悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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41話

 繰り返しになりますが、追撃戦はベルンの得意戦法でした。

 南部戦線において、彼は逃げる敵の動きを読みきり、甚大な被害を与えることに成功しました。

 

 この際、最も重要だったのが「情報」です。

 敵の数や位置。現在進行形でどのように動いているのかを把握するため、彼はかなりの数の偵察兵を現場に放っていました。

 

 そして、ベルン自身もまた。

 現場から伝えられる情報を分析し、的確な指示を出すために、前線にかなり近い位置で待機していました。

 この時代、通信機器の有効距離はかなり限られていましたので、できるだけタイムラグを出さないようにするには、他に方法がなかったのです。

 

 追撃戦であれば、我々は逃げる敵を追う立場ですから、まだしも安全です。

 しかし撤退戦においては、敵はこちらを攻撃するために向かってきているのです。

「追撃戦も撤退戦もやることは同じ」と彼は言いましたが、とんでもない話です。

 将が現場に出る危険度は、後者の方が段違いに高いのに。

 

「だから、おまえの力がいるんだろ」

 

とベルンは言いました。妙にリラックスした、楽しそうな顔で、

 

「おまえは鼻が利く。ヤバイと思ったらすぐに知らせろ。俺の命と、オースティンの命運。全部おまえの肩にかかってるんだからな」

 

 こちらは吐くほど緊張しているというのに、さらにプレッシャーをかけてきやがりました。実の妹への気遣いとか思いやりとか、この人には皆無なようです。

 

 このエンゲイ撤退戦、私は彼のサポートにつくことになりました。ガヴェル曹長他、遊撃中隊の皆さんも一緒です。

 情報収集及び伝達は偵察兵と通信兵の仕事です。我々トウリ遊撃中隊が為すべきことはひとつ。ベルン・ヴァロウをけして死なせないこと。以上です。

 

「伝令! エンゲイ中央街道より敵進軍中! 先発隊はエイリス騎兵及び弓兵、数およそ五千!」

 

 ああ、始まるのですね。私も実際に戦場に出るのは久しぶりです。

 この空気。匂い。緊張感。

 全く懐かしくなどないですし、何度経験しても慣れることはありません。

 可能であれば今すぐ逃げ出したい。そんな恐怖の中で。

 

「……あなたが私を信じてくださるのでしたら」

 

 私は隣に居る男の顔を静かに見上げました。

 この忌まわしい戦場にあって、水を得た魚のように生き生きしている、血を分けた只1人の兄を。

 今では愛してしまった人を、強く、強く見つめて。

 

「私はあなたに、傷ひとつつけさせはしません」

「ああ、期待してる」

 

 ベルンは愉快そうに口の端をつり上げて笑いました。

 

 そうして、ついに戦いが始まったのですが――。

 

 

 

*****

 

 我らがトウリ遊撃中隊の任務は、初日から苦難の連続でした。

 その理由と言いますのが。

 

「ベルン少佐、ここはもう危険です! 撤退してください!」

 

 この男、私の言うことなんかさっぱり聞いてくれないのです。

 何が「おまえの力がいる」ですか。「期待している」ですか。

 私がいくら退避を叫んでも、いつもギリギリまで現場にしがみついて。

 

「通信兵! 今から言うことを右翼のライデルト隊に伝えろ、一字一句間違えるんじゃねえぞ!」

「少佐殿!」

 

 最後まで退()こうとしないベルンを、兵士に頼んで陣地から引きずり出してもらったら、その数分後に砲弾が飛んできた、なんてこともありました。

 

 全員がベルンにあわせていたら退避が間に合わないので、司令部の皆さんには事前に少しずつ移動してもらうようにしました。

 

 しんがりを務めるのが、我々トウリ遊撃中隊です。

 

 なお、ベルンは右足にマヒが残っており、長時間の全力疾走はできません。急ぎの時は、メイヴさんのような力の強い兵士にかついでもらうことになります。

 というか、前述のような有様では、急ぎでない時など、ほぼありませんでしたけど。

 

「退避の指示には必ず従ってください! でないと、自分がここに居る意味がありません!」

 

 慌ただしく森を駆けながら苦言を呈しますと、彼はメイヴさんにかつがれたまま、「従ってるよ」とふてぶてしく返事をしました。

 

「おまえ、かなり余裕持って指示出してるだろ」

「はあ!?」

「ビビリなのか、味方の安全を考えてなのか知らねえけど。おまえがもう危ないって言った時は、だいたい5分くらいは余裕がある」

「…………」

 

 これは、アレですね。教育的指導が必要な案件です。

 

「メイヴさん、お願いします」

「あいよっ」

 

 メイヴさんが肩にかついだベルンを軽く放り投げ、

 

「いってえ!」

 

 頭上の木の枝に頭をぶつけた彼が、大げさな悲鳴を上げました。

 

「何しやがる! てめえら、誰のおかげでここまで勝ててると思って――!」

「もう一発、いっとくかい? 中隊長殿」

「はい、そうしましょう」

「ぎゃあ!」

 

 そんな全くほほえましくない一幕があったりもしましたが。

 

 撤退戦そのものの首尾は上々でした

 初日、2日目と、我々オースティン軍はほとんど被害を出すことなく。

 逆に追ってきた敵を罠にかけ、伏兵で返り討ちにするなどして、順調にその戦力を削っていました。

 

 特に2日目の夜には、敵が本陣めがけて夜襲をかけてきたのですが、ベルンはこれも読みきっており。

 あらかじめ本陣を空にして、その周囲に兵を伏せておき、のこのこと奇襲をかけてきた敵を綺麗に殲滅(せんめつ)しました。

 

 おかげで、フラメール内の拠点を捨てて逃げている最中ですのに、我が軍の士気は非常に高かったと思います。

 何というか、兵士の目の色が、輝きが違うのです。

 

 私が初めて配属された西部戦線では、前線の兵士はいつも死んだような目をしていましたが。

 この撤退戦の折には、皆がやる気と充実感に満ちていました。

 

 その光景を見て、私は以前、ヴェルディさんが口にしていた言葉を思い出しました。

 

 ――有能な将とは、極めて数が少ない。

 

 たとえガーバック隊長のようなエースでも、たった1人で(いくさ)趨勢(すうせい)を左右することはできません。

 結局のところ、兵士を生かすも殺すも将次第なのです。

 無論、全てが計算通りに行くことなどありえず、実際の戦場では、予想もつかないことが日常的に起きるのですが。

 

「なんで、こんな意味ねえとこに兵を伏せとくんだよ!?」

 

と、ベルンが慌てるような場面も多少はありましたが。

 

 それでも順調に時を重ねて、3日目の夜。

 オースティン軍の陣地は、異様な熱気に包まれていました。

 

 追撃戦と撤退戦のもうひとつの違い。それは、兵の消耗度です。

 

 何度も言うようですが、追撃戦では逃げる敵を追うだけです。部隊が消耗したら、休みをとることだってできます。

 けれども逆の立場では、敵が動きを止めてくれない限り、こちらは止まることができません。

 2日目は夜襲を警戒して備えていたせいで、ほとんどの兵が不眠不休でしたし。

 

 幸いにして、ここまで戦果を挙げていたおかげで、兵の気力はまだ十二分にありましたが。

 非常時ならではのアドレナリンも分泌されていたのでしょう。兵士の多くが、やたらハイになっていました。

 衛生部のエルマさんから、看護兵へのセクハラがひどいと苦情が来たり、

 

「トウリ中隊長殿! どうか握手をお願いできませんか!」

 

 私は「幸運運び(ラッキーキャリー)」などという2つ名で呼ばれていましたので、やたら兵士に声をかけられました。

 さすがに少尉の身分でセクハラまではされませんでしたが、握手を頼まれたり、サインをねだられたり、ハグをせがまれて丁重に断ったりはしました。

 

「トウリ中隊長! また惚れ直しました、付き合ってください!」

「キャレル……、今日もですか。申し訳ありませんが、お付き合いはできません」

 

 同じ兵士から、連日告白されたりもしましたね。

 

 ですが、私の苦労など大したことではありません。

 

「ベルン少佐? 入りますよ」

 

 この3日間ずっと不眠不休で、体力だけではなく、その頭脳を酷使し続けていた。

 この時、オースティンで最も疲弊していたのは、間違いなく彼だったでしょう。

 

 ベルンはテントの中で1人、天井を見上げて座り込んでいました。目は開いていますが、そのまなざしは虚ろでした。

 

「大丈夫ですか?」

「…………」

 

 声をかけても、返事がありません。

 

 無理もないですね。脳というのは、体内で最もエネルギーを食う機関です。

 せめて栄養補給をと思い、私は特別に分けてもらった物資を差し出しました。

 

「どうぞ、これを」

 

 キャンディと柑橘系の果実です。脳の栄養はブドウ糖、疲労回復にはクエン酸、という前世知識によります。

 

「……!」

 

 ベルンは物も言わずに食らいつきました。果実は皮ごと、キャンディは舐めずに噛み砕いています。

 

「……包み紙は食べちゃダメですよ」

 

 そっと取り上げようとしたら、指ごと舐められました。

 

「ひゃあ!」

 

 私は悲鳴を上げてしまいました。いつものセクハラではなく、普通に飢えている感じが怖かったので。

 

「少しは落ち着いてください!」

 

 抗議の声も、聞こえているのかいないのか。彼はため息と共に肩を落として、「全然足りねえ」とつぶやきました。

 

「特別に分けてもらったのです。今はこれで我慢してください」

「…………」

 

 ベルンの血走った目が、なぜかじっと私を見ています。

 

「……何ですか。自分は食べられませんよ」

 

 思わず後ずさると、ベルンは逆に私ににじり寄ってきました。

 

「なあ」

 

 ほとんどすがりつくように、手をのばせば届く所まで距離をつめてきて、

 

「おまえが俺を癒してくれない?」

「は? それはどういう――」

「ちょっとだけ。ちょっとさわるだけだから」

「……!」

 

 私は勢いよく、ベルンから飛び離れました。

 

「ちょっとだけだって。な? 痛くしないから」

 

 完全に変質者のセリフです。

 

「……どこをさわる気ですか」

「逆に聞くが、どこだったらいいんだよ」

「…………」

 

 今の彼は普通に気持ち悪いので、どこであろうとさわられたくはないんですけど。

 断ったとして、聞いてくれるとは限りませんし。結果、無理強いされることになっても嫌ですし。

 

「では、頭で」

 

 妥協案を出しますと、彼は両手で私の頭をつかんで、わしゃわしゃかき回しました。

 

「もう少し優しくお願いします!」

 

 ベルンは聞いていません。今度は私の顔を両手で挟んで、ほっぺをムニムニしています。

 

「ひょこはきょかひてほりまへん、ほやめくらはい」

「は? 何だって」

「そこは許可しておりません! おやめくださいと言ったのです!」

 

 ベルンは一瞬名残惜しそうな顔をしましたが、素直に手を放しました。

 本当によほど疲れているのか、ふらりと壁際まで後退すると、背中を預けるようにしてうずくまってしまいます。

 

「はあ……」

 

 その姿を見て、私も心が痛みました。

 この人がオースティンのために身を削っているのはまぎれもない事実ですし――何かできることがあるならしてあげたい、とは思います。

 

「……仕方がありませんね」

 

 私はベルンに向かって一歩踏み出しました。

 これもオースティンのため、共に戦う戦友たちのためと思えば。

 

「私も本気を出しましょう。あなたを満足させる『癒やし』を提供して差し上げますよ」

 

 はあ? とベルンが聞き返してきました。

 

「本気って、おまえ、何する気――」

「…………」

 

 私が無言でさらに近づくと、彼はわずかに引いたような顔をしました。

 

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