撤退戦が始まってから、4日目。
偵察部隊から司令部へ、ひとつの知らせが届きました。
進路上の森に、敵の伏兵とおぼしき一団あり。率いるは「大盾」。
「ついに出やがったか」
司令部に緊張が走る中、ベルンはやけに嬉しそうに口元を歪めていました。
「出番だぞ、トウリ・ロウ少尉」
「……はい。心得ております」
いかにして敵のエースを討ち取るか。その対策は、事前に十分過ぎるほど話し合っています。いつ、どこで「大盾」が現れるかはわかりませんでしたので、同時進軍中の友軍でもその対策は共有しています。
しかしベルンは、「大盾」はおそらく司令部を狙ってくるだろうと読んでいました。
理由は、「前はそれでうまくいったから」。
1年前の戦いで、敵は寡兵でオースティンの司令部を奇襲し、多大な戦果を挙げています。だから今回もきっと、似たようなことをどこかで仕掛けてくるはずだと。
敵にあのシルフ・ノーヴァが居るなら、そこまで単純な攻め方はしてこない気もしたのですがね。
この撤退戦――敵から見れば追撃戦には彼女も参加しているはずですが、今のところ、その活躍は聞こえてきませんでした。
ベルンいわく、シルフの真骨頂は塹壕戦のような、最適解が常にめまぐるしく入れ替わる戦いでこそ発揮されるのだそうです。
相手の備えによっては、妙手が悪手にもなる。唯一絶対の答えがない。
そうした複雑な戦いにおいて、彼女の天才的とも言える「勝負勘」が脅威になりうるのだとか。
ざっくり言えば、シルフはチェスのように論理立てて思考を紡ぐこともできる一方で、極めてバクチに強い勝負師でもあるのです。
しかし、戦場にはさまざまな場面・局面があります。
「こうすればほぼ確実」という安全策があるのに、わざわざバクチを打つ意味はありませんよね。
そして稀代の戦略家であるベルン・ヴァロウは、時間をかけて準備さえすれば、そうした状況を意図的に作り出すこともできるのです。
ヨゼグラード攻略戦の時がまさにそうでした。
正攻法しか通じない状況を作り出すことで、彼はシルフの強みを封じてしまった。
今回はさすがにあの時ほどの精度は望むべくもないとはいえ、「追撃戦」という自らの得意戦法を応用することで、かなり穴の少ない作戦を立てることができたのでしょう。
重要なのは、敵の選択肢をつぶすことだとベルンは言いました。
単純な正解と、単純な不正解を敵に示すことで、「これしかない」という結論に誘導する。
不確定要素を減らし、シルフ・ノーヴァの勝負勘の使いどころをなくす。
実際は言うほど簡単なことではないと思うのですが、この怪物は、今のところほぼ破綻なく戦いを進めていました。
ただ、この「大盾」との戦いだけは。
勝利の行方は、現場の兵士に
もし、私たちが負けて、敵の狙い通りに司令部を襲撃されるような事態にでもなれば、オースティンは一転、窮地に陥るだけに、私の肩にかかる重圧は相当なものでした。
「俺たちはこのまま進む。おまえたちは予定通りに」
「はい、少佐殿」
私と、特定の基準に沿って選抜された対・大盾部隊は、ひそかに本隊と分かれて敵を背後から奇襲する手はずになっています。
その出発前のわずかな時間に、私はベルンと、兄と向き合っていました。
「何だ? その顔。まさか怖じ気づいたのか?」
私の顔は、おそらく緊張で強張っていたと思います。対照的に、兄は鼻歌でも歌い出しそうなくらい陽気な顔で、
「笑えよ。もっと楽しそうにしろ。あの
恐るべき「大盾」のもとに、実妹を送り出すというのに。
自分だって、味方が負ければ命が危ういというのに。
恐怖も緊張も、もちろん心配そうな様子もありません。
……もしかしたらこれが、
そんな兄の顔を見ていると、どうにも腹が立って仕方なく。
「メイヴさん、ナウマンさん。ここをお願いします」
私はベルンに背を向けて、護衛として残ることになっている部下2人に声をかけました。
「お任せください、中隊長」
「どうか、ご武運を」
「おーい、トウリちゃん。無視するなよ~」
真面目なお2人と違って、兄はどこまでも不真面目に見えます。
「そんな怖い顔するなって。無事に手柄を挙げて戻ってきたら、褒美のひとつもくれてやるから」
「……いえ。今、いただきます」
私はサッと素早く兄との距離をつめ、胸ぐらをつかんで引き寄せると、その頬に口づけを落としてやりました。
「なっ……! ばっ……!」
2人きりではありません。辺りには大勢の兵士が居ます。
とっさにメイヴさんが盾になって視界を遮ってくれたり、ナウマンさんが「あ、あそこに珍しい鳥が」と森の方を指差して、ごまかそうとしてくれたりもしたのですが。
おそらく、結構な数の目撃者が居たことでしょうね。
どよめく周囲には目もくれず、ついでに兄の顔を振り向くこともせず、私は駆け出しました。
自分の役目を果たすため、オースティンの勝利のために。
*****
人の噂は、人が歩く速さで伝わると申します。
司令部で私がしでかしたことは、待機場所で他の兵たちと合流する頃には、既に部隊中に広まっていました。
ただし、伝わる過程で情報が歪むのも世の常なのか。
私の顔を見るなり、息せき切って駆けてきたキャレルが言うことには、
「トウリ中隊長! 俺、聞いたんですけど……! 今日の戦いで『大盾』を討ち取った奴には、中隊長がキスしてくれるって本当ですか!?」
「……デマですよ、キャレル」
私は即座に否定しました。
が、しかし。共に待機していたガヴェル曹長が、
「そのくらい、してやれば?」
と妙に投げやりな調子で仰いました。
ガヴェル曹長は、私がベルンにしたことを正確にご存知だったようです。あきれていたし、怒ってもいました。
これから命のやり取りをするのに不謹慎だと言っても、
「命がけで戦うから、尚更だろ。たまにはそのくらいの褒美がなきゃ、兵たちだってやってられねえよ」
そう言って、ご褒美の件を兵士たちに広めてしまいました。
「おまえら、聞いたかー! 今日の1番手柄には、中隊長殿から褒美があるぞー!」
そんなのは悪質なおふざけです。士気を高めるどころか、逆にやる気を削いでしまうだけなのでは。
「うおー! 中隊長殿の唇は俺がもらったー!」
「ふざけんな! 誰がてめえなんぞに渡すか!」
「俺が1番手柄だー! 中隊長殿のハグと膝枕つきだぞー!」
「添い寝もしてもらえるらしいぞー!」
……予想に反して、次々と奇声のような歓声が上がり、部隊中に
なぜだか妙にやる気十分になった兵士たちを引き連れて、森の中を移動すること、およそ1時間。
私たちは、敵の伏兵部隊をその目にとらえました。
まだかなり距離があるので、向こうはこちらの姿に気づいていません。私たちが敵を視認できたのは、高所から見下ろしているからです。
「偵察兵の皆さんのお手柄ですね」
いち早く敵を発見してくれたおかげで、かなり優位な状況を作ることができました。
「これなら、作戦通りに戦うことができます」
「大盾」はとにかく硬いのが特徴です。
正面からの銃弾はほぼ通じません。そして近距離から攻撃しようとすれば、圧倒的な重量を持つ鉄の盾につぶされてしまいます。
銃が通じない。近づけば殺される。ここまでだと、まるでガーバック隊長のようですが。
あの鬼の小隊長殿と比べると、「大盾」には致命的と言っていい欠点がありました。
動きが遅いのです。亀のように鈍重なのです。
足が速く、射撃のうまい兵士で囲んで、四方八方から銃弾を浴びせてやれば、討ち取ることは不可能ではないでしょう。
これまで塹壕戦において「大盾」が脅威になっていたのは、味方の兵士と共に正面から突撃してこられたからでした。
ですが今回は撤退戦。集めた情報を駆使すれば、こちらが戦いやすい状況を作り出すこともできるのです。
「それでは、ガヴェル曹長」
「ああ。油断するなよ」
私たちはそこで二手に分かれました。
ガヴェル曹長が率いる主力部隊は、さらに二手に分かれて敵を左右から挟み込み。
私が率いる陽動部隊は、このまま背後から奇襲して敵を混乱させるのが役目です。
そのために、ちょっとした小道具も用意してきました。
トウリ遊撃中隊のベテラン工作兵、ナウマンさん特製の「毒ガス弾」です。
実際は、火にくべると青緑色の煙を出す、火薬をちょっと加工しただけの無害な粉なんですが。
その煙を風上から流して「ガスだ!」と叫べば、毒ガスの恐ろしさを知っている敵は十分、混乱します。
さらにあわせて、高所からの射撃も行います。
狙いは「大盾」ではなく、それ以外の兵士たちです。とにかく敵の数を1人でも減らして、「大盾」と戦いやすくするのが狙いです。
「■■■!?」
「■■っ、■■■!!」
突然、流れてきた青緑色のガスと、間髪入れず降ってきた銃弾の雨に、敵部隊は目に見えて動揺しました。
自分たちが奇襲するつもりで待ち構えていたところに、逆に不意打ちを受けたのだから当然ですね。
やはりどんな戦いでも、先手を取ると強いです。
戦いやすい場所を確保し、有利な状況を作り出すことができれば、多少の数の差など問題ではありません。
そのために重要なのが「情報」なのです。
ありえないほどの数の偵察兵を出して、常に最新の情報を集め、戦場の動きを
ベルン・ヴァロウが指揮するオースティンは、こと情報戦に関しては圧倒的に連合軍の上を行っていました。
私たちが見下ろす先で、フラメールの兵士がバタバタと倒れていきます。
中には煙を吸ってしまったのか、咳き込みながらのたうち回っている兵士も居ます。
毒ガスではなく、ただの無害な煙だというのに。恐怖による思い込みのためか、今にも死にそうなくらい苦しんでいます。
その様子を見て、周囲の兵士たちにも恐怖と混乱が広がっていきました。
なんと、既に逃げ出そうとしている兵士まで居るではありませんか。
フラメールの部隊には民兵も多いので、無理からぬことではありますが。仮にもエースが率いる部隊がこれでは、あまりにお粗末というものです。
と、その時。
突如として、獣のような咆吼が辺りに響き渡りました。
視界をふさぐ青緑色の煙の中で、ゆらりと立ち上がる巨体。
振り乱した髪と、筋骨隆々の体。丸太のように太い腕が掲げているのは、半円錐状の鉄の盾。
その表面には、これまで葬ってきたオースティン兵のものか、赤黒い血の痕がいくつも染みついていて。
盾に刻まれた聖母の像は、血まみれのまま、慈愛に満ちたほほえみを浮かべていました。
何と不気味で、おぞましい姿でしょうか。
さすがに、味方も動揺しています。「大盾」がその豪腕で鉄の塊を振り回すたびにその動揺は広がっていき、ついには血しぶきと悲鳴が――。
「怯むな、囲めーっ! 撃て、撃てーっ!」
大声で味方を鼓舞しているのはガヴェル曹長です。
私も、のんびり見物している場合ではありませんね。「今回は手柄を譲れよ」とガヴェル曹長に言われて陽動部隊に回りましたが、このまま敵のエースを暴れさせておくわけにはいきません。
「あなた方はこのまま、援護射撃を続けてください」
「トウリ中隊長!?」
高所からの援護を味方に任せ、私は小銃を抱えて斜面を滑り降りました。
ただでかいだけの鈍重なエースもどきに、