれば「ここまでやるか」というレベルで、徹底的に。

 

「ただ――我々がやろうとしているのは撤退戦ですが?」

「同じことですよ」

とベルンは軽く肩をすくめて見せました。

 

「やることが逆になるだけだ。まあ、見ていてくださいよ。あんたがちゃんと俺を信じて、言う通りに動いてくれるなら」

 

 味方の被害はほとんど出さず、追ってくる敵を壊滅させた上で、撤退を成功させてみせるとベルンは(うそぶ)きました。

 

 その言葉を鵜呑みにしたわけではないと思いますが、

「我々は既に一蓮托生ですからね」

とヴェルディさんは鷹揚(おうよう)にうなずきました。

 

「全てお任せしますよ、参謀殿」

 

 こうして、エンゲイ撤退戦が始まることになりました。

 それはこの戦争の大きな分岐点であると同時に、オースティンの戦史に名を残す戦いともなるのです。

 

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