悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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46話

 私がベルンと会って話せたのは、その日の夜のことでした。昼間のうちにも1度訪ねたのですが、その時は仮眠中だったのです。

 

 撤退戦が行われている間、ベルンはろくに休みもとらずに働いていました。

 その無理が祟ったのでしょう。副官のクルーリィさんの説明によれば、戦いの直後から半ば気絶するように眠りに落ちて、その後は普通に目を覚ましたものの調子が戻らず、時間のある時に仮眠をとっているのだとか。

 

「急ぎの用件ですか?」

 

 ならば起こすと言いたげな顔をされて、返事に困りました。

 ヴェルディさんの用件は「急ぎ」と言えないこともありませんが、私はベルンがどれほど撤退戦で消耗したかを知っています。休める時は休んでほしい、というのが本音です。

 

「いえ、出直します」

 

 起きたら連絡してほしいと頼むと、クルーリィさんはすぐに承知してくれました。

 以前はもっとそっけなかったはずですが、最近少し態度が変わった気がします。

 好意的になったわけではありませんが、ベルンの身内として、ある程度は敬意を払ってくれているのがわかります。

 

 そして、夜。知らせが届いたのでテントに行くと、ベルンは寝起きの顔で寝台に座っていました。

 

「……何の用だ?」

「ヴェルディ中佐の遣いで参りました」

 

 座れ、と雑に命じられて、私はテントの中に置いてあったテーブルにつきました。

 ベルンはあくびをしながらこっちにやってくると、

 

「おまえ、『大盾』との戦いで派手に負傷したらしいな?」

 

 藪から棒に、そう聞いてきました。

 

「はい。既に回復しましたが」

「自分で投げた手榴弾の爆発に巻き込まれたって?」

「仰る通りです」

 

 少しは心配してくれたのかと思いきや、ベルンの口調からは露骨な(あざけ)りが感じられました。

 

「久しぶりの実戦で腕が(なま)ったか? それとも、色惚けてるから勘が鈍ったのか?」

 

 悪意のこもった笑みを向けられて、私はキッと兄の顔をにらみました。

 

「色惚けてなどおりません。……戦いの前に私がしたことを非難していらっしゃるのだとしたら、筋違いも良いところだと思います」

 

 再び生きて会えるかどうかもわからない時に、ふざけていたのはそちらの方でしょう。

 

「私はただ、ご褒美の前払いをいただいただけです。見事、役目を果たしたのですから、もっと追加してくださっても構わないのですよ?」

 

 余裕の笑み――にできるだけ見えるように笑って見せると、ベルンの瞳に危険な光が宿りました。

 

「あれじゃ不足だって意味か? ……もしかして、誘ってる?」

 

 全く違いますが、自分から引き下がるのは嫌だと思うくらいには、この時の私は腹を立てていました。

 

「その通りです、と申し上げたら、少佐殿はどうなさるのですか?」

「…………」

 

 2人でにらみ合っていると、テントの外から声がしました。

 

「失礼します」

 

 程なく姿を現したクルーリィさんは、2人分の蒲公英茶のカップを持っていました。勢いよく湯気が上がっているところを見ると、淹れたてのようです。

 

「どうぞ、お召し上がりください」

 

 ありがとうございますとお礼を言って、私は蒲公英茶を受け取りました。

 内心ホッとしながらベルンの方を見れば、彼は何食わぬ顔でカップを傾けています。

 いきなり悪態をついてきたことも含めて、何を考えていたのかは正直わかりません。ただ、クルーリィさんが立ち去った後も、先程の会話を蒸し返そうとはしませんでした。

 

「それで? ヴェルディの奴は何だって?」

 

 問われて、私は居住まいを正しました。

 フラメール・エイリス連合軍から届いた停戦交渉の打診について、意見を聞かせてほしいというヴェルディさんの言葉を伝えると、

 

「まあ、アリだろうな。少なくとも、時間稼ぎにはなる」

 

 ベルンはそう答えました。ヴェルディさん同様、停戦自体には乗り気でないような顔をして。

 

「なぜ今、時間稼ぎが必要なのですか」

「色々と準備がいるからだよ」

 

 色々だけではわかりません。もう少し具体的に、と私が頼むと、彼は面倒くさそうにため息をついてから説明してくれました。

 

 詳細は「軍事機密」だとぼかされましたが、きたる連合軍との決戦に向けて、ベルンはかなり大がかりな作戦を考えているのだそうです。

 そのための準備に時間が必要だから、という理由がひとつ。

 

 もうひとつは同盟国サバトの事情です。

 ベルンは労働者議会の代表であるレミさんと密約を結び、次の戦いにはサバトの援軍も参加することが決まっていました。

 その派兵が遅れていたのです。

 

 原因は流行病(はやりやまい)です。人から人へ感染し、発熱や咳、嘔吐などの症状を引き起こし、悪化すれば命に関わる。

 そんな極めて悪性の風邪がサバトで――そしてオースティンでも、徐々に広がりを見せていたのでした。

 

 この(やまい)はやがて欧州全土に広まり、途方もない数の死者を出すことになるのですが、それはもう少し先の話です。

 

「この停戦交渉が実を結ぶ可能性はないのですか?」

 

 私としては、一刻も早くこの戦争に終わってほしいと切に願っています。

 

「ないな」

 

 そんな甘い希望は、一言で斬り捨てられてしまいました。

 

「早いんだよ、まだ。フラメールの国民が心底懲りて、オースティンへの恨みを脇においてでも停戦したいって考えるには、あっち側の被害が足りない」

 

 現状で為しうるのは、せいぜい形だけの停戦だとベルンは言いました。

 両国が一旦、戦闘行為をやめ、国力回復に努めるための時間稼ぎで、その場合、数年以内に戦闘が再燃する可能性はけして低くないそうです。

 

「フラメールはそれでもいいかもしれん。だが、オースティンにとっては死活問題だ。サバトに踏み荒らされた国土を回復するのに、数年じゃ時が足りない」

 

 つまり、今、戦争をやめて得をするのは敵だけであって、オースティンにとっては利益がない、と。

 

「ヴェルディの奴もそう言ってなかったか? 前のめりに停戦したい、なんて顔は多分してなかっただろう?」

 

 ヴェルディさんのお考えは聞いていません。ただ、停戦に乗り気でないように見えたことは事実です。

 

 その理由が、ベルンの言う通りなのだとしたら――この撤退戦に「勝ちすぎた」という、ヴェルディさんのお言葉の意味もわかります。

 

 要するにオースティンは、敵に戦いをやめてもらっては困るのです。

 再び戦争を仕掛けてくることがないように、サバトに蹂躙された我が国と同じくらいの被害を受けてもらうまでは、戦い続けてもらわねばならないのです。

 だから敵がこの敗北に懲りて、本気で戦争をやめようとしたらまずいのですね。

 

 それは言い換えれば、自国を守るために、他国にさらなる犠牲を強要している、ということになります。

 

 自分は死にたくないから、おまえが死ね。

 戦場ではそうしたエゴの押し付け合いが日常的に生じますが、その道をさらに進んだ先には、国同士のエゴの押し付け合いがあるのですね。

 本当に、どこまで行っても悲惨で、救いようがない――。

 

 私の反応を見て、「不満そうだな?」とベルンは笑いました。

 

「……いいえ。そのようなことはありません」

 

 それが正しい道だとは思いません。愚かで醜く、忌避すべきことだと理解しています。

 けれども、ならば自分たちが犠牲になってもいいのかと問われたら、うなずくことはできないのです。

 たとえ敵国の罪のない民衆にまで犠牲を強いることになっても、代わりに自分が、大切な人が、仲間が死んでもいいとは思えない。

 

 ああ、本当に。

 私たち人間は、どうして戦争などという愚かな行為を始めてしまったのでしょうね?

 こんなどうしようもない地獄を生み出して、いったい誰が得をしたというのでしょうか?

 

 胸の内の葛藤を押し込めて、私は淡々と言葉を紡ぎました。

 

「ただ、案じておりました」

 

 連合軍との決戦は、当然、塹壕戦の形をとるでしょう。となれば「塹壕の魔女」ことシルフ・ノーヴァが脅威にならないわけがありません。

 

 しかしベルンは、

「まともに勝負をしなければいいだけだ」

とあっさり告げました。

 

「あの魔女には今回、何もさせない」

「……どうやって」

 

 さすがに楽観的すぎるのではと思って兄の顔を見れば、彼は例によって良からぬことを(たくら)んでいる様子で、にやりと笑いました。

 

「おまえ、またあの女にお手紙書けよ」

 

 

 

*****

 

 念のため言っておきますと、私がシルフに手紙を書いたことはありません。

 私の名前で、シルフ宛ての手紙を送ったのはベルン自身です。

 私の許可なく、勝手に。ご丁寧に、筆跡まで真似て。

 さも、私がベルンの陰謀の手先となって、シルフと友情ごっこを演じたかのような偽手紙を出したのです。

 

「今回は私が書くのですか」

 

 多少の皮肉を込めて聞いたのですが、ベルンには通じませんでした。

 あるいは、通じていて無視されたという可能性もありますが。

 ともかくベルンは平然と、悪びれることなくうなずいて、

 

「ああ、書くのはおまえだ。何を書くかは俺が決めるけどな」

 

 それでは前回と同じではないですか。どうせ筆跡を真似ることができるのですから、わざわざ私が書く意味もないのでは。

 

「同じじゃねえよ。内容は俺が決めるが、それを文章に起こすのはおまえがやるんだ」

「……?」

「いいから、さっさと始めるぞ」

 

 有無を言わさず便箋を押しつけられて、私は仕方なくテーブルに向かいました。

 

「まずは何を書けばよろしいのですか?」

「いきなり本題に入るのもアレだな。適当に挨拶でも書けよ」

「そうですか、では――」

 

 私がペンを走らせると、ベルンの眉間にしわが寄りました。

 

「……おまえさ。相手は敵で、戦場に居るんだぞ。『皆様お変わりなく、お元気でしょうか』とか、普通書くか? 遠回しにケンカ売ってんのか?」

「文句があるなら、ご自分で文面を考えてください!」

 

 最初からそんな調子だったので、作業は難航しました。

 ベルンの注文が多い上に細かくて、なかなかお眼鏡にかなう手紙が書けないのです。

 

「もういっそのこと、ご自分で書かれてはどうですか」

「ダメだ。おまえの下手な文章で現実を突きつけられた方が、あの女にとってはキツイ」

 

 下手な文章で悪かったですね。

 ちなみに、ベルンの言う「現実」というのが手紙の本題です。くわしい内容についてはここではふれませんが、シルフの祖国であるサバトに関すること、とだけ申し上げておきます。

 

 必死に便箋と向かい合うこと、2時間あまり。

 

「……よし。色々と微妙な部分はあるが、まずはこれでいいだろ」

 

 ようやく合格点をもらうことができて、私はぐったりとテーブルに突っ伏しました。

 慣れない作業は、とても疲れました。これなら1日中、訓練でもしていた方がよっぽどマシです。

 

「その手紙をどうやってシルフに渡すのですか……?」

 

 ベルンも言っていた通り、相手は敵国に居ます。郵便屋さんに頼めば届けてくれるというわけではありません。

 

「外交部の連中に持たせるつもりだ。……まあ、絶対に届くって保証はねえけどな」

 

 これだけ苦労したのに、無駄に終わるかもしれないのですか。

 

「ああ。だから念のため、別のルートも使う。ほれ、さっさと起きろ。確実にあの女の手元に届くように、最低でもあと2、3通は書いてもらうぞ」

「……それは、同じ文面を写せばよろしいのですよね?」

「いや? 大筋は同じでいいが、他は変えてもらう」

 

 冗談でしょう、と喉元まで出かかりましたが、ベルンは真顔でした。

 

 ……この人、適当そうに見えて、仕事に関しては手抜きをしないんですよね。

 正確には、求める仕事のレベルが異様に高いと言うべきかもしれません。

 

 要は、自分と同じレベルの仕事を人に求めているだけ、なのでしょうけど。

 怪物と呼ばれるベルンと同程度の仕事を、凡人の自分にこなせと言われても。

 

「せめて少しだけ休憩させてください……」

「構わんが、今夜中に仕上げてもらうからな。ダラダラやってたら寝る暇がなくなるぞ」

 

 これは徹夜コースですね、と覚悟した私でしたが、幸いにも杞憂に終わりました。

 

「失礼します」

 

 テントの外から、またクルーリィさんの声がして、

 

「ヴェルディ中佐がお見えになっています。折り入って相談したいことがあると」

 

 私は「はて」と首をひねりました。

 私がここに居るのは、そのヴェルディさんに頼まれたからです。

 停戦交渉について、ベルンの意見を聞いてきてほしいと言われて――その報告もまだしていませんのに、どうしたのでしょうか。

 

「……通せ」

 

 ベルンが答えると、程なくテントの中にヴェルディさんが姿を見せました。

 

「トウリちゃん。やはりまだここに居たのですね」

 

 ヴェルディさんは私にほほえみかけると、すぐに真顔になってベルンの方に視線を移し、

 

「緊急の用件で参りました。できればお2人そろって聞いていただきたい内容です」

 

 そう言って、軍服の中から取り出したのは1通の書状。

 

「たった今、私のもとに届いたものです。差出人はアルノマ・ディスケンス、及びシルフ・ノーヴァの連名となっています」

 

 受け取ったベルンは、ざっと書状に目を通すと、無言のままヴェルディさんに視線を向けました。

 

「そこに書かれている通り、フラメールの英雄殿と旧サバトの参謀殿は、停戦交渉の場に『我らの友人』の同席を強くお望みとのことです」

 

 ヴェルディさんは固く強張った顔で私に視線を戻し、

「あなたのことですよ、トウリちゃん」

と静かに告げました。

 

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