悪魔を愛した少女の日記【完結】   作:結寄

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49話

 レミさんと別れた後で、私はベルンのテントに向かいました。

 同盟国の重要人物と、どんな会話をしたのか――まあ、他愛のないおしゃべりがほとんどでしたが、それでも一応、報告しておいた方が良いと思ったのです。

 

 ベルンが寝込んでいることは、一般の兵士には伏せられています。言わずもがな、大事な決戦の前に動揺を広げないためです。

 

 幸い、今のところはうまくいっています。それ以前から、クルーリィさんが「疾病対策」として一般の兵士を遠ざけていたことが功を奏したのです。

 

 おかげでベルンのテント周辺は人影も少なく、静かなのですが。……この日は何やら、様子が違っていました。

 

「通せ! 後生だから、ベルン少佐に会わせてくれ!!」

「先生、困ります!」

「あれは悪魔の兵器だ! あんなものを作り出したのは間違いだった! あれを使ったら、我々の祖国は取り返しのつかない汚名を背負うことになる!」

「先生!」

 

 テントの前で護衛の兵士ともみあっているのは、クマのように大柄な男性でした。

 げっそりと頬がこけ、まるで別人のようになっていましたが、自分にとっては知った顔でした。

 

「クマさん、ですか?」

 

 思わず名前を呼ぶと、男性は弾かれたように振り向きました。

 

「……小さな英雄ちゃんじゃないか」

 

 それはオースティン医学界の重鎮、タクマ医師でした。

 彼は私の姿に気づくと、落ちくぼんだ瞳にかすかな希望を宿して、ふらふらと歩み寄ってきました。

 

「君は確か、ベルン少佐と親しいそうだが――」

 

 ええ、まあ。一応身内ですから、と答えるわけにもいかず、

「親しいというほどではありませんが、少佐殿にはお世話になっています」

と私は答えました。

 

 するとタクマ医師は、その大きな両手でがしっと私の肩をつかんできました。

 

「頼む! 少佐に取り次いでくれ!」

「え」

「もう1度だけ、話をさせてほしいんだ! あれの本当の恐ろしさを、何としてでもわかってもらわなくては!」

「え、あの、クマさん? どうか落ち着いて――」

 

 大柄な男性に肩を揺さぶられて、私は目をシロクロさせました。

 

「先生、いけません!」

 

 そのうち護衛の兵士が駆け寄ってきて、私たちを引き離してくれました。

 

「少佐に会うなら、早く行ってください!」

 

 兵士に(うなが)され、状況が良くわかりませんでしたが、いつまでもこの場に留まっているわけにもいかず。

 結局、私は彼らを置いて、ベルンのもとに向かいました。

 

「放せ、放してくれ!」

 

 兵士たちに囲まれ、どこかに連れていかれそうになりながら、タクマ医師はなおも大声を上げ続けていました。

 

「あれを使わないでくれ! お願いだから使わないでくれ!」

 

 大柄な男性が怒鳴っているのです。普通なら少し怖いと思うところですが。

 ……なぜでしょう。この時のタクマ医師の声は、まるで幼い子供の悲鳴のように、ひどく痛々しく響いたのでした。

 

 

 

*****

 

 ベルンは起きていました。

 顔色は良くないですし、熱でぼんやりしているように見えますが。

 外であんな騒ぎが起きているのに、のん気に寝てはいられなかったのでしょうね。

 

 私がテントに入ってきたのを見ると、彼は「近くに寄れ」というように手招きしました。

 

 ……まだ声が出ないのでしょうか。

 今は治まったようですが、ここ数日は咳がひどかったんですよね。

 四六時中、咳き込んでいるような状態だったので、食事もまともにできなくて。おかげで、少しやせたかもしれません。

 

 これってやっぱり、私のせいなんでしょうか。私が先に病気になって、(覚えていないけど)この人にうつしてしまった?

 

 罪悪感にきゅっと胸を締めつけられながら、私は必要な報告を行いました。

 

「レミさんから言づてです。『お大事に。また会える日を楽しみにしています』と……。手紙も預かってきました」

 

 ベルンの指がサイドテーブルを差しました。そこに置け、ということなのでしょう。

 

「彼女とはおよそ1時間半、お茶をして会話を楽しみました。完璧にご満足いただけたかどうかはわかりませんが、歓待役としての務めはある程度、果たせたものと考えています」

「……ご苦労」

 

 私はハッとしました。

 耳に届いたのは、かすれてはいても、間違いなく兄の声で。

 

「声が出るようになったのですか?」

「……昨日の夜からな。しばらく使ってなかったから、調子出ねえけど」

 

 ベルンは喉の辺りを軽くさすってから、あらためて私に目を向けました。

 

「報告は以上か?」

「あ、はい」

「わかった。もう下がっていい」

「…………」

「聞こえなかったのか? 下がれって――」

 

 ああ、また咳き込んでるじゃないですか。私はベルンのそばに寄り、背中をさすってあげようとして、乱暴に押しのけられました。

 

「か、え、れ。何度も言わせるな」

「……ですが、ここ数日に比べれば症状も落ち着いたようですし」

 

 ベルンの具合が悪い時は、私も近づかないようにしていたのです。

 けれども、身内なのですから。元気になったのなら、多少の看病くらいはさせてくれても(ばち)は当たらないのではないでしょうか。

 

「元気になったなら看病させろって、言ってることがおかしいだろうが」

「あまり症状がひどい時は、自分が居てもかえって邪魔になるだけだと思っていたのですよ」

「今も邪魔だよ。寝かせろ。休ませろっての」

「むしろ、『ずっと寝ているしかなくて暇だった、話し相手がほしい』という顔をしていらっしゃいますね。わかりました。僭越(せんえつ)ながら、お相手になりましょう」

「頼んでねえんだよ。いいから早く――」

 

 また「帰れ」と言いかけて、ベルンはふと表情を変えました。ハーッと迷惑そうにため息をついて、

 

「……何なんだよ。その『罪悪感でいっぱい』みたいな顔は」

 

 そんなに顔に出していたつもりはなかったのに、見抜かれてしまいました。

 

「おまえのせいだって言ったの、真に受けたのか? ……嘘だよ。からかっただけだ。そこら中で病人が出てるのに、どこからうつったかなんてわかるわけねえだろうが」

 

 それは、普通に考えればそうなんですけど。

 この人は嘘つきですから。「嘘だよ」なんて言われると、逆に本当のような気がしてしまうのですよね。

 

「あの時、本当は何があったのですか?」

 

 ベルンが私のお見舞いに来てくれた時、病気がうつるくらい近距離での接触があったのでしょうか。

 

「……別に、何も」

「本当ですか? たとえば、すがりついて『行かないで』と頼んだとか」

「してねえよ。おまえは寝てたし、俺も指1本ふれてない」

「それは、私の体に直接ふれてはいないという意味ですよね? 使用済みのタオルですとか、脱いだ肌着等にさわったりもしていませんね?」

「トウリちゃんは俺を何だと思ってるのかな~?」

 

 聞き方が悪かったのでしょうか。だいぶ怖い目付きでにらまれてしまいましたが、私は無視して話を続けました。

 

「何かできることがあるなら、させていただきたいのです。自分は1度罹患しているので耐性がついています。ここに居ても、再び寝込むようなことにはおそらくなりませんから」

 

 ベルンはいいかげんうんざり、という顔をして、犬でも追い払うように手を振りました。

 

「おまえの心配はしてねえんだよ。迷惑だから消えろ、って言ってんだ」

「…………」

「だーかーら。その落ち込んだ顔はやめろって――」

 

 ベルンがまたゲホゲホと咳き込んでしまったので、私も迷いました。

 実際、ここに来るまでは報告だけして戻ろうと考えていたのです。

 

 それが変わったのは、予想よりもベルンが回復していたから、というのもありますが、テントの前でタクマ医師に会ったことも理由のひとつです。聞き流すにはあまりに重すぎるセリフを聞いてしまったからです。

 

「タクマ医師の用件は何だったのですか?」

「……おまえには関係ない」

「彼が言っていたのは、毒ガスのことですよね?」

「…………」

 

 タクマさん絡みで「悪魔の兵器」といったら、他には考えられません。

 

「もしや、今度の決戦に使用するつもりで?」

 

 毒ガスは確かに非道な兵器です。既に実戦でも使用され、多くの人命を奪っています。

 ただ、この世界では「風銃」という天敵のような装備が存在するためか、前世知識で知るほどの戦果は挙げていません。

 特に、鉱山戦線で手痛い敗北を喫してからは、ほとんど使用していなかったはずですが……。

 

 ベルンは「さあな」と短く答えただけでした。

 

「教えてはいただけないのですか」

「軍事機密だよ。知りたきゃもっと出世しろ」

 

 それはもちろん、機密だから話せない、というのも理由のひとつなのでしょうけど。

 彼の言葉はあいもかわらずそっけなくて、私を突き放そうとする明確な意思を感じて。

 ここで黙って引き下がれない。そういう気持ちになった私は、何とか会話を続けようと試みました。

 

「毒ガスは、扱いが難しい兵器ですよね」

「……そうだな」

「風向き次第で、味方も巻き込んでしまいますし……」

「その通り、その通り」

 

 ダメですね。そんなことくらい、ベルンもよく承知のはずです。

 

「兄さん」

「何だよ。もう帰れって」

「以前、こう仰っていましたよね。自分はこれからも人を殺すと。シルフのことも、アルノマさんのことも、嵌めて、踏みにじって、殺すのだと」

「言ったな。それがどうした?」

「私は、あなたのしていることが正しいとは思えません」

 

 けれど、「間違っている」と断じることもできません。

 そもそも「戦争」という間違いの中では、どのような道を選んでも、完全に正しくはいられないという気がしますし。

 

「ただ、私はあなたが、悪魔でも怪物でもないことを知っていますから」

 

 この人が血の通った人間であることを、この世の誰より知っていますから。

 

「あなたがそんな風に呼ばれるのは……、いえ、望んでそういう生き方をしているように見えることが、苦しいです」

「それで?」

 

 殊更(ことさら)冷たく問い返されて、私はひるむことなく兄の顔をにらみました。

 

「共有したいのです。あなたがこれからしようとしていること、全部」

 

 ベルンがどういう意味だと言いたげな顔をしたので、私はもう少しくわしく説明しました。

 

「言い換えれば、共犯になりたいのです。あなたの罪は私の罪だと、胸を張って言えるようになりたい」

「また、無駄に重いセリフ吐きやがって……」

 

 ベルンは心底あきれたという風に顔をしかめてから、

 

「おまえ、俺の命令で『塹壕の魔女』に策を仕掛けたよな?」

 

 策の意図も理解した上で実行したのだから、立派な共犯だろう。それでは不満なのか? と聞いてきました。

 

「確かに、シルフには『貴様らは人間じゃない』と(ののし)られました」

 

 私はそう言って笑いました。心から嬉しそうに、誇らしそうに笑ったつもりでしたが、ベルンにはそう見えなかったようです。

 

「おまえは結局のところ、あの魔女と同類なのかもな」

「どこが――」

「無駄に人殺しの才能があるくせに、それを楽しめないところ」

「…………」

 

 そんなの、普通は楽しめる方がおかしいでしょう。

 

「だとしても、大抵の奴は適応できる。敵も人間だとか、向こうにも家族が居るとか、そういう綺麗事(きれいごと)を忘れて引き金を引くんだ。でなきゃ、自分が死ぬだけなんだからな。嫌でも適応するしかないだろ」

 

 そうですね。敵を殺すことにいちいち心を痛めていたら、人の精神なんてたやすく壊れてしまいます。

 

 ……シルフもそうだったのだと思います。

 あの善性の少女に、戦場の指揮官なんて本当は無理だったのに。

 

「おまえも似たようなものなんじゃないか? まだ壊れるまではいってないかもしれんが、多分、ヒビくらいは入ってるだろ」

「その私を、やたら前線で使いたがっていたのはどこのどなたですか」

 

 痛いところを突いてやったつもりでしたが、ベルンは平然と外道なセリフを返してきました。

 

「俺は壊れたおまえも見てみたかったから」

「…………」

「けど、俺の生き方にまで口出ししてくるなら話は別だ。苦しいとか言いながらそばに居られても、足かせにしかならねえんだよ」

 

 ベルンの手が、ゆっくりとサイドテーブルの上にのびました。

 そこには兵士を呼ぶためのベルがあります。人を呼んで、力づくでも私を追い出すつもりなのでしょう。

 

 どうにかして、会話を続けるために。

 何かベルンの気を引くことを言わなければ、と。

 必死で考えを巡らせた私は、気づけば前世の知識を叫んでいました。

 

「毒ガスは使えませんよ。いずれ国際的に使用が禁止されるはずです!」

 

 

 

*****

 

 ベルンは奇妙なものを見る目で、私のことを見ておりました。

 

 や、それはそうですよね。いきなり「国際的に禁止」とか、話が飛びすぎています。

 

「その、あまりに非人道的な兵器なので……」

 

 苦しい言い訳を口にすると、彼はベルから手を放し、寝台の上に座り直しました。

 

「おまえ、たまに意味わからんこと言うよな」

「…………」

「意味わからんっつーか、この先の未来が見えてでもいるような?」

「!」

 

 かなり正確に言い当てられて、私は冷や汗をかきました。

 正しくは未来が見えているわけではなく、この世界よりも文明レベルが進んだ世界で生きていた記憶があるだけ、なんですけど。

 

「……そのような妄言を口にしたことがありましたでしょうか」

「ああ。レミと初めて会った時がまさにそうだった」

 

 ベルンに引き合わされて、彼女と対面した時。

 私は自分の「持論」であるとして、前世の知識に基づく考えを披露しました。

 平和を実現するためには、「戦争は避けるべきもの」という共通認識を作っていくことが重要だという話です。

 

「あの時、レミに言ったこと。全部がおまえの考えってわけじゃないだろ。他人の知識を、それもうろ覚えのやつを思い出しながらしゃべってるって感じだったぞ」

 

 実際その通りなのですが、「はい、そうです」と認めるわけにはいきませんでした。

 実は前世の記憶があります、なんて言ったら、多分、頭が変になったと思われるだけでしょうし。

 

 信じてもらえたとしたら、また別の懸念が生じます。

 だって、この人は「悪人」ですから。今よりも進んだ時代の知識なんて知ったら、普通に悪用しそうな気がします。

 

「あれは根拠のない空想のようなもので……」

「空想、ね。毒ガスが使えなくなる、っていうのも同じか?」

「……そんなことはありえない、とお考えでしょうか」

 

 風銃という天敵が存在するとはいえ、強力な兵器であることに変わりないですからね。いずれは周辺国でも開発されて、もっと頻繁(ひんぱん)に使用されるようになると思っているのでしょうか。

 

「いや? 禁止できるもんならした方がいいだろうな」

 

 意外な返答に、すぐには言葉が出ませんでした。

 

 だいぶ時間がたってから「それはなぜ?」と問えば、ベルンの答えは「安いから」でした。

 

「銃とか魔石に比べて、格段に安上がりなんだよ。かつ、1度に大量に殺せる。使い方が難しいのは、確かに事実だが」

 

 それは「何らかの目的にそって」使うのが難しいという意味で。

 ただ無差別に殺すことだけを目的としているなら、これほど便利なものはないとベルンは言いました。

 

「金がない国でも、製法さえわかれば簡単に量産できる。殺傷力が高く、扱い方は極めて難しい」

 

 要するに、とベルンは続けました。

 

「万が一、馬鹿の手に渡っちまったら、ヤバイどころの騒ぎじゃないってことだ」

「?」

 

 私がぴんとこない顔をしていると、彼はこれ以上ないほどわかりやすい例を出してきました。

 

「たとえば、革命時のサバトにあれがあったら? 革命軍気取りの賊どもがあれを持ってたら、いったいどういうことになってたと思う?」

「……っ!」

 

 想像して、私は凍りつきました。

 サバトで私が身を寄せていた村は、その賊のせいでメチャクチャにされましたが、それでも亡くなった人は十数名ほど。生き残った人の方がずっと多かったのです。

 

 けれど、もしも賊が毒ガスなど持っていたら?

 確実に、村は全滅していました。私も、セドルくんも、イリゴルさんやゴルスキィさんも生きてはいなかったでしょう。

 

「国の上の方に居る連中も、いずれはそのヤバさに気づく。すぐに禁止って話になるかまでは知らんが……。建前上、製造を制限する、くらいの取り決めはするんじゃないか」

「あなたは……」

 

 私は半分恐れ、半分は畏怖していました。

 私と同じように前世知識があるわけでもないのに、どうしてそこまで考えが及ぶのでしょう。それこそ未来が見えているかのようではないですか。

 

 歴史上、毒ガスが最も活躍したのは、第一次世界大戦だと言われています。

 実際にはそれ以降も使われていたはずですが、国際的な非難もあって、表立って堂々と使われることは減っていきました。

 

「これが最後の活躍の機会かもしれないんだ。せいぜい役立ててやらないとな?」

 

 ベルンは舌なめずりしそうな顔で笑っています。

 

「やはり、使うつもりなのですね……」

 

 次の戦いで。おそらくは前述の欠点すら補うやり方で。

 

「そう暗い顔するなよ、トウリちゃん」

 

 ベルンの手が、私の頭をなでました。熱で呼吸が荒く、瞳の焦点が揺らいでいるせいで、いつもより怖いです。

 

「1度だけだ。……どうせ、何度も使える手じゃねえし。その1度で、勝負を決めてやる」

 

 その確信に満ちた言葉を聞いて、私は理解しました。

 これから敵は地獄を見ることになる。あのサバトで、ヨゼグラードで見たような景色が、また地上に具現化するのだと。

 

 1度は命を落としかけたこの人を、救ったのは私です。

 

 ベルン・ヴァロウが生きている限り、オースティンがこの戦争に敗北する可能性は低いでしょう。そしてオースティンが負けないということは、代わりに敵が負けるということ。大勢の人が死に、苦しみ、のたうち回るということなのです。

 

 自分が、この人を失いたくなかったから。

 何が何でも命を救おうとしたあの時から、私はとっくに共犯だったのですね。

 

 それなら私は、この人を1人にせずに済むかもしれないと。

 地獄に落ちるにしても、共に行けるかもしれないと。

 私は少しだけ安堵していました。そんな自分を、当のベルンが複雑そうに見ていたことには気づかずに。

 

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